中山知子
2005年07月04日
クールビズ名付け親
政府が主導する夏のビジネス軽装「クールビズ」が始まって1カ月。地球温暖化を防ごうと、室温を28度に設定する代わりに暑くない服装をして欲しいという呼び掛け。基本はノーネクタイ、ノー上着だという。
ただ、暑さ、寒さの感じ方は、人それぞれ違う。暑ければ脱ぐ、寒ければ着る。そんなシンプルな発想の呼び掛けでよかったのでは、と思う。新聞の全面広告にも載った「ノーネクタイ、ノー上着」というキャッチフレーズはあまりにも強かった。一歩間違えば「服装の押し付け」とも思われかねない。すぐにネクタイ業界が「売り上げが落ちる」と声を出した。日本ネクタイ連合会を取材すると温暖化防止には賛同しても、商品を否定されたようなフレーズに怒っていた。
もし「クールビズ」という名前がなくて、ノーネクタイ、ノー上着のままでは、もっとバッシングされていたかもしれない。
「クールビズ」は、一般のサラリーマンが作った言葉だ。公募された約3200作から選ばれた。名付け親は都内の民間企業に勤める田形英明さん(31)だ。会って話を聞くと、頭の運動をかねて(暇つぶし、という面もあるのだそうだが)、携帯電話の公募懸賞サイトに応募するのが趣味だという。通勤中の電車で、携帯でサイトを見ていた時にたまたま環境省の募集があるのを知った。深く考えず、頭に浮かんだ涼しいの「クール」と「ビジネス」を掛け合わせ、携帯に打ち込んだ。ぱっと送信するまで10分かからなかった。実は意外にあっさり、簡単に生まれた。環境省から「選ばれました」と連絡があるまで応募したことすら、忘れていたという。
当然クールビズ姿かと思ったら、田形さんはスーツにネクタイだった。営業マンなのだ。
「昼間からネクタイを外していると、だらしない気もする」。人に会うのが仕事の営業マンの本音だろう。「仕事柄、こちらがネクタイをとって不快に思われるかもしれないと思うと、いきなりは踏み切れない」と、戸惑いも見せていた。
命名はしたが、実際にはノーネクタイ、ノー上着にはなかなかチェンジできない。「ネクタイを外すことが慣例化するなんて、無理な話。クールビズも来年は『死語』になっているかも」とも。サラリーマンの立場と、名付け親のはざ間で感じるジレンマ。多分、これがサラリーマンの感じるクールビズの現実でもあるのだろう。
でも、田形さんはこの言葉を考えたころより「子供」の行く末を見守る目線も持ち始めた。名付け親としての責任感だろう。「名前より中身。クールビズという名前は使わなくてもいいから、来年以降も続けて行かなくては。そこに意味があると思うから」。
田形さんと別れた後、街を歩いた。ネクタイ姿のサラリーマンはまだ多い。普通のサラリーマンが「軽装OK」で仕事ができるようになるには、時間もかかるだろう。
来年の今ごろ、世のサラリーマン、そして田形さんの服装に変化は表れているだろうか。
July 4, 2005 11:01 AM
2005年06月24日
言い訳多い議員たち
郵政民営化法案を審議するため、国会の会期を延ばすか延ばさないか話し合う17日の本会議。夜の10時半までかかったが、本来のテーマからは大脱線した。酒を飲んでいるか、飲んでいないかで大モメした。金曜の夜。取材していて、脱力感だけが残った。
本会議が始まった午後8時50分。本会議場の取材席は2階の本会議場を見渡す3階にある。最初、自民党の反対派の中に議場にいない議員がいる、と取材席の記者がざわめきだした。国会議員も気になるのか、野党議員の注目が自民党席に集まる。そのうち、怒声が飛び始めた。民主党の若手議員が本当に怒っていた。
議場は広く、上から見ているだけでは怒りの理由はなかなか分からない。社民党の阿部知子議員の意見を聞いて、合点がいった。「赤ら顔で議場に入った議員がいる」。飲酒して本会議?、オイオイ…。民主党の議員が指さす方角を目でたどると、顔が真っ赤な議員がいた。自民党の秋葉賢也議員は、2階席から見ても「酒気帯び」というよりももっと赤い。罵声(ばせい)と注目を一身に浴び、ばつが悪そうな様子だった。
