記者コラム「見た 聞いた 思った」

岡山俊明

2006年12月25日

形容できない最強馬

 残念に思うことがある。ディープインパクトには最後まで適当なニックネームが付かなかったことだ。市川厩務員は「おぼっちゃま」と呼び、武豊騎手は「英雄」をリクエストした。しかし、圧倒的な強さと、過去のどの名馬にもなかった高速の末脚を、的確に表現する形容詞は見つかっていない。

 「ミスター」長嶋茂雄、「牛若丸」吉田義男、「鉄人」衣笠祥雄、「8時半の男」宮田征典、「若大将」原辰徳、「ジャンボ」尾崎将司、「燃える闘魂」アントニオ猪木、「キング」カズ。スターや名脇役には必ずカッコイイ愛称がある。それはアスリートのポテンシャルから性格まで如実に表す。

 競馬に興味を持ち始めた小学生のころ、スポーツ新聞や競馬雑誌に「走る労働者」とか「走る精密機械」といった見出しが躍っていた。それらが、この秋に日刊スポーツを定年退職した山岡孝安元レース部長が競馬記者時代に考案したものだと、恥ずかしながらつい最近知った。

 大井競馬から中央入りしてエリートをなぎ倒したハイセイコーは「怪物」と名付けられた。岩のような筋肉を蓄えた黒い巨体から連想したという。

 7冠馬シンボリルドルフは「皇帝」。オーストリアのハプスブルク王朝の祖、ルドルフ1世が由来。
 「走る労働者」イナボレスは連闘や中1週もいとわず走り続け、2歳から7歳まで77戦した。高度成長期の日本人を象徴する馬でもあった。

 トーヨーアサヒの「走る精密機械」は幼心に傑作と感じた。73年ダイヤモンドSは2ハロン目からのラップが12秒6-12秒2-12秒5-12秒9-12秒8-12秒6-12秒5-12秒9-12秒5-12秒4-12秒3-12秒4-12秒4-12秒1-12秒9。見事に12秒台の連続で逃げ切り、伝説となった。小島太騎手の好騎乗がなければ生まれなかった。

 端正な顔立ちからテンポイントには「貴公子」、ライバルのトウショウボーイは地を飛ぶ走法から「天馬」。どちらもJRAのポスターのコピーにも用いられた。

 「当時は競馬に対する理解も進んでいなかったから、勝ち負けだけでなく話題づくりも考えていた。とっつきやすいイメージがないと、そのスポーツは発展しない。記録だけでなく記憶に残したかった」と大先輩は動機を明かしてくれた。確かに「女子サッカー」では敬遠されるかもしれないが「なでしこジャパン」なら親しみやすい。

 振り返れば最近の有馬記念を勝ったグラスワンダーもテイエムオペラオーもシンボリクリスエスも、これといった愛称がなかった。あのナリタブライアンでさえ。う~ん。これは競馬マスコミの怠慢なのか。自らの才能の無さも痛感する。

 今日24日はディープインパクトのラストラン。「飛行少年」ってどうだろう。やんちゃなしぐさは少年そのもの。武豊騎手は「飛ぶ」って表現しているし。やっぱりセンスないかなあ?

December 25, 2006 09:17 AM

2006年12月15日

JRA職員も馬券を

 JRA(日本中央競馬会)の役員、職員は中央競馬の馬券を買ってはいけない。競馬法29条で「勝ち馬投票券を購入し、または譲り受けてはいけない」と規定されている。だからギャンブルを愛好するJRA職員の多くは他の公営競技にはけ口を求める。「本心は馬券を買いたいんですけどね」と某職員。買えるようになるには定年を待つか外郭団体に移るしか方法はない。

 八百長防止の観点から調教師、騎手らの馬券購入禁止は当然としても、施行者まで及ぶのはいかがなものかと以前から思っていた。

 伊丹十三監督の映画「スーパーの女」で、パート勤めをする主婦が自分のスーパーで買い物をしないような店は信用できないという話が出てくる。飲料会社の社員は自社製品を愛飲する。新聞社の社員は出張先で自社の新聞を買う。商品に責任を持つからこそ自腹を切る。そうでないと売り物の良さを再認識したり改善すべき点が見えてこない。

 もしもJRA職員が馬券を買えれば、おそらく気付きにくかったさまざまなことが見えてくる。「ウインズに長い時間いると疲れるなあ。仕方ない、階段に座るか。もっといすがあればいいのに」「買いたいレースのオッズがなかなか見られないね。オッズプリンターは便利だけど、1枚10円って高くない?」「レースのリプレーを見られる画面がほしいな」「他場の発走が近づくと払戻金の発表が後回しにされるね。何とかならないのかな」「審議のアナウンスが紋切り型。妨害された馬の馬券を持っているんだから納得できる説明がほしいよ」。熱心なファンでこその不平不満を実感できるに違いない。

 法の趣旨はあらぬ嫌疑を避けるため。しかし、発走後の発券は不可能だし、株と違って競馬においてはインサイダー情報はほとんど意味を成さない。「おれの馬、やけに調子がいいんだよな」とか「体がガタガタで今回は使うだけ」といった有益と思える情報を得ても、しばしば逆の結果になる。現場から直接情報を入手できるメディアや馬主が馬券購入を認められているのも、インサイダー情報が馬券に結び付くとは限らないからだろう。

 10年、20年前を振り返れば、JRAのサービスは飛躍的に向上した。馬券の種類は豊富になったし、携帯やパソコンで手軽に買える。馬券は発走2分前まで買える。テレビモニターも多い(昔の場外売り場はラジオ音声のみ。オッズも手書きで1日に2度張り出されるだけだった)。マークカードの登場で窓口の列は短くなった。世界に胸を張れるマークカードは、JRAが公営ギャンブルを愛好する職員を集め、知恵を出し合った結果と聞く。職員も馬券が買えるようになれば、さらにファンとの距離が近づくだろう。

 競馬法は戦後すぐの48年に成立した。29条はそれから1度も見直されずに今日まで至った。法は常に時代の変化に遅れる。決勝審判員や裁決委員を除いて、職員の馬券購入を認める法改正を提案したい。

December 15, 2006 11:35 AM

2006年12月05日

五輪開催に必要な物

拝啓

 あのアテネ五輪から、もう2年以上たつのですね。元気でお過ごしでしょうか。閉会式の最中、メーンスタジアムで隣り合わせになったあなたから、困ったような視線を感じました。記者席にいる同僚たちと離れて1人スタンドに座り、双眼鏡で日本選手を追うばかりの私が、セレモニーを楽しめていないように映ったのでしょう。こちらも仕事としてその場にいたので、実際硬い表情をしていたのかもしれません。会場が盛り上がっていたから、余計に浮いていたのですね。

 あなたはそんな私を心配して声を掛けてくれました。「さあ」と促されて立ち上がった私は、ようやく気付きました。せっかく立ち合えた世紀のイベントをエンジョイしないでどうする。柄にもなく歌い、踊り始めた私のこっけいな姿に、周囲の人々も安心して笑みを浮かべ、次々に肩をたたいてきました。みんな心配してくれていたのですね。ちょっと恥ずかしかったです。アテネ出身でドイツで暮らしていたあなたは、五輪のボランティアで母国に帰ってきていたと言っていましたね。あの夜は一生忘れません。

 そうそう、やけにはしゃいだおばさんが、大きなカメラで私たちのツーショットを写してくれたのを覚えていますか。帰国後はすっかり忘れていたのですが、ほどなく届いたのですよ。あの写真が。予想もしていなかっただけに驚きました。胸が熱くなりました。

 振り返れば、開幕前にはこんなことがありました。宿舎から柔道チームが練習する体育館にタクシーで向かった時、不案内な運転手に「この近くだから」と途中で降ろされてしまいました。道は分からない。開始時間は迫る。焦る私は黒い犬を連れて通り掛かった妙齢の婦人に尋ねました。

 やはりその婦人も知らなかった。英語も通じていない様子でした。しかし見ず知らずの東洋人を家に招き入れると、あちこちに電話をかけ始めたのです。親類や友人に聞いている様子。出されたアイスティーを口に運びながら気が気ではありませんでしたが、手を尽くしてもらったかいあって、バスで4つめの停留所からすぐ。めでたく谷亮子選手に話を聞けたのでした。

 睡眠不足が続き、ファストフードで食事を済ませる日も多かった。でも、あの夏はあなたを始めアテネの人たちのホスピタリティ=手厚いもてなしに、心は大いに満たされました。16個の金メダルとともに、良き思い出です。

 ご存じですか。私の住む東京が、2016年の夏季五輪開催地に立候補しました。今は都民に戸惑いがあります。「別に興味ない」「東京でやる意味あるの?」「渋滞が心配」。結構否定的な人が少なくありません。五輪開催に最も必要なのは大義名分や立派な施設ではありません。ホスピタリティです。胸を張って開催できる機運が高まり開催地に決まったら、ぜひ日本にお越し下さい。          敬具

December 5, 2006 12:38 PM

2006年11月25日

馬券を買わせる企画

 中央競馬の売り上げ減に歯止めが掛からない。特に秋G1の落ち込みがひどい。メンバー構成は昨年と大差はない。むしろ馬券的な興味は増しているにもかかわらず、軒並み前年比マイナスとなっている。スプリンターズS85・9%、秋華賞96・7%、菊花賞80・5%、天皇賞(秋)82・0%、エリザベス女王杯98・4%、マイルCS83・6%。権威ある天皇賞の20%近い減収は尋常ではない。

 一因には凱旋門賞のディープショックがある。禁止薬物検出が明らかになって1カ月近くもファンに対して何ら説明がなく、憶測が憶測を呼んで疑惑が増幅され、競馬に対する信用が失われた。しらけたのだ。

 楽しくなければ競馬に参加する気になれない。その点、体育の日に訪れた盛岡競馬場は、お祭りの雰囲気を十分味わえて競馬の良さを再認識させてくれた。メーンレースはG1の南部杯、全国各地の特産品を販売する屋台がズラリと並び、もうもうと煙を上げる川魚の塩焼きが食欲をそそる。名物ジャンボ焼き鳥を手に、生の迫力を堪能した。

 その日は「キリンデー」と銘打たれ、外れ馬券2000円分でキリン商品が抽選で当たるイベントも開催されていた。レースが終わるたびに外れ馬券を手にしたファンが抽選会場に駆け集まり、抽選箱から取り出す玉に一喜一憂。1Rは「キリンのどごし生杯」、4Rは「麒麟淡麗生杯」、6Rは「小岩井まきばアイスクリーム杯」というように、全レースでスポンサー商品が用意された。外れ馬券が抽選券に化け、ちょっとお得な気分を味わえる。

 「よし、じゃあ買ってみるか」と自分もその気になった。幸か不幸か馬券がよく当たって抽選には1度しか並べなかったが、ファンはかなり楽しんでいた。

 仕掛け人は盛岡県競馬組合の佐々木幸人営業係長。「馬券を買うきっかけになればと思って始めました。競馬にはいろいろな楽しみ方があると知って欲しかった。スポンサーさんは商品の宣伝になるし、岩手競馬はイメージアップになる。非常に好評で、来年もやらせていただく予定です」。企画の大成功に声も弾む。賞品は勝ち馬の関係者にも授与され、喜ばれた。今月はJAと提携して新米プレゼントを実施。岩手の新しい品種「どんぴしゃり」のPRを兼ね、こちらも話題になった。

 盛岡競馬で外れ馬券を元に賞品をプレゼントするアイデアは、昨年には実現していた。その名も「リベンジ大作戦」。年間4回、5000円分の外れ馬券を1口として募集し、10万円相当のホームシアターセットや高級ブランド品、旅行券が当選者に配られた。応募総数は多い時で7万口余りにも達した。外れ馬券にも夢が詰まっているならば、購買意欲も刺激されよう。ファンの求めに応えようと知恵を絞る主催者の努力は、必ず報われる。

