記者コラム「見た 聞いた 思った」

2006年07月31日

大切なものを守る強さ:山内崇章

 小学校の同級生に、勝(まさる)君という無類の泣き虫少年がいた。背丈順の整列では卒業するまで後方にいた巨体の持ち主だったが、どうしようもなく気が弱かった。国語の朗読時間に先生から指名されるとウルウル。読めない漢字に詰まるとポロポロ。そんな彼を仲間たちはいつも失笑していた。付いたあだ名も「負ける」君だった。

 その彼が、1度だけクラスを驚かせる事件を起こした。高学年のころ。帰り際の反省会で勝君が前日の掃除をサボった、と女子から指摘された。ブーイングが飛ぶ。巨体を机に伏せて泣く勝君。先生に理由を問われると小声で「おじいさんが入院した」ことを告白した。隣の友達が指をさして「それぐらいで泣くなよ」となじった瞬間だ。勝君は突如立ち上がった。両手をグルグル振り回し、次から次へと仲間をなぎ倒した。

 数日後の教室は重い空気に包まれた。事件直後は彼の暴力行為、凶暴さを非難する仲間もいたが、その後は誰も勝君を責めることができなかった。おじいさんが病気で亡くなった。みんなが謝り、励ましたことを覚えている。心に負った傷は「それぐらいのこと」では済まされなかった。一世一代の勇気をふり絞った勝君の強さは際立っていた。

 記憶の底に沈んでいた昔を思い出すきっかけとなったのは、ドイツW杯の決勝戦だった。フランスのジダンが生涯最後の一戦で暴力行為を犯し退場処分、後に罰金を含むペナルティーを言い渡された。引き金はイタリアの選手から浴びせられた家族への侮辱発言だった。内外のあらゆるメディアを通じて事件の是非が問われた。その多くは実に紳士的で公平そのもの、分かりやすい論調ではあった。

 ジダンの気持ちも分かるがスポーツでルールを逸脱した暴力は許されない-。

 スポーツに限らず、私たちの日常でも暴力はご法度だ。ジダンへの処分は当然だとも思う。ただ、ルールの範ちゅうで語られるだけの事件だったのか、もう少し根深い問題が含まれている気がしてならない。ジダンが選んだ行動は、人間の内面には譲れない牙城があることを痛感させる。「後悔はしていない」。彼の言葉からは、自分を産んで、育ててくれた原点の重みが伝わってくる。時にルールを逸脱しても譲れぬものがある。それが人間誰しもが持つ「情け」ではないか。

 ジダンは子供たちに与えた影響を懸念し、謝罪もした。暴力行為だけを取り出せば責められてしかるべき愚行だ。しかし、理不尽な攻撃には、毅然(きぜん)とした行動を取ることも大切だ。そこを伝えることも大人の責任ではないか。譲れぬ牙城とは。ラインを識別する感性を教えることこそ、本当の意味で憎しみや暴力、差別を排除することにつながるのではないか。

 あの事件から、勝君は変わった。中学では発言力の強いグループと行動を取るようになり、高校では硬派な応援団に所属していた。大切なものを守ったあの日の行動は、何よりも周囲の目を変えた。イタリアのサッカーでは、家族を侮辱するヤジが日常的にあるという。強烈な頭突きは、低劣でナンセンスなヤジの質を変える1歩にもつながり得る。病気の母を思う人間くささ。繰り返された映像はスーパースターの本当の強さを映していた気がする。

July 31, 2006 01:27 PM

2006年07月30日

攻めに出た奈良観光:寺沢卓

 奈良の観光がピンチだ。

 そ、そんなアホな。奈良っちゅうたら観光の王道やんか…。もちろん、奈良は日本の歴史の玉手箱だ。ただ、奈良の観光関係者が危機感を募らせているのは事実なのだ。

 その対応策として今月19日、東京の流行発信地・代官山に「奈良市東京観光オフィス」がオープンした。

 事前にこの情報が耳に入り不思議に思った。大仏のようにドデ~ンと構えていれば、東京に事務所なんぞ出さなくてもいいのでは?

