2006年08月31日
確認したら、また確認:浜崎孝宏
「指さし確認」は継続しなくちゃならないことを再確認した。業界のベテランでもあったんです、こんなことが。
24日から4日間、開催された男子ゴルフツアー・アンダーアーマーKBCオーガスタでの出来事。初日にハプニングが起きた。
18歳からゴルフを始めキャリア34年を誇るジェットこと尾崎健夫(52)が、首位と1打差の5アンダーでホールアウト。テレビでしか見たことのない大物の話しぶりを聞くと、威風堂々とした雰囲気に一流プレーヤー独特の「オーラ」を感じさせてくれた。今ではシニアツアーに活躍の重きを移しながらも、レギュラーツアーで十分、戦える実力ぶりを証明してくれた。
しかし、その数分後。スコア提出の際に自分の名前をサインし忘れ、まさかの失格となってしまった。失格が判明する直前の取材。大粒の汗をぬぐいながらジェットは「暑い中、頑張っているので(5アンダー発進は)ご褒美かも知れない」と声を弾ませていた。それだけに本人も、関係者も信じられないといった様子。アマのちょっとしたコンペでさえ、最後に自分の名前をサインすることは知っている。ジェットも何度となく行ってきた最後の“儀式”を忘れたのは、気温30度を越す暑さのせいか、はたまた、グリーンを降りて気が緩んだせいなのかは定かではない。ただ、1つ言えるのは本人が「指さし確認」が怠ったという事実。もちろん本人のミスである。
かつて箱の中に入れたら最後だったスコア提出だが、今では最終グリーン横にスコア・エリアが設けてあり、大会の競技委員やボランティアの人たちが、選手のスコア提出を手伝い、ミスを極力防げるようサポートしてくれる。サイン忘れなどのケアレスミスは減少傾向にあったが、事件は起こった。
先日の夏の甲子園でもそんなことがあった。八重山商工(沖縄)対智弁和歌山(和歌山)の一戦。1死一、三塁の八重山商工の攻撃。デッカイ犠飛で三塁走者はタッチアップでホーム生還。しかし、外野手の頭上を抜けたと判断した一塁走者は二塁ベースを回っており、外野手が捕球した瞬間、二塁ベースを踏まず、一塁に慌てて戻ったのだ。もちろん、同じルートで帰塁しなかった一塁走者はアウトになったが、甲子園出場を果たすほどの野球少年でもそんなことが起こった。
夏の鹿児島大会予選で強豪・鹿児島実の宮下正一監督(34)と話す機会があった。「せっぱ詰まった場面では、ウソでしょうというミスが選手に起こる。日ごろからそういうことも確認しておかないといけないんですよ」。宮下監督が信じられない事例として挙げたのが八重山商工とまったく同じ帰塁ミスの出来事だった。
ゴルフ、野球で起こった「珍事ファイル」の一例だが、日常生活の中にも潜んでいる。のど元過ぎれば何とか…というけれど、うっかり、焦ったり、時間に追われたりすると頭の中から「当然のこと」が消えることは多々、ある。夏休みもあとわずか。最後の思い出づくりに行楽地にお出かけ予定のご家族もあるでしょうが「火の元、戸締まり」には「指さし確認」で御用心を。
August 31, 2006 10:42 AM
2006年08月30日
元気くれた頑張る人:山内崇章
ピーンと伸びた稲穂が、緑から黄色に変わりつつある。タクシーの窓から見る外は、山が連なり、川が流れ、実りの秋が近いことを思わせる田んぼの列が続く。運転手さんの声もやたらと気さくだ。「東京からですかぁ。仕事ですかぁ。あぁ~野球の取材ですかぁ。私も野球が好きで月1回、東京に行くんですよ。娘が4月に東京に嫁いでねぇ。野球見て娘の家に泊まるのが楽しみなんです」。
高橋清さん(64)は、長野市のタクシードライバー1年生。地元の食品会社を定年退職して以来、ゴルフ場整備の仕事も兼務しながら第2の人生を必死に、いや高橋さんは「楽しく生きていますよぉ」と気の抜けた口調で話してくる。休日はほとんどない。ゆっくり休んでもいられないという。「昨年、家を建てて4000万もかかったの」。
28歳の長女に続き、同居中の26歳の二女も、来年には新潟の長岡にいる彼氏のもとへ嫁ぐという。「娘たちはいずれ離れて行くもの。でも、これから孫を連れて来たりすることもあるし、娘の実家は守りたい。私たちがいなくなっても、家さえあれば娘も自分が生まれた長野のことをいつまでも考えられる。いろいろ計算してるんですよぉ」。
長く伸びた黒髪を結わいて、威勢のいい声を上げるのは安由奈さん(19)。「タン塩1人前、カルビ1人前、特製サラダ1つ!」。行きつけの都内の焼き肉店。由奈さんは父が経営する店で週5日のアルバイトに出ている。最近の若い女の子とは少し違ってファッションや合コンには興味がないという。「彼氏も遊びもパスですね」。娘の話を聞いた調理場の大将は、少しだけ口元を緩めた。
今年4月に理系の私立大学に合格した。「受験する前から学費の半分は自分で出すって約束していましたから。今は不景気でお店も苦しいし…。時給600円は安いけどお父さんのお店だから。いずれは研究者になって大学の先生になりたいです」。大将はおいしそうにたばこの煙をくゆらせた。「とんびがタカを産んだなぁ」。娘さんと2人で店にいる大将は、本当に幸せそうな顔をしている。
いまや横浜の4番打者に成長した村田修一内野手(25)。今年2月に待望の長男が誕生した。「息子の存在はやっぱり力になります」。愛息は体調が思わしくなく、この夏まで入院していた。心配する村田に病院の先生が話してくれた言葉がある。「子供というのは、この親なら生まれても大丈夫、ちゃんと守ってくれると分かっているから君たちのところにくるものなんだよ」。小さな子供が必死に頑張っている。だからこそ自分がしっかりしないと。戦うモチベーションは、息子を守りたい、親としての責任感に尽きている。
長野駅からオリンピックスタジアムまでの30分。到着間際、高橋さんに将来の夢を聞いた。「みんな仲良く、ときどき長野に帰ってきて…、それだけですよぉ」。高橋さんは上京のたびに畑で作ったりんごと桃を持っていく。初めて娘さんのマンションを訪れたときは泣かれたそうだ。今は笑って迎えてくれる。
自分のため、大切な人のため。頑張っている人の話は生き生きしている。残暑の厳しい毎日が続く。その程度で負けてたまるか。元気をもらった8月だった。
August 30, 2006 08:49 AM
2006年08月29日
信じて花開くまで継続:寺沢卓
本当の本物は必ず支持される。
飛行機に乗ると、ある楽しみがある。81個の升目の中に無造作に1~9の数字が入っていたり、何も入っていないパズルだ。その空欄に1~9の数字を埋めていく。法則は縦横の1列でそれぞれ9個の升に1~9が1個ずつ入る。さらに9つある3×3の升にも1~9が1つずつ入る。縦、横、3×3で同じ数字がダブらないようにする。通称「数独」だ。
機内冊子には、初心者用の簡単な問題が1つ、そしてやや難しめの問題も1つ。計2題を完全に解けたら「勝ち」と勝手にルールを決めている。国内便なので、所要時間は1時間前後。今までの戦績は4勝1敗。唯一の黒星では、残りあと4升の終盤で「6」が1列に2つ登場してきて、修正不可能になってさじを投げた。
最近、この「数独」を日本に持ち込んだ人物を取材した。東京の下町でパズル雑誌の編集会社「ニコリ」を経営する鍜冶真起(かじ・まき)さん(54)だ。鍜冶さんが「数独」と名付けた。正式名称は「1ケタ数字が重複しない」という法則から「数字は独身に限る」である。
海外では「SUDOKU」と書かれ「スドク」の「ス」にアクセントをつける。今年3月には、初の世界選手権がイタリアで開催された。
世界約80カ国で発売されているが、やり方さえ理解できれば、数字は世界共通だから、難しい翻訳も不要だ。
考案したのは米国人の建築家。鍜冶さんが84年に米国を訪れたときに、現地で購入したパズル雑誌の隅に掲載されていた。ナンバープレース。9×9の升目に挑戦して、面白さにハマったという。その年に発刊したパズ
ル雑誌に自作の数独を載せてみた。
すると、読者から「私もつくった」とのメモとともにオリジナル問題が全国から殺到した。88年には数独の単行本も出版。固定ファンがついたが、爆発的なヒットには至らなかった。
劇的な変化を迎えたのは21世紀に入ってから。ニュージーランド人の大ファンが、鍜冶さんの許可を得て、英紙タイムズに売り込み、04年11月から毎日問題が掲載された。英国中で話題となって日刊紙がこぞって掲載。その波が欧米に広がり、日本でも05年から注目され、今年はゲームソフトまで発売されるまでになった。
世界的な人気となった理由について、鍜冶さんはこう考えている。「クロスワードは季節や時代の言葉を入れないと面白くない。でも数独は9つの数字だけだから20年前の問題も色あせない。問題の蓄積ができたから20年後のヒットで良かった。ただ、もうそろそろ過去の問題を全部使い切りそう。新作をどんどん作らないと」。
最終的には信念。これはすごい-そう信じることが大事。たとえ世間に注目されなくても、何かが心に刺されば、それは本物。花開くまで継続していれば、それは失敗とはいわない。
August 29, 2006 12:15 PM
2006年08月28日
難しい「長く続ける」:藤中栄二
長く続けるのは難しい。好きでもない物事は特にそうだ。ダイエットのためのジョギング(運動療法)や食事制限。禁煙や食事療法など健康管理上、やらなければならないこと。仕事上で必要になりそうな英語学習、自らのHPで展開し続けるブログ、主婦の方ならば家計簿を書き込むこと…。何を持ってゴールとするのか。その目標を明確にしておかないと、すぐに挫折してしまうものばかりだ。
長く続ける極意もさまざま。ジョギング→決して無理をしないこと。食事療法→細く長く、少ない量をゆっくり食べる。ブログ→何でも良いから短く書く。英語学習→毎日、少しずつリスニングテープを聴く。家計簿→無理せず、手を抜く。計算違いの端数は目をつぶる-。無理や我慢を強いられない環境でしか、長く続けることができないという結論に到達する。それって極意とは言わないような気がするのだが…。
長く続ける仕事選びも簡単ではない。社会人になって14年間で6回も転職している友人がいる。理由は会社の方針に疑問を感じ、イライラした末の結論である。会社のグチは社内の人間には言えない。かといって社外の人間には仕事内容を説明するのに時間が必要となって、共感してもらうには時間がかかる。何と言っても自分が納得できなければ前に進むことができない。悩んだ末に「こんな会社はつぶれるから」と辞表を出してきた。
長く続ける気持ちはあるのだ。先の友人は言う。「結局、辞めたどの会社もつぶれていない(笑い)。やっぱりオレには我慢や忍耐力が足りないのかな…。家庭を守るために頑張るという人もいるけど、独身でも長く同じ会社で働き続ける人もいるわけだし。長く続けるコツとかないものかな」。彼は転職できる実力の持ち主だから、うらやましい。転職にこそ我慢や忍耐力が必要で、転職なんて考えない。同じ会社で仕事を続けるよりも転職する方が、普通は多くのパワーが必要だと考えるはずである。
長く続ける弊害も出ている。30代を中心に「心の病」が増加している。確かに、自分と同じ30代でうつ病や神経症などを患い、長期休養に入っている人が多いと聞く。この世代は上司と部下に挟まれた中間管理職が多い。上司の指示に従い、自分の仕事に集中することで精いっぱい。部下の仕事にまで目を配ることは許容範囲を超えているという悲鳴も耳にする。既に「心の病」が多発している以上、我慢や無理をすればいい、というだけでは解決できない。
長く続けるには? 一生懸命やらないことか。それとも「それをしなければ気持ちが悪い」と思うまで我慢し、習慣として定着させることか。即効性のない地道な作業になるからこそ、自分自身に対する負荷の「かけ具合」が難しいところ。我慢や忍耐には限界がある。万人に通用するような特効薬を探すことは難しい。最後は自分だけに効く極意を発見するしかない。
長く続けるコツ。皆さんは持っていますか?
