小林千穂
2006年07月10日
ジャンケットって何?
芸能担当になって2年と少し、気になっていながらもほっておいたギョーカイ用語があった。「ジャンケット(junket)」だ。主にハリウッド映画で、現地まで行って監督や出演者に取材すること。映画会社からは「今度『○○』という新作が公開されるんですが、ジャンケットでロサンゼルスまで行きませんか」などというふうに取材の依頼を受けたりする。
ある海外出張の時、同行した映画会社関係者に「ジャンケットってどんな意味と定義があるんですか」と聞いたら、「さあ…意識しないで使っているので。プレミアイベントや俳優に直接コメントもらったりする機会がある取材、って思ってますけど。正確には何だろう」という答えだった。私もそこですぐに調べればいいようなものだが、その時「何だろうな」と思っても、帰国するときれいさっぱり忘れてしまったり、意識の外に出てしまったりで、ここまできた。
携帯電話をいじっていたら、辞書機能があることに気付き、調べてみました、ジャンケット。ちょっと衝撃的な意味が出てきた。「公費による大名旅行」。ガーン。公費じゃないけど、私は今まで大名旅行なるものをしてきたのか…。記者としてどうなのよ? いや、携帯電話の辞書機能だから、こんな言葉しか出なかったんであって、まだほかにも有意義な意味があるはずと、気を取り直して、インターネットで調べてみたら、ショックに輪を掛ける意味が出てきた。「物見遊山(ものみゆさん)」。遊んでたのか、私は…。
もちろん「大名旅行」「物見遊山」はあくまでも元の意味であって、映画業界用語としては、単に「俳優たちに直接話を聞ける取材」くらいの意味になっているんだろうが、この言葉を見てあらためて気を引き締めました。すべておぜん立てが整った中での取材に慣れていないか、と。
海外のロケ現場やプレミア試写などの取材は、勝手にほいほいと行けるわけではないので、基本的に映画会社におんぶにだっこされている。いわゆる「あごあし枕付き」という以外にも、取材の段取りから何から何まで。もちろん、監督や俳優たちに直接話が聞けることは、読者に新鮮な情報が伝えられるし、自分にとっても今後につながる良い経験になるので、貴重な機会だと思う。でも、違うって思っても、状況としては「大名旅行」かもしれない。もっと自由に動けたら、動けば良かったと思ったことも多々ある。ジャンケットは頻繁にある取材ではなく、ほんのほんの一部だけど、この文字をじーっと見て、ちょっと考えてしまった。これまで読者にきちんと向かった取材ができてきただろうか。
さて、このコラムを書いて1年。今回で私の担当は終了です。少なくともここでは、書きたいことを書き、言いたいことを言ってきたつもり(くだらないこともありましたが)。とにもかくにも、これからも見るべき方を向いた取材をしていきたいと思う。
July 10, 2006 11:49 AM
2006年06月30日
行ってきます、南極に
突然ですが、ご報告します。ちょっと先の話ですが、11月下旬から4カ月間、南極に行くことになりました! 第48次南極地域観測隊に同行取材するのです。今は、観光で行く人もいるくらいなので、果てしなく遠いイメージはなかったんですが、観測隊と一緒に行動するってことはこれから多分、一生ないだろう、と思っています。このコラムも今日を含めて、私の担当はあと2回。書き残したことはないか、というデスクの言葉に、自分のことを書かせてもらいます。
南極行きが決定して、頭を悩ませていたことの1つは、岐阜の田舎で暮らす両親にどう伝えるかってこと。彼らにとっては、東京での仕事でさえ未知の部分がいっぱいなのに、南極なんて言ったら、どれほど心配するか。決まって1カ月半は言えずにいたのですが、ついに電話で報告しました。母は一瞬の沈黙の後「あなた、日焼けしちゃいけない年なのに…。和泉雅子みたいになるんでしょう」(←和泉さんに失礼な)。第一声がそれですか…。絶句。こちらの気も抜け、悩みの1つも解消しました。
気も楽になったところで、先週5日間、長野・菅平で夏訓練というものに参加してきました。観測隊のオペレーションや生活に関する講義と会議、ジョギングに体育。合宿なんて、大学時代の部活以来。1人暮らしがすっかり楽になり、団体生活の雰囲気を忘れてしまった今、6人部屋と分かった時は「1人になりたい…」と、ちょっとぼう然としたのですが、向こうに行ったら、24時間誰かと一緒にいるわけですし、意外にも5日間で結構慣れるものです。取材のポイントもぼんやりと見えてきた合宿でした。
観測隊員はそれぞれ、いろんな経歴を持ったスペシャリストの集団。研究者や建築、土木のプロ、医師に調理師。彼、彼女らの話を聞くのは、それはそれは楽しいものでした。未知の世界の話が面白くないわけがない。私は、言ってしまえば「タナボタ」的に取材という機会をもらったのですが、中には10年以上、南極に行きたいと言い続けてきた人や、ホームページの募集を見つけ、会社を辞めて応募してきた人もいたりと、キャラクターも志も濃いのです。南極という場所にも、隊員の活動にも、また、彼、彼女らにも興味津々です。
私が南極に行くということを知った周囲の反応はさまざま。「ペンギンのみそ漬け買ってきて」(捕まりますよ)、「シロクマの写真撮ってきて」(いません)、「かわいそうに。そういう取材は後輩に行かせればいいのに」(立候補したのは私です…)などなど。それでも、最後には「いいなあ」という言葉を付け足してくれます。まだまだ知らないことがたくさんあって、それを見たい、経験したいというのは誰しも同じなようです。
ということで、行ってきます、南極。出発までまだ、いやもう5カ月。読者の皆さんは南極にどんなイメージを持っているんでしょう。
June 30, 2006 09:31 AM
2006年06月20日
「それが何か?」潔し
どこもかしこもW杯一色。こうなったら、全然関係ないこと書いちゃおう、とも思ったんですが、芸能の現場でもやっぱりW杯だらけで、とりあえず取材対象に「サッカー、いかがですか」と聞いてる毎日。さして興味のなさそうなタレントたちも、にわかサッカー通になって「頑張れ、ニッポン!」とか言っちゃってる。聞いたはいいが、薄いコメントは聞かなかったことにしてます(いいのかな)。
4年に1度の大イベントなので、楽しくノレばいいと思うんだけど、どうしても便乗にしか思えないイベントもある。某映画の試写会の案内ファクスには「全員でジーコジャパンを応援します!」なんて、誘い文句が書いてある。何かと思えば、舞台上で「頑張れ、ジーコジャパン!」と登壇者一同が雄たけび。…ん、以上? おいおい、これだけなの? もうちょっと具体的なコメントがあるのかと期待してしまった。ちょっと目が点になってしまいました。いくら何でも、これだけで…。いいかげんにしなさい。
こんな毎日が続いて、食傷気味だったのですが、もちろん便乗しない人もいます。W杯楽しんでますか、と聞くと「え、まったく見てないよ。日本戦? 翌日は早朝仕事だったので寝ました」と答えた人や、サッカー関連のコメントを求めたら「知ったかぶりで言っちゃ失礼でしょ」と断った人も。代表選手とも交流のある俳優は「ここで僕がその人との交流を言ってどうなるの? こっちで頑張れなんて言うのは簡単だけど、そんなんじゃないからね」と、やんわり、コメントを断った。露出してナンボという世界で、サッカーについて語れば、その可能性は上がるという中、興味のないものは興味がないと言えたり、自分のポリシーや相手を思いやってのコメント拒否は、何だか潔いな~、と。
サッカー、サッカー、やっぱりサッカーの18日、全国でこっそりだけど大々的に行われたイベントがあった。環境省が行った「ブラックイルミネーション」という、明かりを一斉に消して、CO2削減の意識を高めようというもの。東京タワーもお台場の観覧車も、大阪・道頓堀のグリコの看板も、全国約4万の施設の明かりが消えた。消灯時間は午後8時から試合開始の午後10時までというドンピシャな時間。日本戦の日の、この時間帯。「あちゃ~、よりによってこんな日に設定しちゃったよ」なんて思ってるのではと思ったが、事務局は「ああ、知ってましたけど。それが何か」という答え。潔し。
3年前に東京タワーで取材した時は「キャンドルナイト」というネーミングで、ふもとに集まった人にろうそくが配られた。終わった後もしみじみ、夏祭りの後の帰り道、といった感だった。今年は消灯時間が終わって、一斉に明るくなった時、祭りが始まったんだなあ。鳥の目で想像してみました。午後10時、明かりが戻った時、静寂が消え去って、声のかたまりが空に飛んでいった感じ? 俯瞰(ふかん)したらどうだっただろう。
June 20, 2006 07:57 AM
2006年06月10日
ウチワが求める距離
あぁ、ついにのぞいてしまった、禁断の(?)ジャニーズの世界を。ここ数カ月で、KAT-TUN(カトゥーン)と関ジャニ∞(エイト)のコンサート取材に行った。実はジャニーズ初体験。子供のころからアイドルに興味がなかったので、トシちゃんもマッチも、少年隊も光GENJIもSMAPも、TOKIOも1歩も2歩も、いや10歩くらい引いて見ていたかな。なのでコンサート取材!? しかも、KAT-TUNと関ジャニ∞!? 世代が違いすぎる…と、足を引きずりながら、30歩くらい引き気味で取材へ行った。
これが、結構面白かったので自分でもびっくり。KAT-TUNは東京ドーム、関ジャニ∞は代々木競技場第1体育館。どちらもキャパはかなりあり、スタンド席からだと彼らは、ホントに豆粒にしか見えない。会場に入った時は「コンサートで、豆粒のスターを見ると、かえって果てしない隔たりを感じて、むなしくなるんだよな~」なんて思ってました。
でも、始まってみると、予想以上に、いや予想を覆す距離でファンに近づいてくる。クレーンや台車を使って、タテヨコあっちこっち移動する。ステージ1カ所でやったって別にいいし、そういうライブの方が多い。最初から最後まで巨大スクリーン見てても、同じ空間で同じ空気吸ってるって、ある程度満足するんだから、それだけやっといてもいいはずでしょう。代々木第1体育館の3階席にいる観客のすぐ目の前まで、クレーンで上がって来てくれるとは、大盤振る舞いな。30歩の引きは10歩くらいに。ジャニーズのコンサートは観客との距離を近づける工夫をしているものが多いそうで、ああだこうだと言われようと、人気を維持する努力をしていることは間違いないわけでして。
近くまで来てくれる、というファンの期待感を表していたのが、いろんなメッセージが入った、してして攻撃ウチワ(勝手に名付けました)。「投げチューして」「指さして」「ピースして」「変顔して」「パーンして」「ゲッツして」…。いろんなウチワが面白かったので、ファンに聞いてみると「どの子にリアクションを求めるかによって、メッセージが違う」そうだ。本人がこれまでのコンサートでやったことなどをもう1回して、という例もあれば、本人が「こんなん求めてちょうだい」と言うこともあるらしい。みんな上手に作ってましたよ。ハート形でクッションを入れた力作を持ってた女の子は「あんまりリアクション求めてないけど、やっぱり作ってみました」とうれしそう。もしかしてという期待感があるから作る気にもなるってもんで…。
とか言いつつ、実際、ピンポイントであの子に向かってっていうリアクションなんてしないでしょ、と思ってたら、そんなことはなかった。してして攻撃が実った子は本当にうれしそうで、見てたこっちも「良かったね~」と言いたくなるくらい。
記者席に座っていたら、上から両面テープがはがれたハートがひらりと落ちてきた。ちっちゃいハートに込めた気持ちがかわいらしくて、引き気味加減は3歩くらいになったかな。
June 10, 2006 09:47 AM
2006年05月31日
誰の(ための)会見?
