記者コラム「見た 聞いた 思った」

2006年09月30日

国体で有終「シャー」:浜崎孝宏

 30日から兵庫国体が開催される。今夏の甲子園を沸かせた「ハンカチ王子」こと早実の優勝投手・斎藤佑樹(3年)が出場するなど硬式野球の部は話題満載となりそうだ。個人的に楽しみなのは、鹿児島工の代打の切り札、今吉晃一(3年)だ。168センチ、89キロのずんぐり、むっくりの体形は、鹿児島弁で俗に言われる「横ばいのこじっくい」がピタリとはまる。スタメンではないだろうが、大事な場面で必ず流れを変える頼もしい男だ。打席に入ると球場に響き渡る「シャー」の掛け声とともに相手を威かく。マウンド上の相手投手もさることながら、見ているファンもその気迫に圧倒されたはずだ。

 日刊スポーツでも甲子園では何度か今吉晃を取り上げたが、デスクから「必ず『シャー』を原稿に入れてくれ」という要望があったほどだ。私も新鮮だった。今吉晃の個人プロフィルを書いたが、実はこの青年、私と出身小学(瀬々串)、中学(喜入)が同じで、ソフトボール-軟式野球と所属した団体も同じだった。

 私と今吉晃の郷里は、鹿児島市から薩摩半島の南にある指宿方面へ約20キロ。石油備蓄基地の町、喜入(きいれ)町だ。04年11月の市町村合併で揖宿郡だった町が、同郡の中で1町だけ鹿児島市に合併された。特筆すべき観光名所はないものの、海手には錦江湾(鹿児島湾)、山手には烏帽子岳の見える風光明美な田舎町。よくぞ牧歌的な町から「ハンカチ王子」と対照的な気迫の男・今吉晃が誕生したものだな、とうれしかった。

 「シャー」の掛け声は実際には「ウッシャー」とほえているそうで、もちろん、相手投手へ「かかってこい」の思いがある。もう1つは、昨年、背骨を疲労骨折し、落ち込んだ後から、打席内で自分を鼓舞するために始めたそうだ。

 ナインが髪を伸ばしている中、今吉晃はいまだ五厘刈りで気合十分だ。先週末に行われた体育祭では、電子機械科のクラスメートからそのキャラクターを買われ、満場一致で応援団長に指名されたそうだ。先日、大手鉄鋼会社の内定をもらったが、高校で完全燃焼したせいか社会人ではバットを置くつもりだ。鉄鋼会社を選んだ理由の1つは「僕はパソコンの前でじっとしていると死にそうになるんで、汗をかいて働いた方がいいんです」。おしゃれやファッションなど気になる年齢だと思われるが、今どきには珍しい? 熱血漢。高校野球ファンには、それが新鮮で、人気を得たのかもしれない。

 熱闘甲子園から1カ月が過ぎ、再び国体開催地の兵庫県に取材のため足を踏み入れた。35度超だった猛暑と打って変わり、朝晩は肌寒くなった。駒大苫小牧の田中将大投手(3年)八重山商工の大嶺祐太投手(3年)の活躍も注目だが、試合の終盤で「一振り」にかける代打・今吉晃の「シャー」が大会をホットにしてくれるはずだ。鹿児島工は10月1日(高砂市野球場)に登場し、1回戦で日大山形と対戦する。

September 30, 2006 09:34 AM

2006年09月29日

たかが運動会されど:山内崇章

 やっぱり行っておいて良かった。競技中に何度もあくびが出てきたし、午後に所用があることを考えると気まで重くなった。それでも、子供の顔を見れば意外に元気も出てくる。レジャーシートの上でおにぎりをほお張った4歳児が「みんなで食べるとおいしいね」と屈託ない表情を向けてくる。みんなで-。言われてみるとおいしいものだ。

 親になって初めて参加した運動会。昔、同じように校庭の脇に両親たちが座っていた。幾つかの家族が集まり、手作りの料理を分け合ったりするのもどこかで見た光景。親同士で子供の成長ぶりを褒め合うのも何となく聞いたことのある内容だ。たかが運動会、されど運動会。子供のころ、流し目で見てきた当たり前の風景の意義を思い浮かべた。

 昼食前の競技に親子で走る二人三脚があった。隣にいた親子が、あまり要領を得ていない様子で足に鉢巻きを締めていた。スタートの合図が鳴ってもしばらく走りだせず、道中も何やら2人で言い合っていた。最後にゴールし、子供の頭をなでたお父さんは、照れくさそうに話しかけてきた。「日本の運動会は活気がありますね。この子がもう少し元気を出して走ってくれたらいいのですが…」。

 朴永柱さん(39)は、夫人と2人の息子を連れて今年3月から東京での生活を始めた。韓国の商社に勤務し、2年の期限で日本に滞在することになった。二男ホジュン君(4)は、半年間お母さんと自宅で日本語を特訓し、この9月に幼稚園に入ってきたばかりだ。「日本語がうまくできず友達ができないようで…。幼稚園に行きたくないと言う日もあって、今日は仕事を休んで来てみました」。

 韓国でも、運動会は家族のきずなを確かめ合う大切なイベントだという。「家族が1つになって、勝った喜び、負けた悔しさを子供に感じさせる場。勇気づけるいい機会だと思って」。気合が入りすぎたお父さんは、お母さんから離れないホジュン君を怒鳴り上げたりもした。朝から園長先生や保育士さんに頭を下げて回った。昼食時にも、子供の手を引いて同じクラスの保護者に笑顔を振りまき、あいさつを繰り返していた。

 都内には韓国人だけの学校や幼稚園も多いが、あえて日本の環境にこだわった。「海外で暮らした自信はずっと残ると思います」。当然、親も厳しい環境に置かれる。仕事が手に付かない日は多い。長男が学校でけんかをして帰ってきたり、ホジュン君がお弁当を全部残してきた日もあった。どんなに胸が痛んでも「親も我慢です。親があきらめたら子供もあきらめることを覚えてしまいます」。子供の話をよく聞き、励まし続ける。父親ができる最低限の仕事だと朴さんは言う。

 帰り道、朴さん一家と街を歩いていると、無口だったホジュン君が日本語で問い掛けてきた。「いいにおい。何のにおい?」。朴さんたちも興味深そう。「キンモクセイだよ」。家族みんなで発音を繰り返した。「明日、友達に教えてあげる」。ホジュン君の顔がパッと明るくなった。うれしさも、痛みも、むずがゆい気分も、親子みんなで感じ合えたらいい。子供たちがはしゃぐグラウンドは、以前とは違った風景が広がっていた。されど運動会。親子たちのきずなはあちこちで深まっていたのだろう。

September 29, 2006 10:18 AM

2006年09月28日

父と牛丼…記事担当:寺沢卓

 18日に1日限定で吉野家が牛丼を復活させた。その取材をして、紙面で「牛丼担当」と書いたことから、大学の同級生、仕事関係、浪人時代の後輩、さらには恩師、そして吉野家ディー・アンド・シー広報IR担当から「日刊スポーツは牛丼担当までつくっているのか?」との質問を受けたので、牛丼との因縁について話します。

 初めて「吉ギュー」と出会ったのは、小学校3年生か、4年生のころ。当時は週刊少年ジャンプ「サーキットの狼」が火付けとなって、スーパーカーブームが花開いていた。東京・晴海国際展示場で開催された「外国車ショー」に両親と弟と一緒にワクワクしながら足を運んだ。長い行列に並んだこともあって、自然とおなかもすいてきた。横浜市の自宅に帰る前に国鉄新橋駅前のSL広場横で遅いランチを食べた。それが吉野家だった。

 「今日は東京に来たから牛肉でも食べるか」。米国産の牛肉とオレンジは輸入制限されていたこともあって、日常食だった記憶はない。「牛肉でも食べるか」の「牛肉」に高級感が漂い、「でも」と簡単に言い放つ父親に頼もしささえ感じた。

 人生初めてのカウンターでの食事。足をブラブラさせながら、大人になった気分でハシを構えていた。昼間なのに頭に手ぬぐいを巻いたおじさんが牛皿をつまみに日本酒を飲んでいた。その光景を見て、牛丼ではなく無性に牛皿を食べたくなって、父親に丼飯をつけて注文してもらった。

 食べ盛りだったので(今でも大食いだが)、次々に注文して弟と競うように皿を重ねていった。その横で父親が、ちょっと自慢げにビールをコップに注いでいた。実際、その時は「こんな豪華な食べ物を知っているお父さんはすごいなぁ」とも思っていた。父親を尊敬できた理由の1つが吉ギューだった。

 今はもう初吉ギューを食べた新橋店はないが、JR新橋駅周辺を歩くと重ねた牛皿を思い出す。

 だから牛丼担当というわけではないが、牛丼の節目の日には、父親を思い出しながら都内を駆け回って取材をしている。すき家の牛丼も、松屋の牛めしも、すき家の傘下となったなか卯の牛丼も、1度も販売休止しなかった神戸ランプ亭の牛丼も大好きだ。それぞれに個性があるし、産国の違う牛肉で安い価格の商品を提供できるんだから、日本発ファストフードとしてもっと自慢していい。

 ただ、昨今の過熱ぶりに違和感を覚える。18日の「復活祭」で吉野家は記念手ぬぐいを無料配布した。前半はオレンジ地、後半は白地の2種を配った。インターネットのオークションで、たった1本に1万円の強気な設定額も登場したが、1本1000円だって買い手はつかなかった。

 吉野家に問い合わせると、次回10月1日からの5日連続販売では、手ぬぐい配布はしないという。プレミアグッズなのかもしれないが、そこでもうけようという心根に、あきれる前に悲しくなってきた。

September 28, 2006 09:35 AM

2006年09月27日

ミス挽回する「遊び」:藤中栄二

 取材で新日本プロレスの創始者アントニオ猪木から聞いた言葉がある。「プロレスは人間の生活に似ている。アマレスとは違い、両肩をついても、すぐにフォール負けにはならない。1、2、3のカウントの途中で返して、逆転することができる。常に挽回(ばんかい)するチャンスがある」。ミスがあったとしても、すぐに再挑戦できる猶予がある。時に法を犯してしまうような大きな失敗をしても、深い反省と更生で再起する機会がある-との意味だった。

 確かに反則も5カウントまで許されている。思わず「一理ある」と深くうなずいてしまう話だった。

 プロレスは90年代後半まで人気が高かった。テレビのゴールデンタイムで放送される時代もあった。猪木の言葉を借りれば、プロレスのテンポが日本人の生活リズムと重なった=感情移入できたからだと思う。しかし00年以降はプロレスよりも、K-1やPRIDEに人気が集まっている。深夜枠で放送されるプロレスに対し、ゴールデンタイム枠で平均15%の視聴率をマークする。

 フジテレビの中継が撤退したPRIDEだが、9月10日の無差別級GP(さいたまスーパーアリーナ)では4万7410人もの観衆を集めた。一方でプロレスは東京ドーム級の興行がなくなった。

 K-1、PRIDEは、たった1発のパンチやキックで試合終了する場合が数多い。勝敗が決するまでに感情移入する時間は少ない。今の格闘技は非常にスピーディーかつ瞬時の決着が好まれていると言っていい。確かに日本人の生活リズムは変わりつつある。仕事は常に効率性や利便性を求められ、高速処理に追われる。失敗も決して許されず、ミスする人間は2度とチャンスが与えられないような環境さえある。猶予の時間が少なくなった日本人には瞬時に決着する競技の方が人生のリズムにマッチしているのかもしれない。

