記者コラム「見た 聞いた 思った」

2006年10月31日

ひちょり意外な活躍:村上秀明

 日本ハムの興奮は意外なところにも波及していた。44年ぶり日本一は、多くの北海道民に夢、感動を与えたのは間違いないが、あるマイナースポーツにも「感激」と「刺激」を与えていた。プロ野球とは、まったく異なった競技といえるスピードスケート界だ。

 日本一決定の翌日、長野・エムウエーブで全日本距離別選手権の公式練習が行われた。北海道出身者が多く、会場に行くと顔見知りの関係者から握手を求められるなど、自然と日本ハムの話題があがった。テレビ観戦したという選手は多かったが、話題の中心は引退試合だった新庄剛志外野手より、圧倒的に森本稀哲外野手だった。

 なぜか? ビールかけの映像で、スピードスケートの競技用ワンピースを着ていた姿が映し出されたからだ。スポーツ用品メーカーのミズノが、日本ハム選手側の「北海道らしいものでもっと目立つものを」というリクエストにこたえ、数種類のアイテムを準備。「ジャンプスーツもあったようです」(ミズノ広報)という状況の中、森本がスピードスケート用を選択していた。そんな姿に「親近感がわいた」とスケート関係者は口をそろえた。

 「日本ハムには勇気を与えられた」と話したのは帯広市出身で、長野五輪金メダリストの清水宏保だ。「マッサージそっちのけで試合を見ていた。森本選手は(スケート競技用の)サングラスも付けていたし格好はばっちりでしたね」と、ワンピースの着こなしに合格点を与えていた。

 トリノ五輪で選手団主将を務めた岡崎朋美(清里町出身)は「ひちょりさん、すごい感激です。北海道ならジャンプの格好かなと思っていたけど、スピードスケートなんて。会場で待っています」と熱烈ラブコール。森本自身は「笑い」の演出用だったかもしれないが、「間接的に競技PRをしてくれた」と大まじめに喜ぶスケート関係者も多かった。

 スピードスケートは冬季競技の中では、過去に多数の五輪メダルを獲得した花形だが、マイナースポーツのイメージをぬぐえていないことは関係者も認識している。特に五輪直後のシーズンは、どうしても注目度が下がってしまう。だからこそ、ファン開拓のアクションの必要性を、新庄を筆頭とする日本ハムから感じ取っていた。日本スケート連盟の鈴木恵一スピード強化部長は「ああいうエンターテインメント性は大事だよな」と刺激にしていた。

 水面下では、ファン拡大のための改革の動きが始まっている。チアリーディングチームが競技の合間に競技を披露するなどのコラボレーションを考案中。まだ正式な形にはなっていないが、どこまで可能か現在、検討している。スケート場の気温が低いことなどクリアする面は多いが、集客作戦の動きには違いない。

 数万人のファンが集まる大会もあるスケート王国オランダでは、楽団がポップな曲を奏でながら会場内を歩き回り、ファンを飽きさせない。本拠地の札幌ドームに4万人を超すファンを集めた日本ハムも、試合以外でも観衆を楽しませた。「喜んでもらえるなら着ぐるみでも着ますよ」と岡崎。刺激を受けたスピードスケート界の改革に期待したい。

October 31, 2006 11:32 AM

2006年10月30日

ちゃん+こ鍋の魅力:浜崎孝宏

 鍋の季節がやってきた。11月に入れば福岡の街にも、季節の風物詩ともいえる大相撲九州場所が福岡市内で開催され、町のあちこちで力士を見掛けるようになる。相撲といえば、真っ先に想像してしまうのが、ちゃんこ鍋。鍋だけじゃなく、ハンバーガー、パスタなど業界内では食事全般のことを指す言葉だそうだ。

 ちゃんこの言葉の由来は諸説あるようだが、かつて親のことを「ちゃん」と呼んだ時代があり、親同然でもある部屋の親方が子供同然の力士に鍋を食べさせることから「チャン+コ」と認識されているのが一般的。一説には、江戸時代初期に中国から長崎に伝わったごった煮風の中華鍋が、ちゃんこ鍋の始まりではないかという説もあるらしい。

 ちゃんこ鍋が、具を入れて、煮たもので味にさほど変化はないと思ってらっしゃる人もいるでしょうが、部屋によって伝わる味付けはかなり違うようだ。例えば九重部屋では、塩ちゃんこで、煮込んだ野菜から出る水分も計算して味が薄まらないように塩を多めに入れたりと工夫がみられる。また、佐渡ケ嶽部屋は、みそちゃんこ。ほかにも、ちゃんこ鍋をもてなす料理店をのぞくと、カレーちゃんこ、しょうゆちゃんこ、などバラエティーに富んでいる。ダシが違えば、具材は似ていても味がこうも変わるものかと食べた経験のある人は感じるはずだ。

 福岡市内にある元関取千代の海の岡部茂夫店長(61)に話を聞いたところ「番付が下のころは、兄弟子たちが食べ終えた鍋をのぞくと、雑炊もできないくらい何も残ってなくてね。最初に具がいっぱい入った鍋を食べてやろうと思ったもんだよ」と、ハングリー精神を培った現役時代を話してくれた。通常、各部屋では朝げいこの後、若手がつくったちゃんこ鍋を親方─関取と番付上位から順番に食べていくそうだ。

 大柄なお相撲さんが、食する鍋だけにカロリーが高そうな気もするが、あるちゃんこ料理店の関係者は「ちゃんこ鍋は、カロリーもそんなに高くないし、健康食なんですよ。しっかりした食事をしないとけがをしやすくなるのではないでしょうか」と話した。言われてみれば、野菜、魚介類がたっぷり入った豪華版“みそ汁”なのだ。

 弱い力士のままでは、いつまでたっても、鍋底をにらめっこ…。そんな屈辱から脱却するには強くなるしかないのだが、親方の経験を聞いたり、兄弟子からいろんな話を聞けたりと、輪の中ではハングリーさを養う“下克上鍋”に加えて“和”も生まれるような気がする。

 同じ釜の飯を食べた間柄…と、親しい関係の人をそう表現することがあるが、顔をつき合わせて鍋を囲み、コトコトと煮立った具を箸(はし)でつつけば、自然とコミュニケーションが図れるというもの。

 世間では痛ましい事件が起きているが、いかなる事件でも、コミュニケーション不足が、最悪のケースを招く要因の1つとなっているように思う。健康食で、お相撲さんの食べるちゃんこ鍋は、家族でも、仕事仲間でも、お互いの良さを再発見できる魅力があるように思うのですが。

October 30, 2006 11:18 AM

2006年10月29日

大切なスローボール:山内崇章

 たまには笑って迎えてほしい。いつだって泣きじゃくって視線を送ってくる。普通の泣き方じゃない。子供みたいに、顔をしかめて。再会のひとときを和ませてくれたことは1度もない。病院へ向かう前は気分も高まるが、必ずといっていいほど、期待は裏切られる。ため息を落とし、後ろ髪を引かれる思いで病室を出るのがいつもの流れだ。

 年に1度、帰省すれば会いに行くのが恒例だ。もうすぐ還暦を迎えようとしている叔父の病院生活は20年を超えた。「佐々木さん、おいっ子さんが来たよ!」。看護婦さんが体をゆすって呼び掛けると急に悲しい顔になって泣き始める。うれしくて泣いているのか、起こされて機嫌が悪くなったのか、今の自分を僕に見せたくないのか。気を取り直して僕が話し掛けても、体をこわばらせて言葉にならぬ声を上げるだけだ。

  ◇  ◇  ◇  

 僕は極端に手加減した緩い球を投げた。蚊の止まるような、山なりのスローボール。左バッターボックスに立った叔父が薄ら笑いでやじを飛ばしてくる。「お前、本当に野球部に入ってるの。全然ダメ。プロなんか絶対ムリ」。そうやっていつもムカつく言葉を並べ立てる。「じゃあ、その体で、その腕だけで、オレがマジで投げる球を打てるのかよ」。のど元まで出掛かった言葉を必死にのみ込んだ。

 小5の僕の速球は相当イケていた。父親チームとの練習試合でも奪三振ショーを演じたぐらい。「その投げ方じゃムリ」。挑発に乗った僕は全力投球に切り替えた。案の定、左腕だけで振るバットは2球、3球と空を切った。「もう三振なんですけど…」。辛口を言う僕を無視して叔父は黙って構え続けた。少しだけ手を抜いた球を打ち返すと、また見下した顔。「甘いなあ」。もうどんな言葉も返す気にはならなかった。

  ◇  ◇  ◇  

 叔父は新聞配達員だった。幼いころ、農作業をしていて機械に右手を巻き込まれた。以来、不自由な生活を送ってきた。自転車に乗り、雨の日も雪の日も配達に出掛けた。アパートの前に置かれた自転車を見るたびに胸が痛んだ。かわいそうというか、理不尽というか、小5だった僕は、どうしようもなく切なくなった。こんな不幸せってあるのだろうか。僕が中学生のとき、配達中に転倒して脳挫傷を負った。以来ずっと、叔父は病院から動けなくなった。

 意識はあるのか。泣いている理由が分からないだけに悲しい。それでも僕が叔父に会う回数はこれからも数える程度だろう。365日、叔父の姉である母と叔母が交代で着替え、入浴、洗濯をしに病院を訪れている。そのたびに弟の涙を見る姉2人はどんなにつらいだろう。思い出は僕以上に深く刻まれているはずだ。

 要介護5。自分では動くことも意思を伝えることもできない叔父は、保険や国の手当で介護を受けている。それでも社会制度がすべてをクリアしてくれるわけではない。大切なのは叔父の顔を温かく見守る心の豊かさ。泣き声にも動揺せず、やさしく対応する寛容さ。何を言われようとスローボールを投げ続けるぐらい、今度はこちらが上手にならないと。いたわりの心を持ち続けたい。会って悲しい顔をするのはもうしない。次こそは、そう心に決めて叔父の肩をたたいた。

October 29, 2006 09:44 AM

2006年10月28日

ハワイ人ビー玉お京:寺沢卓

 15日、ハワイをマグニチュード6・6という激しい地震が襲った。地震発生直後は連絡が取れなかったが、後日、国際電話でオアフ島在住の日本人女性と話すことができた。相楽晴子さん。20年前にフジテレビのドラマ「スケバン刑事2」にレギュラー出演し「ビー玉のお京」役で人気を博した元アイドルだ。

 相楽さん 地震は朝7時ごろで爆睡中でしたね。夢の中で、電車がものすごい勢いで通り過ぎるなぁとウトウトして…ああ、近くに線路なんてないや、と不自然な気持ちになって、大きなトラックかな? と思い直して目を開けたら家全体が揺れていて、ようやく地震と気付きました。

 豪快だ。聞いていて思わず笑ってしまった。

 ハワイはようやく見つけた安住の地という。92年にロサンゼルスで写真集の撮影をし、その際にコーディネーターをしていたゲイリー・ヘインズ氏と知り合って恋に落ちた。遠距離恋愛の末に95年に結婚。当初はロスに住んでいた。英語も十分できす、レストランで注文すら取りにきてくれない差別も受けた。精神的に疲れ切っていた時期だった。

 ようやく生活に慣れてきた01年9月11日、米中枢同時テロが発生した。飛行機に乗るたびに不安がつきまとった。同時テロから2年間悩み抜いて、7年住んだロスを離れ、3年前にオアフ島に引っ越した。サーファーだったゲイリーさんが、かつて3年間住んだお気に入りの島だった。