 中央びいきの当方も、一連のディープインパクト騒動にはへきえきした。中央競馬は一から出直すしかない。

November 25, 2006 12:10 PM

2006年11月15日

馬本位の内規改正を

 オーストラリア最高のレース、メルボルンCで角居厩舎の2頭がワンツーを決めた。適距離を求めて豪州にターゲットを定めた角居勝彦調教師(42)の眼力には感服するほかない。

 さぞや喜びに浸っているであろう調教師を栗東の厩舎に訪ねると、予想に反して硬い表情で頭を抱える姿があった。聞けば、勝ったデルタブルースのローテーションで悩みが生じたという。次走には12月10日に香港で行われる香港ヴァーズを予定していた。しかしJRAから競馬場での着地検査(海外遠征馬に義務付けられる3週間の検疫)が許可されず、次走の変更を余儀なくされた。「香港に使うのなら競馬場を貸さない。有馬記念なら貸す」。通告は断固としたものだった。

 JRAの内規で、当該競馬場のレースに出走意思がなければ競馬場での検疫は認められない。拒否通告は規則にのっとったものなのだが、どうも合点がいかない。この内規によってベストのレース選択が阻害されたのは事実だからだ。

 今回の勝利は世界の競馬地図における日本のステータスを高めた。父ダンスインザダークは豪州向きと認知されて産駒の評価は上がり、国際的な経済効果が期待される。功労馬に対して最善のサポートを行うのが主催者の責務ではないのだろうか。

 「香港ならちょうどいい間隔で、強いトレーニングもしなくて済む。湿気のある馬場にも適性がある」。角居師が香港を望む理由は理路整然としている。あくまで香港にこだわるなら豪州から直接香港に入る手もあったが、その場合は海外滞在が60日を超えるため、帰国後の着地検査が3週間から3カ月に延びてしまう。トレーナーはしばらくレースに出られないリスクを避け、やむなく断念。有馬記念に向かわざるを得なくなった。

 JRAとしては、香港に出走されては売り上げに結び付かないから、ぜひとも有馬記念に出てほしい。ディープインパクト、ハーツクライ、メイショウサムソンにデルタブルースが加われば、近年にない豪華メンバーがそろう。売り上げが低迷する中、世界で最も売れるドル箱レースで少しでも帳尻を合わせたいところだろう。それもよく分かるが、馬のためを考えればやはり疑問は残る。もし香港G1も勝つようなら種牡馬価値はさらに高まるのだから。

 角居師はただでは引き下がらなかった。デルタブルースを有馬記念に使う条件として2着ポップロックの競馬場入厩を申し入れた。仲間がいれば調整しやすい。果たしてJRAは内規の特例を認めるのか。「認められない場合は有馬をやめて2頭とも放牧に出す」。

 角居師は例えブラフでもポップロックを有馬記念に出す意思を示せば競馬場入厩は支障ないのに、真正面から立ち向かった。ディープインパクトが天皇賞(秋)に出走する、しないで騒動が起こったのも、この内規が一因。海外遠征馬が激増して今後も支障が予想される。馬本位の改正が求められている。

November 15, 2006 10:32 AM

2006年11月05日

海外修業が糧になる

 凱旋門賞に耳目が集まっていた先月1日、中山競馬場で、1人の中堅ジョッキーが大きな勝利を挙げた。単身長期滞在したオーストラリアから戻った青木芳之騎手(29)が、帰国第1戦を鮮やかに逃げ切ってみせた。

 3R3歳未勝利戦。単勝9番人気と評価は低かったが、好スタートから先頭を奪い、直線では独走した。馬は、彼がかつて所属した藤沢和厩舎のタイキプライム。人生で一生忘れられないゴールシーンになっただろう。2着以下を大きく引き離していたにもかかわらず、左ムチが4発、5発と入った。外にもたれたからか、初めて実戦を迎えた馬にレースを覚えさせるためか。負けたくない一心だったからか。いずれにしろ必死さが伝わってきた。中央では3年ぶりの勝利。記者席からも拍手が起こった。

 自らの意思で異国に飛び出し1年4カ月過ごした。が、青木を迎えた日本の状況は厳しかった。1週目、2週目は騎乗依頼ゼロ。中央の騎手は関東だけでも76人いる。それぞれの厩舎が起用する騎手は限られるし、長く日本を離れているとどうしても縁遠くなる。滞在中の活躍シーンをDVDにまとめ、東西の全厩舎に配布してPRもした。3週目にようやく、尊敬してやまない師匠から1頭任されたのだった。

 現地では馬漬けの生活。毎朝10頭以上の調教をつけてから、開催のある競馬場に数時間車を飛ばして駆けつけた。騎乗を終えて家に戻ると、もう就寝の時間。競馬は毎日どこかで開催されているから、休みはない。「馬乗りのことだけを考えていた。そんな環境に身を置くことが、ジョッキーにとって本当に大事。フレミントンって、チャンピオンが集まる競馬場なんですけど、そこでの初騎乗初勝利は自信になりましたね」。11勝はすべて自分で調教した馬で挙げたという。

 今夏アイルランドで修業した松岡正海騎手(22)は3カ月で2クラしか乗れなかったが、得たものは少なくなかった。「向こうでは乗りクラを確保するのに、トップジョッキーでも厩舎回りしているんですよ。そんなに大変な思いをして、1クラ乗っている。僕が甘かった」。そんな事実を知っただけで、競馬に対する姿勢は変わる。初心に帰った松岡は先週のスワンSを14番人気プリサイスマシーンで勝ち、穴男健在を印象づけた。

 外国に行けば視野が広がる。自信もつく。異文化は人間を成長させる。かつて野平祐二、岡部幸雄、小島太といった名ジョッキーが海外で腕を磨き、武豊が続いた。横山典弘や蛯名正義も欧州での経験が糧になっている。

 リーディング上位の騎手に有力馬が偏り、閉塞(へいそく)状況を嘆く20代は多い。そんな中で、多大なリスクを負って海外に足を向けた2人のチャレンジは素晴らしい。腕に自信があるのに馬に恵まれない。そんな若手は現状打破を迫られる。まだまだやり直しが利く年齢。なりふり構わぬ挑戦は、きっと実を結ぶに違いない。

November 5, 2006 09:20 AM

2006年10月26日

理解しがたいJRA

 ディープインパクトが調整不足を理由に天皇賞(秋)を回避した。当初から出走の可能性が限りなくゼロに近かったにもかかわらず、発表がレース1週前まで延びたのは残念でならない(前回の当欄で指摘したように、東京競馬場で着地検査を受けた最大の目的は、厩舎スタッフの手で管理できるメリットがあるから)。

 回避発表の遅延で、迷惑を被った馬もいる。菊花賞7着のマルカシェンクは、距離適性のある天皇賞に出走を希望していた。補欠1番手だから、賞金上位馬から1頭回避馬が出れば出走できた。が、ディープインパクトの出否が未定だったため、やむなく菊花賞に向かい、敗れた。マルカシェンクの瀬戸口調教師は池江泰郎調教師に電話で真意を確かめようと試みたが、はっきりした回答は得られなかったと聞く。報道陣も振り回された。各所に迷惑が掛かっている。

 今回の混乱の原因は、競馬場入厩にはレース出走意志を有していなければならないという、JRAの内規にもある。出走意志とは極めてあいまいだから抜け道として利用された。このままでは同じことが繰り返される。天皇賞騒動は一段落したが、まだ重大な問題が残っている。フランスでディープインパクトに薬物を投与した人物も、投与された経緯も、調教師が認識していたのか否かも明らかになっていない。調教師の過失を断定する仏の競馬統括機関フランスギャロの見解が一方的に流されるだけで、日本側から真相に迫る説明は何もない。

 フランスに同行した日本人獣医師は、守秘義務を理由に黙した。調教助手も厩務員も話せない。責任者である調教師が口を開かない限り、真相は薮の中。池江師は薬物事件に関するコメントを、処分が出る来月末まで保留する意向だが、潔白を主張するのであれば待つ必要はない。公の場で事の経緯を説明してほしい。

 JRAの対応も理解しがたい。あれだけ救世主として持ち上げながら、手のひらを返して容疑者扱い。高橋政行理事長は事件が明らかになったその日に「栄誉ある凱旋門賞に汚点を残す結果」と辛らつに非難した。独自の聞き取り調査によって陣営の非を決定づけているのであれば、その詳細を明らかにしなければファンは納得できない。自国の英雄を擁護する余地は全くなかったのだろうか。

 気管拡張効果のあるイプラトロピウムは日本では禁止薬物に指定されていないから、仮に常習していても宝塚記念までの戦績に傷はつかない。しかし、今回の事件でダーティーなイメージを抱いた人は決して少なくないだろう。過去に五輪で記録やメダルをはく奪された選手たちと同じように考えたとしても不思議ではない。

 わだかまりを残したまま、ジャパンCや有馬記念に出てほしくない。ディープインパクトや応援してくれたファンのために、どうすればいいのか。その答えを導き出すことが、関係者の使命ではないか。

October 26, 2006 11:18 AM

2006年10月16日

天皇賞に出ない理由

 年内引退が発表されたディープインパクトが、29日の天皇賞(秋)に出走するのではないかと騒がれている。本紙は一貫して静観してきた。理由は取材の結果、出走しないと判断したから。その理由を述べたい。

 ちょうど1週間前の8日午後5時、池江泰郎調教師からJRA広報を通じて「ディープインパクトの東京競馬場入厩」が発表された。千葉県の競馬学校で輸入検疫を終えた後に義務付けられている3週間の着地検査が、当初予定していた滋賀県の民間牧場グリーンウッド・トレーニングではなく、東京競馬場に変更された。調教師のコメントは以下の通り。「次のステップを決める際に、より選択肢を広げておきたいということと、自厩舎のスタッフが自らディープインパクトの調整に携われることから、東京競馬場で着地検査を受けることを決めました」。

 「選択肢を広げる」とは何ぞや? 同僚や上司とすったもんだの議論の末、天皇賞を選択肢に入れる意味と判断できた。民間牧場で検査を受けると出走はできないが、JRAの施設にいれば可能。このままの解釈なら、本紙も天皇賞出走の可能性に言及していただろう。

 ところがその晩、都内で開かれたパーティーで金子真人オーナーを直撃したところ、陣営の真意が明らかになった。主眼は池江師のコメントの前半部分ではなく、2番目の「自厩舎のスタッフが携われる」ことにあった。調教師会と厩務員組合の申し合わせで、調教助手や厩務員は民間牧場の調教にタッチできない。だから最初のプランでは池江敏行助手や市川明彦厩務員の手元から離れなければならない。2歳秋に栗東トレセンに入厩してから放牧にも行かず、来る日も来る日も市川厩務員が世話をしてきた。慣れないスタッフに委ねるリスクを避ける非常手段として、東京入厩のウルトラCを使ったわけだ。

 「ジャパンCに使いたい」と話した金子オーナーは、天皇賞に出走できることをご存じなかった。それを伝えると、少し考えて、こう返答した。「いや、それはない。馬がかわいそう」。最終的な決断は金子オーナー自ら行う。また池江師は半端な仕上げでは決して使わない職人。帰国して十分な追い切りもせず中3週でG1に出すとは、とてもとても考えられない。

 それではなぜ、池江師が出走をほのめかすのか。それはJRAの内規に、レース出走意思が競馬場入厩の条件として挙げられているから。たとえ建前でも、出走に前向きな発言をせざるを得ないのだ。