 人間の感情は論理や効率性だけでは片付けられない部分が多い。たとえ理解はできても、共感するには心の余裕やゆとりが必要である。どこかに無駄や不必要な手間、悩む時間や猶予がなければ、ストレスや欲求不満が爆発するに違いない。

 例えば自動車のハンドルにある「遊び」は大切。ボルトの締めすぎに注意しなければ事故の原因にもつながる。どんなに効率性や利便性が必要でも、人生に行き詰まった時、ミスした時には友人と雑談したり、好きな飲食を楽しんだりする「遊び」が不可欠だろう。以前に比べ、日本人に乏しくなってしまった要素ではないだろうか。

 もちろんK-1、PRIDEは面白い。だが再び猪木の言葉を借りれば、プロレスのテンポには現在の日本人が忘れかけている生活リズムがある。効率性や利便性だけでは解決できない「遊び」がファイトにある。たとえ人生で1度、マットに両肩をつけてしまったとしても、3カウントまでに片方の肩を上げ、逆転を狙えばいい。反則も1カウントでおしまいではない。行き詰まった時、ミスや失敗をした時、プロレス観戦で挽回のきっかけをつかめるかもしれない。

September 27, 2006 09:20 AM

2006年09月26日

人気も育てる調教師:岡山俊明

 先日、開催中の船橋競馬場で催されたベストドレッサーコンテストをのぞいてみた。来場した女性ファンを対象にしたイベント。平日の昼間でどれだけ盛り上がるのか、正直疑問に思っていたけれど、予想を覆す盛況ぶり。華やかに着飾った女性数十人が集うと、スタンド2階の特設会場は男性ファンで埋まった。馬券オヤジたち(私もその1人)がレースそっちのけで注目する姿は、ちょっと意外な感じがした。皆、競馬ファンである前に男なのである。

 午後から始まったコンテストは延々と続き、メーンレースの前にようやく終了した。参加者は地元だけではなく、箱根から足を運んだ人もいた。あでやかなチマチョゴリをまとった美人が一般の部で優勝し、民族衣装を着たガーナ人女性が3位と国際色も豊か。60歳以上の部で1位に輝いた地元の女性は「お馬さんが大好きで、毎日通っているんですよ。馬券でもいい思いをさせていただいています」と明るい笑顔で会場を和ませた。自作の着物が涼やかだった。また、紫で統一した受賞者によると、船橋はあんかけ焼きそばがおいしいらしい。そんな通な情報も得られて楽しめた。

 競馬場でベストドレッサーコンテストとは、全国でも珍しい。昨年から始まって今年が2回目。実は仕掛け人は川島正行調教師(58)。自ら企画立案して審査員も務めた。競馬ファンなら川島師を知らない人はいない。地方競馬で今年4億円を超える獲得賞金は、2位を大きく引き離して全国リーディング。昨年はアジュディミツオーでドバイWCに挑戦するなど、世界にも目を向けている。それほどのトップトレーナーが、時間を割いて地元の活性化に取り組んでいる。

 審査員には歌手小金沢昇司、千葉県調教師会会長の出川龍一師、騎手会長の秋田実騎手らも顔をそろえた。地方競馬を愛するロッテの大塚明外野手もプレゼンターとして一役買った。調教師は管理馬が出走する際に立ち合い義務があるが、川島師の意向で主催者に特例を認めさせ、イベントを優先した。秋田騎手も数クラを犠牲にしてファンサービスに努めた。なかなかできることではない。

 川島師は言う。「ファンあっての競馬。女性が来てくれれば競馬場が華やかになるし、男性客にも楽しんでいただける。昔と同じことをやっていても進歩はない」。自身もだて男で立派なヒゲがトレードマーク。ドバイでは羽織はかまで指揮を執った。耳にはダイヤのピアスが光る。厩舎スタッフには正装を義務付ける。全面改装された厩舎は立派の一言。「宵越しの金は持たない」と公言し、馬で稼いだ金は馬に返す。イベントで使用したテントは自費で購入した。「レンタルでも50万円かかる。買えば3回で元が取れる」。

 ちなみに一般の部優勝者の賞品は、ドバイワールドCツアー招待! ほかにもバッグやテレビなど豪華賞品が用意された。競馬に縁のない人でも気軽に参加できるから、我こそと思う方は来年チャレンジしてみてはいかが?

September 26, 2006 10:21 AM

2006年09月25日

泥をかぶるのは現場:沢畠功二

 パ・リーグのシーズン1位争いはし烈だが、球界にはとっくに秋風が吹いている。横浜は2年契約が切れる牛島監督の今季限りでの退団を早々と発表し、後任も元監督の大矢氏で固まった。就任時はスポットライトを浴びるのに、辞めるときは、後任人事の騒ぎに存在をかき消されてしまう。かわいそうだが、それが監督業でもある。

 巨人担当だった昨年を思い出す。堀内監督(当時)がフロントに辞意を伝えたのが、今ごろだった。もっとも阪神星野SDの招聘(しょうへい)騒動があったように、とっくに後任人事は進められていたのだが…。3年契約の2年目。チームが負けなければ、今ごろ指揮を執っていたかもしれない。最終戦の試合前、「敗軍の将、兵を語らず」と言い残した。出身地である甲府の英雄、武田信玄を尊敬する指揮官らしい言葉で、2年間に幕を引いた。

 「今年ダメなら終わり」と公言し、自らプレッシャーをかけて臨んだ05年シーズン。「(評論家時代を含めて)巨人キャンプを見てきた41年の中で最高。これぞプロのキャンプだよ」と自信も持っていた。結果はあえて書くまい。

 就任直後の03年12月、ホノルル市内の料理店。焼酎を飲みながらほろ酔い加減で話す姿は、すでに辞めることを覚悟しているかのようだった。「(01年オフに)長嶋さんから原になった時点で、オレの監督はないと思っていた。嫁にも『もう巨人の監督はないよ』と言っていたぐらいだしね。まあ、オレは次の監督がやりやすいように、泥をかぶればいいんだよ」。大型補強への疑問、世代交代の必要性などが、すでに浮き彫りになっていた。

 だからこそ、現有勢力で戦おうとした。そして汚れ役も買って出た。衰えが目立つ桑田に「オレは引き際を間違えなかった」と引退勧告。満身創痍(そうい)で必死にプレーを続ける清原には「球団の方針で若手を使う」と2軍落ちを伝えた。試合後のベンチ裏でつかみ合いをするなど公然と首脳陣批判をし、即解雇でもおかしくなかったローズだが、打力ダウンを避けるために起用し続けた。「先行投資だから」と負けても、負けても内海を先発で使い続けた。理想とした「グラウンドいっぱいに使ったスピード野球」を披露するどころではなかった。

 どんな常勝チームでも過渡期がくる。生え抜きが育たないから補強するのか、補強を繰り返すから若手が育たないのか。堀内政権の2年間は、そのあおりをもろに受けたように見えてならない。現役時代、エースナンバー「18」を背負い、V9に貢献。スポットライトを浴び続けただけに、監督の2年間は酷だったのではないか。

 甲子園で阪神の胴上げを見せつけられた夜、「ものには順序ってもんがある。お前らがそうやって(辞任と)言うから変になる。お前らが辞めさせようという意図が見てとれる」と語気を荒らげた。同行している後輩からの報告を受け「そうじゃないのになあ。辞めさせようとしているのは」と言いかけ、グッと言葉をのみ込んだのが1年前だった。泥をかぶるのは、結局は現場なのだ。

September 25, 2006 09:07 AM

2006年09月24日

前向きな失敗の意義:井上真

 J1東京のシーズン会員なのでよく試合を見る。子供と一緒のため自ずと説教臭くなるが、Jリーグから何を学んだか気にもなるので、その練習も見るようになった。

 見れば教えたくなる。すると教える難しさに直面する。成功→褒める、失敗→教える、それでいいのかと考える。成功のプロセスがまともか、偶然か、ズルか。見極めず結果だけ重視すれば、ほめられた子供は何がいいのか戸惑う。

 たとえば同じ失敗でも、吟味すれば2通りだ。何も考えず漠然と当然の結末としての失敗と、工夫しようとチャレンジしてのミス。教育論的に何の根拠もないが、なるべく後者の失敗をした時に、褒めるようにしている。

 前向きなミスなら正しいことは1つある。今までと同じではだめだと気付いた点だ。少しでもうまくなろうと思い試す。大切な失敗であり、下手くそが飛躍する兆しだと思っている。

 大学4年の春、都内の商業高校で数週間の教育実習をした。その間、サッカー部の練習も見た。レベルは低かった。部員にとびきり下手くそがいた。茶髪のロン毛が目にかかり、前が見えない。まっすぐ蹴れず、インサイドキックはおろか、トラップもシュートもできない。練習不足と指導者不在のせいだった。

 部員には、サッカーはゴールを奪うスポーツで、そのためにはいかにゴールに効率良く近づき、なるべくフリーでシュートが打てるかだ、と伝えた。基本練習も満足にできないがゲームをした。すると、試合途中で茶髪ロン毛君が、とんでもないパスを出した。それも無謀にもノールックのダイレクトパス。大きなサイドチェンジを狙った。当然、へなちょこキックになり、無残にも敵へのプレゼントボールになった。

 ただし、狙ったところには味方がいた。通っていれば素晴らしいチャンスが期待できた。

 悲惨な試合後、部員に基本練習の大切さを説明した。聞いているのか、いないのか、まるで手応えはない。終わる時、そういえばと思い出して茶髪ロン毛君に言った。「素晴らしい狙いだったな。でも、パスも通らなければ敵に取られてピンチになる。正確なキックと、ロングパスが蹴れるパワーと、ダイレクトキックができるボールタッチが必要だ。だから基本練習をしろ」。彼は両目にかかった茶髪ロン毛をかき分けもせず、下を向いて黙って立っていた。

 教育実習が終わり、部として色紙をくれた。その中に茶髪ロン毛君のコメントがあった。「先生に言われてうれしかった。練習を頑張りたい」。その後、彼が必死に練習したかどうか、知らない。ただ、あの時褒めたのは本当のことだった。ちゃかした気持ちはみじんもなかった。下手くそが、下手さをさらけ出し、嘲笑(ちょうしょう)覚悟で果敢に挑んだのに目を奪われた。

 うまくなりたい熱意が、からかわれるかもとのためらいを超えた時、その失敗には可能性があることを、子供たちには伝えたい。

September 24, 2006 11:11 AM

2006年09月23日

あんぱんと内助の功:村上久美子

 数日前、故三橋美智也さんの内妻で、最後のマネジャーだった二条弘子さんから電話があった。二条さんは最近、パソコンを扱うようになったそうで、先日このコラムで、ソフトバンク王貞治監督が三橋さんの自宅へ弔問で訪ねた話を紹介したが、その記事を目にして、懐かしく思い電話をくれた。

 思い出話は続いた。王監督の夫人が亡くなった時、二条さんが葬儀に参列すると、監督は深々と頭を下げ「あれ(弔問)から、顔を出せなくてすいません」とわびたそうだ。最愛の妻をなくした悲しみの最中でさえ、相手を思いやれる大きさに、いたく感心した事などを話していた。

 そんな中、必然的に会話の流れは、三橋さんの盟友だった歌手仲間の故村田英雄さんへと向かった。ちょうど10年前。96年9月20日、村田さんは大阪市内の病院を退院した。村田さんは前年の95年夏、心筋梗塞(こうそく)で倒れ緊急入院。心臓バイパス手術、糖尿病からくる壊疽(えそ)により右足を切断していた。

