永井孝昌
2006年01月03日
明るい戌年を願わん
あけましておめでとうございます。
新春ですので、今回は趣向を変えて「江戸いろはかるた」でお楽しみいただければと思います。一部おかしなところもありますが、そこはお正月ということでご容赦を。間違い探し感覚で昨年を振り返りつつ、ご覧いただければ幸いです。では、戌(いぬ)年にちなんで「犬」からスタート。
い 犬も歩けばフォーッに当たる
ろ 論より郵政
は 花より民営
に 憎まれっ子野に放たる
ほ ホリエモンのくたびれもうけ
へ 屁をひって尻つぼめ
と 年寄り株で冷や水
ち チリも積もれば病となる
り 律義者の子だくさん
ぬ 盗人の昼寝
る ルーキーもベテランもボビー 照らせば光る
を 老いては熟年離婚
わ 我鍋に牛より豚
か かったいのかさ恨み
よ よしっと藍ちゃん全米のぞむ
た 旅はPC連れ世はネット
れ 良薬口に苦し
そ そうりょうの甚六
つ 月夜にかまをぬく
ね 念には念を入れて構造計算
な 泣きっ面に刺客
ら 楽天頑張れど苦あり
む 無理が通れば道路族ひっこむ
う 嘘から出た誠
ゐ いもの煮えたのご存知ないか
の のど元過ぎれば風太忘れる
お オリに金棒
く 臭いものに蓋
や 安値で買われ銭失い
ま マィケルが勝ち
け ゲイは身を助ける
ふ ブログやりたし書くネタ持たぬ
こ 子は三界の首っかせ
え えてに帆を上げる
て 亭主の好きなクールビズ
あ 頭隠して尻隠さず
さ 三年たったし煙草増税しよ
き 聞いて極楽見りゃiPOD
ゆ 油田大変
め 目の上のたんこぶ
み 美姫から出る?金
し 知らぬが仏
ゑ NHKは異なもの味なもの
ひ ヒルズ族ひまなし
も 萌えの小僧構わずメード呼ぶ
せ ペに腹はかえられぬ
す 粋は身を食う
ん 京、ならぬ千葉の夢大阪の夢
振り返れば明るい話題が少なかった2005年。福知山線の脱線事故は「地獄の沙汰(さた)も金次第?」と言いたくなるようなJRのずさんな対応に憤りを覚えた方も多いはず。年をまたいで真実の究明が続く耐震強度偽装問題は「構造も筆の誤り」で済まされてはたまりません。小さい子を持つ親にとっては、通学路まで不安な世の中。一方で凶悪犯罪の低年齢化は「地震雷火事息子」と言いたくなるようなご時世でもあります。
それでも、そんな05年も昨日まで。いろはかるたはすごろくの上がりにちなみ「京」で終わりますが、「今日」から始まる06年が読者の皆さまにとって幸多き年となるよう、お祈りしています。
トリノ五輪、ドイツW杯とビッグイベントめじろ押しの06年。本年も、よろしくお願いいたします。
January 3, 2006 12:32 PM
2005年12月23日
それは本物ですか?
あの。ちょっとお伺いしてもよろしいですかね。そんなにご面倒をおかけする話でもないんですが。怪しい? いえいえ、そんなことないですから。
あ。そうですね。質問ですね。伺いたいことというのは、このページにたどりつくまでに何本かお読みになった記事、本物でしたか? 何枚かご覧になった写真、本物でしたか? ってことなんですが。
なぜにそんなことを聞く? すみません。まずはそれをご説明しなきゃいけませんね。
最近、若いカップルのこんな会話を聞いたんです。
「ごめぇ~ん、待ったぁ?」
「オレも今、着いたとこだよ」
「よかったぁ!」
「それより、今日は何だか雰囲気違うんじゃない?」
「うれしィィィい。分かったぁ? このナチュラルメーク、2時間もかけたんだからぁ」
「似合ってるよぉぉ」
どうでしょう、この会話。ウソばっかりじゃないですか。いや、ウソではないですね。でも、まやかしばかりと思いませんか。2時間かけたナチュラルメークって。通がうなるカップラーメンって。
世の中、本物と偽物、もっといえば本物と本物でないものの区別がどんどんなくなっているような気がします。現場で取材した原稿。現場で撮った決定的瞬間。しかしそれらは、ひとたび疑ってみれば底なし沼のように次々と疑念が浮かび上がってきます。3分前にイタリアで行われた記者会見の内容を、まるでその場にいたかのように布団の中で書ける時代。150キロの直球を打ち返した瞬間の写真を、テレビを見ながら画面の中で作り出せる時代。だからこそ、お伺いしたのです。お読みになった原稿は、ご覧になった写真は本物でしたか、と。
疑い出せば、身の回りは疑心暗鬼にさせるものだらけです。昨日すし屋で頼んだイクラ、お湯に落としても濁らない人工モノじゃありませんでしたか。今夜の忘年会、「生!」って注文しても発泡酒が出てくる居酒屋じゃありませんか。大枚たたいたクリスマスプレゼント、ニセモノつかまされていませんか。明日地震が起きたなら、マンション、大丈夫ですか。
本当の「素顔」を2時間かけて“素顔”に変える時代では、バレなきゃいい、面白きゃいい、もうかればいい、そんなことばかりが優先されて、大切なことがあいまいになっているような気がしてなりません。真実ゆえの美しさが、愚直な誠意が、誰かの心のスキにある「ま、いっか」に凌駕(りょうが)される現実。寒空の下を歩き回ってつかんだネタが指先でネットの中を飛び回って見つけた情報に駆逐される時、本物と本物ならざるものの稜線(りょうせん)にある「ま、いっか」がいかに甘美なものであるかを痛感させられます。
詐欺。偽装。不透明な解禁。なくならない不祥事と見え隠れする権力が、日常の不安を駆り立てます。進歩する技術が、時にあるべき信頼関係を邪魔します。キャッチセールスもどきの原稿を書きながら、現場の記者としての矜持(きょうじ)だけは失わないようにしなければ、とフェイクファーの襟を立てて思う年の瀬です。
December 23, 2005 12:59 PM
2005年12月13日
赤い情熱がつなぐ夢
落っことされんじゃねえか、って思ったよ。
そう言ってミスターレッズ、佐藤仁司さん(47)は笑った。90年6月に三菱自動車サッカー部のマネジャーになって以来15年半、浦和一筋に尽くしてきた。そのミスターが、1日付でJリーグ技術アカデミー部に出向することになった。
「浦和レッズとして」迎えた最後の試合は11月26日、埼玉スタジアムでの磐田戦。試合後、ゴール裏のサポーターのもとへあいさつに向かった。瞬く間に100人以上のサポーターが集まってきた。
スタンドには、ミスターのためだけの横断幕も張られていた。「正義は勝つ」。夜な夜なサッカー談議に花を咲かせるためにクラブ事務所を訪れたサポーターに、伝えてきた。「正義が勝てないことって今の世の中、いっぱいある。でもいつか、正義は勝つんだよ」。負けて負けて負け続けた浦和レッズの深夜の事務所で、ずっとミスターが伝え続けてきた言葉を、サポーターは忘れていなかった。
気が付けば宙を舞っていた。1度、2度と、52キロの体は高く高く舞った。落とされんじゃねえか、と笑っていても、「赤の他人」なんて言葉が存在しない浦和で恐怖心など感じるはずはなかった。胴上げから降りると、「情熱をありがとう」と何人ものサポーターが真っ赤なマフラーを首に巻き付けてきた。「暖かいよ…」。着ぐるみみたいになりながら言ったのは、決してマフラーのせいだけではなかった。
家に帰ると、奥さんに言われた。「胴上げなんてあなた、何かしたの?」。うーん、と考えても、答えが見つからなかった。「強いて言えば、警察からサポーターの名簿を出してください、って言われた時に『仲間は売れねえ』って言ったことくらいかなあ」。サポーターとクラブを赤い糸で結んできたミスターは、ナビスコ杯のトロフィーの値段は知らなくても、保険の値段が300万円だったことは覚えている。駒場スタジアムの玄関前、通称「叫びの丘」は第2の仕事場だった。今は「謝りにきた記憶ばかりだよ」と自嘲(じちょう)するJリーグに毎朝、電車で向かう。「ミスターは朝、弱いから」とサポーターから贈られた目覚まし時計で起きて。
99年11月27日、J2降格が決まった日が忘れられない。誰も帰ろうとしないスタンドから聞こえてきた「WE ARE REDS」の大合唱。みんな泣いていた。叫ばなければ、我を失いそうになっていた。「あんなに大きなWE ARE REDSの合唱を聞いたのは、あの時が初めてだったかもしれないな。でも、泣かなかったよ、我慢してさ」。言いながら、思い出して目が潤む。浦和を愛して、戦った公式戦584試合。すべてに、真っ赤な思い出が刻まれている。
12月8日、夢を見た。夢の中で行われていたのは、W杯の抽選会だった。最後に残ったボールを開けたFIFAのブラッター会長が、笑顔で広げた紙。「そこにさ、URAWA REDSって書いてあったんだよ」。そんな夢をうれしそうに語るミスターがうらやましい。そんな夢をともに語ってきた浦和レッズが、うらやましい。
December 13, 2005 10:27 AM
2005年12月03日
消えるカレーな歴史
カレーの香りが漂ってくる。
仙台に出張する時は、いつも仕事は後回しだった。会場に着くと、真っ先に2階の売店に向かう。蠱惑(こわく)的な香りに冷静さを奪われて、階段を足早に上る。頼むのは、迷わずカツカレー。おばちゃん、いつも大盛りとコーヒーのサービス、ありがとう。個人的な好みでいえば、世界3大カレーの1つは間違いなく、宮城県スポーツセンター2階売店のカツカレーだった。
ここは、先輩記者から「昔は2階の客席からこぼれ落ちてきそうなくらいお客さんが入ったもんだよ」と教えられた東北のプロレスの殿堂。その会場が来年3月31日をもって取り壊しになる。目を閉じれば試合の記憶とともによみがえるカレーの香り。また1つ、もう2度と確認できない記憶が増える。