いろんな会見に行くと、たまに小さな紙を渡されることがある。主催者側が「出席者にこんな質問してみてください」と持ってくるのだ。映画の会見だったら「映画化のきっかけは何ですか」「撮影期間はいつですか」「来日した日本の印象はいかがですか」…。たいてい、基本的な質問が書かれている。
何で質問を指定するわけ? これじゃあ会見じゃないじゃない? これくらいの質問だったら司会者が代表質問で聞いてもいいし、そうじゃなかったら、こんなことしなくても質問出るでしょう? という疑問符で頭がいっぱいになる。この「質問してしてシステム」について、主催者側関係者に聞いたことがある。「聞きたいことがあれば聞きますから」と。その人は「質問が少ないと、せっかく来てくれたのに申し訳ないので」という返事だった。「せっかく来てくれた人」は、壇上のスターさん、セレブさんのこと。主催者にとっては彼、彼女らに気分良く座っててもらいたい、これからもウチとお付き合い願いたい…そんな理由があるようだけど、そんなことは知ったこっちゃあない。そもそも、会見は誰のためのものなの? そのスターさん、セレブさんだけのためのものなの?
ついこの間もある米女優の来日会見で、この小さな紙に遭遇した。主催者が会場で知り合いの記者を探して、紙を手渡していた。またしても「誰のための会見ですか」という疑問がムクムク。1枚は私の近くの人が受け取り、律義に「初めての日本の感想はいかがですか」と聞いていたが、本当にそれ、質問したかったことなんだろうか。それにその女優にとっても、もっと自由な質問を受けた方が楽しいんじゃないか。彼女はざっくばらんな感じで「何か聞きたいことないの?」なんて、一緒に壇上にいた関係者にマイクを向けていたくらいだったんだから。気を回しすぎてかえってつまらなくなってしまうことだってある。
もう1つ、誰のためですかと思ったことは、土曜日恒例の映画初日舞台あいさつでのこと。最近は、テレビ局が映画製作に参加していることも多く、取材に行った話題作もその例に漏れない作品だった。司会はそのテレビ局の、バラエティーや情報番組でもよく顔を見る男性アナウンサー。彼の司会ぶりは、自分のためって感じでした。登壇者や客席の反応がちょっと悪かったり、少し遅れただけで「なーんの反応もありませんね」と、いちいちうるさい。登壇者がしゃべっているより、この男性アナウンサーの言葉の方が多いんじゃないかと思うくらいよくしゃべった。あなたの「名仕切り」ぶりを見せるためのイベントじゃないんですけど、ほんとに。
-と、エラそうなことを書きましたが、私たちも「誰のためか」ということを忘れてはいけないわけでして。たまにこんな現場に出くわすと、反省したり足元を見つめ返したりするんです。
May 31, 2006 01:25 PM
2006年05月21日
まず見てから語ろう
映画界でも年に1度ほどお祭り騒ぎ状態になることがある。20日に公開された「ダ・ヴィンチ・コード」がそうだ。世界で5000万部を売り上げた大大ベストセラーの映画化だけに、公開が近づくにつれて、周囲でも期待が高まっているのを感じた。日本映画は映画担当よりも多く見ているほどなのに、洋画に関しては「鎖国してます」と断言するデスクも「この作品は見に行こうかな」と言っているし、年に両手で足りるほどしか劇場で映画を見ない同僚記者も試写会に出掛けて行った。去年公開された「スター・ウォーズ エピソード3」の時もこんな雰囲気だったけど、シリーズものということもあって、スター・ウォーズの世界に入りきれていない人はちょっと遠巻きに、冷ややかだった。「ダ・ヴィンチ-」に関しては、幅広く、いろんな人を巻き込んでいる感が強い。
配給のソニー・ピクチャーズ社内では1年以上前から「800万人動員対策委員会」というすごい名前で組織的に動いてきたらしい。ちなみに800万人は、単価1250円で計算すると興収100億円に換算される。宣伝、劇場営業、ビデオ、テレビ、携帯コンテンツなどの各部署のトップが20人ほど集まり、協議してきたのだとか。また、この「ダ・ヴィンチ-」、1年以上前から5月20日公開が決まっていた。こういうケースも珍しいそうで、たいていは「秋公開」とか「来年正月公開」と打たれる場合が多い。「20日は『ダ・ヴィンチ-』」と決め打ちした劇場側の期待も相当なものだと分かる。
17、18日にはマスコミ向けの試写会も行われたが、この試写状の回収率、ほぼ100%だったそう。試写状をもらった人全員が「見ておかなきゃ」と思ったわけで。これはすごい。もちろん私も、回収率100%の1人です。シリーズ3作品で興収約270億円の「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズの場合でも、回収率9割少し、多くの作品が6~7割ということから見ても、関心の高さが分かる。
ただ、開催中のカンヌ映画祭のオープニング上映では「失笑が起こった」とか「拍手が起きなかった」なんてニュースもあった。キリスト教の暗部を描いている作品だけに、製作段階から賛否両論起こっていたけど、すごい反応。社内でもこの反応を聞いて「あちゃ~、そうなの」という驚きの声が上がった。
この作品がひどい言われようをしたことはさておき、ちょっと心配なのは、これで映画館に行かなくていいや、と思ってしまう人が増えてしまうこと。勢いのある作品が1つでもあることは、映画界にとってもいいことだと思う。やっぱり映画は大っきなスクリーンで見るのが一番。こういう作品をきっかけに、映画館に足を運ぶ人が増えればいい。どうぞ皆さん、映画でもなんでもそうですが、自分の目で見てああだこうだと言ってください。
さて、「ダ・ヴィンチ-」、興収100億円いくかな。映画界にとっていいニュースになればと思ってます。
May 21, 2006 11:23 AM
2006年05月11日
パターン慣れを反省
最近は、映画など製作発表「会見」と銘打ったものでも、質疑応答は一切なく、キャストらのあいさつと簡単な一言で終わる場合も少なくない。何のための会見なのかよく分からないで帰ってくることもしばしばだ。かといって、質疑応答があっても、こちらがパターンから抜け出せない質問をして、ハイ時間切れとなって、がっくし帰ってくることもある。
そんなことを思っていた最近、反省させられたことがあった。山田洋次監督の45年間を見せる展覧会に行った時のことだ。オープンのテープカットのあと、新作「武士の一分」に出演している檀れいと山田監督が一般の人を前にトークショーを行った。その前に報道陣は「囲み取材」と呼ばれる、まあミニインタビューのようなものをしているので、目新しい話は出てこないかなと思って聞いていた。すると女性が「檀れいさんのことを今日初めて知ったんですが、檀ふみさんのご親せきですか」と聞いた。おいおい、檀れいは宝塚出身の娘役トップで、昨年退団した女優だよと知っているので「『檀』は芸名なんだから関係あるわけないじゃない~」と苦笑し、会場からもそういうニュアンスの笑いが漏れた。しかし、檀はこう答えた。「檀ふみさんとは関係ありませんが、檀という字は『まゆみ』とも読めまして。私の本名はまゆみというので、檀という文字を使いました」。ほほぉ。宝塚出身の女優が自ら本名を名乗ることは少ない。思いがけない質問から、へぇが出てきた。パターンを外れることも面白いもんだなと、初心に帰らされた。
こんなこともあった。先日、先輩記者が、人気モデルのエビちゃんこと蛯原友里のインタビューに出掛けようとした時のこと。子供に「エビちゃんにインタビューするんだよ」と言ったら「エビちゃんってエビ好きなのかな」と聞かれたそうだ。その先輩「それは面白い、聞いておこう」と思ったそうで、ちゃんと質問していた、「エビは好きですか」と。エビちゃんは「エビも好きですが、宮崎の実家から送られてくるお米が大好き」と答え、しっかり原稿に生かされている。もし「嫌いだったんですけど、えびバーガーのCMやって好きになりました」なんて言ってたら、マクドナルドも大喜びだっただろうな。パターンにはまっていると、いい意味での「くだらない質問」ができなくなってしまうもんだと、これまた反省したのでした。
もう1つ。若年性認知症を描いた映画「明日の記憶」の「座談会」を取材した。主演の渡辺謙が原作にほれ込んでプロデューサーも務めた作品なので、とにかくこの作品の良さを伝えたいと、会見形式ではなく、渡辺が司会をして共演者や記者と話をしていった。キャストや監督が、観客から質問を受けたりする「ティーチイン」スタイルだ。ざっくばらんな場を設けてくれたのは貴重だったが、座談会がマスコミ向けだったことが残念だった。渡辺は全国で「ティーチイン」をしたり、医療関係者向けの講演会にも出席しているので、今回はマスコミにという趣旨だったのだろうが、少しでも一般の人を入れてほしかったな。私たちの固いアタマからは出てこない変化球が見たかった。
May 11, 2006 09:42 AM
2006年05月01日
メガネをきっかけに
前回、神宮球場のメガネデーについて書いたので、そのご報告です。前回読んでいない方のためにメガネーデーとやらをさらっとおさらい。メガネをかけたヤクルト古田敦也兼任監督にあやかった企画で、プレゼントやメガネにちなんだイベントを行うという、メガネっ子やメガネ好きにはたまらない企画なんです。これはあらためて言う必要もないのですが、私はメガネを掛けた男性=メガネ男子がタイプなので、この企画に心をわしづかみにされたというわけで…。
球場に向かう前、コンタクトを外し、メガネを掛けて準備完了。気持ちが盛り上がってきた! そしてこれまたメガネを掛けた先輩記者と、球場近くのコーヒー屋さんで待ち合わせて乗り込むと、さっそく、イベントが始まっていた。スタンドのメガネカップルを大型スクリーンに映し、キスのカウントダウン。メガネの小学生が始球式を行い、ヤクルトのマスコットキャラクターつば九郎もメガネ姿で踊ってる。段ボールで作った巨大なメガネを持ったカップルが写真を撮ってもらってたりと、なかなかみんな楽しんでいた。メガネに思い入れがないと「はぁ…、それで?」と思うかもしれないけど、楽しげな光景だった。球場に行きたがっていたメガネ男子の友人は「高校時代、体育の教師に一年中『おい、そこのメガネ!』と呼ばれていたのを考えると、メガネ男子の地位も上がったもんだ」と、感心して喜んでいた。
ただ、この日は本当に寒かった…。観客も約1万1000人とちょっと寂しい感じ。メガネ率は高かったけど、午後からの雨が降ったりやんだりと、寒さ倍増。フード付きのコートを着、その上からさらにかっぱを着ていたので、視界は前方約90度。周りのメガネ男子を見回すこともできず、ぶるぶる震えながらスタンドに座ることになった。4回を終わった時点で、雨も強まり、ついに挫折。最後の2回はスタンドに戻ったのだが、雨を避けた売店近くでテレビ観戦してしまった。
それでもメガネにつられて行った3年ぶりの野球観戦は楽しかった。切り取られた空を見ながら、通路を上がって行き、グラウンドが見える瞬間の高揚感を久しぶりに思い出した。テレビで見ていると、プロ野球は画面の中でやっている、ちょっと遠いものに思えていたんだけど、球場に行けば、紛れもなくそこでやっている(当たり前か)生のスポーツだった。さっそく、先輩記者に「また野球に連れてってください」とお願いしてみました。
ちなみに前回登場した「メガネ男子」という本を企画、編集した白畠かおりさんは、デザイナーという本業が忙しく球場には行けなかったそうだが、電話すると「どうでした? またやるんですか??」と興味津々だった。ヤクルトや企画協力したメガネ会社は、好評だったメガネデーに満足しているが「今後またメガネデーを実施するかは未定」とのこと。まだまだ、需要はあると思うので、ぜひもう1度、お願いします!