 それまでハワイを訪れたことはなかったが、いい印象はゼロ。年末年始になると取材されることを分かっていながら「カメラ向けないで」などという芸能人ばかり。ブランド品を買いあさり、ゴルフざんまい。

 ところが住んでみると、近所の住民からも歓迎され、ロスで味わった孤独感はなかった。自然に囲まれていたことや、アウトドア好きな夫の影響ですっかりキャンプ大好き人間になってしまったという。

 地震直後、外に出て家の中を点検すると電気がつかない。停電だ。ハワイでは台所のコンロも電気なので、家の中では何もできなくなってしまった。

 相楽さん キャンプ道具があったから、家の前でご近所さんと一緒にバーベキューで夕ごはんにしたの。電気は全然つかなかったから、そのまま寝ちゃったんですけど、翌朝には復活してました。もし停電が続くようなら海岸にテント出して、魚でも釣って、自生しているバナナやパパイアを食べて、なんとかなるかなぁ~、と思ってましたね。

 電話口ではあるが、自然の中で生活しているたくましさを感じた。同時に心の余裕も伝わってきた。今は夫の仕事を手伝っていて、芸能活動はしていない。南野陽子らとセーラー服で活躍した相楽さんも38歳。日本の政界の黒幕と対決した「ビー玉のお京」は、地震にも動じない立派なハワイ人になっていた。

October 28, 2006 09:22 AM

2006年10月27日

採点の模範解答ない:藤中栄二

 模範解答が欲しいのは、自分だけだったのか。そう思った瞬間、笑ってしまった。きちんとした答えが必要なんて、誰も決めてはいない。最初から「ない」と思えば、深く考えることではなかったのかもしれない。

 9月27日、東京・後楽園ホールで世界ボクシング協会(WBA)の東京総会の一環として開催された審判セミナーを取材した。WBA世界ライトフライ級王者の亀田興毅が8月の初世界戦で微妙な判定勝利をしたことを契機に現在の採点法が注目を浴びた。クローズアップされた採点基準。そんな世界戦を見極めるプロの目を体感できる絶好のチャンスだった。

 セミナーは実戦形式で行われていた。WBA審判委員会の幹部が音頭を取り、リング上で2人の選手がさまざまなケースの試合展開をデモンストレーションした。そのリングサイドで世界各国のジャッジが独自の採点を記入していた。当然、採点には「ばらつき」が出る。司会に指名された各ジャッジは自らの採点理由を堂々と発表した。数人のジャッジが発言した後、固唾(かたず)をのんだ。ついにWBAの採点基準=解答が示されるに違いない。しかし、大きく予想に反する展開が待っていた。

 WBA審判委員会は発言した各ジャッジの採点理由をすべて支持した。赤コーナーを10-9にしたジャッジに「確かにその通りだ」。青コーナーを10-9にしたジャッジには「なかなかいいところをついている」。あるいは10-10にしたとしても「そんな考え方もあるね」とすべて尊重し、そのままセミナーは終了した。さまざまなケースを実戦で見せながらもWBA側
の基準=模範解答は1度もなかった。

 なぜケース別の基準を示さないのか。ルイス・パボン審判委員長に取材した。

 パボン氏「世界の地域によって採点にばらつきがある。このセミナーをやることで採点基準を統一する1ページにしていく」。

 だ・か・ら、ケース別の基準はないの?

 同氏「いろいろな採点を意見を出してボクシングの見方が違うと認識することが第1歩になる」。

 世界戦ルールで明記した以上の基準は示さず、細部はジャッジ全員で統一するように努力すればいい、ということだった。

 セミナーで世界各国のジャッジから細かい採点基準を求めるような声は出なかった。「さまざまなケースがある」と認め合う雰囲気を感じた。世界戦を裁くプロが気にしていないということを何度も質問したところで明確な返答はない。だんだん取材している自分が「おかしい」と感じてきた。模範解答を求めていた自分に笑いがこみ上げた。

 ある読者から匿名で「8月2日は採点方法がおかしいのではなく、亀田戦の判定に疑惑があるのだ。論点のすり替えだ」との手紙をいただいた。あの8月2日から2カ月以上が経過したが、疑惑の判定とした一部のメディアも具体的な疑惑を明示も究明もしない。そして、採点方法には具体的な模範解答がない。微妙だったかもしれないが「さまざまなケースがある」。それでいいのではないか。

October 27, 2006 11:05 AM

2006年10月26日

理解しがたいJRA:岡山俊明

 ディープインパクトが調整不足を理由に天皇賞(秋)を回避した。当初から出走の可能性が限りなくゼロに近かったにもかかわらず、発表がレース1週前まで延びたのは残念でならない(前回の当欄で指摘したように、東京競馬場で着地検査を受けた最大の目的は、厩舎スタッフの手で管理できるメリットがあるから)。

 回避発表の遅延で、迷惑を被った馬もいる。菊花賞7着のマルカシェンクは、距離適性のある天皇賞に出走を希望していた。補欠1番手だから、賞金上位馬から1頭回避馬が出れば出走できた。が、ディープインパクトの出否が未定だったため、やむなく菊花賞に向かい、敗れた。マルカシェンクの瀬戸口調教師は池江泰郎調教師に電話で真意を確かめようと試みたが、はっきりした回答は得られなかったと聞く。報道陣も振り回された。各所に迷惑が掛かっている。

 今回の混乱の原因は、競馬場入厩にはレース出走意志を有していなければならないという、JRAの内規にもある。出走意志とは極めてあいまいだから抜け道として利用された。このままでは同じことが繰り返される。天皇賞騒動は一段落したが、まだ重大な問題が残っている。フランスでディープインパクトに薬物を投与した人物も、投与された経緯も、調教師が認識していたのか否かも明らかになっていない。調教師の過失を断定する仏の競馬統括機関フランスギャロの見解が一方的に流されるだけで、日本側から真相に迫る説明は何もない。

 フランスに同行した日本人獣医師は、守秘義務を理由に黙した。調教助手も厩務員も話せない。責任者である調教師が口を開かない限り、真相は薮の中。池江師は薬物事件に関するコメントを、処分が出る来月末まで保留する意向だが、潔白を主張するのであれば待つ必要はない。公の場で事の経緯を説明してほしい。

 JRAの対応も理解しがたい。あれだけ救世主として持ち上げながら、手のひらを返して容疑者扱い。高橋政行理事長は事件が明らかになったその日に「栄誉ある凱旋門賞に汚点を残す結果」と辛らつに非難した。独自の聞き取り調査によって陣営の非を決定づけているのであれば、その詳細を明らかにしなければファンは納得できない。自国の英雄を擁護する余地は全くなかったのだろうか。

 気管拡張効果のあるイプラトロピウムは日本では禁止薬物に指定されていないから、仮に常習していても宝塚記念までの戦績に傷はつかない。しかし、今回の事件でダーティーなイメージを抱いた人は決して少なくないだろう。過去に五輪で記録やメダルをはく奪された選手たちと同じように考えたとしても不思議ではない。

 わだかまりを残したまま、ジャパンCや有馬記念に出てほしくない。ディープインパクトや応援してくれたファンのために、どうすればいいのか。その答えを導き出すことが、関係者の使命ではないか。

October 26, 2006 11:18 AM

2006年10月25日

入札が生む明暗:沢畠功二

 毎オフ恒例と言っては何だが、ポスティングシステム(入札制度)を巡るメジャー移籍の動きが本格化してきた。19日にはヤクルト岩村明憲内野手(27)が球団の了承をもらい、4年間の主張がようやく通った。この制度では、容認するか否かの権利は球団にある。そのためにもめることが多いのだが、今回は至ってスムーズに進んだ。まれな例である。

 第3者の勝手な見方だが、何が何でもメジャーに行くだろうな、と感じたシーンがあった。7月25日、いわき(福島)での横浜戦。3点リードの5回無死一、二塁、送りバントを命じられると、明らかに戸惑っていた。試合後、「サインか」と報道陣に聞かれると、「知るかっ、そんなものっ」と怒りをぶちまけた。

 采配批判とも受け取られかねない言動。あえて記事にはしなかった。巨人、阪神のような人気球団にいたなら間違いなく、翌日には「監督批判」という見出しが紙面をにぎわせたことだろう。この件が去就に影響した可能性はゼロだろうが、チームに残ることはないなと確信した。

 決まったからには、今後を温かく見守ろう。ヤクルト本社ロビーで晴れ晴れと会見する姿を見ながらそう思う一方で、目の当たりにしてきた過去の泥沼を思い出してしまう。巨人担当時代には上原、入来、昨オフはヤクルト石井弘。制度として認められながらも、1度の話し合いでまとまり、球団が「はい、分かりました」などと容認したケースはこれまであっただろうか。

 球団間にある温度差。かつて巨人清武球団代表は「今の制度が続けば、日本のプロ野球の崩壊につながって、FA制度の形がい化につながっている」と話したことがある。一方でヤクルト多菊球団社長のように「夢を応援してあげたい」と理解を示すフロントもいる。球団内ですら、西武のように森(デビルレイズ)はオーケーだが、松坂はダメというケースも生じる。

 FA制度がある中で、少しでも早く移籍しようと、入団から数年で行使を希望する選手は後を絶たない。球団には移籍金収入というビジネス的側面があるが、選手からすれば最高入札提示球団以外とは交渉できないなど移籍の自由に関する問題もある。ならば廃止して、FA取得までの年数を短縮すればいいのか。これにはドラフト改革、さらには球団経営も絡んでくるため、一筋縄ではいかない。そして何よりも、もめた後に残るのは選手のイメージの問題。仮にそれが第3者が介入していても、だ。

 9月下旬、左肩手術を決断した石井弘と神宮クラブハウスで会った。現場の意向を受け入れる形で残留を選んだが、ここまで野球人生が変わるとは思わなかったろう。「1日も早く治るように…」としか声を掛けられなかった。今ごろメジャースカウトへ最後のアピールをしているはずだった。キャンプ直前まで交渉が続き、体のケア、練習に集中できなかったのではないだろうか。結果、WBC期間中に左肩を痛めてしまった。復帰は早くても、来季後半とみられている。ポスティングによる明と暗。切なくなった。

October 25, 2006 02:48 PM

2006年10月24日

命を救ってこそ病院:井上真

 命にかかわる緊急事態で医師の治療が切迫しているのに、受け入れ病院が決まらず焦る。誰でもいいからすがり付きたい。わらにもすがる思いだ。

 今年8月、奈良県大淀町の町立大淀病院で出産中の妊婦が意識不明の重体になった。受け入れ先の病院を探すも、18病院に「満床」を理由に拒否され、妊婦の高崎実香さん(32)は19カ所目の病院で脳内出血と診断された。緊急手術で男児出産も約1週間後に死亡。意識を失ってから処置を受けるまで6時間かかった。

 激しい怒りが込み上げる。拒否した病院の無責任さ、受け入れ先を見つけられず手間取った病院の無能ぶりに対してだ。該当する18病院は高崎さんの死をどう受け止めるのか。「我々以外の17病院も拒否した。責任は18分の1だ」とでも言うのか。「18病院もが受け入れできなかったのだから致し方ない。非常に残念です」。そんな空々しいコメントが容易に想像できる。

 後日、実は新生児集中治療室(NICU)が満床ではなかった病院の存在が明らかになった。その病院は切迫早産で入院中の妊婦のためベッド確保の必要があった、と説明している。理由はあるだろう、いくらでも。後から探せば何とでも言える。できない理由など100でも1000でも探せる。