地獄めぐりで有名な大分には、もうひとつ、灼熱(しゃくねつ)の地獄があった。大分の荷揚町体育館は、新潟・五泉の会場と並ぶプロレス担当の夏の難所。空調がなく、夏場の取材はメモを取るノートまでふやけた。噴き出す汗で背中に塩がにじんでくるから、この会場に黒いシャツを着ていくのはご法度だった。その荷揚町体育館も、今年3月に老朽化と行財政改革のため51年間の歴史に幕を閉じた。意識もうろうとなりながら原稿を書いた経験も、リングに浮かぶ汗にかげろうを見た光景も、もう何年かすれば誰に話しても信じてもらえない日がやってくる。
北の聖地、が消えたのは、6年前だった。数々の名勝負と事件が会場を伝説化したのは、札幌中島体育センター。99年1月にプロレス担当になって初めての出張先がここだったから、試合の記憶より、寒さより、取材のため若手選手に案内された獣神サンダー・ライガーの控室を初めてノックした時の緊張感が何よりの思い出。昔の木造校舎のような古いドアは、だからこそ思い出すたび初心に戻る。99年8月25日にFMWが最後のプロレス興行を開催するまで、あのドアだけは中に誰がいようと、ノックするときは緊張したものだった。
5年間のプロレス・格闘技担当で、回った会場は全国で130以上になる。どの会場にも五感のどこかに記憶があって、今はなき全日本女子のガレージ跡を車で通れば松永会長手作りの焼きそばの香りを思い出し、岐阜産業会館は担当になりたてのころ、何も分からないからファンが何を楽しみにしているのかを聞くために息をひそめてこもったトイレの記憶が鮮明で、鹿児島市民体育館では子供にマスクマンと間違えられてサインをねだられた。
選手が、ファンが記憶や思い出を刻んできた会場は、老朽化や使用率低下などを理由に今後も少しずつ、閉館に追い込まれ、取り壊されていくのだろう。同時に、古き良き時代のプロレスの歴史も忘却のかなたへと追いやられていくようで、寂しさを禁じ得ない。一方で、ニュースを見れば、真新しいマンションも取り壊しを余儀なくされている。新しい歴史を築くために、過去の歴史を壊すのはやむを得ないのかもしれない。だが信頼を壊し、日常を壊し、安心を壊し、夢を壊す利権まみれの人たちに、何かを築く資格はない。
December 3, 2005 11:14 AM
2005年11月23日
武蔵の努力限界なし
本当は、優勝を祝って書きたかった。
昨年のK-1GP決勝翌日。準優勝した武蔵に対して、ファンからの苦情・抗議のメールは1500件にも達していた。内容は、準決勝のセフォー戦の判定に対する批判ばかり。「あれは武蔵の負け」というものがほとんどだったが、中には「もう引退しろ」と迫るものまであった。そのメールの中身を聞いた武蔵は「そんなこと言われるならやめてもいい」と関係者に引退を口にした。あの温厚な男が、と周囲を驚かせた。今になれば「売り言葉に買い言葉みたいなものだった」と振り返るが、内心は忸怩(じくじ)たる思いだったに違いない。「応援してくれるファンもいる。裏切るわけにはいかない」と翻意して、もう1度、優勝だけを目指した今年のGP。だが、結果は無残だった。
19日に東京ドームで行われた今年のGP決勝。1回戦、カラエフ戦での2度のバッティングでまぶたが腫れ、右目が見えなくなっていた。試合を終えてアイシングルームに戻ると、本人はしっかりしているつもりだったが、セコンド陣は「おい、武蔵が寝てるよ。起きろ。起きろっ」と騒然としていた。完全に意識がとんでいた。負傷した左腕の痛みに気付かず、右足をアイシングするほどもうろうとしていた。そんな状態で迎えた準決勝のフェイトーザ戦は、飛んできた左の蹴りが見えず5年ぶりのKO負け。試合後は唇の内側を5針縫い、病院へ直行した。視界の閉ざされた目からは涙があふれてきた。悔しさに唇をかむことすらできなかった。
デビュー時の体重は、83キロ。K-1の舞台でナチュラルにヘビー級の体格を持つ外国人選手たちと伍(ご)して戦うためには、力対力の勝負を挑んだところで結果は見えていた。「いつも判定ばかり」「試合がつまらない」という批判を何度耳にしても「KOが醍醐味(だいごみ)のK-1で、スピードとテクニックでファンを魅了したい。そのためにもっと技術を上げたい」と言い続けてきた。ホームランバッターぞろいのK-1にあって、生き残るためのバントヒット。1発もらったら倒れるからディフェンス技術を身につけ、1発では倒せないからスピードを磨いた。時には犬用のガムまでかんでアゴを鍛えていた努力を知っていたからこそ、担当を離れてからも「バントヒットで世界を取ってやれ」と心の中で声援を送っていた。
だが、今年も頂点には届かなかった。それでも本人の闘志は少しもなえてはいない。今は周囲に「自分の中でやらなきゃいけないことは明確に出ている。フェイトーザに実力差があって負けた、と思われるのは悔しい。やり返したるねん」と話し、リベンジに燃えているという。派手さはない。2メートル近い大男たちが1発のパンチで、蹴りで崩れ落ちる迫力に比べれば、試合も面白みに欠けるのかもしれない。それでも、努力ではどうにもできない天賦の才がある、と信じたくない凡人の私にとって、武蔵の存在は常に励みだった。高い技術を誇ったホーストが最後に優勝したのは02年、37歳。来年34歳になる武蔵が紡ぐドラマには、限界は才能にはあっても努力にはない、という結末が待っていることを願う。
November 23, 2005 10:15 AM
2005年11月13日
どうなる民営年賀状
郵便事業が民営化されたあかつきには、きっと始まるに違いない、と予想される新しいサービスといえばこれしかないだろう。「年賀状のあて名印刷」。
どうだろうか。当たっているような気がするのだが。
今年も日本3大面倒行事の1つ(と思っている)、年賀状の季節がやってきた。1年365日、締め切りに追われる生活を10年以上も続けてきたせいか、クリスマス前後の「元日配達期限」近くになって慌てて徹夜で書き上げるのが習慣になっている。毎年「虚礼廃止!」と面倒が先に立つのだが、それでも、お世話になった方々へあいさつするめったにない機会と思うと虚礼でも礼は欠かせん、と筆を執る。
子供のころは、元日に届く父親あての年賀状の束に「オヤジ、すげえ」と父の威厳を感じたものだった。高校、大学時代は面倒だからと送らなかった年もあるが、社会人1、2年目あたりは元日に届かなければ失礼、と自分あてにも1枚送り、元日に届いたのを確認して安心したこともある。困ったのは、プロレス担当時代。三沢光晴選手に「タイガーマスク時代は仕立てたスーツの裏の名前の刺繍(ししゅう)もTIGERMASKにしていた」と聞いてプロのこだわりを感じ取っていただけに、マスクマンの自宅に送るのに「本名で書くと正体がバレるのでは」と本名を書くか、リングネームを書くかで大いに迷った。
最近は「経費削減」「自然環境保護」などを理由に地方自治体や企業を中心に年賀状廃止の動きが広まりつつある。出すにしても、近ごろは自筆によるあて名のものもめっきり減ったし、メールで済ませる友人も増えた。そんな風潮を後押しするように「メールによる年賀は失礼とは思わない、と○%もの人が考えていることが分かりました」みたいなアンケートもそろそろ出てくる時期。年が明ければ「配達アルバイトが年賀状を大量放棄」という事件も報道されて、これでは苦労も報われない、来年こそは書くのをやめよう、とぼんやり思い、来年あたりは「配達アルバイトを装ったDM業者が個人情報保護法違反で逮捕」といった新手の事件も出てきそうなよからぬ想像もしたりする。
そうした世相の中で社会全体の年賀状流通量も減少傾向にあるのだろうな、と思っていたが、「ゆうびんホームページ」によると平成18年用の年賀はがき発行枚数は40億2000万枚。10年前より1億枚近くも増えている。さらに今年はニーズへの対応なのか、市場確保に躍起なのか、昨年、首都圏限定で試行販売したデジタル画像印刷用はがきを「写真用年賀はがき」と名称を変え、新商品として発行する。年賀状は2000億円以上を売り上げるビッグビジネス。民営化以降のサービス拡大は間違いないだろう。
郵政民営化の是非についてまで書くつもりはないが、新年を迎えるにあたっての慣習や礼節までがビジネスの一部として加速していくならちょっと複雑。今年の年賀状のキャッチフレーズは「あなたからも来るとうれしい年賀状」。それを聞いても今は、本当にうれしい、とひそかに思っているのは一体誰だ、と素直になれない自分がいる。
November 13, 2005 11:47 AM
2005年11月03日
「ゆとり」文化の違い
米の味。水の味。スマートに渡せないチップ。待てど暮らせどこない電車。前後の車に少しくらいぶつけても気にしない縦列駐車。通じない「テークアウト」に「モーニングコール」。宗教上の禁忌。おおらかだったり頑固だったり、いいかげんだったりする国民性。歴史の重みと、大自然。
日本を1歩飛び出せば、慣れないことがたくさんある。新たな国を訪れるたびに、驚いたり困ったり、感動したりすることも1度や2度ではない。それでも、2、3日も現地で過ごせば大抵のことには慣れるもの。むしろ見知らぬ習慣や常識との出会い、新たな価値観の発見が、海外へ出掛ける最大の醍醐味(だいごみ)かもしれない。
ただ中には、どうしても慣れないものもある。
滞在中のフランクフルトのホテルでこの原稿を書いているただいまの時刻は、10月29日土曜日を3時間過ぎた、30日の午前2時………2時ぃ?
