岡本学
2006年05月30日
書きたいジーコ日本V
サッカー日本代表と同便で26日にドイツへ入った。ボンでの合宿もスタート。あと11日で、サッカーW杯が開幕する。自分自身は3大会ぶり2度目の現場でのW杯取材になるが、12年前とはまったく異なる気持ちで大会を迎えようとしている。
W杯を初めて取材した94年大会は、日本がW杯に出場できず、大会前に取材した選手もほとんどいなかった。45日間の米国出張で27回飛行機に乗り、試合がある日には必ず1試合は取材、という生活。イタリア代表FWロベルト・バッジオがPKを外してブラジルの優勝が決まった瞬間も見届けたが、どこか記者として仕事をやり遂げたという充実感はなかった。だが、今回は違う感覚で大会を終える日を迎えるような気がしている。
16年前、日刊スポーツへ入社。2カ月足らずで宇都宮通信局に転勤を命じられた。栃木県内のスポーツを記事にすることが主な仕事だった。自分の担当するチーム、選手が「全国優勝」とか「日本一」となる機会は3年間の通信局勤務でそう多くなかった。それでも、その瞬間を迎えたときには充実していた。そして「いつかは世界一になった選手、チームの原稿を書きたい」と思った。今回のW杯は、そのチャンスだと思っているし、優勝原稿を書きたいという気持ちにもなっている。
03年11月にサッカー担当に復帰してから、ジーコジャパンを追いかけてきた。当初はチームがまとまらない「空気」を現場で実感していた。04年3月にはジーコ監督が解任されそうになったときもあった。そのチームがもがき、苦しみ、歳月を経てようやくチームとして1つにまとまり、目標としていたW杯までたどり着いた。その過程を記者として、ジーコ監督、日本サッカー協会の川淵三郎キャプテンの方針で、隠し事なく見ることができた。そして、疑問に思ったことをぶつけ、その疑問に真摯(しんし)に応えてもらった。選手と監督が歳月をかけ信頼関係を築いてW杯を迎えたように、我々、記者たちもジーコ監督、川淵キャプテンをはじめとした日本協会関係者と信頼関係を築いて、W杯を迎えられた。だからこそ、優勝原稿を書きたいという思いが、自然と生まれてくるのだと思う。
出発前に妻から「選手、スタッフにとってもそうだけど、このW杯が記者としての集大成になるね」と言われた。選手でない自分でさえも、普段はあまり付き合いのない人から「頑張ってきて」と励まされる。さほど注目を受けていなかった12年前と違って、日本代表の勝敗に一喜一憂するW杯。元営業担当としては、スポーツ新聞にとっても最大のイベントであるW杯で、広告の売り上げアップに貢献する記事を書かなくては、という思いもある。そして何より読者を代表して、少しでもいい記事を書きたいと思う。ジーコジャパンが世界一になった原稿を日刊スポーツに掲載できると、信じて。
May 30, 2006 08:53 AM
2006年05月20日
会見場に見えた成長
1度、来たことがある会見場だと思った。しかし、中に入って「どこかが違う」感じだった。
15日にサッカー日本代表のW杯ドイツ大会(6月9日~7月9日)メンバーが発表された都内ホテル。私は発表直後の会見で2番目の質問をジーコ監督にした。その際、司会を担当した日本サッカー協会の手嶋広報部長から「立って質問してください」と促された。会見後に「なぜ、2人目から急に立つよう言ったのか」と聞いたところ「立たないと、質問者がどこにいるか監督が分からないようだったから」と説明された。
その答えに冒頭の疑問が解けた。1度来たとき(04年12月17日の親善試合概要発表)と広さ(約20×26メートル)は変わらないものの、入り口正面にあったひな壇の位置が右側へ、つまり会場の使い方が縦横、変わっていたのだ。横に広くなったことで、壇上のジーコ監督は質問者を探すのが困難だったのだが、それには理由があった。
会見の冒頭で同協会の川淵キャプテンは「ジーコと2人きりで会見するのは、これが2回目」と言った。W杯日韓大会が終了して間もない02年7月23日、W杯ドイツ大会までのチームづくりをお願いする調印式を行った。それ以来となる2ショット会見。当時と部屋こそ違え同じホテルを選択した手嶋広報部長の気配りに「感慨もひとしお」と同キャプテンは話した。ジーコ監督も同じ思いだった。
実はこのホテルで2人は夫人同伴の会食を2度行っている。調印式の日は川淵キャプテンがジーコ監督にごちそうし、今年の4月13日には同監督が同キャプテンにお返しをしている。世界にはW杯を目指しながら出場できなかった国もある。志半ばで監督の任を解かれた人、自ら辞めた人もいる。ジーコジャパンも「山あり谷あり」の苦難を乗り越えメンバー発表を迎えていた。その節目の「良き日」に、協会に近いホテルや前回大会のメンバー発表と同じホテルではなく、ジーコジャパンの船出となったホテルを選んでくれたことが、指揮官もうれしかった。
ジーコ監督は会見で言った。「今日はたくさんの人がおられるが、日本の人がこの日を待っていてくれた。日本においてサッカーの社会的地位が上がったことを自分はうれしく思う」。会場は報道陣を中心に400人超がぎっしりと埋めた(通常ジーコ会見は100人前後)。来日から15年、そして就任から3年10カ月。隠しごとなく「日本のために」とすべての愛情を日本のサッカーに注いできたジーコ監督に協会職員が応え、在京テレビ4局の生中継というフィーバーとともに多くの報道陣を集めた。
台数を制限されながらもテレビカメラは26台が集まった。手嶋広報部長は部屋を横長に使った理由を「テレビカメラをできるだけ多く、撮りやすいひな壇の正面に置きたかった」と説明した。縦長で安定感のなかった日本サッカーが、ジーコ監督が注いだ愛情によって根付き、どっしり横長に土台を安定させた。
May 20, 2006 10:11 AM
2006年05月10日
8人サッカーで育て
ゴールデンウイーク中の4、5日に神奈川・日産スタジアムで弊社主催のイベント「JA全農チビリンピック2006」が開催された。陸上を中心にサッカー、卓球の3競技に小学生とその親を含め約2万9000人が参加。その中でも、サッカーは全国9地域の予選を勝ち抜いた9チームが出場し、ハイレベルな戦いを繰り広げた。
通常サッカーといえば、11人が2チームに分かれて行うものだが、今大会は日本サッカー協会の推奨で4年前から8人制で実施されている。同協会の田嶋幸三技術委員長は「『11人制でなければサッカーではない』といった声もあるが、4年目を迎えてようやく8人制が認められてきた」。まだ、全国へ浸透しているとはいえないそうだが、小学5、6年生を中心とした選手たちは、はつらつとしたプレーを展開した。準決勝、決勝を観戦した本紙評論家の井原正巳氏が「本当にレベルが高い」と感心すれば、同委員長も「単純に前へ蹴るというのではなく、1つ1つのプレーに明確な狙いがある」と、U-12(12歳以下)年代の技術的な進歩に目を細めた。
8人制は、通常より狭い縦60×横40メートルのピッチを使って行われ、欧州、南米などではジュニア層強化のため積極的に取り入れられている。田嶋技術委員長は8人制を推奨する理由について「選手1人1人がたくさんボールに触ることができ、いろんな選手にシュートチャンスが生まれる。統計を取ったところ11人制の3~4割増し。また、1対1の場面も増えて、よりコンペティティブになる」。12分×3ピリオド(P)制、第1、第2Pは選手を総替えするルールを導入しており、16選手が試合に出場することができる。
また、8人制では審判1人制を導入している。選手が審判に判定のすべてを任せるのではなく、自己申告によってフェアプレー精神を育てることを目的としている。オフサイドを取りきれないなど問題もあるが、審判を信頼する心を養うことも目的の1つだ。同時に、この年代でフェアプレーにグリーンカードを提示する制度も導入している。大会中もピッチ外遠くへ飛んだボールを全力で拾いにいった控え選手にグリーンカードが出され、拍手が起こるシーンもあった。田嶋委員長は「この年代の指導者は選手をしかることが多いが、褒めた方がうまくなる」と狙いを説明した。
日本協会は2015年までに世界のトップ10に入ること、2050年までにW杯を単独開催し優勝することを約束している。その約束を果たすため、子供たちの技術だけでなく心もしっかり育てようと、さまざまな工夫をしている。同委員長は大会の開会式で呼び掛けた。「日本のサッカーは変わってきているし、君たちに日本サッカーを変えていってほしい。10年後の21、22歳は五輪、W杯に出られる年齢。ぜひ、その中心になれるよう頑張ってほしい」。日本サッカーには、底辺から着実に進歩できる環境がある。
May 10, 2006 09:00 AM
2006年04月30日
GWはJ観戦へGO
今日29日からゴールデンウイーク(GW)に突入。旅行、レジャーなど計画が決まっている人、忙しくて計画を立てるどころではなかった人、GWも関係ないという人、それぞれだろうが、まだ予定が決まってない人にはサッカーJリーグ観戦をお勧めしたい。
特にJリーグ1部(J1)が面白い。5月2日には日本代表のキリン杯(9~13日)メンバー、同15日にはW杯ドイツ大会(6月9~7月9日)メンバー23人が発表される。国内組にとって5月7日までの3節が、ドイツ行きの切符を手にする最後のアピールチャンスになる。この時期だけ特に頑張るというわけではないだろうが、FWでは巻(千葉)佐藤(広島)玉田(名古屋)MFでは遠藤(G大阪)本山(鹿島)長谷部(浦和)阿部(千葉)今野(東京)DFでは村井(磐田)茂庭(東京)らが生き残りをかけて、必死のプレーを展開するだろう。
見どころはそれだけではない。将来の代表入りを目指す新しい「力」も台頭してきている。今季、東京Vから大宮へ移籍したMF小林大はリーグ戦9試合でチーム全14得点中、5得点5アシストを含む12点に絡む活躍。「今の代表(ジーコジャパン)に『なんで自分が入らないのかなあ?』とは思わない。もっといいプレーをできたら(代表を)意識すると思います」。得意の右足からのドリブル、パス、シュートにさらに磨きをかけ、W杯後の代表入りを狙っている。
小林大のほかにも、新人ながらレギュラーとして活躍している清水MF藤本、鹿島DF内田ら、将来の日本代表候補がJリーグを盛り上げている。また、Jリーグ2部(J2)も忘れてもらっては困る。カズ、城、山口ら元日本代表がチームをけん引する横浜FCが、初の首位に立つかもしれない。昨季、J1から降格した柏、東京V、神戸の3チームもJ1復帰に向けて大事な戦いが続く。