 難しくても急を要する患者を、厳しい条件下で受け入れ、でき得る限りの治療を施すのが医療人の使命であり義務だ。時間的余裕もあり誰でも治せて、助かる確率が高い患者だけを選んでいるのか? 18病院が受け入れの姿勢を見せていれば、助かる確率は19番目の病院到着時よりも高かった。その事実をどう思うか。

 以前、家族が意識を失い救急車で搬送された。付き添った救急車の中で驚いた。受け入れ先が見つからない。1時間は待っただろう、家の前で。救急車は停車したままだ。隊員は困った表情で「ベッドがいっぱいで入院はできないそうです。どうしますか?」と、1病院ごとにこちらに判断を求めてきた。

 精神的なゆとりはわずかにあったが、緊急搬送の実態を知って焦りは倍増した。「ベッドがどうかは気にしないでください。まず治療を受けられる病院に、それも一番近いところに運んでください」と伝えて、ようやく走りだした。

 信号を無視して突っ走る救急車に乗りながら、ものすごく矛盾を感じた。「ここで急ぐことよりも、もっと根本のところが間違っている」。

 18病院は大淀病院がどの順番で打診したかを知りたがるだろう。そして、早くに打診された病院は「我々に打診された時はまだ重篤ではなかったはず」と言い逃れ、最後の方の病院は「自分たちよりも前に打診された病院の責任が重い」と主張するだろう。

 高崎さんが亡くなり、これだけずさんな実態があらわになった。死に至らないケースはもっとある。とても人を助けるどころじゃない。命を救うのが病院ではないのか。命を見捨てた18の病院に言いたい。恥を知れ。

October 24, 2006 11:46 AM

2006年10月23日

源はコンプレックス:村上久美子

 人を大きくするのはコンプレックスか-。今季のプロ野球、セ・リーグの優勝争いを見て思った。10月10日、東京ドーム。中日は巨人を破りリーグ制覇。落合監督は、8月末から驚異的勝率で追い上げた2位阪神の粘りに「70年以上の歴史の中で、球史に残る追い上げだった」と語った。

 その粘りの核をなしたのが金本だった。03年、広島からFA移籍。鉄人の不屈の精神力がチームを変えた。それまでの阪神は戦力以前の問題で、瀬戸際にことごとく弱かった。

 10月8日の巨人戦。もう1敗もできない中、彼の2発で快勝。その日の夜、スポーツ番組に生出演した楽天野村監督は「おれの時に金本がいればな。チームは1人、軸がおれば、変わるんですよ」とつぶやいた。翌9日の巨人戦は金本が沈黙。負けた。ソフトバンクの王監督が言う「勝敗の責任を背負う4番」を痛感するとともに、金本なら仕方ない-。チームもファンも、どこまでこの男を頼りにしているのか、計り知れない存在になっていた。

 連続フルイニング出場の世界記録を日々、更新する鉄人の源は何か-。芸能記者の私には、推測でしかないが、大学受験失敗や、同期入団、ドラフト1位の町田へのライバル心が支えになっていたに違いない。

 あれこれ推測するうち、コンプレックスをバネにした漫才師を思い出した。大阪の夫婦漫才、宮川大助・花子の大助。彼は、しゃべくりの命、滑舌が悪く致命的欠点を持っていた。自宅近くの公園で、毎日毎日、のどから血を流しながらしゃべりの練習。それでも、持って生まれたコンプレックスは消えなかった。花子が言っていた。「もう毎日、毎日、ネタ合わせ、練習や。ホンマ、朝から晩までやで。ホンマに毎日な」。夫の努力に向き合おうとするものの、やっぱりつらい。何度も涙したという。

 幾度となく涙を流すうち、逆転の発想で出たのが「しゃべれんなら(滑舌の悪さを)武器にしたらええ」(大助)。花子が機関銃のようにしゃべり、つっこみ、大助が「あわわ、あわわ…」と慌てる現在のスタイルにたどり着いた。

 上方漫才界の頂点でもある上方漫才大賞も取った。しかし、好事魔多し。花子が胃がんを患った。「神様もようできてるわ。有頂天なったらアカンいうて、教えてくれた思うで。今となったらな」(花子)。がんを克服したものの、体力の低下は否めない。

 漫才のほか、座長公演などで全国を回る多忙な日々。順調な仕事の一方で、疲労がたまると、すぐ体調不良に悩まされた。しかし、お笑い芸人にとって、客に同情されるのは致命傷。「つらい時にこそ笑える強さを」と、数年前、ホノルルマラソンに初挑戦した。完走直後、記者の携帯に「通知不可能」の着信。ホテルから無事完走したことを知らせてきた。涙声だった。達成感と、安堵(あんど)の涙だった。

 あえて苦行に挑戦し、克服して自信に変える。金本の護摩行も同じだろう。ただし、帰国直後に会うと、花子は大好きなショッピングも堪能していた。お土産をもらい、その気持ちもうれしかったが、なんとなく、ただキレイ事だけで走りに行っただけではない人間味も感じて、ほのぼのとした気持ちに包まれた。

October 23, 2006 11:48 AM

2006年10月22日

日程は中日有利だが:松井清員

 「こんなんタイガース史上初めてちゃうか?」。私が阪神担当だった昨年、岡田監督は事あるごとに青空を見上げてつぶやいていた。昨年の阪神は雨天中止がたった2回。それも1回目は交流戦の楽天戦(仙台)で3日後の月曜日に振り替えられ、2回目はシーズン終盤、8月30日の中日戦(甲子園)だった。感覚的には中止なしも同然。ドーム球場なら分からないでもないが、本拠地が甲子園だけに梅雨も台風もかわした奇跡が際立った。

 だが順延試合がない影響で、シーズン最終戦から日本シリーズ第1戦まで16日間ものブランクができた。実戦形式の練習で打球が前に飛ばず、岡田監督が「感覚が鈍っとる。心配や」と嘆いた時は遅かった。阪神が空白の16日間を過ごす間、シーズン2位通過のロッテはプレーオフ第1、第2ステージで計7試合の激闘を制し、中4日でシリーズ突入。勢いの差は歴然で阪神は完敗の4連敗だった。
 敗因に「ブランクの長さ」を挙げた評論家も多く、実際そうだったと思う。あれほど強かった虎が変わり果てていたからだ。シーズン中は“アメチュウ”が少なく、主力からは「少しは休みたい」とボヤキも出た。だが先発ローテーションも狂わず、営業収入も確実に計算できるなど、メリットの方が大きかった。最後に落とし穴があるとは誰も予想しなかったが…。

 そんな阪神を思えば、今年の中日は理想的だ。ドームを本拠地としながら、地方主催試合やビジターで実に11回もの雨天中止があった。先発ローテのやり繰りは大変。営業的痛手もあっただろうが、シーズン最終戦は10月16日まで延びた。実戦感覚を鈍らせず、中4日でシリーズに臨めるのだ。10日の優勝決定後、「残り4試合を有効に使う」と話していた落合監督は満面笑顔だった。

 ウッズや福留ら主力に適度な休養を与える傍ら、川相の引退試合を華々しく飾った。また川上ら先発陣にも3イニングずつの最終調整舞台を与え、成績下降選手にはシリーズ要員かどうかのテストまで行えた。日本一への機運を高め、消化試合を絶好の“プレシリーズ”にできたのだ。もし昨年の阪神がこの日程なら…と思わずタラレバを考えてしまうほどの万全さだ。

 一方、日本ハムのレギュラーシーズン最終戦は9月27日。1位通過でプレーオフも第2ステージからの登場。あっさり2連勝で優勝を決めて“しまった”。シリーズまで中8日。紅白戦は行ったが、第1戦までの23日間で対外試合はプレーオフの2試合だけで、登板機会がなかった守護神マイケルや中継ぎの武田久らは実戦感覚で不安が残ることは否めない。

 阪神が天のいたずらで泣いた日程の妙では、今年は中日が有利だろう。だが日本ハムがそんなハンディをものともせず、底力発揮で日本一を勝ち取るのか。ちなみに今年の交流戦は日本ハムの4勝2敗だった。シリーズはいよいよ、今夜開幕する。いろんな邪推をしながら、ワンプレーワンプレーに注目したいと思う。

October 22, 2006 10:44 AM

2006年10月21日

戻った原田スマイル :村上秀明

 長野五輪金メダリストが先日、手提げ袋にたくさん入ったポケットティッシュを道行く人に配っていた。スキージャンプで5度も冬季五輪に出場した原田雅彦氏(38)だ。JR札幌駅南口で、白い帽子をかぶり青いジャンパーを着て、現役時代と変わらない人懐っこい笑顔を見せていた。

 今年2月のトリノ五輪後、現役を退き所属先の雪印コーチに就任。今年6月には、07年に開催されるノルディックスキー世界選手権札幌大会(来年2月22日開幕)の広報大使に任命された。人気、国際的知名度から抜てきされたもので、6月に人生で初めて街頭PRのためティッシュ配りをしたが、今回はもう慣れたものだった。

 その表情は明らかに今冬とは違っていた。トリノ五輪本番のノーマルヒル予選で、体重に比べて長すぎるスキー板を使ったと判断される規則違反で失格。失意のまま帰国し、3月の国内大会では代名詞にもなった「原田スマイル」は消え、神妙な顔つきが印象的だった。「スポーツだから厳しい意見もある」と、聞こえてくる非難の声もすべて背負い込んだ。

 あれから7カ月。戻ってきた「原田スマイル」にトリノ五輪を振り返ってもらった。

 「期待があったし、自分のためにやれる環境じゃなかったのかなって。今はプレッシャーから解放されたし、ずっと(五輪に)5回も出ている人だからすごいよね(笑い)。代表として誇りに思っている。(失格は)山あり谷ありの人生で1番最初に来る試練だったのかな。人生はこんなものだと思っているよ」。

 ジャンプ競技は30年以上続けてきたが、コーチ業は今季が「1年生」。練習でジャンプは飛んでいるのかと聞くと、好きな野球に例えて「キャッチボール程度(の軽め)」と返ってきた。新人コーチは「お手伝いをしているだけ」と話した後、真剣な表情でこう言った。「これからの選手には悔いのないようにやってほしい」。とてつもなく重みのある言葉に聞こえた。

 原田氏は今、チームの活躍と同じくらい、世界選手権を大成功に導くのが使命と感じている。集客のための数々の街頭PR、イベントやメディア出演をこなしている。欧州では5万人以上の集客があるノルディックスキー世界選手権だが、アジアでは来年の札幌が初開催。「ぜひ札幌をヨーロッパのような大会にしたい」というのが願いだ。

 街頭PRを行っている地元札幌市は、当然のことながら日本ハムが熱い。「世界選手権のPRは野球フィーバーが終わらんことには」と冗談交じりに笑ったが、「選手もビールかけでスキーゴーグルをかけていたでしょ。それに、道民は1つのスポーツに熱中することがあらためて分かったからね」。明るく前向きにとらえていた。

