2006年12月13日
石原真理子に負けた:井上真
石原真理子の会見がくだらなくて品がなくてばかばかしくて、とっても楽しめた。リポーターたちが、恋愛相手の迷惑を考えないのかと、詰問したのも面白かった。
いつも不倫、恋愛発覚、破局、三角関係を追いかけている側が、急に立場を180度変えているようだった。火種を見つけると、当事者に殺到し、その家族、関係者に聞き回り、それこそ“迷惑”などお構いなしがマスコミの実態だ。
これは自身が同じだからよく分かる。読者の知る権利などと大義名分を振りかざし、報道媒体自身が「これは伝えるべき」と独自に価値判断した事象に、人も金もつぎ込む。事実を伝えるためなら、一般常識の範囲ギリギリのところまで土足で踏み込む。それは視聴者や読者も薄々感じていることだ。
それが石原の恐れを知らない自爆型告白がさく裂した途端に「相手の事を!」などと叫ぶところがコミカルだった。有名人たちが直接暴露を始めると、これに勝るネタはないから、取材する側の立場が危うくなる。それで怒っているのかな、と勘繰ったりもした。
一方で、いかにも「私は冷静よ」とアピールするような口調の石原も不気味だった。女優だからあんなに堂々としていられるのだろが、助け舟を出す女性司会者との絶妙なチームワークも台本通り? の名演技だった。司会者の声を聞いても、石原の顔にはほっとひと息つく気配も見えない。思わず画面に向かってうなってしまった。
すべては本を売るためなんだろうけど、どうして実名とイニシャルを使い分けるのか、そこだけ疑問だった。大切な体験を知ってもらうためにウソはつかないというなら、13人を同じ扱いにした方がもっとインパクトも強かったとは思う。きっと、実名にしたらよほど差し障りがあるんだろう。
まあ、何かの論文じゃないし、そこまで突き詰めても仕方がない。不倫はともかく、恋愛は悪いことではない。支離滅裂な主張は、ぺラペラしゃべる政治家やIT起業家たちで慣れているし許容範囲だった。むしろ、この師走に一瞬だけでも重い社会問題を忘れることができた。
殺伐とした会見終盤の空気も、今後の展開へ興味をかき立てた。結果的には石原とリポーターのやりとりも、一部視聴者の好奇心をあおるには抜群の効果があった。会見で本を買った人もいるだろう。石原の主張をうまく理解できなかったが、売りたい熱意は満点だ。自分には関係ない他人の、それも有名人同士の醜聞には適度な好奇心が沸く。おめでたい日本を熟知したマスコミ操縦法だった。
ここまで書いて、そうか!と気付いた。時間をかけて考えるべきことじゃなかった。なんて単純で愚かなんだ。本を買っていたら思うつぼだ。この欄でこれだけ書いただけでも完敗だ。おめでたい国民の1人として、パソコンに打ち込んだ「自己嫌悪」の4文字を見詰めてしまった。
December 13, 2006 11:15 AM