今季の観客動員は、昨季と比較して芳しくないという。Jリーグ幹部は「春先の寒さなどが影響している。入るクラブとそうでないクラブの二極化も進んでいる。だけど、試合自体は面白いものが多くなっていると思う」。J1、J2とも1試合平均1000人超の落ち込みとなっているが、季節が良くなるGWからが巻き返しの時期になる。GWには、今季で7回目を迎える「ファミリーJoinデイズ」も開催される。J31クラブが楽しい企画を準備。スタジアム周辺でさまざま形でサッカーを体験でき、サッカーにかかわる各種イベントにも参加できる(実施日、イベント内容についてはJリーグ公式サイト、http://www.j-league.or.jp/)。サッカー経験がない子供たちがボールに触れるチャンスでもあり、家族でサッカーを楽しむこともできる。また、カップルがきずなを深めるデートスポットとして、仕事のストレスを大声を出しての応援で発散するのもいいだろう。GW期間中、予定がない人には、ぜひともスタジアムに足を運んでほしい。
April 30, 2006 12:56 PM
2006年04月20日
信念持ち素早く動く
日本サッカー協会と福島県などが、ナショナルトレーニングセンターのJヴィレッジを拠点に地元と連携して行う中高一貫エリート教育「JFAアカデミー福島」の開校式が8日に富岡町で行われた。中学1年から高校1年までの男女40人を全国から選抜。親元を離れた「金の卵」を地元の公立中学、高校に通わせて寮生活を送らせながら、中高一貫で英才教育を施す。将来のサッカー日本代表はもちろん、日本をリードしていくことができる真の国際人の育成を目指している。
その成果が出るまで、数年から10年近くの歳月がかかるだろうが、驚くのはプロジェクトをスタートするまでのスピードだ。日本サッカー協会が、関係する福島県などに構想を伝えたのが04年9月のことだったという。それから、わずか1年半で開校までこぎつけた。「お役所仕事」と、言われるように、この手のプロジェクトに行政が絡むと、開校まで10年かかってもおかしくない。同協会が明確なビジョンを示し、熱意をもって交渉を進めたこと、さらに同協会のグローバルな姿勢と福島県など地元3町の目指す方向性とが一致したことが、驚くべきスピード開校につながった。
先日、J2神戸の三木谷会長と安達社長兼GMが、鈴木チェアマンにあいさつするため東京・本郷のJリーグを訪れた。三木谷会長に直接、話を聞くことはできなかったが、安達社長によるとプロ野球楽天のオーナーも務める同会長はペナント開幕直後に担当記者の前で、球界の現状を嘆いていたという。「サッカー界と比べ、改革する態勢ができていない」と。
Jリーグがスタートした93年に川淵チェアマン(当時)は「地域に根差した」とか「地域に密着した」という言葉を使って、Jリーグが目指す方向性を示した。企業に依存していた当時の日本スポーツ界の状況下で「川淵は、何をばかなことを言ってるんだ」という批判も多数あった。それが、たった10年ほどで、プロ野球の球団名にも都市名が入り、地域密着を叫ぶなど様変わりした。「前例がないから、と言っていては何も始まらない」。川淵キャプテンの講演などで、そういう趣旨の言葉をよく耳にする。明確なビジョンと信念を持ち、前例にとらわれずに素早く動くところは、我々も大いに見習うところだろう。
芝生の校庭を持った学校を増やすための活動を積極的に行い、JFAアカデミー福島に続いて少年少女の「こころ」を豊かに育てることを目的としたプロジェクトも協会内に立ち上げた。また、アジアチャンピオンズリーグの活性化へ向け、同キャプテンが先頭に立つことも決まった。「2050年には日本でW杯を単独開催し、地元優勝する」などの2005年宣言も、同協会が発信した約束だ。「夢があるから強くなる」というスローガンに沿って、前例にとらわれず、信念を持って前へ前へと積極的に挑戦していく姿勢は、今の日本スポーツ、日本社会にとって最高のお手本だ。
April 20, 2006 11:51 AM
2006年04月10日
心の葛藤語れる勇気
自分のプレーぶりについて、正直な感想を口にする。故障しても逃げることなく、心の葛藤(かっとう)を交えながら胸の内を明かす。オランダのフェイエノールトから4年半ぶりに古巣の浦和へ復帰した、サッカー日本代表MFの小野伸二(26)。我々、マスコミにとって貴重な存在だ。
W杯開幕まで2カ月足らず。23人のメンバー入り、さらに定位置争いに向け、日本代表候補のし烈な戦いが続いている。広島FW佐藤寿のように好調な選手もいれば、鹿島FW柳沢のように故障に苦しむ選手もいる。1月末に浦和へ復帰した小野は、自身がイメージするプレーを取り戻せない苦悩を、我々マスコミに打ち明けている。
◆3月27日の日本代表練習後 まだ全然。(状態は)40%ぐらい。伸び伸びやれてない。自分がしっかりやれていれば、もっとチーム(浦和)は楽にやれている。結構苦しい時間帯があり、試合が終わってから反省している状態です。移籍してきて何かしないと、というプレッシャーがある。
◆3月30日の日本代表エクアドル戦後 うまくいかない部分がたくさんあって、もどかしい。試合が終わっても「やったー」という感覚がない。原因? 分からない。精神的なもの? かもしれないですね。コンディションは悪くないが、試合へのイメージがまだ低く、判断が遅い。50~60%くらいだと思う。
試合で良いプレーをしたとき、活躍したときのマスコミ対応は苦にならない選手が多いように思う。しかし、ミスをしたときや、不調なときに真摯(しんし)にマスコミ対応できる選手は、今のサッカー界に決して多いとはいえない。ましてや、W杯を直前に控えた大切な時期に、苦しい胸の内を明かすのは勇気がいることだと思う。日本代表を取材した弊社担当記者とも話をした。「小野のように誠実にマスコミに対応している選手が、苦しんでいる胸の内を明かしたことで批判されることがないようにしたい」と。
昨季は、度重なる右足小指の故障で満足に試合に出場できなかった。試合勘が戻っていないのだろう。試合を見ていても、思い通りにならないもどかしさからか、イライラしているようにさえ見えた。エクアドル戦を観戦した日本協会の川淵キャプテンも「自分の気持ちとプレーが一体になっていないようだ。これまでのようにスルーパスが通らない。浦和でガムシャラにやって取り戻してほしい」とエールを送った。
代表戦後、浦和へ戻ってからもゴール前での決定的なチャンスを外すなど、プレーに悩んでいるように見える。ただ、休む間を惜しんで練習、試合に励んできたことは間違いない。今は結果を恐れることなく、前向きにボールを蹴ってほしい。練習時間前後に見せる華麗なボールリフティングを楽しむかのように。
小野は「毎試合笑って終われるようにしたい」という。伸二スマイルがW杯本番で戻ってくることを信じ、待ちたいと思う。
April 10, 2006 12:08 PM
2006年03月31日
大学サッカー界の今
高校サッカーとJリーグの間で、ちょっと地味な印象がある大学サッカーだが、ここ数年はその存在価値が見直されている。
今日30日に日本代表はキリンチャレンジ杯でエクアドル代表と対戦するが、そのメンバーの浦和DF坪井慶介(26)は福岡大、千葉FW巻誠一郎(25)は駒大出身。Jリーグ清水で背番号10を背負い、主力として活躍しているMF藤本淳吾(22)も昨季まで筑波大に在籍していた。3人はユニバーシアード(2年に1度開催)日本代表で世界一も経験し、プロになってからも順調に成長している。
93年にJリーグがスタートした当時は、高校の有力選手は卒業と同時にほとんどがJリーガーになった。J発足初期はJクラブの選手層の薄さもあって、ちょっと実力があればJリーガーになれる時期でもあった。その一方で、大学へ進学する選手には「Jクラブのスカウトたちの目に留まらなかった」というような劣等感もあり、大学サッカーが空洞化していた時期もあった。だが、今は違う。
もちろん最近も、高校の有力選手が卒業と同時にJリーガーになるケースは多い。だが、高校卒業時にプロとしての実力が疑問視された選手の中にも、大学サッカーで鍛えられ、成長し、卒業後にプロとして活躍している坪井、巻のような日本代表選手もいる。また、高校卒業時にプロから誘われながらも、実力に自信が持てない選手の中には、あえて大学進学を選択するケースも出てきている。
高校時代に芽が出なかった選手でも、頑張れば成長できる環境が大学サッカーにある。26日には大学サッカーの日韓定期戦「第3回デンソー杯」が埼玉スタジアムで行われた。結果は巻、原の駒大FWコンビの活躍もあって全日本大学選抜が全韓国大学選抜を延長戦の末に下したが、何より定期戦へ至るまでの過程がいい。毎年、全国の地域大学選抜チームが1カ所に集いリーグ戦を行い、そこで活躍した選手が全日本大学選抜に選出される仕組み。選ばれた選手は海外へ遠征(今年はスペインへ約1週間)し、最後の締めくくりとして全韓国大学選抜との定期戦で貴重な経験を積む。全日本大学選抜の広井主将(駒大)は「スペインでの数試合の経験で、ひと回りもふた回りも大きくなった」という。
デンソー杯のほかにも日本が3連覇中のユニバーシアードもあり、大学サッカーという枠の中で国の威信をかけて戦うチャンスもある。もちろん、Jリーガーと同様にU-20(20歳以下)日本代表としてワールドユース選手権(2年に1度)U-23日本代表として五輪に出場するチャンスや、昨季の藤本のように大学に籍を置きながらJクラブの特別指定選手としてJリーグに出場する機会もある。
大学サッカー界のタレントが多く集まる関東大学リーグは4月1日、名門・早大が9年ぶりに1部復帰して開幕。他地域を含め、将来の日本サッカーを背負う選手が埋もれる、大学サッカーにも注目してほしい。
March 31, 2006 11:33 AM
2006年03月21日
原石探す新たな挑戦
Jリーグに続いて、19日からアマチュアサッカーの国内最高峰、日本フットボールリーグ(JFL)が開幕した。今季は2チーム増の全18チームが参加。12月3日の最終戦まで、各チームが34試合を戦い優勝を争う。18チームの中にはJ入会を目指すクラブチームもあれば企業、大学チームもある。その中で注目しているのがJリーグ千葉の下部組織、ジェフ・クラブだ。
千葉は00年(当時市原)、市原市民が立ち上げる形で95年に発足した「市原スポーツクラブ」の将来を見据え、傘下に収めた。以降、県リーグから関東リーグを順調に駆け上がり、今季からJリーグの下部組織としては初めてJFLに参戦することになった。才能が開花していない若いアマ選手の受け皿として、サッカーができる環境を与え、プロ選手へ育成することが狙い。関東リーグ2部に所属していた一昨季には、トップへ2選手を送り込んだ実績もある。今季は03年世界陸上男子200メートル銅メダリスト・末続慎吾のいとこのFW松本憲(18)を獲得。トップの練習に参加させながら、Jで通用する選手へ鍛えている。
