松田秀彦
2005年07月02日
さらば愛しの巨人軍
巨人戦を見なくなった。今年に入って、東京ドームに行こうと思った瞬間すらない。テレビ中継も全く見ていない。結果も気にならない。
物心ついた時から、巨人ファンだった。小学校時代は毎日、日が暮れるまで野球をした。あこがれは巨人の4番打者王貞治。母親が作った弁当を手に、片道1時間半をかけ、友だちと後楽園球場に何度も行った。バッティング練習で、軽々とボールを飛ばす姿がとにかく格好良かった。あこがれのヒーローだった。
大学を卒業して、この会社に入った。3年目に写真部から文化社会部に移った。映画担当になった。思わぬ機会が訪れた。米映画「バットマン&ロビン Mrフリーズの逆襲」のPRで、アーノルド・シュワルツェネッガーが来日した。飛行機を使って東京、大阪、福岡を1日で回るキャンペーンの同行取材。福岡ドームで、シュワちゃんとダイエー王監督が対面する企画があった。簡単なセレモニーと2人の歓談を取材した。試合開始前だったのに「せっかくですから、ぜひ」と、王監督は控室に私たちを呼んでくれた。短い時間だったが、映画キャンペーンとは全く関係ないどんな質問も、真摯(しんし)な態度で答えてくれた。
その後も映画を通して、長嶋茂雄さん、松井秀喜選手の取材機会があった。野球記者ならともかく、普段接することのない芸能記者に対しても、とても気さくに、そして真剣に対応する姿が印象的だった。
新聞社に入って「勝つため」とはいえ、企業としての「読売巨人軍」のやり方を知っていけばいくほど、好きにはなれなくなった。それでも王さん、長嶋さん、松井選手との取材機会を通じて、個々の魅力、大きさを感じることで、自分と巨人とのつながりは保つことができた。
そのつながりも、自分の中で今年、切れた。正月にハワイを訪れる芸能人の取材を終えて帰国した後輩記者から「巨人のある選手に名刺を引きちぎられ、目の前で捨てられました」との話を聞いた。その選手は、元アナウンサーでタレント活動もしている妻と焼き肉店で食事をしていた。2人に少しだけ話を聞こうと店の外で待った。食事を終え、出てきた2人はファンに囲まれ、写真撮影に応じていた。ひとしきり終わったところで、取材を申し込もうと名刺を差し出したら、いきなり破られて地面にたたきつけられたという。「オフなんだから取材するなよ!」。にらみつけてきた。去り際に「もう1枚名刺よこせ。巨人担当の記者に『こんな失礼なやつがいた』と言っておくぞ」とすごんだという。
休暇を楽しんでいる時に突然取材を申し込まれて困るのは当然かもしれない。しかし記者は、無断で写真をいきなり撮ったわけでもなく、名刺を差し出し、丁寧にお願いしただけだ。断られれば、食い下がる気持ちなど毛頭なかった。
記者じゃなければ、こんな場面には遭遇しないかもしれない。ただ、社会人として普通のやりとりもできない選手が、先輩面してベンチにいる。王さんも長嶋さんも松井選手のような人もいない。そう思うだけで、個人的なつながりは切れた。そんなことも、巨人の人気低迷の遠因かもしれない。
July 2, 2005 12:56 PM
2005年06月22日
悠々自適は考え次第
「そんなに急ぐことはないだろう。オレなんか、どこに行っても歩く。2、3キロは平気だから」。テレビを見ていたら、俳優の菅原文太(71)が、長靴を履いて全国を旅していた。海岸の再生のため、コンクリートの護岸を取り壊し、かつての磯を取り戻した青森県・下北半島の漁師町を訪ねていた。海岸を歩く姿を見ていたら、以前の取材で、普段の生活ぶりについて、そんなことを話していたなと思い出した。