この日は「徹夜国会」になるかもしれない、と言われていた。まず午後4時から、民主、社民両党が出した川崎二郎議院運営委員長の解任決議案の採決をする本会議が開かれた。約1時間あまりで終了。会期延長の可否を決める本会議は午後8時50分と決まった。3時間強の「空白」が生まれた。
この間、こちらも時間を持て余した。外に出た。蒸している。でも、金曜の夜。「ビール1杯でも飲みたいな~」。そう思わせるのに、十分なシチュエーションだ。でもさすがに仕事がまだ残っているからなあ…。フツーにそう思った。
後で話を聞くと、野党は本会議を開く時間として、午後10時を申し入れたのだそうだ。「徹夜国会」といわれながら、あまりにも早く決着してしまえばメンツが立たないと聞いた。それでは遅すぎるからと、午後9時ごろに開くことで与野党が折り合った。
与野党の事情をくんだ上の開始時間。それが酒を飲んだ飲まないの発端だった。最初は会期延長を認めたくない野党側が、時間稼ぎの言い掛かりをつけたのかとも思ったが、本会議が終わって出入り口に出向くと、カメラのライトに照らされて、まだほんのり顔が赤い議員もいた。
本会議場はサラリーマン的にいえば、緊張感漂う会議室だ。開かれた会議で酒に酔っていたら、周りは何と言うだろう。しかられるだろうし、あきれられるだろう。何もおとがめなしで終わるとは思わない。
週が明け、この問題は酒気帯びの議員の否定アピール合戦になると思っていた。でも結局、飲酒厳禁の申し合わせで、あっけなく幕を閉じそうだ。
「週末だし会合はある」「乾杯くらいはいい」「顔に出るまで飲んだのがまずかった」。議員たちからは、言い訳が多い。ばれなきゃ何をやってもいいとでも言うのだろうか。
June 24, 2005 11:55 AM
2005年06月14日
政治家も見た目大事
「スポーツ新聞も最近、政治のことを詳しく伝えるようになったね」。国会で取材をしていると、そう話しかけられる。自民党が分裂したり、非自民・非共産の連立内閣ができたり、大きな流れが始まった90年代初めから、スポーツ新聞の政治記事は少しずつ増えてきた。でも、1日2回、番記者との取材に応じ、メディアに登場する度合いの高い小泉純一郎首相が登場してから、確かにぐんと増えた。
小泉首相の登場後、新聞や雑誌、テレビが総じて、政治家のビジュアルな面に注目するようになったし、政治家も読者や、視聴者の目を気にするようになってきたと思う。カッコ悪いよりカッコ良く、話題がないよりあったほうが気分もいいだろう。「政治家も見られてなんぼ」。国のリーダーがつくり出したこの流れは、そうそう簡単に逆流するとは思えない。
先日、早大で行われた安倍晋三氏(50)の講演を取材する機会があった。聴衆は10~20代の学生。今や、選挙結果の鍵を握るといわれる無党派層の中心で、この年代に支持されるかされないかは重大だ。安倍氏は、国会では見せたことがないラルフ・ローレンのシャツ姿。「安倍さんは総理になれるか」という質問に「○」のプラカードが多く「ホッとした」と思わず本音をこぼしていた。国会での安倍氏とはひと味違う柔らかさ。「見られてなんぼ」を意識しているからだろうし、学生からも「それが狙いなんでしょうしぃ」と、ツッコまれていた。
安倍氏は、北朝鮮や中国に対して言いたいことを言うタカ派だが、政治家としての「人に見られる自分」を意識しているとも思う。「剛」と「柔」を使い分けている。
まだ幹事長だった昨年の参院選前にインタビューした時は、年金未納問題で、自民党だけが党として未納議員を公表していなかった。安倍氏は「それは個人の問題」と言い張り、有権者に誤解されないか尋ねても「私は間違っていない」と強硬だった。「獲得議席が改選議席を下回れば、当然責任を取って辞める」と、表情も硬かった。
その後写真撮影をしていると、幹事長室に招き入れてくれた。カメラマンが、安倍氏に「『ハッスル』をご存知ですか? ポーズを取ってもらえませんか」と聞いた。プロレスラー小川直也が手と一緒に腰を振る、例のポーズだ。
スポーツ新聞は野球面から読むという安倍氏も、プロレス通ではなく、知らなかった。まさか応じてもらえるとは思わなかったが、カメラマンのポーズをまねて「ハッスル、ハッスル」。場は一気になごみ、写真は翌日の紙面を飾った。
