記者コラム「見た 聞いた 思った」

2006年10月10日

伊志嶺監督の不安と期待:浜崎孝宏

 高校生ドラフトで、ロッテから1巡目指名を受けた八重山商工の150キロ右腕、大嶺祐太投手(3年)の取材に携わった。同僚からは現場の生の実情を聞かれ、結論は避けたが、知ってほしいこともあった。

 大嶺の「育ての親」といわれる伊志嶺吉盛監督(52)の思いだ。ドラフト当日、同監督は予想外のロッテからの指名に表情を硬くしたが、ロッテが好き嫌いの問題ではない。精神面でもろさを見せる大嶺が高校卒業後、競争社会に飛び込んで失敗する姿を想像したくなかった。ソフトバンクに思いがあったのは、高校1年からホークスの担当スカウトが目を付け、大嶺のそんな弱さを十分知っているからだった。育成面で預けても大丈夫だと思っていた。監督の本意は、社会人野球であいさつなど礼儀作法、お金の使い方などをもう少し勉強させたかった。

 2人の付き合いは11年にも及ぶ。小学2年の大嶺少年が、公園で野球を楽しむ姿があった。当時、少年軟式野球「八島マリンズ」の指揮を執っていた同監督は、グラウンドの片隅を提供し、遊ばせた。大嶺が、家庭事情で3歳から祖父母に育てられたことも知った。伊志嶺監督は、どんな悩みでも1人で解決している大嶺少年の“親代わり”を買って出た。大嶺が小学3年のときだった。

 大嶺の祖父武弘さん(68)は当時の様子を涙ながらに話した。「監督さんが(大嶺)祐太をオレにくれ、と言った。本当の父親以上に一生懸命、祐太に野球を教えてくれた。死なない程度にビシビシ鍛えてやってくれ。(祐太を)やると言った。監督さんは神様以上の存在…」。早朝練習に“無断欠席”が続くと監督は、大嶺の枕元まで何度も起こしにきた。小学6年のとき脱線して、ゲームセンターに入り浸りの大嶺を祖父の前に連れ戻し、ビンタしたこともあった。

 大嶺と出会った同年。伊志嶺監督は、母親を病気で亡くし、事故で長男球太さん(享年20)を失った。多くは語らなかったが「大嶺には特別な思い入れがある」と言った。悲しみのどん底だった監督は、家庭環境の複雑な大嶺に何か通じるものを感じたのだろう。「野球を辞める」。大嶺が弱音を吐いたことは数え切れない。その度に説得し、道を正してきた。「好きにしろ、と思ったことは何度もある。でも、じいさんに祐太は絶対、上(プロ)に行かせるからと約束したから」。監督は大嶺を辛抱強く育てた理由をそう話す。

 先日、ロッテの指名あいさつがあったが、スケジュールの都合がつかず、監督は残念ながら欠席。ロッテ側も伊志嶺監督同様、大嶺を大事に育てたいし、人情味あふれる瀬戸山球団代表や永野スカウトもいる。ファンや、球界発展のために逸材をプロで早く活躍させたいと思っているはずだが、2人の関係を知る人は、“息子”の晴れ舞台に立ち会えなかった監督の胸中を察したことだろう。

 ネットで事実無根の「伊志嶺バッシング」をみると取材した者にとっては心が痛い。何よりも大嶺がプロのマウンドに立つ姿を心待ちにしているのは、伊志嶺監督にほかならない。大嶺にプロへのあこがれがあるのは間違いないが、今まで苦労を掛けてきた“恩師”の不安を取り除けるよう、じっくり話し合ってほしい。

October 10, 2006 01:58 PM