May 1, 2006 11:31 AM
2006年04月21日
「メガネ」から野球へ
先輩記者からすてきな野球観戦の情報を教えてもらい、今週末に神宮に行くことになった。最後に球場で野球を見たのが3年前。野球を見に行くぞと、久々に気合を入れた理由は「メガネデー」なる企画があるからなのです。
この企画、メガネをかけたヤクルト古田敦也兼任監督にあやかった企画なのだそう。メガネグッズのプレゼントとか、メガネコンテストとかあるらしい。常々、どんな人がタイプ? と聞かれたら、即座に「メガネを掛けた人」と答え、周囲に種をまいてきたことが、こんなすてきな情報になって返ってきました。スタンドがメガネっ子で埋まる風景はさぞ壮観だろうと、鼻血が出る勢いで想像してます。
この企画、この人なら喜びを分かち合えるだろうと思い付いたのは、その名も「メガネ男子」(アスペクト)という本を出した女性たち。帯に「私たちはメガネのキミが大好きです」とある通り、なぜメガネ男子が好きなのかを語り、メガネを掛けている芸能人、著名人を取り上げたりしている。本業はデザイナーで、企画した白畠かおりさんに「メガネデー」を話すと「行ってみたい」と即答。「メガネは文化系の印象で、スポーツとは対極のイメージですよね。その2つが合わさった企画ができるのはうれしいです」と話す。
白畠さん、野球への興味は「普通よりちょっと弱いかも」だそうで、これまで生でプロ野球を見たのは東京ドームで1回だけ。ひとしきり話をした後、最後に彼女はまた「行きたくなっちゃった。ホントに行こうかな」と、ほとんど独白に近い状態で話していた。やっぱり興味津々だ~と、うれしくなったのと同時に、こんなところからでも観客を球場に引っ張ってくることができる、観客を掘り起こすことはまだまだできると感心した。
今年はWBCの余韻、興奮が冷めないうちにシーズンが開幕したこともあって、テレビ視聴率も動員数も上向いているが、私が子供のころに比べると、やっぱりさみしいものがある。でも、この「メガネデー」のおかげで、少なくとも野球観戦から遠ざかっている2人が「野球を見に行きたい」と積極的に思っている。野球好きの知人は「動機が不純だな」と皮肉ってくれたが、いいじゃない。メガネデーにひかれて来た何百人? 何千人? のうち、生の野球の面白さに目覚める人が必ずいると思うんです。
ちなみに、周囲に「こんな『○○デー』があったら球場に行く」を挙げてもらいました。「二の腕デー」(Tシャツでムキムキもしくはプルプルを誇示)「マスクデー」(これは怪しい雰囲気になりそう)「耳の上にペンを載せた人デー」(ギャンブルスタイル。なぜか知的に見えると言った人がいた)。あまりにも不純になりすぎてきたので、この辺で…。
さあ週末は野球だ! メガネだ! 神宮だ! いつものコンタクトを外してメガネで行ってきます。スタンドばっかり見て、ファウルボールを後頭部でキャッチしないように気を付けます。
April 21, 2006 12:27 PM
2006年04月11日
もっと言葉で伝えて
あらかじめセッティングされた場面で、決められた時間の1対1のインタビューをすることが多いのだが、インタビュー=会話のようなもので、会話ベタにとっては本当に難しい。
聞ききれずにハイ終了、タイムアップなんてのはザラ。特に、海外から来日した俳優、女優は15分なんていう恐ろしく短い時間で設定されることもある。これまでの最短時間はある韓国女優の10分。通訳も入るので、実質、持ち時間はその半分。しかも、十数社、時には数十社が2、3日の間に取材をする場合もあるので、1社が時間オーバーしようもんなら…ってことで、取材部屋の中にエージェントやら宣伝マン、その他有象無象がひしめき合っていて、容赦なく強制終了させられる。がっくりと肩を落として部屋を出て行くしかないこともある。
それでも、海外俳優たちはインタビューに対して積極的だ。短い時間でも「僕、私を知って」という雰囲気をガンガン出してくる。質問に対する返しが長いのも、彼らの特徴かもしれません。「長っ~」と思ってドキドキしながらも、もっと知りたい、もっと時間があったらと思わせられる。取材が苦手な人も、時差で激しく眠い人もいるけど「この機会を逃すものか」という、どん欲さが伝わることが多い。
何年か前、もうすぐ公開が楽しみな「ダ・ヴィンチ・コード」に出演している女優オドレイ・トトゥを取材した時。日本でもヒットした「アメリ」で人気になった人なのだが、どうしても不思議ちゃん少女、アメリのイメージから抜け出せず悩んでいる人だと思っていた。新作の話をして、それから…と、流れを考えていたところ、彼女は部屋に入るなり自分から「『アメリ』の女優、なんて言わないでね。言わせたくないな、あははあ」と笑った。これだけで、彼女の負けん気や、もどかしさが伝わってきた。
日本人はどうかというと、言葉が伝わる分「そこまで言わなくても、察してよ」となることも多い。こちらもその場で「察した」としても、文字にしようと思うと、その人自身の言葉ではなくなってしまうので、結果的に書き手の主観が入ることになる。お互いに十分に理解し合えないままの記事が出来上がってしまうこともある。「国民性」うんぬんを言うのは、型通りのようにも思えるが、やはり日本人はシャイだし、思慮深さが美徳という姿勢の人が多いような気もする。もっと、言葉を繰り出してくれたら、と思うこともある。
もちろん、こちらの勉強不足や、コミュニケーションの下手っぴいさが足を引っ張ることもある。怒られたことも、思い出したくない人もいる。ちなみに、これまでNO・1怒られた、というより、しかってくれたのは演出家の故久世光彦さん、作家の京極夏彦さん、かな。怒りの言葉を投げ掛けてくれるのは「おれのこともっと分かってくれよ」ということでもある。かえってそういう人のインタビューが、後で思い返せば心地よかったりする。
April 11, 2006 11:22 AM
2006年04月01日
著作権は誇りと責任
映画でよくあるディレクターズカット。劇場公開から間を空けて公開したり、DVDなどで「完全版」などと銘打って発売する手法が多い。公開時に上映時間や表現などの問題から、削られてしまった部分を復活するパターンだ。新たな発見があって、なかなか楽しい。モーツァルトが主人公の、米国の「アマデウス」(85年)という映画が好きで、何度もビデオで見ていたが、4年ほど前にディレクターズカットが公開された。復活した約20分のシーンのおかげでごく自然に物語が進行し、ない方が不自然だったんだなと感心した記憶がある。
こういう驚きなら大歓迎なのだが、最近、韓国の某作品でディレクターズカットならぬ、海外公開バージョンと韓国公開バージョンを立て続けに見た。バージョンが違うといっても、そうそう変わらないだろうと思っていた。しかし、オープニングから、雰囲気も焦点を当てる人物もまったく違っていたので、物語にというより、これどうなってんの、という方で引き込まれてしまった。
どうやら、俳優が所属する事務所の「うちのイチオシ、何でこんなに目立たないんですか。編集し直してください」という猛プッシュでこういう事態になったらしい。監督は譲れない部分もあったようで、海外では本来のバージョンで上映してほしいということになったそうだ。どちらが好きかは、好みの問題なのだが、ここまで変えられてしまうのもどうなんだろうか。
日本でも同じようなことが起こる。そもそも、監督に著作権はなく、製作会社もしくは複数社による製作委員会にある。映画監督協会は「映画監督って何だ!」という作品を作って、著作権を自分たちの手に、という運動を始めた。この映画の話を聞いた時、すぐにディレクターズカットを思い浮かべたが、当の監督たちにとっては、それだけの単純な問題ではないらしい。作品の広報をする梶間俊一監督は「誇りの問題」と話す。アイデンティティーを持ちたいのだ、と。
監督が気に入らなければ上映されなかったり、名画座にかからなくなってしまうといった危ぐは否定する。まず、著作権を持っていて、それを契約で貸し出す形にしたいという。アイデンティティーを確立したいという言葉が、あの韓国作品を見ると、実感をもって伝わってくる。
150人以上の映画監督がスタッフ、キャストとしてかかわった「映画監督って-」は、3月24日に東京・池袋の新文芸座で特集上映の一環として5回、上映されたが、その後の劇場公開は決まっていない。まだまだ監督たちの求めるものは遠い印象を受けるが、この作品だけでも見る機会が増えるといいと思う。
そういえば梶間監督、「好きに書いてください。あなたに『著作権』があるんだから」と言っていた。実際には著作権は会社にあり、デスクの手直しで跡形もなくなるなんてこともあるのだが、著作権って、誇りだけじゃなくて「責任」なんて言葉も想起させるんだな。
April 1, 2006 12:06 PM
2006年03月22日
32歳“自分の居場所”
私事ですが、おとといは誕生日でした。年齢なんて気にしません。なんて気負っていても、やっぱり気にしてしまう。ああ、32歳、今の自分は望んでいた姿なのかとか、この先は…とか。誕生日なんてなかったことにしようかとも思ったが、今度レンタルビデオの会員証を更新するときには「32歳」って書かなきゃいけないし、このコラムのプロフィルだって書き換えなきゃ。何人かの友人や家族からの「おめでとうメール」も複雑な気持ちで眺めてしまった。
何日か前、40代半ばの俳優にインタビューした。新作映画では年齢相応のさえない中年男を演じていた。それまでのパワフルなイメージとはあまりに違っていたので「年齢をさらけ出す役って勇気いりませんか。老いていくことを認めるって怖くないですか」と問うた。彼はこう答えた。「気負うのは自分や自分の居場所が好きになれないからですよ」。トップで活躍し続ける彼だからこそ言える言葉だと思い、すっと染み込んでこなかった。遠い世界の、遠い言葉という気がした。あるいは、彼も気負いを隠しているのか、とも思った。
誕生日にもらった友人からのメールの1つに、これまでの職場を辞めること、同じ職種だが新しい場所で頑張ることなどの近況がさらりと書かれたものがあった。その人はかつて自分の仕事について「私の天職だと思う」と言ったことがあったのだが、その言葉を実践している決断は、生活の計に仕事をしているような毎日を過ごしていた私には、果てしなくうらやましい決断に思えた。「何かを見つけたい」とか「本当にしたいこと」なんて言葉、本当に大っ嫌いで、こっ恥ずかしいだけなんだけど、心の底ではそんな言葉が渦巻いているのも確かだ。
さて、その19日、芸能取材の現場は、ちょうどWBCの日本-韓国戦と時間が重なり、ソワソワした雰囲気に包まれていた。そこにいるほとんどの人が、携帯で試合速報を見ていた。タレントが登場する直前、報道陣の1人が、会社でテレビを見ている人からの「速報」メールを読み上げた。「福留が先制2ランだって」。全部で15人くらいしかいない現場だったけど、確実に全員が「おぉ~」っと声を上げた。いつもは冷静な某テレビ局のリポーターが、本当に跳びはねていた。直後のタレントへの質問に、野球の話題が加わったことは言うまでもない。タレントもひときわテンション高く「王ジャパン、おめでと~!」。むりやり感も否めなかったけど、ひねくれた(?)人たちがそろっている芸能の現場が、そわそわしちゃう出来事はそうそうないんです。