後日、選挙の遊説でも小川と一緒にハッスルポーズをして回った。北朝鮮強硬派とのあまりの「落差」か、マスコミも飛びついた。時代のはやりに乗るタイミングを図ったのだろう。
自民党のベテラン議員からは「これからのリーダーは、大衆に迎合するばかりではだめだ」という厳しい声も聞こえてくる。でも、うまくバランスを取れるのが一番いいのじゃないかと思う。見た目なんて関係ないほど、実力のある政治家が出てきたら、また話は別だが。
June 14, 2005 11:31 AM
2005年06月04日
また低かった投票率
選挙の取材をしていて、いつも思うのが「また投票率が低かった」ということだ。国政選挙で40%、地方選挙では、30%を割り込みそうな数字が出ることもある。
先日行われた埼玉県川口市の市議補欠選挙も、そうだった。この選挙には、元ソウル五輪女子マラソン代表、宮原美佐子さん(42)を含む4人が立候補していた。宮原さんの事務所に取材に行くと、4畳半ほどの小さなスペースで、スタッフや支援者が集まり顔をつき合わせ、なにやらひそひそ。1本しかない電話の前にはベテランのスタッフが陣取っていた。テレビもラジオもないしんとした事務所で、さまざまな数字が飛び交い始めた。宮原さんがどれくらい票を取ったか探る票読み作業だった。
選挙管理委員会が発表した定時ごとの投票率が書かれた紙が配られると、あちこちで失望の声が起きた。投票率があまりにも低かったからだ。川口市の有権者は約38万7000人。投票率は、20%台からじわじわ増える程度。30%でも約11万4000人にしかならない。結局、投票率は31・66%。投票した有権者は12万人あまり。約7割の有権者が投票を棄権してしまっていた。
3割の有権者の票を4人の候補で奪い合う大接戦。結局宮原さんが4万6800票をとって初当選したが、低い投票率に、事務所では勝利の喜びもそこそこに複雑な空気が流れていた。
ある人が声をあげた。「両親が投票する姿を見ていない子供は、このままでは将来、ますます投票に行かなくなる」。別の人は「不在者投票を有権者に出向かせるのではなく、役所が出向くのはどうだろう。例えば、投票を呼びかける広報カーに投票箱を積んで、住宅街を回ってみてはどうかな」。別の人は「投票は、今は権利だけれど、義務にするように、将来、法律を変えられないものかな」思い思いのアイデアが飛び交い、真剣な議論が続いた。
「投票した人に、何か特典を与えるしかないんじゃないか」という意見まであった。でもそこまでしたら、投票の自主制が損なわれる。そんなことはわかっていても「物でつる」くらいのことをしないと選挙へ行く行動じたいが始まらないくらいの末期的症状かもしれない。
後日、選挙のPRのために、物(グッズ)を配って広報活動をした自治体があると聞いた。今年4月知事選が行われた秋田県だ。選挙管理委員会に聞くと、郷土の名物「なまはげ」をマスコットにした耳かきを6000本作り、投票率が低い20代~30代が集まるイベントで無料配布した。すごい人気で、品切れになり、問い合わせがくるほどだったそうだ。コストは100万円。「候補者の言うことに、耳を傾けてもらおうと、耳かきにしました」。ギャグでも何でも、受け入れてもらいたいという涙ぐましい努力だ。
さぞや、投票率にも効果があっただろう。結果は、過去最低だったそうだ。
有権者を投票に行かせることが、こんなに難しいとは。このままでは、そのうち日本では「投票」そのものが成り立たなくなってしまうのではないかと思ってしまう。
June 4, 2005 12:00 PM
2005年05月25日
アナウンサー 目が命
日本テレビの福沢朗アナウンサー(41)が6月30日付で日テレを退社し、フリーアナウンサーとして独立することを発表した。「ズームイン!朝!」「高校生クイズ」など、日本テレビの人気番組を担当し、日テレの「顔」的な存在だ。
4年前、福沢さんにインタビューをした。アナウンサーとして、バラエティー番組や情報番組の司会者として、早口で、立て板に水のごとくしゃべる人、というイメージを持って取材に出かけた。