 今日15日は天皇賞の登録日。リストの中にディープインパクトの名前はあるだろう。そしてほどなく、シナリオ通りに出走回避が発表される。

 出走の可能性が限りなくゼロに近いと分かっていて、ファンに期待を持たせる報道はできない。新聞は速報性ではインターネットにかなわない。だからこそ信用が大事。地に足をつけた取材を心掛け、事実に基づいた真実に近づきたい。

October 16, 2006 12:00 PM

2006年10月06日

ロンシャンの革命を

 ディープインパクトが負けた翌日、寝込んだ。疲労がどっと出て、家から1歩も動けなかった。凱旋門賞の重みをずっしりと感じた。サッカー風になぞらえるならば、ロンシャンの落胆だ。

 海外の競馬が地上波で生中継された例は、記憶する限り21年前にシンボリルドルフが力を発揮できずに終わった米国のサンルイレイS、シリウスシンボリが大敗した英国のキングジョージ6世&クイーンエリザベスS以来。その時は世界との隔たりを痛感したが、大種牡馬サンデーサイレンスの出現で日本馬がここ10年ほどで飛躍的に強くなった実感があっただけに、その最高傑作の敗戦ショックは当時と比較にならない。98年を皮切りに日本調教馬の海外G1制覇は14を数えるのに、伝統ある英仏の2400メートルは遠い。

 そんなに甘くないよ。戦前から、冷静な声は聞こえてきた。しかし、そういった一般論にディープインパクトを当てはめたくない気持ちが、心の中から敗戦の2文字を打ち消していた。競馬に携わる者としてまだまだ青い。でも、それでいいと思っている。夢は失わずにいたい。武田鉄矢も歌っている。信じられぬと嘆くよりも、信じて傷つく方がいい。

 トップギアに入らなかったのはなぜだろう。慣れないスローペースで無駄に体力を消耗したのならば、ペースメーカーの馬を用意する周到さまで必要だったのか。勝ち馬の騎手はディープインパクトの直後で徹底的にマークしていた。3歳馬と3・5キロ差は最初から決まっていることだから敗因とするには違和感があるが、本命を背負ってアウエーで勝つのは本当に難しい。

 どんなにいい競馬をしても、時がたてば勝ち馬以外は忘れられてしまう。皐月賞、ダービー、菊花賞、天皇賞(春)、宝塚記念と5つのG1を制したディープインパクトも、国際的にG1と認められているレースは宝塚記念だけで、その他はローカルG1でしかない。その宝塚記念にしても欧米の一線級は参加しないから、あまり認知されていない。ディープインパクトがいかに歴史的名馬であっても、世界に認められるには世界で勝たなければいけない。

 池江泰郎調教師は一夜明けて「あきらめずに次に挑戦したい」と話した。既定路線と見られていた有馬記念での引退は、撤回される可能性が高くなった。このまま世界的な評価を得られないまま引退となれば、あまりにも惜しいと思っていたから、前向きな言葉は頼もしい。

 長期遠征によって調教助手と厩務員が1頭にかかりきりになることで、残された厩舎スタッフの負担は増える。現役を続行して、もしも敗戦を重ねるようだと、種牡馬としての価値も下落するリスクを負う。もろもろの事情を承知の上で、勝手を言わせてもらう。オーナー、トレーナー、来年も行きましょう。フランスへ。ロンシャンの革命は、ディープインパクトにしかできません。

October 6, 2006 10:02 AM

2006年09月26日

人気も育てる調教師

 先日、開催中の船橋競馬場で催されたベストドレッサーコンテストをのぞいてみた。来場した女性ファンを対象にしたイベント。平日の昼間でどれだけ盛り上がるのか、正直疑問に思っていたけれど、予想を覆す盛況ぶり。華やかに着飾った女性数十人が集うと、スタンド2階の特設会場は男性ファンで埋まった。馬券オヤジたち(私もその1人)がレースそっちのけで注目する姿は、ちょっと意外な感じがした。皆、競馬ファンである前に男なのである。

 午後から始まったコンテストは延々と続き、メーンレースの前にようやく終了した。参加者は地元だけではなく、箱根から足を運んだ人もいた。あでやかなチマチョゴリをまとった美人が一般の部で優勝し、民族衣装を着たガーナ人女性が3位と国際色も豊か。60歳以上の部で1位に輝いた地元の女性は「お馬さんが大好きで、毎日通っているんですよ。馬券でもいい思いをさせていただいています」と明るい笑顔で会場を和ませた。自作の着物が涼やかだった。また、紫で統一した受賞者によると、船橋はあんかけ焼きそばがおいしいらしい。そんな通な情報も得られて楽しめた。

 競馬場でベストドレッサーコンテストとは、全国でも珍しい。昨年から始まって今年が2回目。実は仕掛け人は川島正行調教師(58)。自ら企画立案して審査員も務めた。競馬ファンなら川島師を知らない人はいない。地方競馬で今年4億円を超える獲得賞金は、2位を大きく引き離して全国リーディング。昨年はアジュディミツオーでドバイWCに挑戦するなど、世界にも目を向けている。それほどのトップトレーナーが、時間を割いて地元の活性化に取り組んでいる。

 審査員には歌手小金沢昇司、千葉県調教師会会長の出川龍一師、騎手会長の秋田実騎手らも顔をそろえた。地方競馬を愛するロッテの大塚明外野手もプレゼンターとして一役買った。調教師は管理馬が出走する際に立ち合い義務があるが、川島師の意向で主催者に特例を認めさせ、イベントを優先した。秋田騎手も数クラを犠牲にしてファンサービスに努めた。なかなかできることではない。

 川島師は言う。「ファンあっての競馬。女性が来てくれれば競馬場が華やかになるし、男性客にも楽しんでいただける。昔と同じことをやっていても進歩はない」。自身もだて男で立派なヒゲがトレードマーク。ドバイでは羽織はかまで指揮を執った。耳にはダイヤのピアスが光る。厩舎スタッフには正装を義務付ける。全面改装された厩舎は立派の一言。「宵越しの金は持たない」と公言し、馬で稼いだ金は馬に返す。イベントで使用したテントは自費で購入した。「レンタルでも50万円かかる。買えば3回で元が取れる」。

 ちなみに一般の部優勝者の賞品は、ドバイワールドCツアー招待! ほかにもバッグやテレビなど豪華賞品が用意された。競馬に縁のない人でも気軽に参加できるから、我こそと思う方は来年チャレンジしてみてはいかが?

September 26, 2006 10:21 AM

2006年09月16日

騎手と女房のドラマ

 吉永正人調教師の遺影は、穏やかにほほ笑んでいた。騎手時代の馬上や調教師になってからも、そんな朗らかな表情は記憶にない。取材現場で毎朝顔を合わせていた。今となってはナゼもっと昔の話を聞けなかったのかと悔いが残る。

 通夜の席では元夫人の吉永みち子さんが、喪主の長男護さんの隣で悲しみに暮れていた。散会してからも、しばらく祭壇の前から離れなかった。77年に結婚し、後に別れてからも折に触れて会って励ましていた。吉永姓を名乗っているのも、強いきずなで結ばれていたからだろう。「3月に子供たちもそろって集まった時は、飲んだり食べたりしていました。落馬しても病院に行かなかった人でしたが、7月ぐらいから腹が減らないとこぼすようになった」。

 亡くなる前の1週間は、毎日のように病室に顔を出した。「現役の時は命を懸けて乗っていました。減量がきつく、食べられるのは月曜と火曜だけ。水曜からはほとんど食べられない。いつも飢えていた」。競馬が終わってようやく取れる飲み物は、ビールを好んだという。美酒は瞬く間に干からびた体に通い、人間に戻した。だから病の床でも、ビールを欲した。

 みち子さんとは2度目の結婚だった。先妻は3人の子を残して同じ胃がんで亡くなった。吉永騎手をひいきにしていた詩人寺山修司はこう書いている。「愛妻に死なれてからの吉永正人は、めっきり勝てなくなった。騎手成績もぐんぐん下がり、ベストテンどころか今では二十傑にさえ顔を出していない。ジョッキールームの片隅で、ぼんやりと物思いにふけっているのをよく見掛ける。もともと無口な男だが、最近はほとんど口を利かなくなったように思われるのである」。元気を失った吉永騎手をよみがえらせたのは、やはり女性の愛情だった。

 再婚後はモンテプリンス、モンテファスト、ミスターシービーといった名馬と縁ができ、40歳で初めて8大レースを制した。晩年の82年から84年の3年間でG1級レースを7勝。競馬人生も得意のドンジリ強襲だったなあ。みち子さんが「気がつけば騎手の女房」を出して大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したのは、このころだった。「美浦に越して来た時かな。馬にも恵まれてきて」。一番の思い出を尋ねられて、騎手の女房はこう振り返った。

 常識外れの競馬でもぎ取ったミスターシービーの3冠はもちろん心に残る。負けた競馬も忘れられない。80年のダービーで、モンテプリンスがオペックホースと繰り広げた死闘。故人から聞きそびれた話を、ライバルのあん上にいた郷原洋行調教師が代弁してくれた。「必ず勝ち負けの差は出るけれど、互いにやるだけやった。結果は2人で出した答え。死力を尽くしたのだから吉永も悩んだり悔やんだりはない。おれもホッとしたし吉永もホッとしたと思う。いい思い出だ」。

 それぞれの心に吉永正人の名は刻まれている。そして、名優を支えた妻なくしてドラマは生まれなかった。

September 16, 2006 11:52 AM

2006年09月06日

強い馬は確かにいた

 先日の小倉競馬で日本最古のレコードが破られた。タケシバオーが保持していたダート1700メートル1分41秒9が、実に37年ぶりに0秒1更新された。このニュースは記録を破った馬以上に、昭和40年代の競馬を沸かせた怪物のすごさを浮き立たせた。

 毎年新しい血が注入されるサラブレッドの世界は、人間の何倍も個体の進化が速い。だから40年近く前の記録が残るなど、普通はあり得ない。ダート1700メートルの番組は今でもローカルを中心に多く組まれているし、オープンのレースもあるのに。

 タケシバオーがレコードを出した時は60キロを背負い、ジョッキーは直線で手綱を押さえたままだったという。競馬好きの叔父がほれ込み、大騒ぎしていた理由があらためて分かった。

 69年3月1日、東京競馬6Rサラ系5歳以上オープン、重馬場、6頭立て。1着タケシバオー1分41秒9、2着スイートフラッグ大差、3着タケブエ首、4着ステートターフ5馬身、5着ヤマトダケ1馬身1/2、6着オカユキ大差。2着は15馬身以上、最下位は40馬身ちぎられた。

 美浦トレセンで話を聞けた関係者は、当時の様子を鮮明に覚えていた。

 ◆タケシバオーの古山良司騎手(00年に調教師を引退) しまいは追う必要がなかった。早く馬を止めなければいけないからね。追えばもっと時計は出ていただろう。当時は米国並みの時計と騒がれた。レコードは破られたけれど、タケシバオーの偉大さに変わりはない。

 ◆3着タケブエの伊藤正徳騎手(現調教師) 自分の馬も前に行く意識があったが、途中からビュッと行かれて追いつかなかった。何じゃこりゃと思ったね。化け物だった。力が違いすぎた。くっついていったら、こっちが壊れちゃう。

 ◆5着ヤマトダケの平井雄二騎手(同) 自分のデビュー戦だった。古山先生はレコードを狙っていたよ。よほど具合が良かったのだろうね。こっちはハナに行くつもりで乗ったら、スタートから300メートルでかわされてそのままだよ。迫力が違った。

