記者コラム「見た 聞いた 思った」

2006年12月23日

亀田が再戦で得た物:井上真

 亀田興毅はランダエタと拳を交えていたが、同時に世の中とも闘っていたと感じた。20日のボクシングWBA世界ライトフライ級タイトル戦。負ければ、王者・亀田の敗北では済まず、父史郎さんを含めた亀田家の負けになっていただろう。

 今回は、倒せないが絶対に負けないボクシングだったと思う。8月、亀田はKOする可能性が高いパワー任せのファイトで、本人いわく「不細工な試合」をした。そして初防衛戦では、ファンがKOを期待する中、敢えてKOできないアウトボクシングに徹した。

 評価は試合が終わってから始まる。「つまらない」「物足りない」「よく頑張った」。いろいろだ。正解は見た人の心にそれぞれあって、万人に共通する模範解答を見つける必要はない。ただ、強く感じたのは、親子のきずなの強さだった。また、亀田は泣いた。リング上で、父史郎さんがバッシングの盾になってくれたことに感謝し涙を流した。次の瞬間、史郎さんは亀田のマイクを奪い「これから興毅を応援したってや」と叫んでいた。

 有明コロシアムの観客席で聞いた。鳥肌ものの絶妙な間だった。ベテランの役者が演じてもあの空気は醸し出せない。それは演技ではなく、本物の人生だったからだ。亀田の負けを楽しみにしていた人も大勢いただろう。現に、こうして書いている自分も、負けた亀田がどうなるのか、父史郎さんがどういう言動を取るのか、見たい衝動はあった。

 敵であるランダエタの活躍を応援するというよりも、亀田のぶざまな負けを期待する意味合いが濃い空気の中で闘うのは、非常にレアケースだ。ファンもアンチも、すべてを引き付ける動機が必要だった。負けて亀田親子に反省がなければ、バッシング側が勝ち誇っただろう。勝ったとしても勝ち方に“疑念”が残れば、それはそれで禍根を残しただろう。KOか、大差での判定勝利しか許されない状況で、亀田は結果を出した。これはスポーツマンの勝者亀田興毅をたたえるべきだ。

 前回8月に応援しながら、今回は応援に来なかった著名人がたくさんいた。理由はそれぞれにあるだろうが、バッシングの標的になっていた亀田を応援する自分のイメージを心配する打算はあったと感じた。同じニオイをかいだボクシングファンもいたはずだ。亀田を応援するということは、その人の価値観まで試される、それほどの影響力があったということだろう。

 今年、日本サッカーはW杯ドイツ大会で惨敗した。五輪などの世界大会の度に、日本人には決定力がない、本番に弱い、精神面が未熟だと叫ばれてきた。その「日本人の限界」に、極限状態の中で亀田は挑み、ひ弱=日本人の殻を破った。
 ケチはいくらでもつけられるだそう。でも、探して見つけるケチは小さい。亀田一家の愚直さが勝ったのだ。あの、いかにもありがちな風景にこそ、よくよく考えなくてはいけない子育てや、親子のきずなが詰まっていたと強く思う。

December 23, 2006 10:35 AM