早朝、3時間の生番組を終えてインタビューの場所に現れた福沢さんは、こちらが勝手に想像していた早口でもなく、おしゃべりでもなく、穏やかに話す人だった。顔を見て、目についたのは目だ。真っ赤に充血していた。当時、ニューヨークの9・11同時多発テロが起きて間もないころだったため、連日の長丁場に、疲れているのだな、と勝手に解釈した。でも福沢さんの説明は違った。
「ニュースを読む時は、ずっと原稿を目で追う。『目を使う』んです。今の番組では読む原稿の量が多いから、どうしても目に力が入ってしまうんです」。
事前に用意された原稿は、新しいニュースが入ってくるたびに次々に差し替えられる。読む直前に差し替えということもある。覚えていた内容から頭を切り替えて対応しなくてはならない。声に出して読むと同時に、原稿の文字を目で追いながら下読みすると、目に力が入る、と教えてくれた。
よほどのハイビジョンのアップでないかぎり、目の充血までは、ブラウン管を通じて視聴者には見えない。でも刻々と状況が変わるニュース現場で、原稿をさばき続けるアナウンサーの「職業病」だったのだ。アナウンサーは「声が命」だが、目も大事な商売道具だった。
想像以上に、体力勝負でもあった。司会者が立ったまま進行するニュースやワイドショーは最近増えたが、当時の「ズームイン SUPPER」では福沢さんも3時間立ちづくめだった。足のむくみ対策で、サイズが緩めの靴を履いていても、忙しい日は番組が終わるころには足がぱんぱんに張った。夜が明けぬうちに出社し、番組が終わっても仕事が続く。番組を仕切るプレッシャーも加わる。「ストレスは倍、気合は3倍、でもお給料は一緒です」「1日の過ごし方は、会社で働くか、家で寝ている。だから携帯電話も必要ないんです」。まるで「修行談」を聞いている気分になった。
アナウンサーという職業が、実はとても厳しい職場環境にあることを、福沢さんは体をもって見せてくれた。独立してフリーになれば、置かれた立場も仕事の中身もサラリーマン時代とは変わるし、緊張感も違うだろうが、これからも、一寸先が見えないニュースの現場に身を置き続けることには変わりがない。
「人生の第2ステップ」で今までと同じ職業を選べる環境にあることは、ある意味、うらやましい。プレッシャーや「目を真っ赤にする」ストレスがあったとしても、それでも選択するのは、やっぱり今の仕事が好きだからなのだろう。
May 25, 2005 11:07 AM
2005年05月15日
胸痛む家族の苦しみ
イラクで、英国の警備会社に所属する斎藤昭彦さんが武装勢力に襲われ、拘束されていることが分かった。ただ、どんな状況にあるのか、まだ詳しい情報は分からない。
斎藤さんの事件が起きるまでに5度、イラクで日本人が被害に遭っている。イラクに行った事情や背景や立場は、それぞれで違う。そんな事件が繰り返されるたびに、取材をしていてつらく思うのは、情報が分からずに時間だけが過ぎる中で、自分たちに何かできないか、とただ待ち続ける残された家族の話を聞く時だ。
昨年春、女性ボランティアら3人が武装勢力に拉致された時、家族は当初、政府に自衛隊の一時撤退を求めた。「(政府と私たちとは)温度差がありすぎる」「お話にならない」。原点は自分の家族を救いたいという一点なのだろうが、焦る思いでの発言が、エキセントリックだ、と批判されたこともあった。中傷も受けた。「正直に言って、私たちでは国は動かせない」と、ぶつけどころがない声も聞いた。
拘束が分かって解放されるまでの1週間、心労から倒れる人もいた。「何が何でも助けてほしい」というストレートな感情は、進展のない中でやがて口を重くさせた。追いつめられている様子が分かった。解放の一報がもたらされた時、ちょうど家族は会見を開いていた。言いたいことも言わず抑えていた感情から、喜びの歓声はまるで悲鳴のように聞こえた。
言葉にできない気持ちを感じたこともある。03年11月に銃撃され命を落とした奥克彦大使、井ノ上正盛1等書記官の葬儀でのことだ。外交官として、国が決めた方針を現場で動かしている中の惨事だった。