 95年に芸能担当になったばかりだった記者は、この1年半の間、病院へ通うのが日課になっていた。ただ、病院内のレストランでくつろぐ御大のもとへ、コーヒーを飲みに行くだけだったけど。ある時、おなかを壊して顔面真っ白なまま、いつものようにレストランへ行くと、いつものコーヒーではなく、あったかいうどんが出て来たことがあった。「ちょっとでも、何か食べないかんで」。御大は瞬時に察したようだった。ただ、あったかいだけのうどんではなかった。きつねうどんだった。

 その場で交わされたたわいもない話。「ほれた女にマンション買ったった」とか逸話の真偽をぶつけると、御大は笑い飛ばしながら、出身の九州の女性にほれマンションを買い与えた話などをした。結果的に寿命を縮めた糖尿病でさえ「地方行った時、ぽったん便所でな、おしっこしたら、ありんこがたかったんだよ。あれ? とは思ったよ」。あの時、酒を断ち、食事も節制していれば…それでも「そんなんでやめられるかよ」。豪快な“本物の”村田節をよく聞かされたものだった。

 一方で、大阪府内の自宅へ帰ると、食事制限で空腹に耐えきれず、夜中に冷蔵庫周りをあさって、家人に怒られてもいた。よく、真夜中に、あんぱんを食べようとして家人に発見され、しかられたそうだ。その話が出ると、御大は「腹が減るんだよ」と、ぶっきらぼうに口をとがらせた。

 そんな御大がひっそりと、奈良・橿原神宮でステージに立って歌ったことがあった。公式的に復帰する少し前のことで、客席から「夫婦春秋」を歌う御大を見た。家族の絆(きずな)歌う詞の中に、あんぱんをほお張る御大をしかり飛ばした家人の内助の功あって、今がある-との叫びが聞こえてきた。確かに、声量は全盛時のものではなかったが、歌は心で歌うもの。02年6月に亡くなるまで、岡山、佐賀…と、各所で歌を聴き、そう思った。今でもはっきり、歌詞の締め♪なあ、お前~♪ の最後の声が震えていたことは覚えている。

September 23, 2006 01:24 PM

2006年09月22日

「ホーム」と呼べるか:松井清員

 これでもか、これでもか。今年のオリックスは最初から最後までけが人に泣かされた。先日の西武戦でも2日間で菊地原、本柳、ユウキの3投手が故障で抹消。とうとう人員補充も追いつかず、本来ならベンチ入り投手9人のところ7人で戦った試合もあった。

 清原、中村、北川、谷、阿部真、平野恵、後藤、吉井、川越、大久保、セラフィニ、デイビー。主力だけでこれほど登録抹消者が出ては、5位低迷は仕方ないのかもしれない。どの球団を見てもここまで故障者が出たチームは過去にもない。来季巻き返しへ、けが人撲滅は重要なテーマの1つになることは間違いない。

 「でもこのままなら、来年はもっとけが人が出るんじゃないですか」。そんな中で、選手からはさらなる不安が聞こえて来た。オリックスは来季から専用球場を神戸から大阪に移す。スカイマーク(以下スカイ)での主催試合数は約20試合強に減り、京セラドーム(以下ドーム)での試合数は約40試合強に増える。ダブルフランチャイズ制の認可期限が切れる再来年は、より“大阪のオリックス”色が強まり、約9割がドームでの試合となる見込みだ。

 スカイは12球団唯一の内外野天然芝。一方のドームは人工芝。当然選手の足腰への負担はまったく違う。ただでさえレギュラークラスの平均年齢は30歳以上。優勝へベストプレーを見せるどころか、故障が増えるのではと心配するわけだ。

 何より1番の問題は、具体的対策が後れを取っている点にある。選手会長の川越はすでに、球団に足腰に優しいハイテク人工芝への張り替えを要望している。「今のドームの芝はちょっと硬い。選手の体に負担のかからないようなものに変えてもらいたいんです」。

 97年に開場したドームの人工芝は03年に1度張り替えられた。だが摩耗などもあり、他球場の最新式に比べると硬い。ある外野手は「コンクリートの上で野球をしている感じ」と言うほどだ。「ドームは嫌いだし試合が増えるのはイヤ」とはっきり言う投手もいる。

 だが残念ながら今の球団に、深刻な叫びに耳を傾ける空気は乏しい。ドームは今年オリックスが90億円で買収し、自分たちのものになった。「でもすでにオフにはイベントが入っていて、張り替え工事をする時間が取れるかどうか」(球団関係者)というものだ。

 もちろん選手会も球団任せではいけない。本当に張り替えを望むならもっと声を大にし、切実に訴えていく必要がある。だが現状は人任せ的で空気は薄い。選手会長の川越1人に任せるのでなく、1人1人がもっと声を上げるべきだろう。

 一体誰のためのグラウンドなのか。そこは来シーズンこそ屈辱を晴らすべく、それこそ自分たちが命懸けで戦う場所ではないのか。ホーム球場で有利に戦えないならこれほどの悲劇はない。故障してからでは遅いし、あとで不平不満や泣き言を言っても遅いのだ。

 選手会の心からの叫びが結集してこそ、球団にも思いは届く。工期の再検討など、是が否でもベストの環境を提供しようと誠心誠意、努力するのではないか。7年連続Bクラスのチームが勝つためには、球団と現場が「本気」にならないと無理だ。人工芝張り替え問題が1つの象徴だと思う。

September 22, 2006 09:58 AM

2006年09月21日

悲劇呼ぶ人ごと感覚:村上秀明

 悲劇はいっこうに止まる気配がない。飲酒運転による交通事故が全国で次々と起こっている。8月に福岡市で幼児3人が亡くなった痛ましい事故の後、連日のように報道されているが、それでも後を絶つ気配がない。マスコミがいつも以上に各地の飲酒運転事故を報道するため、増加の印象があるのかもしれないが、少なくともゼロに近づいていないのが現状だろう。

 先日まで、警察庁が「取り締まり強化週間」を定め、全国各地で検問が行われたように、当然ながら撲滅の動きは活発化している。アルコールを提供する飲食店では、飲酒運転をしない誓約書を書かせたり、客の送迎、代行運転の手配などを始めたところがあるという。飲酒運転の同乗者や、酒類を提供した側の責任も確かにあるだろう。だが、限りなくゼロに近づけるには、結局は本人の意思以外の何ものでもないような気がしている。

 例えば、周囲がいくら酒を勧めようが、本人に断る勇気さえあれば、そこで飲酒運転が起こることはないはずだ。飲酒事故を起こす人の「ちょっとだけなら大丈夫だろう」という軽い感覚も、強い意思があれば完全にシャットアウトできると思う。何より、交通事故は自分には関係ないことと思い込んでいる「人ごと感覚」が心理の根底にある気がする。

 恥ずかしながら、自分も交通事故を起こしてしまったことがある。9年前、入社2年目のことだった。飲酒運転ではないが、販売部所属だった当時、北海道・オホーツク海沿岸の小さな町の山道で前方3台を巻き込む追突事故を起こしてしまった。脇見をした瞬間、前の車の急停車に気付くのが遅れたからだ。

 追突してしまった前方の運転手、同乗者の方たちの命には別条がなく、自分自身も約2カ月の入院、リハビリで社会復帰することはできたが、多方面に多大な迷惑を掛けた。車は快適な生活を送る重要なアイテムだが、ときには走る凶器にもなり得る。あらためて痛感させられたが、もう遅かった。一瞬にして、他人の人生を変え、自らの生活も大きく変えてしまうところだった。

 入院先のベッドで何度も思った。「まさか自分が」「交通事故は自分には関係ないと思っていた」。自分の心の中にも、このときまで「人ごと感覚」がこびりついていたのだ。不注意の運転を引き起こしたのは、この感覚以外のほかならないと思う。もっと早く何らかのきっかけで意識改革ができていれば…。自戒の念とともに、後悔の気持ちが今でもわいてくる。

 今まで交通事故に無縁だった人が「人ごと感覚」を180度転換するのは容易ではないかもしれない。それでも、警察の検問実施、自治体や飲食店の地道な活動は、ドライバーの意識改革の手助けにはなるはずだ。過ちを繰り返さないためにも、最近の飲酒事故の悲劇を教訓にしたい。これをきっかけに、まずは1つの意識から撲滅してほしいと思う。「オレ(ワタシ)には関係ない」という精神を。

September 21, 2006 12:09 PM

2006年09月20日

改心もたらした台風:浜崎孝宏

 遺書を残そうか。一瞬、そんなことを思った。仕事で石垣島に行った。台風13号が、島に上陸しそうだという情報は知っていたが「大したことはなかろう」とたかをくくっていた。宿泊したホテルは石垣空港より山手に車で約2分。コバルトブルーの海を一望できる、リゾート満点の宿だった。台風上陸の数時間前までは、時折、日が差すなど本当に台風が来るのか信じられないくらいの天候だった。

 しかし、台風が島に近づくにつれ曇天の空に変わり、風が強さを増した。ホテルの部屋で眠りについた後、一晩中、ベッドは揺れ続けた。窓ガラスが弓なりになりながら「ミシッ、ミシッ」と雨、風に耐え続けた。外の明かりはまったく見えないほどの雨脚だった。電気は停電。水はストップ。瞬間最大風速60メートル超の嵐が過ぎるのを待つしかなかった。部屋が左右に揺れているのを十分に両足で感じ取った。

 「ホテルが倒壊して、死ぬかもしれない」。石垣島で恐怖におののいた。そんなとき、ふと家族の面々が浮かんだ。遺書を書いておくべきか。変な思いが一瞬、頭をよぎった。書くなら何を書こうか。伝える内容を頭で整理した。まずは、妻へ。「感謝している。ありがとう。両親を大事にしてください。会社の人に手紙を出す際は、ありがとうございました、と伝えてください」。次に子供たちへ。「けんかをせず、兄妹、仲良くしなさい。ママの言うことをよく聞きなさい」。

 思えば、子供たちには迷惑もかけた。スポーツ新聞の仕事は、土日、祝祭日にイベントが行われるケースが多い。子供の運動会や父親参観日は休日と重なるケースが多いため、イベントに出席できないことも多い。会社の同僚も皆同じだ。先日、長女が通う幼稚園の父親参観日があり、仕事で欠席した。長女のクラス約30人のうち欠席者は3人だったそうだ。幼稚園の先生が、父親との共同作業を授業中に課題として与えると先生の前に出て行った長女は、悲しいかな「パパ、おらんもん」と言ったそうだ。

 高校サッカーの顔として知られる国見の小嶺忠敏総監督の言葉を思い出す。「子供は一生懸命やっている父親の背中を見とるんですよ。情熱を持って事に取り組んでおれば、子供はしっかり育つんですよ」。年間100試合以上の練習試合、遠征をこなし、情熱をサッカーに傾けながらもしっかりと子供を育てた指揮官の言葉が脳裏に浮かんだ。台風真っただ中の石垣島のホテルの一室。ろうそく1本の明かりの中で、嵐の音におびえながらも、自分の存在は何か、を考えるいい機会だった。子供の成長を見る機会が少なくとも、必死に働く後ろ姿を見せることが、父親の役目だと思った。

 恐怖の一夜は、無事に過ぎたが、翌朝、道端で真っ二つに折れた電柱を見掛けた。まだ、遺書を書くほど、一生懸命、仕事はしていない。ばかなことを考えたものだと、おかしかった。おなかがすいた。生きている実感がわいた。

