記者コラム「見た 聞いた 思った」

2006年11月06日

変わると変えたの差:藤中栄二

 Jリーグは浦和が首位を走る。残り5試合となってG大阪、川崎Fなどと優勝争いを繰り広げている。熱狂的なサポーターで有名な赤いチームは、今や実力でJリーグの中心にいる。04年、05年は全大会で常に4強を確保した。そんな浦和に接し、3年前、自分が抱いた考えは間違っていたことを、あらためて思う。

 03年11月3日、現場で衝撃が走った。浦和がナビスコ杯決勝で鹿島を下した。初タイトルを手にした直後、取材していた同僚記者から「会見でオフト監督が今季限りの退団を表明した」との報告に驚くしかなかった。決勝前に犬飼社長(当時)がオフト流に限界を感じ、契約更新しないことを決断。なぜか森GM(当時)が決勝前に同監督に伝えていたことで起きてしまった「事件」だった。

 辞めたがっていない優勝監督を変える必要があるのか。前日本代表監督のジーコ氏も言っていた。「勝っている時は何も変える必要がない」と。選手起用もチーム編成も同じだろう、と疑問を抱いた。当時のオフト監督は浦和の強化3年計画の2年目。タイトルを手にし、来季は飛躍の年になるはずだった。後任監督となったブッフバルト氏は当時、トップクラブの監督経験がなかった。しかし犬飼社長は、迷いなく変えた。

 現在の浦和を見れば、変えたことが「節目」になったことが分かる。現ブラジル代表のドゥンガ監督も言っていた。監督はもちろん、コーチ経験もない同氏は「では、経験があれば勝てるのか」と言い放った。まさに、その通り。経験がないブッフバルト監督が浦和を常勝軍団につくり上げた。過去のデータや指導経験は監督業に関係ない。変えたことで浦和が強くなったことも証明してみせた。

 今の浦和を見れば代表クラスがそろう。一部には「オフト体制とは違い、大型補強で選手層が厚くなったから」との声もある。ただ自分は、その意見に否定的だ。96年の磐田も代表選手の集合体だった。中山、藤田、名波は日本代表、服部、鈴木、田中は五輪代表だった。さらにスキラッチ(イタリア代表)ドゥンガ(ブラジル代表)ファネンブルグ(オランダ代表)もいた。各国代表が主力だったが、タイトルには縁がなかった。この磐田を指揮していたのは皮肉にもオフト監督だった。

 変えることは簡単ではない。仕事や生活の環境を変えれば、慣れるまでに時間が必要になる。不透明な未来を感じながら、知らない世界に飛び込むことはストレスと不満が伴う。好調な時ほど、なおさら変えることを躊躇(ちゅうちょ)してしまうものだ。ただ03年と06年の浦和を比較すれば、あらためて大胆に変えることの意味が分かる。

 今月から自分も取材先が大きく変わった。格闘技の世界を離れ、サッカーを担当することになった。自分の意志ではない。変わったのであって、変えたわけではない。担当替えを知り、以前、恩師から聞いた言葉が思い浮かぶ。

 「変えるは一時の苦労、変えぬは一生の苦労」。

 自分も変わったのではなく、変えたと思いたい。いつか笑顔で振り返るような「節目」にしたい。

November 6, 2006 12:02 PM