7年前、東京・麻布のマンションを手放し、今は飛騨の山里に住んでいる。車もない。仕事の際にも、新幹線を乗り継いで5時間かけて上京する。都内に着いても、目的地が近ければ車に乗らず徒歩で移動する。映画撮影の地方ロケでも、スタッフが宿泊先に迎えの車を用意しても「先に行ってくれ」と言って、現場まで歩いていく。「ちょっと早めに出発すれば、大抵きちんと間に合う。それに景色を見ながら歩いていくのは、何より気持ちがいいからな」。
テレビで訪ねていた漁師町は、かつて近海でのイカ漁が盛んで、いつしか遠洋まで漁に出るようになった。大型船が必要となった。そのため海岸を整備した。皮肉なことにその後、イカが獲れないことが多くなった。安定収入を失った。町民の生活が苦しくなった。利便性を追求するあまり、身の丈を超えた行為が、町の疲弊を生み出した。町民は一念発起して磯を再生させた。海草や魚が集まるようになりそれらを獲ることで、細々とした形ではあるが、生活手段にもなった。一見、時代に逆行するような漁師町の試みを目の当たりにして、感銘を受けていた。
便利にすることで、失うものがある。脱線事故を起こしたJR福知山線が運転を再開したが、事故の遠因として、安全整備を怠ったまま、ひたすら利便性を追求したことが挙げられている。並走する私鉄に対抗して、過密ダイヤを設定し、ライバルよりも早く到着する快速電車を次々と走らせた。会社勤めの人で、移動時間をなるべく短縮したいと願う人は多い。ギリギリまで寝ていたい、満員電車に乗っている時間を極力縮めたい…。私も通勤で、JRに乗る。ところがラッシュ時をのぞけば、1本逃すと10分以上待たされる。それも乗換駅までわずか1駅移動するために。都内の地下鉄などが、数分刻みで乗車できることもあって、そのギャップにイライラすることもある。そうした利用客に応えるダイヤを設定することを責めることはできないが、その代償として今回の事故が引き起こされたとしたならば、あまりに大きすぎる犠牲だ。
悠々自適の文太流の現在のライフスタイルを、会社勤めの人間に単純に当てはめることはできない。「歩けばいいだろう」という考えもうらやましく聞こえる。それでも、不便を嫌がらないと心掛けることぐらいはできそうだ。
いつも最寄り駅でJRに乗り、次の駅で私鉄に乗り換えるが、自宅を早めに出て、乗換駅まで歩いてみた。電車なら3分間。歩くと20分近くかかった。イライラとは無縁の、気持ちよい1日の始まりだった。
June 22, 2005 10:51 AM
2005年06月12日
得意技「封印」し挑戦
記者として仕事を重ねていると、しだいに親しい取材相手が増えてくる。ざっくばらんに話をする中で、貴重な情報を得ることもある。だから、ふと自由な時間ができると、そうした相手を訪ねることが多くなった。信頼関係もあるから、居心地はいいし、気楽に話せるから話題も豊富になる。そんな会話をきっかけにして得た情報が記事になることも結構ある。だからますます足を運ぶようになる。自分にとっては取材の“得意技”のひとつだ。
だが先日、時代劇映画「花よりもなほ」の撮影現場を訪ねた時、そういう自分の状況が「ちょっとまずいかも」と思った。
この映画の脚本と演出を手掛ける是枝裕和監督(43)は、昨年のカンヌ映画祭で、柳楽優弥(15)が主演男優賞を獲得した「誰も知らない」を筆頭に、社会性あるテーマを、ドキュメンタリータッチの作風で仕上げ、高い評価を得てきた。基本的に脚本を俳優に渡さず、撮影現場では、そのシーンの状況だけを説明し、セリフを含めて即興のやり取りを要求する。その結果「演技」には見えない、自然な雰囲気を引き出すことに成功している。映画監督になる以前は、テレビの制作会社で、主にドキュメンタリー番組を手掛けてきた。そうした下地もあって、得意のタッチで勝負し続けてきた。監督作は、常に国際映画祭で上映され、特に、俳優たちの大仰な演技と、派手さが売り物のハリウッド作品に飽き始めた欧州の観客から絶大な支持を得ている。「誰も知らない」はカンヌ効果もあって、日本国内で興行的な成功も収めた。従来よりも観客層が広がり、監督の名前とともに是枝流スタイルの認知度も高くなった。