September 20, 2006 09:21 AM

2006年09月19日

自然体で楽しむ人生:山内崇章

 笑っているようにも見える老女の目からポロポロと涙が落ちてきた。稲川誠さん(70)がエンディングに選んだ曲は「見上げてごらん夜の星を」。お年寄りだけのギャラリーで埋まった館内は、稲川さんの優しい声と柔らかなギター音にしっとりとした空気に包まれた。白髪の主役が歌い終えると、しばらく拍手と歓声が鳴りやまなかった。

 稲川さんは、3年前から神奈川県茅ケ崎市の老人養護施設で定期的にコンサートを開くようになった。12人で結成したアマチュアバンド。メンバーの平均年齢も60歳を軽く超えている。高校時代から音楽を趣味にしてきた。担当はボーカルと得意のギター。「お金は一切いただきませんよ。だって人を喜ばせられるだけで十分幸せじゃないですか」。ボランティアを始めた理由をしみじみと話す。

 本業は、横須賀市にある横浜ベイスターズ寮の寮長さん。オールドファンなら知っている人も多い元プロ野球選手だ。1962年(昭37)から実働7年で83勝、入団2年目に球団記録の年間26勝を挙げたエースピッチャーだった。負けん気の強い投球スタイルで全盛期の王さん、長嶋さんをきりきり舞いさせたこともある。年間300イニング以上の登板が当然とされていた時代だけに、肩ひじの消耗も早かった。

 「それはもう昔話。野球選手に限界はあっても、人を喜ばせる趣味の世界に定年はありません。変わってるでしょ、僕」。のんびりした口調には、過去の栄光にしがみつかず自然体で今を生きるすがすがしさがある。人生の楽しみ方を知っている人だ。チョウの採集家でもあり、日本に生息する240種以上を標本にしている。ギターの腕前もプロ級だ。サザンオールスターズ桑田佳祐の実姉と親交があり、直接指導を受けて技術を磨いた。

 試合中、記者席にいる僕によく電話がかかってくる。現役引退後は20年間、大洋のコーチを務めた。選手を見る目も温かい。「山口は夏場に懸命に走っていたんだ。ボールだって走ってるはずだよ。那須野の制球はどう?」。寮から1軍の試合に通う若手が気になって仕方ない。打たれて帰ってきた夜、部屋で落ち込んでいる選手に声を掛けるのも稲川さんの仕事だ。「1点取られたら2点やるな、2点取られたら3点やるな、3点取られたら絶対に4点目をやるな。そう思って投げれば次は勝てる」。

 歌い終えた稲川さんが、僕を見つけてポツリと話した。「ここにいる人はね、みんなどこか寂しさを抱えているの。本当は家族と一緒にいたくても、迷惑を掛けたくないって、自分でためたお金、年金をはたいて来る人もいるんだよ」。握手に駆け寄る老女たちの目は輝いている。花束を渡して「私と恋愛してみる!?」なんて冗談を飛ばす人もいた。何となく稲川さんの言う意味が分かる気がした。

 「読む人を喜ばせる記事を書きなさいよ。それが記者の生きがいじゃない」。僕に話してくれる言葉もすうっと心に落ちてくる。球界に身を置きながら、視野を広げて人生の楽しみを見つけてきた稲川さんならではのアドバイスに思える。野球でファンを魅了し、歌でお年寄りを喜ばせている70歳は文句なしに格好いい。モテモテの稲川さんの顔は本当に幸せそうだ。こんな大人になれたらと思う。

September 19, 2006 11:09 AM

2006年09月18日

牛丼復活に安倍さんは:寺沢卓

 自民党の総裁選が終盤を迎えて…、盛り上がらない。そりゃ、そうだ。安倍晋三官房長官が国会議員票、党員・党友票合わせて703票のうち600票を超えそうだ、なんて情報が乱れ飛ぶ。結果が見えているからだ。

 安倍さんの掲げる政権公約には、聞こえのいいものが並ぶ。だが、キャッチフレーズ「美しい国、日本。」のように、分かりやすそうでいて、具体性がないため迫力不足は否めない。

 このままなら安倍さんが20日に自民党総裁となる。翌21日が誕生日。総裁就任初日に、バースデーケーキのろうそくを吹き消す…何かよくできたシナリオだ。

 皮肉なことに大きく差をつけられた谷垣禎一財務相、麻生太郎外相の方が個性では目立ち始めている。

 谷垣さんはビシッ、とクシを入れたスキのない髪形で「絆(きずな)」を合言葉にして、まじめで実直そうなキャラクターを確立させた。今後は自身のホームページに「絆」というタイトルで、オリジナル演歌でもつくって、携帯電話の着メロ配信でもすれば話題性が増すのではないか。日本蕎麦(そば)協会の会長を務めているあたりも、なかなかに渋さが光る。

 麻生さんも遊説するたびに、ご当地演説で聴衆の支持率をグングン上昇させている。オタクの聖地・秋葉原では「『キャプテン翼』は、中東では『キャプテン・マージド(翼)』と呼ばれている。日本がサマワに送った給水車にもマージドのシールが張られていたので、(自衛隊は)襲われなかった」と漫画通ぶりを発揮した。札幌市では「東京も福岡も雪でイベントはできない」として、雪祭りの経済効果に触れて地方活性化を訴えた。あるテレビ局記者は「麻生さんは使えるブイ(ビデオ映像)が多い。その地方でどんなことをしゃべるのかが面白い」と話している。

 さて、そこでどのようなパフォーマンスが飛び出すのか注目したいのは吉野家の牛丼が復活する明日18日。今年7月、BSE問題で揺れた米牛肉の輸入再々開が決まった。その当日、川崎二郎厚労相は米牛肉を食べるか、との質問に「立場上、食べますよ」と答えた。文脈からすると、担当大臣だから仕方なく食べるのか? とガッカリした。

 総裁選3候補なら、どう答えるのだろうか。「吉ギュー」の復活は約1年7カ月ぶり。午前11時から100万食限定で販売する。これを使わない手はない。谷垣さんなら「日本人と米国産牛肉の絆は固いんです」かな。麻生さんは「筋肉マンの大好物。第1話から街角で牛丼を食べていた」とでも得意の漫画ネタでくるか。安倍さんは「おいしいですねぇ」程度か。

 ある記者との立ち話。「安倍さんはハシの持ち方が美しくないようだよ。何かをつかむとバッテンになるんだと」。ならばなおさら見てみたい。個性で目立つチャンス? ハシで自信がないならスプーンを使うウルトラCもありますよ。

September 18, 2006 11:03 AM

2006年09月17日

等身大の平山に期待:藤中栄二

 その怪物には「期待に応える」という瞬間を2度も見せてもらった。最初は、サッカーのオランダリーグ・ヘラクレスを退団したFW平山相太が長崎・国見高3年だった04年1月の高校選手権準決勝。平山が優勝と得点王の2冠獲得が目前まで迫り、周囲の注目が最高潮に達していた試合だ。そんな重圧のかかる滝川二高戦で、平山はいとも簡単にハットトリックを達成してみせた。取材をしながら全身に衝撃が走ったことを覚えている。

 2度目は、その翌月だった。同2月9日、アテネ五輪を目指すU-23(23歳以下)日本代表候補のイラン戦。同候補入り後の「デビュー戦」で初ゴールをいきなり決めた。「怪物」と呼ばれるにふさわしい活躍だった。既に03年秋にU-20日本代表に「飛び級」で入り、ワールドユースに出場。この年も「2階級特進」でアテネ五輪代表メンバーに入った。190センチの長身。高校生ながら若手Jリーガーと一緒にいても存在感は十分で、常に上の世代の中に入っても「期待に応える」華やかさが印象的だった。

 その後もJリーグを「飛び級」し、昨年8月にヘラクレスに入団した。筑波大を退学し、欧州リーグに専念。31試合で8得点の活躍をみせた。ヘラクレス退団後、すぐにJ1東京と契約を結んだ。本場欧州のオランダリーグでプロデビューしてJリーガーになった異例のケースである。

 目立つがゆえに期待は高まり、平山もゴールを奪ってきたはずである。しかし、東京加入が決まったと同時に「Jリーグで楽にプレーできると思ったら大間違い」「これからは厳しい目で見られる」と言った声が一部からあがっていると聞く。ただし冷静に考えてみると、21歳でJリーガーになったことに何の不自然さもない。

 高校を卒業するのが18歳。Jリーグのクラブに入ってプロに慣れるまで最低2年はかかるとされる。3年目の21歳からやっと頭角を現して定位置をつかむ。それが本来の出世路線だ。平山は下積み期間を欧州で過ごし、きっちり結果まで出してしまった。やっと本来の路線に戻ったが、やはり周囲は「飛び級」の活躍を期待してしまうということか。

 本人に強い意識はないと思うが、周囲の期待に応えようとするあまり、無理に「背伸び」をしていたのではないか。17歳あたりから常につま先だってプレーを続け、8日にオランダから日本に戻ってきた。「海外生活になじめなかった」との理由も耳にする。その苦悩は本人だけにしか分からないこと。日本ではしっかりと地に足をつけたプレーができるはずだ。

 そろそろ平山を見守る側も「飛び級」の目をリセットしたらどうだろうか。「背伸び」ばかりしていたら疲れてストレスもたまる。活躍を心待ちにしつつ、21歳のJリーガーであることも受け入れる。欧州リーグで培った経験は大きな下積みとなってJリーグで発揮されるに違いない。そして2年後の08年には本来の世代である北京五輪が待っている。平山の「期待に応える」姿が待ち遠しい。

September 17, 2006 10:27 AM

2006年09月16日

騎手と女房のドラマ:岡山俊明

 吉永正人調教師の遺影は、穏やかにほほ笑んでいた。騎手時代の馬上や調教師になってからも、そんな朗らかな表情は記憶にない。取材現場で毎朝顔を合わせていた。今となってはナゼもっと昔の話を聞けなかったのかと悔いが残る。

 通夜の席では元夫人の吉永みち子さんが、喪主の長男護さんの隣で悲しみに暮れていた。散会してからも、しばらく祭壇の前から離れなかった。77年に結婚し、後に別れてからも折に触れて会って励ましていた。吉永姓を名乗っているのも、強いきずなで結ばれていたからだろう。「3月に子供たちもそろって集まった時は、飲んだり食べたりしていました。落馬しても病院に行かなかった人でしたが、7月ぐらいから腹が減らないとこぼすようになった」。

 亡くなる前の1週間は、毎日のように病室に顔を出した。「現役の時は命を懸けて乗っていました。減量がきつく、食べられるのは月曜と火曜だけ。水曜からはほとんど食べられない。いつも飢えていた」。競馬が終わってようやく取れる飲み物は、ビールを好んだという。美酒は瞬く間に干からびた体に通い、人間に戻した。だから病の床でも、ビールを欲した。

 みち子さんとは2度目の結婚だった。先妻は3人の子を残して同じ胃がんで亡くなった。吉永騎手をひいきにしていた詩人寺山修司はこう書いている。「愛妻に死なれてからの吉永正人は、めっきり勝てなくなった。騎手成績もぐんぐん下がり、ベストテンどころか今では二十傑にさえ顔を出していない。ジョッキールームの片隅で、ぼんやりと物思いにふけっているのをよく見掛ける。もともと無口な男だが、最近はほとんど口を利かなくなったように思われるのである」。元気を失った吉永騎手をよみがえらせたのは、やはり女性の愛情だった。

 再婚後はモンテプリンス、モンテファスト、ミスターシービーといった名馬と縁ができ、40歳で初めて8大レースを制した。晩年の82年から84年の3年間でG1級レースを7勝。競馬人生も得意のドンジリ強襲だったなあ。みち子さんが「気がつけば騎手の女房」を出して大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したのは、このころだった。「美浦に越して来た時かな。馬にも恵まれてきて」。一番の思い出を尋ねられて、騎手の女房はこう振り返った。