そんなジェフ・クラブが今季から新たな挑戦を始めた。トップでプロ契約しながら出番に恵まれない若手にJFLで実戦経験を積ませようというもの。15日には5人をトップの登録から抹消し、ジェフ・クラブに登録。19日のJFL開幕戦、アローズ北陸戦に3人を出場させた。千葉の昼田強化部長は「サテライトリーグが30試合ぐらいあれば、そこで若手を鍛えることができるが今季はたった6試合。34試合あるJFLの真剣な戦いの中で若手に経験を積ませ、レベルアップすることでチーム内競争を激しくしたい。ボトムアップからトップアップへということ。お金のあるクラブは移籍で選手を獲得し補強すればいいが、ウチのようにお金がないクラブは知恵を出し、工夫して選手を育てるしかない」。
欧州ではトップの選手が下部組織の試合に、登録変更せずに出場できるのが一般的。ただ、国内では前例がなかった。日本協会、Jリーグ、JFLでは15日に千葉から登録変更手続き、問い合わせがあったのを受け対応を協議中。下部組織とトップをシーズン中、何度も行き来できるか、それを認めた場合に問題が生じないかなど検討している。
千葉は02年、アマ所属の選手をトップ傘下の選手ということで、登録変更せずサテライトリーグに出場できるよう認めさせた。今回どのような判断になるかは近く決定の見通しだが、結果はどうであれクラブの努力は評価できる。ユース年代にスターでなかった若手にジェフ・クラブでサッカーを続けられる環境を与え、今季から人材派遣会社をスポンサーにつけ仕事の面倒もみている。プロになりたいという埋もれた「原石」に間口を広げ、プロになった選手にはトップで活躍できるよう環境を整備する。千葉のチャレンジは、サッカー界を確実に活性化させている。
March 21, 2006 12:47 PM
2006年03月11日
ピンチをチャンスに
ピンチをチャンスに変え、そのチャンスを生かす。そんなたくましさを「見習いたい」と思った。
W杯ドイツ大会(6月9日開幕)を控えるサッカー日本代表が、2月28日にドイツのドルトムントでボスニア・ヘルツェゴビナと親善試合を行った。結果はMF中田英寿(ボルトン)のロスタイム同点弾で2-2の引き分け。守備面などで課題も多かったが、何より1次リーグの最終ブラジル戦(6月22日)を行うウェストファーレン・スタジアムで試合ができたこと、5月末からキャンプを張るボンで合宿できたことは、本番へ向け良かった。宿泊するホテルには「日本語のテレビ放送を入れてほしい」、グラウンドのロッカー室には「ドライヤーを使うためのコンセントをつけてほしい」など、選手、スタッフからさまざまな要望が出され、W杯直前合宿でストレスを最小限に食い止め、集中して練習する環境づくりができた。他のチームと比べ、予行演習ができたことは大きなアドバンテージになる。
収穫が多かったシミュレーション合宿だが、本来なら「ないもの」だった。当初はW杯前唯一、欧州組を招集できる国際Aマッチデー(3月1日)にアジア杯予選の第2戦が予定されていた。それが抽選前日の1月3日になって、W杯へ出場するチームに限って予選を延期し、W杯に向けた強化試合を入れることをアジア・サッカー連盟(AFC)が許可。昨年から3月1日をアジア杯予選に使うことに反対し、主張が全く受け入れられなかったために、アジア杯予選第2戦への準備を完了していた日本にとって、まさに「寝耳に水」の決定で、「何を今更」という思いも強かったはずだ。
だが、ここから日本協会の対応は迅速だった。まさに「ピンチをチャンスに変える」とはこのこと。川淵三郎キャプテンの大号令の下、仮想クロアチアのボスニア・ヘルツェゴビナとの親善試合を決めただけでなく、W杯会場での試合、W杯直前キャンプを行うボンでの合宿を短い準備期間にあっという間に決め、実行した。さらに協会スタッフはこの遠征後に、6月4日にマルタとデュッセルドルフで親善試合を行うことを決め、サポーター、スポンサー、報道陣の活動拠点となるG-JAMPS(ジー・ジャンプス)の開設打ち合わせなども行った。
3月1日にライバル国のクロアチアはスイス・バーゼルでアルゼンチンに3-2と勝利、ブラジルもモスクワでロシアに1-0と勝利し、結果的には引き分けの日本を上回った。しかし、トータルでみればW杯会場、練習グラウンド、宿泊ホテル、さらに空港からホテル、ホテルからスタジアムの移動なども経験するなど、準備を進めた日本の勝利だった。ピンチをチャンスに変え、チャンスを確実に生かしたたくましさは、我々がピンチに陥ったときの良き手本。皆さんもピンチに動じることなく、チャンスをつかみとるべく、前へ進んでいきましょう!
March 11, 2006 09:22 AM
2006年03月01日
欧州組に新しい風を
サッカー日本代表は今日28日、ドイツ・ドルトムントでボスニア・ヘルツェゴビナとの親善試合を行う。1月29日の宮崎合宿でW杯イヤーを始動したジーコジャパン。この試合が約1カ月にわたった強化期間の締めくくりになる。2・28(または3・1)は国際Aマッチデーで、欧州のクラブに所属する選手を代表の試合優先で招集できる日。W杯直前合宿を除いて唯一、欧州組が日本代表に合流できる貴重な機会に、DF中田浩(バーゼル)MF中田英(ボルトン)中村(セルティック)稲本(ウェストブロミッチ)松井(ルマン)FW柳沢(メッシーナ=3月1日から鹿島)高原(ハンブルガーSV)大黒(グルノーブル)の8選手を含む24選手が招集された。
8人の欧州組が招集されたことで、これまで日本代表が戦ってきた3試合(米国、フィンランド、インド戦)に招集されてきた国内組22選手から6選手が、今回のメンバーから外れた。22日のインド戦で代表2得点目を記録したFW巻(千葉)もそのうちの1人。23日のメンバー発表を翌日に控えたインド戦直後に「多分(遠征メンバーに入るのは)無理でしょう」と寂しげに言った姿が、欧州組が合流してきたドイツ入り後も頭から離れない。
宮崎合宿からインド戦まで、巻は自分の持ち味を出してきた。米国戦では加地のクロスを相手DFのほんの少し前に出て競り勝ち得意のヘディングで代表初ゴール。体ごとゴールへ向かうという「巻らしさ」をアピールした。ほかに落選したFW佐藤(広島)も前が開いたらシュート、そしてゴールを狙うどん欲な姿勢を練習から見せ、インド戦で1得点1アシストと結果を出した。また、MF長谷部(浦和)も相手守備陣を切り裂く積極的な動き、ドリブルを披露。代表では新顔の3選手が、自分の持ち味を十分に発揮した。それでも巻は「もっとプレーの精度を上げなくては」とコメント。精いっぱいやったという思いと、さらにレベルアップしなければW杯の日本代表に生き残れない、という上達への思いがにじみ出た。
今回は落選した3人だが、日本代表に確実に「新しい風」をもたらした。ただ、残念なのは「新しい風」が欧州組を含んだ日本代表へ吹き込まれなかったことだ。ボスニア・ヘルツェゴビナ戦の前に行われた2日間のボン合宿に彼ら3人も参加し、宮崎合宿からインド戦まで見せてきた持ち味を出してくれていたら、欧州組にも大きな刺激になっていただろう。この3選手には、それだけのパワーがあった。だからこそ、欧州組とやる機会が無かったことは悔やまれる。
今日28日で6月9日のW杯開幕まで101日。次回、欧州組が代表に合流するのは5月中旬に予定されているW杯メンバー発表後になる可能性が高く「新しい風」が融合する機会はないかもしれない。だが、この3人に限らず若い世代はあきらめず、W杯へ向かう日本代表へどんどん「新しい風」を送り続けてほしい。
March 1, 2006 11:50 AM
2006年02月19日
休む勇気も今は必要
サッカー日本代表の宮崎合宿、米国遠征の取材から会社へ戻った12日、管理職の上司に「休め」と言われた。気が付けば1月29日から15連続出勤。代表のスケジュールがなかった13~15日に3連休を取り、おいしいものを食べ、ショッピングを楽しみ、家族と時間を共有し、仕事を忘れてリフレッシュした。
自分のことはさておき、日本代表の選手たちは13~15日の3日間をどう過ごしたのか。中沢、久保の横浜勢のように所属クラブから休日をもらってオフを過ごした選手もいれば、浦和勢のように米国からそのままオーストラリアへ渡り、チーム合宿へ合流するというハード日程の選手もいた。また、10日の米国戦で代表初得点の千葉FW巻のように、所属クラブで自主トレーニングに励む選手も。3月4日のJ開幕まで所属クラブでの活動時間が少ない中、代表組に少しでも加わって欲しいというクラブもあれば、選手のコンディションを最優先してオフを与えるクラブもあり、対応はまちまちだった。
今年はW杯イヤーということで、本大会までの日程も過密だ。この2月に限れば、代表での活動が28日中23日を占める。「W杯イヤーだから休めないのも仕方がない」というのは簡単だが、所属クラブでの活動と合わせて1カ月以上休みなしでハードな練習と移動を繰り返すのは、精神的にも肉体的にも決していいものではない。今はW杯出場という大きな目標がある。「休まなくたって」という選手の気持ちも分からなくはないが、けがをしてしまっては何にもならない。選手に「ブレーキ」をかける人間が必要だと思う。
もちろん、それだけで解決できる問題ではない。今季のJリーグ日程発表の際にJリーグ羽生事務局長が「抜本的に見直す時期にきている」と話したように、飽和状態にある日本サッカー界の年間日程を大局的な立場から検討する時期にきている。試合や予定が多いことは日本のサッカーが盛んになった証しではあるが、それを支える選手たちが過密日程につぶされてしまっては、元も子もない。「削るものは削る」勇気も必要で、日本協会技術委員会とJリーグ事務局が、苦労してながら調整している代表関係の日程については、そのやり方自体が限界ではないのか。
16日から始まった静岡合宿では、所属クラブのキャンプに参加した一部選手の合流が1日遅れになった。W杯で上位を狙うジーコジャパンにとって、選手がそろわない合宿、さらにコンディションに大差がある合宿は強化にとってマイナスだ。
現時点で、W杯までの日程を変更しろ、などというつもりは毛頭ないが、次回の2010年W杯南アフリカ大会へ向け、日程問題を根本から考える時期にきている。欧州とのシーズンの違い、また東西に広いアジアという地域的な特性なども関連し、日本サッカー界の日程を決めるのは簡単ではない。日程問題を考える委員会の立ち上げなど、早急に検討していくべきだ。