ところが、是枝監督は、その“鉱脈”を今回はあっさりと捨てた。新作「花よりもなほ」は、初めての本格娯楽作品。テロリズムの虚しさをさりげなく訴える社会性を保ってはいるが、登場人物たちの落語を思わせるやりとりなど、これまでにないほどエンターテインメント色が強い。撮影現場で細かい変更はあるものの、脚本も事前に書き上げ、出演者にも渡している。是枝監督は「伝え方の方法が違うだけで、自分の中でそれほど違うことをやっている意識はない」と周囲に話しているが、築き上げたスタイルとの決別は、勇気ある決断が必要だったはずだ。
映画製作は、まだまだリスクが高いビジネスだ。今でこそ日本映画も、ベストセラーや、テレビドラマの映画化などによってヒット作も生まれているが、オリジナルの作品で勝負することは、リスクが高いのが現状だ。
是枝監督は、得意技を“封印”して、チャレンジすることを選んだ。現場では時に笑みさえ浮かべ、淡々と撮影を進めていたが、その胸の内に強い決意を感じた。映画監督は、得意のスタイルを持っている人が圧倒的に多い。そこにファンも生まれる。居心地もいいはずだ。1つの道を突き進み、極めていく生き方も魅力的だが、あえて慣れないところに飛び込む是枝監督の果敢な姿勢に、刺激を受けた。
June 12, 2005 11:58 AM
2005年06月02日
人が人を思うに感動
「人が人を思う」。そんな当たり前のことに素直に感動した。
芸能面の新連載「夢追い群像」で高倉健さん(74)と親しい方々に話を聞く機会を得た。健さんは、数多くいる俳優の中でも、取材機会の極端に少ない人だ。プライベートについても「そういう趣味はありませんから」と、自分から話すことはない。著書や過去のインタビュー記事を読んで実像をたぐりよせることもできるが、肉声にかなうものはない。健さんの俳優生活とともに歩んできた映画監督の降旗康男さん(70)と、健さんを父親のように尊敬し、慕う俳優の中井貴一さん(43)に取材をお願いした。健さんの肉声を2人を通して聞きたかった。「健さんの映画に対する情熱や近しい方が感じる生きざまを読者に紹介したい」。取材意図を理解していただき「健さんのためなら」と快く応じてくれた。自分を語りたがらない健さんに代わって、いろいろな話をするのはつらい立場でもあるはず。応じていただき、ありがたかった。
ストイックなイメージをそのまま証明するエピソードも数多く聞いた。撮影現場でスタッフが懸命に働いている時、決してイスに腰掛けない。厳冬の地のロケでもスタッフが動いている時は、たき火や暖房器具のそばにいかない。「スタッフが頑張っているのに自分だけ楽をすることなどできない」。そう言っている健さんの姿が目に浮かんでくる。
逆に印象的だったのは「気さくな健さん」だった。カラオケも楽しめば、ダジャレや冗談も言う。若い時は朝寝坊だった、などと聞くと、失礼ながら親近感を覚えた。すると、降旗監督はこう続けた。「そういう健さんも、本当に魅力的。あえて僕らが話すのは失礼かも知れないが、そういう魅力を引き出せなかった責任を感じています」。
責任を感じる。その一言に、健さんに対する降旗監督の思いが伝わってきた。
健さんに、いつまでも「寡黙」「不器用」「男の中の男」というイメージを保つことを期待しているファンは多い。それが高倉健だからと。健さんも、降旗監督も、その期待に十二分に応え続け、今も楽しませ続けている。そこにみじんの後悔もないはずと思い込んでいた。だからこそ「責任を感じます」と寂しそうに言った降旗監督の表情が忘れられない。
