盧載鎭
2005年07月03日
常に本音でしゃべる
日本代表DF中沢佑二(27)が、横浜残留を決めた。1年後のW杯でベストパフォーマンスを見せるため、悩みに悩んだ末の結論だという。最も悩んだのは、当然中沢本人だろう。だが、横浜を指揮する岡田武史監督(48)も相当神経を使ったはずだ。リーグ戦再開が迫っているのに、主力DFの心が揺れている。メンバー構成も、残るか移籍かで当然、大きく違ってくる。他のメンバーの士気にも影響する。
指揮官としては当然、使える駒は多ければ多いほどいい。それでも同監督は「クラブの都合で選手をクビにすることだってあるのだから、選手が自分の夢のために海外を目指すのはいいんじゃない。オレに引き留める資格はないし、だからオレは深く考えないようにしている」。
監督は、マスコミの前で常に冷静を装っていた。「本音を隠している-」。取材をしていた僕は、そう感じていた。
中沢は、残留を決めた前日(6月27日)に、監督室で同監督に相談を持ち掛けた。
「監督はドイツでコーチ修行もしているし、僕はやはり行った方がいいんですかね。でもチームには迷惑ですよね」。「お前がいなくなれば、お前抜きの戦い方を考えればいい。オレはお前を止めない。自分で決めなさい。残ったところで、お前をレギュラーでつかう保証はないからな」。残留へ、気持ちが傾いていた中沢としては、止めて欲しかったという。しかし、岡田監督から「残って欲しい」の言葉はなかった。
後にクラブ幹部が明かした。「山瀬の時も、今野の時も岡田監督は本人と会った時、積極的に加入を勧めなかった」。J2札幌からMF今野獲得を目指した時、同監督は本人と会った席で「レギュラーは保証しない。すべてはお前次第だ」と伝えた。
結局、今野は横浜の誘いを断って東京行きを決めた。今季、浦和からMF山瀬を獲得した時も、同じ言葉を口にしたという。
02年のシーズン途中、横浜は司令塔・中村俊輔をレジーナへ移籍させた。当然、横浜としては出したくない。移籍話が出始めたころ、悩んでいた横浜の幹部が横浜市内のバーで飲んでいたら、偶然、当時サッカー解説者だった岡田氏もその店にいた。大学の後輩でもある岡田氏に「何で難しい顔をして飲んでるんですか」と声を掛けられた。「実は俊輔の移籍の件で…」。
「水が流れるように、チームも変化しないといけないんですよ。プロのクラブは水と一緒で、ためておくと腐ってしまう。優勝メンバーで翌年戦ったとしてもまた優勝できる保証はないし、発展もないんです。また違うチームで挑戦すればいいんじゃないですか」。岡田氏の言葉が、中村の欧州移籍を後押しした結果となった。
岡田監督は、中沢の一件で、本音を隠していたわけではなかった。常に本音でしゃべっていたのだ。久々に「器の大きい人」と話ができ、僕はうれしくなった。
July 3, 2005 12:19 PM
2005年06月23日
横浜の輝き支える男
どのジャンルにも、表には出ない、いわゆる「陰の功労者」が必ずいる。今回は、サッカーを約10年間取材した中で、私一押しの「縁の下の力持ち」を紹介したい。
2年連続のJ優勝を支えた横浜の中村勝則取締役(48)である。
1979年から日産自動車サッカー部のマネジャーを7年間務めた。86年から日産本社の営業部で働き、J開幕前の92年に日産プロサッカー準備室の一員としてサッカーの世界へ戻った。J元年の93年にはJリーグ運営委員会など7つの委員会にも所属。99年から強化本部長、03年には取締役になった。
横浜のNO・2のポストに就いたが、地味なことにも労を惜しまない。左伴社長の補佐・参謀役が主な仕事だが、一方では選手家族のケアや外国人選手の世話なども率先してこなす。引退した選手の面倒も見る。
99年末、ミスターマリノス・井原正巳にクビ宣告をしたのが、当時強化本部長の中村氏だった。日産時代から10年間在籍した功労者で1億円プレーヤーのスター選手に0円提示した。恨まれて当然。しかし3年後、井原が引退試合の相談をしたのは中村氏だった。他にもラモス瑠偉や北沢豪の引退試合も手伝った。当時「なんで他のチームの選手まで面倒を見るのか」と聞いたら「日本リーグ時代から苦労した仲間なんだ。手伝うのが当然でしょう」と返ってきた。