February 19, 2006 11:57 AM
2006年02月09日
サッカー漬けの代表
サッカー日本代表の取材で米カリフォルニア州サンノゼに来ている。6月にW杯本大会を控えるジーコジャパンは先月29日に宮崎市内でフィジカルトレーニング中心に1次キャンプをスタート。休みなしで、現在は米国で2次キャンプに入っており、練習内容もより実戦を想定した段階に入ってきている。
W杯イヤーとはいえ、今月の代表は超ハードスケジュールだ。米国キャンプ中の10日(日本時間11日)には今季初の親善試合、米国戦がサンフランシスコ(SBCパーク)で行われる。さらに18日にはフィンランドとの親善試合を静岡スタジアムエコパで、22日にはインドとのアジア杯予選を神奈川・日産スタジアムで、そして28日にはドイツ・ドルトムントのウェストファーレン・スタジアムでボスニア・ヘルツェゴビナとの親善試合を行う。28日しかない2月のうち、日本代表のスケジュールが入っていないのは13~15日と23、24両日。ただ、その5日間も所属クラブに戻っての練習や写真撮影など予定が入っており、日本代表選手はほとんど休む間もなく、W杯への準備に追われる。
我々、代表に同行している記者たちもハードだが、選手と比べれば「ゆとり」がある。4日までの宮崎合宿では代表チーム部の粋な計らいで、ジーコジャパンが練習するグラウンドでサッカーの試合を1時間ほど楽しんだ。もちろん、仕事が終わった後には夜の街へ連日繰り出し、宮崎のおいしい食材や焼酎などを堪能。美食ざんまいの1週間で、ほとんどの記者がオーバーウエートのまま、1次キャンプを打ち上げた。
今年で3年連続となった日本代表宮崎合宿だが、代表の「街」への浸透度はゼロに等しいことが、連夜の「会合」で分かった。どこの店へ行っても飾られているのは、毎年宮崎市でキャンプを張るプロ野球巨人関係のサイン色紙ばかり。代表関係のサインにはついにお目にかかれなかった。代表広報によると、夜の街へ繰り出す選手などいない、という。7日間、1日の休みもなく、W杯へ向けたフィジカル中心のハードトレーニングの連続。本紙評論家で元日本代表DF井原正巳氏は「自分が現役のころは最終日に街へ出掛けることもあったけど、選手は疲れちゃって、それどころじゃないと思いますよ」。実際に自由時間には昼寝、各種ゲーム、インターネットをしたり、DVDを観賞するなどホテル内で過ごす時間がほとんどだという。
滞在したホテルで宮崎のおいしい料理が並んだとはいえ、代表選手には「どこどこの店に何を食べに行こう」とか観光名所を巡ったりという楽しみはない。それが仕事とはいえ、サッカー漬けの毎日。海外を含め遠征の多い日本代表だが、行った先々での「文化」に触れる機会、時間は多くない。サッカーというスポーツで世界を目指す上では仕方のないところだが、人間としての幅を広げるという点で、せっかくの機会を生かせない選手をちょっぴりふびんに思う。
February 9, 2006 11:54 AM
2006年01月30日
常夏の代表に1勝を
サッカー日本代表が29日から、06年最初の合宿に入る。初日には、日本代表オフィシャルスポンサーのキリンビール、キリンビバレッジから飲料の贈呈があり、オフィシャルサプライヤーのアディダスがアウエー用の新ユニホームを発表するなど、華やかなムードの中、W杯イヤーが幕を開ける。3大会連続でW杯に出場するとあって、ジーコジャパンに対する注目度はこれから大会(6月9日開幕)まで、日増しに高くなっていくだろう。
一流ホテルに宿泊し、そろいのトレーニングウエアを着て、温暖な宮崎で、サッカーに専念する。日本には、代表チームが強化を図る上でこれ以上ない好環境が整っている。当たり前といえば当たり前のことなのだが…。
つい1週間前にグアムへ出張した。日本から空路3時間余りの常夏の島で、代表チームの練習を見学する機会があった。国際サッカー連盟(FIFA)の支援もあって、照明付きの立派なグラウンドをはじめ体育館など施設も整えられている。だが、その練習風景を見て正直「どこの草サッカーチームが練習しているのだろうか」と思った。グアム代表の選手たちが着用している練習着はバラバラ。マンチェスターUのレプリカユニホームを着ている選手がいれば、青い有名メーカーのロゴが入ったシャツを着ている選手もいる。また、使用しているボールのメーカーも統一されていない。この日の練習に集まってきたのも、たった13人だった。
グアムは96年にFIFAに加盟。以降、代表チームは公式戦18戦全敗で、昨年末のFIFAランクも205チーム中204位と「ブービー」だ。同じ「代表」だが、ランク15位の日本とグアムでは「月とスッポン」。だが、泣き言を言わずに、練習を見守る日本人が、そこにいた。昨年2月に日本サッカー協会からグアム協会へ派遣された元名古屋コーチの築舘(つきたて)範男監督。練習では「イメージしろ! パスするときのボールの速さだ。速いに越したことはないけど、相手との距離が近いのに、速いパスを出して相手が受けられなかったら意味がないだろ」と英語で、初歩的なことを何度も何度も教えていた。
「1勝することが目標です」。築舘監督はそう話すが簡単ではない。代表候補は40人前後いるが、日本のようにプロ選手はいない。日々の練習に出てくるのは多くても20人。それも仕事が終わった夕方からで、休日の日曜は「家族との時間を過ごしたい」という選手の声もあり、練習を休みにせざるを得ないのだという。
「日本でいえば草サッカーレベル。ポジションもシステムもありませんよ。GKとFWが兼任だったり。だけど、大変なんて思ってません。サッカーを教えること、やることに変わりはないですから」。環境の違いにも決してくじけない「勝利」への強い意欲を感じた。築舘監督の情熱が、実を結ぶ日が来ることを願わずにはいられなかった。
January 30, 2006 10:25 AM
2006年01月20日
理念へつなぐ好パス
日本サッカー協会が、6月9日に開幕するサッカーW杯ドイツ大会の“前哨戦”で、世界のトップ5入りを果たした。といっても、ペン記者に与えられるW杯取材パスの話。この15日でドイツ大会への取材申請が締め切られたが、日本には約130枚が発行されることになった。
前回の02年日韓大会では、会場ごとにローカルパスも発行された。そのため今回と比較できないが、94年の米国大会が約30、日本がW杯へ初出場した98年フランス大会が約60という枚数からすると、異例の多さといっていいだろう。そのうち日刊スポーツには4枚の割り当て。94年の米国大会まで1枚、98年フランス大会でようやく2枚だったことを考えれば、地元開催の前回を除けば倍増、倍増と増枠した感覚。同協会が、国際サッカー連盟(FIFA)へ積極的に働き掛けたことが倍増を勝ち取ることにつながった。
ジーコジャパンが昨年6月8日にW杯へ世界一番乗りを果たしたことも追い風となり、報道陣からの増枠要求が、まだ出場国が半数も決まっていない段階で同協会に出された。これに同協会も迅速に対応した。W杯アジア最終予選の取材実績(ペン記者100人超)を資料として用意。9月に開催されたU-17(17歳以下)世界選手権に役員としてペルーへ出向いたFIFA理事でもある同協会の小倉純二副会長が、FIFAの広報担当らと直接交渉し、日本マスコミのサッカーへの関心の高さ、取材実績などを粘り強くアピールした。その結果が、130枚という倍増につながった。
日本サッカー協会では昨年の元日、同協会の理念、ビジョンなどを2005年宣言として発表した。その中で、10年後の15年までに「世界でトップ10の組織」となることを約束している。同協会の手嶋秀人広報部長は「ペン記者へのパスが通信社を含めて約130確保できた。これは世界のトップ10どころか、恐らくトップ5に入る数字」と胸を張った。
将来の目標達成に向け、日本国内のサッカー熱を冷まさないという意味においても、報道できる環境を確保したことは大きい。FIFAでは国別のパス発行枚数を明かしていないが、開催国のドイツに次いで、英国、ブラジルなどとともにトップ3を争う数字、と推測される。
W杯のパスぐらいで、トップ3だのトップ5だの言っても、まだ世界のトップ10に入る組織とはいえないことは、同協会関係者も自覚している。ただ、近い将来に世界のトップ10の組織、さらに50年までにW杯を日本で開催してその大会で優勝するという約束の実現に向け、最初の1歩を踏み出したことは間違いない。
小倉副会長は「待っているだけじゃダメ。積極的に働き掛けていかないと」という。たかがパスの話だが、同協会にとっては大きな自信になる倍増確保。6月9日からの本番、さらに9年後の15年、44年後の50年の目標達成へ幸先の良いスタートを切った。
January 20, 2006 11:19 AM
2006年01月10日
喜べない道具の進歩
3日遅れの正月休みを利用して、家族と2泊3日で軽井沢へスキー旅行に出掛けた。本格的に(といっても趣味程度だが)スキーを始めて20年以上になるが、ここ数年でスキー場での風景も様変わりした。スノーボーダーが圧倒的に増え、W杯が開催できそうなハーフパイプのゲレンデまで開設されていた。自分がスキーを楽しむのは1シーズンに多くて2回。スノーボードに新たに取り組むどころか、ここ10年は新しいスキー板さえ買っていない。ただ、そのスキー板も時代遅れになっていた。
ゲレンデでほかのスキーヤーを観察して気付いたのは、スキー板が短いことだ。200センチというような、長い板でスキーを楽しんでいる人を探すのはなかなか難しい。今の主流は自分が使っているような「ノーマルスキー」ではなく「カービングスキー」といって、トップとテール(スキー板の前と後ろが)が幅広で、ノーマルと比較して板が短いのだ。カービングスキーを使用すると、圧倒的にターンがしやすいのだという。
技術のなさを、道具がカバーしてくれる。スキーだけではなく、ゴルフもそうだろう。スキーと同時期に始めたゴルフも最初はパーシモン(柿の木)のドライバーを使っていた。なかなか「芯(しん)」に当てることができなかったが、その後、メタル、チタンとドライバーのヘッドも様変わりし、今ではヘッド体積が400CC前後が当たり前という大型ヘッド時代になり、打ち損じが減った。
自分のように趣味でスキーを楽しんでいる人間にとっては、カービングスキーの登場がよりスキーへの楽しみを広げてくれるだろう。また、大型ヘッドのドライバーに代表されるゴルフ用具の進歩も、ゴルフをエンジョイする上で大きな手助けになっている。