August 28, 2006 12:26 PM
2006年08月27日
甲子園の日程改善を:岡山俊明
佑ちゃんフィーバーで盛り上がっている。ハンカチ株に買い注文が集まり、ネットオークションでは関連グッズが高値で取引される。来年の早実受験者は確実に増えて狭き門となるだろう。受験生は思いもよらぬ事態に頭を抱えているかもしれない。
引き分け再試合となった決勝の日、26年ぶりに甲子園球場に足を運んだ。アルプススタンドの風景はずい分変わった。早実も昔はバンカラで女子校の友情応援さえ断っていたのに、共学になった今はチアガールがもり立てる。売られる飲料も、カチワリから、凍らせたペットボトルが主流になった。
いまだに変わらないのは投手に多大な負担を強いる試合日程。7試合69イニングで948球を投げ抜き、4連投に耐えた斎藤の冷静なマウンドさばきは胸を打った。優勝投手の頑張りが、大会終盤の過酷な日程を見直す動きにブレーキをかけてしまうのではないかと心配になった。
準々決勝こそ2日間に分けて実施されるようになったが、相変わらず準決勝と決勝は連戦で組まれる。準々決勝で2日目に登場した学校は、決勝まで3連戦を余儀なくされる。決勝再試合は、4連戦となる早実が不利な状況だった。駒大苫小牧は3連戦。しかも継投可能な投手陣を誇る。ふたをあけてみれば1回2死から登板した駒大苫小牧のエース田中の方が立ち上がりの制球が定まらずに連戦の影響を感じさせたが、彼らの奮闘を美談で終わらせてはいけない。
高校サッカーは1月8日に固定していた選手権決勝を、02年度から成人の日にずらして準決勝から十分な間隔を取った日程に変えた。関東圏以外の高校は1度地元に戻らなければならないケースも出てくるが、往復にかかる費用は高体連(全国高等学校体育連盟)が負担する。あくまで選手の疲労回復を第一に考えて実施されている。
1試合で10キロ以上走るサッカーとベンチに座る時間も長い野球を単純に比較はできないが、炎天下を考えれば野球も消耗度は相当。仮に斎藤が打ち込まれていれば世論は強く日程改善を求めていただろう。
高野連(日本高等学校野球連盟)は指導者や過去に連投した投手から聞き取り調査を行い、適切な登板間隔を把握して決勝日を決める時期に来ている。延長18回再試合を経験した太田幸司氏のように、再試合を行わずに決着がつくまでやった方がいいという意見もある。経験者しか分からない部分もあるから、多くの声を集めて勇気ある前進を期待したい。
決勝の日まで数日置けば、球場使用料やチーム、役員の宿泊滞在費など各方面で金銭面の負担を強いられる。その埋め合わせには、無料で開放されている外野席を有料にして充当すればいい。選手がいいコンディションで悔いなく決勝を戦えるならば、高校野球ファンは納得してくれるに違いない。感動を分かち合った甲子園で、そう確信した。
August 27, 2006 10:30 AM
2006年08月26日
東京ダービーって?:沢畠功二
野球ファンに「東京ダービー」って、ピンとくるだろうか。こないだろうなと思いながらも、つい考えてしまう。神宮球場でのヤクルト-巨人戦になると、やたら耳にするからだ。自分が競馬好きだからダービーという響きが、妙に気になるのも理由の1つだが…。
先週末、神宮は阪神ファンで埋め尽くされた。2万7100、3万1600、2万6600人と、3日連続の大入り。平日だったため単純に比較はできないが9、10日の巨人戦は2万人すら満たなかった。巨人戦後に訪れた球場近くの日本料理店で、おかみさんが心配そうに問いかけてきた。「今日は巨人戦だったの? 最近は阪神戦の方が店に来るお客さんが多いのよねえ」。深夜11時すぎだったこともあるが、店内はふだんよりも静かだった。
東京を本拠地とする球団同士の対決よりも、順位に関係なく応援する阪神ファン。東京のファンは優勝争いから脱落しようものなら、冷めてしまう。サッカーファンが言う。「東京ダービーって、FC東京と東京ヴェルディ戦でしょう。ヤクルト対巨人とは思わないよ」。浸透しないのも、無理はないか。
そもそもダービーマッチとは? 英国中部の都市で、2つの教会区が町を二分し、フットボールの試合を行っていたことが語源とされている。同じ街をホームタウンとするが、階級、宗教など何らかの違いが生じたサポーター同士が、自分たちのクラブを熱狂的に応援する。セリエAではACミランとインテルが有名だ。
やはり野球では根付かないのか。思い起こすのは90年代。野村ヤクルト、長嶋巨人は毎年のように優勝を争い、遺恨、因縁などと盛り上がった。FA、ドラフトなどで有力選手をかき集めた巨人に対し、ヤクルトは古田、池山ら生え抜きに加え、田畑、小早川、広田など他球団からのリストラ組を再生して、立ち向かった。必然的に盛り上がり、ファンも熱くなった。
残念ながら、今は盛り上がりに欠けている。DJがマイクで「今日は東京ダービーです」と叫んでも、ファンは?? スポーツニュースでアナウンサーが「今日は東京ダービーが行われました」と切り出しても、これまた視聴者は?? これが現実だろう。
ヤクルトの球団関係者の中にも「最近は横文字が多くて、分からないよ。だいたいダービーって野球に合うのか?」と苦笑いする者もいる。そしてこうも付け加えた。「やっぱり90年代みたいに両チームが優勝争いするようじゃないとダメ。あのころはとにかく球場はいっぱいだったよ」。異論はない。ここ3年、優勝争いは中日、阪神を軸に繰り広げられてきた。東京のチームは蚊帳の外。これではファン同士、盛り上がるはずがない。先日、SG決戦の前座として新曲を披露した「タッキー&翼」も、空席の目立つスタンドに驚いたのではなかろうか。
すべてとは言わないが、両チームとも強くなければ、盛り上がるはずがない。若松前監督は「巨人に勝たないと上にいけない」とじゅ文のように繰り返していた。それほど現場には強烈な意識があった。今でもないわけがない。もっとも強い巨人があってこそ、ではあるが。
August 26, 2006 09:16 AM
2006年08月25日
憎まれてもビデオ判定:井上真
つくづく思う。心の底から感じることだ。「プロ野球の審判はつらい職業だ」。“誤審”問題は後を絶たない。反対に“名裁き”は皆無。間違えるたびに矢面に立たされる審判は、緊張し、必死に正しいと信じ、そして間違えるのだから気の毒と言うほかない。
誰も意図的に「間違えてやれ」などと思ってジャッジしていない。真面目に取り組んだ結果として“誤審”が連続するのだから、これは審判を糾弾して解決できる問題ではない。誰かが手を差し伸べるしかない。その役目を負うのは分かり切っている。コミッショナーであり、両リーグの会長である。
非常に悲しい回答書を目の当たりにした。セ・リーグの複数球団から提出された抗議書、要望書に対する、先日18日のセ・リーグ豊蔵会長の回答だ。その中で「審判の判定は最終のものというルールが存在する限り論評できない。判定を否定した場合、ルールの根幹を崩すことになる」と従来の考えを繰り返した。さらに「進歩した機器により、審判の判定と違う結果が判明することがあり、それが不信につながりかねないことを理解し、憂慮している」と加えた。
「違う結果」とは、判定とグラウンドで起きた事実が違っていたということだ。つまり、審判の判定を優先するあまり、本当の出来事をねじ曲げ、判定を押し通しているということだ。少し冷静に読めば、リーグ会長の苦しい胸の内も伝わってくる。そりゃそうだ。試合が終わり、静かにビデオに見入れば、誰が正しく、誰が間違っていたかは一目瞭然(りょうぜん)。そこに異論を差し挟むものはない。
そこを認めつつ、それでも審判の権威を守るために苦肉の文面になっている。さらに、この苦しい文章で審判は救われ、助けられるのか、と言えば全く反対だ。ますます厳しい目を向けられ、選手-審判間のストレスはムダに高まっていくばかりだ。
もう、こんな非生産的な議論は続ける価値もない。トップとしてコミッショナーはビデオ判定を一部導入すればいい。審判が反対しても、日本プロ野球組織(NPB)のトップとして突っぱねればいいだけのことだ。憎まれ役になってでも、1歩を踏み出さない限り、この問題に出口はない。
野球を取材した経験者として、ベースを踏んだかどうか、バットにボールが当たったかどうかすら、きっちり正しく判断できないのでは、試合進行は無理だ。審判のレベルが下がったのか、選手のスピード、技術が向上したためきわどい場面が増えたのか。いろんな原因があるだろうが、試合を左右する大事な局面での“誤審”は、ペナントレースを戦う選手、ひいき球団を応援するファンにとっては到底我慢できない。
どこに、どれだけのカメラを設置するか、いつ、どのタイミングでビデオを導入するかなど、決め事はたくさんある。それでも、これでどれだけの審判が救われ、どれだけ選手がプレーに集中できるか。それによって、もっとスリリングな試合が見られるなら、コミッショナーらトップは、思い切ってすぐさま断行すべきだ。
August 25, 2006 09:23 AM
2006年08月24日
渡瀬と球児つなぐ歌:村上久美子
夏の高校野球は早実の初優勝で幕を閉じ、球児は甲子園を去った。そして今週末、聖地に違う球児が戻ってくる。首痛などで抹消中だった阪神の藤川球児が1軍復帰。タイガースは長期ロードを終えると、25日から本拠地に巨人を迎える。
直球を待つ打者に快速球を投げ込み、三振に斬(き)る。彼こそ「金払う価値のあるプロ」だ。5月28日、西武インボイス。試合は阪神のサヨナラ負けだったが、球児は2イニングで6打者連続の空振り三振。もう、それだけで満足だった。
球児の復帰で阪神ファンは夢と誇りを取り戻す。甲子園には、おなじみの勝利の凱歌(がいか)「every little thing every precious thing」(リンドバーグ)が帰ってくる。
そう、球児の甲子園登板時に流れるあの歌。渡瀬マキのハイトーンボイスで耳に残る♪あなたがずっと追いかけた夢を一緒に見たい…奇跡のゴール信じて今大地を踏み出した♪ 球児は04年に中継ぎ転向し、一軍定着してから、ずっとこの曲を使い続けている。その縁で、曲を作詞した渡瀬に取材する機会があった。
渡瀬の第一声は「バラードですし、すごくテンポのいい曲というわけでもないのに、どうしてあの曲を使ってくれてるんですか」。楽曲は96年制作で、球児はまだ高校生だった。渡瀬に夫人との思い出の曲だから、との理由を伝えた。
「うれしい。本当にうれしい」。渡瀬は何度も繰り返した。渡瀬は三重出身で、父が40年来の阪神ファン。父に球児のすごさを聞かされ、興味を持った。
「中継ぎとか、抑えとか、いつ出るか分からないんでしょ。その中で、毎回毎回、ベストパフォーマンスをやれるなんて、ものすごい精神力ですよね」。女性ボーカルのバンドとして、90年代の音楽シーンを引っ張ったリンドバーグ。渡瀬も、数々のステージに立った。観客の拍手に身震いをした者だからこそ、球児の偉大さを思い知る。