10月最後の日曜日。その日、ヨーロッパ全域(一部除く)で一斉にサマータイムからウインタータイムに切り替わる。ドイツなら午前2時が、グリニッジ標準時(GMT)の英国なら午前1時が年に1回この日だけ、2度やってくる。3月最後の日曜日まで5カ月間の、ヨーロッパの長い冬。現地で「冬到来」を経験するのは人生2度目だが、頭の中で1時間足したり引いたりしているうちに、原稿の締め切り時間まで分からなくなってくる。
そのサマータイム、日本でも導入の動きがある。日本では48年から4年間だけ導入していた時期があるが、国会では99年に再導入を求める動きが活発化し、北海道では今夏も札幌商工会議所が提唱する「北海道サマータイム制」の導入実験が行われた。推進派の主な理由は、日照時間の有効活用と温暖化対策。だが効果のほどは明確でなく、本当に導入すべきかどうかにはまだまだ議論を尽くす必要がある。
ただ、実際に時計の針を回しながら感じるのは「あぁ、今年の夏も終わりかぁ」という思い。日本人が「すっかり日が短くなったねぇ」という言葉で表す冬の訪れを、ヨーロッパの人々はきっと、家中の時計の針をキリキリと巻き合わせながら実感するのだと思う。10月最後の日曜日。ベッドから出たくない日々がやってくる冬を目前にして、1日だけ、1時間の朝寝坊が許される文化には、夏、余暇、時間、そして「ゆとり」に対する日本人との根本的な意識の違いがにじんでいる気がする。
サマータイムの恩恵を受けて私も1時間、得をさせてもらったものの、その時間を有効利用するヒマもなく10月31日に海外出張を終えて帰国することになった。1時間得をして、7時間、いや8時間損をして…と頭は混乱するばかりだが、帰国して、待っているのは人込み、渋滞、狭い部屋。常軌を逸した満員電車に星の見えない都会の夜空。もうすぐ故郷で過ごした日々と上京してからの年月が同じ長さになるというのに、海外どころか、まだまだ都会暮らしには慣れないことがたくさんある。そして日本がそんな国であるうちは、「サマータイム導入によるゆとりある暮らし」などまやかしでしかないのかもしれない。
November 3, 2005 12:58 PM
2005年10月24日
値踏みされた“器量”
値踏みされたな、って実感した経験、ありますか。
18日は欧州CLの取材でミュンヘンへ。取材申請許可が下りたのが17日の午後だったので、慌ててあれこれ手配したけれど、どうにも宿だけが見つからない。ネットで検索してもダメ。電話しても「満室」の返事ばかり。困った揚げ句に駆け込んだ旅行代理店でようやく1室だけ見つけた5つ星ホテルの空き部屋は、1泊、日本円にして約4万円ナリ。高い。高すぎる。と思ったけれど、ほかにないので予約を入れた。
当日。取材を終えてホテルに到着したのは、午前1時前だった。重厚な入り口の扉を開け、フワフワのカーペットの上をトランク引きずりながらフロントへ向かうと、待っていたのは50歳ほどの、深夜にもかかわらず一切の乱れなく高級スーツを着こなしたコンシェルジュ。で、この人がオレを見る。とにかく見る。なめ回すようにオレを見る。ジャケット、時計、ズボンに靴。「今、ここを見てます」とはっきり分かるくらいあからさまに見る。「あぁ、値踏みされてるな~」と実感して立ち尽くしていると、いきなり高圧的な口ぶりで「名前は?」と言われたからカチン、ときた。
「あなたは当ホテルにふさわしいお客さまではございません」といちいち感じさせるような口調と態度。頭に血が上った。「ポーターが必要か」という素っ気ない声をきっぱりと断って、部屋に入ると前夜は徹夜だったというのになかなか寝つけなかった。
だが一夜明け、冷静になって、気付く。「あなたはこのホテルでは快適に過ごせませんよ」と言っていたかのようなコンシェルジュの応対は、朝、ネクタイを、化粧をした紳士淑女ばかりに囲まれたレストランでの朝食ではっきりと感じた居心地の悪さをあらかじめ伝えていたのだと。値踏みしていたのは財布の余裕ではなく、心のゆとりなのだと。そこでは、4万円払えば4万円分の快適が約束されるわけではない。代価では手に入れられない精神性と格式が、そこにはあった。
代償を求める風潮。何かをすれば、それに見合うものが返ってくるのが当然、という思考。その甘い認識にどっぷり漬かり、心の豊かさを失っていたのかもしれない。
「あいさつされても、あいさつを返さない先輩とはいかがなものか」と嘆くのは、目上に対して敬意を表現するという、あいさつの持つ本来的な精神性を忘れていないか。「メシをおごってやったのに礼もない」と怒るのは、おごった相手が悪いのではなく、おごる相手を見誤った自分の眼力不足ではないか。「そう考えられないのが、今のあなたの器量ですよ」。気高きコンシェルジュに、そう教えられた気がした。
ローマで高級レストランに入った時、「こちらへどうぞ」と言う案内係にさりげなく背中を押されたことがある。彼らは、スーツの手触りで客を値踏みして、案内する席を決める。ただでさえ一流レストランの格調高さに気押されているのに、「あ、値踏みされた」と気が付いてさらに動揺するのが今のオレ。35にもなって、5つ星の「精神世界」はまだまだ着こなせないでいる。
October 24, 2005 12:10 PM
2005年10月14日
失ってから感じる幸せ
見覚えのない、財布だった。
朝、ある記者が街を1人で歩いていると、突然、右肩にドン、と衝撃を感じた。少し前につんのめりながら驚き、振り返ると、後ろには肩にぶつかった制服姿の警官が立っていた。
目の前に回り込む警官を目で追う。前をふさぐようにして立ち止まった警官が、視線を落とす。つられるように下を向くと、そこには、見知らぬ財布が落ちていた。
「おい、オレの財布がお前から落ちたぞ」
つたない英語で言っている。言っていることは分かるが、何のことなのかは分からない。だが警官は構いもせずに財布を拾い、中を開け、続けた。
「金が足りない。盗んだんだろう。お前の財布を見せろ」
わざと財布を落として詐欺に持ち込む旅行者狙いの犯罪がある、とは知っていた。だがとっさのことで、しかも制服を着た警官が相手では、頭の整理が追いつかない。両脇を通り過ぎる人々は、ちらりと目をやることはしても立ち止まることはない。
言われるままに財布を出した。盗難に備えて手渡すことはせず、自分で握りながら
「では確認してくれ」とだけ伝えた。
そのタイミングで、今度は左後方から別の警官がやってくる。
「何をやっているんだ」
こちらも英語はたどたどしい。だが、説明しようとしてもなかなか置かれた状況を説明するうまい言葉が見つからない。その、思案していた数秒で“ヤツら”の仕事は終わっていた。
「もういい」
財布を調べていた警官が言うと、2人は足早に、街の雑踏に消えていった。
慌てて財布を確認する。一見する限り、カードを盗まれた様子はない。お金も残っている。だが、これが“ヤツら”の手口だった。
円を少し、グリブナを少し、そしてユーロも少し、実際に数えてみなければ分からない程度に巧妙に、抜き取られていた…。
これが世にいう「財布拾い」。日本代表取材で報道陣が泊まっているお湯の出ない、バスタブの栓もない、夜中になればバカでかい冷蔵庫が突然ブンブンとうめき出すウクライナのホテル近くで、報道陣の1人が被害に遭った。その方はこう、言っていた。
「ガイドブックで『財布拾い』は知ってはいたけど、いざ警官に呼び止められると怖さが先にたって混乱する。いくら気を付けていても、やられる時はやられちゃう」。
海外で、街灯のない夜道に迷い込んで「うっ、暗いな」と思った瞬間に込み上げる恐怖心は、日本の比ではない。メーターのないタクシーに乗り込んで、降りる瞬間の「ふっかけるのか?」という緊張感は、怖い思いをしたことがないから緊張で済む。
年末年始が近づいて海外旅行の準備を始めた方も多いと思うが、君子でも、ひとたび狙われれば危うきに近づかずには済まされない時代。大丈夫、と高をくくるのは簡単だが、暖かいシャワーもそう、気軽に街を歩ける治安もそう、あるべきものがあるべきところにあるという幸せは、あるべきものがあるべきところにない時にしか感じない。
October 14, 2005 11:49 AM
2005年10月04日
日記は自己セラピー
あれやこれや、やたらと「へぇ」だ「むぅ」だと考えることが多かった1週間だった。たわいもないネタを無理やり原稿1本分に伸ばしても中身が薄くなるばかりなので、今回は日記形式で。
9月26日(月)
「カノッサの屈辱」以来、必ずあった深夜のお気に入り番組が絶滅する日がやってきた。仕事もそこそこに帰宅して「内村プロデュース」最終回を見る。明日は「ヘビメタさん」も最終回。これでもう、録画してまで見る深夜番組がひとつもなくなった。深夜枠がすっかりゴールデンへの“昇格審査場”に堕(だ)したせいなのか、それともオレが歳をとったのか。
9月27日(火)
海外出張直前だというのに痛烈な歯の痛みに見舞われて、4年ぶりに歯医者へ。抜かれた神経を初めて見たが、思ったよりも図太くなかった。強がってはいても中身はチキン、ということか。そんなことを考えながら、夜は知人と焼き鳥屋へ。最近「耳が弱い人は右耳に息を吹きかけられると右半身だけに鳥肌が立つ」と聞いたが、いまだ確認できていない。
9月28日(水)
恵比寿で関係者と一杯。「デトックス・ダイエット」なる言葉を初めて聞く。体内の毒素を排出して健康になる、というものらしい。ここは先の衆院選で初当選した「チェリー隊」((C)前原民主党代表)にもデトックスに挑戦してもらいたいところ。毒素より先にサビが出てきそうだが。付け出しの「とうもろこしの刺身」にいたく感動して帰宅。
9月29日(木)
銀座で知人と天ぷら。「(天ぷらの名店)近藤はうまい」「冷凍エビは揚げても尻尾が開かない」などと語る知人のうんちくを聞きながら、超高級店とは「客の客」のためにあるものと再認識する。接待できる店を100知っていても、自分の金で、迷わず行ける店を持っていなければ「うまい店を知っている」とは言わない。
9月30日(金)
お台場で知人と寿司。カウンター越しに見えるレインボーブリッジが虹色に照らされていて驚く。何ごとかと聞けば「こんな色にライトアップされたのを見るのは初めて。クリスマスは、普段は白色の橋の最上部の点滅灯が赤と緑になったりするんですがね」と大将。調べてみれば10月1日からの道路関係4公団の民営化を記念した一夜限りのイベントだったそう。「民営化しても談合疑惑の消えない橋が玉虫色とは」と心の中で憎まれ口をたたく。
10月1日(土)
海外出張へ出発直前のオレに気遣ったのか、後輩企画の「壮行麻雀会」に参加。勝った負けたと日記に書くのは家計簿をつけているみたいでイヤ、と理由をつけて結果は明記しない。
10月2日(日)
コラム締め切り。15歳の時、好きな女の子の名前をおふくろにのぞき見されたのをきっかけに書くのをやめた日記だが、今や、のぞき見どころか書いた日記を自ら不特定多数に発信する時代。伝えたいことばかりがはんらんする中で、日記は、伝えたくても伝えられない苦悩、逡巡、葛藤をたたきつける「自己セラピー」としての意味を強めていくのかもしれない。