ただ、用具の進歩に頼ってばかりじゃいけない、と思うこともある。少年野球のコーチをしている、と以前にこのコラムで書いた。教え子たちが「将来はプロを目指したい」と言うなら、最近登場した「芯」の幅が広い、飛ぶバットは使わないよう指導している。野球を楽しむ分には、すごくいいバットだと思うし、実際に使用すると確かにボールが飛ぶ。だが、一番成長する時期にバットの「芯」でボールをとらえる技術を体得できないのは弊害になる。将来、プロになってこのバットを使えるのであれば、話は別なのだが…。
記者になって15年以上経過するが、最近は漢字を書けなくなった。入社した当時と比べて原稿を手書きする機会が激減。ワープロ、そしてパソコンへ移行して原稿を「打つ」ようになったため、手紙やはがきを書こうとしても漢字が頭に浮かんでこない。結局、パソコンをたたいて、出てきた漢字を書き写すという情けない状況になっている。
技術はこれから、ますます進歩していくだろう。登場してくる便利な用具や機械に、頼るか頼らないかの見極めを、これから、しっかりとしていきたい。
January 10, 2006 11:45 AM
2005年12月30日
世界との差「タフ」が鍵
もう10年前になるが、ゴルフ担当をしていた。全英、全米、全米女子オープンなど海外ツアーも取材したが、日本人選手が勝つシーンを目の当たりにすることはできなかった。ラフに行こうが、ティーショットを飛ばしておけばアドバンテージがあり、好スコアが出やすい日本ツアー。それに対して、飛ばしてもフェアウエーにきっちりコントロールできなければスコアメークしづらい米ツアー。すべてが当てはまるわけではないが、日米両ツアーを現場取材し、大まかにそんな印象を持った。日ごろから、どんな環境でもまれているか。1打1打にシビアさを要求される環境に身を置かなければ、世界との差は縮まらない。記者としての実感だった。
今月3日、イングランドのプレミアリーグを見る機会があった。日本代表MF中田英寿が所属するボルトンとJリーグ名古屋で指揮を執ったことがあるアーセン・ベンゲル監督率いるアーセナルとの一戦。残念ながら、中田英はベンチから外れたが、Jリーグの試合を見慣れている記者には新鮮だった。
Jリーガーなら倒れてしまいそうな相手のタックルにも、プレミアリーガーたちはひるまず、前へ前へと進んでいく。もちろん、審判にファウルをもらおうとしてオーバーに倒れる、なんてこともない。そんなタフな選手たちを裁く審判も、なるべく反則の笛を吹かずにプレーを続けさせようとする。驚いたのは「反則だな」と思ってみていたシーンから、2プレー後に審判の笛が鳴ったときだった。主審は「アドバンテージ」をとり、反則を受けたチームがボールを奪われるのを待って、ようやく笛を吹いた。その間、ほんの2、3秒だったかもしれないが「そこまで笛を待っていいの?」と正直、思った。選手、そしてチームは、主審の笛が鳴るまで貪欲(どんよく)なまでにゴールへ迫る。一方で、主審はゴールへ向かう選手たちの姿勢を最大限に生かし、引き出すレフェリングに徹する。1プレー1プレーに対するシビアな環境が、プレミアリーグには根付いているような気がした。
そんな思いを胸にして帰国した直後、来年1月1日から日本サッカー協会審判チーフインストラクターになる小幡真一郎氏(53)の就任会見があった。同氏は「スピーディー」「フェア」「タフ」という3つのキーワードを示して、来季からの改革を宣言。その中で「タフ」なサッカーについて「多少の接触があってもプレーを続けさせる」「ゴールを目指す姿勢を引き出す」「アドバンテージをとって、多くのゴールシーンを生み出させる」など、明確なビジョンを示した。
厳しい環境の中に日本のサッカーを置かなければ、世界との差は縮まっていかない。「ひ弱」なJリーグが「タフ」なJリーグに変わらない限り、W杯優勝なんて「夢物語」。小幡氏の目指す「タフ」なサッカーで、審判を、そして選手を成長させてもらいたい。
December 30, 2005 11:44 AM
2005年12月20日
代表気分!?敵国と交流
初めて行った知らない土地で歓迎されるのは、うれしいものだ。
来年6月9日に開幕するサッカーW杯ドイツ大会の抽選(9日、ドイツ・ライプチヒ)で、日本はブラジル、オーストラリアとともにクロアチアと同じ組になった。日本からの直行便があるドイツ・フランクフルトから飛行機で約1時間半の近距離ということもあって、私はドイツからクロアチアへ取材に行くよう命じられた。いきなり「敵国」へ飛び込んでいって、取材をさせてもらえるのだろうか? 大きな不安を抱えながらのザグレブ入りだったが、杞憂(きゆう)に終わった。
現地に入ってさまざまな人たちの手助けを借りながら情報を集める中、15日にクロアチア協会が記者会見を開くことが判明した。門前払いも覚悟する中で市内のホテルへ行くと、ロティム広報担当から「よく来てくれました」と歓迎され、セレブリッチGS(専務理事)からも「こんにちは」と日本語で温かく迎えられた。この日は欧州各国の協会関係者がザグレブに集まっての研修会があり、同国のワインメーカーと代表チームがスポンサー契約を締結し、記者発表する大事な日だった。
そこへ通訳らを同行した日本の報道陣が押しかけた形になったのだが、嫌な顔ひとつしなかった。一通りの記者発表が終わってからの質疑応答では、W杯関連の質問も受け付けてくれた。冒頭でズラトコ・クラニチャール監督(49)は、同国と友好的な関係を続けている日本に対して感謝。02年W杯日韓大会でお世話になった新潟・十日町市、富山市、さらにユースチームが今年、招待された仙台市へお礼のコメントを並べた。それからW杯関連、特に日本についての質問に1つ1つ丁寧に対応した。
さすがに手の内を明かすようなコメントはなかった。それでも、クロアチア代表について問われると「よく聞いてくれた」と言わんばかりに、中心選手に成長した自分の息子(MFニコ・クラニチャール)のことを交え、自慢の選手たちをPR。会見後には、日本人報道陣だけの取材にも応じるサービスぶりだった。
さらに会見が終わってのホテルのラウンジ。私がカメラを出したまま大急ぎで原稿を書いていると、同監督が横のソファに座った。「せっかく日本から来たんだから、あなたのカメラで監督との2ショットを撮りなさい」。監督と同席したスポンサー関係者がカメラを持った瞬間に、さっと立ち上がってスタンバイ。監督は「遠くまでよく来てくれたね。お互いに頑張ろうじゃないか」と笑顔で手を差し伸べてきた。これまで日本協会、そして日本人がサッカーを通じてクロアチアへしてきたことに対する恩返しを、僭越(せんえつ)ながら私が代表して受けたような気がした。
W杯ではジーコ監督率いる日本代表の上位進出を願っているが、それと同時にクラニチャール監督が育て上げたクロアチア代表にもエールを送りたい。
December 20, 2005 12:28 PM
2005年12月10日
「目標」でなく「約束」
サッカーW杯の抽選取材でドイツにいるが、最近「やせなきゃ」という気になっている。不規則な生活に飲み過ぎ、食べ過ぎに運動不足もたたって、ウエストがきつくなってきた。高校3年から183センチ、75キロを維持してきたが、40歳になって腹回りのぜい肉が気になるように。体重オーバーの現実に「1カ月に3キロやせたい」という目標を立てている。しかし、達成するどころか「誘惑」に負けてしまう毎日が続き、ウエストがさらにきつくなりつつある。
目標が果たせないなら「1カ月に3キロやせる」とこのコラムで宣言し、約束する(しかない)。そこまですれば、いいかげんなことはできなくなる。私のことを知っている人も、顔を合わせれば「やせた?」とプレッシャーをかけてくれるだろう。
目標を立てるのは簡単だ。自分の周囲にも「いついつまでに○キロやせたい」と毎日のように言っている人がいる。だが「いついつまでに○キロやせる」と約束する人はそうはいない。約束でもしないとどこかに「甘え」が出てしまう。スポーツ取材の現場にいても「優勝したい」と目標を口にする人はいても「優勝する」と約束できる人はそうはいない。
数少ない「約束できる人」の1人が、日本サッカー協会(JFA)の川淵三郎キャプテン(会長=69)だ。同協会では今年の元日、2005年宣言を発表した。内容は10年後の15年までに「サッカーファミリーを500万人に。日本協会、日本代表が世界のトップ10となる」(JFAの約束2015)、45年後の50年に「サッカーファミリーを1000万人に。W杯を日本で開催し、その大会で日本が優勝チームとなる」(JFAの約束2050)というもので、同キャプテンが今年の天皇杯決勝の前にファンに約束した。
最初にこの宣言を聞いたとき、どうして「約束」にしたのかと思った。「ベスト10に入りたい」「W杯で地元優勝したい」という目標でいいじゃないかと。だがこの1カ月半、同キャプテンの取材を重ね「約束」履行への強い決意、妥協を許さない姿勢を感じた。協会トップにいながら強行軍で全国を行脚し、地域が抱える問題に耳を傾けた。「Jリーグを開催できるスタジアムがない」と聴けば「知事を説得する」と即答。悪いものは改善し、いいものは取り入れ、スピードが伴う改革を断行している。ビジョンを示し、その先頭に立って努力する姿勢が周囲を動かし、この10年余りでの日本サッカーの急速な発展につなげたことは疑う余地がない。
「何が何でもやり遂げたいと思ったから」。川淵キャプテンは2005年宣言について単なる「目標」じゃなく「約束」にした理由を説明した。約束とは「決まり。今後に関して相互で取り決めること」とある。「そのころ(W杯で地元Vするころ)には生きていないな」とつぶやいた同キャプテンだが、今は全責任を背負い、約束履行へ全身全霊を傾け突っ走っている。
December 10, 2005 12:22 PM
2005年11月30日
世界へ恩返しする番
「優勝」は本当にいい。少年野球のコーチになって約半年、10チーム足らずが参加しての市内大会だったが、ようやく指導者として初Vを経験した。記者としてスポーツ現場で何度も優勝シーンは見てきた。なのに、その感動は特別だった。勝つことで恩返ししてくれた子供たち。納会では、さらなる成長を願って焼き肉パーティーでお祝いをすることになった。
私事でコラムを始めたが、そんな出来事があった27日、日本サッカー協会の小倉純二副会長(67=FIFA理事)から国際電話をもらった。内容は、日本協会を代表して出席したサッカー全英アマチュア選抜、ミドルセックス・ワンダラーズ100周年記念パーティーの様子を伝えるためのものだった。いつも明るく気さくな小倉副会長だが、この日、受話器から伝わってくる声の様子はいつも以上にハイテンションだった。