 「そんなことありまへん。観光客数は減っとります。これからの観光は、待ちではなく、攻めんといかん」と昨年7月に就任した藤原昭市長は話す。

 「奈良の観光危機」を裏付けるデータがある。04年に奈良市を訪れた観光客は1293万人だった。前年比だと99万7000人減。03年までは5年連続で増えていただけにガクン、と落ちたのは目立った。ちなみに、昨年の東京ディズニーリゾート(TDR)は2476万6000人、大阪市のユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)は831万4000人。つまり、TDRの半分、そしてUSJよりはちょっと多いぐらいの集客力といえる。

 身を持って感じたことがある。02年6月、サッカー担当で当時開催していたW杯日韓大会を取材した。日本と1次リーグで同組だったチュニジアのキャンプ地が奈良県橿原市で、3日間密着した。奈良には駅の近くに必ずレンタル自転車がある。これは便利だった。ただ、夕方までに返却が大原則。お願いしたけど「あかん、その日ごとの返却がルールやさかい」と断られた。これで自転車を何日か借りられたら便利だろうなぁ~、とそのとき漠然と思っていた。

 「そうなんですわ。自転車だって何日かまとめて借りられたら、観光も楽しくなる。お客さんから保証金3000円ほどもらっておいて、無事に返ってきたら保証金返却、っちゅうシステムでええですやん」と藤原市長は腕組みをした。そして、本質的な問題を挙げた。「奈良は有名だと思ってるからか案内表示も少ない。問題はもてなす気持ちをどれだけ持つか。観光資源は山ほどある。それをどうアピールするか」。

 東京観光オフィスには、近畿日本ツーリストの社員2人が出向してスタッフとなる。お役所仕事になりがちな業務に民間のノウハウを導入する作戦だ。

 それにはまずアピール材料をつくらなければいけない。今年3月、奈良県内の史跡解説をするガイド27団体が、観光ボランティアガイド連絡会を発足させた。無料で案内した観光客を「ほな、よろしく頼んます」と他地域のガイドに引き継ぐ。奈良を隅々まで案内してくれる。ガイド登録は1200人を超える。

 また、今年から世界遺産の平城宮の清掃ボランティアも活動を開始した。その平城宮は4年後に遷都1300年の節目を迎える。そう、ゴロで覚えた「納豆(710)食べに平城京」だ。きっと盛り上がるだろう。ただ、大仏のように座っているだけでは、せっかくの節目も台無し。東京観光オフィスが奈良1300年の歴史を変える窓口になる。

July 30, 2006 09:15 AM

2006年07月29日

有言実行が男の強さ:藤中栄二

 先日、プロ野球楽天の野村克也監督夫人、沙知代さんを取材する機会があった。対面するやいなや、注意を受けた。相手の返答をもらわないうちに思わず「はい」と口走る記者のクセを「話し方がなっていない」と厳しく指摘された。当然、この取材は序盤から逆風の展開になったことは言うまでもない。予想通り? の強烈な個性と主張、オーラに圧倒されてしまった。
 さらに、私が「長嶋さん、王さんが病魔に倒れられ、順番としてご主人の体調は大丈夫なんですか」と聞いた時には返す刀で「その順番が違うのよ」とピシャリ。4年前の自らの脱税事件を引き合いに出し「本当はうち、長嶋さん、王さんの順番でしょう。うちは体じゃなくてお金の方だったけど」。こちらがどんな顔をしていいのか、思わず反応に苦慮してしまうほど明るい口調で言われてしまった。最初から最後までサッチー節に翻弄(ほんろう)されっぱなしだった。
 強い沙知代さんだが、なぜか強くなりつつある女性像を嘆いていた。夫が育児休暇を取得し、妻が深夜まで働くような逆転現象は子育てに悪影響を及ぼすと危ぶむ言葉を続けた。「例えば夫が月30万円しか稼ぎがないからパートに出るのはいいでしょう。子供を学校に送り出し、帰宅するまで働くのはいいけど、子育てを放棄するのは最低ですよ。だったら最初から子供を産むなよと言いたい」。さらに、こう続けた。「母親が安心と安全を子供に与えないといけない。安住、安全、安心が失われている時代。子供には母親が必要。母を訪ねて三千里はあっても父を-はないでしょ」。
 働く妻を支えるために夫が家事をする。もはや、それが珍しくなくなった時代である。仕事も育児も料理も仕事も家事もできる男が格好いい、みたいな風潮さえある。仕事一筋で家事をしないなんて逆に時代遅れだといわれる世の中になってきた。それって夫=男性が弱くなったからである。では、男の強さとは? 沙知代さんは「自分が言ったことに追いつかないといけない。最近は『ほら吹き男爵症候群』という病気があるそうだけど、それではダメなのよ」と分析した。有言実行こそが男の強さを証明するということだった。
 そういえば…上司からの指示に対し、簡単に「はい」と答えている自分に気が付いた。しかし本当にその「はい」と言った通りに仕事をしているのだろうかと不安に思ってきた。自信がなければ「頑張ります」と言うにとどめ、あとは全力を尽くすしかない。「はい」と言ってできなければ有言不実行という烙印(らくいん)を押されることになる。難しいのは有言実行になっているかどうかを判断するのは、まずは自分自身であるということ。ジャッジするのが自分であればこそ「まあこの辺でいいか」と甘えが出てしまう。今は「はい」という一言の重さをひしひしと痛感している。
 そこで質問です。自分の胸に手を当てて振り返ってみてください。あなたは有言実行していますか?