そこで、渡瀬は球児との接点を見いだした。2人は、ともに1男1女を持つ親。渡瀬は、子供服のオリジナルブランド「Ontembaar」のインターネット販売を始めている。オリジナルサウンドにこだわり続けたアーティスト活動同様に、子供服1つを完成させるのも、生地選びから2カ月以上をかける。デザインはシンプルでも、丈夫さにこだわるという。球児との縁を感じ、渡瀬のひそかな夢が増えた。「藤川投手に私の子供服をプレゼントしたいな。子供に着せてもらえるかな」。
縁は縁を呼ぶ。いつか、どこかで実現するかもしれない。昨年9月29日、阪神がリーグ優勝を決めた夜、大阪・えびす橋に六甲おろしとともに繰り返し、繰り返し、響いたのは「Every Little Thin…」だった。
これを聞いた渡瀬は、半信半疑だったという。10年前の楽曲が、いまや阪神ファンには聖歌となっている。記者は5月28日の西武インボイスで、イニング交代時にシーツが投げ入れたボールを幸運にも手にした。毎夜、寝る前にボールを握る。すると、耳に♪あなたがずっと追いかけた夢を…♪と流れる。はい、すっかり愛唱歌になりました。渡瀬と球児がつながる日も遠くないかもしれない。
August 24, 2006 09:15 AM
2006年08月23日
ファンに説明責任を:松井清員
ここへきてプロ野球審判団の不手際が頻発している。VTRなどで確認すれば、明らかな誤審も見受けられる。当事者の監督や選手、そしてファンにすれば納得しがたい「審判の権威」だろう。春先にもこのコラムで書いたが、今は映像技術が進歩し、判定の正誤が数十秒後に分かる時代。人間の肉眼だけに“正確なジャッジ”を頼ることは、もはや限界だろう。各球団もVTR導入を訴えて両リーグの実行委員会の議題とする構えだが、実現は早くても来年以降になりそうだ。
ならば誤審問題とは別次元になるが、06年中の課題として審判団にお願いしたいことがある。それはグラウンドで起こったことに対し、しっかりファンに説明責任を果たすことだ。例えば7月5日の巨人-中日戦で落合監督が退場になった時のこと。審判の場内アナウンスは「遅延行為で退場処分にします」だけだった。落合監督はなにゆえ15分間も抗議し、何ゆえ退場なのか。東京ドームのファンは???だらけ。状況が理解できないまま、再開された試合を見るしかなかった。
「小坂選手の中飛でタッチアップした二塁走者パウエル選手の離塁が捕球より早いと落合監督から抗議がありました。その際選手をベンチに引き揚げさせて抗議を続け、こちらはセ・リーグの申し合わせ事項(裁定に対する異議の禁止)に抵触すると警告しましたが、応じなかったため遅延行為で退場処分にしました」。
これぐらいの説明があってもおかしくはない。ファンは高い入場料を払って試合を見に来ている。テレビを見ている分には解説者の推測、説明でおよその見当はつく。だが観客は審判のアナウンスしか事態を把握する方法がない。家に帰って深夜のスポーツ番組を見るか、翌朝の新聞を見て初めて「ああそうだったのか」と知るしかないのだ。
一体だれのためのプロ野球なのか。審判団もその原点に立ち返れば、分かりやすく、丁寧な説明ができるはずだ。審判も当事者として頭に血が上っているのは分かる。興奮状態で言葉足らずになるのかも知れない。だが「審判の権威」を示すなら、そんな時こそ冷静な言葉でファンに伝える義務がある。
1日の横浜-阪神戦で石井琢のファウルが暴投とみなされた時の説明では「4人の審判ともバットに当たったことが確認できなかった」。当然、当事者やファンからは「じゃあバットに当たってないことは確認できたのか」との反論が沸き起こるわけだ。
中継しているNHKの再生映像を参考に取り入れている大相撲は、アナウンス用の「虎の巻」なるマニュアルがあるという。そこにはなぜ物言いがついたのか、どんな意見が出たのか、協議の結果どうする(取り直し、軍配通り、差し違え)かを明確、かつ適切にアナウンスする手順が明記されている。プロ野球の審判にもこの手のマニュアルはある。だがどれほど詳細で、徹底されているかは大きな疑問だ。今は誤審問題で手いっぱいかもしれない。だがファンが長年審判に抱く不満が、こんなところにもくすぶっていることを見逃してはいけない。
August 23, 2006 09:11 AM
2006年08月22日
予期せぬ災難対策を:村上秀明
ザ・ドリフターズの人気コント「雷様」は気楽に見られたが、こっちの「雷様」は怖かった。20年以上も前の話だが、自宅に雷が落ちた。ごう音とともに、テレビの裏側から煙が出て、壁が焦げたシーンが、今でも鮮明に記憶の中に残っている。周囲に話すと、よく笑いの「ネタ」として受け止められるが、近所も停電となった正真正銘の直撃だった。
怖いものを表現した言葉「地震 雷 火事 おやじ」もうなずける。当時、部屋が真っ暗になり、煙が出たテレビの裏に雷様が降りてきた錯覚に陥った。恐怖心から一生懸命にへそを隠した記憶もある。母親によると家財保険で新しいテレビを購入したそうだが、災難は突然やってくるものだと人生で初めて思ったのが、このときだったかもしれない。
先日、東京都など首都圏で約140万世帯が該当する史上2番目の大規模な停電が起きた。電気が止まり、信号機が一時停止し、交通網がストップし、テレビのニュースを見ているだけでもかなりの混乱ぶりが伝わってきた。影響を受けたエリアの住民にとっては、甚だ迷惑な話だが、個人的にもっと驚かされたのは、停電を引き起こした理由だった。
重要なライフラインだが、意外ともろいんだなというのが率直な感想だ。旧江戸川にかかる送電線にクレーン船のクレーンアームが接触。確かに信じられない事故で業者のミスだが、1カ所(3本)の送電線が損傷しただけで、あの広範囲なエリアで電気が簡単にストップするとは思わなかった。このような事故は想定外だろうが、人々の生活に絶対欠かせない「生命線」にしては、無防備な印象を受けた。
札幌市でも今月7日未明、観光名所の時計台近くの市道で、水道管工事中の業者が誤って水道管を損傷させ、大量に漏水した。噴水のように噴き上がった水が、一時は高さ10メートルに達したという。この影響で推定約4万5000戸の水道水が濁った。被害は長いところでは丸1日に及んでいたそうだ。影響をもろに受けた知人によると、近所のスーパーマーケットで水のペットボトルが争奪戦になったという。
真夏なので涼しい話も加えようと思うが、北海道では真冬の停電が多い。荒れ狂ったような吹雪によるもので、昨年も取材先に車で向かっている途中、突然の停電で周囲の信号がすべて止まったことがあった。吹雪による視界不良で、しかもつるつる路面のアイスバーン。そんな環境下で信号がまったく機能せず、自分で状況判断して運転するしかなかった。
こういう出来事を振り返ると、天災、人災にかかわらず災難はいきなり降りかかってくるものだと痛感する。電気、水など日々の生活に直結するものが、突然断たれることも十分に想定して、対策を講じておかなければいけないと感じる。停戦決議が発効されたレバノン、飢餓や内戦に苦しむアフリカ諸国などに比べれば、日本は確かに「平和ボケ」しているのかもしれない。ただ、予期せず訪れる災難に対しての対策は忘れないようにしたいものだ。
August 22, 2006 09:16 AM
2006年08月21日
涙なくても強くなる:浜崎孝宏
♪涙の数だけ強くなれるよ─。95年にヒットした歌手岡本真夜の名曲「TOMORROW」の中でこんなフレーズがあったが、今年の夏は甲子園で、高校球児のたくさんの涙をみた。
試合後の勝利監督、ヒーローの談話を楽しみにしているファンも多いと思う。試合終了後、選手は、バックネット裏にある通路に姿を現し、お立ち台に上がる。勝利監督、ヒーロー以外にも敗戦監督、敗れたチームの主力選手が一塁、三塁側の通路に分かれて、新聞各社は13分間の取材を行う。私の受け持ちは九州、山口、沖縄の9県の代表校だった。失策が命取りとなった選手は、悔やみ切れず、悔し泣き。ここ一番で打てなかった選手が号泣するシーンも多々、ある。
そんな中で印象的だったのが、八重山商工(沖縄)だった。8強入りをかけた試合で智弁和歌山(和歌山)に敗れたが、プロ注目右腕、大嶺祐太(3年)らほとんどが涙なし。大嶺は言った。「10年間やってきた仲間と甲子園で最後を終えることができてうれしい。胸を張って石垣島に帰りたい」。春夏通算3本塁打を放った金城長靖(3年)も「これまで練習は苦しかったけど、最後は楽しかった。監督にありがとうと言いたい」と充実感いっぱいだった。
意外だった。敗戦チームの選手はみんな泣くものだ、と私自身、勝手に思い込んでいたら勝手が違った。八重山商工を率いる伊志嶺吉盛監督(52)は、横浜─大阪桐蔭の1回戦を選手とともに宿舎で試合観戦。泣き叫ぶ横浜ナインの姿に「やるだけやれば涙は出ないものだ」と選手に話したそうだ。考えてみればその通り。泣きたくなければ試合に勝てばいい。勝ちたければ試合で結果を残せばいい。それができなかったから、涙を流すことになってしまう。
勝って、感動して涙を流すことはある。しかし、小学校時代から石垣島で約10年間、苦楽をともにした八重山商工ナインは、さわやかに散った。午前6時から2時間の早朝練習。夕方から午後9時すぎまでの練習を365日こなしてきた。本気でやるだけやった人間は、後はよく自分は頑張れたな、と心の中で充実感に満ちあふれるのだろう。そんな不思議な感覚は初めてだった。
最後の試合で先発したが、途中交代となった新城永人(3年)の話が面白かった。「自分たちの力を発揮すれば、勝てたかも知れない。でも、勝てなかったのは力を発揮できなかったということ。負けたからには負けた理由が必ずあります。厳しい練習に耐えて、ここからが人生の本番です。監督から学んだことを社会に出て生かして、初めて監督への恩返しができたと言える」。敗戦後の18歳の高校生のしっかりとした受け答えに頭が下がった。
試合に勝った負けたも大事だが、一番大切なのは高校卒業後、社会に出ていかに役立つ人間になれるかということだ。野球でのあいさつ、練習態度、これは社会に出てからも通じる大事なマナーである。悔し涙の数だけ強くなれる人もいるかもしれないが、社会の心得が野球で培われた選手には、その涙は必要ないのかもしれない。
August 21, 2006 12:18 PM
2006年08月20日
青森が「第2」の故郷:山内崇章
夏休みの冒険だった。22年前、中学1年生だった僕は、寝台列車に乗って甲子園までの一人旅に出た。郷土の代表校、金足農が秋田県勢では19年ぶりに4強入りを果たした。準決勝の相手は桑田、清原のスーパー2年生コンビを擁するPL学園。どうしても生で見てみたかった。家には友人宅に泊まると告げ、深夜、日本海を走る臨時列車に胸をときめかせて乗り込んだ。
金足農にスター選手はいなかった。堅実な守備とつなぎの打線で泥臭く勝ち進んだ。練習量の多さで強くなったことから「雑草軍団」とも呼ばれた。そんなチームがついにスター軍団を倒すときが来た。僕にとってはPLの「KKコンビ」以上に初出場だった金足農の大躍進が希望の光だった。田舎者だってやればできる。だからお前も頑張れよ。そう励まされているような勝手な思いもしていた。