October 4, 2005 11:12 AM
2005年09月24日
ケッタイな文化生む
タレント殺すにゃ刃物はいらぬ、携帯電話で撮ればいい。
いきなりの出だしだが、いかがだろうか。語呂合わせしました感まる出しか。ようやく涼しくなってきたというのに、暑苦しい書き出しでスイマセン。
集めているグッズの新しい懸賞が最近、始まった。応募方法は「携帯電話で今すぐ登録!」てな感じだったので、アクセスして、名前など入力していったわけだが、最後に落とし穴が待っていた。「年齢確認のため免許証などの写真を撮影して送信してください」。あらら。カメラ付き携帯使ってないんデス。ま、ほかにも写真を送る方法はあるんだろうが、もはや「携帯のカメラは一般的ツール」という現実を突きつけられたような気がして、応募をあきらめてしまった。
しかし、カメラ付き携帯の普及ぶりったるや、すごいわ。カーテンで仕切られた小部屋で、機械に100円玉を放り込んで、パシャリと撮った写真を手帳に張り付けることで友情を確かめるような世の中だから、当然といえば当然だが。あなたの携帯電話もカメラ付き? やっぱり? かくいう小社も昨年、記者支給の携帯電話が一斉にカメラ付きに切り替わった。
でもそんな会社の意向は遠慮して、自分の携帯電話は会社支給、個人用ともに今もカメラはついてない。あの「えっ? 有名人? 誰だれ?」と言いながら携帯をぶしつけに被写体に向けて構えるあの姿には、どうも抵抗感が強くて。
昔、「サインお願いしま~す。あっ、あの…一応、裏に名前も書いてもらえます? とファンに言われてカチくらわせた」と話していたレスラーがいたが、名前も知らないならサイン頼むなよ、って気持ちは理解できる。携帯で撮られる、というのも近いものがあるんだろう。取材で接する著名人、スポーツ選手にも「携帯はちょっと…」と嫌がる人は多いし。
多分、その心理は「値踏まれ感」にある。携帯電話のカメラにポーズをとる叶姉妹。待ち受け画面が街で見かけたデーブ・スペクター。いかがだろう。値踏み感は伝わるだろうか。例えが悪いか? 携帯電話で有名人を撮る、って行為はほとんどの場合、撮りたいから撮るではなく、撮れるから撮るという「とりあえず感」だろうから、必然的にありがたみも薄れる。
このままいけば、普段の会話の中で「どこで撮られてるか分かったもんじゃないね~。写真誌に追われる芸能人の気持ちが分かるよ」なんてトホホな会話がはんらんする日も近いな。一般人が携帯で撮った写真が決め手になって犯人逮捕、てな事件も続々と出てくるかも。実際、大阪府警では事件の目撃情報をカメラ付き携帯で通報できる「画像110番」も始めてるし。
生活形態がより便利になっていくのは世の流れ。だが技術の進歩は、時にケッタイな文化も生む。どうにも慣れないんだよな。有名人を何とか撮ろうとして背伸びして、携帯かざして画面のぞき込んでる人の口が、そろいもそろって半開きになってる光景が。「タレントの乗った車が、カメラ付き携帯で無理やり写真を撮ろうと夢中になっていたファンを車でひく」って事件、起きてから問題にならなきゃいいけど。
September 24, 2005 12:23 PM
2005年09月14日
環境考えるきっかけ
風が吹けば桶屋がもうかる。というのは昔の話で、今は、強風が吹き荒れて納豆屋が悲鳴を上げている。
原油価格が高騰している。世界各地の製油所での相次ぐトラブルなど価格高騰には複数の要因があるが、そこに米国南部の石油精製施設が集中する地域を襲ったハリケーン「カトリーナ」が拍車をかけた。
影響は日常生活にも及ぶ。大豆を煮る重油の高騰と容器パックの値上がりで悲鳴を上げる納豆業界はその一例。ガソリンスタンドで「満タンね」と言うのもためらわれる現状では運送業だけでなく、水産業でも船の燃料費が例年以上にかかるために一部の魚の値段まで上昇傾向にある。このままいけば、タダだと思っていたスーパーのビニール袋が有料になる日も近い。
カトリーナに限らず、九州・中国地方に甚大な被害をもたらした台風14号など、最近の台風の大型化は地球温暖化が原因、という説がある。地球の温暖化で海面温度が上昇し、その影響で台風が大きく成長する、というもので、もしそうならばこう暑くてはとエアコンをかけ、近場の外出にも車を使い、連日の外食で割りばしを浪費している私のような人間が台風を育て、その被害によるガソリン高騰で自分の首をしめている、ということにもなる。
そんな環境を危惧(きぐ)し、自身の生活からできることに取り組もう、としている人が増えている。「ロハス」と呼ばれ、電通の調査でも「2005年後半~2006年のトレンド予測」で注目されている。メディアで取り上げられる機会も急増しているので、知っている人には何をいまさら、知らない人には何それ、という典型的な言葉かもしれない。
ロハス(LOHAS)とは「Lifestyles Of Health And Sustainability=健康で持続可能なライフスタイル」の略。ごくごく簡略化して説明すれば、自分の健康と地球環境を同時に考える生活スタイル、ということになる。といっても決して自己犠牲的ではなく、自分の幸せを第一義に考えながらその行動が環境問題に寄与すればもっといい、とする志向なのが肝。買い物に行く時は買い物かごを持って、外食する時は自分のはしを持参して、というだけではなく「ちょっと高いけど体にいいから有機野菜を買おう。地球にも優しいし」と考えることも十分ロハス的、といえる。
ロハスは今後、さらに広く浸透していくことだろう。それが一時的なブームで終わるのかどうかは分からないが、ロハスという言葉が世論をけん引していく形で環境問題への意識が高まっていくならば、時流に乗ることは決して悪いことではない。無理してストイックになったり、偽善的になる必要はない。何かをしたい、と思った時に、何が地球環境に優しいのか、という新たな「選択基準」を自分の中に持つだけで、きっと発見がある。
まずはできることから。しかも自分のために。あまりに非ロハス的な生活を続けている私も、九州、米国南部の被災地の惨状を見れば心が痛む。ガソリンも高くなったことだし、少しは運転を控えて自転車でも買おうかな、と思っている。
September 14, 2005 12:23 PM
2005年09月04日
J審判問題は根深い
どうしてそこで止めるのか。
どうしてそれが反則なのか。
J1は8月20日から後半戦に突入した。現場で3試合を取材したが、気になるのが審判の笛。正直に言ってしまえば、気になるどころではない。ひどい。
リーグ再開からJ1は3節、27試合を消化して、クラブ側からJリーグに提出された意見書、要望書はすでに4件。1節あたり1・3件強もの「誤審」の訴えがあるのは、プロスポーツとしては異常な事態といえる。こんな状態が続けば、今季のリーグ優勝の価値にまで傷がつきかねない。
何が問題なのか。
審判問題の根は深い。プロリーグ発足からわずか13年目の日本では、過渡期ゆえの問題にも直面している。例えば審判の高齢化。今年1月発表の今季J1の主審19人の平均年齢は40・8歳と、定年制の導入を本気で検討すべき時期を迎えている。野球文化の根強い日本では、選手としてのサッカー経験を持たない審判が多いのも事実。審判間の経験差、レベル差も大きく、プロの審判がまだ6人しかいない環境は、待遇を含めた整備が急務といえる。
技術不足を補おうとするあまり、無駄な笛を乱発し、高圧的に選手を“支配下”に置こうとする審判も目につく。つまらない試合を繰り返して観客が減るのはチーム側の自業自得。だが不快なレフェリングを理由にファンの足がスタジアムから遠のいたら、チームはどうすることもできない。
だからこそサポーターは、利害を抜きにした不可解な判定にはこれまで通り、大いにブーイングをとばすべき。だが同時に、審判の好判断には、拍手を送ることでも「オレたちは見ているぞ」という意思表示は十分できる、ということも考えてほしい。選手も、審判の技術不足を嘆く気持ちは理解できるが、ならば明らかなシミュレーション行為はまさに欺まん、と認識すべきだろう。
審判部は各試合をビデオで検証し、ミスが認められた場合には処分を科している。その処分内容が非公開なために過保護、とする意見もあるが、サッカー文化の成熟を待たずに処分内容を公開すれば、招くのはその審判への偏見と不要な混乱だけ。審判部も積極的に研修制度の充実などで一層の技術向上を目指すべきだが、周囲も、過保護だ技術不足だと批判するだけでは問題の解決にはならない。
最後に、Jリーグ藤口技術委員長の話も紹介しておきたい。「レフェリーはレフェリーであって、アンパイアではない。審判ではなく、レフェリーと呼称を統一してはどうか」。アンパイアとは、試合を裁く存在。レフェリーとは、試合を成立させる存在であってジャッジではない。すでに線審=ラインズマンという呼称もアシスタントレフェリーにあらためられている。呼称を統一することでその立ち位置が明確になるのなら、一考する価値は大いにある。
レフェリーへの不信感は今、ビデオ判定、ICチップ内蔵ボールという技術導入の動きにつながりつつある。テクノロジーは判定への不満、疑惑をなくし、きっと「あいまいさゆえの魅力」もなくしていく。短絡的なレフェリー批判のツケを払う時は、すぐそこまで迫っている。
September 4, 2005 12:47 PM
2005年08月25日
美しい日本語は守れ
【ヤバーい】すごい、たまらない、などの意。感嘆の意思表示。「このパフェ、おいしくない?」「かなり--」。
【ビミョー】ちょっと違う、何かおかしい、受け入れがたい、の意。「アロハ、短パンに革靴ってどうよ?」「--」。
【萌え】(何かの対象物、時に架空の存在に対し)興奮する、情欲をかりたてられる状態。「お前、芸能人でいうと誰に---なの?」「山口---」。
と辞書に載っているわけがないが、最近の言葉の乱れ方ときたらなかなかすごい。7月に文化庁が発表した「国語に関する世論調査」でも話題になった冒頭の言葉は、従来の意味からはすっかり逸脱している。「萌え」なんて完全に新語。「激アツ!」なんて言い方が通用するようになったのはここ2、3年のことだと思うし、今ではすっかり一般的になった「キテる」という言葉も、一昔前は全然、キテなかった。
新しく言葉が生まれれば、消えていく言葉もある。先日、取材先である方と「そういえば聞かなくなったね~」と意見が一致したのが「待ちぼうけ」という言葉。上京したての15年前、携帯電話も持たずに渋谷の駅前あたりで待ち合わせできたことが、今では奇跡にさえ思える。
「B面」、なんて言葉も絶滅寸前種のひとつ。今の10代、20代はレコードやカセットテープを実際に使ったことがないから、B面、という概念自体が存在しない。シングルは45回転、と言われても何のことやら。「針を落とす瞬間の興奮」という言い回しは、もはや死語になりつつある。