弔辞を読んだ小泉首相は「ご家族の誇りであると同時に日本国民の誇り」と、祭壇の遺影に語りかけた。祭壇の横には、2人の家族がいた。その後、参列者にあいさつを続ける家族の姿を見た。参列を終えた1人1人に頭を下げていた。涙を隠そうとしない人、必死につらさを押し殺した表情の人、悲しみのあまりに淡々とした表情の人…。両外交官の家族はいろんな思いがあったとしても、立場上、簡単に声を上げたり、悲しんだりすることはできなかっただろうと思う。その分、感情が押し込められていたように思えて、気分が重くなった。
今、斎藤さんの弟は毎日、記者会見を開き心境を記者に説明している。兄とは10年以上音信がないと話していたが、会見で説明する前に、まず自分が今何が起きているか一番知りたいはずだろうが、気丈に振る舞う姿をみると、さらにこちらも胸が痛む。
何もかも、日本とは制度も形も違う国で起きる考えられない事態だ。日本で待ち続ける家族には、何かしたくてもどうしようもできない歯がゆい思いばかりだろう。家族たちの心に残る痛みは、簡単に消すことはできないだろうと思う。
May 15, 2005 01:42 PM
2005年05月05日
「10年戦争」結末は…
「ゆ」のひと言を聞くだけで、表情が変わるといわれる小泉純一郎首相(63)が「何としても今国会での成立を」と意気込むのが、郵政民営化関連法案。先月28日、法案を成立させるかどうか議論をするために、国会に提出された。それに先だって、自民党の最高意思決定機関の総務会で、党としての最後の調整が行われたが「反対勢力」が猛反発。了承されたのは法案の中身ではなく「法案を国会に出す」ことだった。それでも、強行突破に近いドタバタ劇だった。
小泉首相は、大型連休前に国会に法案を提出するように指示を出していたので、この日がデッドライン。国会で取材をすると、当然ながら反対派のメンバーたちは、怒りが収まらなかった。「時間がないから(議論の)打ち切りは仕方ないとは何だ」「(反対派としての)私に1票を投じてくれた人に恥ずかしい行動はできない」。「少数の意見が通ってしまう。多数決ならぬ少数決だ」。
「自分とは違う意見を許さないなんて、民主主義の中でとんでもないことだ」と言って、小泉首相の手法を批判する声もあった。
聞いていて、似たようなフレーズを、10年前に小泉首相自身が口にしていたのを思い出した。
小泉首相が初めて出馬した95年の自民党総裁選の出馬会見でのことだ。「違う意見を許さない、というのは自民党の一番悪い体質が出た」と話していた。小泉首相は既に郵政民営化を持論として掲げていた。自民党の中は既に猛反対の雰囲気だった。
この時小泉首相は、出馬に必要な30人の推薦人を集められるかどうか、微妙な状況。何とかかき集めて、公示の受付を1時間半後に控えた午前7時半、出馬会見にこぎつけたが、絶対的な少数派。目を充血させ、郵政民営化に対する党内の厳しい空気を察し「『小泉つぶし』が強まるほど(総裁選に)出なければという思いが強くなった」と、ほえた。意見の違いから支持を得られないことを嘆くより、風当たりの強さに、やる気をみせていた。
だが、この時は小泉首相は橋本龍太郎氏に負けて、総裁にはなれなかった。力のない少数だったのだ。
それでも97年の行政改革推進会議で、郵政3事業のうち一部の民営化方針が決まり、その時に話を聞くと、小泉首相は「タブーを打ち破ったことに意義がある」と、勇んでいた。
あれから10年。少数派だった小泉首相は自民党総裁、総理大臣になり、権力を握った。一時よりは下がったが、支持率は4割を確保して任期は残り1年あまり。持論の実現に並々ならぬ決意だ。
一方で、郵政民営化法案に「反対」の議員の大半も、その思いを訴えながら選挙に勝ってきた。でも、権力を握った小泉首相を相手にすれば、数は多くても、かつてのポジションは逆転した。反対派の意見はなかなか通らない。
ガチンコ勝負が思いもしない展開を見せるのか、やっぱり、自民党の中の争いで終わるのか。「10年戦争」の結末はもうすぐ出てくる。
May 5, 2005 01:06 PM
2005年04月25日
私、本気なんです!