J創立とともにサッカーの知名度が高まり、有名選手の後援会発足がブームになった時期がある。中村氏は井原、川口能活、小村徳男、鈴木正治らの後援会の規約作りにもアイデアを出し、会合にも出席するなど、バックアップした。
また好きでもないハンバーガーセットを頼んで、それに付いている景品を選手の子供にあげたり、休みを返上してまで外国人選手の家族のために、子供の幼稚園や学校を探したりもした。「家族が日本の生活に慣れないと、選手のパフォーマンスにも影響するから」の信念があったからだ。
今年5月には、昨季で横浜をクビになった韓国代表MF柳想鉄が日本にひざの治療に来たとの情報をキャッチすると、東京へ車を飛ばした。一緒に食事して悩みの相談にも乗った。柳は「僕をクビにした人だけど、日本にいる間、絶えず家族の面倒を見てくれたから。その恩は忘れない」と話した。
心配りはスタッフにまで及ぶ。「記念日手帳」を作成し、現役や引退した選手、スタッフや部下の家族全員の誕生日、結婚記念日、身内の命日など365日中、250日以上がメモされている。部下の子供の誕生日には横浜市内の自宅に招待し、誕生パーティーも開く。
中村氏の功績は、表彰に値しないものなのかもしれない。だが、こういう人がいる限り、横浜はこれからもJの中で輝きを放ち続けるだろう。
June 23, 2005 12:49 PM
2005年06月13日
本大会で感動したい
何か物足りない。
ジーコジャパンは8日、バンコクで北朝鮮に勝って3大会連続のW杯出場を決めた。世界一番乗りのおまけまで付けた。日本に続いてイラン、韓国、サウジアラビアと、アジアの強豪国も続々と本大会出場を決めた。
これでいいのか。もうW杯出場は悲願の夢ではなくなってしまったのか。W杯がこんな身近な大会になっていいのか。8年前のジョホールバルのような歓喜をサポーターは感じているのか。
正直、僕は感じなかった。日本代表を応援する気持ちは、他の人と変わらないはず。でも何か、納得できない。W杯進出が決まってからの代表メンバーの喜び方も、8年前とはずいぶんと違う。
日本は、世代交代がうまく進んでいない。4年後は、今回のようにはうまくは決まらないかもしれない。しかし、今回のメンバーは史上最強と言っても過言ではないと僕は思う。中田英寿、中村俊輔、小野伸二。10年、20年に1人の逸材が中盤に3人もいる。それぞれが世界で貴重な経験も積んでいる。
アジアの大会に満足できないのは、すでに我々の判断基準が世界に向いているからだろう。中田英は「今の日本にW杯で勝てる力はない」と言ったが、僕はそうは思わない。優勝は難しいかもしれないが、上位に食い込む力は持っていると思う。
サッカーは実力のあるチームが勝つ可能性が高い競技だが、実力差ほどスコアが開かないことが多い。無意味だが「あの場面で決まっていれば…」と思う試合も多い。
いい準備をして運を味方に付ければ、日本の快進撃は夢ではない。
8年前にW杯予選を経験したGK川口能活は言う。「フランスの時は予選を突破するのに精いっぱいだった。でも今は、8年間の経験とみんなの努力があるから、W杯で勝てる地盤はできたと思う」。
世界との戦いの前にはどうしても弱点を気にしてしまう。GK川口とDF宮本は空中戦に弱い。DF田中はストッパーが本職ではない。ボランチ福西は簡単なミスをする時がある。中田英はすでに全盛期が過ぎている。中村はフィジカルと守備が弱い。小野はケガがち。FW陣はそろって決定力不足。両サイドからも正確なクロスが上がらない…。
しかし日本は、それを補って余りある絶対的な武器がある。団結力だ。サクラやアジサイのように、束になればさらに美しい、今の日本代表にはその力がある。「1対1の対決で負ければ、1対2、1対3の場面をつくればいい」とMF中村は言う。11人が連動できれば、世界トップレベルの相手でも完敗することはまずない。
