記者コラム「見た 聞いた 思った」

2006年12月31日

ワクワクさせてくれ:松井清員

 私が子どものころ、遊びといえば野球が一番だった。サッカーもはやっていなかったし、テレビゲームもない。学校帰り、近所の空き地に集まって、ボールが見えなくなるまで野球をしている時間が、とにかく楽しかった。「将来の夢はプロ野球選手」。小学校の卒業文集には堂々とそう書いたし、野球帽をかぶった友達がほとんどだった。

 野球に興味を持ち、面白さを教えてくれたきっかけは王さんのホームランだった。ベーブ・ルースを抜き、ハンク・アーロンを抜き、世界の王になったことは、子供心に衝撃的だった。右利きだから右打席だったが、1本足打法はしょっちゅうまねた。大阪から1度だけ神宮球場に観戦に行った時、目の前で王さんが本当に右足を上げた姿には心底感激したものだ。

 実際、プロになった選手たちも少年時代はそんなカリスマ選手にあこがれ、夢を抱いて志し、スタープレーヤーになっていったことだろう。野球を観戦する楽しみ。それは見ているファンを「ワクワクさせてくれること」。これが原点だと思う。

 残念ながら、今の日本球界に「ワクワク感」は減ってきた。先発松坂・井川、抑え大塚・斎藤、捕手城島、二塁井口、三塁岩村、遊撃松井稼、左翼松井秀、中堅田口、右翼イチロー。野茂や大家もいる。あと一塁手がいれば、メジャー移籍組で“日本代表”と言えるドリームチームができるほど、スター選手の海外流出はとどまるところをしらない。ただでさえ人気が低迷する中で、来季は松坂と新庄が抜ける。個性的な選手が減り続ける現在、ファンも誰を応援していいか分からなくなってきているのではないだろうか。

 かつてプロ野球が高い人気を誇れたのは、ファンが好きな選手、チームに感情移入しながら観戦できたからだろう。あるいは自分の人生を重ね合わせていたかもしれない。ファンはひいきの選手、チームを応援しながら「自分物語」に酔うことができた。だが、スター不在だけでなく、巨人のように何でもかんでも補強では、G党ですら「勝って当たり前、負けたら情けない」と拒否反応を起こし、結局どっちつかずになっている。感情移入したくても、できないプロ野球になってきているように思う。

 「すべては歓声のために」。今年のプロ野球のキャッチフレーズだ。だが、果たして、球団も選手も「歓声のために」ベストを尽くしたと言えようか。試合、ファンサービス、FA、ポスティング、ドラフト、プロアマ問題…。自分たちの権利ばかり主張して、ファンを置き去りにしていないだろうか。球団は経営努力して魅力あるチーム、球場をつくり、選手はプレーだけでなく、ファンをひき込むショーマンシップを持って戦ってきたのだろうか。

 オリックスの清原は自戒を込めて言っていた。「勝てばいいだけの時代は終わった。球団も選手も危機感を持って、もっとファンを意識して“また見たいな”って思わせるボールパークをつくっていかんと」。プロ野球は今後ますます、厳しい状況に置かれるだろう。だが今こそみんなでエゴを捨て、もう1度原点に返って、少年たちが心からあこがれることのできる場所にして欲しいと思う。活気あふれる野球界への発展を願って「見た聞いた思った」の最後の提言としたい。

December 31, 2006 12:04 PM

2006年12月30日

PCの副産物 変換ミス:村上秀明

 年賀状を書いていて、書きたい漢字がとっさに出てこない。こんな経験はないでしょうか。あて名や裏面の基本デザインはパソコンで印刷するにしても、たった一言書き添えたい文章の漢字が出てこなかった。昔は簡単に書けたはずなのに…。いかにパソコンの「変換機能」に頼っているかを痛感している。

 パソコンを使うと確かに早く、きれいに文章が仕上がる。書きたい漢字もキーボードを使い変換していけば、いくつかのパターンから「これっぽい」「これだろう」と、ほとんどは正解にたどり着ける。この選択できてしまう形式が、個人的には漢字能力(特に書く力)の低下につながっているのだろうと思う。

 先日、興味深い新聞記事を目にした。財団法人の日本漢字能力検定協会(京都市)が「漢検“変漢ミス”コンテスト」の結果を発表したというものだ。一般から応募された「変換ミス」の文章を、インターネットのオンライン投票で順位付けをする年間コンテストだ。2079作品が集まったという。

 最優秀賞の「年間変漢賞」には「遅れてすいません。回答案です」を変換ミスした「遅れてすいません。怪盗アンデス」が選ばれた。会社員の男性が、終電間際に会議の資料を仕上げ、確認せずに焦ってメールを送信したときのミスで、同僚から「怪盗が遅刻しちゃだめだろう」「腰の低い怪盗だな」と大笑いされたという。

 他のエントリー作品も「正しい変換」→「変換ミス」の形で紹介する。

 「ラフにハマってしまって…」→「裸婦にハマってしまって…」

 「花屋で献花買って行くね」→「花屋で喧嘩勝って行くね」

 「阿寒湖の毬藻」→「アカンこの毬藻」

 「運転席側に置きっぱなしだけどよろしくね」→「運転席がワニ置きっぱなしだけどよろしくね」

 どれもこれも、状況を想像すると笑えるが、エントリーリストをずっと見ていたら徐々に笑えなくなった。常にパソコンを使って言葉を変換し、記事を書く仕事をしていると、新聞上の変換ミスは笑って済まされないからだ。変換ミスは誤字、脱字などを含め「赤字」と呼ばれる。完ぺきに対処しなければいけないが、恥ずかしながら、永遠のテーマでもある。

 「“変漢ミス”コンテスト」の作品は極端な例だが、個人的に「変換」でミスするのは、おっちょこちょいもあるだろうが、漢字の能力に自信がない証拠だと自覚している。今年は、漢字学習のゲームソフトが発売2カ月で想定売り上げの10倍を上回る55万個を突破したという。パソコンが必需品のようになり、漢字を手で書く機会が少なくなったといえる時代だからこそ、分かる気がする。

 読めるけど書けないという現状を打破し、「変換」だけに頼らない漢字の知識を身に付けなければ、と感じている。記事を書いている立場で情けない限りだが、漢字を書き間違えて無駄になった数枚の年賀状を見ていたら、何かやらなきゃと思った。

December 30, 2006 12:04 PM

2006年12月29日

’06から情熱を考える:浜崎孝宏

 06年もあとわずか。07年の新しい灯(あか)りが待ち構える中、各メディアで今年の10大ニュースなどが報じられ、1年間を振り返っている。スポーツ界でもいろんな出来事が起こった。

 個人的に言えば、ドイツW杯を最後にユニホームを脱いだ中田英、日本ハムの日本一に貢献した新庄がバットを置いたこと、ソフトバンク王監督が胃がんの摘出手術のため、シーズン中に戦列を離れたことが脳裏に浮かぶ。

 中田英と新庄は、その世界ではファンから圧倒的な人気を誇り、中田英が29歳、新庄が34歳での現役引退。単純に年齢だけを見れば、円熟味を増したプレーが期待できたのではという思いもある。スタープレーヤーの大きな火が、また1つ、消えるような寂しさを覚えた。

 新庄は足の肉離れなど納得いくプレーがファンに見せられなくなったことが引退理由の1つだという。中田英については分からない。ただ、W杯1次リーグ敗退のブラジル戦後、ピッチで大の字に寝転がり、泣いていた。クールなイメージがあっただけに印象的だった。

 2選手とも、絶頂期のうちに選手生活に幕を閉じた格好となったが、記憶の中には、スレンダーボディーから醸し出す強じんな精神力、プレーは現役当時そのままに、熱くファンに語り継がれることだろう。

 一方、サッカー界のキングこと「カズ」は39歳にして現役、血気盛んだ。球界でも38歳の桑田が、さらなる活躍の場を求めて、米メジャーに挑戦する。王監督も病気から少しずつ復調している様子で、V奪回へ向けて、来季も指揮を執るハートに衰えはない。

 5人は、いずれもカリスマ性のあるスターだが、生きざまが対照的に見える。カズと桑田に関して言えば、心のどこかに不完全燃焼の感があり、活躍のステージがある限り、理想のプレースタイルを追求していくのだろう。王監督が口癖のように話す「グラウンドで死ねたら本望」というコメントは、その究極だろう。

 ユニホームを脱ぐか否かは、いずれにせよ本人が決めることで、それが早いか、遅いかに正解はないと思う。ただ、その決断を下す重要なファクターとは何なのだろう。答えは多分、情熱じゃないかと思う。情熱という言葉を辞書で引くと、燃え上がるような激しい感情とある。

 家庭的環境や、金銭面の問題など情熱を仕事に存分に注げない状況の人も、世の中にはたくさんいると思うが、この感情を捨てては人生面白くない。プロ5人の生きざまをあれこれ、考えていると自分の情熱とは何なのか、という思いにたどり着いた。ふと思い出したのは「五輪に取材記者で行きたい」と記した14年前の入社願書だ。残念ながら、思いは達成されていないが、こればっかりは、誰でも取材でスポーツの祭典を味わえるわけでなく、周りの後押し、運、タイミング、実力などさまざまなものが必要なことは理解している。今となっては、入社当時の話を口に出す方がちょっぴり恥ずかしい気分になるが、そんな初志が、今の自分を支えてきたのかも知れない。

December 29, 2006 12:32 PM

2006年12月28日

佑ちゃんに聞きたい:鳥谷越直子

 年末年始になると今年1年、活躍した選手のスペシャルインタビューが多くなる。デスクからは当然のように「早実・斎藤佑樹のインタビュー記事」を要求される。こちらも斎藤の「今」を取材したいのだが、早実からの返事は「NO」。「テレビ、新聞など多くのメディアから取材が殺到していて、すべて受けられないためスポーツ雑誌を除いて断っている状態」だという。

 残念でならない。この夏、社会現象を巻き起こし、日本流行語大賞にもノミネートされた「ハンカチ王子」。10月の国体でもフィーバーが冷めなかったことを思うと、いまだに興味を持っている読者は多いはずだ。個別対応が難しいなら共同取材でもいいだろう。

 斎藤自身にとってもプラスになるとは思えない。マスコミの習性として、隠されると知りたくなり、逃げられると追いたくなる。本人の姿や声がないことで、写真週刊誌に追い回される弊害も生まれている。

 来春、進学予定の早大では取材日を設けるなど、斎藤対策に今から頭を悩ませている。だが、テレビ、新聞、ラジオなど20数社による「囲み取材」で、斎藤は果たして本音を話すのだろうか。早大関係者は「競争の激化を避けるため1社によるスクープをさせない」としている。

 取材規制には断固反対だ。斎藤のプライバシーの保護も大事だろうし、日ごろの練習や東京6大学リーグの運営をスムーズに進めることも早大にとっては重要だろう。だが、それらを重視するあまり、国民の関心に十分に応えようとしない姿勢に危機感を覚える。第2、第3のハンカチ王子が現れた時、必ずそれが前例となるからだ。

 取材規制が横行するスポーツ界を想像すると、ただ単に記者泣かせなだけでなく、読者にとっても、大いなる喪失が生まれる。個人情報保護法の施行により、高額納税者の公示制度が廃止されたり、事故犠牲者の名前が公表されなかったりと、報道の自由が少しずつ浸食される危険な世の中になりつつある中、「たかがスポーツ選手の報道」と軽んじて眺めていていいのだろうか。

 斎藤は現在、来春の東京6大学リーグを目指して自主トレ中という。厳戒な取材包囲網が敷かれており、一部雑誌を除いて接触できない状態が続いている。もちろんアマチュアの選手だから、ファンサービスの義務はない。だが、マスコミ各社に不満がたまってきていることを学校関係者は理解すべきだ。それほど我々は非常識ではないし、斎藤のことも学校のことも十分に配慮する。もっとスポーツマスコミを信用してほしい。

 選手の本音や苦労話、泥臭いライバル心や時には身内のエピソードなどを織り込めない表面的なスポーツ報道は味気ない。選手と1対1、あるいは複数の記者で囲んでもリラックスした時にそんな話題は出るものだ。その話を聞き、読者に届けるために記者がいるといっても過言ではない。緊張したコメントと試合内容だけの詰まらない斎藤の原稿を、私は書きたくない。

December 28, 2006 01:41 PM

2006年12月27日

不快?不便?車内携帯:寺沢卓

 よく行く酒場で常連のオヤジとこんな話になった。「なんで携帯電話は電車内で使っちゃいけないのかな」。

 そんなの簡単……と思ったが、本質的な理由が見当たらないことに気付いた。ペースメーカー利用者に影響が出るため、生命にかかわることなのでダメ。これは分かるのだが、車両端の電源を切るエリア以外で通話はできないのだろうか?

