2006年12月12日
「無駄な経験はない」:村上久美子
運命の皮肉-。横浜とソフトバンクのトレードを聞き、まず切なさが心をよぎった。多村と寺原のトレード。WBCの5番打者と、若さが武器とはいえ実績では物足りない投手の不釣り合いさから…ではない。神奈川に生まれ横浜高校から地元球団に入った多村が福岡へ、宮崎・日南学園から甲子園に出場した九州の星が横浜へ…。本人はもちろん、地元ファンは寂しいだろうな、と感じたから。
とはいえ2人とも、多村は故障がち、寺原は伸び悩み…と、不本意な部分があったから、新天地へ向かうことになったんだと思う。
そんなことを考えながら、桂三枝が言っていた「今思たら、若いころ悩んだことも、嫌や思うたことも、これまでのことは何一つ、無駄なことはなかった」との言葉を思い出した。
今年、上方落語協会の会長として、大阪天満宮に悲願だった定席寄席「天満天神繁盛亭」を復活させた三枝だが、この話を聞いたのはもう5年以上前だったと思う。師匠の文枝(故人)ら、戦後の上方落語を復興させた先人の遺志を継ぎ、見事に悲願を結実させる随分前のことだった。
三枝は文枝の筆頭弟子であったが、テレビ司会者、今でいうタレント的立場で人気を得た。それだけに周囲から「あいつ、落語家のくせに落語できん」と、揶揄(やゆ)もされた。「古典やってこそ落語家か」と悩んだこともあった。
ただ、柔軟な発想も持ち合わせていて「古典かて、誰かが作ったんや。そん時は新作」と頭を切り替え、大阪のおばちゃんネタやゴルフに明け暮れるオヤジを観察して200本以上を創作。創作落語なる新たなジャンルを生み出した。
悩み、落ち込み、やけになれば、そこで終わり。葛藤(かっとう)の末に打ち勝ったからこそ「無駄な経験はない」と言い切れる。記者の人生以上の芸歴を持つ三枝の苦労は、若輩者が推し量ることさえ難しいが、1度だけ、三枝の変身を見たことがある。95年の参院選出馬騒動。出馬表明したものの、たった数日で翻意した。家庭の事情で無念の出馬断念となった。
出馬のうわさが先行する中、取材に行った。確か独演会か何か、芸能活動の会見だったと記憶しているが、終了後、捕まえて直撃した。記者をひとにらみ、不快感を隠そうともしない強い瞳が印象的だった。
出馬決意から断念、失意を経験した後、三枝があんな瞳をするのを1度も見たことがない。あれから愛人騒動もあった。師匠も、「メル友やねん」とうれしそうに話していた吉本興業の林裕章前社長も亡くなった。それでも、あの目は見せていない。端的に言えば人柄が「丸くなった」ということだが、あの失意の中、また何かが三枝の中で変わったんだろうな、と…。
でも、一方で、変えない強い意志も持つ人だ。テレビ朝日系「新婚さんいらっしゃい」は、いまだ長寿番組として続くが、収録場所の楽屋は非常階段のように急な階段を上がった所にある。「この階段な、駆け上がられへんようになったら、番組やめんねん」が口癖。今週もまた、あの階段、ちゃんと走って上がれてるんやろか-。変われるたくましさと、変えない強さを併せ持つ三枝の大きさを思いつつ、多村、寺原にも新天地でのめざましい活躍を願ってしまう。
December 12, 2006 11:45 AM