 常識外れの競馬でもぎ取ったミスターシービーの3冠はもちろん心に残る。負けた競馬も忘れられない。80年のダービーで、モンテプリンスがオペックホースと繰り広げた死闘。故人から聞きそびれた話を、ライバルのあん上にいた郷原洋行調教師が代弁してくれた。「必ず勝ち負けの差は出るけれど、互いにやるだけやった。結果は2人で出した答え。死力を尽くしたのだから吉永も悩んだり悔やんだりはない。おれもホッとしたし吉永もホッとしたと思う。いい思い出だ」。

 それぞれの心に吉永正人の名は刻まれている。そして、名優を支えた妻なくしてドラマは生まれなかった。

September 16, 2006 11:52 AM

2006年09月15日

微増もFプロ前向き:沢畠功二

 8月31日、ヤクルト-横浜戦が行われていた神宮球場の記者席に、1枚のリリースが配られた。主催55試合目にして今季の入場者総数が100万人を突破したという内容だった。くしくも昨年と同じ55試合目。「こんなものだよ」。紙を見ながら、ある球団関係者がつぶやいた。何に対しての言葉だったのだろうか。参考までに同日時点のセ・リーグ入場者数は以下の通りで、巨人以外は軒並み増えている。

 阪神   △1・3%
 中日   △4・2%
 横浜   △10・4%
 ヤクルト △0・3%
 巨人   ▼1・1%
 広島   △7・1%

 神宮球場で、やたらと目につく「○○デー」。球場を満員にしようと古田兼任監督の就任と同時に発足したF-プロジェクトが中心となって、あの手この手の集客作戦を展開してきた。「ゆかたでナイター」では浴衣姿の古田兼任監督が、赤じゅうたんの上で金髪女優と記念撮影をし、「スチューデントデー」では学生には安くチケットを提供した。「メガネデー」ではさまざまなメガネを着用したファンが集結し、日本ラグビー協会やJ1東京ともタイアップした。超人気ユニット「タッキー&翼」まで呼んでしまった。

 楽しめていい。野球場なのにチャラチャラしている…賛否両論、いろんな意見があるだろう。それだけグラウンド内外に話題が多かった今季は、成果が期待できると踏んでいた関係者は多かったはず。ところが、集客増は0・3%と微妙な数字である。

 全日程終了時に、プラスを確保できるか疑問だ。9、10月は客の入りが見込めない。入場者数は01年から減り続けている。1度落ち込んだ数字を元に戻すのは並大抵ではない。1試合平均では昨年比52人増の1万8293人。総数で2855人が増えただけとはあまりに寂しくないか。

 球団はどう分析しているのだろうか。F-プロの企画に携わる関係者に悲観した様子はなかった。「数だけでなく質の部分も見て欲しい。昨年よりライトスタンドのヤクルトファンは増えている。確かに全体の数は微増ですが、ファンは増えていますよ」。ある幹部は「(ゴールデンウイークに東都大学をナイター開催にして)デーゲームを増やし、F-プロもいろいろ企画した。もし、何もしていなければ前年よりは減っていたはずだから」と前向きに受け止めていた。

 確かにF-プロ効果で広告や看板収入は増えたようだが、出費もかさんだ。放送権の減収、積極的な補強もあり、上半期だけで赤字は昨年程度にまでに膨れ上がったという。それでも球団にとっては赤字覚悟の1年目で、カネをかけてもいいから、やるだけやってみようという意欲を重視している。もっとも選手からは、年俸に少しでも反映させてくれよという声も聞こえてきそうだが…。

 目新しさがなくなる来年は、もっと厳しくなるだろう。「こんなものだよ」との冒頭のセリフ。本当はもっと伸びると思っていた。だからこその悔しさ、怒り、不満、やるせなさ。そんな思いが凝縮されている。

September 15, 2006 11:34 AM

2006年09月14日

姑息なネクタイ着用:井上真

 ネクタイをしたかどうかで騒がれるのは、この平和な日本の中でも、4日の初公判に臨んだ堀江貴文被告だけだろう。とても気になった。ニュースで知り「無罪を勝ち取るために必死なんだな」と感じたが、具体的な場面を知ると感想も変わってきた。

 裁判長にだけはネクタイ姿を見てもらいたかったようだ。東京地裁に入る時はどこかに“ブツ”を忍ばせ、法廷前の廊下で必死に締め、閉廷し裁判長が退廷しするとすぐに外した。そんなことに必死な堀江被告が、こっけいで面白かった。そこまで面倒くさいことをする何か特別な理由があったのなら、ぜひ知りたい。

 堀江被告は、金があれば何でもできるとの独特の価値観で大きな騒ぎを巻き起こした。固定観念を打破する新時代のヒーローとしてもてはやされたが、今は宮内被告ら側近にも見放された格好で、等身大の“ホリエモン”に戻った感じがした。

 あれだけしないことにこだわっていたネクタイをした。たかがネクタイだが、自分の名誉と将来のためには、再び社会規範に沿った行動を取ったと感じた。

 やっぱり賢い。いい意味ではない。ずる賢い。ツボを心得、効率を重んじ、最大限の成果を目指す、いかにも損得勘定にたけた、らしい選択だった。あれだけ拒否していたネクタイをすれば最初だけでも、裁判官の心証は良くなる。敬意の証しになり、インパクトも強い。

 ならばなぜ、その賢い姿を堂々と見せないのか。ネクタイ着用は、どうせすぐに知られてしまうことだ。着けたり外したりと面倒くさいことをせず、普通にネクタイして入廷し退廷すればいいだけのことだ。むしろ、手間をかけたことは姑息(こそく)にも映り、マイナスにすらなる。

 人と同じにできない、普通にできない特性があるのかもしれない。普通にしたい堀江被告自身を邪魔する何かがある。屈折したプライドか、間違った意地か、きっと機会があれば、本人は巧みにペラペラとしゃべるだろう。

 株を駆使し企業買収をしては大騒ぎするホリエモンの大冒険は終わった。今度はネクタイを締め、TPOを上手に使い分ける、スケールダウンした本当の人生が始まる。きっと、つまらない。でも、多くの人はそんなつまらない日常の中、失敗ばかりして、それでも何とか生きている。

 我々一般人は、ネクタイをすることに、そこまでこだわっている暇も理由もない。第一、自意識過剰なまでに、自分のネクタイ姿を気にする人間などばかげている。人からどう見られるのか、そのことで彼の頭の中がいっぱいになっているのが想像できる。

 問われているのは、粉飾決算など証券取引法に違反したかだ。なぜそこまで徹底して検察に調べられることになったのか? そのことを深く考えず、ネクタイ着脱の綿密なタイムスケジュールをたてているようじゃあ…。人間の器量というものがあるなら、これで彼のスケールははっきりした。それを気にする我々は、もっと小さいことを否定できないのが悔しいが…。

September 14, 2006 12:03 PM

2006年09月13日

きん枝に学んだ情:村上久美子

 日本テレビ系「笑点」でピンクの着物でおなじみの三遊亭好楽(60)が芸道40周年だという。記念公演(19~21日、よみうりホール)の会見に、出席した。

 照れたような人なつっこい笑顔に、いたずらっぽさを携える。同席していた三遊亭小遊三は、好楽を「自然と人が集まる」人柄と表した。66年に8代目林家正蔵に弟子入りし、27回も破門宣告を食らったという。「なるほど、やんちゃ坊主な顔。失礼ながら、かわいい。でも、どっかで見たな、この雰囲気…」。

 まじまじと観察していると、思い出した。上方落語界で5代目桂文枝(故人)一門、2番弟子の桂きん枝(55)だった。若いころは、かつての人気番組「ヤングおー!おー!」で、桂文珍、月亭八方、林家小染(先代、故人)とともに「ザ・パンダ」として活躍した。

 彼も好楽と同じく、仲間に慕われる、いや、いつも誰かが助けたくなる人柄。度重なる事件で破門されたこともあったが、師匠筋の6代目笑福亭松鶴(故人)が取りなして復帰した。

 30代の記者は、彼がベテランの域に入ってからしか知らないが、悪い印象は1つもない。横山ノック前大阪府知事が女子大生セクハラ事件を起こした時、親しいタレントは、全員が固く口を閉ざした。親派の1人だった彼も、事務所の対応によると、しゃべらない〝はず〟だった。

 その日、彼はうめだ花月シアター(当時)に出演しており、劇場外へ出た時に声を掛けた。「お、何かあったん? おれ、何も悪いことしてへんで」。目的を知っていて、場を和ませるように笑った。その後「言えることは言うたるけどな」と、話し始めた。

 分け隔てなく接し、情には情で返すのが人の道、と学んだ。人柄としては最高なのだが、兄弟弟子が優秀過ぎる不運もあった。

 師匠の文枝は戦後、没落しかけた上方落語を桂米朝、桂春団治、松鶴の4人で復興させ、上方落語四天王と呼ばれた大名跡。筆頭弟子は上方落語協会会長の桂三枝、次がきん枝で、3番目が古典への取り組みでは類を見ない桂文珍だ。

 この桂3兄弟。よく「しっかり者の長男、やんちゃ坊主の二男、ちゃっかり者の三男」と称されるが、まさにそのまま。タレント活動と並行し、新たなジャンルを生み出そうと創作落語を手掛けたのが三枝で、正統派路線を歩み、師匠から最も怒られなかったというのが文珍だった。

 師匠の文枝に後継問題を聞いた時「それはさておき、誰がかわいい言うたら、1も2もなくきん枝」と、これだけはきっぱり言い切った。女性の弟子もとり、弟子がタレント活動を優先しても放任主義だったが、最も迷惑を掛けられた二男坊がかわいくて仕方なかった。実際の親心と同じ。

 こんなことを思いながら好楽を見ていると、江戸も上方も、情でつながる師弟の世界は共通-。当たり前のことを思った。が、しかし! たった1つ、決定的な違いがあった。会見の最後の3本締め。「打~ちましょチョ、チョン…い(祝)おうてさんど(3度)チョン、チョン、チョン…」の大阪締めに慣れきっている記者は、最後まで手を打てなかった…。

September 13, 2006 12:30 PM

2006年09月12日

心動かすのは難しい:松井清員

 人間は達成可能な目標に突き進む時、ものすごい力を発揮する。でも一度その夢をかなえてしまうと、なかなか本気には戻れない。高校野球などではよく「勝負への執念、気持ちが大事」といわれる。でもそれはプロ野球も同じとつくづく感じた1年だった。オリックスで開幕ローテーションを務めたデイビーとセラフィニ。同じ32歳の両助っ人投手が送った好対照なシーズンを見ていて、人間にとっていかにモチベーションが大切かを痛感させられた。

 とにかくデイビーはキャンプから必死だった。昨オフに広島を自由契約になった右腕に、手を差し伸べたのがオリックス。1年契約で年俸は3600万円。もうあとがないという“土壇場感”や、恩返しの気持ちもあっただろう。結果を残してジャパンマネーを稼いでやろうというハングリーさが、まじめな練習態度からも伝わって来た。7月に右太もも肉離れで一時戦列を離れたが、完治していない状態でもすぐ志願の復帰。ほぼ年間ローテを守り、ここまでチームトップの9勝(7敗)、防御率はリーグ4位(2・66)の好成績を残している。