 社会的にいけない行為だろう! 説得力に欠ける。ならば、大声で酔っぱらいが上司の悪口をグチグチとぶつけ合っている方が、よっぽど醜悪。即座に下車してもらいたい。

 電話での会話は許されない行為なのに、携帯電話でのメール通信、パソコンでの作業、携帯型ゲーム機を使用することは容認されている。これだって電波を発するだろう。通話と同じ弊害があって当然でしょ?

 何が違うのか。あるとするならばそれは耳に聞こえる音である。会話の全体像を理解できるかどうか、それが重要ポイント。酔っぱらいのたわごとにしても、同じ話ばかり繰り返すおばちゃんらも、ズボンを下げてやる気のなさそうなしゃべり方をする20代も、会話が成立していて、どんなことをしゃべっているか認識できることが最小限の安心感をもたらすのだと思う。

 対して、携帯電話での会話は相手が目の前にいないため、電車内で会話の全容を知りうるのは、車内で会話している本人しかいない。よって、何をしゃべっているのか分からないことがストレスになる可能性は否定できない。実際に、通常の会話より迷惑に感じるという調査結果も米国にはあるようだ。理解不能な会話の垂れ流しが不快の原因の1つといえそうだ。

 また、うがった見方かもしれないが、車内での通信環境を保てないがゆえに、電鉄会社側が車内通話を悪にしてるようにも思える。つくばエクスプレスは別として、移動中の電車内で電波を維持することは至難の業だ。新幹線などはトンネルに突入するたびに回線が切れる。ちょっとした愚痴になるが、車内から記事を送れず、途中下車したことは数知れない。電車内で電波が切れることなく通話できるようにする設備投資を惜しんでいる金銭的な事情もある?

 電車に乗っている最中に重要な電話がかかってくる。でも、現状では会話することはできずに周囲に気を使いながら「今、電車なのでスミマセン」。効率が悪すぎる。

 ここで提案したい。痴漢行為防止の女性専用車両があるのだから、通話可能な車両を期間限定で運行してみてはどうか。JR東日本本社広報室に聞いたが「そのようなことを企画する予定は残念ながらありません」とのこと。もうちょっと車内サービスを考えてもいいんじゃないですか?

 酒場に戻る。常連のオヤジは真っ赤な顔でさらにいう。「タバコ好きにとっては居心地の悪い世の中なのよ。灰皿だらけの喫煙車両もつくるべ。肺がんで死んでもいいし、いすもいらないからさ」。まあ、それもいいのかな。

December 27, 2006 11:05 AM

2006年12月26日

父と語るクリスマス:藤中栄二

 父親から何かを教わったことはありますか?

 自分は迷いなく映写と答える。

 成人するころまで、実家は映画館を経営していた。3階が映写室。子供心に入室することが楽しみだった。映画の内容以上に映写の方法に興味津々。自分の手でスクリーンに映し出した映画をお客さんが観賞する-。想像するだけでワクワク感があふれた。

 14歳の時、初めて映写を教わった。当時、9年ぶりに映画「ゴジラ」が復活。84年に公開された16作目は75年の「メカゴジラの逆襲」以来の作品だった。物心ついた時から映画館に通い、「-逆襲」まで愛着を持って楽しんでいた。その強い願いを知った父が映写の指導をしてくれた。

 覚えることだらけの難しい作業だった。映写機には約30カ所もフィルムを固定する部分があった。破損の防止のため、フィルムに「遊び」を持たせる部分も…。1つでもミスすれば機械は動かない。フィルムを巻き戻す専用機械さえも1つ間違えればフィルムが破損…。14歳の自分にとっては脂汗が噴き出る緊張の連続だった。

 50分以上ある映画はフィルムが数本に分割される。2台の映写機で1本ずつ順番通りに取り付ける。スクリーンの左上に出る「●」のマークが映写機を切り替えるタイミング。ドンピシャで切り替えボタンを押せた時は最高の気分になれた。ゴジラは正月映画。今となっては時効だが、クリスマスに自分の「腕」を見込んだ父から臨時の映写技師を頼まれた。従業員を休ませるためだったが、年末年始に14歳の自分が映写室を任されたことは何ものにも替え難い贈り物だった。

 父は昨年末に他界。晩年は映画館の思い出話ばかりだった。15年も前に閉館したはずだったが、父と自分の唯一の共通の話題でもあった。思えば記者となってから父の教えを受け、世界を目指した何人ものアスリートを取材してきた。父から精神論を学んだ柔道の谷亮子、柔道の手ほどきを受けた井上康生、レスリング指導を受ける浜口京子、ボクシング技術を習う亀田興毅…。世界を目指す厳しい練習に耐えられるのは、父から学び、父と同じ目線で語り合えるからだと思う。

 父子で盛り上がることができる話題はありますか?

 野球、サッカー、ほかのスポーツでもいい。携帯ゲーム、テレビゲーム、将棋、インターネット、釣り、飼育するペットのことでも問題ない。自分たちの世代が幼少時にくぎ付けになったウルトラマンは生誕40周年、仮面ライダーは生誕35周年、ゴレンジャーなどの戦隊シリーズは30作品目を迎えるほど次世代に受け継がれている。父子2代で「はまる」話題は探す意識があれば、いくらでも発見できそうだ。

 今日25日はクリスマス。父と子で共通の話題を探してみてはどうだろう。お互いがコミュニケーションのパスを出し合うことができれば、それが最高のプレゼント交換になると思う。クリスマスが「Xmas」と書くように、12月25日は父子がクロス(X)する日でもいい。メリークリスマスは、恋人たちだけのものではない。

December 26, 2006 09:46 AM

2006年12月25日

形容できない最強馬:岡山俊明

 残念に思うことがある。ディープインパクトには最後まで適当なニックネームが付かなかったことだ。市川厩務員は「おぼっちゃま」と呼び、武豊騎手は「英雄」をリクエストした。しかし、圧倒的な強さと、過去のどの名馬にもなかった高速の末脚を、的確に表現する形容詞は見つかっていない。

 「ミスター」長嶋茂雄、「牛若丸」吉田義男、「鉄人」衣笠祥雄、「8時半の男」宮田征典、「若大将」原辰徳、「ジャンボ」尾崎将司、「燃える闘魂」アントニオ猪木、「キング」カズ。スターや名脇役には必ずカッコイイ愛称がある。それはアスリートのポテンシャルから性格まで如実に表す。

 競馬に興味を持ち始めた小学生のころ、スポーツ新聞や競馬雑誌に「走る労働者」とか「走る精密機械」といった見出しが躍っていた。それらが、この秋に日刊スポーツを定年退職した山岡孝安元レース部長が競馬記者時代に考案したものだと、恥ずかしながらつい最近知った。

 大井競馬から中央入りしてエリートをなぎ倒したハイセイコーは「怪物」と名付けられた。岩のような筋肉を蓄えた黒い巨体から連想したという。

 7冠馬シンボリルドルフは「皇帝」。オーストリアのハプスブルク王朝の祖、ルドルフ1世が由来。
 「走る労働者」イナボレスは連闘や中1週もいとわず走り続け、2歳から7歳まで77戦した。高度成長期の日本人を象徴する馬でもあった。

 トーヨーアサヒの「走る精密機械」は幼心に傑作と感じた。73年ダイヤモンドSは2ハロン目からのラップが12秒6-12秒2-12秒5-12秒9-12秒8-12秒6-12秒5-12秒9-12秒5-12秒4-12秒3-12秒4-12秒4-12秒1-12秒9。見事に12秒台の連続で逃げ切り、伝説となった。小島太騎手の好騎乗がなければ生まれなかった。

 端正な顔立ちからテンポイントには「貴公子」、ライバルのトウショウボーイは地を飛ぶ走法から「天馬」。どちらもJRAのポスターのコピーにも用いられた。

 「当時は競馬に対する理解も進んでいなかったから、勝ち負けだけでなく話題づくりも考えていた。とっつきやすいイメージがないと、そのスポーツは発展しない。記録だけでなく記憶に残したかった」と大先輩は動機を明かしてくれた。確かに「女子サッカー」では敬遠されるかもしれないが「なでしこジャパン」なら親しみやすい。

 振り返れば最近の有馬記念を勝ったグラスワンダーもテイエムオペラオーもシンボリクリスエスも、これといった愛称がなかった。あのナリタブライアンでさえ。う~ん。これは競馬マスコミの怠慢なのか。自らの才能の無さも痛感する。

 今日24日はディープインパクトのラストラン。「飛行少年」ってどうだろう。やんちゃなしぐさは少年そのもの。武豊騎手は「飛ぶ」って表現しているし。やっぱりセンスないかなあ?

December 25, 2006 09:17 AM

2006年12月24日

2連戦ならではの妙:沢畠功二

 タイトルは思い出せないが(情けない…)、高校時代に現代文の授業で「清岡卓行」の作品が教材として登場した。知る人ぞ知る「猛打賞」(1試合3安打以上)の発案者。今年6月、享年83にして亡くなったが、プロ野球公式戦の日程の礎を築いたことは、意外と知られていない。日程編成に携わるベテラン球界関係者が教えてくれた。

 某関係者 プロ野球ってのは、3連戦でうまく回るようにできている。確か1951年ぐらい…ちょうど2リーグ制になったころかな。当時セ・リーグに勤務していた清岡さんが3連戦を定着させたんだよ。大リーグの日程を研究したら、1カード3連戦を基本としていることに気付いたらしくてね。よくできたシステムだと思うよ。ファンだって1勝1敗だったら、勝ち越しを期待して見に来るだろうし、2連敗なら一矢報いるシーンを見たいじゃない。でも来年の交流戦は2連戦でしょう。調子良いチームと悪いチームの差が出ちゃうだろうね。

 公式戦は3連戦、また2連戦を軸に組まれている。連敗の可能性がある2連戦に慎重となる首脳陣は多い。3連戦なら、2連敗しても、3戦目さえ落とさなければいい。だが2連戦は、そうはいかない。仮に首位との直接対決で連敗したら、一気に2ゲーム開いてしまうからだ。

 どうして2連戦になったのか。巨人、阪神戦を増やしたいセ、手放したくないパによる利益の奪い合い。セは今季の半減の18試合、パは現状維持の36試合を主張したが折り合わず、落としどころは中間の24試合だった。ホーム2試合、ビジター2試合を12カード繰り返していく。そこに落とし穴が待っている。昨年は中日、今年は巨人と失速したが、来季はもっと顕著になるだろう。05、06年のセ、パ全カードの勝敗を記録部に調べてもらうと、以下のデータが浮き彫りとなった。