そうして新しい言葉がはやり、すたれていくのは世の常。だが言葉が生まれ、消えていくスパンが短くなったからなのか、最近は特に、言葉そのものが持つ「力」が大きくなっているように感じる。
芸能界では、田原俊彦が「オレはビッグ」と言ったあたりから記者会見での一言がその後の芸能活動を、ややもすると人生まで左右するようになった。お笑い芸人は、1発でも流行語を掘り当てれば大ブレーク。クールビズ、というちょっと瀟洒(しょうしゃ)に聞こえる言葉が、1年前の球団買収騒動の時には「ネクタイも締めないなんて」と言っていた世間のネクタイまで外す。クールビズが「地球温暖化対策ファッション」と呼ばれていたらここまでみんなネクタイを外したのかな、と考えると、言葉は、「コピーライター」という職種がもてはやされたころ以上に世論を動かすだけの力を持ち始めている。
だからこそ、目先の言葉のインパクトに惑わされることなく、美しい日本語だけは守っていかなければならない、と思うのだ。経済成長ばかりを優先したヒートアイランドの陽炎(かげろう)に「暑さ寒さも彼岸まで」「四季折々」という言葉はかすみ、闇なき夜空におぼろ月夜も宵の口ももはやない。つつましやかでもたおやかでもない、思い通りにならなければ戦うまで、という権力闘争が政治なら、この国はどこへ行くのか。言葉は時代を映す鏡。ならば言葉の乱れはむなしいかな、然(さ)もありなん。
August 25, 2005 12:39 PM
2005年08月15日
「内輪感」の心地悪さ
「チャンスよォォ」だの「打てェェ」だの「前に、前にィィ」だの。
「現役女子高生がァァ」だの「絶対に負けられません」とあおっていたかと思えば試合後には「まだ次があります」だの「次こそ負けられません」だの。
何の騒ぎですか。
先の東アジア選手権、男女の試合とも久々にテレビで観戦したが、正直に言って試合に集中するどころではなかった。「代表の試合はテレビで見るもんじゃない」。そう思っていた理由が、何となく分かった気がする。
サッカー中継を見ていて味わう心地悪さ。その元凶はきっと「内輪感」にある。興奮するのは当たり前。応援するのがコンセンサス。ちょっと油断すると「テレビの前の皆さんも力を貸してください」と呼びかけられちゃうトンチン感。「応援しなきゃ非国民」的な、乱暴な前提のもとに放送が進んでいくから、静かに試合を見たいと思うと疎外感すら覚える。
注目度が低い大会だと、その色はさらに顕著になる。冒頭でちゃかすように書いたのは申し訳ないが、例えば完全に内輪になりきってしまっている解説だったり「内側」の視聴者を逃がすまいと必要以上に危機感をあおる実況だったり。日本代表戦の中継が時に40%、50%も視聴率を稼ぐ優良コンテンツに育ったことは、同時に20%では満足できないという焦りを生んでいるのかもしれない。それが無意味なテンションの高さにつながっているのなら、この国のサッカー文化のもろさ、根の浅さを痛感せざるを得ない。
元選手の解説のつたなさや、サッカー好きを自任するアナウンサーやタレントの増長っぷりも内輪感に拍車をかける。例えば語尾にね、いちいちね、ねがね、ついてね、内容よりも口調に気が散ってしまうような解説。海外サッカーの鮮やかなゴールシーンに「エッキシャイティン、ゴゥッ!」と叫んでしまうアナウンス。選手経験を踏まえた的確な解説や、冷静かつ巧みに試合を伝える実況も少なからず存在するだけに、そうしたある意味の未熟さ、計算された自己陶酔の演出が一方で放置され続けている現実が「何興奮してんだかよく分かんねえや」という内輪感を助長している気がして仕方ない。
この10年で、日本サッカーは急激に成長した。ファンの目も肥え、日本代表の試合なら何でも見たいという一時期のブームは取捨選択の時代へと移行しつつある。だからこそ今、サッカー界全体がさらに成熟するために伝える側が要求されているのは、サッカーをサッカー好きのためだけのものにしない内輪感、排他性の打破なのではないか。
「後半も見逃せません」と連呼してCMに突入し、選手にやたらとニックネームをつけるバラエティー的手法で試合をショーアップすることも、時には必要なのかもしれない。だがその手法も度が過ぎれば内輪感を加速させるばかり。力ずくで盛り上げようとするえげつなさは、内輪のファンすら興ざめさせる。主役となるべきは選手であり、試合そのもの。「ゴ~~ル」と叫ぶアナウンサーの肺活量ではない。
August 15, 2005 11:01 AM
2005年08月05日
違法駐車「悪い」が…
季節感のなくなった今日このごろ。せめて旬と暦は大事にしたい、と先月28日の土用丑(うし)の日はウナギを食べた。が、路上駐車したのはマズかった。注文して、満喫して、食べ終わったころには愛車にチョーク。「ハイ、違反ね~」で、ウナ重1杯1万6000円ナリ(安月給の身、ウナ重は1000円の並でございました)。高いよ。精も出ません。反省。
その駐車違反取り締まりが変わる。昨年6月に成立した改正道路交通法が来年6月までに施行され、駐車取り締まりの民間委託がスタートする。
簡単にいえば、資格を取得した駐車監視員が警察に代わって違法駐車を取り締まる、というもの。警視庁が取り締まり執行力の強化などを理由に導入し、04年の取り締まり件数約159万件、罰金約240億円は導入後、倍増する見込み、という。
監視員は各警察署が定める重点取り締まり区域などのガイドラインに従い、違反車両を見つけると写真撮影しステッカーを張る。要はたとえ3分でも、パシャリ、ペタ、とやられれば「ハイ、違反ね~」という仕組み。「5分くらいなら…」なんて甘い気持ちは一切、通用しないことになる。
これでいいのか、なんて話をしても、施行は決定済み。何より、違法駐車は確かに悪い。ただ、その「悪い」の解釈が問題で、執行には不安もある。
「駐車場整備ガイドブック2002」によると、駐車場需要が1100万台以上といわれる現在、現実の駐車場収容台数は500万台程度。「停めたくても停められない」という車はどうするのか。民間企業が駐車場増設や監視員育成に投資した後では、パーク&ライド(郊外の駅に駐車場を設け、都心へはバスや電車を利用しよう、というもの)やロンドンで実施されている都心部乗り入れに対する課金制度の導入の動きに影響はないのか。それは、都心部の交通環境改善の抜本的解決を妨げないのか。
駐車場を持つ大規模店舗の集客がさらに有利になり、駐車場のない小型店舗はさらに厳しい状況に追い込まれるしかないのか。民間委託が監視員という名の警察OBの再雇用拡大や癒着、天下りの温床となることはないのか。そして、監視員が「1万円よこせば許してやる」なんて職権乱用する心配は本当にないのか。
来年6月ごろには「駐車場案内」なんて携帯サイトが人気になり、運転中にそのサイトを電話片手にピコピコやればばやっぱり罰金。ニセ監視員を名乗った新手の「駐禁詐欺」みたいな事件が発生し、施行に合わせて無理やり狭いスペースに作られた駐車場ではおばちゃんが車庫入れに悪戦苦闘。駐車場の絶対数が足りない現状では、下手すると「監視員監視員」とかいう違法駐車取り締まりをひそかに見張る闇商売まで横行するかもしれない。
「じゃあ、車なんて乗らなきゃいいじゃん」と言われれば、7月23日には地震で地下鉄に缶詰めになり、8月2日には羽田空港の管制システムダウンで出張のため乗り込んでいた飛行機の中に閉じこめられと「乗り物禍」が続く身では気持ちも複雑。結局、時間に追われる庶民はさらに不便な生活を強いられて、ウナギのぼりなのは摘発件数と罰金だけか…と思うと、精も出ません。
August 5, 2005 10:57 AM
2005年07月26日
スポーツ会場に足を
世の中は、いよいよ全国的に夏休み。海へ山へ、と言いたいところだが、今年はどうも「出かけよう」、という気分に二の足を踏ませる事件・事故が多い。
3カ月が経過した今も、生々しい記憶がよみがえる4月のJR脱線事故。本来楽しいはずのアミューズメント施設では事故が発生したり、海外ではロンドンやエジプトでテロが起こったり。そして、東京では地震。13年ぶりに都内で震度5以上の揺れを観測した23日の地震で、エレベーターに閉じこめられた人たちはしばらく、面倒でも階段を使いたい気持ちだろうし、多くの人は当分、余震に敏感にならざるを得ない日々が続く。
かくいう私も地震の時は地下鉄の電車の中にいて、激しい揺れに動揺した。車内には「ただいま係員が徒歩で線路の安全確認をしております」というアナウンスが繰り返し流れ、全面的に運転が再開されるまで3時間以上もかかっては、「しばらく電車はいいかな」と思うのも正直なところではある。
そんな状況で無責任なことを言うのもいかがなものか、という逡巡(しゅんじゅん)もあるのだが、せっかくの夏休み、スポーツの現場にファンの足が遠のかなければいいがなあ、という思いも強い。
ライブに勝るものはない。実際に自分の目で見、耳で聞き、肌で感じることにこそ、スポーツのだいご味はある。相手打者によって微妙に変わる守備の位置、力士が真っ正面から激突する音、飛び込みの選手が踏み切る瞬間の緊張感。現場には、テレビの画面ではうかがい知ることのできない情報量がある。そしてスポーツ界には、足を運ぶ、見る価値のあるものもたくさんある。
球宴を終えた野球界では、横浜クルーン投手が日本球界最速の161キロをマークしたばかり。日本では5万人しか目撃していないスピードを求めて、球場に出かけるのもいいと思う。サッカー界では、J2横浜FCにFWカズが移籍した。来季終了までの1年半契約だが、来年がある、なんて多分、カズ本人が思っていないはず。1試合1試合、一瞬一瞬に魂を込めるカズのプレーとともに、真夏のJ2は今年も熱い。J1でも、今月下旬にはRマドリード、マンチェスターU、バイエルンといった欧州の強豪が立て続けに来日して親善試合を行う。来年のW杯を前に、世界最高峰のプレーを日本で、間近に見ることができる。
ゴルフ界では10代の選手の台頭めざましく、触発されるようにベテラン勢も素晴らしいプレーを見せている。甲子園ではもうすぐ全国高校野球選手権も開幕。ボクシング界では高校球児と同じ世代、18歳の亀田が8月21日に東洋太平洋王座に挑戦する。
この夏も、スポーツ界には書ききれないほど多くの、魅力的な瞬間がある。不安の多い世の中だが、「テレビで見ればいいじゃん」と思う前にぜひ、会場に足を運んでほしい。そこにはきっと、夏の思い出にふさわしい発見が待っている。
July 26, 2005 12:38 PM
2005年07月16日
「強さ」求めた破壊王
プロレスの神様は最近、どうかしてる。鶴田さんに冬木さんに、今度は橋本さんまで。天国でどんな豪華カードを組みたいのか知らないけど、頼む。もうこれ以上、残された者にやり切れない思いはさせないでくれ。