 街頭では歩行者から「あっ、本物だ」と指をさされ、知名度では衰えはない。これが第2のジャンプ人生が始まった原田雅彦氏の今である。

October 21, 2006 09:03 AM

2006年10月20日

道具にも愛情注いで:浜崎孝宏

 気付かぬうちに験を担ぐことがある。私の場合、マイカーを使用する際“鉄の塊”に「頼むゾ」と運転席側のサイドミラーをなでて、安全祈願をする。免許を取得した18歳から数年間、何度も事故に遭遇した。それから車に乗る前にはねぎらいの言葉をかけるようになった。言葉以外にもオイル交換、洗車などマメに愛情? を注いでいると不思議と事故に遭わなくなり、今ではゴールドカードだ。年齢とともに安全運転になったせいもあるだろうが、自分では「物には命がある」と信じている。車は日常生活に潤いを与えてくれる道具。「道具を大事にしなさい」。野球少年時代にも指導者に道具のありがたみを教えられたものだった。
 しかし、文化が違えば道具は道具にすぎない? 春先のメジャーリーグ取材で、一部の選手がボールを足で蹴ったり、グラブを投げるなど、道具への愛情に欠ける行為を見た。メジャーの試合では選手がベンチ内でひまわりの種を口に入れて、実を食べた後、皮をはき捨てる姿を見掛けた。メジャー1年目のマリナーズ城島は「釣り人」としてもプロ級の腕前だが、その光景に「僕は釣りに行きますから(釣り場に)来たときより、帰るときは美しくというのがありますから、ちょっと…」と話していたのをふと思い出した。マ軍関係者にその行為を聞いてみると、歯切れが悪かったことを記憶している。城島の言葉には共感した。
 車は個人の道具で、ベンチは選手みんなの“仕事場”だが、どちらもきれいに大事に使って当然だと思う。個人の持ち物をきれいにできなければ、公共のものだってきれいにできるはずはない。日本のプロ野球でも、実力が発揮できなかった選手が悔しさのあまり、グラブやバットをたたきつけたり、ベンチを蹴ったりする行為は少なくない。あまり野球少年たちには見せたくないシーンだ。グラブをたたきつける側は、悔しい感情を抑えきれず、一過性の悪気のない行為だろうが、ベンチにいる選手にすればどうだろうか。道具の音が響くと「ドヨヨ~ン」と盛り下がると思う。
 野球道具は、優れものになればなるほど高価だ。広告塔を兼ねたアドバイザリー契約を結び、無料で用具提供を受ける選手もいるが、思い出してほしい。野球少年だったころ、親に買ってもらった最初のグラブ、バット…。好きな野球をやるために必要な道具は、グラウンドでの結果がどうであろうと、粗末に扱わなかったはずだ。
 私が、グラブを買ってもらったのは小学4年のとき。その夜はうれしくて枕元に置いて寝た。就寝前まで、グラブを手に、ポケットを拳でたたいた。試合前夜には「明日はエラーなしで頼むゾ」という思いとともに、グラブに油を染み込ませた。
 日本プロ野球の06年を締めくくる日本シリーズが21日から開幕する。日本NO・1のプレーは楽しみだが、道具を粗末に扱う“プレー”だけは見たくない。

October 20, 2006 09:15 AM

2006年10月19日

悔しくても次がある:山内崇章

 野球少年の心はくすぐられっぱなしだった。「オレ、牛島。お前、香川。ちゃんとオレの球を捕ってよね」。丸い体で奮闘するドカベン香川の存在が、小さなエースをより際立たせているようだった。79年、浪商(現大体大浪商)の2人が甲子園を沸かせた夏。僕はクラス一恰幅(かっぷく)のいい友人を誘って野球部に入った。仲間の1番人気は香川でも僕は違った。小さな体でクールに投げる牛島にひかれて野球を始めた。

 マウンドに立つ牛島の目は試合終了の瞬間まで一貫していた。打ち取っても、打たれても、肝を冷やすようなピンチでも。敵を冷たくにらみ淡々と投げ続ける姿が僕の心を刺激した。たとえ勝負の行方が決しても、牛島の目は変わらない。勝っても、負けても。うれしくても、悔しくても。

 記者として牛島さんに出会って以来、あのクールな振る舞いの理由を聞かずにいられなかった。「顔に出したら心を読まれるやん。敵に自分を教えるわけにはいかんやろ」。春に準優勝、夏は準決勝敗退。「負けても泣かんかったなぁ。春はまだ夏があった。夏も親と会ったときだけホロっとしたけど球場では涙が出てこんかった」。悔しさは残っても、終わりではない。「ここからここまでは終わっても、それから、がある」。長い野球人生でずっと持ち続けた信念だった。

 86年12月。中日のクローザーとして実績を残しながら電撃的にトレードが発表された。テレビで見た悲劇のヒーローは、ここでも冷ややかな目で感情を押し殺していた。通告から丸2日悩み抜いた。拒否も考えた。悔しくて眠れなかった。立ち直れたのは「次がある。必要としてくれる場所がある」と言い聞かせたから。「会見前に自分で決めたんや。悔しいけど絶対に感情を顔に出さんって」。

 まだオープン戦が始まったばかりの3月。新幹線の車中で監督2年目の決意を聞いた。「勝負の世界で負けたら責任を取るのが当然。そのぐらいの気構えがないと戦えない」。今年の横浜は勝てない日が続いた。追いついても追い越せない。打っても守りきれない。若いチーム特有のちぐはぐな展開も目立った。輪を掛けて故障者も続出した。

 この1年、たった1度だけ苦しい胸の内を漏らしたことがあった。「こんなに長い1年はないわ。2ケタも借金があって、悔しいし、勝たせたいし…」。シーズン後半、原因不明の腹痛に悩まされた。不眠、ストレスが体に障った。それでも、淡々と負けた事実と向き合った。試合後の記者会見を1度たりともおろそかにしなかった。悔しくても、恥ずかしくても負けは負け。ポイントを整理し、反省点を語り続ける責任から逃れることはなかった。

 誰の人生にも、負けるときはある。むしろ負け数の方が圧倒的ではないだろうか。サラリーマンもそう。任された仕事には常に結果が求められる。他紙にニュースを抜かれたときは、隠れたくなるほどの羞恥(しゅうち)心を覚え、自分の未熟さを責める。だけども「負ける」ことは「終わり」ではない。2度と負けたくない。そんなエネルギーも黒星から生まれるような気がする。

 牛島さんは球場を去った。だけども…。いつかまた、球場に帰って来てほしい。今はファンの1人に戻って、牛島さんの続きを心待ちにしている。

October 19, 2006 11:51 AM

2006年10月18日

泥まみれ素足の代表:寺沢卓

061018-1.jpgスパイクを脱いで合宿するラグビーリーグの日本代表(撮影・川口晴也)

 この写真は何でしょう? 決して新スポーツ「素足ラグビー誕生!」ではない。日本代表の強化合宿での1枚だ。ただ、一般的な15人制ではなく、ラグビーリーグと呼ばれる13人制。W杯予選直前合宿が7~9日に都内の河川敷で行われた。取材した日は前日に豪雨が降り、グラウンドはぬかるんでいた。最初はスパイクを履いていた選手だが、自転車で通りかかった都の監視員にこう言われたという。

 「来週、ここで幼稚園の運動会があるのよ。スパイクだと荒れちゃうでしょ。脱いでくれないかな」。

 で、靴下になって練習再開。監視員のおじさんは、彼らが日本代表であることなど知るよしもない。

 ラグビーリーグは19世紀末に北部イングランドで生まれた。大半の選手は別に職業を持ち、日曜以外は働いていた。平日開催の試合に出場するために仕事を休む保証として、クラブへ金銭を要求してもめた。クラブや協会との交渉に決裂した北部の選手たちが、独自リーグを立ち上げた。試合でけがをしないように、接触プレーとなるラック、モール、ラインアウトを廃止。また、相手にタックルを6回受けた時点で攻守交代となる新ルールもつくった。従来のラグビーを「ユニオン」と呼んで「リーグ」との差別化を図った。

 オーストラリアでは「ユニオン」よりも人気が高いという。日本では93年に協会が発足したばかり。定期的なトーナメントが行われている。同協会最高責任者で日本代表の小西周さん(36)は「競技者は約200人。代表選出の通知しても音信不通の選手もいる。大変です」と話す。

 13回目のW杯は08年11月、10カ国が参加して実施される。6連覇中で開催国のオーストラリア、ニュージーランド、英国、フランス、パプアニューギニアは出場権を得ている。欧州から2カ国、環太平洋から2カ国、残り1枠は環太平洋3位が、日本と米国の勝者と対戦して決まる。2度目挑戦で初出場を目指す日本代表は23日に渡米し、25日に米国と予選を戦う。

 サッカーや野球などと違い、ラグビーリーグのような地味な競技の日本代表は、選手層の薄さ、資金調達など苦労は絶えない。それでも小西さんは「私も元ユニオンだが攻守の切り替えの早さは俊敏な日本人向きで楽しい。1月の練習試合で米国には10-40で敗れたが、絶対勝って歴史を変える」と情熱を傾ける。

 人気スポーツも最初はそんなもの。選手らの熱い思いとプレーが見る者の心を打ち、競技の輪が広がっていく。今は認知度が低くとも、幼稚園の運動会に負け、素足で練習したことが笑い話で語られる日が来てほしい。

October 18, 2006 08:58 AM

2006年10月17日

見えて冷めたブーム:藤中栄二

 コンビニエンスストアで「あの」光景を目撃することはなくなった。飲料水を冷やす冷蔵庫の扉を開けっ放しでおまけ付のペットボトルを購入する客とコンビニ店員の口論である。

 コンビニ店員「冷えなくなるので商品を選ぶのをご遠慮下さい。店長から言われていますので…」。

 購入客「商品を探しちゃいけないわけ? 長時間、扉を開けちゃダメだって書いてないでしょ!」。

 おまけシリーズを全部そろえるため、ペットボトルの上に付いた袋を手で触って中身を探る購入客。それをやんわりと断ろうとする店員…。こんなバトルに出くわしたころが懐かしい。

 ちょうど1年前のこと。05年10月、公正取引委員会(公取委)が「不当景品類及び不当表示防止法」に基づき、ドリンクキャンペーンに付くおまけに何が入っているのかを明記するよう飲料水メーカー側に注意を出した。それまでは、おまけは全商品に付いていれば景品とされ、最大で60種類ものおまけがあるシリーズも展開されるほどの人気があった。ここで公取委は数多くの商品を買っても全種類を集められるかどうかが運に左右されることを指摘。「消費者の射幸心をあおる」と景品ではなく、懸賞品と認定した。

 中身が分からなければ不当景品となる可能性が高まったため、飲料水メーカーも自主的に動いた。「ブラインド形式」のおまけ付き飲料水は昨年末までに店頭から消えてしまった。代わりにおまけの入った袋に中身が何かが明記されるか、あるいは袋が透明化される「オープン形式」へと移行していった。ちなみに約20年前にもロッテの「ビックリマンチョコ」が公取委で同じような注意を受けた過去がある。

 ブラインド形式だった当時、紹介されているおまけの全種類以外に「シークレット」と呼ばれる隠されたおまけが人気を集めた。しかしオープン形式となったことで「シークレット」の存在が自然消滅。大量におまけ付き飲料水を購入していく現象を「大人買い」と呼ぶ新たな言葉まで生まれたが、そんなコレクター客の心理をくすぐる販売戦略は崩れた。オープン形式の影響で販売量が伸び悩み、飲料水メーカーにとっては大打撃だったに違いない。

 小さいころ、ガチャガチャ(現在はガシャポンと呼ばれる)から何が出てくるのかワクワクした思い出を持つ人は少なくないだろう。現在もゲームセンターではUFOキャッチャーが流行している。景品のぬいぐるみ獲得に燃える人も多い。お金を支払ってでも、景品のぬいぐるみや欲しいガチャガチャのフィギュアを欲しい人もいるだろうが、大多数はギャンブル性を触発されて「はまった」のではないだろうか。