 【3連戦での3勝0敗】
▼05年 62回(217カード)
▼06年 50回(206カード)

 【3連戦での2勝1敗】
▼05年 143回
▼06年 145回

 【2連戦での2勝0敗】
▼05年 44回(89カード)
▼06年 42回(95カード)

 【2連戦での1勝1敗】
▼05年 40回
▼06年 47回

 2連戦だと半分近くは連勝、連敗となってしまう。この数字をもとに、現場の選手、コーチ数人にどんな意識を持っているのかを聞いてみた。

 Aコーチ 確かに2連戦の頭はとりたいね。もちろん力のある投手を分散できればベスト。3連戦なら火曜日、金曜日に主力投手を先発させたけど、この日程ではそうはいかないね。

 B投手 2連戦でも3連戦でも初戦が大事なのは一緒。そんなに変わらないと思いますよ。

 総じて選手より慎重なのは首脳陣だった。いかに初戦をモノにできるかで精神的に違ってくるはずだ。3年目にして縮小された交流戦。どこが笑い、どこが泣くのか。2連戦ならではの妙が、シーズンを左右する気がしてならない。

December 24, 2006 12:17 PM

2006年12月23日

亀田が再戦で得た物:井上真

 亀田興毅はランダエタと拳を交えていたが、同時に世の中とも闘っていたと感じた。20日のボクシングWBA世界ライトフライ級タイトル戦。負ければ、王者・亀田の敗北では済まず、父史郎さんを含めた亀田家の負けになっていただろう。

 今回は、倒せないが絶対に負けないボクシングだったと思う。8月、亀田はKOする可能性が高いパワー任せのファイトで、本人いわく「不細工な試合」をした。そして初防衛戦では、ファンがKOを期待する中、敢えてKOできないアウトボクシングに徹した。

 評価は試合が終わってから始まる。「つまらない」「物足りない」「よく頑張った」。いろいろだ。正解は見た人の心にそれぞれあって、万人に共通する模範解答を見つける必要はない。ただ、強く感じたのは、親子のきずなの強さだった。また、亀田は泣いた。リング上で、父史郎さんがバッシングの盾になってくれたことに感謝し涙を流した。次の瞬間、史郎さんは亀田のマイクを奪い「これから興毅を応援したってや」と叫んでいた。

 有明コロシアムの観客席で聞いた。鳥肌ものの絶妙な間だった。ベテランの役者が演じてもあの空気は醸し出せない。それは演技ではなく、本物の人生だったからだ。亀田の負けを楽しみにしていた人も大勢いただろう。現に、こうして書いている自分も、負けた亀田がどうなるのか、父史郎さんがどういう言動を取るのか、見たい衝動はあった。

 敵であるランダエタの活躍を応援するというよりも、亀田のぶざまな負けを期待する意味合いが濃い空気の中で闘うのは、非常にレアケースだ。ファンもアンチも、すべてを引き付ける動機が必要だった。負けて亀田親子に反省がなければ、バッシング側が勝ち誇っただろう。勝ったとしても勝ち方に“疑念”が残れば、それはそれで禍根を残しただろう。KOか、大差での判定勝利しか許されない状況で、亀田は結果を出した。これはスポーツマンの勝者亀田興毅をたたえるべきだ。

 前回8月に応援しながら、今回は応援に来なかった著名人がたくさんいた。理由はそれぞれにあるだろうが、バッシングの標的になっていた亀田を応援する自分のイメージを心配する打算はあったと感じた。同じニオイをかいだボクシングファンもいたはずだ。亀田を応援するということは、その人の価値観まで試される、それほどの影響力があったということだろう。

 今年、日本サッカーはW杯ドイツ大会で惨敗した。五輪などの世界大会の度に、日本人には決定力がない、本番に弱い、精神面が未熟だと叫ばれてきた。その「日本人の限界」に、極限状態の中で亀田は挑み、ひ弱=日本人の殻を破った。
 ケチはいくらでもつけられるだそう。でも、探して見つけるケチは小さい。亀田一家の愚直さが勝ったのだ。あの、いかにもありがちな風景にこそ、よくよく考えなくてはいけない子育てや、親子のきずなが詰まっていたと強く思う。

December 23, 2006 10:35 AM

2006年12月22日

柱1本で変わる組織:村上久美子

 阪神の金本知憲。来年開幕早々には39歳になる。まだ契約更改を終えていないが、来季年俸は5億円以上が確実とされている。日本球界最高年俸(外国人選手除く)は、横浜佐々木の6億5000万円。5億円以上でさえ過去6人しかおらず、金本も頂点に迫る勢いだ。

 高いか、安いか、妥当か-。記者は、長年の阪神ファンのひがみ根性を払しょくした男への謝礼の意味も込めて、妥当と思う。

 02年オフ、広島からFA移籍。2億4000万~2億9000万円の4年契約だった。年俸ほぼ据え置きの中、MVP(05年)打点王(04年)を獲得。2度の優勝に導いた。連続フルイニング出場1024試合の世界記録を更新している。

 数字だけではない。記者(38)が、35歳までに見た阪神Vは1回だけ。その間、最下位は…数えたくもない。いつも首の皮1枚、とか、踏ん張り時、とか、猛虎魂なんて絵空事のように、瀬戸際に弱かった。ダメ虎を金本が変えた。

 楽天野村監督は「自分で決めて、自分を殺せる理想の4番」と評したが、記者は、フルカウント率の高さに感心した。初球から振るタイプで追い込まれるのも早いが、そこからが真骨頂。ボール球を見極め、ファウルで粘り、高確率でカウント2-3まで持っていく。1打席、1打席の粘りの積み重ねが、起死回生の逆転弾、ケガを乗り越える強さにつながると思う。

 今季序盤、若手投手も台頭し、首位を快走していた巨人の原監督は「投手、打線の軸、バランスもとれた。ただ1つ、残念なのはジャイアンツに金本がいないことだ」とコメントしたことがあった。案の定、長丁場のペナント、歯車1つ狂うと失速。2年連続Bクラスに終わった。

 「阪神ファンで悪いかっ」と開き直らざるを得なかった苦汁の時代から、胸を張って「阪神ファンです」と言える今。金本の年俸には、阪神ファンの謝礼額も含まれていいと思う。

 組織を変えた大黒柱に感謝しつつ、同じようなことを、今年7月、吉本新喜劇のロス公演で見たことを思い出した。今田耕司、東野幸治、レイザーラモンHGら、タレントの比重が高い面々に、ベテラン池乃めだからを加えたメンバー。収拾のつかない構成を締めたのは、内場勝則だった。

 派手な立ち回りや目立つセリフ回しはないが、ストーリーの流れに乗った笑いのツボは外さない。役者魂を持った座長が、内場という男。ダウンタウンらと同じNSC1期生だったが、卒業2年後に新喜劇入り。横山エンタツの二男で、名物座長だった花紀京に師事した。岡八郎、間寛平らキャラクター路線とは一線を画し、あくまでも芝居の進行で笑わせたのが花紀で、ロスの内場には、その花紀が一瞬、重なって見えた。

 新喜劇のけいこといえば、短期集中型。当日の朝にけいこして本番というケースもある。その分、緊張感は相当なものがあるが、ロス公演前日のけいこも、息苦しい緊迫感があった。その空気の主は、やっぱり内場で、出番を待つHGが所在なげに、いすに座ることさえ遠慮して、けいこ場のすみにひざを抱えて座っていたのが印象的だった。

 見る者の背筋さえ伸ばす緊迫感。柱1本が組織を変える。逆に、腐ったみかん1つで、すべて腐ることもある。そんな原点を胸に抱きつつ、06年を締め、新しい07年を迎えたい。

December 22, 2006 12:18 PM

2006年12月21日

球界のバブルも崩壊:松井清員

 ノリことオリックスの中村紀洋内野手(33)が、来季の契約交渉で厳しい数字を突きつけられている。下交渉での球団提示額は1億2000万円減の8000万円。「年俸1億円以上は40%以内」と定められた野球協約の減額制限を大幅に超えた60%のダウンに「ショックで声にならないです」とうつむいた。

 85試合の出場で打率2割3分2厘、12本塁打、45打点。数字は物足りないが、両手首痛を耐えながら1年間戦ったことを思えば、ちょっと気の毒なダウン額だ。球界の慣例では故障で1年を棒に振ってもここまで下がることも珍しい。だが懐寂しい思いをしているのはノリだけではなかった。

 ヤクルト古田6000万円(2億4000万円から1億8000万円減、75%ダウン)

 巨人谷1億5000万円(2億8000万円から1億3000万円減、46%ダウン)

 横浜鈴木9000万円(2億2000万円から1億3000万円減、59%ダウン)

 それぞれパターンは違うが、1億円以上のダウン更改自体、95年オフのダイエー(現ソフトバンク)石毛が2億円から1億円にダウンして以来、11年ぶりのことだった。それが今年は保留中のノリも含めて4人もいる。1億円以下でも横浜仁志が9000万円減、巨人清水と横浜佐伯が8000万円減と、1年に1人いるかいないかだった8000万円以上の大減俸が、今年は7選手もいる。

 野球界に何が起こっているのか。ある球団首脳は「プロ野球にも本当の意味での能力給の時代が来たのではないか」と分析した。過去の更改を振り返った時、倍増、3倍増はあっても、これほど大きなダウン額はあまりなかった。プロ野球の年俸は「能力給」といわれるが、実態は上がりやすく、下がりにくい性質。シーズン成績に加えて、選手が積み重ねてきた「実績」が加味され、どちらかといえば選手に温かく有利な契約システムと言えた。

 一般社会のバブルは90年代初頭にはじけた。だがプロ野球界のバブルはその後も膨らみ続け、1億円が当たり前という年俸高騰時代がやってきた。「実績+能力」を兼ね備えた億万長者が急増し、06年度でも1億円以上が74人(外国人選手除く)もいる。だがここへきてプロ野球人気は頭打ち。収入源となる観客動員は伸び悩み、巨人戦の視聴率の低迷でセ・リーグ球団を中心に放送権収入も減っている。一方で外国人補強やFA選手の獲得・引き留め資金やドラフトに費用がかかり、球団経営は厳しい状況に追い込まれ、何かを切り詰めなければやっていけない非常事態に陥っている。

 選手サイドに立てばノリのように、昔ならあり得なかった大減俸を宣告された“ギャップ”を理解できず、のみ込めないのも当然だろう。それでも経営に必死の球団は過去の「実績」を顧みず、あくまで今季成績に表れた「能力」でビジネスライクに電卓をはじいているように映る。他球団でも今回の前例にならい、大減俸の選手は一層増えることになるだろう。とうとうプロ野球界のバブルも崩壊してしまったのか。実績ある7選手の大減俸が、その象徴に思えてならない。(金額は推定)

December 21, 2006 02:46 PM

2006年12月20日

ばんえい競馬はナマ:村上秀明

 「怪獣みたい」。率直な第一印象だ。その主役たちの荒々しい息遣い、「ガシャン、ガシャン」と激しく鉄がぶつかり合う音が響き、想像をはるかに上回る迫力があった。何げなく足を運んだが、とにかく興奮したことを覚えている。

 ばんえい競馬を初めて生で観戦したのは、10年前の入社間もないころだった。北海道・岩見沢競馬場で、サラブレッドの2倍近くの800キロ以上もあるばん馬を見た。鉄そりを引く姿は、新聞の写真やテレビの映像より大迫力。レースは、独走状態だった馬がゴール直前で力尽きてばったり止まるケースもあった。その馬の馬券を買っていた人にはたまったもんではないが、ハラハラドキドキ感は十分あった。

