2006年09月21日
悲劇呼ぶ人ごと感覚:村上秀明
悲劇はいっこうに止まる気配がない。飲酒運転による交通事故が全国で次々と起こっている。8月に福岡市で幼児3人が亡くなった痛ましい事故の後、連日のように報道されているが、それでも後を絶つ気配がない。マスコミがいつも以上に各地の飲酒運転事故を報道するため、増加の印象があるのかもしれないが、少なくともゼロに近づいていないのが現状だろう。
先日まで、警察庁が「取り締まり強化週間」を定め、全国各地で検問が行われたように、当然ながら撲滅の動きは活発化している。アルコールを提供する飲食店では、飲酒運転をしない誓約書を書かせたり、客の送迎、代行運転の手配などを始めたところがあるという。飲酒運転の同乗者や、酒類を提供した側の責任も確かにあるだろう。だが、限りなくゼロに近づけるには、結局は本人の意思以外の何ものでもないような気がしている。
例えば、周囲がいくら酒を勧めようが、本人に断る勇気さえあれば、そこで飲酒運転が起こることはないはずだ。飲酒事故を起こす人の「ちょっとだけなら大丈夫だろう」という軽い感覚も、強い意思があれば完全にシャットアウトできると思う。何より、交通事故は自分には関係ないことと思い込んでいる「人ごと感覚」が心理の根底にある気がする。
恥ずかしながら、自分も交通事故を起こしてしまったことがある。9年前、入社2年目のことだった。飲酒運転ではないが、販売部所属だった当時、北海道・オホーツク海沿岸の小さな町の山道で前方3台を巻き込む追突事故を起こしてしまった。脇見をした瞬間、前の車の急停車に気付くのが遅れたからだ。
追突してしまった前方の運転手、同乗者の方たちの命には別条がなく、自分自身も約2カ月の入院、リハビリで社会復帰することはできたが、多方面に多大な迷惑を掛けた。車は快適な生活を送る重要なアイテムだが、ときには走る凶器にもなり得る。あらためて痛感させられたが、もう遅かった。一瞬にして、他人の人生を変え、自らの生活も大きく変えてしまうところだった。
入院先のベッドで何度も思った。「まさか自分が」「交通事故は自分には関係ないと思っていた」。自分の心の中にも、このときまで「人ごと感覚」がこびりついていたのだ。不注意の運転を引き起こしたのは、この感覚以外のほかならないと思う。もっと早く何らかのきっかけで意識改革ができていれば…。自戒の念とともに、後悔の気持ちが今でもわいてくる。
今まで交通事故に無縁だった人が「人ごと感覚」を180度転換するのは容易ではないかもしれない。それでも、警察の検問実施、自治体や飲食店の地道な活動は、ドライバーの意識改革の手助けにはなるはずだ。過ちを繰り返さないためにも、最近の飲酒事故の悲劇を教訓にしたい。これをきっかけに、まずは1つの意識から撲滅してほしいと思う。「オレ(ワタシ)には関係ない」という精神を。
September 21, 2006 12:09 PM