橋本真也、というレスラーは、強さの象徴だった。卓越した技巧を持つ蝶野。天性の華に恵まれた武藤。この2人と同期入門して、強さを追い求めるのは自然の成り行きだったのかもしれない。PRIDEシリーズが生まれる7年も前の90年にトニー・ホームとの異種格闘技戦に臨んだのは必然。IWGP王座を通算20度も防衛したのは当然。初戴冠直後は人気より実力が先行していたが、ナタを振り下ろすようなチョップと巨木を倒さんばかりのキックを武器にした説得力のある試合ぶりで、ファンを味方につけていった。尊敬する織田信長を地でいった王者像は間違いなく、東京ドームに進出した90年代新日本のストロングスタイルの象徴、という十字架を背負っていた。
だからこそ、風当たりも強かった。97年4月、小川直也のプロレスデビュー戦で裸絞めに敗れた時は、幻想を打ち砕かれたファンのば声を一身に浴びた。自宅の車に「バカ」と落書きされたこともあった。それでも1カ月後には大阪で雪辱し、ファンに「皆さん、恥ずかしい思いをさせてすいませんでした」とベルトを掲げた。だが00年4月、進退をかけて挑んだ小川との5度目の対戦に完敗。STOにリング上で大の字になり、「ダメだ…」と口を動かす姿が天井カメラに映し出されたあのシーンこそ、強さを求め、執着し、時に呪縛(じゅばく)までされたレスラーが初めて見せた弱さだった。周囲の慰留にも「プロレスラーが安っぽく見られることにボクは抵抗してきた人間ですから」と頑として首を縦に振らなかったのは、損得勘定のない、真っすぐな男がリング上で弱さを見せたことに対してつけた、あまりに不器用なけじめだったのではないか。
それから、だと思う。強くありたい、天下を取りたい、と願う裏に隠していた優しさが表に出るようになったのは。引退直後の4月14日、新日本気仙沼大会でまな弟子のようにかわいがっていた福田雅一さんが試合中に倒れると、渦中の身も忘れ、夜通し車を飛ばして病院へ駆けつけた。最期をみとり、告別式では涙がこぼれ落ちるのを必死にこらえていた。一国一城の主となったZERO-ONEでは、新興団体を守るべくインディーの選手の攻めを真っ正面から受ける一方で、ジンギスカンのテーマに乗って入場して会場を沸かせる懐の深さを見せるようになっていった。昨年8月の試合を最後に負傷のためリングを離れても、円熟味を増した破壊王の復活を誰もが願っていた。
もう、プロレス史上に残る名テーマ曲「爆勝宣言」を聞くことはない。誰からも愛されたレスラーが人知れず息を引き取ったことへの深い悲しみとともに、ファンの中できっと、ハチマキ姿は永遠になった。今はただ、強さという十字架を背負い続けた希代のレスラーに、安らかに眠ってほしい。信じられない、信じたくない思いを胸に。合掌。
July 16, 2005 11:25 AM
2005年07月06日
削られた栄光と歴史
そこだけ、白くなっていた。
ベルリン五輪スタジアムの聖火台の後方には、36年ベルリン五輪の各競技の金メダリストの名前が刻まれた高さ4メートルほどの巨大な石碑が並んでいた。その下に立ち、首を後ろにそらせて探すのは、やはり「JAPAN」の文字。女子200メートル平泳ぎのところには「MAEHATA」の文字があった。男子3段跳びの横には「TAJIMA」の名も見つけた。だがその前に、いや、石碑の下に立って真っ先に目に飛び込んできたのは、この文字だった。
MARATHONLAUF 42195m SON JAPAN
石碑に埋め込まれた、黒い「JAPAN」の文字。その周辺だけが、不自然に白くなっていた。じっと眺めていると、取材に同行したドイツ在住の通信員が後ろから声を掛けてきた。「ガイドさんが今、『男子マラソンの優勝者の国籍の部分は昔、KOREAだった』と言ってました。日本人観光客が抗議してJAPANに変えられたそうです」。振り向くと10人ほどのドイツ人のスタジアムツアー参加客の輪が、石碑の下のオレを見ていた。その中心でガイド氏が「ヤパンなんちゃらかんちゃら」と言っている。ドイツ人の輪も、その言葉に少しだけ笑った。「今、なんて言ったの?」。通信員に聞くとこう言った。「私たちは日本人じゃないから、よく分からないですけどね、と」。
36年8月9日、孫基禎(ソン・キジョン)氏(02年11月逝去、享年90)は男子マラソンで金メダルを獲得した。当時、朝鮮は日本の植民統治下にあり、孫氏は歴史にほんろうされるままに日本代表として出場していた。その歴史的背景を踏まえ、70年代初頭にはドイツオリンピック委員会が「JAPAN」の文字を「KOREA」に修正していたはずだった。だが現実に今、石碑に刻まれているのは、2度の修正で削られて白くなった石の上に埋め込まれた「JAPAN」の文字。69年前、孫氏はこのスタジアムに流れた君が代をどんな思いで聞いたのだろう。天国から今、この石碑の文字をどんな気持ちで見ているのだろう。石碑が物語る歴史の重みだとか、戦争の過ちなんてことを言うつもりはない。ただオレは、東西のカベがなくなったドイツで聞いたガイド氏の言葉に、猛烈な切なさとむなしさを感じていた。
来年7月9日、ドイツW杯の決勝戦はこのスタジアムで行われる。大会のテーマは「Time to make friends」。日本人と韓国人が隣り合わせてこの石碑を見上げた時、そこに友情は生まれるのだろうか。ドイツ人が白く削られた石の本当の意味を知った時、彼らは日本人に友好の手をさしのべるのだろうか。無力感の中で、ただひとつ分かっていること。1年後、歴史が上塗りされたままの五輪スタジアムを再訪する機会があったとしても、きっとオレは石碑には近づかない。近づけない。(バイエルンのスタッフ、ケルン市局の皆さまはじめ、1カ月間の海外出張中、取材に協力してくださった各地の方々に、この場を借りてお礼申し上げます)。
July 6, 2005 10:58 AM
2005年06月26日
妖精よ故郷に力貸して
昔々、ドイツのケルン、という場所には多くの妖精が住んでいました。市民が寝静まると街へ出て、畑を耕し料理を作り、道を掃除し家を建て…とせっせと働く妖精たちのおかげで、ケルン市民は誰も働く必要がありませんでした▽ある日、意地悪なばあさんが「妖精たちの姿を見てやろう」と思い立ち、家の前にグリーンピースをまきました。そうすれば夜、妖精たちが足を滑らせコロリと転び、その物音で気付くことができるだろう、と考えたのです▽夜。妖精たちがやってきました。そして家の前で…次々と妖精たちが転んでいきます。その音で目覚めた意地悪なばあさんが見たのは、ケガをして「もうこんな街イヤだ」と逃げ帰る妖精たちの姿。以来、妖精たちは2度とケルンの街に現れることはありませんでした。
ケルン、といえば、街の中心部にそびえ立つ大聖堂。1248年に着工し1880年に完成した高さ157メートルの巨大な聖堂ですが、今も毎日、補修工事が続いています▽大聖堂の建築責任者ゲルハルトは、名誉欲の強い男でした。彼が工事を始めると、毎日「こんな大聖堂なんて完成するわけがない」と嫌みを言いにくる男がいました▽この男、実は悪魔。街に教会を立てられてはたまらない、と邪魔をしにきたのです▽ゲルハルトは、悪魔とかけをしました。「もしお前が大聖堂が完成するより早く近くの街からケルンまで給水管を引くことができれば魂をやる」▽ゲルハルトは、かけに敗れてしまいます。「さあ、魂をよこせ」。悪魔に迫られた彼は、最後に言いました。「もし私が大聖堂を完成できなければ、誰も完成することはできないだろう」▽今も工事が続く大聖堂では「ゲルハルトののろいの言葉」と言い伝えられています。
ケルンで有名なのはカーニバル。毎年11月11日に始まり、2月中に行われる木曜日から次の週の「灰の水曜」までの1週間がハイライト。来年は2月23日からで「バラの月曜」のパレードでは何万もの人が仮装して通りを練り歩きます▽モットーは「The Crazier,the better」。デュッセルドルフのカーニバルでは女性が男性のネクタイを切るのが有名ですが、ケルンではひたすら騒ぎ、笑い、パレードでは大量のお菓子がまかれます▽いつしかケルンでは、こう言われるようになりました。「ケルンには5つの季節がある。春夏秋冬、カーニバル」。
日本がブラジルと大熱戦を演じる前日の21日、ケルン市の招きでライン川を船で遊覧するパーティーに参加してきました。来年のW杯へ向けた取材でしたが、夜のライン川に揺れながら、地元のケルシュビールを傾け、市の職員の方々からうかがったその土地に根付く民話や言い伝えの数々に感じたのは、郷土への愛と誇り。その後、私の故郷でまた大きな地震があった、と聞きました。遠くケルンで触れた郷土愛をかみしめながら、不安の中、故郷を思った夜。日本をたって3週間、柄にもなく「グリーンピースはまかないから、妖精よ、故郷に力を貸してくれないか」と思ってしまったのは、ちょっとだけ日本に帰りたくなってきた証拠なのかもしれません。
June 26, 2005 11:10 AM
2005年06月16日
独語でも「アッソウ」
チーッス。とはいきなりですが、なれなれしくしてるわけではありません。バンコクを後にして、現在はそよ風にタンポポの綿が舞う美しい街、ドイツはハノーバーに来ております。
海外に行けばその国々のあいさつくらいは覚えるもので、中でも好きなフレーズがこの、チーッス。正確には「Tschuβ(チュス)=じゃあね」という意味のドイツ語ですが、この言葉を使うたびに何だかドイツ人との距離が近づく気がします。世界各国いろんな言語があれど、発する人間の構造はみな同じ。「やっぱり、あいさつなんかは発音しやすい言葉になるのかなぁ」なんて思いながら駅でホテルでチーッスと連発していると、ドイツでは日本語の「あっ、そう」を「Ach so(アッ ソウ)」と同音同意で発音する、と教えてもらいました。今回は前回のバンコク編に引き続き、見た、聞いたハノーバー編を。
▽ハノーバーは人口約52万人の北西部の都市。W杯開催を誘致できたのは、シュレーダー首相がハノーバー出身だからだとか▽街の中心部にあるのが人造のマシュ湖。近くにはヌーディスト村がある。日本代表がW杯本大会でここを合宿地にしたら、全裸バーベキューの誘惑が心配▽とはいえヌーディスト村は国内にも多数点在していて、FKK(フライ・クワパー・カルチャー=自由な体の文化、の意)の名で地図にも載ってる▽そんなドイツだから、サウナも全裸で混浴が主流▽と、なんだか裸ネタが続いたのでもう1つ。市庁舎近くの回転寿司「KABUKI SOUL」。この店、元国内筋肉コンテスト王者というドイツ人オーナーの彼女が、店を繁盛させるためにとクリスマスシーズンに自ら全裸となって女体盛りを敢行し、一躍有名となった「SUSHI ISLAND」の2号店。中国人オーナーに変わった今は、なぜか回転テーブルを「チョコレート寿司バニラソースがけ」が回っている▽筋肉、といえば、ちょっと無理があるが現カリフォルニア州知事のアーノルド・シュワルツネッガー氏が通った接骨院が市内にあるらしい▽ついでに寿司、とくれば現地在住日本人の話も。ハノーバー在住の日本人約20人からなる「健康サンダル」という組織。16日のコンフェデ杯メキシコ戦はスタンドに陣取り、健康サンダル、と胸に染め抜かれたそろいのTシャツに必勝ハチマキ姿で日本代表を応援するんだそう。