 そのばんえい競馬が存廃問題に揺れていたが、民間委託での来季の存続が正式に決まった。これまでは、北海道の4市(旭川、岩見沢、帯広、北見)で構成する市営競馬組合で運営し、昨年度まで約31億円の累積赤字を抱えて浮上した存廃問題は、帯広市の1市単独開催で決着した。具体的な開催案はこれからだろうが、活路が開かれたことには違いない。

 各地で行われた署名活動など関係者やファンの熱意が形となって表れた。世界唯一の競馬を守ろうと「救世主」に名乗りを上げたのが、ソフトバンク関連企業だった。新会社を設立し、馬券販売や払い戻し、入場料徴収などの業務を請け負うことになる。さらに、インターネット技術を活用した新たな販売戦略を推し進めるという。

 確かに当面の存続で決着したが、あくまでも運営支援のソフトバンク・プレイヤーズとは単年度契約。08年度以降の保証はどこにもないのが現状だ。ある調教師が漏らした「民間会社はもうけがなければすぐに手を引くだろう」という不安も分かる。携わる企業も、決してボランティア団体ではないからだ。単年契約はプロスポーツ界でいうとベテラン選手に多い。先を見ながらでも、とにかく目の前の1年が勝負だ。

 今回決まった民間委託によって、今までになかった発想、販売戦略が可能になるケースが増加することは十分期待できる。関係者は特に、ソフトバンクの知名度とインターネット技術に期待する部分も大きい。楽観視はできないが、赤字体質から脱出するための売り上げ増の起爆剤になるのか注目したい。

 馬券販売額のアップと並行し、生で見る魅力の発信も不可欠に思う。北海道民でも、なかなか生観戦したという経験者が少ないように感じる。地元だけではなく、道外や海外向けにツアーを提案するのもいいだろう。96年に岩見沢競馬場で行った現役馬とインドゾウの競走が話題を集めたように、競馬場にファンを集める意外性のあるアイデアがほしい。

 関係者には不本意な形だろうが、今、ばんえい競馬は注目を集めている。永久的な存続が不透明でピンチともいえる今こそ、逆に足を運んでもらうチャンスのはずだ。「1度見に行こうか」。売り上げ増も大事だが、そう思わせる取り組みに期待したい。10年前、初めて見たばんえい競馬は今でも鮮明な記憶に残っているからこそ、強く思う。

December 20, 2006 11:27 AM

2006年12月19日

体罰は×愛のムチ〇:浜崎孝宏

 先日、残念な記事を読んだ。九州高野連理事長も務める鹿児島県高野連理事長が、元高校野球部員への体罰で同職を辞任したという話である。残念だったのは、「また、体罰か」といったものではなく、鹿児島県の高校野球界の顔だった人だけに、体罰といえないほどの「愛のムチ」で、要職を辞任せざるを得ない状況となったことだ。

 同理事長は県立校の保健体育教諭でもあるが辞任のきっかけとなった体罰は、グラウンドで3年の元野球部員28人を集め、このうち、まゆをそっていた7人の額を1回ずつたたいた、生徒にけがはなかったという。

 日本高野連側に、たたかれた親から匿名が寄せられ発覚したそうだが、読者にも問いたい。私が、同じ立場だったら、まゆをそった生徒の額を「ばかやろう」と言って、間違いなく「パチン」とたたいていた。「でも、たたくのは、行き過ぎでは…」と思う人もいるだろうが、子供を持つ親は少し立ち止まって考えてほしい。自分の子供がそういう行為をしたとすれば、あなたは親としてどう対応していたのか。話して言うことを聞く相手なら「まゆそり事件」は発生していないだろう。

 日本高野連も「こういう匿名が来たが、指導に当たると判断するので不問」ととは言えないのだろうか。以前このコラムで、高校野球の不祥事について書いた際、個人的な考えとして、感情に任せた体罰ではなく、教育するための愛のムチは必要だと思い、「『怒る』はアウトだが『しかる』はセーフ」と述べた。同理事長の行為は、体罰ではなく指導だったと思う。体罰がいけないことは分かるが、ある意味、歯止めをかけるお目付け役がいるからこそ、高校野球界をはじめ、世の中の秩序が保たれるのだ。

 “体罰”でも角界は教育がしっかりしている。関脇雅山が、出席予定のパーティーに1時間30分遅刻し、武蔵川親方(元横綱三重ノ海)は会場で、周囲の目を気にせず、雅山の左側頭部を「ゴツン」とやったそうだ。会場の空気は凍り付いたそうだが、親方の取った指導は、さすがのひと言だ。私の中では、この理事長の指導と武蔵川親方の指導に何ら変わりはない、と思う。ただ、結果として前者は体罰、後者は愛のムチと解釈されたのだ。

 鹿児島県高野連の発展に尽力した理事長だった。硬式、軟式野球のスコア表などを新聞各社にマメに送ってくれた。夏の県大会が始まる前に電話を入れると何か鹿児島の話題を提供しようと今年限りで廃部になる学校など、奮闘する野球部を紹介してくれた。今夏は母親を病気で亡くす不幸もあっただけに本人の胸中を察するにしのびない。57歳。「定年まであと3年だし、もう1度、監督をしてみたい」。そんな話を先日、聞いたばかりだった。
 体罰などの判断は事件発覚後、学校側の調査書をみて、日本高野連が決めるが今回の一件は情状酌量の余地があるのではないか。私が心配するのは、そんなことで指導者を含め高野連の仕事に協力を惜しまない優秀な人材を失ってしまうことだ。

December 19, 2006 10:32 AM

2006年12月18日

突き放さない指導法:鳥谷越直子

 06年の世相を表す「今年の漢字」に「命」が選ばれたという。そんな折、衝撃的な告白を聞いた。「最近、電車に飛び込みたくなることがある。いろいろ考え過ぎてしまって。自分でも怖くて電車が来るまでホームに出られないんだよ」。いつにない深刻な表情を浮かべたのは、松坂らを育てた横浜高・渡辺元智監督(62)だった。

 悩みの種は「いじめ」。といっても、同部でいじめが起こっているわけではない。世間を騒がせている陰湿ないじめが、部内で行われているのではないか、今なくてもいつ起こるか分からない不安が常にあるのだという。同校の小倉清一郎部長(62)も「毎日『問題を起こすな』という話ばかりしていて、野球にならない」と嘆く。

 言わずと知れた高校球界屈指の指導者だ。その2人がここまで神経をとがらせている背景にはここ数年急増している高校球界の「不祥事の増加」がある。夏の甲子園優勝、準優勝校の不祥事が2年連続で明るみに出ては、対岸の火事と傍観してはいられない。しかも主な不祥事の内容は部内暴力、飲酒、学内窃盗…。どこの高校でも起こり得る事案ばかりだ。

 横浜は1980年(昭和55年)の暴力事件以来26年間、不祥事を起こしていない。愛甲投手(元ロッテ)で80年夏に優勝したころは教育的な鉄拳も辞さないスパルタ指導。今は選手との対話重視に様変わりした。

 渡辺監督は73年春、80年夏、98年春夏、06年春の4つの年代で甲子園優勝を経験している。高度成長期からバブル崩壊、そして失われた10年と激動の時代だった。野球部員も世相を映すようにタイプが異なり、それに合わせて指導法も工夫してきた。

 最近はいじめ報道に触発され、「いじめはないか? 何でも言ってこい」と、オープンな姿勢で部員に接しているという。プレー中に選手の元気がなかったり、孤立していたりすると、すぐに声を掛け、自宅に招いて夕食をともにすることもある。保護者ともチーム状態を小まめに説明するなど密なコミュニケーションを図っている。

 学校、教師に対する信頼は今や過去に例をみない低落ぶりだ。いじめを見て見ないふりをしたり、わいせつホームページを作成する教師がここまで続くと「個」の問題では片付けられない。氷山の一角なのでは、という見方のほうがむしろ主流だろう。

 そんな社会状況の中だからこそ、渡辺監督の言葉が胸に響いたのかもしれない。「どんなに悪いやつでも何とかしてやろうと真剣に彼らの中に入っていくと、良いところがある。どうでもいいと突き放したらそこで終わってしまう。一番大切なのは信頼関係なんだ」。それはグラウンドも教室も一緒だ。今こそ、心から親身になれる、しかも熱いハートを持つ指導者が教育現場に求められている。

December 18, 2006 12:49 PM

2006年12月17日

築地場外のターレー:寺沢卓

 築地市場移転を知ってますか? 2016年、東京五輪誘致計画で、築地市場跡地にメディアセンターを設置する、とある。ん、跡地? 12年に中央区築地の東京中央卸売市場は、直線距離で南東に約3キロ離れた江東区豊洲に引っ越しをする予定になっている。

 勘違いしちゃいけないのは、通称「築地場内」と呼ばれる仲卸エリアが移転して、一般の人たちが自由に買い物できる「築地場外」はそのまま残る。

 なぜか? 分かりやすく説明すると、場内は都の土地。場外は個人所有なので、移転対象は場内だけ。場外残留の認知度が低いため、場外の若い衆はどのようにアピールすればいいか頭を悩ませている。

 昆布の老舗「吹田商店」の5代目吹田勝良さん(41)はNPO法人「築地食のまちづくり協議会」のイベント係だ。「なんとかターレーを使いたいんスよ。築地の顔ですから」。築地に足を踏み入れた人なら見たことがあると思う。ドラム缶みたいなエンジン部分に丸いリングのアクセルとハンドルがあって、その後方は全部荷台。魚を運ぶ、恐ろしく低速で走る市場特有の乗り物だ。最高時速は15キロ。正式名称はターレット・トラックだが、みんなターレーとしか呼ばない。

 車両登録が必要で、公道は走れる。「できれば、これでパレードをやってみたい。でも、以前、警察署に道路使用許可を提出したら、あっさり却下。あきらめきれないから今年10月、近くの公園で試乗会をやったら行列ができた。これ、絶対ウケるんだけどなぁ~」。吹田さんは未練タラタラである。

 で、実際、市場の駐車場で試乗させてもらった。左のギアは前に倒せば「前進」、後ろに引けば「後進」。大きな下のリング(ハンドル)をグルグル回して、その上のリング(アクセル)を下に押すと簡単に動く。右足のペダルがブレーキだ。説明1分で誰にでも運転できてしまう…普通免許は必要ではあるが。

 楽しい。試乗会とパレードを組み合わせれば最強のアピール材料になる。例えば、晴海通りを銀座まで移動して、日曜なら銀座通りは歩行者天国になるから、そこで100台ぐらいで行進したら迫力ありそうだ。「築地場外は残ります」などの横断幕と「ターレーみたいに低速で」とかで交通安全も訴えたい。

 どうせなら荷台に200キロ級のマグロとか、昆布やめんたいこ、市場長靴、竹で編んだ四角い買い物かご、焼きたての卵焼きなど名物を展示しながら低速で走れば親子連れも大喜びだろう。

 日刊スポーツも築地の住人。場外を盛り上げられるなら、ひと肌もふた肌も脱ぎますよ!

December 17, 2006 01:07 PM

2006年12月16日

答えはロンリーワン:藤中栄二

 以前から返答が難しいと思っている質問を受けた。旧知の後輩に、こう尋ねられた。

 後輩 どうしたらオリジナリティーを出せますか?

