記者コラム「見た 聞いた 思った」

2007年01月01日

読者の反響で再発見:

 03年11月17日に始まった「見た聞いた思った」は、今日の担当デスク、記者の座談会をもって終了することになりました。最初は9人、後に10人の記者がローテーションで担当し、現場で見て聞いて感じたことを伝えてきました。3年余りの間に登場した記者は延べ37人。読者の皆さんからはメールや手紙でたくさんのご意見を寄せていただきました。ありがとうございました。

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 南沢「普段は、取材現場で記者が感じたことや主張よりも、事実関係を優先して書くことが多いけれど、そこでそぎ落としている“感じた”こと、主張を入れた長文のコラムをやってみようとなった。『見た聞いた』は『取材』の総称で、そこに主張や感情も込めた『思った』を入れて、専門分野以外も含めてフリーのテーマで行こうと。50行じゃなく100行という長さにもトライしたかった」。

 田「いわゆる社説でなく『記者の顔が見えるコラム』としてスタートした。顔写真と略歴を付け、読者との“キャッチボール”の窓口として、反応を受け入れるメールアドレスもつけたのは今までにはなかった。特定の記者には必ず返事をくれる読者もいた。読者が書き手を近く感じる。それは狙いの1つで成功だった」。

 南沢「メールはリアクションが速い分、熱く、感情がダイレクトで厳しい指摘も届いた。かわりに褒めてくれる意見はうれしく、メールを開くたび一喜一憂した。それは新鮮だった」。

 田「このコラムだけでなく他の記事の感想が届けられたりして、こちらが読者の顔ものぞけるような気もした。批判的な意見が多かったが、いろいろな読み方をしている人がいるんだと参考になった」。

 南沢「書き手としては、ほかの分野にも意識してトライした?」。

 井上「40歳を過ぎて、ふと思うことは、担当の相撲やプロレスより、子供のことだったり、時事ネタだったりする。一番印象に残っていることを書こうと思った。『何でよく知らないのに書くの』と言われたけど、例えば北朝鮮が核持ったことに何も感じませんか。オレは感じますよ。撃ち込まれたら、どうなっちゃうんだとか。それを書いた」。

 南沢「実際には、ほかの分野を専門的に取材するのは難しい。だから、大きな意味での『取材』、例えば日ごろの体験や自分で調べたことなどの範囲を含んで、専門分野以外にトライしてみようと思った。テレビを見ただけの感想と思ったときには記者と話した。何らかの『取材』が必要だと思う。読者からも記事を書く姿勢についての厳しい指摘もあった」。

 鹿野「自分はカメラマンなので、スポーツだけでなく事件事故でも、現場に一番近いところに突進することが多く、そんな目の前で見たものを写真ではなく、言葉でいかに伝えようかと思ってやってきた。読者の反応が直接届くという貴重な経験ができ、とても勉強になった」。

 田「記者にもそれぞれ、いろんなトライのしかたがあった」。

 盧「僕は韓国人のため、日韓関係をテーマにしたコラムが多かったと思う。いろんな反応があった。『日韓友好』にプラスになればとまでは思っていなかったが、一番の収穫は『反日嫌韓』ムードが以前より減ってきたことです」。

 栗原「印象深かったのが、自分自身が骨折して救急車で運ばれたことを書いた時。消防庁が救急車の有料化を検討していることを取り上げ、医療関係者からは現場の苦しみなど多くの意見が寄せられた。当時、プロ野球担当で、そういった声に触れたのは新鮮だったし、考えさせられた」。

 井上「自分で書くようになり、日刊スポーツにはいろいろな記者がいるんですよ、というのを読んでくれる人に感じてほしいなと思った。句読点なしで100行書いた記者もいた。アイディアとしては面白いと思った」。

 田「各記者が10日に1度、長いコラムを書くことで取材のフィールド、視野を広げる狙いもあった。普段のニュース素材ではない部分で、感性を発揮して欲しかった。読者の胸にどう響くかと」。

 栗田「取材現場(当時は競輪場)での反響はものすごかった。1面などにあまり取り上げられないレースの紙面でも、いかに読まれているか。厳しい意見に、ショックが何カ月も残ったが、真剣な読者メールも印象に残った」。

 南沢「スポーツ新聞社で何年か勤務した段階で、読者の意見をリアルタイムで聞きながらコラムを書いたことは『現時点の私たち』の再確認にもなった。その気持ちを未来に生かしていきたい」。

 ◆参加者(所属は当時)
 デスク 文化社会部・南沢哲也、野球部・田誠
 記者 スポーツ部・井上真、盧載鎭、野球部・栗原弘明、レース部・栗田文人、写真部・鹿野芳博

January 1, 2007 11:18 AM