2006年11月02日
新庄に見た「超二流」:村上久美子
有言実行。プロ17年、打撃タイトルを1度も取ることはなかった新庄剛志が、華々しく野球人生を終えた。彼の言った通り「記録より記憶に残る」選手だった。26日の日本シリーズ第5戦。涙の最終打席を見ながら、いったい、新庄は一流だったのか、二流だったのか-。頭を悩ませた。
というのも、関西で活躍するタレントで上方落語家、月亭八方の「超二流論」を思い出したからだった。
八方とこんな会話をしたのは、5~6年ほど前だったか。「オレの持論はな」と語り始めた超二流論。「超一流なんて神様が決める。一流になれんのかて、限られた人間だけや。あとは一流気分か、二流ばっかりや。でも知ってるか? 超二流には、努力すりゃだれでもなれんねんで」。
野球好き、究極の阪神ファンとして知られる八方は、野球選手を例えに出した。「みんな、松井(秀喜)やイチローになりたい思うても、なれん。でもな、和田(当時阪神内野手)にはなれるかしれん」。メジャーで活躍する超一流の2人と、暗黒時代タイガースの唯一の“プロ”だった和田豊を引き合いに語った。
和田といえば、一・二塁間にショートまで3人が入る和田シフトをはね返し、徹底した右打ちで単打を重ね、プロ生活17年で通算1739安打。タイガース生え抜きでは藤田平、吉田義男に続き歴代3位の安打数を残した。88年には、日本記録の56犠打(当時)も達成したが、91~93年まで規定打席に到達しながら本塁打0の珍記録も持つ。同時期には新庄もタイガースにいた。背走キャッチにスーパー補殺、敬遠球をサヨナラ打…華やかさは新庄に譲ったが、堅実な守備、重くしたバットを球にぶつけるように打ち、非力をカバーした泥臭い打席の和田に、記者も共感していた。
八方の言う通り、凡人には松井のように放物線を描くアーチを連発することも、イチローのように全身バネのような肉体も持ち得ない。でも、和田にはなれるかもしれない-。あの時、いたく感銘を受けた。
背景には、八方が体験した挫折がある。漫才ブーム以後、明石家さんま、島田紳助らが続々と東京進出に成功していた。八方もかつて、東京に拠点を移したことがあった。しかし、仕事は皆無。吉本興業の幹部は「あんな、東京だけが仕事ちゃうで。人には合う合わんがある。もういっぺん、大阪でやり直してみい」と言ったという。
その後、再び故郷の大阪に拠点を移し、1週間ほとんどの曜日でレギュラーを持つまでの売れっ子になった。あの時、八方は決めたそうだ。「東京が一流、大阪が二流やったら、一流の中で下の方、ウロウロするより、二流を極めたろ。超二流になったんねん」。ある時期、毎日、関西のどこかのテレビ局に出演していた八方は、まさしく有言実行したのだった。
昨年4月、東京に転勤となった記者は、電話であいさつし、車を近畿道から名神、東名へと走らせた。「そうか、一流やな」とちゃかされたが、東へ進むほどに、二流のプライドと、超二流への誓いがふつふつと沸き上がってきた。それでも1年半のうち、熱さが冷めていたのも事実。そんな中、新庄が涙しながら三振した最終打席、それでもチームが日本一になる強運を見せられ、この男も超二流だったと思った。八方の言葉が脳裏によみがえった。超二流の道はまだまだ遠く、険しい。
November 2, 2006 11:23 AM