 一方セラフィニは昨年のアジア王者ロッテを支えた11勝左腕として、鳴り物入りで入団した。2年契約で1年当たりの年俸も6000万円から約3倍の1億7250万円にアップ。だが「来年」を保証されたことで満足してしまったのか。キャンプから調子が上がらない。そして左肩痛を訴え、4月と6月に自らの希望で2度の治療帰国。つい先日も「臍(さい)ヘルニア」、いわゆる「出べそ」の治療で3度目の帰国となった。登板7試合で0勝4敗、防御率9・97の成績。中村監督は「もう想像を絶した」と失望感いっぱいで、「だまされた」とまで言う球団関係者もいる。ケガや病気は不可抗力にしても、何が何でもの執念は最後まで伝わって来なかった。

 拾い物の3600万円とドブに捨てたも同然の1億7250万円。2人の現状を目の当たりにした球団は今、来季の契約に頭を悩ませている。セラフィニは来季も活躍に疑問符が付くが、2年契約を結んだ以上、今季と同額を支払っての残留が決まっている。問題はデイビーの方だ。今季の活躍から年俸の大幅アップは確実。だがどこまで増額すれば満足させられるのか…。さらに問題を複雑にさせるのが、他球団の動向だ。オリックスは昨年、14勝右腕JP(現登録名パウエル)との契約が難航して決裂。複数年で好条件を提示した巨人に“横取り”された苦い経験があるのだ。

 日本で実績を残した助っ人の獲得がはやる球界にあって、格安かつ安定感のあるデイビーに他球団が興味を示しても不思議はない。当然デイビーもより良い好待遇を求めていくだろう。かといって複数年契約や過分な昇給は、第2のセラフィニを生まないとも限らない。だがその心を満たさなければ、第2のJPを生む可能性もある。球団首脳はハムレットの心境を明かした。「2年連続勝ち頭が流出したら、来年も苦戦必至だ。でもつくづく人の心を動かすのは難しい。本当に契約したいのはハングリーな心なんだけど」。教訓を生かして、どんな契約交渉を行っていくのか。その手腕にも注目していきたい。

September 12, 2006 01:51 PM

2006年09月11日

うわさ利用町おこし:村上秀明

 北海道・旭川市の旭山動物園は、今年8月の入園者が60万4376人だったという。上野動物園の2倍以上で、約36万人の人口を考えると驚異的な数字だ。全国に広がり、今ではすっかり観光名所として町の活性化に一役買っているが、北海道内には夕張市のように財政破たんした自治体もあり、町を取り巻く状況はさまざまだ。

 町おこしには名所、名物をPR、イベントの開催などやり方は多数あるだろうが、北海道南西部にある室蘭市での活動は少しユニークだ。やっていることは極端に言うとうわさ話を広げること。発信源の不明なうわさに対し、真剣に真っ正面から取り組んでいる。

 同市内に白鳥大橋が開通したのは98年6月のこと。構想から着工まで30年かかり、完成までさらに10年の歳月を要した。室蘭港に架かる長さ1380メートルの東日本最大のつり橋で、自動車専用道路だ。純白の橋で白鳥が翼を広げたような形に見え、夜間には風力発電によるライトアップが行われ、若者中心に観光スポットとなっている。

 「白鳥大橋をカップルで渡ると結ばれる」。そんな縁結びのうわさが、04年末ごろから地元を中心に広がり始めた。発信源は不明だが、地元メディアでも徐々に取り上げられるようになった。「愛の懸け橋」としてのうわさを広めて活性化に生かそうと、市民団体「白鳥大橋ハッピープロジェクト」が立ち上がったのは昨年3月だった。

 市職員や学生、NPO法人関係者など20~30代の若者が集まり、これまでデートマップ作製や年越し行事を企画した。地元出身の女性シンガー・ソングライター百香(ももか)も、白鳥大橋を題材にしたバラード曲を今年3月に発表。中央競馬の札幌開催中に実施されるレース「白鳥大橋特別」では、2年連続で実際に橋を渡って結ばれたカップルが表彰式のプレゼンターを務めPRしてきた。これらの活動は町おこし団体だけではなく、民間や行政機関が一体となったもので、それだけ真剣度が伝わってくる。

 さらに今月2日には、初めて縁結びのバスツアーを実施した。定員には届かなかったが北海道内から8組のカップルが参加し、銀粘土の指輪作りや、幸福の鐘を一緒に鳴らす甘~いツアーを楽しんだという。うわさを真実に変えてしまうのではないかと思わせるくらい、バイタリティーにあふれ、数々の企画をつくり出す市民団体には頭が下がる思いだ。

 05年度に室蘭市を訪れた観光客は120万3200人で、前年度比で約5万人減だったが、年末の年越しイベント「白鳥大橋カウントダウン」は前年比16・8%増の3500人が集まった。うわさから始まったプロジェクトで、白鳥大橋の認知度は着実に増しているように思う。

 同市は鉄工業を中心に栄え、かつての人口は20万人近かったが、05年の国勢調査で58年ぶりに10万人を下回った。そんな中、簡単に消滅しかねないうわさを有効利用するために立ち上がった若者たち。その姿勢は、町おこしを考える他の市町村へのヒントになるのではないか。個人的にはその発想の柔らかさを見習いたい。夢のあるうわさがどんな広がりを見せ、町がどう変わっていくのか行方を見守りたい。

September 11, 2006 09:55 AM

2006年09月10日

方言をもっと使おう:浜崎孝宏

 ふるさとの訛(なまり)なつかし 停車場の人ごみの中に そを聴きにゆく

 石川啄木の有名な短歌を思い出した。東京・上野駅に地方から上京してくる人で混雑する中にいけば、故郷(岩手)の方言を耳にすることができるという内容。やっぱり生まれ育った土地の言葉は、不思議と落ち着くものだ。

 先日、福岡ヤフードームで、そんなことがあった。試合前の練習見学に落語家の三遊亭歌之介(47)が訪れていた。鹿児島県出身者で、“さつま言葉”をウリに落語界で人気を博す先輩だ。歌之介の案内人を務めていたソフトバンク野球振興部の定岡智秋次長(53)が、鹿児島出身者の私と他社のもう1人の記者を紹介してくれた。

 名刺交換でのやりとりで歌之介は「(私に)おはんなどこな? きいれ(喜入)な。(もう1人の記者に)おはんはなっ? (枕崎)まくらざっ、な。あたいげんうっかたも、まくらざっじゃらよ」と周りの目を気にすることなく鹿児島弁であいさつしてくれた。(ちなみに喜入、枕崎は地名、おはん=あなたは、うっかた=家内、あたい=私)。全国で活躍する歌之介に故郷の「そ」で切り出されれば普段、標準語を装う周囲も方言が自然と口をついた。

 夏の甲子園でも地方の監督たちの方言は心温まる光景だった。熊本工の林幸義監督(59)に練習取材で話を聞いた。鹿児島県人の私には「ぎゃんして、ぎゃんして」という熊本の方言が頭に強烈に残った。勝利監督インタビューで、方言を口にする監督たちの姿は、出身県から飛び出して、全国津々浦々で奮闘する人々に、郷愁の念と元気を与えてくれた。初出場で4強入りした鹿児島工の中迫俊明監督(47)は、鹿児島弁の完ぺきなイントネーションでインタビューに答えた。あの方言でなければ、臨場感は伝わらない。言葉を理解できないという視聴者の声があれば、テロップを画面に映し出してもいいじゃないか。

 甲子園で話題となった鹿児島工だが、OBのソフトバンク川崎も練習後、歌之介の“さつま談議”に加わっていた。川崎はホークスきってのイケメンだが、ここ一番では、鹿児島弁を上手に操るおちゃめな男だ。ペナントも大詰めに入り、大事な試合が続く。緊張の糸はビンビンに張っていることだろう。そんな川崎にとって、何の気なしに聞こえた懐かしい方言が、安心感として届き、思わず輪に入ったのだろう。

 標準語に負けじと存在感を示す関西弁に比べ、鹿児島弁の全国浸透度はまだまだ。方言を使える人間が、ほかの場所で方言をもっと使っていかなければならないと思うのだが。鹿児島弁がテレビで流れるだけで、会社ではくすっと笑うやからも多い。「何で笑うの?」。ちょっぴり恥ずかしさも感じるが、笑いの広がる鹿児島弁は、歌之介さんのように落語やお笑いなどに向く方言なのだろうか? 県外で活躍するあなたのお国言葉には、どんな良さがありますか。

 ※三遊亭歌之介の公式HPは(http://sanyutei-utanosuke.hp.infoseek.co.jp/)。ぜひ、ご覧ください。

September 10, 2006 10:39 AM

2006年09月09日

生き方変えた「批判」:山内崇章

 出張先のホテルの部屋から眺めた関門海峡に、韓国旗を掲げた関釜フェリーが速度を緩めて入ってきた。ある人物を思い出した。学生時代、僕の考え方、大げさに言えば生き方にも影響を与えてくれた人。ソウル滞在中に出会った日本男性で、僕より5つか6つ年上だったように記憶している。「あいまいを許さない韓国人の気質は潔い。情が深く人間くさいところもいい」。彼は韓国を「居心地がいい」とも話していた。

 下関で生まれ育った人だった。彼には目の障害があった。道に迷ったり、障害物に戸惑ったときに、手を握ってくれた韓国人は少なくなかった。道を教えてくれた後で目的地まで付き添ってくれたのも片言の日本語を話す韓国人だったりした。日本人とは違った情の深さ、本心を素直に表現する人たちに興味を持ったという。80年代から玄界灘を行き来していた彼は、韓国通の頼れる先輩だった。

 23歳だった僕が韓国に行くことを決めた理由は、若さ任せの正義感。なぜ同じ民族が分断された国家に暮らしているのか。なぜ同じ年代の青年は軍服を着る義務があるのか。分断の歴史に日本はどうかかわったのか。韓国の史料を原文で読めるようになりたかった。それを知ることで、日本に不信感を持つ韓国人と対等に話せると思った。知識を詰め込めば自分の将来も見いだせると考えていた。

 彼とは2カ月間、同じ下宿で生活した。発音はネイティブに近く、語彙(ごい)も豊富。優秀な留学生だったが、価値観が全く違った。毎晩遅くまで飲み歩き、カラオケ通いを繰り返す。歌の実力も韓国の学生から評判だった。「ここで嫁さんをもらいたい。ずっと韓国に住んでもいい」と話していた彼とは根本的に目的が違う。酔っぱらいの留学生を軽蔑(けいべつ)したこともあった。その彼も僕をもどかしく思っていた。痛烈に浴びせられた批判は、今も忘れられない。

 「君の姿勢では韓国人の温かさや冷たさ、痛みを知ることは絶対にできない。自己満足の世界に浸っているだけじゃないか。人を知ろうとしない君に歴史は分からない。自分を知ってもらおうとしない君には人を知ることもできない」。

 教科書通りの歴史認識を頼りに、大学の先生や下宿の学生に討論を挑んだ僕、うわべだけの知識を主張することで存在価値を見いだそうとした僕の甘さを、彼は見透かしていた。原書を読むことで着々と積み上げてきた「熱意」とか「正義」とかいうものは、軽く吹き飛ばされてしまった。

 記者という仕事をしていることが不思議に思える時がある。彼との出会いなしに、この仕事は務まらなかったかもしれない。取材対象や読者の気持ちをくまずに、目に見える事象、うわべだけの認識や偏見で語る記事ほど無責任で非情なものはない。自戒を込めて書きたい。人と人のかかわりで起こる出来事を読者に知らせる責任は重い。取材する側にも、取材対象が日常で感じている喜びや痛みを知る必要があると思う。

