記者コラム「見た 聞いた 思った」

2006年12月18日

突き放さない指導法:鳥谷越直子

 06年の世相を表す「今年の漢字」に「命」が選ばれたという。そんな折、衝撃的な告白を聞いた。「最近、電車に飛び込みたくなることがある。いろいろ考え過ぎてしまって。自分でも怖くて電車が来るまでホームに出られないんだよ」。いつにない深刻な表情を浮かべたのは、松坂らを育てた横浜高・渡辺元智監督(62)だった。

 悩みの種は「いじめ」。といっても、同部でいじめが起こっているわけではない。世間を騒がせている陰湿ないじめが、部内で行われているのではないか、今なくてもいつ起こるか分からない不安が常にあるのだという。同校の小倉清一郎部長(62)も「毎日『問題を起こすな』という話ばかりしていて、野球にならない」と嘆く。

 言わずと知れた高校球界屈指の指導者だ。その2人がここまで神経をとがらせている背景にはここ数年急増している高校球界の「不祥事の増加」がある。夏の甲子園優勝、準優勝校の不祥事が2年連続で明るみに出ては、対岸の火事と傍観してはいられない。しかも主な不祥事の内容は部内暴力、飲酒、学内窃盗…。どこの高校でも起こり得る事案ばかりだ。

 横浜は1980年(昭和55年)の暴力事件以来26年間、不祥事を起こしていない。愛甲投手(元ロッテ)で80年夏に優勝したころは教育的な鉄拳も辞さないスパルタ指導。今は選手との対話重視に様変わりした。

 渡辺監督は73年春、80年夏、98年春夏、06年春の4つの年代で甲子園優勝を経験している。高度成長期からバブル崩壊、そして失われた10年と激動の時代だった。野球部員も世相を映すようにタイプが異なり、それに合わせて指導法も工夫してきた。

 最近はいじめ報道に触発され、「いじめはないか? 何でも言ってこい」と、オープンな姿勢で部員に接しているという。プレー中に選手の元気がなかったり、孤立していたりすると、すぐに声を掛け、自宅に招いて夕食をともにすることもある。保護者ともチーム状態を小まめに説明するなど密なコミュニケーションを図っている。

 学校、教師に対する信頼は今や過去に例をみない低落ぶりだ。いじめを見て見ないふりをしたり、わいせつホームページを作成する教師がここまで続くと「個」の問題では片付けられない。氷山の一角なのでは、という見方のほうがむしろ主流だろう。

 そんな社会状況の中だからこそ、渡辺監督の言葉が胸に響いたのかもしれない。「どんなに悪いやつでも何とかしてやろうと真剣に彼らの中に入っていくと、良いところがある。どうでもいいと突き放したらそこで終わってしまう。一番大切なのは信頼関係なんだ」。それはグラウンドも教室も一緒だ。今こそ、心から親身になれる、しかも熱いハートを持つ指導者が教育現場に求められている。

December 18, 2006 12:49 PM