「私、本気なんですよ!」。田中真紀子衆院議員(61)が、腹の底からわき上がるドスの利いた声で叫んだ。福岡市で行った衆院福岡2区補選の街頭演説。
真紀子さんは「私は民主党の議員ではない」と断りながらも、自民党に代わって民主党に政権を取らせてみませんか、と熱く演説した。これまでも「政権交代が必要」「政界再編を目指している」と話したのを取材したことはあるが「本気」なんて熱い言葉を聞いたのは、初めてだ。
真紀子さんは初めての選挙は無所属で当選したが、その後自民党入り。秘書給与問題で議員辞職し、03年の総選挙では自民党を離党して無所属で戦い、返り咲いた。民主党の会派にいるといっても無所属で閣僚でもなく、メディアに登場する機会はめっきり減った。たまに国会内で記者に囲まれて話す時も、小泉政権批判のオンパレード。正直食傷気味だった。
今回の「本気」発言は、言葉こそ短いが1歩踏み込んだフレーズだった。真紀子さんを駆り立てたものは、多分「群衆」ではないだろうか。
2日間で4カ所の演説では、どこも数千人単位で人が集まり、車道にもあふれた。真紀子さんの話を聞くために、これだけ人が集まったのを見たのは、久しぶりだ。
真紀子さんはたくさんの人を前にした時「スイッチ」の入り方が違う。国内で記者に囲まれたり会見を開く時は、怒りを込めていても、整然と話す。でもいったん群衆の前に出ると、声色も形相も一変する。父の角栄元首相譲りのダミ声を、おなかの底から最大ボリュームでしぼり出すように叫ぶ。
真紀子さんは大学時代に劇団に所属し、女優を目指した、と自伝でつづっている。女優という商売は、大衆の視線を浴び注目されて、なんぼの世界。ひょっとすると、昔女優を目指した血が、多くの有権者(観客)を前にすると、騒ぎ出すのかもしれない。
「私は自民党だったけれどいじめられ、もうイヤと思って飛び出した。もう政党の時代じゃない。私は先を見越して無所属になった」「主権在民。政治を変えるのは政治家ではなく国民」。真紀子さんは真顔で話す。自民党という「数の集団」を、本意か不本意か、自ら離れた。その後は、1人でもがく状態が続く。真紀子さんと「一緒に動きを起こそう」大きなうねりは今のところ、ラブコールを送る民主党の中でもまだ起きていない。真紀子さんは自民党や小泉政権をたたきながら、敵と闘う自分を演出している段階だ。1人で闘うことの難しさは、肌で感じているはずだ。
ただ、自分の選挙区でもないのに多くの人が集まる現実を見た。街角で見せた「本気」発言は、他人に与える自分の「力」を、あらためて肌で感じ取ったからかもしれない。
April 25, 2005 11:56 AM
2005年04月15日
おとぎの世界消えた
英国のチャールズ皇太子(56)が、35年間も関係を続けてきたカミラさん(57)と結婚式を挙げ、ついに正式の夫婦になった。
結婚式の様子を取材するため、英国ウィンザーに行った。なにはともあれ、ロイヤルウエディングではないか。
挙式会場の「ギルドホール」は、17世紀に建てられた。皇太子が故ダイアナ元妃と挙式したセントポール大聖堂と同じ設計者だと聞いた。赤と白のレンガにギリシャ彫刻風の飾りが埋め込まれた建物は歴史を感じさせるが、普通は一般市民が集う公会だ。白い階段はペンキがはがれ、歩くときしむ。職員がベンジンで壁のプレートを磨いていたが、布はかなり汚れていた。
一般市民が使うには何の支障もないのだろうが、ここで未来の国王といわれる人が結婚式…? お互い離婚経験者ということで英国国教会の一部から反対の声もあり、ウィンザー城の教会から場所を変えたのだが、よく言えば極めて質素。率直に言えば「格落ち」に見えた。
近くの書店では、皇太子の再婚記念に出版されたばかりの本が、早くも9ポンド(約1870円)から3ポンド(約620円)引き。逆に当初の日取りの「4月8日」が入った4・99ポンドのタオルが「インターネットで10倍の48ポンドで売られているわよ」と、土産店の店員は言った。なんか、夢のない話だなあ。