W杯まであと1年。これからが本当の勝負だ。予選で味わえなかった感動を、本大会で感じたい。そう思う人は僕1人ではないはずだ。
June 13, 2005 11:27 AM
2005年06月03日
サインプレーに注目
3大会連続W杯出場へ、いよいよ3日(日本時間4日未明)バーレーン戦を迎える。昨年、W杯1次予選を戦う最中、「1次さえ突破すれば、最終予選は少しは余裕を持って臨める。グループ2位までW杯出場できるのだから」と、選手たちは口をそろえていた。
最終予選が始まったが、思ったほど楽な展開には持ち込めていない。日本は、アジアのサッカーをリードする最強の一角には間違いないが、実力通りにいかないのがサッカーである。個々が優れた技術を持っていても、融合できなければ、結果には結び付かない。
ジーコジャパンは、6月の最終予選2連戦直前の調整試合・キリン杯で2敗を喫した。確かに、キリン杯も立派なタイトルには違いない。しかし、そのタイトルのため最も大事な最終予選に影響が出るようでは、それこそ問題なのである。
連敗してアウエーの地に乗り込んだことで、心配を募らせる人も少なくない。しかし、心配ご無用。ジーコ監督は、日本が最も得意とするセットプレーを隠した。直接狙える位置ではキッカーの質で得点が決まるが、CKや両サイドからのFKはキッカーと合わせる選手との感覚を一致させることが大事なのである。
02年10月の就任以来、ジーコ監督は重要な試合前には必ずセットプレー時のサインプレーを指示している。ある選手は「W杯予選とか、アジア杯の重要な試合では指示があったけれど、キリン杯ではなかった」と明かす。
サインは試合ごとに微妙に変える。左手がダミーで右手を上げればファーサイド。手の甲や手のひらを見せることでニアサイド。ボールをセットする時にすね当てを右手で触ればショートコーナー。左手で触ればダミーなど、いろいろなバリエーションがある。時間帯や前後半で変えることも多い。
3月25日、アウエーのイラン戦に1-2で負けた後、選手たちはいろんな反省の言葉を口にした。キリン杯で連敗した直後は「気持ちで負けた」。「1対1で勝たないと」など、周囲から問題点を指摘された。
だが、みんなが心配するほど、日本代表のメンタルは弱くない。スポンサー絡みなどで強行日程を強いられ、思うように体が動かず力をセーブすることはある。しかし、W杯出場に直結する試合で手抜きをする選手はいない。応援するサポーター以上に、W杯に行きたがっているのは彼ら自身なのだから。
当然、バーレーンも必勝の構えで臨んでくるはず。精神面で互角なら、自分の形のあるチームが有利なのは明白だ。しかも1度対戦した相手である。相手はセットプレーの守備で、ニアサイドに速いスピードで放り込むボールの対応には強く、ファーサイドで折り返すボールには弱い。3月の対戦で、キッカー中村とターゲット中沢が確認したものである。
ジーコ監督は、どんなサインプレーを用意するのか。勝利の美酒を用意し、サインを見つけていくのも、楽しみの1つだ。
June 3, 2005 12:01 PM
2005年05月24日
そこに愛はあるのか
磐田MF藤田俊哉(33)の浦和への移籍問題が浮上して1カ月がたった。移籍に向けて両クラブ間で少しずつ前進はしているものの、いまだ決着はついていない。藤田の立場は「宙に浮いた」状況なのである。
移籍を表明しながら、1カ月も磐田のために黙々と戦うベテラン。気を使う後輩たちに「オレ個人の問題なのに、ゴメンね」と気配りも忘れない。仲間からの信頼も厚く、そんな貴重な財産を磐田側も簡単に放出するわけにはいかないだろう。
しかし移籍交渉のスタンスにはかなりの問題がある。浦和から最初の移籍金提示を受けた翌日、執行役員を兼任する山本昌邦監督は報道陣の前で「提示した金額が低すぎる。僕たちはのんびり。焦ることはない。あんな低い評価で、藤田本人がかわいそう」と力説した。