初めて見た甲子園は、想像していたものとは少し違った。アルプス席と選手の距離は、テレビで見るよりもずっと近い。広大かつコンパクトな劇空間。真正面の一塁側に浮き立つ「PL」の人文字は、その強さをまざまざと見せられているようだった。こんなに大勢のファンから一点に注目を浴びる選手、感動をスタンドと共有できる野球はすごい。誰もがこの場所を目指す気持ちがよく分かった。
06年夏。22年ぶりに、三塁側アルプス席に座った。ベスト16、駒大苫小牧と青森山田の壮絶な打ち合い。ひと昔前なら注目も薄かろうカードでも、この日は超満員に膨れていた。たくさんの子供たちが目を輝かせて声援を送っていた。青森市の小学6年生は、一緒に来た父親と約束した。「今日負けた悔しさを僕が晴らしたい。絶対山田に入って甲子園に来たいです」。大阪のシニアで活躍する中学2年生の進路志望は青森への野球留学。「今は大阪のチームよりも強いんじゃないですか。レベルの高い高校でやりたいし、僕も実力を付けてここに来たい」。
金足農はPL学園とがっぷり四つに組んで戦っていた。終盤8回表まで2-1でリードしていた。「もう優勝だ」の声が上がり始めたときだった。桑田の放った打球が、僕が座っていた三塁側アルプスへとどんどん近づいてきた。逆転2ラン。三塁側アルプスを除けば、球場全体がお祭り騒ぎだった。負けた。秋田のおじさんたちは声を出して泣いていた。「大阪のチーム相手に最高の試合をした」。誰かがそう叫んだときには僕も涙が出そうだった。
22年もの間に、高校野球の勢力図は大きく塗り替えられた。ハイレベルな選手が多い関西の少年たちは、夢をつかもうと野球留学の道を果敢に選ぶようになった。試合後の取材エリアでは、選手同士が関西弁で話す声も聞こえてくる。素朴な疑問がわく人も多いと思う。青森、北海道の人はどう思っているのだろう。
22年前の僕なら反発していたかもしれない。田舎者だけでも雑草のようにはい上がれる-。でも今は少し違う。「応援してくれた青森の人に感謝したい。胸を張って帰ります」。談話からは、純粋に甲子園を目指した少年の心が読み取れる。親元を遠く離れてまで、夢を追求した志の高さに感心させられる。「青森は第2の故郷です」と話す選手もいた。その気持ちをいつまでも持ち続けてほしい。
August 20, 2006 08:43 AM
2006年08月19日
勝利呼んだ谷間精神:寺沢卓
敗北は最良の教師、なんである。
サッカー日本代表のオシム監督が、9日のトリニダード・トバゴ戦に向けた会見で残した言葉だ。ちょっと深読みをすると、あるメッセージが込められている。かなり独断ではあるが、ある世代に向けられている、という推理が成り立つ。
16日に行われたアジア杯最終予選のイエメン戦。2-0で勝った。しかし、試合内容は標ぼうする「走るサッカー」からはほど遠く、動けないで戸惑う選手がほとんど。テレビ観戦していて、正直、退屈な時間が多かった。それだけに2得点の瞬間が輝いて見えた。
MF阿部勇樹(24=千葉)が先制ヘッドをねじ込み、FW佐藤寿人(24=広島)が相手GKのこぼれ球を押し込んで2点目をロスタイムにもぎ取った。この2人は勝利に飢えた「谷間の世代」なのだ。
99年のU-17(17歳以下)世界選手権にはアジア予選で敗戦して出場できず、01年のワールドユース(Wユース)選手権(21歳以下)には出場したが1次リーグ敗退。記憶に新しい04年アテネ五輪(23歳以下)も決勝トーナメントには進めなかった。99年Wユースで準優勝した小野、高原、稲本らが「ゴールデンエージ」と称されるのに対して、勝ち運のないことから「谷間の世代」と呼ばれた。その中心が阿部であり、佐藤寿だった。
01年にアルゼンチンで行われたWユースの同行取材をした。阿部は右足骨折でメンバー入りもできず、佐藤寿は人目もはばからず号泣した。だが「谷間」の目指したサッカーの質は悪くなかった。オフ・ザ・ボールの一点に意思統一されていた。相手ボールならば複数人で奪いに行き、パスコースをつぶす。味方ボールなら、ボールを持たない選手がスペースを探して走り回る。そしてパスの基本はワンタッチ。どんなに敗戦を重ねて実現できなくとも、その理想スタイルは変えなかった。
当時のヘッドコーチだった小野剛さんは「システムは関係ない。DF2人だけ残して一気に8人がゴールする意識を持っていい。ボールを持っていないときの動きが重要」と教えてくれた。ただ、理論と実践の差があまりに大きく勝利に結び付かなかった。
「谷間」の理想はオシム監督のサッカーに似ている。偶然かもしれないが、小野さんは今、日本サッカー協会の技術委員長に就任している。イエメン戦の2得点は理想の形だった。阿部は相手DF5人の間をすり抜け、佐藤寿はゴール前で誰もいないスペースに陣取っていた。染みついたオフ・ザ・ボールの精神がゴールに直結したはずだ。
イエメン戦の招集メンバー22人のうち「谷間の世代」は半数の11人。過去の日本代表で「谷間」が最大派閥になったことはない。今までの敗北はむだじゃない…そう思わせる効果はあった。埋もれた才能を花開かせつつあるオシム監督のメッセージは、どこまでが想定内だったのだろうか。
August 19, 2006 10:18 AM
2006年08月18日
柔道支援に金の力を:藤中栄二
毎年夏に注目する数字がある。特に担当記者を離れた翌年から、いつも気にしてチェックを続けている。まず、確認して欲しい。
◆02年度=20万6705人。
◆03年度=20万2529人。
◆04年度=20万3175人。
◆05年度=20万3116人。
これは全日本柔道連盟の個人登録数の推移。04年度に微増しているのは、アテネ五輪で8個も金メダルを獲得した効果があったのだろうが、この4年間は20万人台が続く横ばい傾向だ。
この個人登録数の推移では分からない深刻な問題が起きている。中学校の柔道部の減少である。この15年間で全国的に3割以上も減った。五輪で活躍する柔道選手にあこがれ、小学生が町道場で柔道を始めたとしても、中学校に柔道部がない。現在の中学生は町道場で練習し、中学体育連盟主催の大会に出場している場合が多いが、この町道場も減少傾向にある。
現状打破へ、全柔連も対策を練り始めている。毎年、五輪金メダリストらが参加する柔道教室「JUDOフェスタ」を開き、昨年は全国5カ所で約6000人の小、中学生を集めた。また「柔道ルネッサンス」と題した普及活動の一環で、中学校の柔道支援を打ち出した。柔道を指導できる体育会系の学生の中学教員志望者を増やす活動も行うなど底辺拡大へ必死だ。
柔道界とは別世界の総合格闘技界では、92年バルセロナ五輪金メダルの吉田秀彦が底辺拡大に貢献している。02年4月の全日本選手権を最後にプロ柔道家に転向。PRIDEで活躍する一方、東京・梅丘(世田谷区)に吉田道場を設立したのを皮切りに、神奈川県には青葉台(横浜市)と川崎、東京では杉並、大泉学園(練馬区)、千葉県市川と計6道場を運営中だ。来月には埼玉県にも進出し、川口市内に道場を開く。
吉田も1カ月に1回、全道場の選手を集めて指導に当たっている。また試合の合間を縫って定期的に無料の柔道教室「VIVA!JUDO!」も開いている。指導料だけでは限界があるため、道場運営資金には、プロ活動での収入などを充てている。しかしプロ転向の影響はある。全柔連の規定により柔道界とは決別を強いられた。
吉田の例を見るまでもなく、五輪金メダリストの道場は人気がある。全柔連は今後、五輪金メダリストの道場設立をサポートしたらどうだろうか。金銭的支援に加え、コーチなどの人的支援は大きな助けとなる。吉田とともにPRIDEで活躍するシドニー五輪金メダリスト滝本誠も将来的に道場設立の夢を持つ。この制度が確立されれば、道場設立を考える金メダリストも増えるだろう。
五輪では柔道が金メダル量産の競技として期待される。その最高の舞台で頂点に立った選手が第2の金メダリストを育てる。これまで金メダリストを発掘してきた全国の柔道家たちは経済的な理由で町道場を泣く泣く閉めていった。そんな彼らへの恩返しと彼らの思いを継承するのが、五輪金メダリストではないだろうか。
August 18, 2006 09:54 AM
2006年08月17日
「8月15日」につづる:岡山俊明
▼中学時代の親友の父親は神風特別攻撃隊の生き残りだった。その葬式で見た光景は決して忘れられない。全国から集まった戦友たちが棺おけを囲み、代わる代わる死者に口移しで酒を与えたのだった。若くして命をささげる覚悟をした人間同士の連帯意識は、かくも強固なものなのか。戦闘機には片道燃料。命と引き換えに敵艦に突入する狂気の作戦。滑走路を飛び立てば、戻っては来られない。志願した20歳前後の若者たちは、家族、母国を守る最後の手段と信じて散った。親友の父の場合、出撃命令を受ける前に終戦を迎えたが、精神の中では1度死んだも同然だったに違いない。家族でさえためらう口移しの儀式は、死のふちを知る者しかできなかった。
▼よもの海 みなはらからと 思う世に など波風の 立ち騒ぐらむ
昭和天皇はまだ戦争回避の可能性が残されていた1941年9月6日の御前会議で祖父明治天皇の歌を2度繰り返した。この歌ほど平和を希求した先帝の心情を映し出すものはない。だが日米関係は取り返しのつかない段階まで悪化していた。日中戦争→米が蒋介石政権を援助、日米通商航海条約破棄、米英中蘭による経済封鎖→日本が北部フランス領インドシナ進駐→米がくず鉄と鉄鋼を禁輸→日独伊三国同盟締結→米が石油禁輸。打たれれば打ち返す負の連鎖。外交努力も実らず米国からハル・ノートを突きつけられて日本は開戦に踏み切らざるを得なかった。国家というのは後戻りできないものなのだ。火種はくすぶっているうちに消し止めなければ、大火事になる。今の北朝鮮は閉塞(へいそく)状況に陥った戦前の日本と同じ。経済制裁であまりに追い詰め過ぎると窮鼠は必ず猫をかむ。まともに対話できる相手ではないから、こちらも引き続き大いなる辛抱が必要。北朝鮮に対する額賀防衛庁長官の先制攻撃肯定論はとんでもない。ケンカと同じで先に手を出した方が負け。
▼米国とアルカイダ。イスラエルとアラブ。根が深い対立は終わりが見えない。報復と反撃の繰り返し。双方が正義と信じているから、戦いはやまない。右のほおを打たれたら左のほおを差し出せ? キリストの教えは、現実と国家と誇りの前に無実化する。ユダヤ教もイスラム教も目には目を、歯には歯を。
▼皇居前で頭を地面につけ、終戦を告げる玉音放送に耳を傾ける民衆の映像は知られている。よく見るとその後方には我関せずとばかりに歩いている人たちがいる。敗戦による絶望の寒流と、未来への希望の暖流が混じり合った映像。ひれ伏す人々のクローズアップは、必ずしも日本人全体の姿を映していない。日本が新たな1歩を踏み出した日、国民は結構冷静でたくましかった。
▼子を殺す親がいる。親を殺す子がいる。かつて家族を守るために戦った兵士たちは、何を思うだろう。人間とは、まことに不可解なる生き物。相手を理解し、尊重することが争いを避ける。8月15日、思いつくままにつづった。
August 17, 2006 12:57 PM
