2006年09月28日
父と牛丼…記事担当:寺沢卓
18日に1日限定で吉野家が牛丼を復活させた。その取材をして、紙面で「牛丼担当」と書いたことから、大学の同級生、仕事関係、浪人時代の後輩、さらには恩師、そして吉野家ディー・アンド・シー広報IR担当から「日刊スポーツは牛丼担当までつくっているのか?」との質問を受けたので、牛丼との因縁について話します。
初めて「吉ギュー」と出会ったのは、小学校3年生か、4年生のころ。当時は週刊少年ジャンプ「サーキットの狼」が火付けとなって、スーパーカーブームが花開いていた。東京・晴海国際展示場で開催された「外国車ショー」に両親と弟と一緒にワクワクしながら足を運んだ。長い行列に並んだこともあって、自然とおなかもすいてきた。横浜市の自宅に帰る前に国鉄新橋駅前のSL広場横で遅いランチを食べた。それが吉野家だった。
「今日は東京に来たから牛肉でも食べるか」。米国産の牛肉とオレンジは輸入制限されていたこともあって、日常食だった記憶はない。「牛肉でも食べるか」の「牛肉」に高級感が漂い、「でも」と簡単に言い放つ父親に頼もしささえ感じた。
人生初めてのカウンターでの食事。足をブラブラさせながら、大人になった気分でハシを構えていた。昼間なのに頭に手ぬぐいを巻いたおじさんが牛皿をつまみに日本酒を飲んでいた。その光景を見て、牛丼ではなく無性に牛皿を食べたくなって、父親に丼飯をつけて注文してもらった。
食べ盛りだったので(今でも大食いだが)、次々に注文して弟と競うように皿を重ねていった。その横で父親が、ちょっと自慢げにビールをコップに注いでいた。実際、その時は「こんな豪華な食べ物を知っているお父さんはすごいなぁ」とも思っていた。父親を尊敬できた理由の1つが吉ギューだった。
今はもう初吉ギューを食べた新橋店はないが、JR新橋駅周辺を歩くと重ねた牛皿を思い出す。
だから牛丼担当というわけではないが、牛丼の節目の日には、父親を思い出しながら都内を駆け回って取材をしている。すき家の牛丼も、松屋の牛めしも、すき家の傘下となったなか卯の牛丼も、1度も販売休止しなかった神戸ランプ亭の牛丼も大好きだ。それぞれに個性があるし、産国の違う牛肉で安い価格の商品を提供できるんだから、日本発ファストフードとしてもっと自慢していい。
ただ、昨今の過熱ぶりに違和感を覚える。18日の「復活祭」で吉野家は記念手ぬぐいを無料配布した。前半はオレンジ地、後半は白地の2種を配った。インターネットのオークションで、たった1本に1万円の強気な設定額も登場したが、1本1000円だって買い手はつかなかった。
吉野家に問い合わせると、次回10月1日からの5日連続販売では、手ぬぐい配布はしないという。プレミアグッズなのかもしれないが、そこでもうけようという心根に、あきれる前に悲しくなってきた。
September 28, 2006 09:35 AM