そんなドイツは、今がホワイトアスパラの季節。この食材はレストランで食べられる「解禁期間」が決められていて、今年は今月18日まで。誰も彼もが食べるから、利尿作用とあいまって期間中はトイレまでアスパラのにおいがするのだとか。手摘みするための季節アルバイトもある、と聞いて、来年のホワイトアスパラはW杯は見たいが金がない、という世界中のファンが摘むのかもしれないな、なんて考えてしまいました。ああ、記者のさだめ。今夜は、この話のウラを取りに解禁期間終了直前のホワイトアスパラを取材に行かなくては。
June 16, 2005 12:42 PM
2005年06月06日
狙われている日本人
大志を抱いて上京して、生まれて初めて生で見た有名人が新宿でスレ違ったデーブ・スペクター。という星のもとに生まれたオレは、以来、外国人とスレ違うたびに「あぁ、オレのタレント童貞を奪ったのはデーブ…」というあの時の失望感を思い出す。
そんなわけでトラウマの発動たるやすさまじい海外出張の時には、大量の小説を持ち込んで黙々と読む。今回も約1カ月間、海外出張することになり、平積みしてあった本をあれやこれやと買ってきた。しかし。出張中でもこのコラムは書かねばならぬ。ということでこの1カ月はいまだ消えない記憶のセラピーも兼ねて街へ出て、小耳にはさんだ海外ネタを紹介したい。現在はバンコクにいるので、まずはタイで見た、聞いた話を。
▽クルンテープ剣友会というところで多忙の合間を縫って剣道に励んでいる方から聞いた話。マンション内のジムで日本人同士が剣道をしていたら、管理人が「今すぐここから出て行って!」と大激怒して2人を追い出した。タイでは霊魂は脳天の部分にある、という信仰があり、タイ人の頭を触るのはご法度。たたくなんてもってのほか。相手の頭をたたき合う光景は、たとえスポーツといえど我慢ならなかったらしい▽足の裏は不浄とされる。バンコク入りする時の飛行機の中で、足を通路に投げ出して寝ていた客にタイ人女性の客室乗務員がぶつかったら「チェッ」と舌打ち。あらら、と思ったが、調べてみたらタイ語で「痛い!」の意味▽観光客には今、「病院ツアー」が人気。日本で人間ドックに入る料金に少し足せば旅行ができ、しかもタイの病院で人間ドックも受けられる。中には高級ホテルより豪華な病室もあるそうで、病院内ではビールも売っているとか▽日本では「一姫二太郎」といわれるが、タイでは「一太郎二姫」らしい▽最後はある日本人の話(マネ厳禁)。夜、1人でタクシーに乗り込んで運転手に「どこかおいしいレストランを紹介して」と聞いたら、おやすいご用、と連れていかれたのはまるで客のいないレストラン。誘ってもないのに「ボクも一緒に店に入るよ」とついてきて、店員に目配せする姿にヤバい雰囲気を感じつつも話を聞けば、延々「女を紹介するよ。マイヘンライ(大丈夫)」と強引に誘う。断れば、今度は真顔で「オレは昔ムエタイをやっていた」「最近まで軍にいた」とハッタリのオンパレード。どうしたものかと思案して、まずは相手をじっと見つめながら家族がいることを確認。次いで「ちょっと耳を貸してくれ」と言った後、耳もとで「オレは女よりお前がほしい」と手に手を添えてささやいたら運転手、「タクシー呼ぼうか」だって。この人は無事だったけど、1歩間違えば事件の被害者。
在タイ日本大使館で聞いた話では、タイでは明らかに日本人を狙ったイカサマとばくや麻薬事件、睡眠薬強盗が横行中という。教訓。1人のバカげた好奇心と無意味な勇気が、次の事件を生む。勘違いした解放感が次の被害者を生む。日本人は、狙われている。
June 6, 2005 11:07 AM
2005年05月27日
31年間守り通した魂
5月18、19日。於日本武道館。
よみがえった鋼鉄神は、そこにいた。へビーメタル(以下HM)の権化、JUDAS PRIEST(以下JP)がロブ・ハルフォード(ボーカル)を擁するラインアップで復活した、実に14年ぶりの来日公演。はち切れそうな期待感が、会場を覆い尽くしていた。
暗転。「The HELLION」が流れると場内はメロディをなぞるように大合唱を始める。続く「Electric Eye」でロブが姿を現せば大歓声。「Metal Gods」「Riding on the Wind」でロブが命を削るような叫びを絞り出せば、K.K.ダウニングとグレン・ティプトン、2人のギタリストは発表から29年を経た今も色あせない「The Ripper」のイントロを紡ぎ出して、JPの音楽の深淵へと聴衆を誘っていった。
74年に英国でデビュー。以来、常にHMとは何か、その答を体現してきた。鋭く硬質なリフとハイトーンボーカル、スタッド&レザーというスタイル、激しい演奏を大音量で繰り広げるライブ。その攻撃性ゆえに社会からもまた攻撃され、生まれては消えていく音楽シーンの流行の中で時代遅れと揶揄(やゆ)され、90年代には少年の自殺事件の原因がJPの曲にある、といわれなき裁判を起こされたりもした。92年にはロブが脱退し、バンドは存続の危機にも直面した。
そうした苦難にも決して信念を曲げることなく、ロブの復帰で復活を遂げたJP。武道館で見せたライブには、デビューから31年間もの長きに渡り、様式美を守り通してきたバンドにしか表現できない「何か」が漂っていた。あえて言葉にするならば、大切に飾られてきた名刀の軽やかな切れ味ではなく、幾多の戦いで血を流し、実戦を生き抜いてきた刀だけが持つすごみ。武道館を2階席までびっしりと埋め尽くしたあの夜の観客は、汗をぬぐうことすら忘れていたJP入魂の演奏になぜ自分がHMという音楽を愛しているのかを再認識したに違いない。
ライブは続いていく。今年2月発表の新譜「ANGEL OF RETRIBUTION」からの曲を連続して、再結成がノスタルジーではなく、未来に目を向けたものであることを証明する。終盤にはこの2日間のライブが録音され「RE-UNLEASHED IN THE EAST」として発表される予定であることをアナウンスして「Victim of Changes」「Exciter」と名曲をたたみかける。キャリア31年、50歳を超えてなお屈強なメンバーたちが提示したのは全23曲、2時間超のあまりに強烈なショーだった。
批判に揺らぐことなく、己を貫いてきた強い信念。ライブを見終わった2日間とも、武道館を背にした帰りの坂道で同じことを考えていた。「不器用な生き方でも、どんなに批判されようと、信念なき人生に価値はない」と。けれど自分は、そう思い続けて生きられるほど強い人間じゃない。
だからJP、この思いが揺らぐ前にもう1度「必ず日本に帰ってくる」と誓った言葉を実現してほしい。
May 27, 2005 12:06 PM
2005年05月17日
汚点だらけの日々
やせたいやせたぁい、と言っている人に限ってやせている、と言うのは太った人の虚言妄想と気付くのも遅過ぎて、先日病院で受けた健康診断の結果には「問題なし」を示す○のマークはまるでなく、アナタノカラダハフトリスギ、ハヤクヤセナキャシンジャイマス、とまで宣告(sentence)されなかったのはいいがDだEだと体操なら金メダルも夢じゃない判定の連発に慌てて摂生し始めたわけだが、そんな時に出張が回ってくるとなかなかつらいものがあり、例えば最近は大分に出張したが、街を歩けばやれ関サバだ関アジだ、何をおっしゃる今は城下カレイが旬なのよ、ちょっと待ってよ鶏の天ぷら忘れないでね、とあまたの誘惑が目に耳に飛び込んできて、摂生なんて言ってはいてもここまで自分を肥えさせた過剰な食欲と好奇心には勝てるはずもなく、フラリと寄った土産物店でカボスジュースの「かぼすちゃん」だの「関のさば寿し」だのを買い込んで、おいしいおいしいと食べてから「あぁ、なんてオレは意志が弱いんだ」と何万回思ったことか、2キロは落としたこれまでの努力は一瞬にして吹き飛んで、さぁて少しは反省しなきゃ、と思ったのもつかの間、なぜか「こりゃ食べずにはいられない」ってものを見つけちゃうのが不摂生者たるゆえん、思わず立ち止まったのが「ぷりんどら」なる豪快なのぼりで、こんな目立つものどうして今まで気付かなかった、なんだこれはとのぞきこめばまさにそのもの、どら焼きの生地の間にドスンとプリンがはさんであるだけの代物なのだが、こりゃどう考えてもマズいだろ、と笑う自分と、いやいやこれはイチゴ大福、アイスの天ぷらに匹敵する甘味革命かもしれない、と訳も分からず興奮する自分が心の中で大乱闘を繰り広げ、気が付けばサイフ開いて「1個だけください」と腹をへこませ背を丸め、小さい声で口にしている情けない自分がいたりするのだが、買ったもんは仕方ないでしょどれどれ味見してやろう、と思うころには周りの目もすっかり気にならなくなっており、パクリ、とほお張ればこれがまた、ここでは書けない味だったりするのが土産物の怖いところ、大分に行くことがあればぜひお試しを、口に合わなくても怒らないでね、とお茶を濁すのも意志の弱さだったりするわけで、結局、さあ水を飲めリンゴ食え、それでもダメならファスティングと手を替え品を替え延々と続くダイエットブームなんてものは自分のように意志の弱い人間が世の中にいかに多いか、ということを示しているだけで、究極のダイエットは「もっと意志を強く持て」という精神修行に行き着くわけだが、それでも健康のためにと我慢したばかりに「せめてぷりんどらが一口、食べたかった…」と言い残してあの世へ行ったら格好悪いことこの上ない、と言い訳している自分はトドのように、もとい、トドのつまり、ダイエットにはエンがなく、やせる自信はマルでなく、不摂生生活にピリオドを打つこともなく今年の夏もマルマル肥えて、こんな文(Sentence)を書いているうちは次の健康診断にもきっと○なんてどこにもない、ってことだよなぁ…。
May 17, 2005 12:29 PM
2005年05月07日
自省 急ぐ必要はない
上京したのは18歳の時だった。
真っ先に驚いたのは、汽車の本数の多さだった。5分と待たずに次の汽車が現れる。しかもどこからわいてくるんだ、と思うくらい多くの客で込んでいる。すごいね、東京の汽車は、と友人に言ったら「キシャ? カッカッカッ」と笑われた。それまで、電車という言葉を日常会話で使ったことさえなかった。
以来、都会の便利さを享受してきた。朝起きて、何も考えずに駅に行って、ただ、来た電車に乗ればいい。普段の生活から時刻表は消えた。電車に乗り遅れれば1時間待つのが当たり前、という生活から、なんだか都会人になったような気さえしていた。
だが。
今では。
電車に乗り遅れれば、5分の待ち時間にじれる。目の前で扉が閉まれば「開けてくれよ」と腹が立つ。それを増長するように、ホームでは「線の内側にお下がりくださいっ!(って何度言わせんだバカヤロー、と言っているように聞こえる)」の絶叫が焦燥感を駆り立てる。慣れは怖い。いつからこんなに、時間に追われて生きるようになったんだろう。
