記者コラム「見た 聞いた 思った」

2006年07月26日

軍曹だった球団代表:井上真

 球団オーナーの指示に忠実であり、プロ野球という組織の中では流れを読みつつ脇役に徹した。一方で、12年間にわたって務めた球団代表としては、特に選手を陰で支えた。19日に心不全で死去した前ヤクルト球団社長の田口周(たぐち・いたる=享年73)さんは、人からどう評価されるよりも、当人はどうしてもらいたいのか、をいつも気に掛けていた。

 数年前、本音が見えない田口さんのことを、無口なヤクルト土橋勝征内野手(37)に聞いたことがある。今年でヤクルト一筋19年のベテランは、米陸軍歩兵連隊を描いた往年の人気テレビドラマ「コンバット」を引き合いに出した。「あの人は、サンダース軍曹なんですよ。もし、戦場の最前線でオレが敵に撃たれて倒れたら、あの人は助けに引き返してくる。仲間を見捨てない。そんな人です。うまく言えないけど」。ぶっきらぼうな土橋にしては珍しく、熱くなって一気に話してくれた。

 後に、田口さんとゆっくり話す機会があった。土橋との会話を伝えておいた方がいいような気がして、そのまま話した。黙って聞き終えてから「そうか」と一言。運転しながら、ほんの一瞬笑った。表情が変わったのは1秒にも満たない。あっけなくて逆に驚いた。たとえうれしくても、感情の動きを表に出さないようにしている。しばらく沈黙したが、何となく田口さんの人柄が少しだけ分かった気がした。

 「あんまり驚かないんですね。もし、自分が言われたとしたら、喜んじゃいますけど」と尋ねた。すると「だからな、そういうことはな、彼がそう感じてくれたらそれでいいんだよ。だから、どうこうじゃないんだよ」と言った。いつものように指示語ばかりだ。相手をけむに巻く言い回しだったが、その時の空気で何も聞かなくても分かった。田口さんは人から信用される人なんだと感じた。

 損な役回りもたくさんこなした。球界の中ではヤクルト本社が巨人追随の方針を示し、球団代表として矢面に立って批判されたことも。人事を預かるだけに解雇を宣告も重要な仕事だった。だみ声でせわしなく動き、監督人事で忙しい最中も、苦悩する顔は見せなかった。「球団の代表ってのはな、日本に12人しかいない」が口癖で、球団社長になっても「代表と呼べ」とうるさかった。

 四十数年前に日刊スポーツに勤めていたこともあり、先輩だった。ヤクルト担当を外れて初めて、いろんな話を聞くことができた。相撲好きで、昨年の秋場所に両国国技館で一緒に十両の取組を見た。「まあ、また今度、ゆっくり飲もう」と、帰って行った。「あんなにやせて。でも、ここが戦場なら、撃たれた仲間を見捨てないんだろうな」。はね太鼓が響く中、残暑の両国を帰る、だみ声のサンダース軍曹の後ろ姿を見送った。

July 26, 2006 10:18 AM