July 29, 2006 08:57 AM

2006年07月28日

門戸を開け!競馬界:岡山俊明

 ある日の午後、地上駅から地下鉄に乗り込むと、傍らをモンシロチョウがひらひらと追い抜いていった。車内に閉じ込められた愛らしい侵入者は、あちらへこちらへと飛び回った。乗客は読んでいた本をひざに置き、扇子の手を休め、おしゃべりをやめてほほ笑んだ。ところが、1人の上品そうな夫人の行動が周囲をしらけさせた。チョウが近くに来ると顔をしかめ、まるで蚊やハエに対するように追い払った。何度も何度も。和やかなムードは消え、車内はまた味気ない空間に戻った。チョウはいつの間にか、いなくなっていた。

 UAE(ドバイ首長国連邦)のシェイク・モハメド殿下が出資する日本法人ダーレー・ジャパン(株)が、中央競馬の馬主資格取得を目指している。今月上旬、馬主や識者で構成されるJRAの諮問機関で検討された結果、委員全員の反対で今年の承認は見送られた。却下された詳細な理由は明らかにされていないが、オイルマネーによる潤沢な資金力を脅威とする考え方が背景にある。

 海外から高馬を持ち込み大レースを軒並みかっさらう? 生産者は生活を脅かされる? 社台との2大勢力に席巻されて競馬がつまらなくなる? 参入した場合、果たして本当に好ましくない状況に陥り、日本にとってマイナスになるのだろうか。

 モハメド殿下は83年の第3回ジャパンCにハイホークを出走させた時に日本を訪れ、競馬の盛況ぶりに驚き感銘を受けた。それ以来、日本に高い関心を持ち、ダーレー・ジャパンの高橋力代表を通じてさまざまな形でかかわってきた。

 日本の厩舎スタッフを本場英国のニューマーケットに派遣する研修制度を設け、ホースマン育成に貢献した。また奨学制度では世界から選ばれた優秀な卵たちに高度な専門知識を取得する機会を与えている。地方船橋では馬主資格を認められて競走馬を所有。レースや表彰のスポンサーにもなっている。日高で売りに出されていた牧場を買い取って始めた生産、種牡馬事業も軌道に乗った。交通費補助など行き届いたサービスは、中小生産者を喜ばせている。

 また今年のセレクトセールでは、総額5億円余りを市場に落とした。購買しただけでなく生産馬6頭を売却。日本に融合し、世界競馬の発展にも寄与している。セールで3億円で落札したクロフネの弟は、ダーレーがこのまま馬主資格を取れない場合は売却するか、外国で走ることになってしまう。「中央の舞台を目指してやらないとかわいそう」。高橋代表の言葉は単に参入へのアピールだけではなく、日本のファンの前で走らせたい心からの叫びに他ならない。

 今春ハーツクライやユートピアが勝って手にしたドバイ国際競走の高額賞金も、殿下の拠出であることを忘れてはいけない。親日家の殿下は、今回の決定にさぞがっかりしているだろう。あのモンシロチョウが、ダーレーの立場を象徴しているように思えてならなかった。

July 28, 2006 08:48 AM

2006年07月27日

監督、話をしましょう:沢畠功二

 セ・パ交流戦が終わろうとしている先月中旬、「ヤクルト対楽天」の試合前に神宮球場三塁側ベンチをのぞいてみた。ベンチにどかっと座り、大勢の担当記者と話し込む野村監督。捕手の配球について「なってない」「なんで4番打者にあんな攻めをするんだ」など、語り出したら止まらない。

 気が付けば、試合開始40分前まで行われるビジターチームの練習は終了していた。メモを見返すだけでも、ひと苦労のコメント量。ここで仕込まれた「ボヤキ」が「野村の考え」として日々、紙面に掲載され、ファンにも伝わっている。同時に楽天担当にとって、この上ない勉強の場になる。 指揮官がここまで話し好きなのは極端な例だが、野球論を語ることが嫌いな監督って、そうはいないのではないか。03年12月、名球会旅行のためハワイ滞在中の巨人堀内監督(当時)が、同行した担当記者にこう語りかけた。「オレは(試合前に必ず囲み取材に応じるヤンキースの)トーリ(監督)みたいになりたいな。シーズンが始まったら野球を教えてやるよ。前の日にあった試合のことを解説してやるから」。