降旗監督は、間違いなく日本映画界が生んだ希代のトップスターを支え続けてきた。健さんファンにとって、たまらない充足感を与え続けてきた。「日本の男の生き方」「昭和の男の生き方」。そうした象徴を多くの人の心に刻み込んできた。そうした誇りと自負もあるはずだ。それでも「責任を感じる」と言えるのはきっと、ファンに対してというよりはむしろ、健さんが、自分からそうした幅広い魅力を打ち出すことができないと知っていながら、導くことができなかった自分を責めているのだろう。人は、ほれ込んだら、そこまで人を思うことができる。
June 2, 2005 12:42 PM
2005年05月23日
映画界の風雲児健在
映画の世界にはこういう人物が必要なのかも知れない。かつて「映画界の風雲児」と呼ばれた角川書店元社長の角川春樹氏(63)。現在、プロデューサーとして大作映画「YAMATO 男たちの大和」を製作している。広島・尾道市内に原寸大の戦艦大和を“再現”した巨大セットを建設した。現場に足を運んでみるとその大きさに驚いた。撮影の主舞台になるなら“本物”を作ってしまう試みは予算と時間が許すなら正しい発想だと思う。これまで取材してきた俳優たちはみな、衣装やセットが演技に及ぼす影響の大きさを口にしていた。事実、美術費と呼ばれるセット予算が製作費の多くを占める作品は多い。名演技を引き出すための大切な要素なのだ。
とはいえ、8億円もかけて巨大セットを作る春樹氏の豪快さはけた外れと言っていい。主要キャストの撮影が終わっているにもかかわらず「格好がつかない」と、船首部分を2億円かけて継ぎ足した。周囲のスタッフが置いてきぼりにされそうな勢いだ。しかもこれが、麻薬取締法違反で懲役4年の服役を終えた直後の復帰作というから、その活力には驚かされる。
記者たちを前にした発言も、この人らしかった。主題歌を歌う歌手の長渕剛が現場に招かれた。こうした状況で、普通のプロデューサーは、いかに長渕がこの作品にふさわしい歌手なのか懸命に訴える。
ところが、この人は違った。「最初は中島みゆきにお願いした。そしたら断られた」と、ぶっちゃけた。思わぬ舞台裏の暴露に長渕も苦笑するしかなかった。本音をさらけ出して、メディアを引き付ける術(すべ)を持っている。さらに「刑務所にいた時、NHKの『プロジェクトX』ばかり見させられて(中島みゆきが歌う)主題歌が耳に残りまして」と服役生活のエピソードまで披露した。最後に「観客1000万人を動員する」と豪語。この人の勢いは、もうだれも止められない。
角川書店時代、映画の製作規模はもちろん、大量の予算をつぎ込み、常識を超えるスケールの宣伝キャンペーンを得意とした。ワンマンで徹底したトップダウン方式に振り回されるスタッフも多かったが、結果的にヒットさせるカリスマ的手腕の持ち主だった。
思えば、豪快なプロデューサーはみんないなくなった。映画予算が、どんぶり勘定だった時代が終わったことも背景にあるが、取材する身として少し寂しい。鶴田浩二、高倉健の任侠(にんきょう)映画シリーズや、「仁義なき戦い」などを製作した俊藤浩滋さん(享年84)は、撮影で警察官からピストルを借りてしまうような大胆な発想の持ち主だった。豪放磊落(らいらく)な性格は東映のスターたちに親しまれた。徳間書店の徳間康快社長(享年78)は、宮崎駿監督に「金はいくらかかってもいいから、納得のいくものを作って」と、自分の会社の経営危機をよそに、巨額の製作費を提供。金は出すが作品内容には一切口を出さず、「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」など宮崎監督の才能を引き出した。