 数年前に下関から届いた年賀状には「まだ独身です」とあった。音信不通となった今も、ソウルで飲み明かしているだろうか。まだまだ甘い僕だが、失敗を繰り返しながらも、少しは前進できているだろうか。久しぶりに会いたくなった。

September 9, 2006 09:06 AM

2006年09月08日

旅は気持ちが大切:寺沢卓

 日本を飛び出て海外に行くときに、何が心配か。そりゃ、言葉だろう。12歳から義務教育で英語を習っている割にまともにしゃべれないし、日本語が通じてくれる国なんてまずない。日本人は損だなぁ~、と思ったことは100回はくだらない。

 友人が5日、欧州に飛び立った。日本語以外の言語がまったくダメで「もしかしたら日本語もあんまり理解できていない」と豪語する藤原寛一さん(45)だ。職業は旅人。オートバイで世界各国を巡っている。26歳でオーストラリアの1周旅行をして以来、約20年間、世界のどこかをオートバイで駆け回っている。

 世界を走破するライダー、というと格好良さそうだが、その姿はこぢんまりとしている。馬力のない50CCの原付バイクにこだわり、ゆっくりと旅をする。「走る」じゃなくて「歩く」に近い。ゴールを目指すことを主眼とするのではなく、寄り道に熱中するタイプだ。今では奥さんの浩子さん(43)と一緒にあちこちに行っている。

 日本で旅の原稿を書いて、資金が貯まると言葉の通じない国の道でのんびりと車輪を転がす。常にテーマを持って走り、今は電気バイクでの世界1周だ。

 04年4月から北米横断して、一時帰国。そして同年11月から年越ししながらオーストラリアを横切って日本に戻り、05年5月からポルトガルから欧州を駆け抜け、再び日本に帰ってきて、今年2月からアフリカ大陸を北上していた。8月9日に成田空港に降り立ったと思ったら、もう最後のアジア横断を見据えてアテネに旅立ってしまった。

 この電動バイクの旅だけで34カ国を訪れている。旅先からの届いたメールは100通を越えた。そのメールを開くたびに「言葉は通じないんだけど、気持ちで分かりあえるのよ。いや、世界にはいい人が多いね」というような内容がつづられている。

 一体どんな様子で会話しているのか、と聞いたことがある。

 「もう、体全部を使うんですよ。何か食べたきゃ、おなかを押さえる、熱っぽかったらおでこに手を当てる。それでダメなら絵を描いて気持ちを伝える。そうすれば自然と相手の気持ちも分かってくるの」とヒゲ面で白い歯をのぞかせる。

 今度の旅はギリシャからトルコを抜けて、アフガニスタンの国境沿いをなぞって、イランを走る。インド、タイ、ベトナムなどを走って台湾から船便で日本に帰ってくる。やはり言葉の分からない国ばかりだ。

 「大丈夫だよ。不安なのはラマダン(断食期間)にぶつかること。日中は食べられないんだよね」。

 腹が減れば食べる。道があるから進む。人がいるから話しかける。藤原さんの信条だ。物事を難しく考えちゃいけない。分からないことで悩むんではなく、できることを最大限に伸ばす。言葉にとらわれちゃいけない。

 今度はどこの国から勇気のもらえるメールが届くだろうか、楽しみだ。

September 8, 2006 09:19 AM

2006年09月07日

オシム語録は「財産」:藤中栄二

 サッカー日本代表を率いるオシム監督の発言や行動が面白い。思わず「なるほど」とうなずいてしまうような名言、本当の意味を読まなければならない難解な台詞(せりふ)…。今年6月、史上最強と言われたジーコジャパンがドイツで1次リーグ敗退を喫した。未達成感のある日本のサッカーファンにとって、目の前に登場した名将の言動が新鮮に感じられるだろう。

 オシム監督はボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボが生まれ故郷である。自分は同じ土地で生まれた選手を98年の長野五輪で取材したことがある。同国ボブスレー代表のゾラン・ソコロビッチ。当時、彼の言動にも引き込まれた。

 「ビルとビルの間で練習する。そうすれば戦闘機から見えないだろう」。

 それは、衝撃的な話だった。92年にボスニア内戦が始まり、ユーゴスラビア人民軍が故郷サラエボを包囲した時のこと。この内戦でソコロビッチの双子の兄スラビアさんが砲弾を受けて亡くなった。享年26。ボブスレーは、その兄に誘われて始めた競技だった。生きることさえも必死の環境である。が、激しい爆撃で1度は避難したものの、すぐに戻って練習したそうだ。

 攻撃を避けながら、ひび割れた道路での練習。地雷をよけ、廃虚となった練習場からそりを持ち出す離れ業をやってのけた。それも「いつか平和になったら、兄のためにも滑ろう」との夢だけで体が動いた。当時の同国ボブスレー代表はセルビア人、クロアチア人らで編成された。内戦を繰り広げてきた民族が一緒に戦っていた。95年12月に和平協定を結ぶまでの約3年半で約20万人の死者と、200万人の難民を出す悲惨な内戦だったが、ソコロビッチは「民族や宗教、国境は関係ない」と胸を張っていた。

 自分の目には、長野五輪開会式でのボスニア・ヘルツェゴビナ代表が誇らしげに映った。青地にボスニアの地形を表した黄色い三角形と欧州連合(EU)旗にならった白い星をあしらった新国旗が鮮やかだった。ソコロビッチが吐露していた「兄のため、国のため、そして世界中の平和のために滑りたい」の言葉が、自分の胸に染み込む瞬間でもあった。

 オシム監督の言動にも、ソコロビッチの時と同じような「感触」がある。同監督自身、ボスニア内戦時に家族と生き別れた。当時はユーゴスラビア代表と同国リーグ所属のパルチザン・ベオグラードの監督を務める皮肉な環境下に置かれた。日本人では想像のつかない苦しみ、悲しみ、そして経験の数々を味わったはず。やはり戦争に巻き込まれ、戦火を肌で感じた人間は言動に重みがある。

 94年W杯米国大会アジア予選で日本代表を指揮したオフト監督は「サッカーにマジックはない。ロジックだけだ」が口癖だった。オシム監督も、昨年のJリーグ千葉でナビスコ杯Vという初タイトルを奪取したのは就任3年目のこと。サッカーに即効性のある強化法はない。結果を求めるのは、もっと後でいい。今はオシム監督の言動から多くを学び取ることも、大きな財産になるのではないか。

September 7, 2006 09:18 AM

2006年09月06日

強い馬は確かにいた:岡山俊明

 先日の小倉競馬で日本最古のレコードが破られた。タケシバオーが保持していたダート1700メートル1分41秒9が、実に37年ぶりに0秒1更新された。このニュースは記録を破った馬以上に、昭和40年代の競馬を沸かせた怪物のすごさを浮き立たせた。

 毎年新しい血が注入されるサラブレッドの世界は、人間の何倍も個体の進化が速い。だから40年近く前の記録が残るなど、普通はあり得ない。ダート1700メートルの番組は今でもローカルを中心に多く組まれているし、オープンのレースもあるのに。

 タケシバオーがレコードを出した時は60キロを背負い、ジョッキーは直線で手綱を押さえたままだったという。競馬好きの叔父がほれ込み、大騒ぎしていた理由があらためて分かった。

 69年3月1日、東京競馬6Rサラ系5歳以上オープン、重馬場、6頭立て。1着タケシバオー1分41秒9、2着スイートフラッグ大差、3着タケブエ首、4着ステートターフ5馬身、5着ヤマトダケ1馬身1/2、6着オカユキ大差。2着は15馬身以上、最下位は40馬身ちぎられた。

 美浦トレセンで話を聞けた関係者は、当時の様子を鮮明に覚えていた。

 ◆タケシバオーの古山良司騎手(00年に調教師を引退) しまいは追う必要がなかった。早く馬を止めなければいけないからね。追えばもっと時計は出ていただろう。当時は米国並みの時計と騒がれた。レコードは破られたけれど、タケシバオーの偉大さに変わりはない。

 ◆3着タケブエの伊藤正徳騎手(現調教師) 自分の馬も前に行く意識があったが、途中からビュッと行かれて追いつかなかった。何じゃこりゃと思ったね。化け物だった。力が違いすぎた。くっついていったら、こっちが壊れちゃう。

 ◆5着ヤマトダケの平井雄二騎手(同) 自分のデビュー戦だった。古山先生はレコードを狙っていたよ。よほど具合が良かったのだろうね。こっちはハナに行くつもりで乗ったら、スタートから300メートルでかわされてそのままだよ。迫力が違った。

 ◆初戦から2回騎乗した畠山重則騎手(同) 牧場ではあまり期待されていなかったそうだよ。厩舎に入ってどんどん良くなった。ダートの調教で5ハロン58秒を切っていた。ずっと乗っていたかったなあ。

 ◆9回騎乗した中野渡清一騎手(同) 若い時はゲートは悪いし、女っ気はあるし、内にささるし、引っ掛かるし、乗り味も良くなかった。でもすごく丈夫だった。弥生賞は前でやり合って2着に負けて降ろされちゃったけど、どう乗っても勝てると思っていたな。

 1000メートルから3200メートルまであらゆる距離で勝ち、芝もダートも関係なく、不良馬場で65キロも克服した。こんなオールラウンダーは空前にして絶後。ディープインパクトとは異質の、とてつもなく強い馬が過去に確かにいた。その事実だけはずっと忘れないでいたい。

September 6, 2006 11:59 AM

2006年09月05日

それでも見たいG戦:沢畠功二

 休日でも、午後7時をすぎると、不思議とプロ野球中継にチャンネルを合わせてしまう。地上波で巨人戦がないと、BSデジタルの番組欄に目をやる。台湾の新生の姜(ジャン)投手が好投した8月22日の横浜-巨人戦(長野)は、TBS系のBS-iで観戦。デジタル放送で巨人戦を見るようになったのは、昨年ぐらいからだ。

 地上波が減りつつある巨人戦。子供たちはどう感じているのだろうか。小3のおいっ子はバッティング練習が大好きなのだが「巨人戦? 見ないよ。学校で野球の話? しないよ」とあっけらかん。拍子抜けした。四六時中、アニメやバラエティーばかり見ている。両親の仕事は野球関係で、小1から少年団に入るなど大の野球好きという小4生も、バラエティー優先だという。もっともこの少年は、圧倒的に球場観戦派。むしろ根っからのファンなのだ。少し安心した。

 8月に限れば、主催の15試合こそ日本テレビが中継したが、ビジター(神宮、広島、横浜、長野、甲子園)で3連戦すべてが地上波で生中継されたのは、阪神戦のみだった。それ以外は1試合のみ地上波で、残りはBSデジタルか深夜枠などだった。まるで優勝チームが決定した後のようだ。

 理由は単純明快だ。「バラエティーの方が視聴率が取れるからですよ」と、民放局の関係者は当然といった顔で答えた。そしてこう付け加えた。「こんな状態なら来年、もっと地上波は減るんじゃないですか」。ビデオリサーチ社によると、8月の巨人戦ナイター月間視聴率(関東地区)は平均6・8%と、月別集計のある89年以降のワーストを更新した。テレビ局にとっては悲鳴を上げたくなる数字である。

 ただ、ふに落ちないこともある。どんなにいい試合でも数字が上がらない。いや、反映されないといった方が適切かもしれない。多チャンネル化で全試合を中継する専門チャンネルへの加入者が増え、特にチーム関係者などは日本テレビ系のCS放送「G+(ジータス)」で視聴しているとも聞く。また1家族が複数のテレビを所有していることや視聴率測定器とは無縁のパソコンでの観戦なども関係しているかもしれない。