2006年08月16日
痛快「本わさび解説」:沢畠功二
ちょうど1年前、担当していた巨人は真夏のストーブリーグに見舞われていた。堀内監督(当時)の後任として、ウルトラCが水面下で進んでいた。生え抜きにしか任せなかった球界の盟主は、初めて外部招へいに乗り出していた。最有力は、ライバル球団阪神の星野仙一シニア・ディレクター(SD)。実現は目前だった。阪神ファンの感情、巨人OBの反発。1カ月に及ぶすったもんだの末に、行き着いたのは第2次原政権。そして時は過ぎた。
つい先日、1年前の残り香をかいだような気になった。NHKで中継された5日の巨人-横浜戦のテレビ解説者が、1年前の「主役」だったからだ。その内容たるや「巨人への提言」だった。中継終了直前、アナウンサーから「かなり厳しい指摘もありましたが」との問いに、「厳しくない。正直な、みんなが知りたい意見ですわ」とサラリと言ってのけた。巨人の低迷ぶりを冷静に分析。「なるほどなあ」「よくぞ言ってくれた」と思った視聴者も多かったのではないか。主な内容は以下の通りである。
◆けが人続出について 阪神時代に自らが獲得に尽力した鉄人金本を例に出しながら、オフの心身に対するケアの重要性を力説。さらに選手層の薄さを指摘した。
◆補強など今後のチーム編成について 4番李の残留を最重要課題とした上で、ドラフトなどでゼロからチーム作りをする必要を訴えた。先発投手ばかりを補強する編成の問題点にも言及。再建するのに2、3年かというアナウンサーの問いに、もっとかかると断言した。
◆シーソーゲームの末、8-5で巨人が勝った試合内容について 先頭打者を四球で歩かせ、得点した直後の相手の攻撃では失点する両チームに、今の順位(5日現在は5、6位対決)通りの試合とバッサリ。
ざっとまとめれば以上のような内容になる。NHKにしては少々過激ではとも思ったが、NHK関係者は「基本的に規制はありませんから」と説明してくれた。主に巨人戦を中継する日本テレビではあり得ないであろう。同局関係者は「うちの姿勢は叱咤と激励。巨人OBで厳しく指摘する方もいらっしゃいますが、気を使うところがあるのも確かです」と話している。
巨人にここまでモノ言える解説者は、そうはいない。独自のネットワークによる情報収集力があるからこそ、ではないか。低迷していた阪神を常勝チームにする礎を築き上げただけに、チーム編成に関する持論は特に興味深い。もちろんプレーの批評、試合の流れを解説するのも大事だ。ただ、球団初の2年連続Bクラスがちらつき始めた今の時期、視聴者が最も知りたいのは低迷の原因、そして来季に向けての視点であろう。そこを的確に突いていた。
本わさびは鼻にツーンとくる辛さは、さほどない。すしでいうならネタにも合い、味を引き立たせる。計2時間の放送時間中、随所にわさびが効いていた。こういうテレビ解説は大歓迎。巨人ファンですら、胸がスカッとしたのではないか。
August 16, 2006 09:06 AM
2006年08月15日
「本物」の安物ドラマ:井上真
亀田興毅のチャンピオン誕生を「安っぽいドラマ」と評した人がいたが、まさにコテコテの浪花節だった。そして、不覚にも目頭が熱くなった。
2日のWBA世界ライトフライ級で新王者となった亀田興毅の試合をテレビで見た。最終12回が終わり、負けを確信した。ジャッジの集計を待つ間、父史郎さんの表情を目で追った。敗れた時、どんな顔をするのか、そこだけ知りたかった。
新王者に亀田が指名され、驚いたような戸惑うような目をした。よく見ると史郎さんはアザラシのゴマちゃんのような真ん丸いまなざしをしているが、その目が点だ。びっくりしている様子が如実に出ていた。
亀田が「どんなもんじゃ~」と強がった後、「え~ん、え~ん」と泣き「オヤジありがとう」と言ってベルトを手渡した。予想通りのパターンだ。分かっていても、それでも、思わず鼻の奥がじ~んと来た。
確かに芝居がかっていたし、TBSの演出が鼻につくドラマ仕立ての王座奪取劇だった。リングインするときに、亀田はわざわざカメラをにらみつけるような視線を送っていた。試合に集中しているのか疑問だった。ただ、試合そのものは、巧妙なランダエタに対して、亀田は死に物狂いの戦いで、不格好な戦いぶりが真剣勝負をストレートに視聴者に伝えていた。
微妙な判定はジャッジの問題であり、亀田にこの点を詰問しても意味がない。むしろ「自分が負けていた」などと言うはずもなく、「好きに言ったらエエヨ」とのコメントもうなずける。王者にふさわしかったのはランダエタだと今でも思うが、その後のマスコミに対する態度を見ている限り、この次の世界戦で答えを出さなければいけない亀田の決意も感じる。
言葉遣いは目に余る。これまでの対戦相手には物足りなさを感じる。試合前のパフォーマンスも度が過ぎている。対戦相手に敬意を払っているとは思えない。しかし、これは批判を覚悟で亀田家がずっと前から選択し継続してきた道ではないか? 失敗をすればこき下ろされ、そしてすぐに忘れ去られていく。その危うさを、少なくとも父親は知っていただろう。それでも貫いてきたことには、信念に近いものを感じた。「嫌なら見なければいい」。史郎氏の言葉には半ば開き直りの響きもあるが、その場しのぎの言い逃れとは違う強い意志を感じた。
試合は終わり、判定は亀田を支持した。微妙な判定だったからといって、これまでの亀田の言動を一斉に攻撃するやり方には、弱い者いじめに近いものを感じる。いまだに謙虚さを表に出さない亀田への反感は確かにあるが、今回の騒動でより興味がわいたのが本音だ。
あれこれ考えさせられた。そして今の率直な感想はこうだ。「安物のドラマの方が分かりやすくていい」。いつまでも、じわりじわりと効いてくる。なかなか忘れることができない。抜群の余韻を残した「本物」の安っぽいドラマには、まだ続きがある。
August 15, 2006 12:16 PM
2006年08月14日
KAMIKAZEは:村上久美子
俳優今井雅之(45)が監督・主演した映画「THE WINDS OF GOD-KAMIKAZE」(26日公開)を見た。映画は現代の米国人が1945年8月に日本人となって時空移動し、特攻隊員として太平洋戦争末期を過ごすストーリー。先日の試写会で、今井があいさつした。
もともとは舞台用に今井が27歳の時に作ったもので、これを映画化した。今井は、100人以上の元特攻隊員に話を聞いた。
「なぜ死ねるのか-と。テレビや映画の見過ぎで、お国のため、とか、そんな気持ちでなぜ、若い命を散らすことができたのか、と分からなかった」。
今井が問うと、答えは単純だった。「みんなね、命令を受けた時は『頭が真っ白になって、出てくるのは母ちゃんの顔だった』と。で、すぐに『母ちゃんが目の前で殺されるのは嫌だと思った』と。そして言うんです。『誰だって、自分の母ちゃん、守りたいと思うだろ? 僕らはただただ、母ちゃんを守りたかった。それだけだ』って…」。
そして、ある元特攻隊員は、仲間の出撃を見送った前夜の思い出を話してくれたそうだ。「酒を飲みながら『この時代に生まれたことを恨んでいこう』と言い合った」。母の見舞いを受けた隊員の中には、何時間も母の手を握り「死にたくない」と泣き続けた者もいたという。しかし、その隊員も出撃命令を受けると、任務完遂に旅立った。
残念ながら、特攻兵たちの体当たりは、そう確率が高くなかった。南洋上に、無念にも沈んだ者も多くいた。特攻出撃の際には、成果を確認し基地に戻る役目を果たす機も同行し、万一、敵前逃亡する機があれば、それを撃ち落としたという。
悲壮としか言いようのない作戦だったが、兵士の素顔はごく普通の若者だった。だから今井は「等身大の特攻隊員を描こうと思った」と語る。撮影場所には、飛行場のあった鹿児島を選んだ。1カ月以上、鹿児島ロケを敢行し、鹿屋市でも撮影。特攻戦没者の慰霊祭にも参加している。
「兵士が見た最後の故国をスクリーンで伝えたかった」。この言葉を今井から聞く前に、上映を見たのだが、飛行場のシーン。青々とした緑の山、たくましい日差し、風のにおいを感じさせる大地…に、鹿児島が浮かんでいた。
こんな風景をニッポンの記憶として、南へ南へと操縦かんを-と、スクリーンに見入った。そして、この映画にはもう1つ、鍵がある。全編、セリフが英語。あくまでも、主人公の特攻兵士の“心”は、現代に生きる米国人青年。日本敗戦を知っているし、特攻出撃を「無駄死に」だと思っている。1歩引いた立場から本を書いたことで、等身大の若者像を際立たせようとした狙いもあったのだろう。
そして今井は、セリフを英語にしたことで、もう1つの野望を抱く。全世界公開だ。ただ、それは…。30代の記者でさえ、毎年、8月になると、あの戦争への怒り、悲しみ、兵士の愚鈍な純粋さに複雑な感情を持て余す。そんな心が、どんなふうに伝わるのだろうか。
August 14, 2006 11:58 AM
2006年08月13日
阪神岡田監督の野球哲学:松井清員
阪神岡田監督のバント嫌いは有名だ。ファンの方の中にも「何でバントじゃないの?」と思った場面は多々あるはず。評論家諸氏も特に負けた試合では、バントさせなかったことを敗因に挙げることが多い。しかも身内のベンチですら、某コーチが岡田監督の背後で「ここはバント」と願望を込めて構えのポーズを作ったこともある。
そんなある夜、酔いに任せて聞いた私に虎の将は言ってのけた。「何で簡単に1アウトをやらなあかんのよ。バントのサインでホームランはない。おれの経験からしても、じっくり構えて打ってこられた方が相手も嫌やで」。
独特の理論だった。野球は1イニングで3つアウトを取られるまで攻撃できるスポーツだ。バントは二塁に進めるが、楽々1死を相手に与えることになる。岡田監督はこの“取り引き”が釣り合わないと考えていた。単打1本で1点を奪えるチャンスをつくれるが、投手側に立てば、あと2人(2死)を抑えるだけと気分は楽になる。1死二塁が1人倒れて2死となれば、逆に打者の方に重圧がかかる。プロあたりでは、無死一塁から3人を抑えることの方が至難の業。強攻した方が、得点になる確率は高いと見ているわけだ。
「バントは銭にならん。何億も稼いだヤツがおるか? 打って初めて選手は稼げる。その打ち方を教えたるのがコーチの仕事やん」。
単に勝つだけではない。そこには選手の力を伸ばしながら、勝つ目的も含んでいると岡田監督は言った。特に打力が1番のアピールポイントになるファームではなおさらだ。阪神2軍監督時代からナインに究極の意識改革を施してきた。無死一塁。走者を進めようとおっつけて右打ちした北川(現オリックス)をしかり飛ばしたことがある。「引っ張ってゲッツー打ってこんかい! 誰がそんな打撃を求めてるんや。相手も怖ないやないか」。
「あの長嶋さんでもゲッツーばっかり打っとったんや(通算257併殺は歴代4位)。ミスターに近づこうと思ったら、ゲッツー打ちに行ったらええんや」。