春樹氏は、黒沢明監督の名作「用心棒」「椿三十郎」のリメーク(再映画化)権を3億円で取得した。不朽の名作を相手にした大胆な挑戦だ。
こういう人物が映画界にいると、取材者として興奮する。そのエネルギーは映画界全体に伝わっていくはずだ。
May 23, 2005 02:29 PM
2005年05月13日
「継続」は素敵なこと
「継続は力なりです」。3人組ロックバンドTHE ALFEEの高見沢俊彦(51)の言葉には十分に説得力があった。メンバー3人は11日、8月下旬に行う野外ライブの発表会を都内で行った。今年でデビューから31年。キャリアは日本でもトップクラスだ。どんなに人気を獲得しても、10年足らずの活動で、解散を迎えるバンドも多い。そんな中、31年という歳月は、驚異的といえる。
高見沢は「メンバー同士で火花散らすようにもめるなんてこと1回もなかったなあ」と、涼しい顔で振り返った。その余裕ぶりが、逆にメンバー同士の結び付きの強さを感じさせた。長く続けてこられた理由を聞いても「どうなんでしょうかね(笑い)」と素っ気ない。3人で活動していることがごく当たり前のことになっているのだろう。
7年前、元チューリップの財津和夫(57)に取材した際、解散について語ってくれた。チューリップも学生時代の仲間で作ったグループだ。「初めは友達感覚で好きなことを言い合いながらやっていた。いつの間にか社会人になって、結婚もして、子供もできて、徐々に個人の環境が変わってくるに従ってその感覚がずれ始め、最後は若気の至りでいろんな暴言やら何かでもう…」。屈託のない言葉の掛け合いを楽しむ関係だったはずが、いつの間にかののしり合いに変わっていったという。そしてチューリップは解散という道を選択した。デビューから17年目のことだった。解散後もずっと精神的な確執は残っていたという。それほど傷つけ合ったのだ。
THE ALFEEも、よく本音で物を言い合っているという。ところが、もめることはほとんどないという。よっぽど3人の性格のバランスがいいのだろう。
バンドが解散する時に「音楽性の不一致」という言葉がよく使われる。メンバーの中で、目指す音楽がバラバラになってしまい、解散を選択するのだ。サザンオールスターズの桑田佳祐(49)は「バンドの解散も夫婦の離婚と同じ。要するに仲が悪くなったわけで。音楽性の不一致は性格の不一致と同じ。愛人ができたりケンカが絶えなくなるのと何ら変わらない」とエッセーにつづっている。サザンは今年27年目。そんな桑田が言うように「音楽性の不一致」は、まるで夫婦にとっての性格の不一致のように、埋めようのない深い溝になり得るのだ。バンドを続けていくことは、それほど難しいことなのだ。
太く短くというスタイルもあるだろう。解散して“伝説”になる手もある。だが、高見沢は「いろいろなブームがありましたが、僕らは変わらずこうして続けてこられた。それだけでも結構すごいでしょ」と胸を張った。変わらず存在し続けることも立派なスタイルだと思う。
サザンの桑田は「ローリング・ストーンズは続けることで、音楽はやめられないってことを表現している」とも語っている。50歳を超えても、息の合ったステージを提供し続けるTHE ALFEEにも、その言葉がぴたりと当てはまる。
May 13, 2005 11:47 AM
2005年05月03日
“大人”の窪塚に注目
取材受付を済ませると、後ろから足音が聞こえた。窪塚洋介(25)が入り口に向かって歩いていた。足取りはしっかりしていたが、表情はこわばっていた。無理もない。昨年6月、自宅マンションの9階から転落するも、奇跡的に一命をとりとめた。長い入院生活とリハビリを経た仕事復帰となる主演映画「同じ月を見ている」の製作発表だった。声を掛けると少し驚いたのか、目を見開いた。「あ、どうも」。落ち着いた表情だったが、大人びたのは顔つきだけではなかった。