 ◆初戦から2回騎乗した畠山重則騎手(同) 牧場ではあまり期待されていなかったそうだよ。厩舎に入ってどんどん良くなった。ダートの調教で5ハロン58秒を切っていた。ずっと乗っていたかったなあ。

 ◆9回騎乗した中野渡清一騎手(同) 若い時はゲートは悪いし、女っ気はあるし、内にささるし、引っ掛かるし、乗り味も良くなかった。でもすごく丈夫だった。弥生賞は前でやり合って2着に負けて降ろされちゃったけど、どう乗っても勝てると思っていたな。

 1000メートルから3200メートルまであらゆる距離で勝ち、芝もダートも関係なく、不良馬場で65キロも克服した。こんなオールラウンダーは空前にして絶後。ディープインパクトとは異質の、とてつもなく強い馬が過去に確かにいた。その事実だけはずっと忘れないでいたい。

September 6, 2006 11:59 AM

2006年08月27日

甲子園の日程改善を

 佑ちゃんフィーバーで盛り上がっている。ハンカチ株に買い注文が集まり、ネットオークションでは関連グッズが高値で取引される。来年の早実受験者は確実に増えて狭き門となるだろう。受験生は思いもよらぬ事態に頭を抱えているかもしれない。

 引き分け再試合となった決勝の日、26年ぶりに甲子園球場に足を運んだ。アルプススタンドの風景はずい分変わった。早実も昔はバンカラで女子校の友情応援さえ断っていたのに、共学になった今はチアガールがもり立てる。売られる飲料も、カチワリから、凍らせたペットボトルが主流になった。

 いまだに変わらないのは投手に多大な負担を強いる試合日程。7試合69イニングで948球を投げ抜き、4連投に耐えた斎藤の冷静なマウンドさばきは胸を打った。優勝投手の頑張りが、大会終盤の過酷な日程を見直す動きにブレーキをかけてしまうのではないかと心配になった。

 準々決勝こそ2日間に分けて実施されるようになったが、相変わらず準決勝と決勝は連戦で組まれる。準々決勝で2日目に登場した学校は、決勝まで3連戦を余儀なくされる。決勝再試合は、4連戦となる早実が不利な状況だった。駒大苫小牧は3連戦。しかも継投可能な投手陣を誇る。ふたをあけてみれば1回2死から登板した駒大苫小牧のエース田中の方が立ち上がりの制球が定まらずに連戦の影響を感じさせたが、彼らの奮闘を美談で終わらせてはいけない。

 高校サッカーは1月8日に固定していた選手権決勝を、02年度から成人の日にずらして準決勝から十分な間隔を取った日程に変えた。関東圏以外の高校は1度地元に戻らなければならないケースも出てくるが、往復にかかる費用は高体連(全国高等学校体育連盟)が負担する。あくまで選手の疲労回復を第一に考えて実施されている。

 1試合で10キロ以上走るサッカーとベンチに座る時間も長い野球を単純に比較はできないが、炎天下を考えれば野球も消耗度は相当。仮に斎藤が打ち込まれていれば世論は強く日程改善を求めていただろう。

 高野連(日本高等学校野球連盟)は指導者や過去に連投した投手から聞き取り調査を行い、適切な登板間隔を把握して決勝日を決める時期に来ている。延長18回再試合を経験した太田幸司氏のように、再試合を行わずに決着がつくまでやった方がいいという意見もある。経験者しか分からない部分もあるから、多くの声を集めて勇気ある前進を期待したい。

 決勝の日まで数日置けば、球場使用料やチーム、役員の宿泊滞在費など各方面で金銭面の負担を強いられる。その埋め合わせには、無料で開放されている外野席を有料にして充当すればいい。選手がいいコンディションで悔いなく決勝を戦えるならば、高校野球ファンは納得してくれるに違いない。感動を分かち合った甲子園で、そう確信した。

August 27, 2006 10:30 AM

2006年08月17日

「8月15日」につづる

 ▼中学時代の親友の父親は神風特別攻撃隊の生き残りだった。その葬式で見た光景は決して忘れられない。全国から集まった戦友たちが棺おけを囲み、代わる代わる死者に口移しで酒を与えたのだった。若くして命をささげる覚悟をした人間同士の連帯意識は、かくも強固なものなのか。戦闘機には片道燃料。命と引き換えに敵艦に突入する狂気の作戦。滑走路を飛び立てば、戻っては来られない。志願した20歳前後の若者たちは、家族、母国を守る最後の手段と信じて散った。親友の父の場合、出撃命令を受ける前に終戦を迎えたが、精神の中では1度死んだも同然だったに違いない。家族でさえためらう口移しの儀式は、死のふちを知る者しかできなかった。

 ▼よもの海 みなはらからと 思う世に など波風の 立ち騒ぐらむ

 昭和天皇はまだ戦争回避の可能性が残されていた1941年9月6日の御前会議で祖父明治天皇の歌を2度繰り返した。この歌ほど平和を希求した先帝の心情を映し出すものはない。だが日米関係は取り返しのつかない段階まで悪化していた。日中戦争→米が蒋介石政権を援助、日米通商航海条約破棄、米英中蘭による経済封鎖→日本が北部フランス領インドシナ進駐→米がくず鉄と鉄鋼を禁輸→日独伊三国同盟締結→米が石油禁輸。打たれれば打ち返す負の連鎖。外交努力も実らず米国からハル・ノートを突きつけられて日本は開戦に踏み切らざるを得なかった。国家というのは後戻りできないものなのだ。火種はくすぶっているうちに消し止めなければ、大火事になる。今の北朝鮮は閉塞(へいそく)状況に陥った戦前の日本と同じ。経済制裁であまりに追い詰め過ぎると窮鼠は必ず猫をかむ。まともに対話できる相手ではないから、こちらも引き続き大いなる辛抱が必要。北朝鮮に対する額賀防衛庁長官の先制攻撃肯定論はとんでもない。ケンカと同じで先に手を出した方が負け。

 ▼米国とアルカイダ。イスラエルとアラブ。根が深い対立は終わりが見えない。報復と反撃の繰り返し。双方が正義と信じているから、戦いはやまない。右のほおを打たれたら左のほおを差し出せ? キリストの教えは、現実と国家と誇りの前に無実化する。ユダヤ教もイスラム教も目には目を、歯には歯を。

 ▼皇居前で頭を地面につけ、終戦を告げる玉音放送に耳を傾ける民衆の映像は知られている。よく見るとその後方には我関せずとばかりに歩いている人たちがいる。敗戦による絶望の寒流と、未来への希望の暖流が混じり合った映像。ひれ伏す人々のクローズアップは、必ずしも日本人全体の姿を映していない。日本が新たな1歩を踏み出した日、国民は結構冷静でたくましかった。

 ▼子を殺す親がいる。親を殺す子がいる。かつて家族を守るために戦った兵士たちは、何を思うだろう。人間とは、まことに不可解なる生き物。相手を理解し、尊重することが争いを避ける。8月15日、思いつくままにつづった。

August 17, 2006 12:57 PM

2006年08月07日

平和への「疑似体験」

 61年前の今日、広島に原子爆弾が投下された。今なお多くの人が原爆の後遺症に苦しみ、原爆症の認定を求めて200人近くが国と争う現実がある。

 98年夏に競馬の取材でフランスを訪れた時のこと。ドーヴィル競馬場でシーキングザパールが日本調教馬として初めて海外G1を勝った翌日、フランスの競馬専門紙が1面の大見出しにbombe(爆弾)の単語を用いてレース結果を報じた。

 最初はよく意味が分からなかったが、ふと気付くと快挙達成の日は長崎に原爆が落とされた8月9日。おそらく、いや間違いなく日本と8月9日の連想から爆弾の活字を使用したのだろう。決して適切な使用法ではないので記事ではあえて「一発かました」と意訳したが、欧州でのヒロシマ、ナガサキに対する認識を実感した。

 戦後20年たって生まれた自分にも、原爆体験がある。あれは73年、小学校3年の夏休み。初めて買ってもらった漫画の週刊少年ジャンプに掲載されていた「はだしのゲン」で、偶然その号に原爆投下の日が描かれていた。広島の朝を一瞬にして破壊した熱線、爆風、放射線。作者は8月6日に合わせてストーリーを展開したのだろう。町をさまよい歩く人々が、とても人間とは思えない姿として描かれている。

 ドロドロに崩れた顔には無数のガラス片が突き刺さっている。指の先からぶら下がっているえたいの知れないものが皮膚と分かったのは後々のこと。家の下敷きになったゲンの家族を見捨てる町内会長。漫画とはいえ、あまりに残酷な光景は、一小学生に戦争についての興味を呼び起こさせるのに十分過ぎた。社会科の授業は現代史まで到達しなかったから、はだしのゲンとの出会いは貴重だった。

 当時抜群の人気を誇った少年ジャンプの柱はギャグやスポ根だったが、それらに交じって戦争について考えさせるシリアスな漫画を掲載した集英社の英断は、いまさらながら素晴らしかったと思う。子供の嗜好(しこう)におもねるだけでなく、多感な時期に日本人として当然知っておかなければならない歴史をさりげなく配した教育的価値は極めて高い。漫画が教科書では及ばない絶大な威力を発揮した好例。その後アニメや実写映画が公開され、単行本は9カ国語に翻訳されて世界中の人に読まれている。

 広島、長崎で命を奪われた人々にはこうべを垂れるしかない。しかし、決して無駄な死ではなかった。多くの失われた命が、本土決戦を準備した日本に敗戦を受け入れさせた。この論理は米国が原爆投下を正当化するために使われる方便でもあるが、そう考えないと報われない。

 中東ではレバノンとイスラエルの間で殺りくが繰り返されている。争いからは憎悪しか生まれない。夏はあの愚かな戦争を思い出す季節。戦争を知らない世代が、戦争を疑似体験する機会が多いほど、戦争を遠ざける。そう信じている。

August 7, 2006 10:17 AM

2006年07月28日

門戸を開け!競馬界

 ある日の午後、地上駅から地下鉄に乗り込むと、傍らをモンシロチョウがひらひらと追い抜いていった。車内に閉じ込められた愛らしい侵入者は、あちらへこちらへと飛び回った。乗客は読んでいた本をひざに置き、扇子の手を休め、おしゃべりをやめてほほ笑んだ。ところが、1人の上品そうな夫人の行動が周囲をしらけさせた。チョウが近くに来ると顔をしかめ、まるで蚊やハエに対するように追い払った。何度も何度も。和やかなムードは消え、車内はまた味気ない空間に戻った。チョウはいつの間にか、いなくなっていた。

 UAE(ドバイ首長国連邦)のシェイク・モハメド殿下が出資する日本法人ダーレー・ジャパン(株)が、中央競馬の馬主資格取得を目指している。今月上旬、馬主や識者で構成されるJRAの諮問機関で検討された結果、委員全員の反対で今年の承認は見送られた。却下された詳細な理由は明らかにされていないが、オイルマネーによる潤沢な資金力を脅威とする考え方が背景にある。

 海外から高馬を持ち込み大レースを軒並みかっさらう? 生産者は生活を脅かされる? 社台との2大勢力に席巻されて競馬がつまらなくなる? 参入した場合、果たして本当に好ましくない状況に陥り、日本にとってマイナスになるのだろうか。

 モハメド殿下は83年の第3回ジャパンCにハイホークを出走させた時に日本を訪れ、競馬の盛況ぶりに驚き感銘を受けた。それ以来、日本に高い関心を持ち、ダーレー・ジャパンの高橋力代表を通じてさまざまな形でかかわってきた。

