2006年08月25日
憎まれてもビデオ判定:井上真
つくづく思う。心の底から感じることだ。「プロ野球の審判はつらい職業だ」。“誤審”問題は後を絶たない。反対に“名裁き”は皆無。間違えるたびに矢面に立たされる審判は、緊張し、必死に正しいと信じ、そして間違えるのだから気の毒と言うほかない。
誰も意図的に「間違えてやれ」などと思ってジャッジしていない。真面目に取り組んだ結果として“誤審”が連続するのだから、これは審判を糾弾して解決できる問題ではない。誰かが手を差し伸べるしかない。その役目を負うのは分かり切っている。コミッショナーであり、両リーグの会長である。
非常に悲しい回答書を目の当たりにした。セ・リーグの複数球団から提出された抗議書、要望書に対する、先日18日のセ・リーグ豊蔵会長の回答だ。その中で「審判の判定は最終のものというルールが存在する限り論評できない。判定を否定した場合、ルールの根幹を崩すことになる」と従来の考えを繰り返した。さらに「進歩した機器により、審判の判定と違う結果が判明することがあり、それが不信につながりかねないことを理解し、憂慮している」と加えた。
「違う結果」とは、判定とグラウンドで起きた事実が違っていたということだ。つまり、審判の判定を優先するあまり、本当の出来事をねじ曲げ、判定を押し通しているということだ。少し冷静に読めば、リーグ会長の苦しい胸の内も伝わってくる。そりゃそうだ。試合が終わり、静かにビデオに見入れば、誰が正しく、誰が間違っていたかは一目瞭然(りょうぜん)。そこに異論を差し挟むものはない。
そこを認めつつ、それでも審判の権威を守るために苦肉の文面になっている。さらに、この苦しい文章で審判は救われ、助けられるのか、と言えば全く反対だ。ますます厳しい目を向けられ、選手-審判間のストレスはムダに高まっていくばかりだ。
もう、こんな非生産的な議論は続ける価値もない。トップとしてコミッショナーはビデオ判定を一部導入すればいい。審判が反対しても、日本プロ野球組織(NPB)のトップとして突っぱねればいいだけのことだ。憎まれ役になってでも、1歩を踏み出さない限り、この問題に出口はない。
野球を取材した経験者として、ベースを踏んだかどうか、バットにボールが当たったかどうかすら、きっちり正しく判断できないのでは、試合進行は無理だ。審判のレベルが下がったのか、選手のスピード、技術が向上したためきわどい場面が増えたのか。いろんな原因があるだろうが、試合を左右する大事な局面での“誤審”は、ペナントレースを戦う選手、ひいき球団を応援するファンにとっては到底我慢できない。
どこに、どれだけのカメラを設置するか、いつ、どのタイミングでビデオを導入するかなど、決め事はたくさんある。それでも、これでどれだけの審判が救われ、どれだけ選手がプレーに集中できるか。それによって、もっとスリリングな試合が見られるなら、コミッショナーらトップは、思い切ってすぐさま断行すべきだ。
August 25, 2006 09:23 AM