6年前から取材をしてきた。数多くの映画賞を獲得した映画「GO」。勢いある若手映画スター不在の中で存在感はまぶしかった。話を聞くといつも、一本気で純粋だと感じた。少し過激に聞こえた主張も「自分もかつてこんなこと思っていたっけ」と共感することもあった。1つ質問すれば自分の考えを分かってもらおうと、延々と言葉をつなぐ。まじめな若者だと思った。屈託もなかった。撮影現場でよく雑談した。役作りも本気で取り組んだ。役をきっちりつかもうと、参考になる本を読みあさり、関係者の話に熱心に耳を傾けた。のめり込むあまり、本や人間の主張をそのまま受け入れてしまうところがあった。純粋で、不器用だった。マスコミとの軋轢(あつれき)も、そんな性格が前面に出た結果だった。
「大麻は環境問題を解決する」と主張して「奇行」と報じられた。有効な活用方法があるとしても、現状ではあまりに“過激”だ。女性週刊誌に「叶姉妹と海外旅行」と報じられると「クソテキトーなマスコミ」と書いたTシャツを着て敵意をむき出しにした。映画界に進出してから窪塚を支え続ける東映の遠藤茂行氏は「とてもピュアな男です。マスコミに対しても、なぜ自分が話したことが正確に伝わらないんだろうと本気で悩んでいました」と言う。
大勢の前に出るとテンションが上がる。おちゃらけた言葉をよく口にした。「窪塚語」と揶揄(やゆ)された。ちょっとした受け狙いから出た物言いだと感じたが、確かに度が過ぎているときもあった。この日の製作発表では、落ち着いた口ぶりが印象的だったのか「窪塚語封印」とも報じられたが、もともときちんと話すことができる若者なので違和感はなかった。そんなことより“大人”として腹をくくったことを感じさせる言葉が印象的だった。
「1%仕事、99%メッセージではなく、99%仕事、1%メッセージにした方が伝わるんだということもよく分かったつもりです」。
誰もが認める仕事をすれば、主張に耳を傾ける人の態度もそれなりになってくる。自分の足元を見直すことができたのだろう。今回の配役についても原作を読んで「純粋でいい人」として描かれている役よりも「腹立たしくて相当むかつくんです」という別のキャラクターを選んだ。遠藤プロデューサーは「悪も善も併せ持つ人間ぽい複雑な役。昔の窪塚君なら選ばなかった。俳優として成長したいと強く願った結果でしょう」。
自分を受け入れさせる圧倒的な強さを身に着ける決意をした窪塚の演技に注目したい。
May 3, 2005 11:22 AM
2005年04月23日
根性の人だった東山
東山紀之(38)に対する見方が変わった。ジャニーズ事務所の人気グループ、少年隊のメンバー。デビュー以来、華やかな芸能界の真ん中に立ち続けている。印象深いのは、華麗なダンス。ステージを何度か見てきたが、技術の高さは、共演者と比べれば、素人の私にも明らかに違って見て取れた。日々の努力があることも想像できるが、プロスポーツ選手のように、持って生まれたセンスの良さ、素質があったのだろうと感じてしまう。しかし、事実は違ったようだ。
先日、東山は、ハワイ・ホノルルで行われたトライアスロンに出場した。初挑戦だった。テレビ番組の企画だったが、レース自体は正式なもの。器用で運動神経も抜群のイメージもあって「目標は完走」と繰り返す東山に対して、随分謙虚だなと感じた。
案の定、3時間11分の好タイムで完走した。「やっぱり」とも「さすが」とも思ったが、その過程は厳しかった。
まず、海で遠泳などしたこともない。おまけに、普段のトレーニングの成果で体脂肪率が6~7%と極端に低く、浮力が弱いというマイナス面を背負ってしまった。うまく泳がないと沈んでしまうのだ。レースでは1・5キロを泳ぐ。何度か同じ距離で試し泳ぎをしてみたが、泳ぎ切ることはレース前までついになかったという。失敗すればその模様もそのまま放送もされる。何でもこなしてしまうだろうという視聴者のイメージを裏切ることになる。そうしたリスクも抱えていた。