本当にちっちゃいことですが、ちっちゃくても生に直結してる雰囲気を味わえるのは現場にいるからこそ。「遠い世界の言葉」とか「うらやましい」なんて思っていたけど、こんな雰囲気が好きなんだな、と。ちっちゃいと言えば、その日の夜「遅くなつたけど誕生日おめでとう」という、ちっちゃい「っ」を打ててない家族からの携帯メールを見て、もうちょっと頑張ってみるか、とも思ったのでした。
March 22, 2006 10:11 AM
2006年03月12日
舞台あいさつでの錯覚
「しずかちゃん」フィーバーが徐々に収まってきたところだが、最近また「しずかちゃん」に驚かされることがあった。
「ドラえもん」の新作映画が封切られ、初日の舞台あいさつ取材に行ったときのこと。そう、これはアニメの話です。舞台にはドラえもんたち、レギュラー陣の着ぐるみが登場して掛け合いを始めた。そして、しずかちゃんのミニスカートからチラリと「赤」のパンツが見えたのだ(事実は後に判明)。「子供たちに見えませんように」と、軽く祈ってしまうくらいの濃い赤。くぎ付けになった。
確か、1カ月前のイベントでも濃い色だったはず。ノートには「しずかちゃんのパンツが黒? 赤?」と、直球の疑問が書いてある。終了後、親子連れと話してみたら、私と同世代とおぼしきお母さんが「赤でしたねー、ちょっとびっくりしちゃった~」。2人で「しずかちゃんのパンツは白ですよね」と納得し合って別れたことがあったのだ。スカートが赤だったので、白のパンツがチラリするより、スカートと同化するほうがいいんだろう、と推測した。初日でもやっぱりパンツの色は変わっていなかったので、制作した人に、あえて赤にした理由を聞いてみた。
着ぐるみ制作を発注した小学館プロダクションの方から返ってきた解答は「赤のパンツは作ったことがありません」。えっ、確かに見たんです、私だけじゃないんです、本当ですか、本当ですか…、としつこく聞いてみても「白です。赤ということはないです」。さらに「スカートの色が投影されて赤に見えたのかもしれませんね」などという分析をしてくれた。
目の錯覚? すごい錯覚したなー。いまだに思い出せるくらいの赤が目の錯覚なんて! 聞いてみないと分からないものです。こんな質問に、いろんな方に聞いて答えてくれた小学館プロダクションの方、ありがとうございます…。あのお母さん、パンツは白ですよ~。
それはそうと「ドラえもん」に限らず、最近はアニメのアフレコを有名俳優がやることが多い。子供のころはあまりなかったような気がする。どうやら90年代半ばからゲスト声優として、俳優に入ってもらうことが多くなってきたようだ。注目度を高めたいという製作側の意図も分かるし、取材している私たちも名の知れている俳優たちを中心に書いてしまう。ただ、本職の声優たちにとって疑問に思うこともあるようだ。ある人は「作品が注目されるのはうれしい」と言いながらも「この人じゃないと、という理由付けが分からないことがある」と話していた。以前、アニメ映画のイベントで、お笑いタレントがゲスト声優として登場したことがあった。キャラクターをおちょくるなど、はしゃぎっぷりが度を越していたので、舞台の隅っこに追いやられた主役声優が激しくにらみつけていたことがあった。これは目の錯覚じゃなかったんだな。ちっちゃなことでも、生で見るといろんな面白いことがあります。
March 12, 2006 09:24 AM
2006年03月02日
新真打ちの本分とは
皆さん、注目ですよ~。トリノ五輪にくぎ付けだった人も、こっちで~す。
今日、落語協会に新真打ち5人が誕生する。昨年の正蔵襲名やドラマ放送などに比べると「ちょっと地味じゃない」なんて言う人もいるし、実際、新真打ちの名前を言える人が少ないのも確か。それでも、ファンにとっては楽しいイベントであることは間違いない。
さて、昇進直前夜、5人のうちの1人、柳家さん光改め甚語楼師匠(37)に話を聞いた。昇進を目の前にした人ってどんな気持ちでいるんだろう、と…。ちなみに、名前が変わるのは大体3月のうちにということで、明確な線引きはないそうだが、連絡先の「はい、柳家さん光です」という留守電はいつ変えるんですか、としつこく聞いたら「じゃあ、1日から変えましょうか」とのことだったので、もう甚語楼師匠でいかせていただきます。
お会いした師匠、「緊張…、期待は特に…。披露目が無事に終わるかという不安はありますけどね」と、意外と淡々とした様子。直前夜の高揚感を聞きたかったので、拍子抜けするくらいあっさりしていた。そのあっさり感はどこから、と思って話を聞いていくうちに「私たちは『ちゃんとやって』ればいいんです」という言葉が出てきた。師匠にとっての「ちゃんと」とは「いちげんさんも常連さんも喜ぶようなことをやるってこと」とのこと。いわく「初めて落語を聞く若い人たちがたくさん来たとしても、無理に現代風のクスグリ(ギャグみたいなもの)を入れたりしない。といって常連さんが引くようなこともしない、両方に分かるやり方が必ずある。本分はそこ」と。落語家にはそれぞれ「ちゃんと」や「本分」があるんだろうけど、甚語楼師匠は自分がやる「ちゃんと」を分かっているからこそ、この静かさなんでしょう。
いちげんさん、常連さんの話を聞いて不満を思い出した。最近、落語会はいつも常連さんで満員。いちげんさんと常連さんが同じような配分で集まれる場が少ない。先日、東西、協会の垣根を取っ払って活動している「六人の会」が中心となって行う落語会「落語アーベント」の開催が発表された。5日間開催で各日60席限定。あ、あまりにも少なすぎ。チケット取れる気がまるでしない。先輩記者とも「『六人の会』って落語界活性化とか、もっとたくさんの人に落語を知ってもらおうってことで立ち上げんじゃなかったっけ。関係者ばっかで埋め尽くされるのかな」と、不満たらたらで意見が一致した。出演者を見ただけで行ってみたいと思わせるだけに、もったいない気がする。
ちなみに、甚語楼師匠、新真打ち5人の中で私が個人的に一番注目しているんです。「敷居を飛び越えてきてくれた人を引き留める自信はあります。ちょっとだけね」と言ってくれてます。21日から4月30日まで上野、浅草、新宿、池袋と4つの寄席を回る襲名披露興行は、キャパも大きいので入りやすいはず。春の華やかな興行、行ってみたくなったでしょ。
March 2, 2006 12:11 PM
2006年02月20日
がばいおばあちゃん
先日、芸能面の連載で高田文夫氏が、映画に絡めて「おばあちゃんブームが来るかも…」と書いていたが、何だか鼻の奥がツーンとしてしまった。
両親が共働きだったこともあって、おばあちゃん子だった。和裁が得意で、行儀に厳しく、暑い日も寒い日も、庭や畑で作業していた。学校から帰るとおばあちゃんがいて-祖母と書くべきなのかもしれないが、あえておばあちゃんで書かせてもらいます-、夏休みも冬休みも、両親がいない家では、ほとんどをおばあちゃんと一緒に過ごした。
高田氏の連載が載った翌日、タイミング良く、その映画「佐賀のがばいばあちゃん」の完成会見に行くことになった。B&B島田洋七が佐賀でおばあちゃんと過ごした子供時代を描いた作品で、「がばい」は「すごい」という意味の佐賀弁。貧乏でも明るくパワフルに生きたばあちゃんと、ばあちゃんと過ごした日々を見る目は本当に温かい。
実は、ちょっと避けたい取材だった。ばあちゃんという文字を見ただけで、もううちのおばあちゃんにすり替わってしまう。鼻の奥がツーンとしたのは、懐かしさだけではなく、正月からこっち、おばあちゃんのことを思い出すのがつらかった。
しゃんとしていたおばあちゃんの頭の中で、ちょっとした変化があった。その変化は2年ほど前から何となく現れ始め、ここ1年でさらにはっきりしてきた。大みそか、こたつで紅白歌合戦をうだうだと見ていたら「あけましておめでとう」。手にはお年玉を持っていた。「お正月は明日やからさ…」と押しやったが、何だかすごいショックで顔を合わせられなかった。
一緒に暮らしている両親は慣れているらしく、うまいこと対応してるし、割とあっけらかんとしていた。頭の中がすっきりしている時もあるようだけど、年に2回帰省すればいい方の私には激しすぎる変化だった。
今思えば「ありがとう」と言って受け取るべきだったのかもしれない。「明日…やったかね?」と言って自分の部屋に戻って行くおばあちゃんの後ろ姿を思い出すたび、繰り返し後悔している。大みそかの夜、31歳の私に、お年玉を持ってきたおばあちゃんの頭の中では、どんなことが起こっていたんだろうか。孫が帰ってきたといううれしさが引き起こしたんだとすれば、うれし悲しい気持ちになる。
おばあちゃんの思い出には楽しいものも多いけど、やっぱり後悔するものもある。学生時代、突然おばあちゃんが戦中戦後の話をしてきたことがあった。中国にいたこと、赤ん坊だったうちの父と一緒に引き揚げてきた時の話…。何だかよくある、どこかで聞いた話のような気がして、聞いていたけど、真剣に聞いていなかった。なぜ「おばあちゃんの話」として聞くことができなかったのだろう。なぜ、あの時、私にあの話をしたのだろう。
おばあちゃん、頭の中がすっきりしてる時、またあの話してくれますか。
February 20, 2006 11:10 AM
2006年02月10日
誰の為なんでショー
この1週間で印象的だった取材をいくつか。
ヒューザー小嶋進社長といい、東横イン西田憲正社長といい、言わずもがなのライブドア堀江貴文前社長といい、最近は社長自らの「パフォーマンス」というか、空回りが目立つ。そんな中、あるイベントで笑っちゃうような、社長のパフォーマンスを見た。
ある製薬会社の新製品と新CMの発表会見だ。30代女優がキャラクターに起用されたことを芸能紙面で扱うため、記事も写真も当然彼女狙いで出掛けた。派手な音楽と照明のオープニングで登場したのは、その会社の社長。あらら、と思ったが、女優狙いではなく、製品そのものや当該の社狙いの記者もいるので、それは私の勝手な肩透かしなのだが、その後の進行は「いったい誰のための発表会なのか」と思わざるをえなかった。
その社長、登場した時はシャツのボタンを2つまで外した「ちょいモテオヤジ」スタイル。そして、女優とのトーク部分では、スーツも替えブルーのシャツにネクタイ姿。さらにびっくりしたのは、マスコミ向けの写真撮影でさらにもう1度着替えてきた。当の女優でさえ、登場から撮影までドレス1着で通した。ま、普通そうだろう。何だか社長のショーを見せられた気がした。お色直しに意味があったのかと考えたが、やっぱり目的が分からなかった。これって何のため、誰のためだったの。帰りのエレベーターに乗り合わせた人が「相変わらず派手だけど、むなしいよな」とつぶやいていたのが印象的だった。取引先なのか自社社員なのか分からなかったが、少なくともだれかにむなしい思いを抱かせたことは確かなわけで。
社長が無意味に「ショー」をする会社は、消費者もそっぽを向く。そういえば、製品説明もやたらと片仮名とアルファベットの略語が多くて、その半分くらいしか説明がなかった。女優目当てで仕事に来た私でも、もしかしたらお客さんになったかもしれないのにね。
この欄で2度ほど書いた日本映画「バッシング」がやっと5月末に劇場公開されることになった。中東で人質→解放→帰国後のバッシングに遭う女性を描いた。カンヌ国際映画祭に出品されたが、テーマの重さもあってなかなか日本で公開が決まらなかった。東京フィルメックスという映画祭で上映された時に小林政広監督は「もうこの映画の公開うんぬんについては話したくない」と言うほど、ナーバスになっていた。取材する側にとっても、どうしても内容より公開の可能性に焦点が集まっていたので、ちょっと申し訳ないような気持ちになった。そこへ届いた朗報。パリ滞在中の小林政広監督に電話すると「たくさんの人に見てもらいたい」というごくごくシンプルな願いを口にした。このシンプルな願いが今までかなわなかったのか、と感慨深さが。見るか見ないかは観客が選べばいい。スタートラインに立てて良かった。