 頭の中に明確な解決法はない。大体、自分に「オリジナル」の何かがあるという認識も、自信もない。胸の内では「オレみたいな『色』のない人間に聞かないで」と嘆いたが、口から出たのは激励の言葉だった。

 自分 やりたいようにやれば、それがオリジナリティーだよ。

 後輩と別れた後、やはり軽はずみなアドバイスに反省した。自分の情けなさに怒りを感じた。

 社会人として駆け出しだった当時、自分も同じ悩みを先輩に打ち明けている。その時は、こうアドバイスされた。

 先輩 周囲にいる先輩のマネをしたり、観察するといいよ。

 当時は「なるほど」と納得したが、10年以上が経過した今、後輩に同じアドバイスはできない。他人から見習う部分は数多くある。しかし決定的に違う部分を感じる。当たり前のことだが、マネをしても、見習っても、決して同じ人間にはなれないという現実だ。

 今月2日のJリーグ浦和-G大阪戦を視察した鬼武チェアマンは言った。「レッズはJスタート時に『お荷物』と言われたが、努力すれば勝てるところをみせた。ただほかのクラブが同じことをしても意味がないし、見習っても仕方ない」。浦和には日本一のサポーターがいる。6万人収容のサッカー専用スタジアムがある。関東近県のクラブの中でも都内からのアクセスも良い方だ。他クラブがどんな努力をしても持てないベースがある。

 現在のJクラブ経営は入場料収入に頼っている。浦和とは違い、他クラブは集客に苦闘している。あるクラブ幹部は「地方クラブは他県のファンをスタジアムに集めないとスタンドが埋まらない。でも1度、足を遠ざけた県外のファンを呼び戻すのは難しい」とこぼす。新潟も多くの観客動員で注目されているが、当初はチケットを無料で配布していた。地元への地道な働きかけの成果が形になった。首都圏にある浦和とは違うアプローチでスタジアムを埋めている。同じようにどのクラブも企業努力はしているが、ベースが違えば方法も変えなければならない。

 ナンバーワンと同じで、オンリーワンになるのも簡単ではない。無理に奇をてらった、誰もがやっていないような行動が偶然、評価されることがある。その瞬間はうれしいが、その後は大変だ。次は前回以上の成果を挙げなければ満足できない。「らしくない」無理した行動を強いられる。再び「自分にはオリジナリティーが…」と頭を悩ませるだろう。

 独自性を打ち出すには、1人で考えるしかない。他人や周囲に流されず「これが自分の方法だ」と覚悟を決めた時、その人しか持っていない個性が生まれるだろう。独りよがりと言われるかもしれない。孤独感も味わう。だが、答えを出せる人間は自分1人だけだ。「ロンリーワン」になれた人だけが、自らのオリジナリティーをつかむのではないかと思う。

December 16, 2006 12:34 PM

2006年12月15日

JRA職員も馬券を:岡山俊明

 JRA(日本中央競馬会)の役員、職員は中央競馬の馬券を買ってはいけない。競馬法29条で「勝ち馬投票券を購入し、または譲り受けてはいけない」と規定されている。だからギャンブルを愛好するJRA職員の多くは他の公営競技にはけ口を求める。「本心は馬券を買いたいんですけどね」と某職員。買えるようになるには定年を待つか外郭団体に移るしか方法はない。

 八百長防止の観点から調教師、騎手らの馬券購入禁止は当然としても、施行者まで及ぶのはいかがなものかと以前から思っていた。

 伊丹十三監督の映画「スーパーの女」で、パート勤めをする主婦が自分のスーパーで買い物をしないような店は信用できないという話が出てくる。飲料会社の社員は自社製品を愛飲する。新聞社の社員は出張先で自社の新聞を買う。商品に責任を持つからこそ自腹を切る。そうでないと売り物の良さを再認識したり改善すべき点が見えてこない。

 もしもJRA職員が馬券を買えれば、おそらく気付きにくかったさまざまなことが見えてくる。「ウインズに長い時間いると疲れるなあ。仕方ない、階段に座るか。もっといすがあればいいのに」「買いたいレースのオッズがなかなか見られないね。オッズプリンターは便利だけど、1枚10円って高くない?」「レースのリプレーを見られる画面がほしいな」「他場の発走が近づくと払戻金の発表が後回しにされるね。何とかならないのかな」「審議のアナウンスが紋切り型。妨害された馬の馬券を持っているんだから納得できる説明がほしいよ」。熱心なファンでこその不平不満を実感できるに違いない。

 法の趣旨はあらぬ嫌疑を避けるため。しかし、発走後の発券は不可能だし、株と違って競馬においてはインサイダー情報はほとんど意味を成さない。「おれの馬、やけに調子がいいんだよな」とか「体がガタガタで今回は使うだけ」といった有益と思える情報を得ても、しばしば逆の結果になる。現場から直接情報を入手できるメディアや馬主が馬券購入を認められているのも、インサイダー情報が馬券に結び付くとは限らないからだろう。

 10年、20年前を振り返れば、JRAのサービスは飛躍的に向上した。馬券の種類は豊富になったし、携帯やパソコンで手軽に買える。馬券は発走2分前まで買える。テレビモニターも多い(昔の場外売り場はラジオ音声のみ。オッズも手書きで1日に2度張り出されるだけだった)。マークカードの登場で窓口の列は短くなった。世界に胸を張れるマークカードは、JRAが公営ギャンブルを愛好する職員を集め、知恵を出し合った結果と聞く。職員も馬券が買えるようになれば、さらにファンとの距離が近づくだろう。

 競馬法は戦後すぐの48年に成立した。29条はそれから1度も見直されずに今日まで至った。法は常に時代の変化に遅れる。決勝審判員や裁決委員を除いて、職員の馬券購入を認める法改正を提案したい。

December 15, 2006 11:35 AM

2006年12月14日

甘すぎる外国人契約:沢畠功二

 最近、プロ野球の外国人市場で、異変が生じている。米大リーグではなく、国内他球団への移籍だ。昨オフの例を挙げれば、李がロッテから巨人、デイビーは広島からオリックス、パウエルはオリックスから巨人、セラフィニはロッテからオリックス、そしてフェルナンデスが西武から楽天に移った。11月30日までに所属球団と合意しなければ、他球団と交渉できるからだ(李はロッテと契約後に移籍する異例パターン)。

 プロとして、より条件の良いチームを求める。当然だろう。最も鮮烈だったのがヤクルトのペタジーニだ。最低でも「2年総額20億円以上」(土井球団代表、当時)を提示した巨人を迷いなく選んでいる。

 ヤクルトとの契約が切れる02年オフ、去就が注目されていた。帰国する際の成田空港。本心を探ろうと殺気立つ報道陣に、25歳年上のオルガ夫人がキレたことがある。「おカネ…」の単語が聞こえるやいなや「おカネ、ノー。たとえクッションとして座ることができるほどのお金があっても、私たちが欲しいのは(チームからの)愛なのよ」。庶民感覚でこんな例えは、冗談でも思い浮かばない。来日後の6年間で、少なくとも30億円は稼いだ夫妻。さぞかし優雅な生活を送っていることだろう。

 本題に戻り、今年も有力助っ人の去就が決定していない。ヤクルトはノーヒット・ノーランを達成したガトームソンが、7倍増の要求をしてきたことで決裂。ソフトバンクのズレータ、日本ハムのセギノールらが合意しないまま、保留者名簿から外れた。ある渉外担当者は「これが日本慣れした代理人たちのやり方」と嘆いた。メジャーでは高額契約は期待できない。それなら日本で、もうけよう。外国人との契約に甘い市場を熟知した代理人たちの手口である。

 なぜこうなったのか。豊富と思われがちな米市場だが、実際に3Aなどを視察したことがある球界関係者は「現実は違う。日本が獲得できるような選手は限られている」と言う。日本での実績を重視した方が計算できる。そういう国内球団の考えが、見透かされている。メジャーで高条件を引き出せなくても、日本の市場は魅力だ。今季なら西武カブレラの6億円、中日ウッズの5億円、巨人パウエルの2億円などは、まさに日本価格だ。

 ほとんどの外国人選手は1~2年契約を結び、オフの11月30日をもってFA扱いになる。慌てて契約しなければ、より条件の良い球団を選べる。しかし自由に移籍できない日本人選手からすれば、不平等極まりない。メジャー契約が微妙な選手を高額で引き留めるから相場が高くなる。

 古くは開国後の1858年(安政5)、日米修好通商条約が不平等条約として有名だ。優良助っ人の契約には甘すぎる傾向がある。12球団で構成する実行委員会のメンバーでもあるヤクルト倉島専務は言う。「契約するときに、例えば3年は国内移籍を禁止するなど統一したほうがいい。すでにそのような条件をつけている球団はいくつかあるんだから」。資金力豊富な球団以外は深刻だ。

December 14, 2006 10:12 AM

2006年12月13日

石原真理子に負けた:井上真

 石原真理子の会見がくだらなくて品がなくてばかばかしくて、とっても楽しめた。リポーターたちが、恋愛相手の迷惑を考えないのかと、詰問したのも面白かった。

 いつも不倫、恋愛発覚、破局、三角関係を追いかけている側が、急に立場を180度変えているようだった。火種を見つけると、当事者に殺到し、その家族、関係者に聞き回り、それこそ“迷惑”などお構いなしがマスコミの実態だ。

 これは自身が同じだからよく分かる。読者の知る権利などと大義名分を振りかざし、報道媒体自身が「これは伝えるべき」と独自に価値判断した事象に、人も金もつぎ込む。事実を伝えるためなら、一般常識の範囲ギリギリのところまで土足で踏み込む。それは視聴者や読者も薄々感じていることだ。

 それが石原の恐れを知らない自爆型告白がさく裂した途端に「相手の事を!」などと叫ぶところがコミカルだった。有名人たちが直接暴露を始めると、これに勝るネタはないから、取材する側の立場が危うくなる。それで怒っているのかな、と勘繰ったりもした。

 一方で、いかにも「私は冷静よ」とアピールするような口調の石原も不気味だった。女優だからあんなに堂々としていられるのだろが、助け舟を出す女性司会者との絶妙なチームワークも台本通り? の名演技だった。司会者の声を聞いても、石原の顔にはほっとひと息つく気配も見えない。思わず画面に向かってうなってしまった。

 すべては本を売るためなんだろうけど、どうして実名とイニシャルを使い分けるのか、そこだけ疑問だった。大切な体験を知ってもらうためにウソはつかないというなら、13人を同じ扱いにした方がもっとインパクトも強かったとは思う。きっと、実名にしたらよほど差し障りがあるんだろう。

 まあ、何かの論文じゃないし、そこまで突き詰めても仕方がない。不倫はともかく、恋愛は悪いことではない。支離滅裂な主張は、ぺラペラしゃべる政治家やIT起業家たちで慣れているし許容範囲だった。むしろ、この師走に一瞬だけでも重い社会問題を忘れることができた。

 殺伐とした会見終盤の空気も、今後の展開へ興味をかき立てた。結果的には石原とリポーターのやりとりも、一部視聴者の好奇心をあおるには抜群の効果があった。会見で本を買った人もいるだろう。石原の主張をうまく理解できなかったが、売りたい熱意は満点だ。自分には関係ない他人の、それも有名人同士の醜聞には適度な好奇心が沸く。おめでたい日本を熟知したマスコミ操縦法だった。

 ここまで書いて、そうか!と気付いた。時間をかけて考えるべきことじゃなかった。なんて単純で愚かなんだ。本を買っていたら思うつぼだ。この欄でこれだけ書いただけでも完敗だ。おめでたい国民の1人として、パソコンに打ち込んだ「自己嫌悪」の4文字を見詰めてしまった。