 一見、とっつきにくそうな堀内氏だって、野球論ならウエルカム。状況により、何が、どう変わったのか。プロならではの駆け引きは、担当記者そしてファンにとっても興味深いものであろう。結局、スタートダッシュに失敗したことが響き、「講義」は数えるほどしかなかったが…。

 そんなこんなでヤクルト担当だった01、02年、若松前監督が連日ベンチで打撃理論、体調管理など熱弁を振るってくれたことを思い出した。「現役時代は6月にどれだけ走り込めるか。これが夏場の体のキレにつながるんだ」。「肉離れしたときは自転車店に行って、タイヤのチューブをもらってくるんだ。それをテーピング代わりにしたんだよ」。「(左打者の)バッティングは左手でバットコントロールするんだ。特にバットに面する人さし指でな」。(左打者なら右の)引き手でコントロールすると思っていたが、生涯打率が3割を超えた「小さな大打者」は違った。当然、前の試合のポイントなども解説してくれた。

 現在、試合前に囲み取材に応じる指揮官は半数程度。もちろんその日のチーム状況、そして気分もある。試合後は興奮していて、冷静さを欠くときもあるだろう。だからこそ5分の立ち話程度でもいい。報道陣は指揮官との会話を求めている。相手チームの対策、作戦は支障があるだろうから、雑談程度で構わない。監督にはスポークスマン的な役割もある。

 「大将」がモノ言えば、選手にも正確な質問ができる。そして何と言っても、プロの考え、技術論を聞き、伝えることで、どれだけ多くのファンが喜ぶことか。プロ野球の監督は日本に12人しかいない。国をつかさどる、大臣よりも少ないのだ。

 なかなか梅雨が明けずにジメジメした今の時期。若松前監督の言葉を思い出しながら、外野の一角に目をやる。「よく走り込んでいるな」「すごい汗の量だなあ」と感心しながら、その選手の成績を見てみる。やはり、と思う。

July 27, 2006 12:33 PM

2006年07月26日

軍曹だった球団代表:井上真

 球団オーナーの指示に忠実であり、プロ野球という組織の中では流れを読みつつ脇役に徹した。一方で、12年間にわたって務めた球団代表としては、特に選手を陰で支えた。19日に心不全で死去した前ヤクルト球団社長の田口周(たぐち・いたる=享年73)さんは、人からどう評価されるよりも、当人はどうしてもらいたいのか、をいつも気に掛けていた。

 数年前、本音が見えない田口さんのことを、無口なヤクルト土橋勝征内野手(37)に聞いたことがある。今年でヤクルト一筋19年のベテランは、米陸軍歩兵連隊を描いた往年の人気テレビドラマ「コンバット」を引き合いに出した。「あの人は、サンダース軍曹なんですよ。もし、戦場の最前線でオレが敵に撃たれて倒れたら、あの人は助けに引き返してくる。仲間を見捨てない。そんな人です。うまく言えないけど」。ぶっきらぼうな土橋にしては珍しく、熱くなって一気に話してくれた。

 後に、田口さんとゆっくり話す機会があった。土橋との会話を伝えておいた方がいいような気がして、そのまま話した。黙って聞き終えてから「そうか」と一言。運転しながら、ほんの一瞬笑った。表情が変わったのは1秒にも満たない。あっけなくて逆に驚いた。たとえうれしくても、感情の動きを表に出さないようにしている。しばらく沈黙したが、何となく田口さんの人柄が少しだけ分かった気がした。

 「あんまり驚かないんですね。もし、自分が言われたとしたら、喜んじゃいますけど」と尋ねた。すると「だからな、そういうことはな、彼がそう感じてくれたらそれでいいんだよ。だから、どうこうじゃないんだよ」と言った。いつものように指示語ばかりだ。相手をけむに巻く言い回しだったが、その時の空気で何も聞かなくても分かった。田口さんは人から信用される人なんだと感じた。

 損な役回りもたくさんこなした。球界の中ではヤクルト本社が巨人追随の方針を示し、球団代表として矢面に立って批判されたことも。人事を預かるだけに解雇を宣告も重要な仕事だった。だみ声でせわしなく動き、監督人事で忙しい最中も、苦悩する顔は見せなかった。「球団の代表ってのはな、日本に12人しかいない」が口癖で、球団社長になっても「代表と呼べ」とうるさかった。