February 10, 2006 11:32 AM
2006年01月31日
金か権力か…世相か
小さなことですが、私の周囲にもやってきました、「ホリエモン余波」です。
以前から「金か名誉か権力か、1つだったらどれが欲しい?」という問いをするのが好きなのだが、この回答にちょっとした変化が。逮捕後「権力」と答える人が急増ってほどでもないけど、明らかに増えたような気がする。以前はお金と権力が半々くらいだっただろうか。「面倒くさいことは嫌なので、とにかく金だけ持って、好きなことをして暮らしたい」と言った人に、あらためて聞いてみた。うーんと腕組みをし、迷った末に「権力、でもいいかな。だって、金がうなってても、踏み外すってことでしょ。権力って面倒くさくても後々役立つかも」と、消極的ながら方向転換していた。
質問がくだらないというのは百も承知。でも、その人が3つのうちのどれを選ぶかということ以上に、その後にくっついてくる理由がその時々、それぞれで面白い。今回みたいに、同じ人でも自分や周囲の変化で、回答が変わることもある。ま、今だからこそ、金とか権力というキーワードで、ホリエモンを思い出す人がいて、逆に彼のことを考えるとこんなキーワードがくっついてくるということは確かなようで。
これまで質問をした人は100人を超えていると思う。今になってみれば、メモを残しておけばよかった、と少し後悔するくらい。話に困ったときの接ぎ穂でも、少し親しくなった人にも、この問いを許してくれそうな雰囲気があればすかさず。取材相手にも、インタビューを終えて雑談が始まった時に「ところで…」と切り出すことも。
中には「そのどれでもなく、温かい家庭」と答えた人や、しみじみと「女性」と言った人もいた。その理由はそれなりに楽しませてもらったが、変則的な答えはここでは置いといて、集まる回答が増えるにつれメモを取らずとも気になることがあった。それは「名誉」と答える人がいないこと。見事なほど、いない。「余波」の後も相変わらず人気がない。ある人は「名誉と言いたいけど理想論。現実を考えるとお金」と。別の人は「いかに今の社会の中で、名誉が名誉でないか。名誉だけじゃ食えない」と話していた。3つの中では一番、毒々しさや生々しさがない分、実体や輪郭がつかめない感じ。即物的で分かりやすいものしか選ばれない傾向が世の中にあるのかもしれない。それも分かる。
最後にまた書きます、落語のこと。ちっちゃい「余波」を感じましたとも。逮捕後2度、落語会に行った。2つとも出演者が5、6人。このうち半分くらいがマクラ(本題に入る前のお話)でホリエモンに触れていた。「皆さんが笑っている間、3畳半の部屋で過ごしている方もいるわけで」ってな具合。みなまで言わずとも…である。今なら落語に限らず、生のものに行けばどこに行ってもそうなんだろう。
そういえば欲を扱った話のマクラで、こんな歌が紹介されることがある。「欲深き 人の心と降る雪は 積もるにつれて 道を失う」。うまいね。
January 31, 2006 12:00 PM
2006年01月21日
披露しすぎた常套句
ある映画の試写会に行った時のこと。ゲストのグラビアタレントが、映画の感想を聞かれ「完パケもらって見たんですけど、すっごく面白かったです!」と答えていた。完パケ。会場の一般の観客を代表する気持ちで、心の中で軽く突っ込んでおきました。「分かんないよ、業界用語使われたら~」。まあ、文脈上、推測はできる。ビデオをもらって見たってことなんだろうな…って。
ちなみに完パケは「完全パッケージ」の略で、テレビとか映画の試写のために作られるビデオのこと。番組そのものってわけです。ただ、少なくとも芸能担当になる前は「完パケ」なる言葉は、使ったことも使う場面もなかったし、自分の語彙(ごい)にはなかった。今でこそ分かる言葉の1つだ。
最近はバラエティー番組も楽屋話てんこ盛りで、業界用語も笑いの要素にもなる。完パケくらいは通じるのかもしれない。でも、分かるだろうと思って使っている言葉が、意外と浸透していなかったりするのも確か。ちなみに映画の「プレミア試写会」はどうだろう。その場所の最初の試写ってことで、ジャパンプレミアなら日本で最初、ワールドプレミアなら世界で最初、ヨーロッパプレミアなら…ってな具合です。何の疑いもなく使っているけど、分かりやすく「完成試写会」でいいような気もしたり。まあ、プレミアの方が華やかな雰囲気がするんだけど。
一方通行にならないように気を付けなきゃと思っているところへ、私の原稿を読んだ友人からメールが来た。清純俳優がイメージチェンジしたという記事なのだが、友人のメールは苦笑いの絵文字入り。「『無精ひげ姿を初めてファンの前に披露した』って何だかな~」。つまり、大げさじゃない? ということでして。
「披露した」は、記事でよく使うフレーズではある。少し軟らかめのニュースなどの場合で、そんなシチュエーションがあれば「花嫁姿」でも「完成した豪邸」でなくてもいい、それこそ「丸刈り」も「毒舌」でも、「披露」させちゃう。でも、友人に言われてみて「確かに無精ひげ姿は『披露』じゃなくてもよかったな」と思った。業界用語に限らず、常とう句にどっぷり漬かっているのかもしれないと、少し反省し、少し新鮮な驚きをもらった。
ほかにもよく使うフレーズはある。例えば「切り捨てた」などだろうか。そのままの、切って捨てるという意味以外に、非難したり、苦言を呈したり、反論した時に使う。「ばっさり切り捨てた」なんてなると、2倍くらい厳しい言葉になる。雰囲気がよく分かる言葉だと思うのだが、もしかしたら、さっきの友人にとってはこの言葉も「何だかな~」の部類に入るのだろうか。
会話も記事もコミュニケーション。ひとりよがり感をたっぷり披露して、ばっさり切り捨てられないよう、気を付けようっと。
January 21, 2006 11:57 AM
2006年01月11日
ケースに入る窮屈さ
正月早々、韓国の若手俳優の新作映画取材でソウルに行ってきた。2泊3日の日程の中で半日、時間ができたので、ヨン様ことペ・ヨンジュンの記念館に行ってきた。前もって言っておくが、私は特別なヨン様ファンではありません。あくまでも、今後の仕事の資料というか、参考というか。フラットな気持ちで行ってきたお話なので、多分いるであろうアンチの方も、この先をどうぞ。
所属事務所として使っていた一軒家をそのまま記念館にした4階建ての建物内部には、彼の写真や映画の台本、衣装などが数百点、展示してあった。来日した時に着ていた、ピンクのジャケットもマネキンに着せられていた。そして、ガラスケースの中には、トレードマークの眼鏡のほか、ハンカチ、ネクタイ、香水ビン、ネックレスまでもが飾ってあった。
生きながらにして、ガラスケースの中に収められてしまった人-。
ファンではなく仕事の延長のつもりで行ったという最大の大前提があるにせよ「日本で社会現象を起こすほどの人気俳優の記念館に行った」という高揚感というか、話のネタにでもという楽しさは感じることができず、何となくさみしさをおぼえてしまった。
こんなさみしさを一体どうして感じるんだ、どう言葉で表せばいいんだろうと、自分で理解できずにいたが、帰ってきてすぐに読んだある本のエピソードで、ストンと解決した。その本は落語家の名人列伝なのだが、4年ほど前に亡くなった、好きだった師匠のことも書いてあった。うっとりするような美しい言葉やしぐさ、空間そのものをどこかに連れて行ってしまうような、それでいて強引というのではない、さわやかな笑い。そして、名人とたたえられるにつれて深くなっていった苦悩もつづられていく。そして筆者のこんな言葉に当たった。
「彼がいたことは私たちの幸せだったが、個人の幸福は違ったところにあったのではないか」。
ガラスケースの中に収められてしまったヨン様を見て感じた気持ちとシンクロした。「彼は望んでいるのだろうか」と。もちろん、大切にするファンのためにということは十分、分かる。でも彼は現役で活躍中だ。これからも活躍し続ける人だと思うし、ケースに収まるのはまだ早いのではという気持ちもあった。「こんな大それたことになって」かえってきゅうくつなのではと思ったのだ。
ヨン様に限ったことではない。好きすぎる気持ちは、たくさんの人を小さな箱の中に押し込み、きゅうくつな思いをさせているのかもしれない。芸能界でもスポーツ界でも活躍途上でケースの中に収まっている人々は多い。きゅうくつだ、なんてみじんも感じていないのかも。それでも、これからどんなケースを見ても同じようなことを感じ、ほんの少し心配してしまいそうだ。「本当に望んでいるんですか、これで生き方がきゅうくつになりませんか」と。本人しか知り得ることではないので分かりませんが、いつか聞いてみたいです、ケースに入ってる人々に。
January 11, 2006 11:05 AM
2005年12月31日
映画の魅力、新旧なし
今年もいい映画にたくさん出会った。
28日に、日刊スポーツ映画大賞・石原裕次郎賞授賞式が行われた。「パッチギ!」や「ALWAYS 三丁目の夕日」といった温かい作品がたくさん賞を取った。本当にいい作品に出会えて良かった、楽しんだな、と純粋に思えた。この2作品は、社内でも観賞率がすごく高くて、私がいる部の平均年齢40ン歳のデスク4人では観賞率100%だ。月に何回か夜勤番があるのだが、そういう時はゆっくりデスクと話す時間があったりする。当番デスク2人がどんな組み合わせでも、1度は両作品の話が出たような気がする。ああだこうだと話しだすと結構尽きなかったりして、こんなにいろんなパターン、バージョンで、特定の作品について話すことは珍しいもんだな、と思った。
「パッチギ!」は最初、東大の講堂で行われた試写会で見た。講堂も超満員。寒かったし、いすは硬かったし、映画を上映する環境としては決して良くはなかったけど、最後にはその状況を忘れて入り込んだ。学校で上映してくれた映画で入り込んだのは、中学のころ、オリビア・ハッセー好きの体育教師がお薦めした「ロミオとジュリエット」以来だ(保健の時間に見た)。映画を見て、監督の話聞く東大の講義、うらやましかったなあ。
「ALWAYS-」は劇場で、真夜中すぎ開始の回にもかかわらず、8割以上埋まっていた。酔っぱらいもカップルもいた。思い入れありそうなおじさんが、上映中にスクリーンを指さしながらデカ声量で「そういえばさ~、ああいう家がさ~、車がさ~、冷蔵庫がさ~。懐かしいよ~」と隣の人に話し続けていた。劇場の状態は、この映画の吸引力そのままだった。映画館へなかなか足を運ばなかった人たちも集客したというのは大げさではない。おじさんはうるさくてうっとうしかったけど、今となってはこの映画を語るほんの少しの材料をくれて、ありがとうってな感じだ。
楽しい出会いは新作だけではなかった。映画大賞授賞式前日の夜、会社の大先輩から薦められて「瞼(まぶた)の母」という、62年公開の東映作品を見た。幼いころに生き別れた母の面影を求めるヤクザな男「番場の忠太郎」が主人公。舞台は江戸でも、どの時代にも通じる普遍的な母恋しのストーリーだ。翌日早起きしなくちゃいけないし、ちょこっとだけ見て、残りは後日になんて思っていたのだが、中断できなかった。「ちゅ、忠太郎~、しっかり~」と、もしかしたら間違っているかもしれない声援を送りながら最後まで見た。恋愛ものより親子ものに弱いとは思っていたけど、やっぱり泣いた。