 日本の厩舎スタッフを本場英国のニューマーケットに派遣する研修制度を設け、ホースマン育成に貢献した。また奨学制度では世界から選ばれた優秀な卵たちに高度な専門知識を取得する機会を与えている。地方船橋では馬主資格を認められて競走馬を所有。レースや表彰のスポンサーにもなっている。日高で売りに出されていた牧場を買い取って始めた生産、種牡馬事業も軌道に乗った。交通費補助など行き届いたサービスは、中小生産者を喜ばせている。

 また今年のセレクトセールでは、総額5億円余りを市場に落とした。購買しただけでなく生産馬6頭を売却。日本に融合し、世界競馬の発展にも寄与している。セールで3億円で落札したクロフネの弟は、ダーレーがこのまま馬主資格を取れない場合は売却するか、外国で走ることになってしまう。「中央の舞台を目指してやらないとかわいそう」。高橋代表の言葉は単に参入へのアピールだけではなく、日本のファンの前で走らせたい心からの叫びに他ならない。

 今春ハーツクライやユートピアが勝って手にしたドバイ国際競走の高額賞金も、殿下の拠出であることを忘れてはいけない。親日家の殿下は、今回の決定にさぞがっかりしているだろう。あのモンシロチョウが、ダーレーの立場を象徴しているように思えてならなかった。

July 28, 2006 08:48 AM

2006年07月18日

日高の奮闘が励みに

 今年生まれたばかりの牝駒が6億円で売れたニュースには、競馬を知らない人も驚いたのではないか。購買希望者がうなずくだけで1000万円、あるいは手に持ったペンを少し上げただけで1000万円ずつ上がっていく。セール会場は一種異様な空間。平均的なサラリーマンが一生かかっても稼げない額が、あどけない0歳馬に投じられる。ある大馬主は「なかなか思い通りに落とせない」とグチをこぼし、またあるG1調教師は「ムチャクチャなお値段。競馬する前に負けた」とあきれた。皆、競馬に夢を見る。

 高馬のほとんどはノーザンファームと社台ファームを中心とした社台グループの生産馬。1億円を超えた13頭中、社台グループと対抗関係にある馬産地日高の生産馬は2頭。5000万円以上で売れた61頭中でも9頭だけ。たとえ同じ父親を持つ馬でも、社台ブランドの馬はセリ値が伸びた。

 セレクトセールは最も上場馬の選定基準が厳しく権威ある市場で、秋に凱旋門賞に挑戦するディープインパクトもこのセールから出た。3日間で上場された計469頭の中に将来のG1馬が何頭も隠れているから、購買者は何とか気に入った馬を手に入れようと目の色を変える。

 人間は「氏より育ち」かもしれないが競走馬は「氏と育ち」。どちらも良くなければ、なかなか高くは売れない。氏とは血統であり、育ちとは飼養や育成環境。社台ブランドが支持される理由は単純である。馬が次々に大レースをかっさらっていくからだ。昨年を例に取ると牡馬3冠のディープインパクト、JCダートのカネヒキリ、桜花賞とNHKマイルCのラインクラフト、オークスのシーザリオ、高松宮記念のアドマイヤマックス、朝日杯FSのフサイチリシャールはノーザンファーム。秋華賞のエアメサイア、有馬記念のハーツクライ、安田記念のアサクサデンエンは社台ファーム、マイルCSのハットトリックは追分ファーム。21レースあったG1のうち13を社台グループが占めたのだから、ブランドイメージが高まるのは当然だろう。

 社台ファームの吉田照哉代表は言う。「走る馬を売っているという安心感を皆さんに認めていただいているのだと思う。頭を使わないとダメな時代。ただエサをやって育てるだけでは追いつかない」。日高の生産者も決して漫然と馬作りをしているわけではないが、スタッフの海外派遣や飼料研究、繁殖牝馬の馬体点検など、先を読む努力を怠らない姿勢は学ぶべき点が多い。

 今春のG1は社台4勝、日高5勝。ダービーをはじめクラシック4戦はすべて日高がさらった。社台の屋台骨を支えたサンデーサイレンスが亡くなって4年がたち、日高の巻き返しムードが高まっている。高い馬が必ず走るとは限らない。社台の1人勝ちでは生産界全体の繁栄は望めない。日高の頑張りが、青森や鹿児島などの小さな馬産地にも夢と勇気を与える。今は社台に向いているバイヤーも、競馬場で結果を出し続ければ、必ず振り返る時が来る。

July 18, 2006 11:24 AM

2006年07月07日

「少頭数の美学」ある

 函館競馬の取材で当地に長期出張している。福島と京都の大半がフルゲートで行われているのに対して、10頭に満たないレースが少なくない。3週目を終え、1ケタ頭数は福島が72レース中4、京都が3、函館は24を数える。6日間の売り上げ前年比は83%、80%、89%、98%、93%、93%。上回った日は1日もない。JRAの嘆きが聞こえてくる。

 函館は海が見える日本で唯一の競馬場。手を伸ばせば馬に届く錯覚に陥るほど、人と馬の距離が近い。昨年滞在した米国のK・デザーモ騎手も気に入った最高の避暑地。入場者は108%、106%、104%、86%、86%、100%と健闘しているのだから、そろわない頭数が、売り上げ不振の要因になっているのは否定できそうもない。

 少頭数の競馬は味がある。何てったって、どの馬がどこを走っているのかひと目で分かる。18頭もいると先行した馬と自分の買った馬、人気馬を追いかけるだけで精いっぱい。先週の函館スプリントSを勝った秋山騎手は「少頭数だと乗るチャンスが少なくなるけれど、競馬はしやすいから好きですね。多いとごちゃごちゃするから」と話す。ジョッキーだって、不利を受ける確率が高まる多頭数は決して歓迎していない。

 6頭立てながら素晴らしい役者がそろった77年宝塚記念を思い出す。勝ったトウショウボーイは皐月賞と有馬記念を、2着テンポイントは天皇賞(春)を、3着グリーングラスは菊花賞を、4着アイフルは天皇賞(秋)を、6着クライムカイザーはダービーを勝っていた。唯一G1級のタイトルがなかった5着ホクトボーイはその年の秋に天皇賞を制した。出走全馬がG1級の能力をぶつけ合った。最大のライバルに敗れたテンポイントは、やはり8頭立ての少頭数となった有馬記念で、トウショウボーイに雪辱を果たす劇的なストーリーの主役となって77年の幕は下ろされた。競馬で得る感動は、頭数には関係ない。

 注目される馬がいれば売り上げは伸びる。2日目5Rの2歳新馬戦が好例。大物の呼び声が高かった単勝1・1倍のコンゴウダイオーに人気が集中して、馬券も売れた。1レースで2億5472万200円は、6日間の1~8レースで最も多かった。

 少頭数は必ずしも本命サイドで決まる訳ではない。1ケタ頭数で行われた24レース中、馬単3ケタ配当はたった7レース。的中に対して相応のうまみは十分もたらされる。

 少頭数の美学って、あると思う。

 函館の独自性を追求するなら、無理に頭数を増やさなくてもいい。発想を転換して、少頭数をセールスポイントにするのも一手。もしも売り上げ増もと欲張るのなら、後半4レースに発売が限定されている3連単を、函館だけ試験的に全レース発売してみてはどうだろう。04年に登場してから短期間で主力馬券に成長した3連単を、出し惜しみする必要はない。

July 7, 2006 11:58 AM

2006年06月28日

牝馬限定にしては?

 宝塚記念は大方の予想通りディープインパクトが圧勝し、秋の凱旋門賞制覇に夢を膨らませた。馬券で大穴を取るのもいいが、強い馬の強い勝ち方に酔いしれるのも競馬の醍醐味(だいごみ)。その意味では、いいレースだった。

 しかし、宝塚記念のあり方については、大幅に見直す時期に来ている。3歳馬の参戦もなく、新鮮味に欠けた安売りG1に成り下がっている。「夏のグランプリ」「ドリームレース」のうたい文句とは裏腹に、売りとするファン投票は有名無実化している。

 毎年ダービー開催が終わると、3歳と4歳以上の古馬の混合戦が本格的に始まる。その年の皐月賞馬やダービー馬が宝塚記念で古馬に挑めば盛り上がりも違うだろうが、実際はなかなか実現しない。トップクラスの3歳馬はダービーが終わると秋に備えて休養に入ってしまうからだ。いくら負担重量を古馬より5キロ軽い53キロに設定して優遇していても、春のクラシック戦線で疲労した3歳馬の出走意欲はそそらない。68年から90年まで23回続けて古馬だけで争われた時期もある。91年以降の15年間で3歳勢の出走はたった8頭。クラシックホースが初めて参戦した03年は、2冠馬ネオユニヴァースが4着。秋は菊花賞3着で3冠を逃がし、3歳馬が宝塚記念を使うことに対してマイナスイメージが残ってしまった。今年、皐月賞とダービーを制したメイショウサムソンは早々に回避を決めた。過去47回、3歳馬が優勝した例もない。

 また、せっかくのファン投票は出走馬の選定に反映されない。出馬投票した中でファン投票上位10頭に優先出走権が与えられるが、毎年フルゲートに満たないから、出たい馬は全馬が出られる状況になっている。ファン投票はまったく機能していない。プロ野球のオールスター戦とは対照的。無意味なファン投票は廃止した方がいい。

 もしもドリームレースとして残すなら、控除率を大幅に引き下げてみてはどうだろうか。単勝、複勝は売り上げの約20%、枠連、馬連、馬単、ワイド、3連複、3連単は約25%が諸経費や国への上納金(正式には国庫納付金)として差し引かれる。そこを単複10%、その他15%程度にとどめて、配当1割増でファンに還元するのだ。年に1度のファン感謝セール。払い戻されていない的中馬券が昨年の場合130億円もあるのだから、それを払い戻しに繰り入れればいい。10円未満の端数切り捨て分(例えば払戻額が160円の1ケタ分はJRAの収入になる)も加えれば対応できる。売り上げが低迷しているとはいえ、JRAは昨年も2894億円余りを国庫に納めた優良特殊法人に変わりはない。国も理解してくれるのではないか。

 現実的な案なら、牝馬限定戦にリニューアル。牝馬は夏に強いし、牝馬重賞の充実を図るJRAの路線に合致する。「宝塚」のネーミングにもぴったり。

 いずれにしろ、現状で良しとは思えない。

June 28, 2006 09:16 AM

2006年06月18日

勝つための駒さばき

 将棋は不思議なゲームだと常々思っている。自陣20枚の駒は数も働きも相手と同じなのに、必ず優劣がついて勝敗が決する。将棋は合戦を単純化して盤上に再現した競技だから、対局者は全軍を率いる指揮官。それぞれ個性のある駒を、効率良く使った方が勝つ。状況を分析して、守るべきなのか、攻める好機なのか、その判断も大事な要素。将棋が強い人は組織をまとめるのもうまいのではないだろうか。

 社員という駒をうまく使った会社は間違いなく伸びる。力を結集できれば、1+1が3にも4にもなる。スポーツも同じ。選手の良さをマックスに引き出せる監督が名将と呼ばれる。

 サッカーW杯1次リーグB組で、強豪スウェーデンと引き分けた小国トリニダード・トバゴの戦いぶりが強烈に印象に残った。後半開始直後にDF1人が2度目の警告を受けて退場。1人少ない10人で、スウェーデンが誇るイブラヒモビッチ、ラーションの2トップを抑えられるなど、誰が予想できただろうか。