02年W杯日本招致の「顔」としても活躍し、往年の名プレーヤーとして世界的に有名なボビー・チャールトン氏ら460人が出席する中で、同副会長は日本を紹介するプレゼンテーションを行った。同時に日本代表に「けいこ」をつけてくれた「恩人」たちへ記念品を贈呈。「今年は100周年とあってパーティールームに人が入りきれないほど盛況だったんだよ」。同副会長の声は弾んでいた。
ミドルセックス・ワンダラーズといっても、ピンとこない人も多いだろう。初来日はメキシコ五輪予選を控えた67年5月だから、40年近く前になる。釜本や杉山ら翌年銅メダルに輝く日本代表を3-1で一蹴し、74年まで11試合で6勝2分け3敗。本場としての強さを見せつけた。60年代には欧州や南米代表を日本に呼ぶなど夢だったが、ワンダラーズは交通費だけで来てくれた。
小倉副会長は「このチームがなかったら、日本はもっと遅れていた」と言う。100年間で44カ国を回ったという放浪者=ワンダラーズは、どんな気持ちで日本協会の使者をパーティーへ迎えたのだろうか。「けいこ」をつけてから35年で日本は02年W杯を成功させ、日本代表は今年、3大会連続のW杯出場を決めるまでに成長した。サッカー大国へと成長した日本の勇姿に、感動も特別だったのではないだろうか。
今度は日本が世界へ恩返しする番だ。日本協会では現在、アジアの3協会へ代表監督を派遣している。「将来的には欧州にも指導者を送りたい」と川淵三郎キャプテン(会長=68)は言う。ミドルセックス・ワンダラーズの来日から38年の歳月を経て、指導者のみならず優秀な人材やチームが日本から海外へ出て、サッカーのレベルアップに貢献する機会も一層、増えることだろう。
小倉副会長は「日本協会でもあんなパーティーができたらいいねえ」。100年間ワンダラーズがやってきたこと、日本協会、そして我々のような少年少女の指導者たちがやろうとしていること。競技やレベル、規模、やり方の違いこそあれ、その思いは同じだ。
November 30, 2005 11:29 AM
2005年11月20日
なでしこ強化態勢を
昨年8月のアテネ五輪で、サッカー男子の23歳以下日本代表とともに注目された日本女子代表。最近はすっかり「なでしこジャパン」の愛称を耳にしなくなった。今年の国際大会は8月に男子と同時開催された東アジアサッカー大会だけ(男子は東アジア選手権として開催)。テレビで中継されたものの、北朝鮮には0●1、中国には0△0、韓国には0△0と3戦連続無得点に終わり、4チーム中3位という不本意な成績に終わった。来年6月9日開幕のW杯ドイツ大会への出場を決めた男子と比較して、あまりにも寂しい1年になってしまった。
ジーコジャパン年内最後の試合、アンゴラ戦が行われた16日までの1週間、なでしこジャパンの合宿が、約3カ月ぶりに福島県内で実施されていた。アテネ五輪初戦のスウェーデン戦で決勝ゴールを挙げ、人気者になった日テレFW荒川恵理子も、右すねプレート除去手術から11カ月ぶりに代表復帰。トレードマークの髪形「アフロ風オバ(さん)パーマ」は変わらず、精力的な動きを見せた。
1週間のキャンプでは「ハイプレッシャーの中でボールを失わずに前線まで運ぶこと」「得点力不足解消にシュートの精度を上げること」(大橋監督)を中心に練習をこなしてきた。アジアを勝ち抜き世界と互角に戦うため、男子高校生と練習試合を重ねた。荒川は「女子サッカーをもう1度盛り上げたい」という。プロ選手は日テレMF沢穂希だけだが、サッカーへの情熱は男子に負けていない。
実は来年7月に女子もW杯予選が控えている。女子の場合はアジア選手権が07年W杯中国大会の出場権を懸けた予選。男子のW杯まで7カ月足らずだが、女子のW杯予選もあと8カ月後にやってくる。大橋監督は「まだ、上位何チームがW杯切符を手にできるのか、どこでやるのかも決まっていないんです。それでも、何としても出場権を取らなければと思っています」。負けられない戦いが、もうすぐやってくる。
日本サッカー協会の川淵三郎キャプテンは先月から今月にかけ、全国9地域の協会を回って「全国からの声」に耳を傾ける訪問会議を実施している。その中で、女子サッカーへの意見も多い。「Lリーグのチームを立ち上げたい」「女子にも技術委員会をつくるべき」など普及、活性化、強化へ女子への期待は予想以上に大きい。女子代表が00年シドニー五輪の出場を逃し、女子サッカー人気は数年にわたり低迷した。
しかし、アテネ五輪での活躍を契機に全日本女子とLリーグ女王が激突する、なでしこスーパー杯が今年生まれ、L1リーグも2回戦から3回戦制となり、全日本女子への出場も32チームへ増えた。日本協会、Lリーグ、なでしこジャパン、みんな頑張っている。この頑張りを無にしないためにも、ちょっと「ないがしろ」にされつつある、なでしこジャパンの強化へ時間と環境をもう少しつくってほしい。W杯出場を逃す、なんてことがないように。
November 20, 2005 10:43 AM
2005年11月10日
他人任せの「どうせ」
「どうせ、ウチは弱いから」とか「どうせ、ホームスタジアムがよくないから」というような発言を、何度も耳にしていた。昨季までサッカーJ1リーグの観客動員で8年連続最下位(今季も29節終了時点で最下位)と低迷するジェフユナイテッド市原・千葉の関係者が、ホームに観客を呼べない理由として、この2点を挙げていた。
そんな千葉が、5日決勝のJリーグナビスコ杯でJリーグがスタートして13年目で悲願の初タイトルを手にした。シュート数こそ倍の22本を浴びたが、日本代表MF阿部を中心に粘り強い守備で、JリーグNO・1の攻撃陣を誇るG大阪を完封。結果的にはPK戦での勝利だったが、先手をとったオシム監督の選手交代、鍛えられた「若き」イレブンが走り勝った終盤の勢いが、優勝につながったように思う。千葉を93、94、04年と3シーズン担当した記者として、優勝を心から祝福している。心からおめでとう、と言いたい。そして、これからの一層の飛躍をチームには期待したい。
10月16日にはJR蘇我駅から徒歩圏にサッカー専用スタジアム(フクアリ)がこけら落としを迎えた。冒頭の「どうせ、ウチは弱いから」「どうせ、ホームスタジアムがよくないから」という言い訳はこの秋に一気に解消。ナビスコ杯優勝を飾った「11・5」はチームにとって、転機にならなければいけない記念日だ。
ただ、少し心配もしている。ナビスコ杯決勝を前にした10月、チーム関係者は晴れ舞台の観客動員へ積極的に動いていたようには見えなかった。「どうせ、たくさん入っても(決勝は)Jリーグのもうけになるだけだから」。このたぐいの発言を05年の担当記者から報告され、観客動員に必死で動き回ったJリーグ事務局の関係者から聞き、さらに自分自身でも耳にした。G大阪はバス20台の応援ツアーを実施し、チームスポンサーになっている飲食チェーンを決勝のサブスポンサーに決めた。各店長を国立に集めてチームの晴れ姿を見せ、スポンサーとしての支援継続を訴えた。「結果的にそこそこ入りそうだから良かったね」。4日の決勝前夜祭で「他人任せ」といわんばかりの発言をした千葉関係者の姿勢とは雲泥の差だ。
千葉からすれば、残り3試合があるフクアリでのリーグホームゲームの動員に必死なのだろう。だが、ナビスコ杯決勝という絶好のアピール舞台を前にしても「どうせ…」の発言が出た時には残念でならなかった。「どうせ」という言葉を辞書で調べると「宿命的にそう決まっており、それ以外に選択の余地は無いことを表す」(三省堂・新明解国語辞典)とある。千葉関係者が口にしてきた「どうせ…」は「あきらめた」というようにしか聞こえなかった。それも、もう通用しない。「客が入らないから」とここ数年は年俸を抑えられながらも、あきらめず、プロとして結果を出した選手たち。これに報いる、千葉フロントの結果にこれから注目していきたい。
November 10, 2005 11:14 AM
2005年10月31日
Jも千葉11・5必見
プロ野球でロッテが31年ぶりに日本一に輝いた。少年野球のコーチをするほど野球好きだが、サッカー担当をしている関係もあって、恥ずかしながらMVPの今江をはじめ、若手選手のほとんどの顔と名前が一致しなかった。23日の第2戦を観戦した千葉市民でもある日本サッカー協会の川淵三郎キャプテンも完封勝利を飾った渡辺俊、今江を知らなかった。そして、その活躍に驚いたという。
日本シリーズに入ってテレビ中継が全国ネットになり、ロッテの快進撃とともに選手の顔と名前を一致させた人も多いことだろう。テレビ観戦した人の中には今江の8打席連続安打にしびれ、地面すれすれから浮き上がってくる渡辺俊の投球に驚き、スタンドとグラウンドが一体になるロッテファンの応援に魅せられ、来季は千葉マリンスタジアムへ応援に行きたい、と思った人も少なくないだろう。私も31年前、金田正一監督のパフォーマンスと優勝に刺激され、ロッテファンクラブに入り、神宮球場に試合を見に行った。
今季のロッテのように、日本一を争うような大舞台でプレーすることは、チームを大きくする可能性を秘めている。ロッテと同じ千葉市にホームを置く(市原市もホームタウン)サッカーJリーグのジェフ千葉にも、その可能性がある。G大阪とのナビスコ杯決勝(11月5日午後1時5分開始、東京・国立競技場)で、Jリーグが開幕した93年以降、初のタイトルを狙う。
千葉は98年にナビスコ杯決勝で磐田に0-4と敗れ、J初タイトルを逃しており、今回は鼻息も荒い。というのも、今年10月に千葉市内に新スタジアムがオープン。昨季まで8年連続のJ1観客動員最下位という不名誉な状況を抜け出すにはこれ以上ない「ハード」が完成したからだ。フクダ電子アリーナ(フクアリ)はJR蘇我駅から徒歩圏のサッカー専用スタジアム。就任3年目のオシム監督の下、実力をつけた千葉にとって、多くのサポーターを集められる環境がこれまで以上に整った。
ナビスコ杯決勝はそのホーム、フクアリではなく、国立競技場で行われる。だが、Jリーグでは少なくなった地上波全国ネット(フジテレビ系列)で生中継がある。サッカー記者の間でも「見ていて面白い」千葉オシムサッカーをアピールできる絶好の機会。今後、毎回のようにフクアリを満員にし、J1観客動員の「万年」最下位を脱出する転機になる可能性もある。
前千葉担当(93、94、04年に担当)としてナビスコ杯決勝には、ぜひ、注目してほしい。日本代表MF阿部の堅実な守備に右足からの決定力があるFK、同FW巻の体ごとゴールへ向かうヘディング、またMF坂本のハードマーク、MF佐藤の果敢な攻め上がり、さらに水本、水野、山岸らイキのいい若手もいる。走りまくる攻撃的なサッカーを展開する千葉の戦いぶりに、川淵キャプテンが今江、渡辺俊を見て驚いたように、新たな発見があるかも。お見逃しなく!