バント同様、確率が低いことを理由にエンドランも好まない。スクイズもこの3年間で1度もない。よほどの場面以外、右方向へ打って走者を進めろとも強制しない。じっくり、自然に、思い切り打たせることこそ、1番確率の高い作戦という持論なのだ。「1点だけを取りにいくバントは絶対せん。おれがバントさせるのはここで1点取れば勝ちという場面だけや」。酒をグビグビ、岡田監督は自信満々だった。では実際、他球団の選手はどう感じているのか。
巨人上原 打ってくる方が嫌。バントなら確実に1つアウトが取れるし、少し楽に投げれますからね。
強攻こそ相手の嫌がる戦法なのか。実際このスタイルで昨年優勝し、今年も2位につけている。時に無策とまで批判される岡田野球。打者心理、投手心理を考えながら見てみると、ちょっと興味深くなってきた。
August 13, 2006 11:22 AM
2006年08月12日
難しい自然体の対処:村上秀明
夏真っ盛りなのに、しばらくフリーズしていた。声を出すのが遅れていた。自分は何をしてあげれば良かったのか。あらためて考えさせられた。
出張中の函館で、洗濯物を洗うためコインランドリーに行ったときのこと。一通り終えて、建物前の駐車場に止めていたレンタカーに戻り、後部座席に洗濯物を積んでいると、前から1人の小柄な中年男性が歩いてきた。右手に持ったつえを左右に動かしながら、近づいてきた。
サングラスをかけ、つえで前の障害物を確認する姿から、目の不自由な方だとすぐに認識できた。駐車場の車の止まっていない場所をリズミカルに歩き、そのまま前進すると、自分のレンタカーの後部にぶつかりそうだという勢いだった。だが、ギリギリまで声が出なかった。何と言えばいいのか迷ってしまったのだ。
「危ないですよ」。ようやく声を発したが、その瞬間、男性のつえがレンタカー後部にぶつかり「カチン」という接触音が響き、体の一部も車に当たっていた。幸い何事もなかったように、「すいません」と話した男性は方向転換して歩き始め、目的地と思われる近くのバス停留所にたどり着いていた。
果たして、どう対処すれば、この男性のためだったのだろうか。車にぶつかる前に体を使って止めてあげれば良いのか。いつものコースかもしれないので、余計な介助は混乱をきたす逆効果だろうか。手助けすることで逆にプライドを傷つけるのではないか。いろんなことが頭を巡って、結局のところ、声を出すことすら遅れてしまった。
数年前、右目に硬式ボールがぶつかり視力がほとんどなくなった高校球児を取材したことがある。ポジションは捕手で右利きの選手だったが、アクシデント直後は、投手が投げる外角球が捕球できなかった。左目は通常通り見えていたが、遠近感が完全になくなっていたからだ。それでも、外角球の捕球だけを特訓し、立派に大会出場を果たしていた。
目の不自由ではないが、かつて北海道の高校の名門相撲部で隻腕のアマチュア力士が活躍した。小学生のころ、草刈り機に巻き込まれる事故で右腕を失ったが、北海道の高校チャンピオンになり、大学は強豪拓大に進学。各種の全国大会で活躍するなど、ハンディを感じさせなかった。とにかくたくましかった。
スポーツ取材で接したハンディを抱えた選手たちは、競技にかかわらず、屈強な精神を持ち、とことん前向きだった。つらい気持ちを表に出していないだけかもしれないが「ハンディとは思っていない」というせりふを何度も聞いた。「仕方ないが、ほかの人を見る目と違った目で見られるのが1番つらい」。最も印象に残っている言葉だ。
車にぶつかっても、再びつえを駆使して前進を続けた男性の背中を見て、考えさせられた。結局は、こちらも自然体で接するのが1番なのだろうか。もちろん困った様子なら手を差し伸べるが、こっちが変に意識している時点でおかしいのではないか。そんな気になっているが、皆さんはどう考えますか。
August 12, 2006 08:46 AM
2006年08月11日
もっと都会に温泉を:浜崎孝宏
出張や旅行での宿泊先であなたは何を楽しみにしていますか?
私の場合は、あちこちの街で長期滞在するケースが多いため、温泉または大浴場の設備があるホテル生活を満喫する。ここまで書くと何やら、湯巡りツアーのようで普段がお気楽仕事に思われそうだが、大きな風呂に入れるかは結構、大切だ。お湯に漬かれば、翌日の体調がいいのは仕事仲間の一致した意見だ。
今回は夏の高校野球取材で大阪市内に長期滞在している。宿泊先の選定条件は2つあった。1つは、仕事場となる甲子園球場に宿から電車1本で行ける場所。2つ目は、遅くまで食事のできる店の多い場所、だ。うれしい誤算があった。宿泊先に天然温泉があった。館内にジャクジー、サウナのある施設もあったが、部屋には温泉が引かれていた。まさにパーフェクトだ。
温泉大好き人間としては、そんな天然温泉を味わわない手はない。早速、部屋の浴槽にお湯をためた。お湯の温度が熱かったが、ここで水を足すと温泉の成分が薄まると思い、お湯だけしか蛇口をひねらなかった。湯はすぐにたまったものの、あまりに熱すぎて湯船に漬かったのは翌朝となった。一晩待たされたが、風呂に漬かってみると、ヌルヌルする。温泉成分表が置いてあった。泉質は「単純温泉」。俗に言うお肌がツルツルの「美肌の湯」だった。消毒のために大都会のホテルで鼻に付くカルキ臭はない。昨年は九州各地の温泉宿を100軒ほど取材したが、しっとりとした肌触りは、大分の湯布院温泉に似ているようだ。
まさに都会にわくオアシス。健康ブームに乗って、街中のホテルでも天然温泉をウリにする宿が出てきている。繁華街に位置し、交通の便もよく、温泉で疲れも取れる。こんな夢をかなえてくれるホテルが探せばあるのだ。
ただ1つ気掛かりなこともあった。個人的にはうれしい都会の温泉だが、泉源は地下1000メートル、とうたってある。地下深いところから地上にくみ上げた温泉は、体によさげな気もするが、喜んでばかりはいられない。
温泉は地下で鉱脈のようになっているといわれ、有名温泉の脈に当たるケースもある。古くから存在する温泉地にとっては「横入り」されるといろんな問題が起こるケースがある。例えば、泉質が変わった、温泉の色が白から透明になった、湯量が落ちたなど…。そんな問題を心配している温泉旅館経営者の声を聞いたことがある。
最近では、温泉をトラックでどこからか運んできて、大浴場に湯を張り「○○の湯」としているホテルなども見掛けられる。本来、温泉は地下からわく25度以上のものを呼んでいるのだが、温泉水をどこかから運んできて加温しても、普通の水とは違うことを肌で感じられる。
個人的には温泉の成分表示や温泉の呼び方など、規制が厳しすぎる気もする。運んできたって、発掘したって温泉は温泉だ。湯量の少ない温泉脈の横取り問題も多少は緩和されるだろうし、都会の温泉オアシスがもっと出現すれば、仕事もさらにはかどるのだが…。
August 11, 2006 10:22 AM
2006年08月10日
日常から感じる平和 :山内崇章
ふいてもふいても汗がこぼれ落ちてくる。梅雨の明けた7月最後の広島は、肌に痛みを感じるほどの暑さだった。ナイター取材までの空き時間を利用して市内の平和公園を歩いた。園内はいつになく慌ただしい。夏休みとあって子供連れの観光客も多い。慰霊碑前の芝はきれいに刈り取られ、ボランティアで清掃に励む人も忙しそうだ。1週間後に控えた平和記念式典への準備が着々と進んでいた。
元安川のほとりから眺める市内の景色はいつ見てもいい。寂しそうにたたずむ原爆ドームの背後には、カープの本拠地・市民球場がどっしりと構えている。悲しい過去から立ち上がった広島の強さを表す象徴的なアングルにも見える。広島には縁もゆかりもない自分だが、子供のころから思い入れがあった。植え付けられた「恐怖心」から忘れられない地名になった。
親に手を引かれて見に行った映画が広島を知るきっかけだった。小学校に上がったばかりのころに見た作品。親、兄弟との死別、壮絶なシーンは今も頭から離れない。人間が人間を一瞬にして死に追いやった現実の話だと知ったショックは大きかった。自分の住む街に原爆が落ちたらどうなるのかと本気で心配もした。
新聞を読めるようになったころは、米ソの軍拡競争がたけなわ。日本の首相が米大統領に「日本は不沈空母」と発言したときは、映画で見た最悪の光景を想像させた。冷戦構造と固く結ばれた日米関係、もはや日本にいつ核兵器が飛んできても不思議ではない。純粋な恐怖心から、教室で友達に力説したこともあった。
園内を1周して1時間近くがたっただろうか。慰霊碑が見える日陰のベンチに座っていた初老男性が、まだ同じ場所に腰を下ろしていた。公園の近くに住む67歳の男性はここに来るのが日課だという。4人兄弟の末っ子として広島市に生まれたが、生後すぐに福山市の親せきの養子になった。
「父親の顔も母親の顔もほとんど覚えていません。福山はここからだいぶ離れているから…、原爆のことはよく知らないんです」。両親と姉2人を原爆で亡くした。戦後も福山に暮らしたが、息子のいる広島に5年前に引っ越してきた。「ずっと広島には来たくなかったが、やっぱりこの年になって1人では寂しい」。
中央慰霊碑に向かって園内の左手には、在日韓国・朝鮮人の慰霊碑がある。おそろいの赤いシャツを来た団体は、広島市と姉妹都市の韓国・大邱市から来た旅行客。鄭基徳さん(45)は、妻と息子を連れて初めて広島を訪れた。「不本意な形で日本に来た人、夢を求めて異国の地で生きる道を選んだ人、いずれにせよ将来の希望を捨てていなかった私たちの先祖の無念さを考えると心が痛みます」。
帰り際、元安川のほとりに差し掛かると、横浜から遠征に来たプロ野球選手が走りすぎていった。広島で登板予定のないエースピッチャーは、次戦に備えた調整に余念がない。きっと、61年前に広島で暮らしていた人々も、さまざまな日常を送り、先々の予定や目標を見据えて暮らしていたはずだ。原爆ドーム、街をさっそうと駆け抜ける野球選手。当たり前の日常が断ち切られずにきたからこその光景だと、ふと思った。平和のありがたさを感じさせるコントラストに見えた。
August 10, 2006 10:40 AM
2006年08月09日
世代をつないだ朝食:寺沢卓
究極の朝飯をいただいた。
先日、青森県八戸市を取材で訪れた。朝4時にもなると、東の空は白み始め、目が覚めてしまえば、腹もグーと欲望を訴えてくる。
取材過程で、世間話をしていたおじちゃんから「な(あなた、の意味)も、ここまで来たんなら、いさばのかっちゃに会ってこ」とアドバイスを受けた。「いさばのかっちゃ」の正体を聞いた。どうやら「市場のお母さん」のことらしい。
かつて釣り担当をしていたので、早起きは得意。JR八戸線の陸奥湊駅前に行けば分かる、とのこと。現地には午前5時に着いた。
市場は大好きだ。会社も築地市場のすぐ近く。出張に行けば国内外に関係なく、その土地の市場に足を踏み入れる。弁解するわけじゃないが、市場を歩くと、その土地の雰囲気に触れられ、原稿になんらかのスパイスを加えられる可能性だってある。決して、胃袋の欲求に負けているわけじゃない(と思う)。
朝露を含んだ心地いい空気を吸い込みながら、歩いていくと、開店前の一般商店の前に、農作物や魚介類を風呂敷の上に並べたおばちゃんがズラリと並ぶ。ほぉ~、このおばさま軍団が「いさばのかっちゃ」か、朝飯はどこで食べられるやら…んん?