December 13, 2006 11:15 AM

2006年12月12日

「無駄な経験はない」:村上久美子

 運命の皮肉-。横浜とソフトバンクのトレードを聞き、まず切なさが心をよぎった。多村と寺原のトレード。WBCの5番打者と、若さが武器とはいえ実績では物足りない投手の不釣り合いさから…ではない。神奈川に生まれ横浜高校から地元球団に入った多村が福岡へ、宮崎・日南学園から甲子園に出場した九州の星が横浜へ…。本人はもちろん、地元ファンは寂しいだろうな、と感じたから。

 とはいえ2人とも、多村は故障がち、寺原は伸び悩み…と、不本意な部分があったから、新天地へ向かうことになったんだと思う。

 そんなことを考えながら、桂三枝が言っていた「今思たら、若いころ悩んだことも、嫌や思うたことも、これまでのことは何一つ、無駄なことはなかった」との言葉を思い出した。

 今年、上方落語協会の会長として、大阪天満宮に悲願だった定席寄席「天満天神繁盛亭」を復活させた三枝だが、この話を聞いたのはもう5年以上前だったと思う。師匠の文枝(故人)ら、戦後の上方落語を復興させた先人の遺志を継ぎ、見事に悲願を結実させる随分前のことだった。

 三枝は文枝の筆頭弟子であったが、テレビ司会者、今でいうタレント的立場で人気を得た。それだけに周囲から「あいつ、落語家のくせに落語できん」と、揶揄(やゆ)もされた。「古典やってこそ落語家か」と悩んだこともあった。

 ただ、柔軟な発想も持ち合わせていて「古典かて、誰かが作ったんや。そん時は新作」と頭を切り替え、大阪のおばちゃんネタやゴルフに明け暮れるオヤジを観察して200本以上を創作。創作落語なる新たなジャンルを生み出した。

 悩み、落ち込み、やけになれば、そこで終わり。葛藤(かっとう)の末に打ち勝ったからこそ「無駄な経験はない」と言い切れる。記者の人生以上の芸歴を持つ三枝の苦労は、若輩者が推し量ることさえ難しいが、1度だけ、三枝の変身を見たことがある。95年の参院選出馬騒動。出馬表明したものの、たった数日で翻意した。家庭の事情で無念の出馬断念となった。

 出馬のうわさが先行する中、取材に行った。確か独演会か何か、芸能活動の会見だったと記憶しているが、終了後、捕まえて直撃した。記者をひとにらみ、不快感を隠そうともしない強い瞳が印象的だった。

 出馬決意から断念、失意を経験した後、三枝があんな瞳をするのを1度も見たことがない。あれから愛人騒動もあった。師匠も、「メル友やねん」とうれしそうに話していた吉本興業の林裕章前社長も亡くなった。それでも、あの目は見せていない。端的に言えば人柄が「丸くなった」ということだが、あの失意の中、また何かが三枝の中で変わったんだろうな、と…。

 でも、一方で、変えない強い意志も持つ人だ。テレビ朝日系「新婚さんいらっしゃい」は、いまだ長寿番組として続くが、収録場所の楽屋は非常階段のように急な階段を上がった所にある。「この階段な、駆け上がられへんようになったら、番組やめんねん」が口癖。今週もまた、あの階段、ちゃんと走って上がれてるんやろか-。変われるたくましさと、変えない強さを併せ持つ三枝の大きさを思いつつ、多村、寺原にも新天地でのめざましい活躍を願ってしまう。

December 12, 2006 11:45 AM

2006年12月11日

清原の目からウロコ:松井清員

 野球選手にとって「いい目」とはどんな目なのだろうか。視力2・0? 答えはNO。では動体視力2・0? これも答えはNO。オリックス清原が7日、大阪府吹田市の視覚情報センター(田村スポーツビジョン研究所)で行った“目ヂカラ養成トレーニング”に同行取材した私は、目からうろこの連続だった。特に「動体視力の数値」こそ野球センスの物差しと思っていた私に、同センターの田村知則代表は「動体視力が2・0でも、1軍に上がれない選球眼の悪い選手は数多くいます」と否定した。

 正解は「正しい目の使い方」ができているかどうかだそうだ。打者は左右の両目でボールを見て、球種やコースを判別して打つ。だが、このとき、1つのボールを追いかける左と右の眼球の動きは同じではないという。左目と右目の誤差が大きい選手ほどピントがズレ、本来あるべきボールの場所と違う場所に「錯覚のボール」を見る。しかも加齢とともに目の筋力は弱まって「錯覚」は増幅し、とらえたと思ったボールを打ち損じたり、極端な場合はボール球もがストライクに見えたりするというのだ。

 こうした両眼視機能が優れている選手ほど「錯覚」は少ない。その代表的選手がイチローだ。オリックス時代に同センターで四角い枠の上下、左右、斜めに書かれた1から30までの数字を順番に見る眼球運動検査を実施。するとほとんど顔を動かさず、一定した眼球の動きだけで的確に数字をとらえたという。同じ検査を1軍半の選手に実施したところ眼球は不規則に動き、顔も激しく動いて口は半開き。それは本人は無意識でも目でものをとらえることに苦労し、1軍に定着できない要素の1つではないかと田村代表は分析した。

 これは打席でボールをとらえる時と同じ。目が正しく使えているイチローは顔が動かず、体の軸がブレないから難しい球にも対応できる。反対に目が正しく使えていない選手は、自然と顔を動かしてボールを追う分、軸がブレる。下半身も安定せず、本来そこにない「錯覚のボール」を打ちに行ってしまう。球の数ミリ上をたたくか、下をたたくかで本塁打かアウトか大違いの野球界。清原もうなっていたが、田村代表はもう1つ大事な要素を付け加えた。

 「人間は打席で感情が入るほどボールを見過ぎる。その分、反応は0・1秒以上遅れる。プロではボールが捕手のミットに収まるまでが平均0・4秒だから、0・1秒がいかに大きな数字か。当然見過ぎると力も入って顔は動くし、軸もブレる。若い時はまだ対応できるけど年を取るほどやめた方がいいし、損でしょう」。

 いかに適度な緊張と「平常心」で打席に立てるか。気合の入り過ぎはNG。「打席では絶対にカッカしたらダメなんですね」。これまで「僕は力んでナンボ」を自称してきた清原は、またうなりまくっていた。

 スキルアップに大切なものは「正しい目の使い方」と「平常心」。特に前者は自宅でもできる「眼球運動トレーニング」などを継続すれば、矯正可能という。イチローはメジャーでもこのトレーニングを継続しているとか。清原も「一生懸命やります」と検査代込みの1万円で一式を買って帰った。もちろん“目ヂカラ”だけで6年連続200本安打は打てるものではない。だがイチローが世界のヒットマンたるゆえんを垣間見た気がした。

December 11, 2006 09:20 AM

2006年12月10日

北海道発「もっこり」:村上秀明

 北海道東部にある阿寒湖で先日、国の天然記念物マリモの「冬支度」作業が行われたというニュースが流れていた。秋まで展示されていた場所から移動させ、来春まで鉄かごに入れて湖底に沈められるという。その光景を見て、あらためて思った。そういえば、今年はマリモの活躍が目立っていたなあ、と。

 年末になると10大ニュースとして、その1年を振り返るが、北海道関係だけでもいろいろなことが記憶に残っている。全国区の話題としては、日本ハムの日本シリーズ制覇、コスモバルクの海外G1制覇、駒大苫小牧が夏甲子園準優勝などがすぐに出てくるが、独断と偏見で隠れ上位候補だと思っているのが「まりもっこり」旋風だ。

 「まりもっこり」とは、マリモをモチーフにしたキャラクターだ。愛嬌(あいきょう)のある大きなタレ目で、下腹部が「もっこり」と膨らんだスタイルが最大の特徴。決して品のあるキャラではないが、若者を中心に「キモカワイイ」という評判を呼び、10万個が大ヒットと言われる業界で1年余りで30万個を超える爆発的ヒットをかっ飛ばした。

 人気は津軽海峡を渡り、2月のトリノ五輪に出場したフィギュアスケートの「ミキティ」こと安藤美姫が携帯電話のストラップに使っていたことで、全国的に火が付いた。先日取材したニュージーランドからのラグビー留学生のバックにも「まりもっこり」はぶら下がっていた。北海道内のお土産店には欠かせない有名キャラクターとして定着している。

 「もっこり」部分を引っ張ると振動する種類も発売されたが、商品化のきっかけもばかばかしい。もともとは、札幌市内の観光物産品総合卸会社社長のダジャレだった。社員の反応は冷たかったが05年2月に発売開始。地元の阿寒湖畔では当初「マリモに失礼」と不評だったといい、ホテルでの販売扱いを断られるなどしたそうだが、メディアを通じて人気が広がった。

 今では「べにいもっこり」(沖縄バージョン)「もっこりんご」(信州バージョン)など北海道以外にも続々と進出。北海道発信のものが全国に広がると、たとえ「もっこり」と品のないキャラクターでも誇らしく思うし、うれしい気分になる。全国へのブーム発信は何より「北海道は元気だぞ」と感じさせてくれるようで、頼もしい。

 全国からの観光客が絶えない旭川市の旭山動物園は冬期営業も活気がある。ラーメン、ジンギスカンに負けないぞと、札幌市内に200件以上の専門店があるスープカレーが北海道の食文化に加わった。札幌の初夏の風物詩となったYOSAKOIソーラン祭りなど、ここ十数年で北海道から全国にその名をとどろかせているものがある。

 威勢のいい部分だけを並べたが、夕張市が巨額赤字を抱え財政破たん、多額の赤字を抱えるばんえい競馬の存廃問題など、明るい話題だけではない。何かに立ち向かわなければならない人も多くいる。ただ、そんな北海道だからこそ、北海道発の「元気印」から何かを学びたい。そして、発信していく精神を忘れたくないと思っている。

December 10, 2006 11:16 AM

2006年12月09日

寺原、横浜で才能開花だ:浜崎孝宏

 ソフトバンク寺原と横浜多村の交換トレードには驚いた。寺原は01年1巡目指名選手で、夏の甲子園で158キロをたたき出した剛腕投手だ。多村はWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で5番打者を務めるなど横浜でも主力として活躍するバリバリのレギュラー。選手もビックリだろうが、若手の先発投手を補強したい横浜と、右の大砲が欲しいホークスとの思惑が合致した形で、久しぶりにビッグネームが動いた。

 手前みそで恐縮だが、私がホークスを担当した1年目の02年。高校卒業後の寺原を取材した。当時、ホークスは高知でキャンプを行っており、夏の甲子園で、松坂らの持つ最速記録を更新した剛腕をひと目見ようとまさに南国・土佐は「寺原フィーバー」で沸いた。寺原が移動するたびに人垣も動いた。ファンがサインをもらおうと差し出した数本のペン先が、寺原の新しいグラウンドジャンパーに触れ、予想外の“逆サイン”に寺原が、ムッとしていたこともあったほど。専属警備員も出現した。

 新人年には、西武松坂との対決で勝利を収めるなど王監督も寺原の勝ち運、勝負運を買っていた。さらに器用さも持ち合わせていた。変化球をマスターしようとすれば、簡単に投げてみせることもあった。変化球を1つ完全習得するために1年以上かかる投手も多く、相手打者に使えるボールに仕上げるには、それ以上に時間がかかるのが一般的。それでも寺原は、極端な例で言えば、試合前の練習でその球種を教わり、キャッチボールで新球種のフィーリングが合えば、いきなり本番でもテストできるほどの調整能力があったのだ。元々、寺原は左利きだった。周りが右利きが多かったため、右利きに修正させられたというが、母裕子さんも、弟の寿隆くんも左利き。勝手に想像するに右脳と左脳のバランスが、いいのかもしれない。