 1年前の公取委の注意を契機に、おまけ付き飲料水にはコレクター客の心理をくすぐるギャンブル性はなくなった。「中身が見えるからすぐに全部がそろうし、ありがたい」と思っているコレクター客は多くないだろう。一時は数百億円市場とも言われたおまけ付飲料水の人気。暑かった夏が終わるように、単なる一ブームとして忘れ去られようとしている。

October 17, 2006 02:49 PM

2006年10月16日

天皇賞に出ない理由:岡山俊明

 年内引退が発表されたディープインパクトが、29日の天皇賞(秋)に出走するのではないかと騒がれている。本紙は一貫して静観してきた。理由は取材の結果、出走しないと判断したから。その理由を述べたい。

 ちょうど1週間前の8日午後5時、池江泰郎調教師からJRA広報を通じて「ディープインパクトの東京競馬場入厩」が発表された。千葉県の競馬学校で輸入検疫を終えた後に義務付けられている3週間の着地検査が、当初予定していた滋賀県の民間牧場グリーンウッド・トレーニングではなく、東京競馬場に変更された。調教師のコメントは以下の通り。「次のステップを決める際に、より選択肢を広げておきたいということと、自厩舎のスタッフが自らディープインパクトの調整に携われることから、東京競馬場で着地検査を受けることを決めました」。

 「選択肢を広げる」とは何ぞや? 同僚や上司とすったもんだの議論の末、天皇賞を選択肢に入れる意味と判断できた。民間牧場で検査を受けると出走はできないが、JRAの施設にいれば可能。このままの解釈なら、本紙も天皇賞出走の可能性に言及していただろう。

 ところがその晩、都内で開かれたパーティーで金子真人オーナーを直撃したところ、陣営の真意が明らかになった。主眼は池江師のコメントの前半部分ではなく、2番目の「自厩舎のスタッフが携われる」ことにあった。調教師会と厩務員組合の申し合わせで、調教助手や厩務員は民間牧場の調教にタッチできない。だから最初のプランでは池江敏行助手や市川明彦厩務員の手元から離れなければならない。2歳秋に栗東トレセンに入厩してから放牧にも行かず、来る日も来る日も市川厩務員が世話をしてきた。慣れないスタッフに委ねるリスクを避ける非常手段として、東京入厩のウルトラCを使ったわけだ。

 「ジャパンCに使いたい」と話した金子オーナーは、天皇賞に出走できることをご存じなかった。それを伝えると、少し考えて、こう返答した。「いや、それはない。馬がかわいそう」。最終的な決断は金子オーナー自ら行う。また池江師は半端な仕上げでは決して使わない職人。帰国して十分な追い切りもせず中3週でG1に出すとは、とてもとても考えられない。

 それではなぜ、池江師が出走をほのめかすのか。それはJRAの内規に、レース出走意思が競馬場入厩の条件として挙げられているから。たとえ建前でも、出走に前向きな発言をせざるを得ないのだ。

 今日15日は天皇賞の登録日。リストの中にディープインパクトの名前はあるだろう。そしてほどなく、シナリオ通りに出走回避が発表される。

 出走の可能性が限りなくゼロに近いと分かっていて、ファンに期待を持たせる報道はできない。新聞は速報性ではインターネットにかなわない。だからこそ信用が大事。地に足をつけた取材を心掛け、事実に基づいた真実に近づきたい。

October 16, 2006 12:00 PM

2006年10月15日

予告先発なければ…:沢畠功二

 パ・リーグのプレーオフ(PO)第1ステージ第3戦の試合前、阪神で投手コーチを務めたこともある巨人OBの西本聖氏(本紙評論家)が首をひねっていた。記者席での雑談中、先勝した西武が第2戦でルーキー松永を先発させた話題になったときだった。

 西本氏「考えられないね。僕と江川さんは日本シリーズはもちろん、シーズンでも離れることはなかったよ。1戦目が向こうだったら2戦目が僕。僕が1戦目だったら、2戦目は向こう。今回は3つしかない短期決戦でしょう? 西口も調整が難しかったんじゃないかな。松坂で負けていたら多分2戦目だったろうし、連勝なら札幌の1戦目。ブルペンで投げる球数も違ってくるしね。それに3戦目と言われたら、口には出さないだろうけど、考えるところがあったと思うよ」。

 80年代の巨人投手陣は江川卓氏と西本氏が支えてきた。スター街道を歩んできた江川氏とは対照的に、テストからはい上がってきた西本氏。野球を離れれば、互いの自宅を訪問するほどの2人だが、グラウンドでは違った。それがチームに好結果をもたらしたのは言うまでもない。

 2人の間柄は別として、短期決戦における主力投手起用の難しさを痛感した。松坂が完封して、最高のスタートを切ったはずの西武が、連敗してシーズンを終えた。2戦目に今季3勝のルーキー左腕を抜てきした理由には、強心臓、ソフトバンクの左打者対策、現在の仕上がり、雌雄を決する3戦目よりは重圧がかからないはずだなどが考えられる。そして荒木投手コーチは「松坂、西口の順番では(タイプが似ており)これまで良くなかったから」とも付け加えた。ただ、結果が出てしまった今、正否を論ずることの意味はない。

 むしろ予告先発がなかったら、違う展開だったろう。西武は松坂、松永、西口、ソフトバンクは斉藤和、和田、寺原の順番で先発させた。両チームとも日本ハムが迎え撃つ、11日からの第2ステージを意識せざるを得なかった。今年から1位通過チームには1勝のアドバンテージが与えられるからだ。初戦を落とすようなら、そこで王手をかけられてしまう。11日に勝ちを計算できる投手を残しておけるのが理想。もし予告先発がなければ、ソフトバンクは2戦目の西武先発をどう読んだだろうか。西口か、涌井か、松永か。3戦ともオーダーを変えてくるようなチームだけに、相当頭をひねったであろう。

 81、83年の日本シリーズで、江川が先か西本が先か、子供心にもかなり気になった。1戦目直後に主催者から「西武松永、ソフトバンク和田」と発表されたが、ルールと分かっていながらも拍子抜けした。「本当なら奇襲なのに…」と。来年からはセ・パ合同のポストシーズンゲーム(PSG)が導入される。周知の通り、セは予告先発を採用していない。公式戦の試合数まで統一したのだから、アドバンテージ制度を含めて同じ方式でないと不自然になる。そこをどう話し合い、決着させるか。

 競馬もそうだが、予想する楽しみは当日ギリギリまでとっておいた方がいい。

October 15, 2006 01:31 PM

2006年10月14日

V逸=低年俸でいい:井上真

 プロ野球選手の契約書を見たことがある。その選手は9000万円の複数年契約だった。サインして記者会見を終え、一緒に入った喫茶店で「見るか?」と言われ「えっ、いいんですか。それならぜひ。写真に撮っていいですか?」と聞いて「ダメに決まってんだろ!」と怒られた。

 甲とか乙とか、いかにも法律っぽい表現が並び、確かに9000万円と書いてあった。「こんなにもらっていいのか?」。コーヒーをスプーンでかき回す手が震えていた。

 まだ1億円プレーヤーが数人の時のこと。「大型契約を勝ち取ったぜ」の得意満面な様子はなく「オレなんかがこんなにもらっていいのか。税金払えるかな」と本気で心配していた。話を聞いていて、至極まともな印象を受けた。お金に対する感覚は、庶民と変わらないことに好感を持った。

 今は1億円プレーヤーなど珍しくない。好成績を残せば5、6年でガンガン億の年俸を手にしていく。それ自体に文句はない。プロなのだから、結果に年俸が見合うのはおかしくはない。ただ、思い返してもらいたい。球界はつい2年前には、近鉄とオリックスの合併問題で大揺れした。球団経営に行き詰まり、老舗の近鉄が球団を手放すことになった。その時、近鉄の選手だけでなく、球界の選手みんなしてプロ野球の危機を叫んだ。

 今もあの時の切実な危機感を持っているのかと、あらためて聞きたい。当時、近鉄がギブアップするならと、球界の中ではホリエモンに託そうとした動きがあった。その時、在京チームの主力選手に真剣に問い掛けたことがある。「ある程度の年俸の選手が、自分たちの出せる範囲で自腹を切り、集めたものを近鉄に差し出し『これだけ集めました。微々たるものですが、現場も血を流します。球団も努力を続けてください』って頼むのがスジだろう」。すると、その選手は即座に「そういうことなら、ボクは2000万円だって出します」と真顔で言った。

 本来、プロ野球選手は入場料収入を基にして年俸を得ている。グッズや放送権料もあるが、根本はお客さんがどれだけ入ってくれたか。これは部数の新聞、視聴率命のテレビ界と同じだ。どんなに素晴らしい働きも、給与の原資を支える収入がなくては、好待遇を求めても無理だ。この仕組みをいま一度、選手は自覚すべきだろう。

 特に優勝を逃したチームは、いくら個人の成績が突出していても、冷静に状況を理解すべきだ。球団も若い選手や勘違いしている選手に、まともな金銭感覚を教え込む使命がある。根気強い作業だが、そうした教育は先々で選手の大切な知恵として財産になる。見事な成績を残し、我が物顔の選手に甘い顔をすれば、いつか球団経営を圧迫する契約を求めてくる。

 パ・リーグのプレーオフが盛り上がり、セの覇者中日との日本シリーズを控え、球界はにぎわっている。そんな時だからこそ、「自分さえ良ければ」の年俸交渉が話題になってほしくない。

October 14, 2006 09:22 AM

2006年10月13日

人間は誰も変われる:村上久美子

 今季のセ・リーグは、142試合目で中日が優勝。すでに、パのプレーオフが開幕していた。8月末から43日間、23勝5敗1分と驚異の勝率でドラゴンズを追い上げたタイガースを見て、変われば変わるもんだ-と、感心した。

 きっかけは8月27日の巨人戦、甲子園での藤川の涙のお立ち台。前日まで5連敗とふがいない虎ナインに、痛烈なヤジが飛び、それへの悔し涙だった。あの涙で、虎は息を吹き返した。

 そんな話を阪神ファン仲間と語るうち、ある放送局の社員が「あの藤川と、今の藤川が同一人物とは思えない」と、しんみり言った言葉を思い出した。あの藤川? 藤川は98年、ドラフト1位で高知商から入団。松坂世代の逸材として虎党の期待も高かった。

 あの藤川…とは、ある番組のゲスト出演をめぐっての事だった。「2年目のオフだったですかね? 番組に出てもらおうと声を掛けていたのに、連絡がつかなかった」。つまり、番組をすっぽかしたわけ。忘れていたのだという。

 ただ、以前の藤川に闘争心を感じなかったのも事実だ。2年目には1軍登板していたが、素人ファンから見ても、無理…と。カーブはいいけど、直球はほとんど139キロ。線が細い。それに、マウンドでの「気」は皆無だった。

 その後、故障続きで解雇の危機。中継ぎに転向した04年、久々に見た藤川は、見違えるような「気」を持っていた。ストレートも目を見張った。今年、47回3分の2イニング連続無失点の記録を作り「待っていても打てないストレート」と絶賛されたが、ずっと見てきたファンにすれば、04年のニュー藤川の方がよっぽど驚いた。

