記者コラム「見た 聞いた 思った」

押谷謙爾

2006年01月23日

プライバシーか公か

 「327番さん~」。年末年始、病院通いを続けた私はある病院でこの番号を与えられた。ここでは外来患者の呼び出しを名前ではなく、番号で行う。誰が、どんな関係の病気なのか、周囲に推測されるのを防ぐためだろう。名前や住所、電話番号を記入するいくつかの用紙には「医療目的以外にこの情報を使用しません」とある。引っ越しのため訪れた不動産屋でも同様の文面を見せられた。個人情報保護法の施行から4月で1年になる。情報がはんらんし、データの取り扱いに過敏にならざるを得ない時代である。

 「今このアンケートにお答えいただくと、もれなく○○をプレゼントします」。面倒なトラブルはごめんなので、個人データ獲得を狙うこの手のアンケートは避けている。私の知人はこんな目に遭った。自宅近くの住宅展示場を訪れ、アンケートに答えたところ(粗品ゲットが目的だった)、そのデータをもとにイタズラ電話の攻撃を受けたのだ。最後にかかってきた電話の相手番号と日時が分かる、NTTの「136」サービスで調査。その番号にこちらから電話すると展示場が「犯人」と判明したという。ずさんなデータ管理に加え、嫌がらせ。「物騒な世の中だ」と知人はこぼしていた。

 データ管理はひとごとではない。現在、日刊スポーツではプロ野球とJリーグの選手名鑑を作製している。個人情報保護法の施行後、社内指針でその基データはカギのかかるロッカーに保管する原則となった。

 取材ノートやメモもしかり。取材対象者の連絡先を含めた個人データが満載だから、廃棄する場合はシュレッダーにかけて捨てるようにしている。

 以前は選手の家族構成(名前、年齢)や愛車など細部まで記していたが、こちらは「夫人と1男1女」と原則的に個人名まで掲載しなくなった。原稿で名前を使用する場合は対象者の了承を得るようにしている。プライバシー保護と個人データの取り扱いが非常に難しくなってきたと感じている。

 年末、テレビ番組でセレブとして有名なパリス・ヒルトンが事故に遭うシーンを見た。ハリウッドのナイトクラブから出てくると、待機していた大勢のパパラッチが取材を開始。ボーイフレンドの運転する高級車の助手席に乗り込んだが、パパラッチに取り囲まれ、立ち往生。そのボーイフレンドがジャケットで顔を隠しながら急発進したところ、前方のトラックに派手に衝突したというもの。彼女の場合、セックスビデオや携帯電話の登録内容が流出するなど話題が尽きないが、米国ではパパラッチの過剰取材が原因の交通事故が増加しているという。カリフォルニア州では過熱取材を規制するためパパラッチ規制法まで登場している。

 我々マスコミは情報を提供する職業。しかし、どの情報までがプライバシーで、どこからが公にされていいのか、実のところ明確な線は引き切れていないと思う。三半規管の異常を指摘された私は病院の待合室で、知る権利とのバランスについて自問自答を繰り返した。

January 23, 2006 11:34 AM

2006年01月13日

九州時代誕生の秘密

 今から半月前、宮崎県のほぼ中央に位置する人口約7500人の山あいの町で彼らは1つになっていた。いろりを囲み、地元の芋焼酎の瓶を次々と空にした。酒のさかなはサッカー談議。あまりの熱気で部屋を暖めていた石油ストーブの火が落とされた。

 九州勢を中心に全国高校サッカー選手権出場の12チームがJリーグG大阪のキャンプ地で知られる宮崎県綾町に集結した。12月下旬、大会前に練習試合を行う恒例の九州強化合宿だ。夜には伝統の食事会も開催された。集まった幅広い年代の監督、コーチが酒を酌み交わした。戦術や指導について意見交換する車座がいくつも広がった。

 「九州は1つ」。九州の高校サッカー指導者の合言葉である。「結束力の強さはどの地域にも負けてない」。多くの監督たちが口をそろえる。頂点を狙うもの同士が敵味方を超え、結束する。そのルーツは1970年ごろにさかのぼる。

 当時は関東、東海勢が全国の上位常連。「なんとかして九州のチームが全国で勝てないか」。福岡商(現福翔)の藤井正訓監督(73=現九州サッカー協会会長)が発起人となり大分工、島原商、鹿児島実と合同合宿を始めた。昼の試合が終わると、夜は“飲みニケーション”で強化策を探った。日付が変わるのは日常茶飯事。「強くなりたい」。熱い思いは輪を広げ、焼酎の量を増やした。毎回、九州大会や全国大会前に代表校が集い、昼夜をかけて技術交流を図った。

 昨年度選手権王者の鹿児島実・松沢隆司総監督(65)も若いころ、焼酎で意識がぼんやりする中、机の下で先人たちの言葉をメモした。せっかくの会話を忘れないようにと、懐にはテープレコーダーを忍ばせた。仲間意識を持った鍛錬のおかげで九州各県、各チームのレベルはアップ。選手権ではここ10年、九州勢が6度の優勝を誇る。四半世紀を経て、藤井会長の思いは実を結んでいる。とはいえ、もちろん勝敗を競う。頂点に向かい、しのぎを削る作業は楽ではない。中学生のスカウト活動で競合し、因縁を残したなんて話も聞くし、試合中にヤジの応酬も見る。監督同士の付き合いを「策士と策士、タヌキとタヌキのだまし合い」と言う人もいる。だが、根底には「九州は1つ」の合言葉があり、友情がある。

 3年ほど前、東福岡の志波芳則監督(55=現コーチ)が不祥事で解任され、1年間の謹慎処分を受けた。選手権も監督だけ不参加だった。当時、批判や同情など指導者仲間の反応はさまざま。学校の取り調べや我々マスコミの追及が続いていたある日、福岡市内の選手寮へ鹿児島から1通の茶封筒が届いた。中身はA4判の半紙が1枚。力強い毛筆の2文字があった。ただ、「我慢」と。ひげが伸び、ほおのこけた志波監督の手が震え、細長い目が潤んでいた。送り主は鹿児島実の松沢総監督。九州の高校サッカー取材で、彼らの合言葉の深さを感じさせられる出来事だった。

 私の故郷、滋賀の野洲の初優勝はうれしい。でも、独特のチームワークを持った九州勢が今後どう結束し、巻き返すのか。こちらの方にも興味が尽きない。

January 13, 2006 12:04 PM