昨年出張したイタリアで、こんな笑い話を聞いた。「日本人は電車が1分遅れれば許せない。イタリア人は電車がくるだけでラッキーだと思う」。ダイヤの乱れは当たり前。アナウンスなしでのスト突入も珍しいことではないらしい。「最近の新車両には『きれいな電車はもっといい』と書いてあるんですが、みんな『時間に正確な電車はもっといい』と皮肉っていますよ」とイタリア在住の通信員が言っていた。わずか90秒の電車の遅れが100を超す人命を奪った、と聞けば、かの国の人々はどう思うのだろうか。
尼崎市のJR脱線事故は今も原因究明作業が続いている。いくつか、事故の一因と思われるものも報道されている。速度超過。過密ダイヤ。定刻からの遅れに対する運転士の重圧。私鉄(国鉄が民営化した時点でその呼び方も形がい化しているが)との競争。でもその裏には、都市部への人口集中、土地や住宅の高騰、通勤負担の増大、高速道路の料金高や慢性的渋滞問題が引き起こした社会災害、という側面があるように思えてならない。電車を利用する1人1人の「生き急ぎ」さえもが遠因ではないか、という考えまで浮かぶ。
90秒。長い人生から見れば瞬間にしかすぎない時間のために多数の犠牲者が出たのならば、切なすぎる。JRが民営化したのは業務だけで、罪のない犠牲者やその家族、周辺住民への対応がお役所仕事のままならば、同じ悲劇が繰り返されそうで怖い。
せめて何もできない自分は、自省しよう。世の中から見れば、自分など1分1秒を生き急ぐ必要のない人間なのだと。1分1秒待たされたくらいで怒るほど忙しい人間ではないのだと。スローフードを楽しもう、って、レストランでゆっくり食事をする行為じゃないだろう。注文したものがなかなかサーブされなくても、ゆとりを持って、笑いながら食事できる気持ちと環境がなければ、そんなものには意味すらない。
May 7, 2005 12:10 PM
2005年04月27日
「感動願望」に戸惑う
感動させてよ。
ってパワーがすごいッス。
24日、ヤクルト古田選手が史上32人目の2000本安打を達成した。大学-社会人を経てプロ入りした選手では史上初、といった記録だけでなく、客席に投げ入れた記念ボールを拾ったファンが試合後に「古田さんが持っていた方が…」とボールを返しにきた、などなどいい話も盛りだくさん。あと1本に迫っている巨人清原選手の500本塁打も、達成のあかつきには多くのエピソードが偉大な記録を彩るのだろう。
ただ今回は、記録に挑む2人が野球界を代表する選手で、しかも記録を目前に足踏みが続いたこともあるせいか、スタンドのメートルの上がりっぷりもなかなかすごい。
打席に入れば、選手の集中力などお構いなしにスタンドではカメラのフラッシュが光る光る。携帯電話のカメラももちろん少なくない。清原選手が安打を放っても、記録を待つ観客からはため息。あくまで想像ではあるが、客席では「オレが来た日に決めんかい」「お前の記録のために仕事も無理して来とんのじゃ」(こういう時はなぜか関西人じゃない人も関西弁を使っていそう、というのも想像)って声が飛び交っていそうな、記録への敬意や祝福とはちょっとズレた「歴史の証人になりたい願望」の圧力を感じる。
人間は誰しも「感動したい」という欲望を持っているもの。だが最近は「感動させてよ」「思い出をつくってよ」という、受動態でありながら能動的に感動を求める姿勢だったり、第3者でありながら無意識に自分をストーリーの主人公的に語るような傾向が強まっているように思う。
監督のコメントで「今日は選手が頑張った」ではなく「頑張ってくれた」と聞くと、(監督は第3者とはいえないかもしれないが)違和感がある。伝える側も同じで「○○監督の一言がこのピンチを救ってくれた」と書いたり、「○○選手がついにやってくれました」と言ったりする、主観と客観がないまぜになった感動ありきの言い回しに触れることも増えた。五輪やW杯のような大きなイベントがあれば、テレビからは「感動をありがとう!」なんてタイトルの番組も流れてくる。伝える側からしてそうなのだから、世の中全体が感動に対して「もっともっと」となるのも仕方のないことなのかもしれない。
感動を与えるのはプロの使命。それを伝えるのはメディアの仕事。そしてファンには感動を求める権利がある。ただ、感動させてよという前に、その記録や偉業、歴史的瞬間を迎えるまでの積み重ねも軽視しないでほしい。2000本目、500本目も偉大な歴史の1ページ。だがそこに至るまでの1本のヒットやホームランにも同じように価値があり、感動があり、そのどれかに立ち会った人にはそれぞれに思い出がある。
記録を誇るべきは、選手。それでも今日の巨人-ヤクルト戦で記録が生まれれば、福岡ドームはそこに居合わせた、という自慢の電話で携帯電話がつながりにくくなったりするんだろうな、多分。電話の前に拍手が起こり、その予想が外れれば、うれしい。
April 27, 2005 12:00 PM
2005年04月17日
女子プロは消えない
4月10日、後楽園ホール。
リングで戦っていたのは、長与千種と里村明衣子だった。プロレス界では極めて珍しい、解散を事前発表して開催した女子プロレス団体GAEAジャパン最後の興行は超満員。そのメーンで、長与は自ら育てた1期生、里村を相手に引退試合に臨んでいた。
いい試合だった。いや、強烈に見る者のプロレス頭を刺激する試合だった。
試合中に古傷左ヒザのサポーターを外し、なお蹴られても立ち続ける長与。よろけながらも、倒れることだけは拒み続ける。試合後「受け身を取れば楽な試合もあるけど、体ひとつでどこまでやれるか、と。意地もプライドも、リングに立っていることに凝縮したかった」と自らナゾを解いたが、まさにその通りの試合。12分33秒、力尽きた長与に里村が覆いかぶさったのは、この試合最初で最後のカバー。和田京平レフェリーが初めてたたいたカウントが3つ入ったのは、必然だった。同時に長与千種20余年のプロレスキャリア最後の753秒は、大技乱舞の女子プロ界に身をもって鳴らそうとした警鐘だったのでは、と受け止めた。
今、女子プロ界は存亡の危機といっていい過去最大の転換期を迎えている。90年代、東京ドームにまで進出した対抗戦時代の一大ブームは、ファンにさらなる刺激を求めさせ、いつしか業界をどんな薬を投与しても効かない体質にまで衰弱させていった。対抗戦という刺激は、宝塚的、と形容できた女子プロの世界観に男性ファンを招き込み、結果、独自性を失っていった。キャリアあるフリー選手の増加と新人の伸び悩みは新陳代謝を妨げ、価値観の細分化につながった団体の乱立は業界全体をアンダーグラウンド化させた。旗揚げから10年、解散を決断したGAEA木村社長の「これ以上、女子プロレスを悪いイメージにしたくない」という言葉には、10年分の葛藤がにじんだ。
長与千種は、ある意味で女子プロ最後の成功者だった。80年代のクラッシュギャルズ全盛期には給料袋が縦に立ったというし、当時の全日本女子のグッズ売り場では、商品を入れてきた段ボール箱にあふれる札束を踏み付けて押し込んでいたと聞く。だが、その老舗団体全日本女子も、明日17日の後楽園大会が37年の歴史のラストマッチとなる可能性が高い。4月10日から17日の、今現在進行中の1週間は女子プロレスというジャンルから一気に二つの団体が消えるかもしれない、前代未聞の事態にある。
では、女子プロの火は消えるのか。その疑問に、長与はこう答えた。「なくさないよ、女子プロレス。そうしないとやってきた歴史がなくなっちゃう」。この言葉が多分、プロレスに愛された長与、現役最後のナゾかけ。引退試合の相手に選んだのが、女子プロレスの存在を知らず「私が日本初の女子レスラーになる」と息巻いて上京した里村だった、というのも意味深に思えてくる。「女子プロレスは終わった」と言うのは簡単。だが素直に言えないのは、未来のないジャンルに体を張ってまでメッセージを残すほど長与千種のプロレス頭は甘くない、という思いが頭の片隅にあるからだろうか。
April 17, 2005 11:44 AM
2005年04月07日
興奮戻った05年F1
あらためて、バーレーン戦は激しい試合だった。あちこちで繰り広げられるツバぜり合い、互いの戦略を読みながらの攻防、格上チームの大苦戦…と、ここ数年、味わえなかった興奮が戻ってきた気がする。
ややこしい書き出しだったかもしれないが、バーレーン戦、といっても3日のF1バーレーンGPの話。55年の歴史で初めてレースカレンダーが19戦になった今年のF1は、開幕から3戦を終えたばかりとはいえ「サーキットにレースが戻ってきた!」という喜びを抑えきれない。
15年前の90年10月、鈴鹿GPで年間王者を争っていたセナとプロストがスタート直後の第1コーナーでもつれ合いながら砂煙に消えていった時からのF1ファン。92年モナコでのセナ、マンセルの激しい接近戦に深夜1人で手に汗握り、セナの母国GP初優勝の嗚咽(おえつ)に涙した。時には「あんなのスポーツじゃない」「ぐるぐる走ってるだけの車を見て何が楽しい」という周囲の声もあったが、10分の1キロの軽量化に多額の資金を注ぎ、100分の1キロでも速く走るため24時間絶え間なく風洞実験を繰り返し、1000分の1秒縮めるために身を削る、そんな「刹那(せつな)」の魅力に変わることなくとりつかれてきた。
それでも最近4、5年は、赤い跳ね馬と天才ドイツ人ドライバーの圧倒的な強さにやや、退屈していたのも事実。しかもピット戦略で順位が入れ替わる「戦いなきF1」は、観戦への情熱をそいだ。
だが、今年は違う。その善しあしは別として、今季は劇的ともいえる大幅なレギュレーション変更が実施された。予選システムも変更。エンジンも1台につき2レース1基に規制。タイヤの本数も制限され、レース中のピットでのタイヤ交換作業風景も消えた。
結果、マレーシアGPでは常勝フェラーリが今季ジャガーを買収した新規参入チームのレッドブルに立て続けにパスされる跳ね馬ファン衝撃のシーンが現出。バーレーンでは絶対王者シューマッハーがギアボックストラブル。後続にレコードラインを開け、砂塵(さじん)に沈んでいった緊急投入の新マシンF2005は、屈辱に砂を噛(か)んでいるように見えた。世界200カ国以上で、延べ600億近い人がテレビで観戦するF1サーカスは、過去、何度も繰り返してきた栄枯盛衰、盛者必衰の残酷さを、今年も音速の中に浮かび上がらせようとしている。
ジャパンパワーの勢いも頼もしい。苦戦を重ねていたトヨタは、参戦4季目にして第2、第3戦で連続2位表彰台。今季は友人の逝去などでいまだ実現していない、トヨタのイタリア人ドライバー、トゥルーリのシャンパンファイトも待ち遠しい。ホンダも、佐藤琢磨とともに必ず巻き返すはず。3月30日パリでの世界モータースポーツ評議会で「08年までタイヤサプライヤー数に制限は設けない」と決まったことで、ブリヂストンとミシュランの技術競争も続いていく。ピットからコースに戦いが帰ってきた今年のF1。新しく始まるドラマで世の中に“エンジン”がかかる前に一言、言っておきたかった。今年のF1は、見逃せない。
April 7, 2005 11:11 AM