 しかし、器用さがもたらす問題点もあった。自分の投球フォームをすぐに忘れてしまうのだ。ソフトバンクには沢村賞右腕の斉藤和を始め、新垣、和田、杉内と好投手が身近にいる。そのせいか、寺原の投球フォームが不思議とチーム内の投手に似てくることが入団後、2、3年は見られた。和田と一緒に自主トレを行った後は、どことなく和田の左腕を包み隠す独特のフォームに似てきたことも。昨季まで在籍した尾花投手コーチ(現巨人コーチ)が巡り巡って、寺原に高校時代の投球フォーム写真を手渡したという話もあった。

 今年1年は、そんなことはなかった。どんな成績でもじっと耐えて、自分の信じた投球フォームを貫いた。あとは自信回復と何かのきっかけだと思う。チーム名が変わる寺原だが、マウンドに立って投げるという「投手」の仕事までは変わらない。まだまだ、やれる。投げるチャンスがあるんだ。このまま、160キロを出せる才能を眠らせておくのはもったいない。今季、わずか3勝に終わった寺原だが、ここ数年、味わった悔しさをマウンドにぶつけてほしい。

December 9, 2006 12:17 PM

2006年12月08日

球界の底辺拡大急務:鳥谷越直子

 まだデビュー前のジャニーズJr.が、あの日本武道館でコンサートを開くという。チケットも順調にさばけているというから驚きだ。トシちゃん、マッチ、少年隊、SMAP、TOKIO、V6、嵐、KAT-TUN…。よくもまあ次々とトップアイドルを世に送り出すものだ。ジャニーズ恐るべし、である。

 さて、本題の野球の話。松坂、井川と日本球界の看板選手が大リーグと移籍交渉を進め、ファンの関心もまた海の向こうへ移りつつある。かつての「夢」が身近になり、日本の野球レベルの底上げに期待感がある一方、日本プロ野球の弱体化を危ぶむ声が高まっている。

 大物選手の海外流出が避けられなくなったここ数年、日本球界では「底辺拡大」のキーワードがクローズアップされている。

 今年5月に亡くなった前日本野球連盟会長の山本英一郎氏(享年87)はコーチのライセンス制を提唱していた。サッカーのように細分化した年代層に見合った指導者を養成、連盟に登録することで、一定の指導者水準を確保するのが狙いだ。

 山本氏が描いた青写真は日本代表監督を頂点とする「ピラミッド構想」。代表監督が招へいしたプロのコーチ陣が小、中、高、大学、U-25と各年代の日本代表を指導、育成プログラムを一本化するという案だ。「アメリカやキューバは一貫した指導方針があるから強い。日本も思い切った構造改革をしないと取り残される」と力説していた。

 組織が細かく分かれ、歴史もバラバラな日本球界の構造改革は一筋縄ではいかない。だが「底辺拡大が急務」という共通認識のもと、各組織が1歩1歩動き始めている。

 日本高野連は2年前から、中体連と連携を図り、資金面、技術面で中学の指導者育成を支援している。ここ数年の統計をみると、中学で約30万人を数える球児は、高校に入ると約15万人に半減する。中学時代に適切な指導を受けさせ、野球の真の魅力と正しい技術を身に付けさせることで、野球人口減少を食い止めようというものだ。

 巨人が今年4月に開校した子供向けの「ジャイアンツアカデミー」も注目されている。5歳から小学校6年生まで330人を対象に体づくりから基本技術、野球知識を独自の年齢別マニュアルに従い指導している。ジュニアからの一貫指導は、サッカークラブでは一般的だが日本のプロ球団としては初となる画期的な試みだ。巨人前スカウト部長の末次利光校長は「野球を通して子供たちの健全育成と野球界のすそ野の拡大が目的」と話す。併せて指導者育成も進めるという。

 大リーグへの選手流出、サッカー人気、子供の趣味の多様化などで日本のプロ球界は新たな局面を迎えている。ON人気にけん引され、黙っていてもスター選手が育ち、テレビの視聴率を稼げる時代は終わった。アマ世代から組織的かつ明確なビジョンを持ってスターを育てていく時代かもしれない。ジャニーズのような原石開拓と売り出しのノウハウが必要な気がするのは、私だけだろうか。

December 8, 2006 12:39 PM

2006年12月07日

元気になったカズさん:寺沢卓

 3年前の12月5日、先輩が倒れた。脳梗塞(こうそく)だった。横浜・伊勢佐木町にある居酒屋のオヤジだ。名前は「カズさん」。注文されたくし焼きを出して、裏口ドアを開けた直後に意識をなくした。火のついていないタバコを右手に持ったまま、直立不動で倒れた。

 地面に頭を打った。診断は脳挫傷。カズさんの奥さんは「前頭葉が圧縮されて、担当医に『覚悟して』といわれた」。翌年の正月明けに知らされ、1月中旬、入院先に見舞いに行った。

 カズさんは高校のハンドボール部の9期上。神奈川県覇者として高校総体に出場した。この世代は神様だ。特にカズさんは主砲で私たちの代のコーチ。さらに当時教師を目指していたカズさんは生物の教育研修に来ていて、私のクラスの副担任だった。記者になってからも「あんな記事でいいのかよ」と真剣に怒られた。世話になった項目を指折り数えたらきりがない。

 見舞う前に奥さんから「ビックリしないでね」と告げられた。白い包帯がぐるぐるとカズさんの頭を包んでいた。「おお、寺沢。なんだ元気そうだな」。掛ける言葉が逆だよ、と思いながら、話しているとすぐに違和感に気付いた。私を認識はしているけど、カズさんはハンドボール部顧問の教師になっているものだと思い込んでいた。

 「なあ、この前の試合な、オマエ、もうちょい走らなきゃ」「相手もいいチームだったよな。オレも右サイドから攻めろ、って指示すべきだった」「でもさ、あのシュートは良かったよ。オマエ、背ぇ高いんだから、もっと自信持て」。

 見舞いに行って励まされた。否定もできずに30分ほど、やってもいない試合の話をした。妙に具体的で、本当に試合をしたのかもなぁ、と錯覚した。病院を出て、北風を浴びて熱くなった頭が冷えたら、涙があふれてきた。いい大人がワンワン泣いていた。何も恩返しできない情けなさでいっぱいだった。

 倒れてから3年。カズさんは定休日の月曜以外、毎日くし焼きを受け持つ。最初は教師だと信じていたから、店に何でいるのか分からなかったという。毎日、お客さんと接しているうちに「ああ、オレは飲み屋のオヤジなんだ」と分かるようになったらしい。一緒に働く家族は病人として扱わなかった。今も体にまひは残っているけれど、意識がしっかりしているのは、家族がカズさんを甘えさせなかったからなんだと思う。

 小さな積み重ねが、破壊された脳を復活させる奇跡となったはず。病院ではない日常生活がリハビリになって、仕事ができるなんて、そんな都合のいい状況は多くない。くしくもカズさんは復活できる環境にあった。でも、最終的には本人にやる気を起こさせる家族の支えが最も大きかったのだと客の私は痛感する。

 今はもう、あのハンド談議はできないし、カズさんも「覚えてねぇーよ」と笑う。カズさん、今日飲みに行くからカウンター空けておいてください。

December 7, 2006 10:13 AM

2006年12月06日

思い出に変わる苦悩:藤中栄二

 12月2日。浦和が初めてリーグ制覇を決めた時、2人のクラブ首脳は感慨深くチームを見守った。藤口光紀社長と中村修三ゼネラルマネジャー(GM)。2人には脳裏に焼き付いて忘れられない光景があった。

 藤口社長は「13年前」が頭から離れなかった。V決戦をしたG大阪は、93年5月16日のJリーグ開幕戦の相手。万博競技場のアウエー戦だった。当時、事業・広報部長だった藤口社長は「今から思えば昨日のようだ」とまで言った。

 浦和は15本のシュートが1本も入らなかった。圧倒的に攻めながらも、G大阪にわずか4本のシュートで1点を許し、0-1で負けた。ハーフタイム。前日に国立競技場で行われたV川崎(現東京V)-横浜M(現横浜)戦をほうふつさせるショーが展開された。しかし消した照明が後半開始時になっても点灯しない。1度、オフにすると再点灯まで時間を要する照明だった。後半開始は遅れ、調子が狂った。

 藤口社長は振り返る。「運営上の問題で電気も消えたし、試合もひどかったからね。あれがチームの負け続けるきっかけだったし。すごい因縁なんだよね。神様は13年かかって乗り越えるチャンスを与えてくれたのかな」。2日のG大阪戦直前には、のどの痛みを訴え、病院にも行った。風邪というよりは、重圧と緊張で体が弱っていたのではないか。ブッフバルト監督を含め、選手で93年を体験した者はいない。同社長には優勝が監督、選手とは違う光景に見えたに違いない。

 一方、中村GMは「5年前」が頭から離れなかった。01年12月、広報部長から強化部長へ。就任あいさつの時の選手らから刺すような視線。のちに退団した某コーチには無視された。「広報が急に強化になったわけだから。選手はオレにというより『会社は何を考えているんだ』と感じたんじゃないかと思う」。

 今季の同GMは息子の活躍を活力にしていた。青学大サッカー部2年のFW中村祐人。関東大学リーグ2部で17得点を挙げて得点王を奪取した。同時にチームもリーグ2位となり、来季の1部昇格を決めた。「息子の昇格は縁起が良い。うちも優勝するよ」と口にしながら優勝へのプレッシャーを和らげていた。

 それでもG大阪戦当日は寝れずに朝4時には起床。朝日を浴びながら散歩して緊張を紛らわせた。優勝後は「感動というよりは安堵(あんど)感」と肩をなで下ろした。中村GMが強化に携わってからのチーム戦績は、過去の強化トップの誰よりも高い。もはや今は現場から刺すような視線はないだろう。5年前、冷たかった選手の目が今は温かく思えるに違いない。

 優勝をささげたい人は誰ですか? この質問に闘莉王は「ボクらの見えないところで、たくさんサポートをしてくれている人に」と答えた。悲劇の歴史が多い浦和。藤口社長、中村GMとは違い、表舞台に出てこないチームの「貢献者」たちが、さまざまな思いで優勝を見届けたと思う。これからは歓喜の歴史が待つであろう浦和。強い思い入れがあるからこそ、悔しい過去が良い思い出に変わる。

December 6, 2006 11:18 AM

2006年12月05日

五輪開催に必要な物:岡山俊明

拝啓

 あのアテネ五輪から、もう2年以上たつのですね。元気でお過ごしでしょうか。閉会式の最中、メーンスタジアムで隣り合わせになったあなたから、困ったような視線を感じました。記者席にいる同僚たちと離れて1人スタンドに座り、双眼鏡で日本選手を追うばかりの私が、セレモニーを楽しめていないように映ったのでしょう。こちらも仕事としてその場にいたので、実際硬い表情をしていたのかもしれません。会場が盛り上がっていたから、余計に浮いていたのですね。

 あなたはそんな私を心配して声を掛けてくれました。「さあ」と促されて立ち上がった私は、ようやく気付きました。せっかく立ち合えた世紀のイベントをエンジョイしないでどうする。柄にもなく歌い、踊り始めた私のこっけいな姿に、周囲の人々も安心して笑みを浮かべ、次々に肩をたたいてきました。みんな心配してくれていたのですね。ちょっと恥ずかしかったです。アテネ出身でドイツで暮らしていたあなたは、五輪のボランティアで母国に帰ってきていたと言っていましたね。あの夜は一生忘れません。