 窮地に立たされたベーンハッカー監督が後半7分に打った手は、FWグレンの投入。MFかDFを入れて守備強化が普通の考え方なのだろうが、知将は逆の発想をした。2トップを前線に残しておくことで、相手を攻撃だけに専念させなかった。奇手というよりも妙手。敵陣に打ち付けた角が、実は守りにも利いていたわけだ。勇敢なトリニダード・トバゴは気迫あふれるタックルでボールを奪い、少ない人数を感じさせない組織的守備でシュートの雨に耐えた。守り切って勝ち点1を奪うコンセプトがチームに浸透していた。スコアは0-0でも、本当に面白い試合だった。赤のユニホームが歓喜に沸き、黄色いユニホームの選手たちはうつむいた。人口わずか130万人から選ばれた代表に感銘を受けた。選手を鍛え、逆転の発想で「勝利」をもぎ取ったベーンハッカー監督の名采配は、後世に語り継がれるに違いない。

 オーストラリアのヒディンク監督も敵ながらあっぱれ。日本戦の終盤、守備は最低限にとどめ、次々に投入した攻め駒がよく働いた。同点に追いついてからも攻めの姿勢を貫いた監督の気迫が選手を奮い立たせた。ベーンハッカー監督が攻めを見せながら守りを徹底したのに対して、ヒディンク監督は韓国を4強に導いた4年前と同様に手駒を惜しみなく使って逆転した。手法は違うが、監督の意思を選手が実現したことは共通していた。

 日本には素晴らしいタレントがそろっている。前線の飛車角。中盤の金銀桂香。DFの金矢倉。ベンチも含めれば、それこそ戦い方は無限にある。23人をうまく組み合わせればクロアチアを倒せる。この4年間でつらい思いもたくさん経験した選手たちに、悔いは残してほしくない。ジーコ監督の駒さばきにかかっている。

June 18, 2006 12:34 PM

2006年06月08日

珍名馬に郷愁と笑い

 競走馬の名前はオーナーの知性や教養、趣味、考え方、時には育った環境さえも映し出す。

 85年オークス馬ノアノハコブネや今年の高松宮記念を勝ったオレハマッテルゼなど、ユニークなネーミングで知られる小田切有一氏の所有馬には、郷愁を誘われるものが多い。多感な時代のよき思い出。たとえ単語だけの馬名でも、さまざまなイメージが広がる。
 クレヨン。大人になるとクレヨンを持つ機会などほとんどない。幼稚園のころは24色入りが欲しかった。12色入りでは金色や銀色がないから。裕福な友達がうらやましかった。絵の才能のなさも気付かされた。

 ヨーヨー。70年代後半、清涼飲料メーカーのロゴがマークされたラッセルヨーヨーに日本中の少年がはまった。縁が透明で重いヨーヨーと、縁が白で軽い種類があり、やや高価な前者の方が技をかけやすかった。年配の人は32年(昭和7年)に巻き起こった大ブームを、若い人は数年前のハイパーヨーヨーを思い浮かべるのだろう。

 ドングリ。遠足でのドングリ拾いが懐かしい。しばらく触れていないなあ。生活に余裕のない証拠かもしれない。公園にはクヌギやカシの木もあるし足元に転がっているに違いないのに、見過ごしてしまう。地面との距離が遠くなった。

 ロバノパンヤ。関東圏ではなじみがないが、51年(昭和26年)から京都を中心に、音楽を流しながらパンを売る馬車が人気を集めた。歌の出だしは「ロバのおじさん、チンカラリン~」。

 トッケンショウブ。76年(昭和51年)以前、馬券1枚の最高単位だった1000円馬券がいわゆる「特券」。今の数倍に相当する額だから、ひと目に1000円買うとなると勇気がいる。「特券勝負!」はギャンブラーにとって非常にカッコいいフレーズ。

 郷愁シリーズ以外に、クスッと笑えるシリーズもある。オジサンオジサンは1勝馬でも6歳まで頑張った(その後地方競馬でオバサンオバサンが登場した)。オドロキノサイフは未勝利で終わったが、ヨロコビノサイフは2勝した。マケズギライは最高9着。ギャフン、アシデマトイ、カミサンコワイ、スゴウデノバケンシ、オケラカイドウ…。傑作が並ぶ。

 意味が分からない時は、うんちく王の知人が頼りになる。安田記念は残念ながら10着に敗れたオレハマッテルゼは「58年公開の日活映画「俺は待ってるぜ」から。主演の石原裕次郎が主題歌を歌い、脚本は石原慎太郎東京都知事。裕次郎はボクサー出身という設定で、名前が島木譲次。吉本のパチパチパンチのオッちゃん(島木譲二)はここから拝借したのですね。彼も元西日本ミドル級新人王ですから」。

 これからデビューする2歳馬の1頭は、キラメクネオンと付けられた。母キャバレーからの連想。馬名は文化。今年はどんな珍名君が出てくるのだろう。17日から函館、福島、京都で始まる新馬戦の、もう1つの楽しみでもある。

June 8, 2006 11:38 AM

2006年05月29日

夢乗せいざダービー

 ダービーのスタート直前は、いつも胸が締め付けられる。なぜか涙が込み上げてきた年もあった。日本中のホースマンがあこがれる特別なレース。一生に1度の晴れ舞台に上がることを許されたサラブレッド18頭の1頭1頭に、さまざまな人の願いや希望が込められている。生産した人、買った人、育てた人、鍛えた人、世話する人、馬券を買った人。東京競馬場を包み込む熱い思いに押しつぶされそうになる。ゲートが開いた瞬間、風船が破れたように空気がはじける。東京競馬場が歓声で揺れる。その臨場感がたまらない。

 人気を集めるメイショウサムソンの馬房に足繁く通った。担当する39歳の加藤繁雄厩務員は、17歳で栗東トレセンに入り23年目。この馬を担当するまでタイトルに縁がなかったが、スプリングSで初めて重賞を勝ち、G1まで手にした。この2カ月余りでダービーの有力馬に出世。加藤さんも一気に注目される存在になった。

 いつ訪ねても屈託のない笑顔で迎え、1つの質問に速射砲トークで10も20も返してくれる。朗らかで話し始めたら止まらない。瀬戸口勉調教師への感謝、デビュー前から調教をつけてきた石橋守騎手に対する尊敬の念が、言葉のはしばしから伝わる。「こうして話を聞いてもらえるのがうれしいんです。妻には、記者の人もほかに用があるのだからほどほどになさい、と注意されますよ」と頭をかく。本当に恐縮してしまう。

 会話の途中で漏らした本音には、最高峰に挑むプロの誇りがにじみ出る。「楽しむなんてできないですね。死んでもいいぐらいのつもりでやっています。自分がいれ込んだものに対しては命懸けでやりたい」。馬を引いている時は、一瞬足りとも気を許せない。もしも暴れてけがでもさせたら、取り返しがつかない。体重は昨年の秋から6キロも減った。「食事は食べ過ぎるぐらいに摂っているんですよ」。仕事中は頭も体もフル回転。食べても追いつかないぐらいのエネルギーを消費する。

 メイショウサムソンの皐月賞制覇が周囲に与えた喜びは計り知れない。松本好雄オーナーは33年目で初クラシック、石橋守騎手は22年目で初G1、林孝輝牧場は創業半世紀で初のG1美酒、来年定年の瀬戸口調教師は最後の皐月賞を射止めた。勝利が多くの人を幸福な気持ちにさせる。それをよく知っているから、限界まで頑張れるのだろう。

 加藤さんは高校1年の時に書いた作文を思い出していた。

 ダービーを勝つ馬をやりたい。

 仮に40年厩務員を務めても、単純計算で3人に1人しかダービーを経験できない。ましてや勝つとなると運も必要。ほかの17頭の厩務員も全力を尽くして仕上げている。

 今日28日午後3時40分、発走。「皐月賞では応援に来ていた妻を記念撮影に呼ぶ余裕がなかった。今度は一緒に撮りたいですね」。メイショウサムソンに◎。夢を一緒に追いかけたい。

May 29, 2006 10:28 AM

2006年05月19日

身なりこそ人を表す

 中央競馬の競馬場に足を運ぶ熱心なファンなら、すでにお気付きかもしれない。今春からG1レースに限り、出走馬の厩務員は全員、ネクタイを締めて馬を引いている。馬主会が調教師会に要望書を通達して実現した。作業衣にネクタイというわけにはいかないから、もちろん皆スーツを着ている。これまでも自主的にスーツ、ネクタイ着用で臨む厩舎はあったが、それが全厩舎に徹底されたわけだ。馬主、調教師だけでなく厩務員も着飾ることで、これまで以上に華やかな雰囲気がパドックを包むようになった。10年ほど前まではダービーなどビッグレースの記念写真を見ても、厩務員だけは普段の作業衣が当たり前だったから、風景は随分と変わった。「競馬もサッカーや野球のように見せる時代。国際化に伴い、非常にいいことだと思う」。この国枝栄調教師の意見に代表されるように、現場も賛成派が多い。

 当の厩務員は結構大変。服は馬にかじられたり、汗や唾液(だえき)ですぐに汚れる。スーツ代やクリーニング代は自腹。普通の洗濯では落ちない汚れも珍しくない。寿命は1年がせいぜい。だからブランド物の高いスーツなど、とても着られない。土日で使う場合もあるから、競馬用に2、3着持っている人が多いようだ。

 初めて担当馬をレースに出した時から、正装を欠かさない厩務員がいる。相沢厩舎の鈴木慎之輔調教厩務員は、競馬好きが高じてこの世界に入った2年目の若手。未勝利戦でもローカル競馬場でも、人気の有無も関係なく、その姿勢に変わりはない。「馬主さんや生産者の方に対する礼儀だと思っているんです。それに、だらしない格好で引くのはこいつらにも悪い」と馬をなでながら理由を説明してくれた。「クリーニング代ぐらい給料で賄える。厩務員が夢だったんで、格好はきちんとしないと。これは定年まで続けるつもりです」。母の日だった先週の新潟競馬場で、スーツの胸ポケットに赤いカーネーションを挿した厩務員を覚えている人がいれば、それが彼。レースでは必ずたてがみを編むので、馬はおしゃれできれい。毎日の世話も、馬のために何がいいのか、いつもと違う行動を取ったのはなぜなのかなど、いろいろと考えながら行っている。愛情が通じたのだろう。担当馬のロックリヴァーが2月に、サンデーレオンが4月に、それぞれ初勝利を挙げた。給料と別に、馬が稼いだ進上金は、馬のために使うべき時に備えてプールしてあるという。馬は幸せだ。厩務員の横断幕がパドックに飾られるのも、彼ぐらいではないか。

 身なりで人を判断するなという教えは、必ずしも正しいとはいえない。むしろ反対に、身なりこそ、その人の考え方を如実に反映すると思う。今週はオークス、来週はダービーで春競馬も佳境。競馬場に行く機会があれば、馬ではなくて人を観察するのもいい。ひょっとすると、馬券に結び付くかもしれませんよ。

May 19, 2006 09:37 AM

2006年05月09日

始めよう小さな努力

 全日本柔道選手権で19歳の石井慧(さとし=国士大2年)が山下泰裕を抜く史上最年少で優勝を決めた時、ああ、あの選手が…と感慨にふけった。世界王者の鈴木桂治から残り6秒で奪った有効で、新たな歴史が生まれた。

 彼の名が本紙に初めて載ったのは、04年3月21日付。アマチュア競技担当時代、全国高校選手権(男子団体)で国士舘高優勝の立役者になった記事を書いたから、よく覚えている。本割は大将同士でも決着せず、代表戦の末、石井が指導1つの差で勝ち、世田谷学園を下した。内またのやり過ぎで試合の1週間前に右足を疲労骨折し、痛み止めを飲みながらの出場だった。当時から石井の練習漬けは知られていた。