常々「説得して残したい」と言いながら、言い換えれば「もっと金を積めば出す」とも取れる発言だ。磐田は「のんびり」の構えかもしれないが、藤田本人がその「のんびり」の期間中に、どれだけ大変な思いをしているのかを考えれば、言ってはいけない発言である。藤田を「かわいそう」な立場に追い込んだのはどっちなのか。
当たり前の話だが、浦和は安く買いたい。磐田は高く売りたい。交渉事はお互いに条件を提示して、譲歩する部分は譲り、歩み寄らないと成立しない。同監督の「金額が低すぎる」の発言は、交渉相手の浦和にまず伝えるのが筋だろう。マスコミから磐田の考えを伝え聞いた浦和の心境は考えたのか。
日本代表がペルーと戦った日、藤田は磐田のACL消化試合などのためベトナムへ出発した。移籍問題が早期決着して代表復帰を目指したい気持ちは当然あるはず。しかし、本人は両クラブに迷惑が掛かると思ったのか、重い口を開かない。このままずるずると時期を延ばされれば、移籍したとしても浦和FW永井とのポジション争いに勝てる保証はない。
浦和の犬飼社長は「磐田はサポーターへの配慮もしているようだ」と言う。藤田との別れを惜しむファンに「クラブとしてはベトナムまで連れて行って必死に引き留めたのですが、本人の移籍したい意思があまりにも強すぎて残念ながら移籍させることになりました」とでも言いたいのか。それで示しがつくのか。
プロのサッカー選手は、個人事業主であり、クラブと比較して弱い立場である。クラブが選手を保護する義務はないが、お互いの信頼がないと両者の関係はうまく機能しない。しかも日本は、徹底した契約社会の欧州とは微妙に違い、人情を重んじる独特の文化がある。
「そこに愛はあるのか」。愛が必要ないのなら、契約書を盾に浦和からのオファーを蹴ればいい。中途半端な対応で、せっかくの代表戦士を悩ますことは、両クラブ、選手、日本代表にとっても望ましくない。
May 24, 2005 10:44 AM
2005年05月14日
俊輔のもう1つの敵
日本代表の司令塔・中村俊輔(26=レジーナ)。実は一時期、6月のW杯アジア最終予選のアウエー2連戦(3日のバーレーンと8日の北朝鮮)の出場が危ぶまれていた。過去にも、同様の負傷で3カ月以上も苦しんだことがある。当然、本人も相当悩んでいた。
両股(こ)関節痛である。スポーツヘルニアとも言われるが、無理すれば足の付け根が痛み出す。神経を針で刺すような痛みで、とてもサッカーができる状態ではなくなる。
横浜時代の01年、初めて痛みが走った。00年JリーグMVPを獲得した翌年。当然、チームでは欠かせない存在となり、代表にも徐々に定着していた。恵まれた身体ではない。常に極限の状態まで引き上げて勝負するしかない中村の体が、SOS信号を発信したのである。
3カ月間、何もできなかった。上半身強化を図り、腹筋を鍛えようとしても足の付け根が痛み出す。焦る。やっとつかんだ代表の座が…。不安な気持ちを抑えるため、生まれて初めて横浜市内のお寺を訪れた。初めての座禅。ピッチに戻れるなら…。それほど、切実な思いだったのだ。
昨年中村は、ジーコジャパンで欠かせない選手として存在感を示した。中田英寿のいないアジア杯、W杯1次予選では軸としてチームを引っ張った。今年はレジーナでも実績を残し、W杯最終予選などで厳しい日程を送った。所属チームのセリエA残留がほぼ決まり、残るは、最終予選2試合の戦い方さえ間違えなければ、W杯に出場できるところまできている。
「結構ヤバいかも。かなりきてるね」。
4年前の悪夢が再びよみがえる。3月30日のバーレーン戦が終わってイタリアに戻った後、忘れかけていたあの痛みが襲ってきた。不安が募る。いろんな思いが頭をよぎる。最悪の場合、バーレーン戦、北朝鮮戦はあきらめることになるかも。代表で、今のポジションにたどり着くため、必死で戦ってきたのに。一瞬にして水の泡になるかも。
何としてもW杯予選は出たい。状態が同じなら、過去の経験から逆算すれば、徐々に調子が戻ってくるのは7月からとなる。それではアウエー2連戦には間に合わない。間に合ったとしても、調整不足は否めない。試合勘が戻るかも不安だし、いつものメンバーといっても連係の再確認なしで本番に臨むのは危険すぎる。