さて、式当日。皇太子とカミラさんが会場入りする前、他の王族やカミラさんの親族がまず公会堂に着く段取り。次々と王室の車が到着し、ウィリアム王子やヘンリー王子、王族メンバーが降り立って、手を振って…と華やかな場面を勝手に想像していたら、2台の白いマイクロバスが到着。王子たちはその1台から、互いにじゃれ合いながら降りてきた。結婚式前の厳かな雰囲気はない。もう1台にはカミラさんの家族。「親族ご一行さま」の状態で、ゾロゾロと歩いて行った。王族がまるごとバスに乗ってくるなんて…緊張感がまるでなかった。
25分かけるといわれた式も、実際は誓いの言葉を読む手続きだけで、15分で終わった。終了後、建物を出てきた皇太子とカミラさんは、腕を組んで立ち止まって報道陣や観衆に手を振ったが、すぐ車に向かって歩き出した。お気に入りのデザイナーに作らせた純白のワンピースにジャケット、帽子で決めたカミラさんの方が、少し立ち止まってから車に乗り込んだ。もう少しフラッシュを浴びていたかったのだろう。
81年に行われた皇太子とダイアナ元妃との結婚式は、テレビ中継で見た。当時中学生だった。元妃のふわっとしたウエディングドレスや、赤いじゅうたんを引きずる長いベールに、こんな夢のような世界が現実にもあるんだなあと思った。
あれから24年、かつて英王室にあった「おとぎ話」のイメージは、すっかり消えた。目の前のロイヤルウエディングは、現実の世界の中で、夢のかけらもなかった。
April 15, 2005 10:39 AM
2005年04月05日
手の内のタイミング
NHKの橋本元一会長が、海老沢勝二前会長を支えた現在の専務理事8人を全員交代させると、記者会見で発表した。海老沢色を消すには、一番分かりやすいカード。でも、これはあくまでも「最初の1歩」のはずだ。その札を、なぜ2カ月も手にしたままだったのだろう。確かに理事たちの任期は4月まであった。だが、本当は会長になってまず、素早く切るカードだったはず。姿勢が問われていたはずだ。
強烈なキャラで、何をしても目立っていた海老沢氏から会長を引き継いで2カ月過ぎた。でも橋本氏が何をしたいのか、まだ見えてこない。手の内の見せ方が、下手なんじゃないだろうか。
そう感じたのは、会見前日の3月31日だ。橋本氏は国会にいた。参議院の総務委員会でNHK予算案審議で、説明に立っていた。
橋本氏は、ここでも理事の進退に触れ「人心一新にふさわしい刷新といえる体制をつくりたい」と、これまでとかわらぬ表現で交代をほのめかすだけだった。委員会は、NHKが生中継と録画で放送していた。受信料支払いを決めかねている視聴者が見ていたとしたら、意欲が直接伝わるチャンスだった。スッキリしない言い方では、伝わるものも伝わらない。
今の橋本氏やNHKにとって、視聴者へのアピールは1日でも早い方がいい。翌日発表するなら、この時話してもよかったのに。
海老沢前体制から「脱却」しているかどうかの意思表明も、あいまいだった。橋本氏には海老沢氏に顧問をいったんお願いして、世間の大ブーイングで撤回したことがある。
委員会では海老沢氏の「優れた部分、問題の部分」を聞かれて「非常にリーダーシップを発揮して、組織改革で削ぐべきところを削いだ」「7年で1000億円を超える財政圧縮をした」と功の部分だけ答えていた。気遣っているようだった。
結果的にNHKがたたかれる一因を作った海老沢氏の功績だけを並べては、反発が出るかもしれないとは思わないのだろうか。私的な感情は別にあっても「前はこういうところはダメだったけれど、私はこうしたい」と言ってのけるくらいの意気込みを、みせてほしかった。
重要なことほど、手の内は明かしたくないものだ。でも今の橋本氏には、重要なことほど次々と明かして、視聴者にアピールする「逆の発想」が必要なのではないだろうか。
技術系初の会長。橋本氏は、質問に答える前、小学生のように右手をピンとまっすぐあげて発言を求めてから礼儀正しく答えていた。誠実さは伝わってきた。
「私は前会長と違ってオールマイティーではない。現場の意見をくみ上げ、視聴者の意見を求めながら経営を判断していきたい」と、前体制との違いを、精いっぱい強調していた。
だが、委員会が終わった後、報道陣が話を聞こうと集まった時には、橋本氏は関係者に囲まれるようにして迎えの車に乗り込んでいった。多くの視聴者に手の内をアピールするチャンスは、いつでも、どこかに転がっているはずなのだが…。
April 5, 2005 11:32 AM