 屋根裏でほこりをかぶっていた取材ノートを引っ張り出してみた。石井のコメントとして、こう記してある。「自分はセンスがないんで、練習しないと。毎日、休みの日もトレーニングしてます」。居残り練習は当たり前。疲れていても夕食後のウエートトレーニングを欠かさない。試合の翌日でさえ体を動かす。国士舘高の岩渕監督は「とにかく、けいこの虫。練習しろとは言うが、練習するなと諭すのはあいつぐらい。練習している者に神様が褒美をくれた」と褒めていた。

 あれから2年。亀の歩みは予想をはるかに超えて速かった。大先輩の斉藤仁のようなうまさや鈴木桂治の切れはない。柔道は泥臭いが、豊富な練習量に裏打ちされた自信とスタミナが、快進撃の原動力になった。単純に1日1時間多く練習していれば、2年間で730時間。まるまる1カ月に相当する量に達する。

 試合から数日後、あらためて岩渕監督に話を聞いた。師匠も今回の結果は想像できなかったという。「準々決勝までは行くだろうと予想していたが、こんなに早く勝てるとは思わなかった。高校時代から全日本の強化選手を相手にけいこしてきた。乱取りでは鈴木のところに真っ先に行って30分ぶっ続けでやる。意識の高さは誰にも負けない。今まで指導した中でも、これほど練習する選手はいなかった」。努力が才能を上回り、不可能を可能にした。

 石井の超人的な頑張りを、そのまま我々の日常生活に当てはめるのは必ずしも適当ではないけれど、小さな努力ならすぐに始められる。受験生なら寝る前に1つ英単語を覚えていけば、今から200以上も余計に蓄積できる。ひょっとすると合否を左右するかもしれない。営業マンならもう1軒。最後に回ったところが大口の契約に結び付くかもしれない。主婦だったら、1日1カ所ぞうきんがけをしてみるとか。知らないうちに家がピカピカに磨かれる。1日100円節約すれば、1年で3万6500円。家族で豪華な食事ができる。疲れたけれど、もうひと踏ん張り。明日はもう1厩舎、余計に回ろう。原稿にもひと工夫加えようか。

 積み重ねの大切さは分かっているのに、つい怠けてしまうのが人間。19歳の雄姿にあらためて教えられる。努力は人を裏切らない。

May 9, 2006 09:26 AM

2006年04月29日

「棋士回生」の一手を

 毎週日曜午前に放送される将棋のNHK杯を必ず録画して楽しみに見ている。プロ棋士といえども秒読みに追われて2歩の反則を犯したり、時間切れで負けてしまうハプニングもまれにあって、人間臭さあふれる勝負を堪能できる。

 昔から不思議に感じていたのは対局後の感想戦(対戦者同士で指し手の善悪を検証する作業)の様子。負けた棋士はショックや後悔や反省で気分は沈む。これはほかのスポーツでも似たようなものだろう。勝者も敗者に配慮して発言を慎むから、両者のやりとりはどうしてもボソボソと聞き取りづらくなりがち。何を言っているのか皆目分からない場合は、視聴者は蚊帳の外に置かれる。テレビ放送としては不親切な光景が何十年も繰り返されてきた。棋士たちは普段から本当にファンを大切にしているが、感想戦だけは自分の世界に入り込んでしまう。放送でなければ全く問題ないのだが。

 ところが17日に放送された一戦は趣が違った。敗れた木村一基7段(32)の姿勢はあっぱれだった。対局後すぐに気持ちを切り替え、感想戦では視聴者に向けて語りかけるように話した。はきはきと丁寧に自分の手を解説し、惜しげもなく読み筋を披露した。明らかに視聴者を意識していた。「これを(テレビで)流されるのはつらいですね」と自嘲(じちょう)するほど完敗の内容だったのに、なかなかできることではない。お茶の間のファンに対する真摯(しんし)な気持ちが伝わってきた。竜王戦7番勝負で渡辺竜王に挑んだ時も、負けた直後に大盤解説場に姿を現して驚かされた。2日間にわたる激闘で疲れ果てていたはずなのに、髪を乱したまま余った放送時間を埋めた。タイトル戦挑戦者による即席解説など極めて異例。感服した。

 テレビの感想戦は対局場から離れて大盤を使用し、カメラに向かって話すようにすれば、見る側との一体感も生まれると思うが、どうだろう。

 日本将棋連盟の発表で1500万人とされる将棋人口は、年々減っていると聞く。羽生善治の7冠に沸いた96年に10億円を超えた連盟の収益は、6億円台まで落ち込んだ。7冠フィーバーや将棋を題材にしたNHK朝の連ドラ「ふたりっ子」の話題を、継続的な人気に結び付けられなかった。アマからプロに転身して話題をさらった瀬川晶司4段効果も、一過性で終わってはもったいない。

 将棋界には素晴らしいタレントがたくさんいる。日本一将棋の強い歌手と呼ばれる内藤国雄9段は解説も名調子。ギャグ連発の福崎文吾9段、軽妙なエッセーで人気の先崎学8段、プロのお笑いも真っ青の神吉宏充6段(ショッキングピンクのスーツは必見)、イケメン山崎隆之6段…。慢性的な赤字経営に陥っている連盟は、もっと棋士のメディアへの露出を考えてもいい。バラエティー番組にも売り込んでほしい。それもファンサービスだし、ファン拡大やイメージアップにつながると思う。

April 29, 2006 11:45 AM

2006年04月19日

魂と桜は咲き続ける

 桜前線が東北地方を北上している。竹本貴志騎手が20歳の若さで亡くなったのは、ちょうど桜の季節だった。生涯成績は15戦1勝。

 不運の事故はデビューからわずか22日目に襲った。04年3月28日、中山競馬の障害戦で落馬。脳挫傷で意識が回復しないまま、5日後に入院先で息を引き取った。今年が三回忌。3月に地元広島で営まれた法要には、同期、先輩、後輩合わせて9人が中山、中京、阪神競馬場から駆けつけた。誰からも親しまれた人柄がしのばれる。厩舎の控室には、今も遺影と初勝利を挙げた時の祝儀袋が飾られている。

 18歳で競馬学校を卒業したが、すぐに騎手になれたわけではなかった。その年は実技試験で失敗して不合格。翌年は美浦トレセン実習中に負傷して受験できず、また1年延びた。同期の活躍に焦りを覚えながら、3年目の挑戦でようやく手に入れた騎手免許。志した中2の時から体が大きくならないように自ら食事を制限した強い意志を持ち、決して弱音を吐かなかった。苦難を乗り越えた末、両親の目の前で挙げた1勝は、どれほどうれしかっただろう。まさか、それが最初で最後になってしまうとは。

 千葉・白井市のJRA競馬学校の観覧席裏に「初志貫徹」と刻まれた石碑がある。傍らに植えられた桜の若木と一緒に両親が寄贈した。「誰でも1度はやめたくなると思う。生徒たちにエールを送りたかった」と父久男さん(58)は言う。おそらく亡くなった本人も同じ気持ちではないか。騎手課程の生徒は厳しい体重管理を求められる。中学を出たばかりで育ち盛りの生徒たちには、過酷な日々が続く。乗馬訓練や学科授業で、早朝から日暮れまでスケジュールはびっしり。途中で挫折して去っていく生徒も少なくないが、石碑の言葉が伝わったのか、昨年や今年デビューした中にも留年にめげずに志を貫いたジョッキーが何人もいる。

 また、購入費の一部に竹本家からの寄付が充てられた千葉・市川市の社会福祉施設「かしわい苑」のバスには竹本騎手の名前がしるされ、知的障害者の送迎に活躍している。

 「もし勝っていなかったらと思うとぞっとします。20年の短い人生でしたが、他の人にはできない貴重な経験ができたと納得しとるんですよ」。73年に立ち上げたスポーツ少年団を育て、カープやサンフレッチェにも携わるなど地元のスポーツ振興に貢献する久男さんは、最近保護司としても活動を始めた。少年院や刑務所から釈放後にスムーズな社会復帰を果たせるよう受け入れ態勢を作っている。「貴志があんなことにならなければ引き受けなかったかもしれない。たとえ不良息子だとしても、生きとってくれるのがどれだけありがたいことか」。

 満開の桜は、はかなく散った。しかし竹本騎手の魂は、この世にさまざまな形で生きている。そして多くの人の心の中で咲き続ける。

April 19, 2006 11:34 AM

2006年04月09日

握手が築く人間関係

 未来あるフレッシュマンの方々、新生活には慣れましたか。キャリアがあっても、新しい部署で不安な日々を過ごしている人も多いのではないかと思います。

 5年前、人事異動でサッカー担当を命じられた時を思い出す。日韓W杯開幕まで1年を切っていたが、恥ずかしながら代表の顔すら、ろくに知らなかった。育った時代も地域も野球中心だから、サッカー音痴でアンチ。周囲は見知らぬ人ばかり。開幕は待ってくれない。窮地に陥った36歳の新人を救ってくれたのは、日本サッカー界の握手の習慣だった。縁遠い世界に飛び込んだ素人記者を温かく迎えてくれる握手に、こわばった心がどれほど解きほぐされたか分からない。

 クラブハウスに出向くと、監督と、選手と、フロントと、ライターと、気さくにかわす。選挙は別として、これほど握手する環境はほかにないのではないか。心地良い洗礼を初めて受けたのは、当時FC東京で指揮を執っていた大熊清監督だった。東京・深川にあったクラブハウスを訪ね、初対面のあいさつを済ませると、サッと右手を差し出された。慣習になじんでいないこちらは戸惑ったが、失礼のないように応じた。握手はあまりにも力強かった。右手がひしゃげないように、こちらも強く握り返した。目と目が合った。「よろしく」。それだけで気心が通じた。門外漢がサッカーファミリーの一員として迎え入れられた瞬間。それからは取材で出向くたびにマックスの握力で握り合った。

 林実氏の「作法心得」によると、紀元前400年代にアテネ武士団が武術の試合後に行った儀礼行為が、握手の起源だという。その著の中で、男同士の握手の作法が記されているので一部引用させていただく。

 相手が目上であろうと年上であろうと「深く」「固く」「短くも2秒間以上」握られよ。「深く」とは、お互いの親指の付け根が密着するまで。「固く」とは、相手が痛がらない程度に、力いっぱい。もし相手が「浅く」「やわらかく」握ってきたのであれば、こちらは、その浅いまま、同じく、やわらかく「1秒あまり」握られよ。

 大熊氏になぜ強く握るようになったのか、聞いたことがある。チームのスポンサーの人から諭されたのだという。忠実に実行した監督の力強い握手は「作法心得」で説いている通りで、まさに正統な作法だった。

 1度だけ、ほんの少しだけ顔をゆがめてしまったことがある。そのことを覚えていたのだろう。次に会った時、赤子の手を握るようにソフトだった。大熊氏といえば満員のスタジアムでも逆サイドまで通る大声で知られているが、握手から感じ取れた思いやりが印象に残っている。担当を離れてしまったため、それが最後になってしまったのが心残り。今度再会した時は、いつも通りに思い切り握ってもらいたい。

 サッカーアレルギーから解放してくれた握手パワーって、本当にすごい。悩める人には救いの手を。人間関係はきっとうまくいくはずです。

April 9, 2006 09:33 AM

2006年03月30日

ベクトルを同方向に

 このところ日本が世界舞台で脚光を浴びている。トリノ五輪金の荒川静香、WBC優勝の王ジャパン、そして25日にUAEで開催された「競馬の五輪」では、有馬記念馬ハーツクライがチャンピオンディスタンスと呼ばれる2400メートルのG1を逃げ切った。レース前に「野球に続きたいね」と王ジャパンを引き合いに出していた橋口弘次郎調教師は有言実行。加速した勢いは競技の枠を超えて連鎖した。

