記者コラム「見た 聞いた 思った」

2006年12月06日

思い出に変わる苦悩:藤中栄二

 12月2日。浦和が初めてリーグ制覇を決めた時、2人のクラブ首脳は感慨深くチームを見守った。藤口光紀社長と中村修三ゼネラルマネジャー(GM)。2人には脳裏に焼き付いて忘れられない光景があった。

 藤口社長は「13年前」が頭から離れなかった。V決戦をしたG大阪は、93年5月16日のJリーグ開幕戦の相手。万博競技場のアウエー戦だった。当時、事業・広報部長だった藤口社長は「今から思えば昨日のようだ」とまで言った。

 浦和は15本のシュートが1本も入らなかった。圧倒的に攻めながらも、G大阪にわずか4本のシュートで1点を許し、0-1で負けた。ハーフタイム。前日に国立競技場で行われたV川崎(現東京V)-横浜M(現横浜)戦をほうふつさせるショーが展開された。しかし消した照明が後半開始時になっても点灯しない。1度、オフにすると再点灯まで時間を要する照明だった。後半開始は遅れ、調子が狂った。

 藤口社長は振り返る。「運営上の問題で電気も消えたし、試合もひどかったからね。あれがチームの負け続けるきっかけだったし。すごい因縁なんだよね。神様は13年かかって乗り越えるチャンスを与えてくれたのかな」。2日のG大阪戦直前には、のどの痛みを訴え、病院にも行った。風邪というよりは、重圧と緊張で体が弱っていたのではないか。ブッフバルト監督を含め、選手で93年を体験した者はいない。同社長には優勝が監督、選手とは違う光景に見えたに違いない。

 一方、中村GMは「5年前」が頭から離れなかった。01年12月、広報部長から強化部長へ。就任あいさつの時の選手らから刺すような視線。のちに退団した某コーチには無視された。「広報が急に強化になったわけだから。選手はオレにというより『会社は何を考えているんだ』と感じたんじゃないかと思う」。

 今季の同GMは息子の活躍を活力にしていた。青学大サッカー部2年のFW中村祐人。関東大学リーグ2部で17得点を挙げて得点王を奪取した。同時にチームもリーグ2位となり、来季の1部昇格を決めた。「息子の昇格は縁起が良い。うちも優勝するよ」と口にしながら優勝へのプレッシャーを和らげていた。

 それでもG大阪戦当日は寝れずに朝4時には起床。朝日を浴びながら散歩して緊張を紛らわせた。優勝後は「感動というよりは安堵(あんど)感」と肩をなで下ろした。中村GMが強化に携わってからのチーム戦績は、過去の強化トップの誰よりも高い。もはや今は現場から刺すような視線はないだろう。5年前、冷たかった選手の目が今は温かく思えるに違いない。

 優勝をささげたい人は誰ですか? この質問に闘莉王は「ボクらの見えないところで、たくさんサポートをしてくれている人に」と答えた。悲劇の歴史が多い浦和。藤口社長、中村GMとは違い、表舞台に出てこないチームの「貢献者」たちが、さまざまな思いで優勝を見届けたと思う。これからは歓喜の歴史が待つであろう浦和。強い思い入れがあるからこそ、悔しい過去が良い思い出に変わる。

December 6, 2006 11:18 AM