その先輩が教えてくれなかったらきっと、出会えなかった作品だろうと思うと、縁もひっくるめて思い出深い1本になった。来年もいろんな映画との出会いや縁を楽しみに、忠太郎に触発された私は、おっかさんに会いに故郷に帰ろうと思う。皆さま、良いお年を。
December 31, 2005 10:18 AM
2005年12月21日
人を表す!?爪、におい
画面やスクリーンを通して見ている人たちから、ほんの少し生っぽい部分を感じる時がある。この1年間のノートをめくってみると、私はつめとにおいにとても興味を持ってきたことがあらためて分かる。つめとにおいの話なんてまとめて書くことはこの先もないだろうから、ここで放出します。
つめの印象ベスト1は、ハリウッド俳優ベニチオ・デル・トロ。「目で妊娠させる」と言われるほど色気のある俳優。各国記者との合同インタビューに参加した時、髪の毛ボッサボサ、初夏なのにネルシャツに革ブーツ、革パンツという、季節感ゼロの格好で登場した。一番近くに座っていたので、まじまじと観察してみると、つめが伸びていて汚れていた。ノートには「つめ汚い!!」と書いてあるくらい。それでも映画の雰囲気そのものでセクシーだった。ごつい指輪をはめた指で頭をかきむしりながら、低音ボイスでだるそうに話す。取材を受けるという設定を前にしてこの汚れっぷり。堂々登場したデル・トロをますます好きになってしまった。
もちろん、きれいで印象に残った人もたくさんいる。こんなつめ見たことないというくらい美しかったのは、香港俳優ジェット・リー。「ものすごくキレイなつめ!」と書いたノートの文字を、さらに赤でぐるぐると囲んでいる。もちろん、アクションで相手を傷つけないためということもあるのだが、撮影の2カ月前から山にこもるというストイックさや、静かにたたずむ雰囲気が、短く切りそろえられたつめとものすごくマッチしていた。
もう1人は当欄で何度か書かせてもらいました、落語家春風亭昇太。取材する前からよく高座で聞いていた人だったので、ちょっと照れた。目線が下がりがちになって、ふとつめを見ると、これがめちゃくちゃきれい。理路整然とした話とつめからきちょうめんさを感じた。もう1人はオカマキックボクサーとして有名になったタイのパリンヤー。今はタレントとして活躍している。現役時代の新聞を見せると「恥ずかしい」と言って、かわいらしく手で顔を覆った。そして、目に入ったのは完ぺきに整えられていたつめというより、ネイル。身も心も女性になった喜びがあふれ出ているようだった。
次はにおい編。やっぱり印象度NO・1はデル・トロ! つめが汚いからといって臭いわけじゃありません。ぎゅう、と音がする革ブーツと革パンツから、革のにおいが強烈に漂っていたのだ。すてきです「デル・トロ臭(しゅう)」。韓国俳優チャン・ドンゴンは、真夏で30度を超える野外ロケの中、オレンジ系の香りを残してさっそうと立ち去って行った。かっこよすぎるよ。
ほかにも、きれいな衣装でつめがボロボロだったアイドルもいたし、ニンニクのにおいをプンプンさせてインタビューを受けた人もいた。そんな特徴的な人に出会えるとかえってうれしかったりする。やっぱり原稿にはあんまり生かせなさそうだけど、来年もいろんなつめとにおいに出会えますように(?)。
December 21, 2005 10:58 AM
2005年12月11日
年齢別の考え方とは
最近、相手の年齢を意識する取材が続いたので、年齢別に感じたことを少しずつ。
45歳 2週間に3人の45歳男性を取材。映画プロデューサー、落語家、俳優。3人ともトップスピードで走っている人たちだ。このうち2人が、言葉は違えど「次世代」について話していたのが印象に残った。「自分たちがしてきてもらったように、次に返したい」「そろそろ『次世代』を考える時期に来た」。もう、そんなことを考えているのか、と意外な気がしたのだ。まだまだ1人で走り続けてもいい年齢のような気がするし、「次」が嫉妬(しっと)の対象になっていいほど若い。3人の45歳の残る1人、某俳優も「映画における自分の責任」について話していた。おそらく、頭の中にはもう「次世代」があるのかもしれない。
近くにいる40代半ばの男性に「次世代なんて考え始める年齢ですか」と聞くと、酔いながらも「考えてます」と即答。前後不覚で、しょうゆの小皿にひじを突っ込みながらも、とても真剣だった(ような気がする)。私から見たら、45歳ってまだまだ「次」を考えるのは早いと思うけど、実は自分のスピードをきちんと計れる年代なのかもしれない。
ただ、40代半ばというとちょっと危うい印象も持っている。昨年は脚本家の野沢尚さんが、最近は作家の見沢知廉さんが、それぞれ44歳、46歳で自殺した。ニュースを聞いて「また40代半ばだ」と思った。危うさを裏付けるようなデータがある。警視庁の統計によると、昨年の自殺者約3万2000人のうち、40代は約5000人。グラフは40代で急に角度をつけるのだ。スピードが速すぎて景色が見えなくなってしまうのだろうか、それとも、周りのスピードに付いていけなくなる自分に気付くのだろうか。
0歳3カ月~73歳 映画会社が開催した新人女優オーディションの応募者の年齢。0歳3カ月は何となく背景が想像できるのだが、73歳はすごい。応募しようと思うこと自体がスゴイ。頑張るな~というのと、恥じらいはどこへという気持ちと。「私の青春はこれからです」と添え書きがあったとか。そのオーディションで、10代半ばの子供たちが「癒やしや元気を与えられる女優になりたい」とアピールしていたのは、ちょっと切なくなった。「自分が楽しみたい」と堂々と言ってくれた方がいい。そんな年齢でいいんじゃない。そっちの方が、その子自身が輝く気がするんだよな。
31歳 隣のページを1枚めくった芸能面にある「アジアンスター」のムン・ソリ。彼女と私は同い年のようです。女優としてだけでなく、最近は映画祭審査員など、映画人としての役割を求められるようになってきた。「映画がかかわるものにはできるだけ参加したい」と繰り返した言葉が、言葉だけではないことは、撮影の合間をぬって映画祭に駆け付けることからも分かった。そこまで好きなことに出会えているのがとても、うらやましい。
December 11, 2005 11:41 AM
2005年12月01日
映画は見てから語る
何カ月か前の当欄で「バッシング」という映画について書いた。中東へボランティアに行き、帰国後バッシングを受けた女性を描いた作品だ。カンヌ映画祭に出品されたのに日本での公開が決まっていない、タイトルから受ける「リスキーな」イメージは何もない、というようなことを書いた。さて、「バッシング」のその後はこうです。
日本公開はまだ決まっていない。しかし、いいこともあった。27日に閉幕した東京フィルメックス映画祭、コンペティション部門で最優秀作品を取った。審査員の1人は「日本でこういう作品を撮るのは勇気がいることだったと思う」とたたえた。
賞を取ったことも素晴らしいのだが、私は劇場で、多くの人々を前に上映された時の方が印象に残った。拍手もあったし、すぐに席を立って劇場を出る人もいた。言ってみれば、ごく普通の反応がそこにはあった。そうなのだ、テーマが重いといって(あくまでもイメージなんだけど)、特別な映画に分類しなくてもいい。
上映後、小林政広監督を壇上に迎えての質疑応答が面白かった。ある人が主人公のコンビニでのおでんの買い方を聞いたのだ。変な質問だと思うかもしれないが、これがまた印象的なシーンだったのだ。
「たまご、大根、こんにゃく、ちくわ…。容器は1つずつ分けてください。スープ多めに入れて」(はっきり言って、私が店員だったらかなり腹立つ!)。
何度か出てくるので、さらに印象的で、みんなが頭に刻んだようなシーンだった。質問者は「このおでんの買い方、何か意味があるんでしょうか」と。会場は笑いに包まれた。公開できないとか、そんな話題ばかりがクローズアップされてきたから、こんな質問が出るとは思わなかった。でも、会場は「知りたい!」という雰囲気になった。「あ、そうか、普通に楽しんでいいんだ、この作品」的に力が抜けた。監督は苦笑いしながら「僕の買い方です…。いろんな人にいじめられていろいろたまってくると、ああいう買い方をするんです」。また、会場に笑いが起こった。
上映後、小林監督は「やっぱり劇場で上映するってのはいいね」としみじみ話した。受賞が決まった後の会見では「これまでの映画のインタビューでは、内容の話になったのに、この作品では前段階の(配給などの)話で終わってしまうのがすごくつらかった」とも話していた。それだけに、こんな質問はかえって楽しめたんじゃないかと思う。
作品を見た何人かに話を聞いた。20代女性は「『アンチ○○』的な映画かと思ったら、淡々とした1人の女性の話だった」。40代後半の男性も「リアリティーに欠けるけど、特に興行できない話でもないよね」。いろんな言葉を聞いたが、作品を見ないことには内容についてああだこうだと語れないんだと、あらためて思った。映画って、それもまた楽しみの1つなのだ。ああだこうだ言う機会くらいあってもいいじゃない、とやっぱり思うのだ。
December 1, 2005 10:45 AM
2005年11月21日
生活速度のものさし/小林千穂
妄想だけで現実逃避するのに限界を感じてきたので、魔法をかけてもらおうと、出張ついでに香港ディズニーランドに行ってみた(デスク、あくまで「ついで」です)。9月にオープンして以来、お客さんの入りがイマイチと聞いていたので、どれだけガラガラなのか見てやろう、という意地悪な気持ちもあったわけで。
結論から言えば、適度に込んでいたけど、勝ち組テーマパークとしては許されない、ってところ。2時間待ちは当たり前という東京が込みすぎなのかもしれないが、人気アトラクションでもほとんどが30分以下。滞在時間約4時間、主なアトラクションはすべて制覇、お昼も食べ、偽物っぽいミッキーがわんさか並ぶショップもちゃんと見た。
スッカスカ加減を感じたのは人の少なさだけじゃない。何もかもがユルくって面白かった。ランドマークの「眠れる森の美女城」は高速道路から見えるラブホテルみたいだし、岩肌むき出しの山が丸見えで、下水工事始まっちゃうし。テンション上げようと、3割増しで絶叫してみたけど、魔法にかかるまでもなかったような…。
でも街中では、ディズニーのアトラクションよりもスリリングな乗り物に出会ったのです。それは地下鉄のエスカレーター。これが速い、速い! 目線の問題もあって、下りの体感速度はスペースマウンテン並み(?)。手すりを持たないと怖いくらいで、タイミングを逃すとちょっとヒヤッとする。この弱者に厳しい高速エスカレーターを、香港の人々は駆け降りるように使っていた。
調べてみたら、香港地下鉄のエスカレーターは分速約45メートル。日本のエスカレーターメーカー最大手・三菱電機によると、東京の地下鉄では分速30メートルが一般的とのこと。デパートなどでは分速20メートルで運行する場合もあるという。2倍以上だ。そりゃ速いと感じたわけだ。聞くところによると、シンガポールの地下鉄エスカレーターは、香港よりもさらに速いんだそうで。うわー、乗ってみたい!