 そうそう、やけにはしゃいだおばさんが、大きなカメラで私たちのツーショットを写してくれたのを覚えていますか。帰国後はすっかり忘れていたのですが、ほどなく届いたのですよ。あの写真が。予想もしていなかっただけに驚きました。胸が熱くなりました。

 振り返れば、開幕前にはこんなことがありました。宿舎から柔道チームが練習する体育館にタクシーで向かった時、不案内な運転手に「この近くだから」と途中で降ろされてしまいました。道は分からない。開始時間は迫る。焦る私は黒い犬を連れて通り掛かった妙齢の婦人に尋ねました。

 やはりその婦人も知らなかった。英語も通じていない様子でした。しかし見ず知らずの東洋人を家に招き入れると、あちこちに電話をかけ始めたのです。親類や友人に聞いている様子。出されたアイスティーを口に運びながら気が気ではありませんでしたが、手を尽くしてもらったかいあって、バスで4つめの停留所からすぐ。めでたく谷亮子選手に話を聞けたのでした。

 睡眠不足が続き、ファストフードで食事を済ませる日も多かった。でも、あの夏はあなたを始めアテネの人たちのホスピタリティ=手厚いもてなしに、心は大いに満たされました。16個の金メダルとともに、良き思い出です。

 ご存じですか。私の住む東京が、2016年の夏季五輪開催地に立候補しました。今は都民に戸惑いがあります。「別に興味ない」「東京でやる意味あるの?」「渋滞が心配」。結構否定的な人が少なくありません。五輪開催に最も必要なのは大義名分や立派な施設ではありません。ホスピタリティです。胸を張って開催できる機運が高まり開催地に決まったら、ぜひ日本にお越し下さい。          敬具

December 5, 2006 12:38 PM

2006年12月04日

クリーンなドラフト:沢畠功二

 先日の大学・社会人ドラフトで、ある選手が指名されるまでを追った。

 この選手は、当初から予想されたA球団から指名を受けた。終わってみれば順当だったが、実力ゆえに途中で争奪戦になりかけた。A球団の担当スカウトの目に留まったのは2年前で、足しげく通ってもらった。チーム監督の胸の内も固まっていた。しかし夏以降になり、実力を認めた数球団のスカウトのあいさつを受けた。「A球団は何巡目でいきそうなんですか?」などと探りを入れてきた。

 監督の言い分は、単純明快だった。「早くから意思表示をしてくれた球団に行かせたい。結局、スカウトの(眼)力じゃないの。探りを入れてくるってのは、それまでに狙っていた選手が断られたという状況もあったんだろうけども」。残念ながら、断られたスカウトから陰口もささやかれ、かなり嫌な思いをしたと憤慨していた。

 選手は希望球団名を口にしていない。しかし監督が先に声をかけてくれた球団を優先させたい意向を持っていたために、他球団は事実上の逆指名と受け取った。本当に欲しいのなら、堂々と指名すればいい。希望枠以外はウエーバー順が決まっており、ルール上で何の問題もないからだ。しかしプロ側としては、後々の付き合いを考えて、強行までして気まずい思いはしたくない。だから、横やりは入らなかった。

 指名過程としては、ありふれた一例ではなかろうか。希望枠であろうとなかろうと、指名候補は複数球団から注目される。選手は公式戦が終了するまで、プロとの接触は禁じられている。送り出す側としては、いち早く才能に目を付け、誠意を持って足を運んでくれた球団を優先したい。人と人との交渉だけに、これは自然の流れだ。ただでさえ義理人情が重視される業界。どれだけ早くからスカウトが才能を見いだしてくれたか。選手を預かる監督にとって、大きな判断材料となる。

 「妥協の産物」と皮肉られ、2年の暫定期間を終えたドラフト制度の改革は、今後本格的な議論に入る。自由競争を主張する球団、完全ウエーバーを理想とする他球団。クリーンなドラフトを目指す選手会は、希望枠の撤廃を主張し続けている。FA取得の短縮もリンクする。9月中に行われる高校生ドラフトは、進路選択が早まると高野連は歓迎している。それらは再びたたき台の材料となる。

 反映されるかは別として、実際に指名される現場もクリーンな制度を求めている。この監督は、最後にこう付け加えた。「他球団から指名されていても行ったと思うよ。それがドラフト制度だからね。選手が希望球団を口にするから、おかしくなる。今回も何人かがもめたでしょう。いっそのこと希望枠をなくしてしまえばいい。それか希望枠の選手はもっと早めに決めてしまう。そうすれば他が動きやすいでしょう。それが分かりやすくていいんじゃないの」。政治もそうだが、分かりやすく、クリーンな制度は万人が求めるところ。理想を掲げるだけで、終わってはいけない。

December 4, 2006 09:27 AM

2006年12月03日

考えようもっと何か:井上真

 ある会議の中で提案をしたら出席者に「もっと何かないか?」と言われたことがある。「もっと何かって?」と聞き返すと黙った。これは、誰もが陥ることだ。どこかにきっとあるはずの「もっと何か」は、人をあてにしていては絶対に見つからない。

 安倍首相直属の教育再生会議は、いじめ問題に8項目の緊急提言をまとめた。批判的な意見ばかりが耳に入ってくる。確かに「これはすごい。絶対にやってみるべきだ」と思える提言はなかった。でも、と思う。「いじめ撲滅へのもっと何か」など、最初からどこにもない。即効性があって、夢のような解決策はない。地道にコツコツとやるしかないのだ。その間に自殺していく子供は何人も出てしまうだろう。

 最初から妙手はないと分かっていて取り組んだ。だから「なあんだ、その程度か」とは言わない。例えば「見て見ぬふりをする者も加害者だと徹底指導する」などは、乱暴でむちゃくちゃな結論だと思うが、そこに踏み込んで行った迷走ぶりを想像すると、よっぽど紛糾して苦しんだはずだ。

 ならば、みんなで考えるしかない。たとえば、こんな実体験からも学べることはある。下校時、5年生の男子ばかり約40人が校門に集結していた。集団心理も加わり、1人の少年を待ち伏せしていた。少年が現れたが、グループは何もできなかった。たった2人の少年が付き添っていた。それでも40対3だ。ケンカになれば勝負は見えている。なのに誰も手は出せなかった。それは2人の圧倒的な人望、抜群のリーダーシップに、みんなが尻込みをしたからだ。

 なぜ、その子を守ったのか? 大人になってから聞いたことがあった。答えは簡単だった。「ただ、先生に『守ってあげてね、お願いね』って頼まれたからだ」。あっけない答えに「じゃあ、頼まれなかったら?」と聞くと「さあ? 何も知らなかったらそのまま帰っただろうな」。

 大切な教訓がある。その担任の先生の目は確かだった。その2人を選んだこととその頼み方。待ち伏せを知っていたこと。学年内の子供の力関係を正確に把握していた。この観察力が救ったといえる。
 何でもかんでも、先生がする必要はない。頼りがいのある子供、周りから一目置かれる子はどのクラスにもいる。その子に託すことがあってもいい。きっとその先生は、どこかで校門の様子を見ていたはずだ。

 子供の世界を知るには、現場の教師や、親の観察と判断に勝るものはない。子供が肌で感じ、日々塗り替えられていく勢力図を知るためには、子供の情報は欠かせない。子供の力を借りてもいい。時として子供が子供を救う。頼りになり、勇敢で信頼できる児童は、何十人もの大人以上の働きをすることだってある。

 「いじめを減らす『もっと』は何か」。それはいつだって子供の中にある。見る、話す、聞く、その繰り返しだ。人の議論の結末を批評するだけでなく、自分で思い巡らすことが大切だ。

December 3, 2006 09:57 AM

2006年12月02日

弱いから分かる痛み:村上久美子

 来年のNHK大河ドラマは井上靖原作の「風林火山」。武田晴信(信玄)に仕えた名軍師、山本勘助が主人公だ。勘助を演じるのは、舞台でも活躍する俳優内野聖陽。内野は、勘助役にあたり「この男は不遇の人。おれには力がある、と思いながらも、若いころは仕官もかなわず、持て余していた。そういう人だからこそ、信玄に出会い、成功したのだと思う」と、強いこだわりを語っている。

 勘助はそもそも、実在したかどうかさえ不明。軍師ではなく、伝令将校だったとする説もある。ただ、井上靖原作の「風林火山」では、目と足の片方が不自由で「背は低く顔は浅黒い異形の相」だったと記され、それが一般的な勘助像になった。姿形からして、コンプレックスの塊。内野は、それをバネに名を上げた男っぷりにひかれた。

 そういう意味で「風林火山」には、深い傷を自分の手でふさいだ女性も登場する。俳優柴俊夫、女優真野響子の1人娘で、大河で女優デビューする柴本幸が演じる由布姫だ。血縁の晴信に滅ぼされた諏訪頼重の娘。あえて自決せず、晴信の側室になり、男児を出産。後に家督争いを制して武田家を継ぐ勝頼だ。結果的に、諏訪家の血を武田家に残し、本懐を遂げている。

 内野が、柴本が、語る演者像を聞きながら、コンプレックスを乗り越えようとした直後、病に倒れた故若井小づえさんの姿が脳裏をよぎった。

 緑の帽子をかぶって「嫁にもうて~」。決して、ルックスはイケていなかった女性同士のコンビ、若井小づえ・みどりの小づえさんだ。大阪で生まれ育った記者は、子供のころから、よくコンビを見ていた。誤解を恐れず言えば、絶対に結婚できそうにない2人が、ひたすらけなし合い、最後は誰でもええから嫁にもろてくれ、と叫ぶ妙。典型的な関西風の自虐的な漫才だと思っていた。

 女性コンビのトップに君臨したが、あっけなく崩壊する。みどりの結婚。「モテない」ことが売りの両者に走った溝だけが原因ではない。片方が結婚すれば、もう1人に同情が集まる。お笑い芸に同情が入った時点で、客はもう笑えない。

 コンビは解散した。せっかく、ルックスを逆手にとって成功していたのに…。それでも、小づえさんはたくましかった。趣味だったヨガを生かして、兵庫・尼崎にヨガ教室を開校。マンツーマンで、ヨガを教えてもらったこともある。

 甲殻類のように体が硬い記者に、手取り足取り、3時間ほど根気よく付き合ってくれた。「できる人に教えてもしゃあない。できひんから、できるようになりたい思う。性格かてそう。ひねくれた人は素直になりたい思うし。でも、ひねてるから分かる気持ちいうのもあんねん」。

 弱者だから分かる痛みがある-。そう言っているように聞こえてきた。誰よりも弱いから、立ち止まろうとせずに前へ歩を進めてきたんだろうな-などと、あったかい心に包まれた気がしていた。その直後だった。舞台後の打ち上げで小づえさんは倒れ、そのまま亡くなった。手が震えてワープロが打てなかった。

 でも、勘助の、由布姫の生きざまが語り継がれるように、ささやかだけど、小づえさんのハートも記者の中にまだまだ生きている。

December 2, 2006 01:09 PM

2006年12月01日

オリックスの催しに7000人という現実:松井清員

 25日に行われたオリックスのファン感謝イベントに集まった観衆は、わずか7000人だった。イチローが在籍していた98年以来、実に8年ぶりのファン感謝イベント復活。だがフタを開けてみれば、11位楽天の1万7454人からも大きく引き離され、12球団で最も少ないファンの動員数だった。内、外野席ともにガラガラのスカイマークスタジアムを見回してみると、主催者発表の人数より、実際はもっと少ないようにも感じた。

 そして目を凝らして見ると、防寒着をまとったファンは客席で震えていた。最高気温10度の天候のせいだけではない。フェンス越しのスタンドから、じっとグラウンドでのイベントを“眺めているだけ”だったからだ。メーンは地元女子高生VSオリ