 巨人戦が減った夏。「そうだった?」と、気にならなかったという声もある。真のファンはスタジアムに行くだろうし、何かしらの形で見ているだろう。ただ、さまざまなことが頭をよぎる。野球中継はどうなってしまうのだろう? 夕食時は娯楽番組だらけなのか? ON(王、長嶋)に熱狂し、KK(桑田、清原)に胸躍らせた世代にとって、つらい時代になってしまうのか。

 そして変わるプロ野球のビジネスモデル。巨人戦なら1試合1億円弱といわれる放送権料による収入に依存している球団が多い中、値が下がり続ければ、経営は打撃を受けはしないか。もちろん、そんなこと百も承知で、各球団はあの手この手を考えているに違いない。そう信じよう。あれやこれや考えている今、やはり見たい番組が見当たらず、リモコンボタンを押してばかりいる。

September 5, 2006 10:46 AM

2006年09月04日

監督辞めさせる弱さ:井上真

 横浜の牛島和彦監督のシーズン終了後の辞任の動きが明らかになった。96年に横浜の担当をしていたが、もろい球団体質はまるで変わっていない。

 プロ野球のチームを持つということは何だ? 何を意味するのだろう。建前としては、スポーツを通じての健全な青少年の育成など、きれい事ならいくつもある。本質的な企業としての目的は、ホリエモンが近鉄を欲しがったように大きな宣伝効果であり、その先には企業としての利潤がある。

 企業のイメージを高めるためにも、強く魅力あるチームであることが大切になる。選手や監督ら指導者を強化するのもそのためだ。なのに、能力があっても、結局は、球団内の確執によって強化途上のチームは解体させられる。

 問題なのは、シーズン中に最重要項目であるはずの監督人事が外に漏れることにある。それもオーナー、球団社長らトップがそれら一連の話し合いと、牛島監督が辞任の意向を持っていることを半ば認めている点だ。そこには球団主導の解雇ではなく、牛島監督主体の辞任を暗に強調したい計算が見える。イメージを損ないたくない球団が、先手を取っているように映る。まるで政治の世界だ。

 球団を強くしようという熱意があるとは思えない。今後、横浜の監督を任された人間なら、誰しもが考えるだろう。「この球団は夏場には人事の動きを外に漏らす。自分はどう動けばいいのだろう?」。まともな人間なら、とてもじゃないが夏場のペナントレースに集中できないだろう。

 どの球団でも、水面下では来季に向けた編成の動きはある。逆に、検討すらしていなければ、それは企業努力が足りない。不振球団なら、先を見据えた具体的なビジョンが必要だ。誰を解雇し、浮いた人件費で誰を獲得し、そしてチーム全体をどう補強するか。選手に限らずコーチや監督、フロント幹部だってその対象になる。

 首を切られる選手にはたまらないが、それが現実だ。そこで肝心なのは、そうした球団内の動きは、極力表に出さないようにする配慮がなければ、現場とフロントの信頼関係は成り立たない。

 強いチームは、背広組=フロントも強いものだ。たとえそれが事実でも、球団にとって都合のいい部分であっても、フロントがしっかりグラウンドとファンを見ていれば、平然と徹底して否定できる。そして秋になり、すべてが終わってから上手に納める。それが、強いチームをつくるための、球団トップが守らなければいけない最低限のマナーだ。

 一見すれば、牛島監督が低迷した成績の責任を取り、契約満了に伴って男らしく退団ということだろうが、球団は本気で引き留める気があるのか、と疑いたくなる。それほど、球団の本気度の低さがぷんぷんにおった。弱くなるチームは、フロントも親会社も含めてすべてが緩くなる。監督を慰留もできない球団が、本気で優勝を目指しているのか? やる気が伝わって来ない。

September 4, 2006 12:09 PM

2006年09月03日

韓国映画から学んだ:村上久美子

 韓国で史上最速観客動員1000万人を突破した映画「グエムル 漢江(ハンガン)の怪物」が、きょう2日から日本でも公開される。少女を奪った怪物を追いかける家族の姿を描いた作品だが、ポン・ジュノ監督によると、怪物は、日本の俳優竹中直人をイメージし、ちょっと間抜けな一面もあるキャラクターに仕上げたそうで、今夏の韓国映画の話題をさらった。

 一方で、この夏、「グエムル」とともに、韓国のスクリーンをにぎわせた超話題作があった。南北朝鮮と日本の対立を描く「韓半島」だ。エンターテインメントとシリアス。韓流ブームによる日本側から見た韓国への親近感と、依然として根強く韓国に残る反日感情。対照的な作品が同時期に公開されたことで、日本と韓国の間で渦巻く2つの相反する“心”を象徴しているかのように感じた。

 「韓半島」の舞台は、近未来の朝鮮半島。韓国と北朝鮮を結ぶ京義線が開通し和平ムード広がる中、イージス艦が姿を見せる。日本は、南北和平を阻止すべく、韓国近海に海上自衛隊を出撃させる。

 映画は、03年公開の「シルミド」で、秘密裏に養成された金日成暗殺部隊を描いたカン・ウソク監督の作品。記者が映画を知ったのは、韓国公開の2週間ほど前、6月末だった。映画は、韓国国防省の協力で、実際の軍艦や戦闘機の撮影が許可されている。まさしく、国家あげての映画! 韓国の本音を突き付けられたように思った。

 というのも、公開のタイミングが絶妙。問題の京義線は実際に、00年の南北首脳会談で連結合意し、工事に着工。今年5月には試運転が行われるはずだったが、見送られている。南北共同事業が宙に浮いた直後の公開だった。

 映画の中では、南北和平に水を差すのが日本。なぜかというと、1910年に締結された日韓併合条約の中に「日本に鉄道の所有権がある」との条項があるからだという設定。その条項が実在したかどうかはさておき、「なんでいまさら…」と言葉を失った。

 もっとも、カン・ウソク監督は、日本のメディアに「この映画を反日という視点でのみとらえたとすれば、本質を理解できなかったということだ」と、反日映画としての製作意図を否定。一方で「映画の中の感情は、韓国が100年間抱いていた悲しみの感情だ。日本は文化的、社会的に近い国だが、その間、正確に知ることのなかった韓国人の悲しみの感情を理解してくれるよう望む」と、率直にコメントしてもいる。

 実際、この映画の存在を知った時、日韓問題の繊細さを痛感すると同時に、記者の心には、日本で2回も“核実験”をしたアメリカへの嫌悪感がわき上がった。

 足は、踏まれた側しか痛みを覚えていない。過去を振り返り、必要なら反省することも重要だが、その先も肝心。相手の立場に立ち、心情を理解した上で、どうすれば事はうまく進むのか-。国家間の壮大な問題ではなくとも、小さな小さな個人と個人、人間関係でも同じことが言える。たった1作品が、そんなところへも、考えを及ばせたのも事実だった。

September 3, 2006 11:20 AM

2006年09月02日

悔しさ見せんかい!!:松井清員

 盛り上がるパ・リーグのプレーオフ争いの陰で8月27日、オリックスが終戦を迎えた。残り試合に全勝しても上位3球団に届かない。プレーオフ進出が完全に絶たれ、昨年より1カ月も早く夢も希望もなくなった日本ハム戦の敗戦だった。試合後の重苦しい会見。中村監督は「ファンの方に申し訳ない」と寂しくわびた。それは今年オリックスを取材する機会が多い私にとっても、つらい瞬間だった。原稿を書き上げて出た札幌ドームの外は、もう秋の気配が漂う夕暮れ。言いようがなく切ない気分になって、いろんなことを思い返した。

 2月のキャンプは清原や中村の加入で大フィーバーした。開幕戦で西武に勝った時は、優勝原稿も用意しなくてはと思ったほどの勢いだった。だが、清原が4月下旬に死球を受けて欠場に追い込まれて以来、チームは暗転。中村、北川、阿部真、平野恵、川越、吉井、セラフィニと、これでもかこれでもかと主力に故障者が続出した。ここにデイビー以外の5助っ人の不振が追い打ちをかけ、あとはズルズル黒星街道。長期低迷のチームに戦力のハンディを挽回(ばんかい)する力は残っていなかった。いや、私にはその気力や意地のかけらすらないように映った。

 例えば敗戦後。ベンチから出てくる選手の中には笑みを浮かべている選手もいる。報道陣の前でバツの悪い照れもあろうが、負けてどうして笑っていられるのか…。その光景は一昔前、暗黒時代の阪神を見ているようだった。「弱いんだから負けても仕方ない」「この戦力なら善戦した方じゃないの」。ある阪神選手が当時、そう言っていた。根本にあるのは、どうせ勝てっこないというあきらめにも似た発想。いわゆる「負け犬根性」だった。長く低迷が続くと、マイナス思考が染みわたる。悲しいかな、今年で7年連続Bクラスが決まったオリックスにも、そんな空気がまん延している。

 薄い勝利への執念。そんなムードに危機感を抱いていたのが清原だった。「これからは目標のあるチームとないチームの差がはっきり出る。本当に心してかからんと、実力差以上の点差で負けることになる」。西武と巨人で天国と地獄を知る男は、後半戦を前にそう話していた。そして満身創痍(そうい)にもかかわらず40度近い酷暑の中で早出特打を行い、試合後は居残りスイング。だがその背中についていける選手がいなかった。それでも1人黙々と汗を流すパ・リーグ最年長の39歳。どうしてみんなもベストを尽くさないんだ。弱い時こそ練習しかないだろう? 清原の姿は寂しそうだった。

 1人が体を張っても、勝てるものではない。実際清原の心配通り、パ上位3強との対戦では淡泊な戦いぶりで完敗することが多い。1度こびりついた「負け犬根性」の払しょくは簡単ではないだろう。でもシーズンは残りあと1カ月、17試合もある。少なくともプロとして、負けて笑っている場合ではない。テレビで敗戦後のベンチが映った時、なぜかニヤけている選手の姿に一番悲しい思いをしているのはファンだ。我々報道陣に声を荒らげてもいい。無言でも取材拒否でもなんでもいい。とにかく負けたら、腹の底から悔しがらないことには、来年の成績も知れている。きっと天国の仰木さんも泣いている。このままでいいのか、オリックス!

September 2, 2006 09:20 AM

2006年09月01日

求む!スターホース:村上秀明

 29日のホッカイドウ競馬旭川開催で、少しユニークな名前の競走馬がデビューした。2歳の牡馬で、その名は「ニイカップギレン」。名前の通り、北海道・新冠町の町議ら9人で組織する「新冠軽種馬議連組合」の所有馬だ。議連組合として競走馬を所有するのは日高管内7町で初めてのことで、ちょっとした話題を集めた。
 結果は6頭立てで4着。「初当選」とはいかなかったが、地元から34人の応援団が駆け付け、パドックに横断幕を掲げて声援を送った。町の基幹産業である軽種馬生産と、道営競馬そのものの活性化に一役買おうという目的の競走馬所有。観衆955人の旭川競馬場で初披露となった地道な動きだが、立派な話題作りといえる。
 相次いで地方競馬が廃止に追い込まれている中、日本最大の馬産地日高があるホッカイドウ競馬も例外ではない。210億円余りの累積赤字を抱え、今年度から3年以内に赤字額を半減し、単年度の収支均衡に見通しをつけることを条件に存続が決まったのは昨秋のこと。厳しい環境下にあるには違いない。
 そんながけっぷちの中、例年以上に熱い話題が目立っている。7月上旬には、大リーグなどで活躍した「大魔神」こと佐々木主浩さんの所有馬がデビューを果たし