東京でも、速いなと常々感じている駅があった。東西線日本橋駅、銀座線への乗り換えエスカレーターだ。東西線沿線居住者としてこれを機会に疑問を解消しようと、東京メトロに聞いてみると、混雑時間帯には分速40メートルで運行しているとのこと。やっぱり! 香港に近いじゃないか。ちなみに、東京メトロには約1800台エスカレーターがあって、速い所は20カ所ほどしかないという。ほかには千代田線の国会議事堂前駅、明治神宮前駅などがある。香港気分を味わいたければ、これらの駅にどうぞ。
生活速度が速いところはやっぱりエスカレーターも速い。そういえば、香港ディズニーランド駅のエスカレーターは、街のものに比べてかなり遅かった。実は「マジックの始まりですよ~」って合図だったりして。意地悪な気持ちを捨ててもっと楽しめばよかったかな。
November 21, 2005 12:58 PM
2005年11月11日
レジ袋の音ウンザリ
ガマンできないものはいろいろあるけど、シャカシャカ、ガサガサ…。この音には、もうウンザリです。そう、ビニール袋の音。映画や落語に行って、いいところでシャカシャカ…。あっちでも、こっちでもガサガサ…。いったん気付いてしまうと、いつまで続くのかな、と気になってしょうがない。この間の寄席では、一番前のおばちゃんが、ずーっとこの音を立ててました。あまりにもど真ん中のお客さんだったので、高座の落語家さんは気になんないのかな、集中しているから大丈夫なのかしらと心配に。笑いに来てハラハラするのも何だなと思ったので、斜め後ろから、このおばちゃんを観察してみた。
ビニール袋の中から、別のビニール袋を取り出して、おまんじゅうらしきものをバクッ。さらに別の袋を取り出して、おせんべいをバリッ。さらにさらに、ビニール袋でしっかりくるんだペットボトルのお茶をゴクッ。どうでもいいけど、おばちゃんたちは、ペットボトルの首のところまでビニール袋でくるむのが好きです。ひとしきり落ち着くと、すべて丁寧に結び直して(これがまたでっかい音)、大きなビニール袋へ。ガサガサ袋・イン・ガサガサ袋、まるでロシアの民芸品マトリョーシカ。約4時間、断続的にこの行為が繰り返されたのです。
この日は特に、だったけど、似たような状況になる日はよくある。知り合いは、無声映画の特集上映で起こった殺伐とした状況を話してくれた。そう、無声映画。とんでもなく静かな劇場で、シャカシャカ、ガサガサと、「チッ」という舌打ち、あからさまな「はぁ~」というため息の応酬が繰り返されたという。あり得ないことがきっかけで始まる事件が多い最近だけに、ガサガサ袋から始まる事件が起こってもおかしくない! じゃあ、音のしないビニール袋を普及させてもらおうという短絡的な思考で、メーカー団体、日本ポリオレフィンフィルム工業組合に取材(懇願)してみた。
--ガサガサ袋が多いのはなぜですか
「音のするタイプは高密度ポリエチレン、ツルツルしたタイプは低密度ポリエチレンで、高密度の方が強度が高いのです。レジ袋は重い食品など入れるので強度が高い方がいいんです」。
--じゃあ、ガサガサ音がしなくて強度が高いものを作ってください。お願いします(本当に懇願)
「ここまできてできないってことは、もうできないんでしょう」。
--もう進歩しないってことですか
「そういうことかもしれません」。
--……。ありがとうございました
技術の発達は何でも可能だと思ってたけど、ビニール袋の進歩はここまでですか。ショックでトリの師匠の話をいまだに思い出せません。あり得ない事件が起こる前に、せめて会場、劇場の売店は紙袋にしてほしいものです。
November 11, 2005 11:53 AM
2005年11月01日
楽しきむなしき祭典
東京国際映画祭が10月30日、閉幕した。印象に残ったことをいくつか。
オープニングでは、レッドカーペット脇で、お笑いタレントがテレビ番組の企画でギャーギャーと騒ぎ、ゲストに片っ端から「何の映画に出てるんですか」と質問していた。し、失礼な質問を…。日本の若手俳優なんかは「あっ、○○さんだ!」なんて結構うれしそうに、このお笑いタレントに反応していた。私はそれを見ながら「お願い、お願い、せめて海外ゲストに下品なことしないで~」と祈っていた。当然というべきか、その願いはかなうことはなかった。「一体、誰のための映画祭なのか」という疑問を抱き、ちょっとむなしい思いをした。
そんな気分で始まった映画祭だったが、興味を引かれた企画がいくつかあった。1つは短編映画、ショートフィルムの特集上映。「ショートショート フィルムフェスティバル」という別の映画祭での受賞作品を集めたものだ。グランプリのフランス作品は10分21秒。笑いとハラハラ感がぎゅーっと詰まっていた。ラスト10秒の製作には1年かかったという。
作品の面白さももちろん、短編映画の可能性についても興味深かった。ジョージ・ルーカスもスティーブン・スピルバーグも短編から出発しているし、あくまでも長編監督への足掛かりというイメージを持っていた。しかし「ショートショート-」の実行委員長東野正剛氏(37)は「以前は長編への名刺代わりという部分もありました。現在では、ネット配信に作品1本をそのまま出せる短編映画は、コンテンツを提供する企業からの要望も多いのです」と話す。環境は確実に変化しているんだなあ。時間の制約があるからこそ、表現できることもある。ストーリーのエッセンスを凝縮した短編映画の面白さ、可能性が広がればいい。
もう1つ面白かったのは、自治体や地域で映画やドラマのロケを誘致・支援する「フィルムコミッション」のシンポジウム。地域の活性化に加え、受け入れ態勢が整っていれば製作側にもメリットがある。はやりと言ってもよく、フィルムコミッションは全国に80近くある。シンポジウムが1日だけだったのは残念だったが、いい話ばかりではなく、「美しい風景」を撮ってほしい地元と、製作側とのズレなど、問題点もしっかり話し合われていた。
短編映画特集にしてもフィルムコミッションのシンポジウムにしても、参加者がとても積極的で、イベントに活気があったのが印象的だった。「映画が好きなんだ」という気持ちひとつから出る情熱や、その気持ちそのものが漂う心地いい空間だった。振り返って、オープニングのレッドカーペット脇で騒いでいたタレントに見せたいもんです。いかにあの振る舞いが、映画にかかわる人の晴れの舞台にふさわしくなく、失礼だったかということが分かると思うのです。
November 1, 2005 11:49 AM
2005年10月22日
「イメージ」を大切に
最近、私にとってちょっと衝撃的なニュースがあった。映画「スター・ウォーズ」シリーズのダース・ベイダーが、タスキを掛けて、札幌の地下鉄で1日駅長をやっていた。写真を見て軽く「え、え~っ」とのけぞってしまった。ダース・ベイダーといえば、このシリーズの主役と言ってもおかしくない。黒ずくめの衣装、ボイスチェンジャーを通した低音ボイス、空をつかむだけで離れた相手を倒す圧倒的な強さ。悪の権化なんて言われているキャラクターだが「ダークサイド、落ちてもいいかも」「コスプレするならベイダーがいいな」みたいな魅力があるんですよ。なのに、なのに、タスキを掛けて立っている彼はめちゃめちゃ弱そうだった…。
今年7月の「エピソード3」公開前後に、某チョコレートとタイアップしたCMにベイダーが出ていたのを見たときにも「あらら…」という悲しみを感じた。だって、強さを発揮する相手が、チョコレートに手足が付いたキャラクターなんだもん。いいのか、ベイダー! と思い、自分の中のベイダー像が崩れていくのを止められなかった。
映画会社からの要請を受けてイベントを行った、スター・ウォーズのコスプレ集団は、その世界観をこよなく愛している人たちで、世界そのものに入っちゃおうってな考えなので、キャラクターイメージを守ることも大事にしている。ベイダーのコスプレをする場合には「手は振らない、頭は下げない」などのルールがある。それでも、関係者は「子供たちが寄ってきて、握手を求められたら無視できません」と話していた。ちなみに、福岡にもダース“駅長”ベイダーが出現したそうだ…。
イメージつながり、映画つながりで、もう1つ。東京・銀座の映画館、丸の内ルーブルが12月から「サロンパス ルーブル丸の内」になるというニュースにも驚いた。施設命名権、いわゆるネーミングライツを、久光製薬が興行会社から取得したのだ。丸の内ルーブルといえば、天井に大きな戦艦みたいなシャンデリアがある場内を思い浮かべる。暗くなるのと同時に、その戦艦が上昇していく。学生の時初めて行って「東京の映画館はすごいなー」と、天井を見上げてしまったもんだ。
映画館とサロンパスが頭の中でシンクロしないのは「慣れ」の問題が大部分なのだと思う。思い浮かべるのは「味の素スタジアム」の誕生。使用から2年余りだが「味スタ」と、名前が定着した証拠の略称で呼ばれている。サロンパスの方は契約期間は3年ということだが、3年後にはすっかり慣れているんだろう。まあ、劇場の名前で映画館を選ぶわけでもないんだし。
ただ、私たちが思ったり感じたりすることの大半は、イメージに起因し、想像力で補われている。覆される驚き(いい意味の)もあるけれど、ちょっと大事にしたいものもあったりする。
以上、心の中の小っちゃいイメージに保守的な、小っちゃい人間のたわごとでした。
October 22, 2005 10:38 AM
2005年10月12日
短くも貴い「13時間」
人間関係を深めるのは決して時間だけではないと感じた、ごくごく個人的な出来事を書きます。
5年半前、旅行から帰国する機内で、同年代の日本の女性と隣り合わせた。彼女はイタリア中部の恋人の家に住んでいたのだが、母親の病気で急きょ帰国するところだった。そんな状況の中でも彼女は、よく話し、よく笑い、おいしそうによく食べ、イタリアの料理についても話してくれ、「健やか」という言葉を思わせた。急に帰国するくらいだから、決して良い状況ではなかったはずだ。それでも、彼女はよく話し、よく笑った。約13時間の機内、お互いを知るには、短すぎる時間だったが、それでも彼女にひかれた。成田で別れる前には住所を交換した。ここまでなら、よくある旅の一場面なのかもしれない。何度かはがきをやりとりして、それで旅を思い出す、よくあることだ。