 自信は大きい。変わる。昨年から続く清原との因縁対決を、直球勝負で制し「(成長は)清原さんのおかげ」と、憎いセリフ。別のインタビューでは「相手打者によって(リリースの)ポイントを変えている」とも語っていた。底からはい上がった男の強さを見た。
 藤川の変身に、タイガース終盤の粘りを重ねつつ、1人の落語家を思い出した。松鶴一門で鶴瓶の弟弟子、笑福亭小松(49)。頻繁に事件を起こし、派手な女遊び…どうしようもない男が、97年、進行性胃がんの末期で「余命3カ月」を宣告された。胃、ひ臓を全摘、すい臓の半分を摘出。命の限界を悟り、悪行を悔い、小学校低学年だった2人の子供を思い涙した。

 人生をリセットするかのように、4カ月以上かけて日本列島徒歩縦断の旅に出た。なぜか、がんの進行は止まっていた。

 98年ごろ、奈良の彼の家を訪ねた。「女はアクセサリーの1つ」とうそぶいていた男は、記者の前で男泣き。「いまさら…何言うても…信じてくれんかも…。でも、あと何年生きられるか分からんけど、もう恥ずかしいことしたない。子供に『ああ、お父さんの子でよかった』思われたい」。喫茶店で、駅まで送ってくれた車中で、彼がポロポロ流した涙は忘れられない。

 小松はすでに発症から5年を過ぎ、医師に完治と言われている。奇跡が起こった。現在は、講演会で全国を回り、自分がやんちゃだったこと、死の恐怖におびえたこと、第2の命を懸命に生きようと思う今を、包み隠さず話している。恥ずかしい過去もさらけ出せる強さは、底を知った男にしか持ち得ない宝だ。

October 13, 2006 09:14 AM

2006年10月12日

負け越しが日本一?:松井清員

 パ・リーグのプレーオフ第1ステージ(PO第1S)は、ソフトバンクが西武を倒して勝ち上がった。白熱したレギュラーシーズンの延長戦のように、1球1球手に汗握る大接戦。「興行」は大成功だろう。セ・リーグでも阪神が中日を猛烈に追い上げ、10月まで盛り上げた。日本シリーズでも熱パ熱セの勢いそのままに、両リーグ代表が熱い戦いをしてくれそうだ。だが、楽しみな半面、来年こそが課題のように思う。

 来年から両リーグ合同でポストシーズン制を導入する。セもPO形式の試合が導入される。具体的なルールはまだ決まっておらず、アドバンテージの問題など、今年のPOの成否は重要な参考資料になるという。だが、今年のパは近年にない大激戦で、最終戦まで順位が決まらなかった。最後は1位日本ハムと3位ソフトバンクの差は4・5まで開いたが、3球団に優勝チャンスがあった。文字通りの3強は、どこが1位通過してもおかしくなかっただけに、仮に3位のソフトバンクがPOを制しても、納得するファンも多いだろう。

 だが、過去の球史を振り返った時、2強のデッドヒートはあっても三つ巴はめったにない。1位独走の1強5弱シーズンも往々にして存在する。来年はセにも3位まで日本シリーズ(来季は名称未決定)に進出する可能性が出てくる。当然、3位VS3位の日本一決戦もあるわけだ。両リーグとも3位が最後まで優勝争いに絡んだ末の展開なら、それもいいかもしれないが、シーズン負け越し3位同士の組み合わせになる可能性もゼロではないのだ。

 今年のヤクルトは3位を確定させているが、2強に10差以上引き離されて勝率5割前後。最終的に負け越し3位となるかもしれない。実際、昨年の西武は負け越し3位でPOに進出した。1950年の2リーグ分立以降、昨年までの56年間で、負け越し3位はセで7回、パは6回ある。それも現ルールでは3位に入りさえすれば、第1Sをビジターで戦うことぐらいしかハンディはない。2つ勝てば第2Sに進める。

 それも勝負の1つで、面白いという意見があるかもしれない。だが、140試合前後戦ってのシーズン1位は、かけがえなく尊いものだと思う。今年はゲーム差に関係なく第2Sのアドバンテージ1勝が与えられたが、それでもたった1勝かと思えてならない。ましてや負け越しチームが日本一の可能性を残す現制度に、強い疑問を感じずにはいられない。昨年POに進出した西武の選手にも「僕たちが勝っていいのか複雑な気持ちだった」と明かしている。

 そこで個人的意見だが、負け越しチームは、3位であろうとPOへの進出権利は、はく奪すべきではないだろうか。その場合のPOは第2Sだけでいい。勝率5割以上でも、1位と10差以上離されれば出場資格なしなど、もっと厳しい条件を付けていいと思う。うまくいき過ぎとも言える今年の盛り上がりにばかり目を奪われていては危険だ。実際戦う選手はもちろん、ファンは心理はどうなのか。関係者には是非慎重な議論とルール作りを望みたい。実際に負け越し3位の日本一が誕生し、慌ててルール改正するようでは、日本球界が笑われるだけだ。

October 12, 2006 09:26 AM

2006年10月11日

ばあちゃん「ごめん」 :村上秀明

 何げなく見ていたテレビのバラエティー番組で、目頭が熱くなったのは初めてだった。

 「ちょっといい話」という、ゲストが体験談を披露するコーナーだった。お笑いコンビ、ブラックマヨネーズの吉田敬が、祖母とのエピソードを語った。話が終わると涙する出演者もいて、会場全体が感動に包まれている雰囲気が十分に伝わってきた。自分も昼間からジーンとした。

 テレビを見ていない方のために、記憶に残っている範囲で内容を要約すると次の通りだ。

 幼少時の吉田は両親の事情で祖母に育てられた。そのうち、両親と住むようになり、祖母とは徐々に疎遠に。しばらくして、久しぶりに祖母に会いに行った時、自分の名前を間違えられ「2度と会いに来るか」と腹を立てた。その後、会うことはなく祖母が他界。葬式で親せきにこう告げられ、心が揺れた。「おばあちゃんはその日、名前を思い出せずにかわいそうなことをしたと泣き続けていた。最近は目が見えにくくなったが(吉田が出演する)テレビに向かって、あれはタカシだよねと繰り返していたよ」。

 エピソードを話し終えた吉田は最後に、天国にいる祖母に「ごめんな。ありがとう」と声を大にした。短い言葉だったが、込み上げてくるものがあった。同じ気持ちになった。自分も天国へ旅立った2人の祖母に「ごめんね」と言いたかった。

 3年前に他界した母方の祖母は晩年、痴呆症を患ってしまった。母や母の兄妹は「本当なら自分の家で見てあげたい」と強く願っていたが、やむを得ない事情で専門の施設で暮らしていた。自分が住む札幌市から車で2時間ほどの町にある施設で、社会人になってからも、家族とともに何回か会いに行った。

 だが、まともな声を掛けてあげることができなかった。久々に会った時の祖母は、子どものように変わっていた。正直、ショックだった。昔は、遊びに行けば食事を作ってくれ、優しく接してくれた祖母が、別人になってしまったようだった。現実として受け止めることが難しかった。夢だと思いたかった。施設に何度か足を運んでも、真っ正面から受け止めることができなかった。

 結局、優しい言葉を掛けてあげることができなかったように思う。最後まで対応に戸惑っていた。ベットの上で小さくなって息を引き取った祖母を見て、後悔の念がわいてきたのだけは、今でもはっきりと覚えている。父方の祖母が亡くなった時もそうだった。一緒に暮らした時期に優しくしてくれた祖母に「ありがとう」と言えれば…。

 「後悔先に立たず」ということわざがある。人生は後悔だらけかもしれないが、ちょっとした勇気で減らせる気がする。先延ばしせず、悪いと思ったら「ごめんなさい」、感謝の気持ちがあれば「ありがとう」と素直に言いたいと思う。実家の一室で並んでいる2人の祖母がほほ笑む写真は、これからの生き方を教えてくれている。

October 11, 2006 12:06 PM

2006年10月10日

伊志嶺監督の不安と期待:浜崎孝宏

 高校生ドラフトで、ロッテから1巡目指名を受けた八重山商工の150キロ右腕、大嶺祐太投手(3年)の取材に携わった。同僚からは現場の生の実情を聞かれ、結論は避けたが、知ってほしいこともあった。

 大嶺の「育ての親」といわれる伊志嶺吉盛監督(52)の思いだ。ドラフト当日、同監督は予想外のロッテからの指名に表情を硬くしたが、ロッテが好き嫌いの問題ではない。精神面でもろさを見せる大嶺が高校卒業後、競争社会に飛び込んで失敗する姿を想像したくなかった。ソフトバンクに思いがあったのは、高校1年からホークスの担当スカウトが目を付け、大嶺のそんな弱さを十分知っているからだった。育成面で預けても大丈夫だと思っていた。監督の本意は、社会人野球であいさつなど礼儀作法、お金の使い方などをもう少し勉強させたかった。

 2人の付き合いは11年にも及ぶ。小学2年の大嶺少年が、公園で野球を楽しむ姿があった。当時、少年軟式野球「八島マリンズ」の指揮を執っていた同監督は、グラウンドの片隅を提供し、遊ばせた。大嶺が、家庭事情で3歳から祖父母に育てられたことも知った。伊志嶺監督は、どんな悩みでも1人で解決している大嶺少年の“親代わり”を買って出た。大嶺が小学3年のときだった。

 大嶺の祖父武弘さん(68)は当時の様子を涙ながらに話した。「監督さんが(大嶺)祐太をオレにくれ、と言った。本当の父親以上に一生懸命、祐太に野球を教えてくれた。死なない程度にビシビシ鍛えてやってくれ。(祐太を)やると言った。監督さんは神様以上の存在…」。早朝練習に“無断欠席”が続くと監督は、大嶺の枕元まで何度も起こしにきた。小学6年のとき脱線して、ゲームセンターに入り浸りの大嶺を祖父の前に連れ戻し、ビンタしたこともあった。

 大嶺と出会った同年。伊志嶺監督は、母親を病気で亡くし、事故で長男球太さん(享年20)を失った。多くは語らなかったが「大嶺には特別な思い入れがある」と言った。悲しみのどん底だった監督は、家庭環境の複雑な大嶺に何か通じるものを感じたのだろう。「野球を辞める」。大嶺が弱音を吐いたことは数え切れない。その度に説得し、道を正してきた。「好きにしろ、と思ったことは何度もある。でも、じいさんに祐太は絶対、上(プロ)に行かせるからと約束したから」。監督は大嶺を辛抱強く育てた理由をそう話す。

 先日、ロッテの指名あいさつがあったが、スケジュールの都合がつかず、監督は残念ながら欠席。ロッテ側も伊志嶺監督同様、大嶺を大事に育てたいし、人情味あふれる瀬戸山球団代表や永野スカウトもいる。ファンや、球界発展のために逸材をプロで早く活躍させたいと思っているはずだが、2人の関係を知る人は、“息子”の晴れ舞台に立ち会えなかった監督の胸中を察したことだろう。

 ネットで事実無根の「伊志嶺バッシング」をみると取材した者にとっては心が痛い。何よりも大嶺がプロのマウンドに立つ姿を心待ちにしているのは、伊志嶺監督にほかならない。大嶺にプロへのあこがれがあるのは間違いないが、今まで苦労を掛けてきた“恩師”の不安を取り除けるよう、じっくり話し合ってほしい。