October 31, 2005 11:10 AM
2005年10月21日
プロは影響力大きい
埼玉県内で少年野球チーム(幼稚園~小学5年)のコーチをしている。毎回「相手の胸を狙ってボールを投げろ」とか「ゴロは腰を落として捕れ」と繰り返し基本を教えているが、なかなか身につかない。そんな子供たちにとって元プロ野球選手の教え、プレーは特別だったようだ。
先日、巨人で投手として活躍した水野雄仁氏が野球教室の講師として、チームが練習する小学校へ来た。体育館での講演と校庭の実技など、ほんの数時間の滞在だったが影響力は大。水野氏から「四球を出さないためには、どうすればいいか」を教わったエースのM君は、その教えを実践して練習し、四球数を減らした。また、水野投手からヒットを打ったU君は自信をつけ、チームで中軸を任せられる打者に急成長した。記者は水野氏とは同い年だが、元プロ野球選手との影響力の違いは、歴然だった。
一般的に子供たちがプロ選手と触れ合う機会は、決して多くない。だが、子供たちと話しているとテレビ中継などを見てプレーを参考にしたり、まねたりと、プロから受ける影響は大きい。指導者として、実際にいいプレーはまねしてほしいと思うし「昨日の○○選手のプレーを見たか?」などと模範的なプレーを題材にして教えることも多い。これは野球だけでなく、サッカーをはじめほかのスポーツにもいえることだろう。
だが、サッカー担当記者として見ているJリーグのプレーには「参考にしてほしい」と、薦めることをためらうようなシーンも少なくない。選手から審判への見苦しい抗議もその1つだが、最悪と感じるのは選手の倒れ込みだ。相手選手に少し触れただけで簡単に倒れるし、反則をもらおうと主審を欺くようにオーバーアクションで転倒したり、主審の笛を強要するかのようにボールをつかんでしまう選手もいる。先日は、ペナルティーエリアへ切れ込んで得点機を迎えながら、相手に軽くタックルされただけで大げさに倒れ、PKをアピールする選手もいた。主審は倒れた選手のシミュレーションとしてイエローカードを提示する妥当な判定を下したが、大げさに倒れて反則の笛が鳴ることが多いのも事実。これでは、子供たちが「倒れておけば」と錯覚してもおかしくない。
8、12日の日本代表戦で、Jリーグでは反則となるような相手タックルに、笛が鳴らないシーンがたくさんあった。海外での国際試合、欧州でのリーグ戦を見ていても、倒れ込んでも簡単に反則をとっていない。少々の接触、反則にも相手ゴールへ向かう姿勢を崩さないのが世界基準。Jリーグが「倒れ込み」を放置していれば世界から取り残され、急成長した日本サッカーの進歩も止まる。
Jリーグにはいいプレーもたくさんある。倒れ込みは「悪」の一例だが、Jリーガーは将来を担う子供たちへ、大きな影響を与える立場にあることを肝に銘じ、プレーすべき。指導者の1人としても見本になるプレーが増えることを望む。
October 21, 2005 11:50 AM
2005年10月11日
秋は「全日本ユース」
サッカー日本代表は8日の国際親善試合でラトビアと2-2と引き分け、12日にはウクライナと戦う。Jリーグは9日にJOMOオールスターを終了。今週末からリーグ戦が再開され、残り8節の中で優勝が決まる。05年も4分の3を終え、今年の国内サッカーも終盤戦に入った。
注目が日本代表、Jリーグに集まる中で、ユース年代のNO・1チームを決める大会が行われている。野球なら春のセンバツ、夏の全国選手権が日本一を決める大会だが、サッカーは夏の高校総体、正月の全国選手権がその年代の日本一を決める大会ではない。サッカーには高校の活動とは別にJリーグの下部組織をはじめとするクラブチームが存在し、日本クラブユース選手権、Jユース杯も開催されている。
高校、クラブのチームが「真の日本一」を懸けて争うのは年に1度。先月23日開幕の高円宮杯全日本ユース選手権が、その舞台になる。全国9地域で開催されるプリンスリーグU-18が全国大会の「予選」で、勝ち抜いた高校、クラブの20チームに高校総体と日本クラブユースの優勝、準優勝の計4チームを合わせた24チームが、全日本ユースに出場。今日10日午後1時から、埼玉スタジアムで決勝(札幌ユース-東京Vユース)が行われる。
昨年の大会で活躍した広島ユースのFW前田俊介(現広島)星稜高MF本田圭佑(現名古屋)は今季、J1年目から試合に出場している。もちろん、今年の大会にも滝川二高のFW森島康仁、鹿児島実高のMF赤尾公、横浜ユースのFWハーフナー・マイク、広島ユースのDF柏木陽介ら将来の日本サッカー界を背負うであろう選手が、多数出場。正月の高校選手権と比較すると、注目度はまだまだ低い。だが、高校とクラブが互いの意地を懸けた戦いは、この大会でしか見ることはできない。テレビ中継も3年前から始まるなど、将来的に楽しみな大会になりつつある。
試合増を目的にリーグ戦方式(1次ラウンド)を導入してから今年で3年目。日本サッカー協会の川淵三郎キャプテン(会長)が「強豪同士の対戦が増えて選手、チーム力がアップしている」と話すように、ユース年代の強化に欠かせない大会になっている。同キャプテンは「(日本サッカー協会と大会を)共催する新聞社だけが大きく報道するのではなく、高校野球のようにどこの新聞社にも大きく扱ってもらえるような大会にしたい」とメジャー化を望んだ。
今日の決勝には、川淵キャプテンが「将来性がある」という札幌ユースのFW藤田征也、川村賢吾、MF西大伍が出てくる。東京Vユースにも、8日の準決勝で広島ユース相手にアベック弾を決めた征矢(そや)貴裕・智和兄弟ら楽しみな選手が多い。「夏」といえば「甲子園」というように、「秋」といえば「全日本ユース」、「体育の日」といえば「全日本ユース決勝」といわれる日が近い将来に来るかもしれない。
October 11, 2005 11:41 AM
2005年10月01日
謝罪して信頼回復を
サッカーJリーグ2部(J2)昇格1年目のザスパ草津に不祥事が連続している。9月中旬には、仮設スタンド購入の補助金をめぐり、草津町との協定に違反していたことが発覚。昨年10月に草津町で行ったJFL(日本フットボールリーグ)佐川印刷戦で、仮設スタンド購入費として町から500万円を受けとっていたが、実際にはレンタルで済ませていた。さらに、27日には大西代表取締役が前橋市で会見。賢持前社長の指示で3~6月にかけて当時のホーム、群馬県敷島公園サッカー・ラグビー場の使用料が有料入場者数と広告看板数によって決められることになっていたにもかかわらず、クラブが入場者数と看板の数を過少申告していたことを明かした。
クラブは協定違反が明らかになった17日の時点で「(前略)多大なご迷惑、ご心配をお掛けしました事をここに深くおわび申し上げるとともに、今後は、2度とこのような不祥事が起こらないよう全社員に対し、再度順法精神を徹底し、健全な経営体質が構築できるよう全力を挙げて取り組んでいく所存でございます(後略)」との大西代表取締役のコメントを公式サイトに掲載している。だが、そのわずか10日後に過少申告の件を公表。この件は6月に担当社員から内部告発があり、すぐに県に対し修正申告を行っている。つまり、協定違反の件が明らかになった時点で判明していることであり、過少申告の件を隠ぺいしようとしたと疑われても仕方がない。
クラブは6月、内部で過少申告の件が発覚したことを契機に、主要株主やスポンサーの了解を得た後、7月に大西代表取締役の勧告で前社長を辞任させた。その後、経営の見直しを行っている際に計算が合わず、町との協約違反が発覚したという。クラブ側は町に文書で謝罪し、補助金を全額返還する意向を伝えている。過少申告についてはすでに修正を終えているが、その行為は許されるものではない。支援者をはじめチームを信じて応援してきたサポーターを裏切った責任は重い。クラブは現在、Jリーグから熊地常務理事を派遣してもらい、銀行関係者も入って、内部調査を進めている。また、草津町から取締役を迎える方向で経営体制を一新させ、あらゆる業務に関して見直しを図っているという。
前身リエゾン草津が95年に創立されてから消滅の危機に立たされながらも、02年に草津温泉旅館協同組合の支援を受けて再出発。ザスパ草津と改称して、人口約7000人の温泉の町から、わずか3年でJリーグ参入を果たした。駆け足でJにたどり着いたが、昇格1年目に「スピード参入」の代償を思わぬ形で背負わされた。クラブはすべての調査を終え、事情を説明した上で謝罪し、処分と明確なビジョンを示して再スタートすべき。「スポンサーにはご理解をいただいており、離れるところもない」(クラブ関係者)のは幸いだが、草津はそれに甘んじることなく、信頼回復を急がなければならない。
October 1, 2005 10:27 AM
2005年09月21日
代表を優先すべきだ
サッカー日本代表主将、G大阪DF宮本恒靖の複雑な表情が印象的だった。12日に都内ホテルで行われた2005JOMOオールスターサッカー(10月9日、大分スポーツ公園総合競技場)のメンバー発表。J-WESTで最高得票を獲得し、あらためて人気の高さを証明したのだが、喜びでいっぱいという表情ではなかった。オールスターへ出場することは、少なくとも同時期に行われる日本代表の親善試合、ラトビア戦(同8日、リガ)欠場を意味している。
日本代表東欧遠征(10月4~13日)のメンバー発表は今月末に予定されている。ジーコ監督がどのような選手選考をするか注目されるが、今月7日の親善試合ホンジュラス戦に選出されたメンバーから宮本のほか、DF三浦(神戸)中沢(横浜)加地(東京)MF福西(磐田)遠藤(G大阪)小笠原(鹿島)FW大黒(G大阪)玉田(柏)はオールスター出場優先をジーコ監督から通達されている。ラトビア戦に続いて12日に行われるウクライナ戦(キエフ)へのオールスター組の参加も「ジーコの意向もあるが、DFの2、3選手になるのでは」(日本協会川淵三郎キャプテン=会長)と限定される見通し。オールスターのメンバー発表には、選手では宮本とJ-EASTの最高得票、MF阿部(千葉)しか姿を見せなかったが、サポーター投票で選ばれた両軍22選手が出席していたら、そのほかの代表組はどんな表情を浮かべていたのだろうか。
本来、オールスターは7月開催の予定だった。しかし、8月17日にW杯アジア最終予選の最終イラン戦があり、ジーコ監督の意向もあって、W杯予選に集中できるよう配慮した経緯がある。だから、10月に日程を移動したオールスターへ代表組の出場を優先せざるを得なかった。代表戦開催時期を外してオールスターを組み込むこともできないほど、日本サッカー界の日程は詰まっており、日程をバッティングさせることは苦渋の決断だった。
だが、選手の立場にしてみれば、オールスターよりも欧州組も参加する東欧遠征に参加したい気持ちが強かっただろう。来年6月にはW杯本大会も控え、23人のベンチ枠、さらにレギュラー争いは激化している。数少ないアピールの場を失うことに落胆するだろうし、数少ない強化の場を失う代表チームにとっても痛手。ましてや、出場するだけで満足していた98年フランス大会と違って、ドイツでは上位進出という結果を求められているし、チーム自体もそれを目指している。
個人の意見としては、オールスターより代表を優先すべきだと、今でも思っている。ただ、ここまで来たら、そうもできないだろう。オールスターに出場する代表組にはモチベーションを下げずに「夢のあるプレー」を見せてもらいたい。そして日本協会、ジーコ監督には、オールスター出場の代表組の中で強行日程にもウクライナ戦参加を希望する選手を、遠征メンバーに加えてほしい。
September 21, 2005 11:43 AM
2005年09月11日
審判向上の環境作り
Jリーグ、海外の国際ゲームを裁く日本人審判にミスが続いた。本来PKやり直しを命じなければいけない場面で相手に間接FKを与えてしまう。また、本来警告を出す場面で退場にしてしまう。Jリーグ、日本サッカー協会関係者が「あの優秀な審判が信じられない」と言う。ハンドかハンドじゃないとかいう、反則の見落としや微妙な判定ではなく、ルール適用を間違えている点に驚いていた。
ミスを犯した審判は反省しているだろう。今後へ向け当事者が細心の注意を払い、ほかの審判員も再発防止を心掛けるのは当然。だが、それだけでは根本的な解決にはならないと思う。
Jリーグを現場で取材していて、試合中の光景に「違和感」を覚えることがしばしばある。自分のチームに不利な判定が出ると、すぐに審判へ文句をつけ、詰め寄るシーンをよく目にする。プロだし、生活がかかっている。「しっかり見てほしい」という選手たちの気持ちは理解できる。しかし、審判へ敵対心をムキ出しにし、どう喝まがいの行為で精神的に追い詰めるシーンは、サッカーとはいえない。