準備期間は、わずか1カ月半しかなかった。コーチを務めたシドニー五輪トライアスロン代表の福井英郎さんの指導で、徹底的に水泳に取り組んだ。
レース当日。短期間でも練習を積んだという事実を自分に言い聞かせ、スタートラインに立った。結果、ゆっくりとしたペースを守り、泳ぎ切った。
レース後の食事の席で、秘密を知った。
「実は、左右の足の長さが数センチ違うんですよ」。ジャニーズ事務所に入った当初、ダンスレッスンを受けても、なかなかうまくならない。足の長さの違いが微妙に影響して、バランスがとれなかった。ほかのメンバーが1回で覚えることも、反応できなかったという。「だからとにかく人の何倍も何倍も練習しなきゃいけなかった」。
素質どころか、最初はほかのメンバーに追いつけなかったのだ。今は「(事務所の後輩たちの)誰にも負けない自信は持ってます」と胸を張って言う。周囲をしのぐ技術の高さを身につけた東山の強さは、自分の弱さを「根性」で克服したことが原点だった。
前日は苦手の水泳に対して「正直怖いです」と不安も口にしていた。確かにそれも本音だっただろう。しかし、自分の歩んできた道を振り返れば、そうしたハンディを乗り越える自信は、絶対に持っていたはずだ。
「ピンチはチャンス」。東山の姿を見ていたら、よく聞く言葉が、実感をこもって響いてきた。
April 23, 2005 11:04 AM
2005年04月13日
本物 サンボマスター
東京・渋谷。まだ肌寒かった5日夜。駅前のスクランブル交差点を走り抜け、NHK方面へ抜ける公園通りの上り坂を駆け上がった。息が上がってきた。額から汗も流れてきた。鼻水も垂れてきた。女子高校生グループと擦れ違った。夜の渋谷をグレーのスーツ姿でダッシュする30歳過ぎのオッサンは、彼女たちの目にどんな風に映ったか。なんてことも気にせず、坂を上りきった。右手奥にライブハウス「渋谷AX」が見えた。開演時間を過ぎた午後7時10分。汗ばんだ背中にシャツがくっついてきた。
チケットを受け取った。座って見ることができる2階席。チケットはポケットにしまった。迷わず1階の扉を開けた。フロアはオールスタンディング(立ち見)。熱気を感じるためには、関係者で埋まった2階席から見下ろしても分からない。フロアは人で埋め尽くされていた。ステージは20メートルほど先だった。お笑いコンビ、キャイ~ンの天野ひろゆき似の男が、バタヤンこと田端義夫のように胸元にギターを抱え込み、叫んでいた。
「あなたがたのおかげで、僕はロックができるわけですよ~っ!」。
人気上昇中のロックバンド、サンボマスターのステージに初めて出会った瞬間だった。
2月のある日。「1度見てください。何か感じると思います」。レコード会社の関係者の言葉が気になっていた。会場へ向かう時、自然と駆け足になっていた。
サンボマスターは、3人編成のロックバンド。ボーカル兼ギターの山口隆(29)は「クラスで一番キモイあいつ」のキャッチコピーでデビューしたこともうなずけるほど、外見はオタク系。背も高くなく小太りでメガネ。それでも山口は言う。
「革ジャン着てイエ~イっていうロックスターはウソくさい。普通の人間が発狂してしまうという基本がないと説得力がないんです」。
その言葉通り、ステージは激く、サウンドはハードなロック。ギター演奏も発狂寸前と思えるほどの暴れっぷりだ。生きることのもどかしさや素晴らしさ、喜びや悩みを、英語表現に頼らず、日本語でストレートに伝え、無常観さえ歌う。