October 10, 2006 01:58 PM

2006年10月09日

途絶えた成長の記録:山内崇章

 会えば必ずレンズを向けてくる。僕が小さかったころからずっと変わっていない。特に腕が優れているわけでもなければ、どこかで本格的に学んだことだってないはずだ。持っているカメラもおそらく2、3万円相当の一般的な代物なのだろう。久しぶりに上京して来たときも、僕が帰省したときもそう。母はいつだってカメラを携帯している。

 「もういいだろう」。被写体になることへの恥じらいの気持ちは、とっくに通り越している。いまや中年オヤジの域に達している僕を収めて一体どうするのか。意図を尋ねてもまともな答えは返ってこない。「あんたなんか撮ってない。景色を撮ってるのよ」。母は笑ってごまかしてシャッターを押し続けるだけだ。

 先日、その母から差し出された1枚の写真にハッとさせられた。35年前の色あせたプリント。生後数週間の赤子が泣きながら若い父親に抱かれていた。初めての子を授かった喜びに浸る父はまだ24歳。今の僕よりもずっと若く、あどけない顔をしている。僕が初めて病院から出た日の記念写真は、買ったばかりのカメラで母が撮ったものだった。

 参った。鼻で笑っても納得せざるを得ない。「これ以上、撮ることへの干渉を許さない」とでも言いたかったのか。古い写真には強烈なメッセージが込められているようでもある。初めて見たものではない。幼いころにも目にした記憶がある。僕は決して突然大きくなったわけでもなく、この1枚から少しずつ歩を進めた。ここから始まった。当時の父以上の年齢になり、あらためて手にした貴重な一瞬に感謝したくなった。

  ◇  ◇  ◇  

 今春、横浜市の百貨店で開催されていた写真展に足を運んだ。幸せそうな親子の顔が並んでいた。ある日突然、卑劣な犯行によって平穏な日常が奪われた。あの日さえ無事に帰宅していれば、ごく普通の家族の思い出のスナップとして残っていただろう。会場には北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの父、滋さんが13年間撮り続けた娘さんの成長過程が詰まっていた。家族みんなが振りまく笑顔が、一層寂しさをかき立てた。不意に憤りも覚えた。

 わが子を被写体にシャッターを押し続けた楽しみは、どんな親とも変わらないものだっただろう。弟さんにキスをするめぐみさんの写真が、ひときわ印象に残っている。その瞬間を逃さなかったお父さんの心境が手に取るように伝わってきた。家族の記録は77年11月を境にプツリと途絶えてしまった。成長の記録はまだまだ、続くはずだった。

 つながりが断ち切られて間もなく29年がたとうとしている。何によって断ち切られ、以来めぐみさんがどこにいたのかも分かっている。それでも横田さん夫妻の苦悩はいまだに解消されていない。政治的な話は聞き飽きている。横田さん夫妻の愛情の深さに見合う、人間として誠意ある解決策が1日も早く出されることを願わずにいられない。

 写真の中に映し出された母・早紀江さんの髪は黒く、表情も生き生きとしていた。成長の記録、その連続性は、やがて自分よりも若い時代の父母との出会いにもつながるはずだった。大切に育ててくれたご両親に感謝する機会まで奪われているめぐみさんを思うと、胸が締め付けられる。

October 9, 2006 11:24 AM

2006年10月08日

美しい国のクマは…:寺沢卓

 クマの出没が止まらない。1日には秋田県仙北市でSMAPの草なぎ剛の遠縁にあたる草なぎ幸雄さんがクマに襲われた。持っていたなたで反撃して事なきを得たが、今年はこんな事件が頻発している。

 長野県では昨年度からクマ出没をデータ化している。昨年度は出没1044件、狩猟も含めた捕殺は123頭で、9人が負傷した。今年度は出没が8月末で早くも1953件になり、捕殺は9月25日現在で232頭、人的被害は今月5日まで12人で、うち1人は死亡している。

 今月2日には大野市(福井)が2年ぶりにクマ対策本部を設置。人的被害はないが、5日までに市内で痕跡も含めた出没情報は91件で、9月以降は82件。昨年10件に満たなかったことを考えると異常な増え方だ。これでは山歩きや山菜採りもできない。

 秋田県田沢湖地区猟友会の真崎薫さん(59)は「大声で話していても襲われる。憶病で音のする方には近づかないのに。山によっぽど食い物がないんだ」と言う。山梨市牧丘猟友会の藤波敏会長(69)は「山にワナのオリを10個仕掛けた。ハチミツをたっぷり仕込んだけど、引っ掛からない。そりゃそうだ、里に行けば、巨峰、ナシ、リンゴの畑からいい香りがプンプンしてるんだもの」とため息をつく。

 環境省の自然環境局野生保護課では、クマを含めた野生動物の各県統計を出しているが、これは捕獲件数であって出没件数ではない。しかも発表されるのは2年後。自治体や個人での対策はもう限界で、ここは政府主導の「全国クマ対策本部」を設置するしかないだろう。

 安倍首相は9月29日の所信表明演説でこう言った。「世界最高水準の高速インターネット地盤を戦略的にフル活用して生産性を大幅に向上させます」。そこで、ネット普及政策の中でできそうなクマ対策を提案したい。まず、各地の猟友会に協力してもらってクマに麻酔弾を撃ち込み、GPS(衛星利用測位システム)ICチップを体内に埋め込む。ホームページ上でクマの居場所を情報公開すれば被害は減る。

 山間部での携帯電話の受信状況を向上させることも必要だろう。電波が通じれば山岳遭難も減る。NTT出身の世耕弘成首相補佐官の腕の見せどころか。

 猟友会に新規登録するハンターは減少傾向にある。クレー射撃で五輪出場経験のある麻生太郎外相に頭数調査会の名誉総裁になってもらい、若いハンターを育成するのはどうだろう。五輪選手が育ち、メダルでも獲得すれば「クマのおかげ」のコメントが世界を駆け巡る。

 ツキノワグマは九州、四国、中国地区や紀伊半島で絶滅危機にあるという。研究者にとっては頭数調査に加わることで、生態系の実情を把握できる。野生グマが、絶滅したニホンオオカミのようにならない保証はどこにもない。

 クマの出没は、動物と人間と自然の共存関係崩壊の警鐘である。「美しい国、日本」へ、再チャレンジ、憲法、教育基本法改正以外にもやるべきことはある。

October 8, 2006 11:13 AM

2006年10月07日

損か得か!!「●●似」:藤中栄二

 イタリアサッカー・セリエAのメッシーナMF小笠原満男が今月1日、リーグ戦で初めてフル出場を果たした。得点に絡んでいないが、早速、積極的なプレーを評価されたようだ。イタリア紙では6・5点、あるいは6・0点と高い採点となった。Jリーグ鹿島で3冠を達成した00年以降、常にイタリアの複数クラブから興味を示されてきた攻撃的MF。今は実力を試すことの喜びを感じているに違いない。

 イタリアで小笠原の存在が知られるようになったのは「師匠」のおかげにほかならない。00年から鹿島を率いた元ブラジル代表MFトニーニョ・セレーゾ監督は現役時代、サンプドリアなどでプレー。同クラブのホームタウンとなるジェノバに別荘を持っており、静養のためにイタリアを往復することが多かった。当時、同監督は「向こうにいると、サッカー関係者から『日本人で良い選手がいるのか』と聞かれるので、小笠原を紹介しておいた」と公言していた。

 サッカー担当だった03年9月、サンプドリアに移籍したFW柳沢敦の取材をした時のことだった。同クラブのGMだったマロッタ氏も「セレーゾ監督から『中田英寿に似た良い選手がいる』と聞いた。実際に見てみたい」と強い興味を持っていた。イタリア紙の移籍市場の欄に小笠原の名前があった時も、寸評部分は「中田に似たタイプ」となっていた。当時からセレーゾ発言が独り歩きし、イタリアのサッカー関係者は小笠原のイメージを膨らませていたに違いない。

 その場に不在の人間を紹介する時、有名人に例えるのが手っ取り早い。「○○似の」と言われれば、顔でも雰囲気でも何となく想像できる。それはサッカーのプレースタイルもまったく同じことが言える。イタリアで以前から小笠原の存在を知っていた人間は間違いなく中田英が動くイメージを抱いているに違いない。イタリアでは中田英のプレーをダブらせて見ている人も少なくないだろう。

 確かに中田英と小笠原には因縁めいたものがある。02年W杯日韓大会では、日本代表トルシエ監督がトップ下に入る中田英のバックアップ選手として小笠原を据えていた。昨季限りで中田英は引退し、今季から小笠原が欧州クラブに飛び出したのも、単なる偶然ではないだろう。ただしプレーが似ていると言われただけで、小笠原は中田英ではない。プレーだけならまだいい。常に絶頂期の中田英と同じ活躍まで期待されたとしたら、たまったものではない。

 「○○に似ている」という言葉。状況によっては嫌な気分になる。例えば、似ていると言われる人間のマネをしているというような受け取り方ができる。イメージだけが先走り、実際に会ってがっかりされてしまうのも悲しいものだ。当然、メッシーナ幹部は純粋に小笠原のプレーを評価していると思われる。だがイタリアで一番成功した日本人選手に似ているという先入観は残っているだろう。「中田英似」というセレーゾ発言が、今季の小笠原を苦しめるのではないかと心配でならない。

October 7, 2006 12:46 PM

2006年10月06日

ロンシャンの革命を:岡山俊明

 ディープインパクトが負けた翌日、寝込んだ。疲労がどっと出て、家から1歩も動けなかった。凱旋門賞の重みをずっしりと感じた。サッカー風になぞらえるならば、ロンシャンの落胆だ。

 海外の競馬が地上波で生中継された例は、記憶する限り21年前にシンボリルドルフが力を発揮できずに終わった米国のサンルイレイS、シリウスシンボリが大敗した英国のキングジョージ6世&クイーンエリザベスS以来。その時は世界との隔たりを痛感したが、大種牡馬サンデーサイレンスの出現で日本馬がここ10年ほどで飛躍的に強くなった実感があっただけに、その最高傑作の敗戦ショックは当時と比較にならない。98年を皮切りに日本調教馬の海外G1制覇は14を数えるのに、伝統ある英仏の2400メートルは遠い。

 そんなに甘くないよ。戦前から、冷静な声は聞こえてきた。しかし、そういった一般論にディープインパクトを当てはめたくない気持ちが、心の中から敗戦の2文字を打ち消していた。競馬に携わる者としてまだまだ青い。でも、それでいいと思っている。夢は失わずにいたい。武田鉄矢も歌っている。信じられぬと嘆くよりも、信じて傷つく方がいい。

 トップギアに入らなかったのはなぜだろう。慣れないスローペースで無駄に体力を消耗したのならば、ペースメーカーの馬を用意する周到さまで必要だったのか。勝ち馬の騎手はディープインパクトの直後で徹底的にマークしていた。3歳馬と3・5キロ差は最初から決まっていることだから敗因とするには違和感があるが、本命を背負ってアウエーで勝つのは本当に難しい。

 どんなにいい競馬をしても、時がたてば勝ち馬以外は忘れられてしまう。皐月賞、ダービー、菊花賞、天皇賞(春)、宝塚記念と5つのG1を制したディープインパクトも、国際的にG1と認められているレースは宝塚記念だけで、その他はローカルG1でしかない。その宝塚記念にしても欧米の一線級は参加しないから、あまり認知されていない。ディープインパクトがいかに歴史的名馬であっても、世界に認められるには世界で勝たなければいけない。

