記者コラム「見た 聞いた 思った」

2006年10月19日

悔しくても次がある:山内崇章

 野球少年の心はくすぐられっぱなしだった。「オレ、牛島。お前、香川。ちゃんとオレの球を捕ってよね」。丸い体で奮闘するドカベン香川の存在が、小さなエースをより際立たせているようだった。79年、浪商(現大体大浪商)の2人が甲子園を沸かせた夏。僕はクラス一恰幅(かっぷく)のいい友人を誘って野球部に入った。仲間の1番人気は香川でも僕は違った。小さな体でクールに投げる牛島にひかれて野球を始めた。

 マウンドに立つ牛島の目は試合終了の瞬間まで一貫していた。打ち取っても、打たれても、肝を冷やすようなピンチでも。敵を冷たくにらみ淡々と投げ続ける姿が僕の心を刺激した。たとえ勝負の行方が決しても、牛島の目は変わらない。勝っても、負けても。うれしくても、悔しくても。

 記者として牛島さんに出会って以来、あのクールな振る舞いの理由を聞かずにいられなかった。「顔に出したら心を読まれるやん。敵に自分を教えるわけにはいかんやろ」。春に準優勝、夏は準決勝敗退。「負けても泣かんかったなぁ。春はまだ夏があった。夏も親と会ったときだけホロっとしたけど球場では涙が出てこんかった」。悔しさは残っても、終わりではない。「ここからここまでは終わっても、それから、がある」。長い野球人生でずっと持ち続けた信念だった。

 86年12月。中日のクローザーとして実績を残しながら電撃的にトレードが発表された。テレビで見た悲劇のヒーローは、ここでも冷ややかな目で感情を押し殺していた。通告から丸2日悩み抜いた。拒否も考えた。悔しくて眠れなかった。立ち直れたのは「次がある。必要としてくれる場所がある」と言い聞かせたから。「会見前に自分で決めたんや。悔しいけど絶対に感情を顔に出さんって」。

 まだオープン戦が始まったばかりの3月。新幹線の車中で監督2年目の決意を聞いた。「勝負の世界で負けたら責任を取るのが当然。そのぐらいの気構えがないと戦えない」。今年の横浜は勝てない日が続いた。追いついても追い越せない。打っても守りきれない。若いチーム特有のちぐはぐな展開も目立った。輪を掛けて故障者も続出した。

 この1年、たった1度だけ苦しい胸の内を漏らしたことがあった。「こんなに長い1年はないわ。2ケタも借金があって、悔しいし、勝たせたいし…」。シーズン後半、原因不明の腹痛に悩まされた。不眠、ストレスが体に障った。それでも、淡々と負けた事実と向き合った。試合後の記者会見を1度たりともおろそかにしなかった。悔しくても、恥ずかしくても負けは負け。ポイントを整理し、反省点を語り続ける責任から逃れることはなかった。

 誰の人生にも、負けるときはある。むしろ負け数の方が圧倒的ではないだろうか。サラリーマンもそう。任された仕事には常に結果が求められる。他紙にニュースを抜かれたときは、隠れたくなるほどの羞恥(しゅうち)心を覚え、自分の未熟さを責める。だけども「負ける」ことは「終わり」ではない。2度と負けたくない。そんなエネルギーも黒星から生まれるような気がする。

 牛島さんは球場を去った。だけども…。いつかまた、球場に帰って来てほしい。今はファンの1人に戻って、牛島さんの続きを心待ちにしている。

October 19, 2006 11:51 AM