油断はできないが、幸い4年前ほど深刻な状況ではなかった。痛みが引くたびに、声が明るくなる。今まで地道な努力で定着したトップ下のポジションを、ケガのせいで他の選手に明け渡すつもりはない。W杯の経験がないだけに、自らの力で日本をW杯へ導きたい気持ちは強い。
運命の2連戦まで1カ月を切った。負傷の恐怖とも戦う日本のファンタジスタ。
ピッチの中央で雄たけびを上げる瞬間を見届けたい。
May 14, 2005 11:35 AM
2005年05月04日
功労者は尊重すべき
2003年12月2日、鹿島クラブハウス内の一室。何ともいえない重苦しい空気が流れる。鹿島の鈴木満強化部長が、絞り出すような声で切り出した。「申し訳ない。これが今回、クラブが出した結論だから…。のんでくれ」。長年、鹿島の屋台骨を支えてきた功労者DF秋田豊への解雇通告だった。
「彼はまだトップでできる選手だが、うちのチーム事情でもう雇えない。だからといって、安い年俸を提示するのは失礼に当たる」と同強化部長。04年度から世代交代を図ると決めていたため、秋田がベンチに座る頻度が増えるのは目に見えている。当然、秋田を残してスムーズに世代交代させた方がベストだとは分かっていたが、それではあまりにも功労者に失礼だ。
「できれば、オレがいるうちに若手がオレを超えてほしかった」と鹿島に愛着がある秋田と、秋田に申し訳ない気持ちでいっぱいの鈴木強化部長。非情通告の場で2人は泣いた。泣き声が部屋の外に漏れていたが、気にしなかった。お互いを信頼していたから、男泣きできた。
「今はつらいけど、この先、今の判断が正しかったと思える日が必ずくる」。鹿島の牛島洋社長は唇をかんだ。鹿島が年俸0円提示したことで、秋田は名古屋へ移籍金なしで移籍できた。1年かけて若返りに成功した鹿島は現在Jリーグ首位を走り、秋田の経験が加わった名古屋は2位につけている。冷たいと思われた決断が、1年以上の年月を経て最高の形として表れている。
今回、また長年チームに貢献した功労者が1人チームを去ろうとしている。磐田MF藤田俊哉である。しかし、状況は秋田の時とかなり違う。今季、山本昌邦監督のスタメン構想から外れ、最初はベンチスタートが多かった。主力の負傷で最近は先発復帰しているが、すでに移籍を決意している。4チームからオファーを受け、悩みに悩んで自分のホームページに移籍先として2チームに絞ったことをファンに報告した。
今までの功績を評価するなら、藤田の意向を尊重するのが筋だろう。磐田サイドが本人の意向を聞いて交渉を進めるチームとは段取りを付け、そうではないチームには丁重に断りを入れるのが普通だと、僕は思う。オファーが届いたのは藤田本人のところではなく、クラブなのだからだ。
しかし磐田の鈴木政一強化部長は「4チームとも会うべきだ。オファーを出したチームに失礼だ」と一喝し、悩んだ末に出した藤田の結論をあっさり無視してしまった。若手ならともかく、33歳の妻子持ちのベテランで長年黄金期を支えてくれた選手への処遇とはとても思えない。
結局藤田は、磐田の面目のため、自分の中ではすでに断っているはずの2チームとも会うことにした。お世話になった磐田へ、最後まで仁義を切るためだ。今回の移籍は、藤田だけに限らない。「明日は我が身…」。ほかの選手も当然、注目している。
功労者への配慮と信頼を見せないクラブを、所属選手たちやサポーターがどう思うか、冷静に考えてみる必要がある。
May 4, 2005 10:42 AM
2005年04月24日
移籍は「自分のため」
Jが開幕して6試合を消化した。開幕前、優勝候補に挙げられた浦和、磐田、G大阪などのチームが苦戦し、昨季低迷していた鹿島が快進撃を続けている。まだ34(試合)分の6が終わっただけだが、水面下では有力選手の獲得をめぐるし烈な争いが展開されている。また、成績を残せない監督は、解雇される時期でもある。
