2006年10月29日
大切なスローボール:山内崇章
たまには笑って迎えてほしい。いつだって泣きじゃくって視線を送ってくる。普通の泣き方じゃない。子供みたいに、顔をしかめて。再会のひとときを和ませてくれたことは1度もない。病院へ向かう前は気分も高まるが、必ずといっていいほど、期待は裏切られる。ため息を落とし、後ろ髪を引かれる思いで病室を出るのがいつもの流れだ。
年に1度、帰省すれば会いに行くのが恒例だ。もうすぐ還暦を迎えようとしている叔父の病院生活は20年を超えた。「佐々木さん、おいっ子さんが来たよ!」。看護婦さんが体をゆすって呼び掛けると急に悲しい顔になって泣き始める。うれしくて泣いているのか、起こされて機嫌が悪くなったのか、今の自分を僕に見せたくないのか。気を取り直して僕が話し掛けても、体をこわばらせて言葉にならぬ声を上げるだけだ。
◇ ◇ ◇
僕は極端に手加減した緩い球を投げた。蚊の止まるような、山なりのスローボール。左バッターボックスに立った叔父が薄ら笑いでやじを飛ばしてくる。「お前、本当に野球部に入ってるの。全然ダメ。プロなんか絶対ムリ」。そうやっていつもムカつく言葉を並べ立てる。「じゃあ、その体で、その腕だけで、オレがマジで投げる球を打てるのかよ」。のど元まで出掛かった言葉を必死にのみ込んだ。
小5の僕の速球は相当イケていた。父親チームとの練習試合でも奪三振ショーを演じたぐらい。「その投げ方じゃムリ」。挑発に乗った僕は全力投球に切り替えた。案の定、左腕だけで振るバットは2球、3球と空を切った。「もう三振なんですけど…」。辛口を言う僕を無視して叔父は黙って構え続けた。少しだけ手を抜いた球を打ち返すと、また見下した顔。「甘いなあ」。もうどんな言葉も返す気にはならなかった。
◇ ◇ ◇
叔父は新聞配達員だった。幼いころ、農作業をしていて機械に右手を巻き込まれた。以来、不自由な生活を送ってきた。自転車に乗り、雨の日も雪の日も配達に出掛けた。アパートの前に置かれた自転車を見るたびに胸が痛んだ。かわいそうというか、理不尽というか、小5だった僕は、どうしようもなく切なくなった。こんな不幸せってあるのだろうか。僕が中学生のとき、配達中に転倒して脳挫傷を負った。以来ずっと、叔父は病院から動けなくなった。
意識はあるのか。泣いている理由が分からないだけに悲しい。それでも僕が叔父に会う回数はこれからも数える程度だろう。365日、叔父の姉である母と叔母が交代で着替え、入浴、洗濯をしに病院を訪れている。そのたびに弟の涙を見る姉2人はどんなにつらいだろう。思い出は僕以上に深く刻まれているはずだ。
要介護5。自分では動くことも意思を伝えることもできない叔父は、保険や国の手当で介護を受けている。それでも社会制度がすべてをクリアしてくれるわけではない。大切なのは叔父の顔を温かく見守る心の豊かさ。泣き声にも動揺せず、やさしく対応する寛容さ。何を言われようとスローボールを投げ続けるぐらい、今度はこちらが上手にならないと。いたわりの心を持ち続けたい。会って悲しい顔をするのはもうしない。次こそは、そう心に決めて叔父の肩をたたいた。
October 29, 2006 09:44 AM