 池江泰郎調教師は一夜明けて「あきらめずに次に挑戦したい」と話した。既定路線と見られていた有馬記念での引退は、撤回される可能性が高くなった。このまま世界的な評価を得られないまま引退となれば、あまりにも惜しいと思っていたから、前向きな言葉は頼もしい。

 長期遠征によって調教助手と厩務員が1頭にかかりきりになることで、残された厩舎スタッフの負担は増える。現役を続行して、もしも敗戦を重ねるようだと、種牡馬としての価値も下落するリスクを負う。もろもろの事情を承知の上で、勝手を言わせてもらう。オーナー、トレーナー、来年も行きましょう。フランスへ。ロンシャンの革命は、ディープインパクトにしかできません。

October 6, 2006 10:02 AM

2006年10月05日

ヤクルト地道な草の根活動:沢畠功二

 都心の一等地、広尾小のグラウンドは人工芝だった。広さはともかくチップがちりばめられ、プロ野球の球場とも遜色(そんしょく)はない。サッカーゴールはあったが、バックネットはない。9月28日午前、ヤクルトの古田敦也兼任監督以下ナイン6人が駆けつけた。質問コーナーには無数の手が挙がった。

 児童A プロ野球選手にはどうしたらなれますか

 古田監督 親にメシを食えと言われたので、毎日牛乳1リットルとパン1斤を食べてました。

 児童B もしプロ野球選手になってなかったら、何になっていましたか

 坂元 政治家です(ナインからは冷たい視線)。

 志田 実家が魚を捕る仕事をしているので、それを継いだと思います。

 選手の声を聞く児童の目は真剣だ。ふだん間近で見ることのないプロ野球選手。選手も試合の合間を縫って来たかいがあっただろう。野球に興味のない子も、少しは関心は持つようになったのではないか。そこに、この学校訪問の意味がある。しかし校庭が狭く、バットを使った野球はできないのが現状だ。腕をバット代わりにしたハンドベースやキックベースが限界だという。小6の33人中、地区の少年団に所属しているのは野球4人、サッカー8人。環境面でやむを得ない。

 野球でも地域密着という言葉が使われるようになって久しい。北海道の日本ハム、仙台の楽天、福岡のソフトバンク、広島、横浜。ヤクルトも今年からチーム名に「東京」をつけ、より地元志向を色濃くしていこうとしている。神宮球場が新宿区、渋谷区、港区にまたがっているだけに、近隣との交流に積極的だ。
 しかし私を含めて地方出身者が多い東京で、地域密着を根付かせるのは並大抵のことではない。何といっても巨人の存在が大きく、JリーグではJ1東京、J2東京Vがあり、スポーツ以外の娯楽がとにかく多い。日本ハムが札幌に移転する際、ヤクルト本社の関係者は「先を越されました。プロ野球を受け入れそうなのは、あとは仙台あたりだね」と嘆いていたのを思い出す。2チームがフランチャイズとしている特殊性もあり、東京には地域密着が定着しにくいことを分かっていたからだ。球界再編騒動を経て、仙台には楽天が進出した。

 遅れること数年、ヤクルトは大都会で気の遠くなるような普及活動にいそしんでいる。球団関係者は「昨年までやっていなかったわけですから時間はかかるでしょう。草の根です。とにかくやっていかないと始まらない」と躍起だ。古田監督も「プロスポーツは地域に密着して、子供に夢を与え、目標になっていかなければいけないんです」と力説する。

 絵に描いたもちに終わって欲しくない。監督やフロントが入れ替わっても、続けていかなければ意味はない。帰り際、古田監督から児童全員に神宮球場の入場券が配られた。ドッと沸いた。女の子も喜んだ。だが、球場に来てもらうための、1歩をようやく踏み出したに過ぎない。

October 5, 2006 10:20 AM

2006年10月04日

極悪犯罪から弱者守れ:井上真

 奈良の小学1年女児が04年11月の下校中に誘拐、殺害された事件で、奈良地裁は9月26日、小林薫被告(37)に死刑を言い渡した。

 女の子の絶望感と家族の悲しみは想像を超える。卑劣な、そして今後誰の回りでも起こり得る常軌を逸した極悪犯罪の可能性について考えさせられた。

 被告の育った環境は劣悪だったが、知れば知るほど「それがどうした」との思いが強くなる。事実を解明することは大切だが、殺すまでの詳細な背景を知っても脱力感が増す。なぜ防げなかった、なぜ救えなかったかに力点を置くべきだ。

 従って、彼が更生するかどうかなどに興味はない。もし仮に、自分の生活圏内で更生するなら、子供をその近くに行かせない。

 被告には強制わいせつ致傷罪の前科があった。鑑定により精神医学的に反社会性人格障害と診断された。そうした人間と、自分の身を自分の責任で守れない幼児や、狙われやすい若い女性が同じ生活圏で生きることは間違っている。

 反社会的な人間になるおのおのの理由はあり、小林被告は視力が弱くいじめに遭い、父親からも暴力を振るわれ、唯一の理解者である母を小学4年時に亡くした。その現実だけに目を向ければ確かに悲惨だ。この卑劣な犯罪と無縁であれば、社会の中で強く生き延びてほしいと願った。

 しかし、その不満を弱者に向けるのが反社会性人格障害者の特質で、科学的に証明されたなら、彼らは自分で自分を守れる人間と共同生活を送るべきだ。むしろ「更生の可能性」などときれいごとを言って、野に放つ側にも大きな責任がある。

 安倍首相は再生のチャンスがある日本にしたいと言った。それには賛成だが、幼児や性に関連した犯罪者は別だ。犯罪から立ち直り、更生を目指す人々にはつらいが、性犯罪と幼児を狙った犯罪者には、再犯を阻止するために24時間監視し、行動範囲も限定すべきだ。弱者を殺す前に救う道を確立するしかない。

 こうした凶悪犯罪のとき、判決文の中に「更生の可能性」という言葉を見る。どこかおかしい。犯罪者の基本的人権を考える前に、同様の犯罪を未然に防ぐ手だてを全力で考え、実行すべきだ。

 もはや、日本は安全な国ではない。己の不遇をこじつけ、人生を捨てて犯罪に突進する人間を止めるのは困難だ。異常者や、常習者も数え切れない。それを警察も地域住民も防げないでいる。さらに、困難を理由に傍観することや、犯罪者の人権を擁護する考えが犯罪者を助長させていく。

 こんなむごいことを決して起こさせないために、その可能性の芽を確実に摘むしかない。もう何度、こんなひどい死に方を子供がしたのだろう。守るためには非情になってでもやり抜くしかない。

October 4, 2006 09:37 AM

2006年10月03日

女の心動かす正直さ:村上久美子

 プレーボーイと名をはせた羽賀研二(44)が、15歳年下の山田麻由さん(29)と結婚する。先月27日、長野県松本市内へ結婚報告会見に行った。本音連発の羽賀らしい会見だった。麻由さんとの出会いを聞かれた羽賀は、梅宮アンナと破局した直後の6~7年前だと言い「(借金2億4000万円が原因で、アンナにふられ)見事なふられっぷりで、すごく落ち込んでましたから…」と、話し始めた。

 恋人を失い、借金だけが残った傷心時代、献身的に尽くしてくれたのが麻由さんだった。麻由さんへの感謝の言葉が続くと思うと、違った。「今でも彼女(アンナ)を引きずってないと言えばウソになりますし、何かにつけて(行動が)目に入るし、頭の中をよぎります」と言った。

 相変わらず正直な人-。感心せずにはいられなかった。誰にでも、ほれ抜いた相手は1人はいるし、時が流れるほど思い出は美化されていく。麻由さんとの出会いを聞かれた羽賀の脳裏に、当時を思い出すうち、アンナとの恋がよみがえった。それでいて、麻由さんに「申し訳ない伝わり方になりますけど」と前置きもしていた。底辺だった自分を支えてくれた麻由さんへの感謝は絶大だし、何よりも大切。でも、心に元カノが残っているのも事実。すべて本音だった。

 この瞬間、01年6月、大阪・関西テレビで、番組出演後に羽賀を直撃したことを思い出した。アンナの結婚直後だった。記者は1人、地下のタクシー乗り場に潜んでいた。この手の取材は、空振りの確率が高い。無言か、スタッフに遮られるか、違う出口から逃げられるか。テレビカメラが回ると、愛想だけで答える芸能人は多いが、テレビもいない。空振り必至だった。

 ところが、羽賀は記者を制止するスタッフを遮ってまで「(アンナは)今でも好き。自分が幸せにしてあげられなかったから、幸せになって欲しい」。自分にも意中の人がいると明かした。「すごくいいなと思ってる人はいます。まだ手も握ってないし、一緒にご飯を食べたり映画を見たりするだけですけど。でも、本当にごく普通の一般の人なんで、そっとしておいて欲しい」。よくある元カノ結婚へ意地? とも思えるが、乗りかけたタクシーを降りてまで、一生懸命話す姿からは、そんな空気は少しも感じなかった。

 聞かれたことに答えずにいられない性格。だから、目の前に女性がいれば鼻の下も伸ばすだろうし、優しくしたくもなる。「男からふることはあってはいけない」というのが、羽賀のポリシー。そんなにいつも体当たりでぶつかってこられたら、心が動かない女性はいないだろうな。タクシーを見送り、そう思った。

 そんな羽賀の初取材は約10年前。ボーイッシュで、身も心もとんがっていた記者は、ほぼ確実に男と間違われていた。他紙の記者が「男と思ったでしょ?」とちゃかすと、羽賀は即座に「こんなきれいな指の男性はいない」。ただ「細い」だけの指を「きれい」と瞬間的に言い換えたのは、対女性への天才的な処世術だった。

 羽賀は宝石ビジネスで借金を完済した。50万~80万円が相場のジュエリーは、安い買い物ではない。でも、おばさま方がついうっかり、買ってしまう気持ちも分かる。「いや、私も買うな」と苦笑してしまった。

October 3, 2006 10:33 AM

2006年10月02日

今こそ長期的視野へ:松井清員

 ホテルでの就任会見から1年足らず。オリックス中村監督の辞任会見は、スカイマークの選手食堂でひっそりと開かれた。「借金30に近い数字に、ケジメをつけざるを得なかった。ファンの皆さんに申し訳ない」。9月27日の今季最終戦終了後、中村監督は沈痛な面持ちで頭を下げた。無念の表情がありあり。真意とは180度違っていたからだった。

 「自分から投げ出すようなことは絶対しない」。中村監督は常々、来季巻き返しへの意欲を語っていた。今季は清原や中村をはじめ主力に故障者が続出。戦力さえ整えばの自信があった。だがそんな思いとは裏腹に、フロントからは「一体どないしますのん?」と責任を押し付けられた。気が付けば、辞めざるを得ない状況に追い込まれた。表向きは聞こえのよい「辞任」だが、実際は「解任」だった。

 「辞任したいという中村監督の意志は固い」「やむなく受諾しました」。宮内オーナーのコメントが何とも空々しかった。続投要請もなければ慰留もない。同じく辞任に追い込まれた現場NO・2の新井チーフ兼打撃コーチも無念をにじませた。「こちらが辞めると言っても、本当に必要なら『そんなこと言うな!』となるハズでしょ?」。

 プレーオフ争いすら参戦できなかった中村監督の責任は重い。疑問に残る采配や選手起用もあった。だが低迷責任は100%現場とする手法に疑問を感じずにはいられない。チームを預かるフロントの責任はゼロなのか。それは全球団に共通する、プロ野球監