 フィギュアスケートや競馬は一昔前まで野球以上に世界のトップと大きな隔たりがあったのだから、快挙3連発は感慨深い。日本人って不可能を可能にする民族なのだろうな。フィギュアの低迷期は「欧米人の方が体形がスマートだから、採点も有利に働く」などといったセクハラまがいの理由が不振の一因に挙げられ、妙に納得させられていた。ならば技で勝負しようとジャンプを武器に挑んでも、フィギュアは軽業じゃないと否定された。日本人の世界一など想像できなかった。

 競馬にしてもタケシバオーやシンボリルドルフといった国内では断然の存在が、外国の厚い壁にはね返された。JRAが強い馬づくりを掲げて81年に創設したジャパンCの第1回も二線級の米国馬に勝たれて、日本馬は5着が最高。この時も「騎馬民族と農耕民族の差」という不思議と説得力を持つ説が流布して暗たんとした気持ちになり、世界制覇など夢のまた夢のような気がした。初めての海外G1制覇は98年シーキングザパール。わずか8年前のことだ。時期を同じくして大種牡馬サンデーサイレンス(SS)の産駒がブレークした。日本馬の血統レベルは飛躍的に上がり、SSを導入した社台グループは高額な種付け料で得た資金を、良質な繁殖牝馬の輸入や設備投資に回し、さらに生産馬の質を上げていった。今や日本馬は米国やアイルランドの生産馬と比較しても引けを取らない。ハーツクライも亡きSSの遺産。あきらめずに頂点を目指して試行錯誤を続けてきた人々の努力が今の隆盛を築いた。不遇の時代、絶望していた自分が恥ずかしい。

 日本人が1つの目標に立ち向かう時の結束力は本当に強い。WBCでイチローが「このチームでメジャーでやりたいぐらい」と酔いしれたのも、チーム全員のベクトルが同じ方向を向き、誰1人として一丸ムードを壊さず、ベストを尽くしたからだろう。

 これが例えば多民族国家のスペインだったら、こうはいかない。2大都市のマドリードとバルセロナの仲の悪さに代表されるように、サッカーの代表チームもなかなかまとまらない。ベクトルが分散しているから、実力はあるのにW杯で3位すらない。

 ドイツW杯開幕まで2カ月余り。Jリーグ創設から13年が経過した日本のサッカーは日進月歩。ジーコジャパンは心を1つにできるだろうか。個人技で劣るなら、組織で対抗すればいい。サッカーだけが世界一になれない理由はない。

March 30, 2006 10:33 AM

2006年03月20日

黒星で甦る強者の闘志

 頂点を極めたアスリートには、強すぎるが故の悩みがある。シドニー五輪柔道100キロ級金メダリストの井上康生は、アテネ五輪代表に決まるまでの4年間で「気持ちの高め方の難しさを感じることがあった」と告白している。どんな一流選手でも、勝利を目指す明確な動機付けがなければ練習にも試合にも熱が入らない。偉業を達成した後に目標を見失い、心にポッカリと空いた穴を埋めるまで苦しむ。203連勝の大記録を打ち立てた最強にして最高の柔道家、山下泰裕氏でさえ勝ち慣れによる中だるみがあったと聞く。「心」が伴わなければ「技」も「体」も生かせない。

 厳しい調教に耐えてレースに臨む競走馬も同じアスリート。今から思えば、有馬記念で初の敗戦を喫したディープインパクトはモチベーションが下がっていた。走りたくなかったのだ。武豊騎手はレース後「今日は飛ばなかった。なぜなのか分からない」と首をひねった。乗っている者が飛んでいるかのように感じる上下動の少ない極上の背中は、あの日に限って特別ではなかった。心が欠けていたからだ。

 無敗のまま海外へ飛躍するという壮大な夢は幻想と気付かされた。シンボリルドルフを超えるカリスマの雄姿を期待した人々は打ちひしがれた。どんな強い馬もいつかは負ける。そんな一般論を当てはめて欲しくなかったが、生き物である以上は毎回ベストの精神状態で臨めるはずもない。水曜と金曜に追い切る異例のハードトレーニングが課された有馬ウイークは、調教で嫌気が差してしまったのだろう。武豊も今週の会見で「彼を追い詰めていたのかな」と同様の感想を漏らしている。

 屈辱の1敗から3カ月。19日、ディープインパクトは阪神競馬場で今年初戦を迎える。「1月、2月と元気すぎるぐらい元気」と市川明彦厩務員。栗東トレセンの調教馬場に出ると、両後ろ脚を思い切り蹴り上げる尻っぱねのしぐさをするようになった。ダービーのパドックでも見られた好調時の癖が出てきた。競走馬の多くは人間に走らされているのに、史上6頭目の3冠馬は違う。牧場時代から駆けっこが大好きだった。思い切り走れる競馬場はお気に入りの場所で、デビューから7連勝は楽しく走った結果。子馬のころの気持ちを取り戻した今なら、もう心配はいらない。

 モチベーションを上げるのに、敗戦ほど効果的なものはない。井上康生も4連覇をかけた04年全日本選手権でライバル鈴木桂治に敗れ、再び闘志に火が付いた。「全日本で負けて振り出しに戻り、また勝ちたい気持ちが強くなった」と黒星が気持ちを奮い立たせたことを認めている。ディープインパクトだって悔しかったに違いないのだ。敗戦の劇薬が、競馬界のプリンスをよみがえらせた。

 今夏以降、キングジョージや凱旋門賞を視野に入れた世界制圧プランが描かれている。夢は終わっていない。再出発をじっくりと拝見しよう。

March 20, 2006 01:21 PM

2006年03月10日

何のための将棋中継

 「将棋界の一番長い日」と呼ばれるA級順位戦最終日を、全国1500万人の将棋ファンは毎年楽しみにしている。今季の焦点は森内俊之名人への挑戦権を誰が得るのか。羽生善治4冠か、谷川浩司9段か。文字通りの大一番は3日に行われたが、お粗末なテレビ中継にがっかりした。

 都合で東京・千駄ケ谷の将棋会館に足を運べなかったので、NHK衛星第2の生中継に備えて自宅のテレビ前に陣取った。午後10時から翌午前1時半まで豪華3時間半の生放送。将棋でこれだけ長時間の生放送が見られるのも年に1度しかないから、胸は躍る。

 ところが放送が進むに連れ、ストレスがたまり、怒りすら込み上げてきた。肝心の盤面をなかなか映してくれないのだ。普通は5局のうちの1局が順次取り上げられ、解説役のプロ棋士と聞き手の女流棋士が局面を検討する。解説者が大盤で駒を動かし、序盤からその局面までの進行が再現され、勝負の流れが分かる。ああでもない、こうでもない、こう指すとこうなる、と検討を深めていき、どちらが優勢なのかを判断する。視聴する側は「ここは5五銀だろう」とか「玉の早逃げか」などと、自分の読みを入れながら観戦している。相当な腕自慢でもプロの解説があって初めて優劣が分かる場合も多い。将棋中継は将棋の勉強の場でもある。勝負の結果も大事だが、対局者と一緒に考える時間が至福なのだ。

 それなのに、放送は対局者の生の表情に不必要にこだわり、対局風景が長々と流された。渡辺明竜王、深浦康市8段と充実した解説陣をそろえながら、2人の活躍の場は奪われた。宝の持ち腐れ。結局、初手から投了場面まで振り返られた対局は1局もなかった。

 進行役のアナウンサーも将棋に不慣れな言動丸出しで、対局者の表情や姿勢から優劣の判断を求めて渡辺竜王をあきれさせた。こちらは「大盤で解説をさせろ」とむなしくつぶやくしかなかった。

 野球中継に例えれば、3回表2死二塁から凡退したのか安打を放ったのかが分からない。6回裏無死満塁から無得点に終わった攻撃がどんな内容だったのか、知らされないまま最終回を迎えた。

 午前1時すぎに全対局が終了。結果は羽生善治4冠と谷川浩司9段がともに勝って8勝1敗で並び、プレーオフにもつれ込む劇的な展開になった。それだけに羽生と谷川がどんな戦いをして、どんな読み筋で攻めたのか、気になって仕方がなかった。放送時間は余ったのに、両者のインタビューもなかった。

 製作側の意図が測りかねる。大体、リーグ優勝決定戦に、素人のアナを起用するだろうか。誰でも初体験はぎこちないものだから個人を責められないが、何も1年で最も大事な日に登板させなくても良かったのではないか。

 厳しい意見を述べさせてもらったが、これも高い受信料を払っているから。それに見合う番組の提供が、NHKの信頼回復につながる。

March 10, 2006 11:01 AM

2006年02月28日

まだ走る52歳名脇役

 何度叫んだことだろう。「大塚、そのまま!」。玄人好みの騎乗でうならせた大塚栄三郎騎手が、今月限りで29年間の騎手人生に別れを告げた。引退セレモニーを辞退して、静かに身を引いた。派手なパフォーマンスを嫌う、いぶし銀の男らしい引き際だった。

 94年カブトヤマ記念を最後に12年間も重賞勝ちから遠ざかっていたから、競馬を始めたばかりのファンにはなじみが薄いかもしれない。G1も勝っていない。最近はレースにも乗っていなかったが、全盛期は「逃げの大塚」がレースの行方を左右した。欠かせない名脇役で、時に主役を食った。忘れたころに出す大穴は、本命党を嘆かせた。重賞15勝中5勝を、10番人気以下の人気薄で挙げている。

 中央競馬担当に復帰して間もない昨年正月、関東NO・1の藤沢和厩舎で調教を手伝っていると知り、足を運んだ。朝の調教後、ごみ出しなどの雑用もテキパキとこなす大ベテランの顔には、生気がみなぎっていた。「土日は午前1時半起き。昔の4倍働いているよ。あんちゃん(見習い)のころを思い出すね」と目を輝かせていた。騎乗機会は訪れなかったが、2日に1度の減量を欠かさず、体重を50キロに保つプロ魂には感心させられた。

 それからしばらくして調教助手に転身する計画は頓挫し、10月で藤沢和厩舎を離れた。トレセンで姿を見ない日が続いた。ドウカンヤシマ、サニーライト、ハシノケンシロウ…。昔、大好きだった馬たちの背には大塚騎手がいた。いてもたってもいられずに自宅のベルを鳴らした。「どうしたの? まあ上がって」。職人かたぎで近寄りがたかった雰囲気はすっかり消え、穏やかな笑顔で迎えてくれた。

 小学校の卒業アルバムに残る馬の絵は、大塚少年が描いた。「夢はかなえられたからね。良かった。デビューして10年ぐらいが一番乗っていたかな」。一番悔しい思い出は、サニーライトで挑んだ菊花賞。「後ろの馬にトモ(後ろ脚)を引っ掛けられて競走中止。後ろから鉄砲で撃たれたようなものだよ。馬は安楽死さ。(ダービー馬の)ダイナガリバーなんて併せ馬で相手にしなかったんだから、惜しいことをした」と悔いた。

 主催者から重い処分を科されたこともある。「駅から京都競馬場に向かう途中、ファンと意気投合して飲んじゃった。向こうはジョッキーとは気付かなかったけど。競馬場入りが遅れて結構食らったな」。

 思い出話は尽きなかったが、華やかな騎手稼業も馬から下りてしまえば厳しい現実が待っている。職探しの日々。望んでいる調教助手のクチは、年功序列による高賃金が障害となってなかなか見つからない。また、年配者を使いにくいと感じる調教師も多い。

 「体づくりをしないと、少しの歩様の違いを感じ取れない。脚元は見られると自負しているよ」。トップ厩舎で学び、実戦経験も豊富な52歳の知識や技術をこのまま埋もれさせてしまうのは、あまりにも惜しい。トレセンで