探せども食堂は見つからず。どうもガセ(うその情報)のにおいがプンプンしてきた。
ちょっとすねながらブラついていたけれど、その場の活気ある雰囲気に押されて、機嫌は直り始めた。やや上りの坂道、目線を10度ほど上げると意味ありげな建物発見。緑色の看板にイカ、タコ、エビにおそらくヒラメと思われるイラスト。明朝体で「新鮮な海の幸」。記者の…いや、食いしん坊のアンテナがピピピ。
建物内に入ると、もうそこはパラダイス。魚だけじゃなくて、乾物や野菜も含めて全56店舗。八戸市営魚菜小売市場というそうだ。イカ、アジ、タコそれに冷凍じゃないマグロの刺し身。生ウニやイクラが牛乳びんにびっちり入って700円。焼き物はサバ、ニシン、イカと目移りしちゃう。た、食べたい。建物内の片隅にテーブルといすのセットが5組あった。食堂か?
「店で買ってきたものをここで食べるのさぁ~。ご飯は1杯100円、おみそ汁は20円よ」と手ぬぐいを首に巻いた「かっちゃ」が教えてくれた。さっそく刺し身のイカ、アジ、マグロ(各200円)と100円の漬物を購入。ご飯も2杯食べて、みそ汁すすって920円なり。大満足だ。
ありそうでないシステム。「かっちゃ」に聞くと「ただ、売ってるだけじゃ、せがれや娘っこは継いでくんね。いつでもご飯さ食べられるように、この机さ、置くようになって、若いお客も来るようになって、子どもらも店に立つようになったのよ」。後継者問題解消で始めた苦肉の策が、話題になったという。断絶しそうな世代をつないだ机をなでると、木のぬくもりを超えた温かさを感じた。
August 9, 2006 09:20 AM
2006年08月08日
無我に感じる理想像:藤中栄二
2年前は新日本プロレスの担当記者だった。期間はわずか約6カ月間と短いものだったが、当時の社員たちのアグレッシブさには驚かされた。宣伝とソフト事業部の部長を兼務していた沼谷幸氏は連日午前0時まで社内で残業していた。マッチメークを担当していた渉外部長の上井文彦氏は車中で夜明けを迎えるほど多忙を極めていた。渉外、営業、宣伝、ソフト事業部の若い社員たちが競い合って働いていたのが好印象だった。
その社員たちの半数が今、新日本プロレスには残っていない。理由はいろいろあったのだろうが、おのおのが辞表を提出し、次々と転職していった。昨年10月から数え、退社した社員は役員を含めて24人にものぼる。あのパワフルなライオンマークの元社員たちはどこに行ってしまったのだろう? 寂しい思いをしていた矢先に、彼らが新団体の名のもとに集結していた。
横浜アリーナで亀田の世界戦が行われていた8月2日、後楽園ホール。6月30日に新日本を退社した藤波辰爾による新団体「無我ワールド・プロレスリング」のプレ旗揚げ戦だった。若手の元社員6人が臨時スタッフを務めた。パンフレットやグッズの売店には藤波の夫人、田中リングアナウンサーの夫人、参戦していたプロレスラーの吉江豊の夫人が立った。
また今年3月いっぱいで退社した木村健吾元スカウト部長や元取締役の姿もあった。同興行では同1月に51歳で急逝したブラック・キャットさんの追悼セレモニーも合わせて行われ、蝶野正洋、天山広吉、永田裕志ら新日本プロレス所属選手も自主参加。既に2年前の10月に退社していた上井氏は「控室をみれば自分が新日本にいた当時の人たちばかりだったね」としみじみと懐かしがっていた。
現在は「無我ワールド・プロレスリング」の運営に携わる沼谷氏は集まってくれた元社員らの気持ちに感謝していた。「団体との目指すプロレスの方向性の違いから退社した社員たちが、お金に関係なく、志だけで集まってくれたと思う」。同氏によれば、平日夜の興行時間でなければ辞めていった十数人の元社員が手伝いに来てくれるはずだったという。
故ジャイアント馬場さんの全日本プロレスの流れは、今の全日本プロレスにはない。三沢光晴率いるプロレスリング・ノアの三沢イズムに受け継がれている。アントニオ猪木の新日本プロレスの流れは、現在の新日本プロレスに残っていると言える。あくまでも「無我ワールド・プロレスリング」は藤波イズムである。後楽園ホールのプレ旗揚げ戦は1825人のファンが集まった。9月15日からは福岡を皮切りに地方シリーズも始まる。真価が問われるのは、この9月だろう。
沼谷氏は「プロレス業界の経営が厳しいのは分かった上で会社を辞めた。無我をインディー団体では終わらせない」と熱く語る。2年前。自分が新日本プロレス担当の時に感じていたパワフル&アグレッシブさはどちらにあるのか? 今は「無我ワールド・プロレスリング」にあると思う。
August 8, 2006 10:43 AM
2006年08月07日
平和への「疑似体験」:岡山俊明
61年前の今日、広島に原子爆弾が投下された。今なお多くの人が原爆の後遺症に苦しみ、原爆症の認定を求めて200人近くが国と争う現実がある。
98年夏に競馬の取材でフランスを訪れた時のこと。ドーヴィル競馬場でシーキングザパールが日本調教馬として初めて海外G1を勝った翌日、フランスの競馬専門紙が1面の大見出しにbombe(爆弾)の単語を用いてレース結果を報じた。
最初はよく意味が分からなかったが、ふと気付くと快挙達成の日は長崎に原爆が落とされた8月9日。おそらく、いや間違いなく日本と8月9日の連想から爆弾の活字を使用したのだろう。決して適切な使用法ではないので記事ではあえて「一発かました」と意訳したが、欧州でのヒロシマ、ナガサキに対する認識を実感した。
戦後20年たって生まれた自分にも、原爆体験がある。あれは73年、小学校3年の夏休み。初めて買ってもらった漫画の週刊少年ジャンプに掲載されていた「はだしのゲン」で、偶然その号に原爆投下の日が描かれていた。広島の朝を一瞬にして破壊した熱線、爆風、放射線。作者は8月6日に合わせてストーリーを展開したのだろう。町をさまよい歩く人々が、とても人間とは思えない姿として描かれている。
ドロドロに崩れた顔には無数のガラス片が突き刺さっている。指の先からぶら下がっているえたいの知れないものが皮膚と分かったのは後々のこと。家の下敷きになったゲンの家族を見捨てる町内会長。漫画とはいえ、あまりに残酷な光景は、一小学生に戦争についての興味を呼び起こさせるのに十分過ぎた。社会科の授業は現代史まで到達しなかったから、はだしのゲンとの出会いは貴重だった。
当時抜群の人気を誇った少年ジャンプの柱はギャグやスポ根だったが、それらに交じって戦争について考えさせるシリアスな漫画を掲載した集英社の英断は、いまさらながら素晴らしかったと思う。子供の嗜好(しこう)におもねるだけでなく、多感な時期に日本人として当然知っておかなければならない歴史をさりげなく配した教育的価値は極めて高い。漫画が教科書では及ばない絶大な威力を発揮した好例。その後アニメや実写映画が公開され、単行本は9カ国語に翻訳されて世界中の人に読まれている。
広島、長崎で命を奪われた人々にはこうべを垂れるしかない。しかし、決して無駄な死ではなかった。多くの失われた命が、本土決戦を準備した日本に敗戦を受け入れさせた。この論理は米国が原爆投下を正当化するために使われる方便でもあるが、そう考えないと報われない。
中東ではレバノンとイスラエルの間で殺りくが繰り返されている。争いからは憎悪しか生まれない。夏はあの愚かな戦争を思い出す季節。戦争を知らない世代が、戦争を疑似体験する機会が多いほど、戦争を遠ざける。そう信じている。
August 7, 2006 10:17 AM
2006年08月06日
ファンが望む「生の声」:沢畠功二
先月26日、茨城・ひたちなか市民球場で行われた「ヤクルト対横浜」の試合後のことだった。一塁側ベンチの頭上から少年ファンが呼び掛けてきた。「すいませ~ん。今日はヒーローインタビューはやらないんですか? なしですか? エーッ、そうなんですか…」と残念そうな表情を浮かべ、一緒に来た友達と顔を見合わせていた。
そりゃあ、そうだよな。めったに見ることのできないプロ野球。もしも、お立ち台で選手が「ひたちなかの皆さん、また応援してください」なんて叫んでくれたら、ファンはそれだけでうれしいものではないだろうか。
その試合は、6-0で横浜三浦がヤクルトを完封し、若手のホープ吉村がプロ初となる満塁本塁打を放っていた。詰めかけた1万232人のファンは、年に1度しかないセ・リーグ公式戦を待ちに待っていたのであろうことは想像に難くない。夏休みに突入したこともあり、多くの子供の姿が見受けられた。
しかしヒーローインタビューは割愛されてしまった。帽子を脱いでスタンドに手を振る。そんな「番長」三浦のリーゼントが、絵日記の題材になったかもしれないであろうに。球場の隣町、原子力の東海村で生まれ育った私は小学生のころ、東京の後楽園球場までわざわざ出掛けていき、帰りの電車の時間を気にしながらも、ヒーローインタビューまでは帰らなかった。そこまでが野球観戦のサイクルであると、子供心にもそう思いこんでいたからだ。
主催したヤクルト球団関係者が苦しい胸の内を明かしてくれた。「選手の乗ったバスが一本道で渋滞に巻き込まれる恐れがありました。両チームともその日のうちに東京に戻らなくてはならなかったので…。我々にとっても苦渋の決断でした」。ひたちなか市民球場から都内へは、最低でも2時間はかかる。疲労している選手にはかなりの負担だ。しかも翌日にはヤクルトは大阪、横浜は広島に移動しなければいけない強行軍が待っていた。
球場には数千台を収容できる大駐車場が隣接しており、大渋滞だけは避けなくてはいけないという主催者サイドの配慮は当然であろう。むしろ地方試合の資金面を援助してくれるテレビ局が関東で唯一存在しないにもかかわらず、ひたちなか市とのタッグにより開催にこぎつけた球団営業部の尽力には頭が下がる。
各球団とも、年に10試合程度を地方主催試合として興業に充てている。ファン層を広げるためだ。選手も行脚の意味は分かっている。現に試合前、ヤクルトの古田兼任監督はスタンドに手を振ったりして、神宮球場と変わらぬ態度でファンに笑顔を振りまいた。それだけでもファンは喜んだろう。
地方のファンにとって、夏休みに地元でプロ野球を観戦できるなんてありがたい話だ。だからこそ、いつも通りに勝利の立役者の生の声は聞かせてあげたかった。せめて2、3分でもいい。左手にグラブ、右手にサイン色紙を持っていた野球少年の残念そうな顔が、今でも頭をよぎる。
August 6, 2006 09:04 AM
2006年08月05日
「真実」優先の判定を:井上真
毎年いつも不思議に思っているのが、プロ野球の審判の判定問題だ。中でも、特に感じるのは「真実」が優先されるのか、それとも「審判の判定」が優先されるのか、という疑問だ。
言い換えれば、フェンスを越えればホームランが大原則なはずだが、審判が認めなければホームランとはならない。それが現在の審判団への不信感を招いている。今は審判の判定が最終的なものとされているが、明確に事実が確認できる場合は、「真実」を優先させるべきだ。