しかし、彼女とはその後ずっとはがきのやりとりが続いた。決して筆まめな方ではない私だが、お互いがどこかに旅行に行った時にははがきを送り合った。そして、5年の間に、彼女は当時の恋人と結婚し、子供が2人生まれ、今はイタリアに住んでいる。お母さんは、その後、亡くなった。「今年の休みはどこに行くの? イタリアに来たら寄ってね」。はがきにはいつも同じ言葉を書いてくれた。
そして今年、休暇でイタリア行きを決め、彼女からのはがきが届いた。彼女に会いに行こうと決めた。あの「健やか」な彼女にもう1度会いたいと思った。ただのセンチメンタルな旅なのかもしれない。ここまできても、よく、ではないがたびたび聞く話のようだと思うかもしれない。それでも、通り過ぎるように人と接してくるだけだった日常、彼女との短い時間については特別だった。
列車を乗り継ぎ、ちょうど長靴のふくらはぎから少し南にある小さな町に着いた。日本で手に入るガイドブックには載っていない町。駅のホームには、5年半前の健やかな優しい笑顔を残したままお母さんになった彼女がいた。「会いたかった」と言ってくれた。簡単だけど日常ではほとんど口にすることのない言葉が、ズンときた。
3世代同居の6人家族。90歳の夫のおばが今でも台所の主役だ。100年以上前から続くというレシピの家庭料理をごちそうになり、私が「おいしい」と言うたびに、彼女は誇らしげに「おいしいでしょ」と笑う。たくさん遊んでひざの上に乗ってくる子供たちからじんわりした汗を感じ、髪や服からは、洗濯したばかりの温かいせっけんのにおいがした。ベッドに入り、同じにおいの中で眠った。ちょっと涙が出そうだった。
丸1日、あまりにも短い滞在だったが、13時間の出会いが5年半を超えた。自分にこんな再会ができた…。時間だけじゃない、会った回数じゃない、そんなことを考えた秋休み、でした。
October 12, 2005 10:40 AM
2005年10月02日
人間関係和らぐ方言
最近、方言ブームなのだとか。書店には方言本コーナーもあり、バラエティー番組でも、地方出身芸能人が登場する「方言禁止!」なんてコーナーが人気だ。私もけっこう喜んで見ていたりする。女子高生の間でも方言を使ったやりとりをしているそうだ。本当なんかい、と思い渋谷のセンター街で女子高生たちに聞いてみた。メールを見せてと言ったら「『個人情報』っていうんだよねー」と言った子もいて、ちょっとびっくり。ま、それはさておき…。
まずは基本NO・1は、だべ。「『だべ』はもう標準語だし」なのだそうだ。神奈川県南部、横須賀や湘南の方言だ。ある子は「『だべ』って方言なのかなって思うくらい、普通に使ってる」と。基本NO・2は「なまら」。北海道の方言で「とても」という意味。「ダサかわいい」のだそうで。
女子高生たちのニューカマーは広島弁。「仁義なき戦い」のイメージですか? いやいや、かわいさがすべての基準の彼女たちにとっては「ほいじゃけー」(だから)が1番人気だった。確かに、ちょっとかわいらしいかも。さらに、次にきそうな方言は名古屋弁なのだそう。「あっ、河村たかし(衆院議員)?」と聞いてしまいましたが、「誰それ」と一蹴され…。気を取り直して、どんな名古屋弁がかわいいのかと聞いてみると、ほったらかすの意味の「ほかっとく」がいいんだと。「でら」(とても)もよく使うが、メジャーになりすぎたのでこれも「標準語化」しているのだという。
彼女たちにとって、方言は、人間関係をやわらかくするコミュニケーションツールのようだ。電話よりメールでのやりとりが主流になった今、絵文字をどんなに使っても「不機嫌じゃない」ことが伝わりにくいという。そんな時に、方言を入れるとちょっとユルい雰囲気が伝わるんだとか。「相手からの文に方言が付いたのを見ると、まったりしてる感じがする」と話した子もいた。もう、電話で話しちゃえばとも思うが、なかなか電話のハードルは高い。それもちょっと悲しい気もするが。
考えてみると私にとっての方言も、彼女たちと同じように甘じょっぱく、コミュニケーションツールの1つだ。高校卒業後に実家を離れたので、今では思考も標準語ですることがほとんどだ。どんな言葉で物を考えてるんだろう、と意識することってあまりないが、頭の中でもどうしても直らない言い回しは、「つらい」という意味の「えらい」くらい。だが、離れた家族と話す時はかなり意識して、ばりばりの方言を使う。聞き苦しいくらいに使う。そんな言葉、若い世代は使わないよ、ってな言葉も使ってみる。そうすると、ちょっと喜ぶというか、安心するのだ、家族が。離れて好きなことをさせてもらっているので、少しでもさみしさを感じさせたくないという、罪悪感に似たものかもしれない。
October 2, 2005 11:40 AM
2005年09月22日
芸能も生が断然いい
「スポーツは生がいい」と当欄で先輩記者が書いていたが、何事も生がいいと感じたことをいくつか。
大阪へ落語を聞きに行った。チケットをもらったので(東京在住の人間によくもまあ…)出掛けて行った。出掛けていったというより、飛んでいった。飛んで伊丹空港に着き、某航空会社のポスターに書かれた「おさきに」というキャッチコピーが「おおきに」に見えるくらい、ハイテンションになってしまった。
落語は生で聞くのが断然いい。生で聞くと、いい意味でハードルが低くなる。心地いいのだ。中には、ちょっとやそっとじゃ笑わんぞという人もいるが、私はユルくなる。ユルくなるばかりじゃない。信じられないかもしれないが、スポーツと同じくらい、演者と客席が一体になるような時もある。緊張がぐーっと高まって高まって、つばを飲むのもはばかられるくらいの時がある。この落語会でもらった別の会のチラシで、「かぶりつき特別席」というのを見た。1万円で最前列中央なのだという。最前列で見たいかどうか、前方ならそれでいいのかは別にして、生の迫力というのは、スポーツにも負けていない。生の次に楽しめるのは音だけ。ひたすら想像と妄想の世界に浸れるのだ。
面白くないのはテレビだと思う。「大阪落語ツアー」(勝手に名付けました)からいい気分で帰宅したので、徹底的に落語漬けになろうと、録画しておいた落語番組を見た。高座ではほんわかした優しげな笑顔の師匠が、とんでもない悪人顔に見えてびっくりした。おかげで「憎めない」主人公の男が憎たらしかった。そして、やっぱり面白くなかった。
今回ばかりではない。テレビで落語を見て満足したことがない。今回の大阪みたいに興奮しなくていいが、会場に向かうにつれ楽しみが増す感じ、客席や会場の雰囲気、演者の表情、声…、トータルで楽しめるのはやっぱり生しかない。落語はそんなに動きがないから、テレビでも十分楽しめるでしょう、と言う人もいるが、だめなんです。そういう意味で、朝4時とか5時とかとんでもない時間に追いやられている落語番組は、それでいいような気もする。これが落語じゃない気がするというか、思われたくないというか。つまりは「生が断然面白い!」と言いたいわけで…。
落語のことを書きすぎたので、歌についても少し。あるアーティストのイベントで、他社の女性記者が、取材にしては珍しく拍手して帰っていった。後日、彼女が「あれからヘビーローテーションで彼の曲を聴いている」と。生で聞いたからこそだったと思う。私も先日同じようなことがあった。インタビューをした歌手がイベントで1曲歌うというので、記事に書き込めることがあればと取材に行った。ピアノの弾き語りが始まると、透明感のある声が、ビルの吹き抜けを「駆け上がった」ような気がした。生の魅力そのものだった。1曲、ほんの数分、ちょっと別の世界だった。
September 22, 2005 01:35 PM
2005年09月12日
たかが1票ではない
映画担当を10日間だけ離れ、選挙取材班に加わった。事実上、先月8日の衆院解散から始まった選挙戦、いよいよ今日が投開票だ。もう投票に行って、一息ついてここを読んでいる? それとも、投票なんて頭の外にあった? 行きましょう、選挙。忙しいかもしれない、興味がないかもしれない。それも分かる。でも、とにかく行きましょう。今日はこれしか書くことがないくらいなので、投票に行く人、行った人はここで読むのをやめてもいいです。
10日前、前回の当欄で「半径3メートル、心が動く人のことだけ考えて選べばいい」と書いた。やっぱりそこに戻ってきた。話はそれるが、会社での私の机はデスク席の真後ろという“特等席”。デスクが自分の周囲をぐるりと指し「『半径3メートル』だったら、このあたりも入ってるな」と言った。やっぱり、半径はもうちょっと小さくてよかった…。とにかく、本当に小さな輪でいい。自分のことだけでもいい。心がぐいっと引きつけられることだけを考えたら、そこから連想ゲームの始まり、始まり。
第1段階。何に興味がありますか? 家族ですか、健康ですか、収入ですか、趣味ですか。
第2段階。どうしたいですか? 守りたい、安心したい、増やしたい、とにかく楽しくしたい。
第3段階。このあたりからちょっと難しくなってくるかもしれないけど、どんなふうに? どれくらい、いつまで、どこまで…。
こんなふうに考えてみてはどうだろうか。
それでも、選挙に興味が持てない人もいるだろう。やっぱり、それも分からなくない。選挙の翌日を想像してほしい。数字が羅列された開票結果、確実に自分の1票が入っていることを。面倒くさかったかもしれないけど、足を運んで投票したからこそのこの積み上げなんだ、と。数字の羅列の向こうには、昨日の自分や、半径何メートル(もう何メートルでもいい)かの人々、出来事が詰まっていたということが見えるかもしれない。たかが1票なんて決して言わないでほしい。
-と、興味がないのは有権者1人1人の問題、みたいなことを書いてみたが、興味が持てるように語る側の語る力も問われると感じたのも確か。政治家が話す言葉がすっと耳に入るようになるまでには、ある程度の辛抱が必要だ。ある日の取材。都内数カ所で同じ人物の演説を聞いた。最初は比較的ファミリーや高齢者も多い街だった。ちょっとベタなギャグも受けた。そして、この人物はいわゆる「若者の街」に移動。テレビでもよく見る有名な顔だけに、若い年齢層も立ち止まっていたが、内容、トーン、ベタなギャグも先ほど話したものとまったく同じ。一番前
