記者コラム「見た 聞いた 思った」

2006年07月31日

大切なものを守る強さ:山内崇章

 小学校の同級生に、勝(まさる)君という無類の泣き虫少年がいた。背丈順の整列では卒業するまで後方にいた巨体の持ち主だったが、どうしようもなく気が弱かった。国語の朗読時間に先生から指名されるとウルウル。読めない漢字に詰まるとポロポロ。そんな彼を仲間たちはいつも失笑していた。付いたあだ名も「負ける」君だった。

 その彼が、1度だけクラスを驚かせる事件を起こした。高学年のころ。帰り際の反省会で勝君が前日の掃除をサボった、と女子から指摘された。ブーイングが飛ぶ。巨体を机に伏せて泣く勝君。先生に理由を問われると小声で「おじいさんが入院した」ことを告白した。隣の友達が指をさして「それぐらいで泣くなよ」となじった瞬間だ。勝君は突如立ち上がった。両手をグルグル振り回し、次から次へと仲間をなぎ倒した。

 数日後の教室は重い空気に包まれた。事件直後は彼の暴力行為、凶暴さを非難する仲間もいたが、その後は誰も勝君を責めることができなかった。おじいさんが病気で亡くなった。みんなが謝り、励ましたことを覚えている。心に負った傷は「それぐらいのこと」では済まされなかった。一世一代の勇気をふり絞った勝君の強さは際立っていた。

 記憶の底に沈んでいた昔を思い出すきっかけとなったのは、ドイツW杯の決勝戦だった。フランスのジダンが生涯最後の一戦で暴力行為を犯し退場処分、後に罰金を含むペナルティーを言い渡された。引き金はイタリアの選手から浴びせられた家族への侮辱発言だった。内外のあらゆるメディアを通じて事件の是非が問われた。その多くは実に紳士的で公平そのもの、分かりやすい論調ではあった。

 ジダンの気持ちも分かるがスポーツでルールを逸脱した暴力は許されない-。

 スポーツに限らず、私たちの日常でも暴力はご法度だ。ジダンへの処分は当然だとも思う。ただ、ルールの範ちゅうで語られるだけの事件だったのか、もう少し根深い問題が含まれている気がしてならない。ジダンが選んだ行動は、人間の内面には譲れない牙城があることを痛感させる。「後悔はしていない」。彼の言葉からは、自分を産んで、育ててくれた原点の重みが伝わってくる。時にルールを逸脱しても譲れぬものがある。それが人間誰しもが持つ「情け」ではないか。

 ジダンは子供たちに与えた影響を懸念し、謝罪もした。暴力行為だけを取り出せば責められてしかるべき愚行だ。しかし、理不尽な攻撃には、毅然(きぜん)とした行動を取ることも大切だ。そこを伝えることも大人の責任ではないか。譲れぬ牙城とは。ラインを識別する感性を教えることこそ、本当の意味で憎しみや暴力、差別を排除することにつながるのではないか。

 あの事件から、勝君は変わった。中学では発言力の強いグループと行動を取るようになり、高校では硬派な応援団に所属していた。大切なものを守ったあの日の行動は、何よりも周囲の目を変えた。イタリアのサッカーでは、家族を侮辱するヤジが日常的にあるという。強烈な頭突きは、低劣でナンセンスなヤジの質を変える1歩にもつながり得る。病気の母を思う人間くささ。繰り返された映像はスーパースターの本当の強さを映していた気がする。

July 31, 2006 01:27 PM