以前、“誤審”を下した審判を取材した。その審判は、ダイレクト捕球を見間違えて、セーフと判定した。試合後、審判室を出てきたところで、ビデオで確認したかどうかを質問した。すると「ビデオに1コマ足りなかったな」と言って笑っていた。
意味が分からず聞き直すと「私が見たはずの、捕球前にワンバウンドするワンカットが抜けていた」と言い直した。取材していて痛々しい気持ちになった。自分が間違えたことに気付きながら、笑えない冗談しか言えない。審判室の中で、苦し紛れのセリフを考えていたのかと想像すると、気の毒でさえあった。
間違った判断など、どこの世界にもある。そもそも、人間にミスはつきものだ。さらに、今はビデオがあるために、判定の正否がはっきりしてしまう。それでも、頑として間違いを正当化しなければいけない悲しさが、審判を追い詰めている。
ボール、ストライクの判定やハーフスイングまでビデオ判定をする必要はないだろう。なぜなら、それらの判定は、ビデオを何度見ようとも、見る側の思い入れによって、どうとでも受け取れるからだ。
ただし、ホームラン、アウト、セーフ、フェア、ファウルなど明確に判断ができるものについては、ビデオ判定を導入すべきだ。ビデオは「事実」と「真実」を示しているからだ。例えば、先述したダイレクト捕球をミスジャッジした審判も、ビデオで検証すればその場で混乱を収束することができたはずだ。たとえ、走者がいたとしても、それこそ審判の裁量の中で、単打として場面を設定すれば済むことだろう。
おそらく審判の中には、「たとえ間違いであっても、審判が下したらそれが事実になる」との認識があるのだろうが、それは今の時代には通用しない。また、試合の中の一部にビデオを導入したら、審判の権威が失墜するとの不安もあるだろうが、ビデオの力を借りることは恥ではない。ほかのスポーツでも大相撲、NFL、NHLなどが有名だが、ラグビーやテニス、柔道でもテストを含めて導入され始めている。
明確に分かるものについては、潔くビデオ判定を導入すべきだ。フェンスを越えたかどうか、ダイレクトで捕球したかどうか、両チームがビデオを確認することで、明確に公平さが保たれる。まずは、試験的にでもやってみる価値はあるはずだ。
August 5, 2006 09:27 AM
2006年08月04日
足を止めず前へ前へ:村上久美子
リヤカーマンとは、別に変身する特撮ヒーローではない。今年度の植村直己冒険賞を受賞した冒険家の永瀬忠志さん(50)のニックネームだ。リヤカーを引き歩きオーストラリア、アフリカ、南米など世界の大陸を踏破。その総距離が4万3107キロにも及び、これが世界一周に相当するとして、受賞に至った。
永瀬さんは、19歳の時に「ふと歩いてみよう」と思い、約2カ月かけて宗谷岬から佐多岬までの列島徒歩縦断に成功した。以来31年間、旅を繰り返し、今月1日、通算20回目の旅に出た。今度は、ブラジルのアマゾン地帯900キロ踏破を目指すという。出発前日、永瀬さんは「いつも出発前は、どんどん不安が大きくなる。そして『やめたい』『帰りたい』と思う」と、口にした。
ならば、なぜ旅に出るのだろう-。
「旅の途上で、人と出会い、景色だったり、自然に感動する。何を話すわけでもないけど、集落の人たちが笑顔で迎えてくれると、良かったなと思う。また行こうって気持ちになる」。
きれい事すぎる。本当のところはなぜだ-。1対1のインタビューではなかったため核心まで迫れず、自分なりに考えてみた。そして、ふと思い当たった。
永瀬さんは冒険家。冒険するのが仕事だ。そこで、しゃべるプロ、噺家(はなしか)の桂三枝(63)を思い出した。彼は「スケジュール帳が予定で真っ黒やないと不安」と言っていた。若くしてテレビで人気者となった三枝は、落語家としても、100本以上の創作落語を生み出してきた。複数本のレギュラーを持ち、創作を作り、かつ、本拠地のなんばグランド花月(NGK)にもレギュラー出演し、さらには落語会や独演会もある。1年365日、予定が埋まるのも当然だ。
彼は父親の顔を知らず、かつて「母は旅館に住み込んで身を粉にして働き、自分を大学まで出してくれた」と話してくれたことがある。大阪のある放送局の彼と同世代のプロデューサーは「お母さんの背を見て育ってますからね。働ける環境にあることに素直に感謝する気持ちが今につながってるんじゃないですかね」と言った事もあった。
そういえば、上方漫才界に今いくよ・くるよというベテラン女流コンビがいる。この人たちも「仕事を断らない」事では有名。和泉元彌が仕事のダブルブッキングで騒動を醸した当時、彼女たちは「NGKの出番、2~3時間ほどの間にテレビ収録するのはざら。合間に岐阜とか地方に行くこともあるし」と笑っていた。
ベテランと呼ばれるようになっても、駆け出し時代の屈辱が彼女たちの仕事への活力源になっている。ウン十年前、手見せ(オーディション)で酷評され「お嬢ちゃん、もう帰り」と、吉本興業社員に言われたことがあったそうだ。「お嬢ちゃん」。これが胸に刺さった。「女でもやれる、言うとこ見せたんねん」。2人は誓い走り続けている。
三枝、いくよ・くるよ…理由は違えども、一瞬でも足を止めれば、次の1歩が踏み出せないという不安をかき消すために、前へ前へと歩を進めてきた。永瀬さんを旅に駆り立てる原動力の1つも、実はそうなんじゃないか、と思わずにはいられない。
August 4, 2006 09:04 AM
2006年08月03日
夢与える応援形式を:松井清員
後半戦が始まった甲子園の応援風景に、少しホッとするものがあった。これまで相手投手がイニング途中で降板した時、阪神ファンが大合唱してきた「蛍の光」の回数が減ったのだ。応援団が“歌うルール”を変更したのが理由だが、昨年までの虎番記者時代の7年間は、そのメロディーを聞くたびに強い疑問を感じずにはいられなかった。
黄色のメガホンを手に球場全体が「蛍の光」のリズムに合わせて左右に揺れる。いくら敵とはいえ、KOされた投手を4万大観衆が寄ってたかっていじめているような、異様な光景。よく見れば、小さな子どもたちまでも笑顔で右に左に揺れている。
2年前。私の友人の小学6年生(当時)の息子が不登校になった。いじめられていたわけだが、一番きつかったのが「蛍の光ゲーム」だったという。集団からののしられたり、蹴られたり…。そして泣きだしたところで、その子を取り囲んで「蛍の光」を合唱する。泣くまで「蛍の光」を歌ういじめが続くという。
「いじめっ子の1人の親が熱心な阪神ファンで、一緒に球場に行くうちに応援から何かヒントを得てしまったようです」。担任教師からそんな説明があったという。友人も熱心な虎党。ビールを手に「蛍の光」を目いっぱい歌っていた。「でもまさか自分の子どもがそんないじめられ方をしていたなんて…」。以来、甲子園に足を運んでいない。息子は中学校に入っても不登校が続いているという。
記事になるほどの事件ではない。珍しいケースかも知れない。だが天下の阪神タイガースの応援方法が、子どものいじめの道具になった現実がそこにある。自分の親が声をからして「蛍の光」を熱唱していれば、子どもたちは何の疑いもなく感化されるだろう。だから怖いのだ。
今回の「蛍の光」の見直しは、野球評論家・江夏豊さんが「投手への侮辱行為」と提言したことがきっかけだった。点差に関係なく合唱していた「蛍の光」を「阪神リードの展開だけ」に縮小された。だがもう1歩、全面撤廃まで踏み切って欲しいと願わずにはいられない。
二十数年続いている応援スタイルは、阪神が弱かった暗黒時代の産物だ。試合で勝てないなら、応援でストレスを発散しようとしたファン心理は分からなくもない。だが今の阪神はここ3年で2回も優勝するほど変ぼうした。強い虎が弱いものいじめをして、格好いいはずがない。巨人が低迷する今、球界のリーダーとして応援形式でも引っ張っていく立場にあると思うからだ。
ロッテのように試合後スタンドのゴミ拾いまでしてから帰る応援の仕方もある。鐘やトランペットをやめ、メジャーのようにいいプレーには拍手、緩慢なプレーには味方でもブーイングするスタイルもある。阪神は全国どこへ行ってもファンがいる人気球団だ。これだけの大応援団がマナー良く、斬新で活気ある応援スタイルを持ち込めば、野球観戦ももっと魅力的になるはずだ。子どもたちに夢を与えるのは選手のプレーだけではない。時代にマッチした応援スタイルの確立も大事な要素だと思う。
August 3, 2006 09:24 AM
2006年08月02日
取り戻せ「温泉天国」:村上秀明
「ちょいワル」なんて言葉が流行しているが、「ちょい感じワル」な気持ちになった。
先日、北海道浦河町の第3セクターが運営する施設内の「浦河温泉あえるの湯」が、「温泉」の看板を下ろした。町が源泉周辺を掘削調査すると川の水を引き込むためと見られるパイプが見つかったからだ。入浴客だけで年間約11万人を集めている人気施設が、「大浴場」に姿を変えた。
今年3月、浦河保健所に送られた投書が発端になったそうだ。「川の水を引き込んでいる」。7月上旬には温泉掘削業者の下請け業者が「小川から加水した」と告白したことが一部で表面化していた。同12日には浦河町と北海道が泉源水を調査し、温泉の基準(25度)を下回る約13度しかなかったことも分かった。
実は同9日に、この温泉施設に1泊していた。乗馬体験施設「うらかわ優駿ビレッジAERU」の中にある宿泊施設で、広大な土地を活用しての乗馬、パークゴルフなどが楽しめ、何より広大な自然を満喫できる。休日を利用して夫婦で訪れたが、恥ずかしながら今回の疑惑騒動をまったく知らなかった。
問題の「温泉」にも入っていた。思い返せば、温泉と銘打った浴槽が、色もにおいもあっさりしたお湯だったなという印象はあるが、その時は何の疑いもなく、タオルを頭にのせ湯船につかっていた。もともと「大浴場」だったらこんな気持ちにもならなかっただろうが、看板を下ろしたことで「温泉に入った」という満足感が消去され、何か損をした気分になった。
なぜ、早い段階で徹底的な調査がされなかったのかと思う。実際、3月の投書を受け、北海道が源泉と施設の調査をしたことがあったという。その時は目視で「異常なし」だったようだが、結局は不審なパイプが見つかり、3月から疑惑渦中の「灰色営業」だったといえないか。確かに匿名の投書1枚では動きにくいかもしれないが、対応の甘さがあったのではと言いたくなる。
細かい話だが「温泉」だと入湯税(同町は100円)が発生する。金額の問題ではないが、疑惑の期間中の入浴者にとっては、だまされたという印象はぬぐえない。町は一切の関与を否定し、管理していた掘削業者に対して「法的措置を考える」としているが、それ以上に裏切られたのは入浴