今のタイミングで、移籍市場に名を連ねている実力者は、日本代表DF宮本恒靖(28=G大阪)とMF藤田俊哉(33=磐田)だ。2人は実績、人格などあらゆる面で若手の見本になり、実力でも日本を代表する選手だが、それぞれのチーム事情、監督の好みなどで今季、レギュラーの座を奪われた。
移籍を恥じることはない。サッカーは野球と違って試合数が少ない。チャンスを与えてもらえないなら、出場機会をくれるチームに移籍するのは、サッカーの世界では当たり前のことなのだ。新天地で実績を残して自分を起用しなかった監督を見返してやればいい。いずれ訪れる直接対決の場で、自分を手放したチームを後悔させればいい。それは、ファンを裏切る行為ではない。
「チームのために自分の役割を黙々とこなし、出番を待つ」。日本人の感覚では、これがベストな選択かもしれない。でももう長嶋、王の時代ではないのだ。ミスター・マリノス井原は磐田を経て浦和で引退した。鹿島一筋だった秋田は現在、名古屋でプレーしている。ラモス、武田、北沢らと川崎(現東京V)の全盛期を築いたカズは、神戸のリーダーとなった。
今回、移籍市場に名前が挙がっている大物2人だが、移籍先選びで相当悩んでいると聞く。幸い、藤田は希望していた浦和が手を挙げてくれた。しかし現在、2クラブから誘われている宮本は、意中のクラブからは声が掛からない。待つべきか、それとも声を掛けてくれているチームに移籍すべきか。
宮本の移籍問題が長引くと、ジーコジャパンにも影響するのは必至だ。代表でDFラインの軸で主将を務める選手が、所属チームではスタメン出場できず、途中からボランチに入るようでは、当然試合勘は鈍る。ずぶとい神経ならともかく、周りに細心な気配りを忘れない優しい性格だけに、リーダーシップを発揮する前に、自ら悩んでしまうことも考えられる。
日本代表は6月3日にバーレーン、同8日に北朝鮮と、W杯出場のための大事なアウエー2連戦を控えている。アウエーのプレッシャーに加え、最終予選突破直前の目に見えない負担もある。またここへきてチームの軸となる欧州組の負傷、不調が目立つ。国内組からは不満の声も上がっている。チームをまとめる宮本には、今まで以上のプレッシャーがかかるはずだ。
宮本を使わないG大阪や西野監督を責めるわけにはいかない。必死で勝つためにベストを尽くしているのだから。日本のため、自分のため、宮本自身が決断する時期は目の前に迫っている。
April 24, 2005 11:56 AM
2005年04月14日
偏見はないですか?
中国各地で反日デモが勃発(ぼっぱつ)した。その被害は、日本大使館や大使公邸などの政府機関だけにとどまらず、留学生や日本料理店、日系デパートなど一般人にまで及んでいる。許されないことだ。ただ、この騒動だけで、中国の人々全体が日本を敵対視しているというわけではない、ということも、冷静に考えておく必要があると思う。
もちろん、父親の転勤で現地に住んでいるような家族や、中国4000年の歴史を学ぼうとして留学している若者に危害を加えるのは許せない。日本の歴史的な背景を問題視するというのなら、中国だって昔は韓国を何度も侵略している。中国の教科書に、韓国侵略の歴史が詳しく書いてあるわけではない。
デモをやめろとは言わない。しかし罪のない人々を巻き込むのは許されない。その結果として、日本で暮らす中国人留学生や在日中国人が肩身の狭い思いをすることを、彼らは分かっているのだろうか。また、一方では、留学生や日本に滞在する外国人に肩身の狭い思いをさせる可能性のある今の日本の社会というものが望ましいものだろうか、そのことも、じっくり考えてみる必要もある。
中国で開催された昨夏のアジア杯で、ジーコジャパンは、中国人で埋まったスタンドから揶揄(やゆ)と罵声(ばせい)を浴びせられた。ものも投げられた。当時、日本代表を取材した僕は「中国人は日本人が嫌いなんだな」と思った。政治とスポーツは別といっても、実際、人々の感情は簡単にコントロールできるものではない。
大会が終わって、韓国サッカー協会幹部と話す機会があった。同杯に出場した韓国代表も日本と同じように、毎試合をアウエー状態で戦ったと聞いた。
