記者コラム「見た 聞いた 思った」

2006年09月09日

生き方変えた「批判」:山内崇章

 出張先のホテルの部屋から眺めた関門海峡に、韓国旗を掲げた関釜フェリーが速度を緩めて入ってきた。ある人物を思い出した。学生時代、僕の考え方、大げさに言えば生き方にも影響を与えてくれた人。ソウル滞在中に出会った日本男性で、僕より5つか6つ年上だったように記憶している。「あいまいを許さない韓国人の気質は潔い。情が深く人間くさいところもいい」。彼は韓国を「居心地がいい」とも話していた。

 下関で生まれ育った人だった。彼には目の障害があった。道に迷ったり、障害物に戸惑ったときに、手を握ってくれた韓国人は少なくなかった。道を教えてくれた後で目的地まで付き添ってくれたのも片言の日本語を話す韓国人だったりした。日本人とは違った情の深さ、本心を素直に表現する人たちに興味を持ったという。80年代から玄界灘を行き来していた彼は、韓国通の頼れる先輩だった。

 23歳だった僕が韓国に行くことを決めた理由は、若さ任せの正義感。なぜ同じ民族が分断された国家に暮らしているのか。なぜ同じ年代の青年は軍服を着る義務があるのか。分断の歴史に日本はどうかかわったのか。韓国の史料を原文で読めるようになりたかった。それを知ることで、日本に不信感を持つ韓国人と対等に話せると思った。知識を詰め込めば自分の将来も見いだせると考えていた。

 彼とは2カ月間、同じ下宿で生活した。発音はネイティブに近く、語彙(ごい)も豊富。優秀な留学生だったが、価値観が全く違った。毎晩遅くまで飲み歩き、カラオケ通いを繰り返す。歌の実力も韓国の学生から評判だった。「ここで嫁さんをもらいたい。ずっと韓国に住んでもいい」と話していた彼とは根本的に目的が違う。酔っぱらいの留学生を軽蔑(けいべつ)したこともあった。その彼も僕をもどかしく思っていた。痛烈に浴びせられた批判は、今も忘れられない。

 「君の姿勢では韓国人の温かさや冷たさ、痛みを知ることは絶対にできない。自己満足の世界に浸っているだけじゃないか。人を知ろうとしない君に歴史は分からない。自分を知ってもらおうとしない君には人を知ることもできない」。

 教科書通りの歴史認識を頼りに、大学の先生や下宿の学生に討論を挑んだ僕、うわべだけの知識を主張することで存在価値を見いだそうとした僕の甘さを、彼は見透かしていた。原書を読むことで着々と積み上げてきた「熱意」とか「正義」とかいうものは、軽く吹き飛ばされてしまった。

 記者という仕事をしていることが不思議に思える時がある。彼との出会いなしに、この仕事は務まらなかったかもしれない。取材対象や読者の気持ちをくまずに、目に見える事象、うわべだけの認識や偏見で語る記事ほど無責任で非情なものはない。自戒を込めて書きたい。人と人のかかわりで起こる出来事を読者に知らせる責任は重い。取材する側にも、取材対象が日常で感じている喜びや痛みを知る必要があると思う。

 数年前に下関から届いた年賀状には「まだ独身です」とあった。音信不通となった今も、ソウルで飲み明かしているだろうか。まだまだ甘い僕だが、失敗を繰り返しながらも、少しは前進できているだろうか。久しぶりに会いたくなった。

September 9, 2006 09:06 AM