その人間くささは、山口自身が影響を認めているように、かつてのフォークソングを連想させる。生きることに不器用そうな男が、虚飾なく懸命に愛を叫びまくる。怒りや衝動を、今すぐ吐き出さなきゃダメなんだと言わんばかりの強引さで歌う。
若者に混じり、同世代の男性もあちこちに見えた。音楽評論家の田家秀樹氏はサンボマスターを「未来に希望の持てない時代に生きる若者に手を差し伸べる救いの存在」と言った。救いを求めているのは、どうやら若者だけではなかったようだ。観客はみな、ステージに向かって必死に手を伸ばした。もっとオレの代わりに叫んでくれと訴えているようだった。ルックスに頼らない本物感。山口が言う「ウソ臭さ」はない。あこがれとは違う、自分の分身のように感じることができるのだろう。スーツに染みこんできた汗は途中から気にならなくなった。
April 13, 2005 11:21 AM
2005年04月02日
映画ファンド手応え
映画界の新しい試みに成功の兆しが見えてきた。松竹が、昨年11月から募集した日本初の個人投資家向け映画ファンドに、5億円の「資金」が寄せられた。対象作品は、仲間由紀恵(25)オダギリジョー(29)主演のアクション時代劇「忍−SHINOBI」。CGを駆使した娯楽映画だ。久松猛朗常務は「初めてのことだったので、正直どれほど集まるか予想もつきませんでした。達成感と同時に責任の重さを感じています」と手応えを感じていた。
ファンドとは一般的に、投資のプロにお金を預け、その運用を任せて分配金を得る金融商品を指す。銀行の利率が低いこともあって、ファンド人気は高まっている。その中でも証券会社が投資家から資金を集めて運用する投資信託の人気は高い。「株」から「映画」に応用したものが、映画ファンドというわけだ。集められた資金は、映画の製作費に使われる。
今回の映画ファンドの投資は一口10万円。元本60%確保と90%確保の2タイプが用意された。当然だが、リスクが高い60%型の方が配当は高い。申込者の7割が60%型だった。映画の成功に対する期待の高さを感じた。
映画界では、デジタル技術の高度化などに伴い、製作費は年々高騰する傾向にある。そのため、製作する映画会社だけが単一でリスクを背負うことを避け、テレビ局、出版社、広告代理店などにも製作費の出資を募り、リスクを分散させるケースが当たり前になってきた。製作委員会方式と呼ばれるこのシステムは、資金調達をスムーズにするほか、いろいろな視点の意見を集められる、公開に向けて宣伝する際、出資した各社が〝応援団〟としてさまざまな協力を得られるなど、利点が多い。その半面、船頭が多くなり、撮影現場に混乱を来す危険性もはらんでいる。
今回の映画ファンドは、資金調達をスムーズにした上、映画製作の主導権をすべて松竹が握る利点もある。意見の衝突、調整ごとが少なくなる分、クリエーティブな作業に集中できる。これが作品の完成度を高める要因にもなり得る。
では、大成功するか−。現実はそんなに甘くない。
映画「忍」の配当金が生まれる収益ラインは興行収入20億円だが、これは厳しい数字といえる。現在最大手の東宝の例をみても、昨年、実写映画で興収20億円に達した作品は「世界の中心で、愛をさけぶ」「いま、会いにゆきます」「スウィングガールズ」の3本だけ。いずれも大掛かりなメディアミックスプロモーションによって一大ブームをひき起こした結果のヒットだ。
今回の映画ファンドは、一般の観客に対して映画製作に参加する楽しみを提供した点で、意義は大きかったと思う。日本映画に対する関心を高める話題提供にもなった。しかし今後もこのシステムを継続させていくためには、皮切りの作品の成功が必須条件となる。松竹が、どのようにこの映画をヒットに導くのか、注目している。
April 2, 2005 03:11 PM