となると、自分の中での結論は「弱いチームを応援しただけかも」と変わった。歴史上で中国人が韓国人を嫌う理由はないからだ。また、スタジアム以外では、日本の選手団、報道陣はまったく嫌がらせを受けていなかった。
世界を見て、隣国同士が友好的に緊密な関係を維持している場合もあるが、そうでない例も少なくはない。交流する機会が多い分、トラブルが起きる可能性も高くなる。国籍に関係ない、人と人の間のトラブルだってある。
しかし、こうしたときにも「○○人が○○人とトラブルを起こした」となる場合もある。我々が気付かぬ間に、政治的に利用されるケースもある。
今回の暴力事件は黙認されてはいけないと思う。
それを前提にこの機会に考えたい。
あなたに偏見はありませんか。肌の色や言葉が違うだけで思わず身を構えた経験はありませんか。僕はあります。日本の生活に慣れるにつれ、だんだんそうなっていく自分も感じています。外ではなるべく自分の子供に日本語で話し掛けます。変な目で見られるのが怖いからです。
人に危害を加えたり、ものを壊すだけが暴力ではない、ということも考えておくことが必要だと思う。
April 14, 2005 10:32 AM
2005年04月04日
長男抱けぬ俊輔パパ
僕は2児の父親である。二女が生まれたのは一昨年の7月。その年の冬、家内と2人の子供がおじいちゃん、おばあちゃんに会うため韓国に戻った。「せっかくだから2、3カ月くらいゆっくりしてくれば。冬のボーナスは全部、お前の好きなように使っていいから」。育児に追われる家内に休暇をあげた。5年ぶりの1人暮らし。
独身を満喫できると思った。しかし、思ったほど楽しくない。食事は外食で解決できるが、掃除、洗濯はそういうわけにもいかない。結婚する前には当たり前のようにできたことが、できない。
休みの日は家事に追われ、独身を満喫する暇がない。何よりつらかったのは、子供に会えないこと。子供の写真を眺める時間が日々、増える。3カ月後、休暇を取って僕も里帰りした。家内と子供を迎えに、戻ったのである。
一刻も早くわが子に会いたい。朝一番の飛行機を予約した。帰国前夜はワクワク、ドキドキ。自然に口元が緩む。目覚まし時計を3つもセットしたが、鳴ることはなかった。一睡もできなかったからだ。今は起きているのかな。寝てるだろうな。そう考えるうちに、朝刊が配達された。
仁川空港に着いた。間もなく我が子と再会だ。大量のおもちゃを忍ばせたスーツケースを引いて空港を出た。準備万端。しかし今度は不安が襲う。長女は以前のようになついてくれるのかな。二女はオレの顔を覚えていないだろうな。迎えに来てくれた妹の車に乗る。家まで約1時間。3カ月ぶりに味わう至福の瞬間のため、あえて子供の話はしなかった。
ガッカリ。「パパ」と叫びながら懐に飛び込んでくれるはずの長女は、僕と目を合わせようとしない。「パパだよ」と話し掛けながら手を握ると、逃げてしまった。追いかけると、泣き出してしまった。今度は寝ていた二女をそっと抱き上げた。泣く。暴れる。一日中、抱っこしていたかったが、実現したのはわずか数分間だけだった。
つい先日。セリエAのレジーナに所属し、日本代表MF中村俊輔(26)も、僕に似たような体験をした。W杯最終予選のバーレーン戦後、1カ月半ぶりに我が子と会った。
昨年12月に生まれたばかりの長男を両腕で抱いた。しかし数分で、ベッドに戻した。僕のように、子供が窮屈そうにしていたからではない。7キロの体重なのに、あまりにも重く感じたからだ。
単独トップ下でプレーしたバーレーン戦。負ければ、W杯出場に黄信号がともる一戦だっただけに、誰もがプレッシャーを感じていたはず。「トップ下で10番を背負って戦う以上、負ければすべて僕の責任」。司令塔としての重圧もあった。応援してくれた国民のため、信頼してくれた監督のため、家族のため、自分のため。全神経を集中し、すべての力を注いだ。
久々に再会した我が子を抱く力も残らないほど。
April 4, 2005 02:40 PM