Jリーグで笛を吹くある主審に話を聞く機会があった。実態もかなりひどい。「○○君、見てたよ。やめようね」などと危険なプレーに反則を取り注意すると「うるせー、この××」などと、汚い言葉を発する選手も少なくないという。「選手、そしてチームとの信頼関係を築いていかなきゃいけないけど、現状では信頼を得られていない」。結果を出さなきゃ行けない選手もそうだが、審判のプレッシャー、ストレスは想像をはるかに超えていた。
もちろん、審判にも問題はある。位置取りの悪さで正確な判定ができないなど、さらなる技術向上は不可欠。また、ストレスに負けないタフさ、常に冷静さを失わない精神的な強さも必要だ。一方で、選手をはじめチーム関係者も「ときにはミスもある」ことを理解した上で、審判の判定を受け止めなければならない。異議を唱えた選手が試合中に得することはない。異議があるなら、それをチームがとりまとめてJリーグへ提出すればいいし、Jリーグにはそれに対応するセクションもある。限度を超える異議申し立ては見苦しい上に、現状では審判のミスを誘発する要因になりかねない。
審判がレベルアップすれば、選手もプレーに集中でき、好プレーがさらに出てくる。また、試合中、選手が判定に異議を唱える場面が減れば、審判がスムーズに試合を運ぶケースが増え試合は面白くなる。もちろん、サポーターもプレーを妨げるような選手の異議申し立てには、応援するチームでもブーイングする必要がある。審判、選手+チーム、さらにサポーターが互いを尊重し合いながらゲームをつくっていく。最初は痛みも伴うかもしれないが、いまトライしなければ今回のようなミスは減らないと思う。ひいては、日本サッカーのレベルアップの妨げにもなるだろう。
September 11, 2005 11:46 AM
2005年09月01日
サッカーで教育改革
日本サッカー協会が将来のサッカー日本代表選手を育てることを主目的に、新しく中高一貫教育のエリートプログラムをスタートさせるのをご存じだろうか。初めてこのプロジェクトを聞いたとき、朝から晩まで練習また練習、6年間「サッカー漬け」の毎日を送らせるのだろうと想像していた。だが、実際は想像のような陳腐なものとはまったく異なるプログラムが用意されている。
同協会川淵三郎キャプテンは「日本の教育を変えるプロジェクト。立派な社会人を育てたい」という。プロジェクトの責任者、同協会田嶋幸三技術委員長は「日本の教育界に一石を投じるプロジェクト。自分自身、命懸けでやっています」と使命感を口にした。代表選手を育てるだけでなく、どの世界へ出ていってもリーダーになる「真の国際人」を育成することが目的でもある。学力低下、不登校、いじめ、校内暴力など日本の教育界に明るい話題は多くないように思う。自分の周囲を見回してみても、小学3年にして学級崩壊という現実がある。そんな日本の教育を変えようという意気込みが、幹部2人の言葉から伝わってきた。
この「JFAアカデミー福島」は来年度から、福島県、同県楢葉、広野、富岡各町と協力し、Jヴィレッジを拠点に地元の公立中学、高校と連携してスタートする。Jヴィレッジ周辺の寮に選抜した生徒を寄宿させながら、居住区にある公立中学4校、そして県立富岡高に通学させ、中高一貫教育で将来の日本代表選手を育てる。さらに、社会をリードしていける真の世界基準の人材育成を目指しているという。
環境は抜群だ。日本協会が責任をもって一流の指導者を送り、ピッチ内での技術、戦術指導はもちろん、サッカーに必要なピッチ外の知識も教え込む。また、アンリら代表選手を輩出しているフランスナショナルフットボール学院(INF)とも提携し、英才教育を施す。さらにサッカー以外にも力を注ぐ。どんな状況でもポジティブに物事を考え、自分の意見を発信できるリーダーを育てるべく、英語はもちろん第2外国語も習得させ、ディベートなども積極的に取り入れ、さまざまな角度から人材を育成していくプランだ。
ただ、同協会が「生徒4人のうち1人がJリーガーになれば」というように全員を日本代表にという目標が現実になるほど甘くない。それでも、Jリーガーになった者も含め「世界基準」の立派な社会人に育てる、という目標は達成するつもりでいる。一番、吸収力がある世代に最高の環境を提供しながらスタートする「エリート養成プログラム」。8月20日からは来年度入学者(男子小学6年、女子同~中学3年)を対象にした1次試験が始まった。日本サッカーの将来だけでなく、日本の教育界に新しい道を示すことができるのか。成果が出るまでには早くても10年近い歳月がかかるが、これからもしっかりと日本サッカー協会の挑戦を見守っていきたい。
September 1, 2005 01:01 PM
2005年08月22日
世界体感を早くから
サッカー日本代表のジーコ監督が「いばらの道」と表現した06年W杯ドイツ大会アジア地区予選が終了した。最終予選の最終戦となった17日イラン戦(横浜国際総合競技場)の開始前、選手、サポーターは黙とうをささげた。3月25日に行われたアウエー戦終了後にイランの勝利に興奮した地元サポーターが会場のアザディ競技場出口に殺到、亡くなった5人(40人がけが)の冥福を祈るものだった。20秒ほどだったが、黙とう後に当時の競技場の状況が鮮明に頭の中に浮かんだ。
12万人と通路も見えないほどのサポーターで埋まったスタンド。試合後に両監督の記者会見に向かうため、スタンド記者席からスタンド下にある会見場に向かおうとした。無理だった。勝利に興奮しながら帰路へ就くイランサポーターがスタンド上段にある出口に向かって殺到。勢いに押されて倒れそうになった時には、身の危険も感じた。「急がなければ」という思いとは裏腹に、逆方向へサポーターが動くのを待つしかなかった。日本では記者とサポーターの動線がほとんど交わることがなく、昨年2月18日の1次予選からのホーム6戦を通じて、取材に支障をきたしたことは1度もなかった。今季、Jリーグではサポーターによる暴行事件が何件か起こっているが、世界と比較すれば国内試合の安全度は世界トップ水準といえるだろう。
だが、イランを含めアウエー戦6試合中5試合の取材で「国内基準」は通用しないことを体感。イランで身動きがとれなくなっただけではない。携帯電話が肝心な時に通じない。原稿が送信できない。取材をするために必要なパスがなかなか手に入らない。取材エリアへスムーズに入れない。トラブルを数えたらキリがない。W杯予選のアウエー戦は我々にとっても何が起こるか分からない「いばらの道」だった。
若いころから世界を経験しているジーコジャパンの選手たちも同じだっただろう。コルカタ(インド)では試合中、停電に見舞われた。標高1300メートルのテヘランでは、空気の薄さに少なからず苦しみ、12万人という日本の倍に当たるサポーターの圧力を受けながら試合をした。さらに、第3国開催となった北朝鮮戦(バンコク)では、練習日に日本で経験できない激しい雷雨も体験した。日本だけで戦っていたら味わうことができない、予期せぬ出来事に何度も遭遇。ジーコジャパンも過酷なアウエー環境に動じなくなったはずだ。
今月14日まで行われた世界陸上で、海外レースへ積極的に挑戦した男子400メートル障害の為末選手が銅メダルと結果を出した。日本サッカー協会ではユース年代のアジア予選を国内に誘致せず、海外で戦うよう方向転換している。日本では味わえないことを、若いうちに海外へ出て体感する。「世界で戦うことを目標にするなら、どんな競技でもなるべく早く海外へ出た方がいい」。身をもって学んだW杯予選だった。
August 22, 2005 10:08 AM
2005年08月12日
サッカーをきかっけに
スポーツ観戦をしているときに、スタンドのファンが選手に浴びせるブーイングの意味、背景について、考えたことがありますか? サッカー東アジア選手権取材のため8日まで韓国に滞在していたが、その間、男女日本代表チームの取材を中心にしながら、ブーイングに注目していた。
目撃した最も大きなブーイングは、7日最終日の第1試合、男子の中国-北朝鮮戦でのものだった。2-0とリードした中国は、終盤になってピッチに倒れ込む選手が続出。選手交代すれば、ベンチに下がる選手は極力ゆっくりとした走り方で時間を浪費しようとする。第2試合の韓国-日本戦に集まっていた韓国人サポーターは、中国選手へ容赦ないブーイングを浴びせていた。反則ではないとはいえ非紳士的行為を連発した中国選手に日本代表ジーコ監督も苦言を呈していたように、韓国人サポーターのブーイングも同監督の苦言と同じ意味合いのものだろう。ただ、そのブーイングを後押しした背景に韓国人サポーターが南北の過去を乗り越えよう、北朝鮮を歓迎しようという友好ムードがあった。南北対決も実現した今大会。中国相手に戦う北朝鮮を韓国サポーターが応援する姿は、南北が友好関係を促進させたことを印象づけた。
ちょうど1年前、中国でのアジア杯では、試合前の「君が代」斉唱の際に中国人サポーターから大ブーイングを受けた。過去の両国間の歴史が背景にあった。日本サッカー協会小倉純二副会長は「国歌へのブーイングを理不尽だと感じる人も多いと思いますが、そこで歴史の話をしてもらえれば。政治とスポーツは違うというけど、きれいごとだけではない部分がある。サッカーでのそんな場面が(国と国との関係を学ぶ)いいきっかけにつながってくれればと思います」。
韓国滞在中の6日には、日韓両政府が指名した「日韓サッカー親善大使」のお披露目会見が行われた。6月に行われた日韓首脳会談で、国交正常化40周年に合わせた「日韓友情年」の一環としてサッカー親善大使設置が合意され、元日本代表DF井原正巳、元韓国代表MF洪明甫の両氏が大使として指名された。冷え込んでいる日韓両国の友好関係改善が期待されており、12月には済州島での親子キャンプが開催される。
会見で井原氏は「サッカーの楽しさを伝えたいし、日韓交流を深めたい」と韓国語であいさつ。選手としてブーイングを浴びた井原氏が、韓国人記者から大きな拍手を浴びた。サッカーという競技をきっかけに国と国との関係を学び、サッカーを通じて過去を乗り越え未来へ友好関係を促進していく。小倉副会長は「政府マターでスタートしたのは事実だが、1回きりのものでなく、ぜひ継続していかなければならないと考えている」。7日の日韓戦で日本へのブーイングはほとんどなかった。このコラムが、日韓関係を少しでも考える「きっかけ」になってくれたらと思う。
August 12, 2005 11:09 AM
2005年08月02日
考える選手の作り方
サッカー日本代表が出場する東アジア選手権を取材するため、7月29日から大田(韓国)に来ている。
韓国といえば…、と考えていると、数年前に見た情報番組を思い出した。確か、親が子供のために車を買い与えるのが当たり前、というような内容だった。子供の立場だったら「いいなあ」と思う半面「ちょっと過保護じゃない」と感じたことを思い出した。今回の取材で、報道陣の案内をしてくれているガイドの朴さんに実情を聞いてみると「お金に余裕がある家庭は車だったり、家だったり、いろんな物を子供に買い与えていますよ。昔よりはそういう家庭が少なくなり、都市では核家族化が進んでいますが、私の弟も車を買うときに援助してもらってました。その分、子供は親を大事にする、そして、自分たちが親になったときには子供のために、という気持ちが強いようです」と教えてくれた。自分や自分の周囲を見てみると、韓国まではいかないまでも、子供や後輩の面倒を「よくそこまでみているなあ」と思うことがよくある。
ただ、日本代表のジーコ監督を見ていると、いい意味で選手をほったらかしにしている気がする。
来年のW杯出場権を獲得し、今大会には新しい戦力として初招集組5人がメンバー入りした。故障者が2人出たことや、欧州組が招集できない事情もあってのことだが、昨年2月からのW杯アジア予選でFW大黒(G大阪)らたった3人しか初招集組がいなかったことを考えれば大量だ。
初代表組が初練習に臨むとき、ジーコ監督は円陣で拍手をしながら新人を迎える。今回はMF今野(東京)村井(磐田)FW田中達(浦和)巻(千葉)DF駒野(広島)。恒例の儀式だが、それ以上、ジーコ監督が新人に指示を与えることはほとんどない。
紅白戦やフォーメーション練習をするときも、円陣を組んで指示を与えるのはいつも主力組。チーム戦術を浸透させるとか、チームとして意思統一を図るなら、全員を集めて指示すればいいはずだが、練習が始まってから選手全員を集めて指示することはほとんどない。ジーコ監督の口癖は「いつチャンスが来るかは分からない。そのときのためにしっかり準備をしておけ」。代表に入ったなら神経を研ぎ澄ませ、集中し、自分がどう動けばいいのかを、自分で見て、自分で感じて、自分で考える。「いつチャンスが…」は、そんなメッセージなのだろう。「どうしていいか分からない」なんていう選手は代表に生き残れない。
今年1月にFW久保(横浜)の辞退で呼ばれた大黒は紅白戦、練習試合でベンチにいるときから、自分がどうすべきかをしっかりとイメージして実践した。だからこそ、結果を残しているのだと思う。今回、呼ばれた初代表組も練習から自分が何をすればいいのか、よく考えている。田中達には、動き回って積極的にゴールを狙う姿勢が見える。