 四十数年前に日刊スポーツに勤めていたこともあり、先輩だった。ヤクルト担当を外れて初めて、いろんな話を聞くことができた。相撲好きで、昨年の秋場所に両国国技館で一緒に十両の取組を見た。「まあ、また今度、ゆっくり飲もう」と、帰って行った。「あんなにやせて。でも、ここが戦場なら、撃たれた仲間を見捨てないんだろうな」。はね太鼓が響く中、残暑の両国を帰る、だみ声のサンダース軍曹の後ろ姿を見送った。

July 26, 2006 10:18 AM

2006年07月25日

「相方」思い流した涙/村上久美子:村上久美子

 お笑いコンビ「極楽とんぼ」で活躍していた山本圭一(38)が、少女(17)に飲酒をさせ、みだらな行為をしたことを理由に、所属の吉本興業を解雇された。人気タレントの電撃解雇-。相方の加藤浩次(37)にとっても、寝耳に水の衝撃だった。

 山本が事件を起こしたのは、16日夜から17日未明にかけての間。吉本は18日午後9時すぎ、山本の解雇を発表した。相方の加藤に知らされたのも、同日夕だった。相方が起こした事件の詳細を聞かされると同時に、解雇の事実も知った。

 山本解雇の翌日、テレビ出演した加藤が涙を流して「気持ちの整理がつかない」と語ったことを、芸能人のウソ泣き、ととらえる声もあったが、あれは本物の悔し涙ではないかと思う。

 それから数日後、深夜ラジオに生出演した加藤は「会社は山本さんを解雇し、コンビ解散という人もいるけれど、解散を決めるのは2人の問題」「山本さんもやっちゃいけないことをやった。今は、どれだけの人に迷惑を掛けたか、しっかり受け止めて欲しい」。一方で「擁護していると言われるかもしれないけど、しっかり(罪を償い)反省して、いつかまた、山本さんとやれる日が来たら、と思う」とも語った。

 素直に、ありのままをさらけ出した言葉だったろう。山本と加藤は16年前、もう1人の友人とともに劇団で役者を目指していた。役者の卵だった3人は、大成の道を探り、加藤と山本が2人で劇団を飛び出し、お笑いの道へ入った。コンビの看板を二人三脚で築き上げてきた。

 そんな絆(きずな)があるのも事実。だが、きれい事だけではない現実もある。お笑い、漫才コンビにとって相方とは、兄弟でも恋人でも友人でもなく「自分の体の一部」だからだ。

 よく「コンビは普段、仲が良うないほど芸はおもろい」と言われるが、確かに、大阪で長く芸能担当をしてきた記者は、中田カウス・ボタン、オール阪神・巨人、コメディNO・1、西川のりお・上方よしおら今も活躍する多くのベテランコンビを見てきたが、ほとんど舞台後は別行動。各人とも、口をそろえて「好き嫌いちゃう。家族とか、守るもんでもない。飯食うていくための手段やねんから」。あくまでも、相方あってのコンビ。私たち、新聞記者で言えば、話を聞くための耳、理解する頭、記事を書く手…そんなところなんだろうと考えている。

 つまり、飛躍して考えれば、相方を思う気持ちは自己愛の一部だとも思う。板の上でネタを演じて初めて仕事が成立する漫才コンビと、相方以外の誰か、もしくは単独でも仕事ができるお笑いコンビでは、多少、相方の持つ重みも変わってくる。それでも、やっぱりこう思う-。加藤は特殊な形の自己愛から、テレビで情けない“自分”に悔し涙を流し、ラジオでは、事件は捜査中でなおかつ、会社が解雇という決断をしたにもかかわらず「またいつか」の発言につながったに違いない、と。

July 25, 2006 01:43 PM

2006年07月24日

球宴は1試合だけに:松井清員

 今回の球宴取材で、ひそかな「マイ・スター」5人衆がいる。投手では剛球の松坂、ミスター完投の黒田。野手ではお祭り男の清原、そしてID野球の申し子・古田。もちろんド派手パフォーマンスの新庄も絶対に外せない。でも来年、このうち何人が同じ舞台に帰ってくるのだろう。22日、東京から大雨の宮崎へ移動した飛行機の中で、ちょっぴり感傷的になった。

 今オフに松坂はポスティング、黒田はFAでメジャー挑戦がウワサされている。来年、清原は40歳、古田兼任監督は42歳を迎える。新庄に至っては今季限りの引退を宣言してしまった。人気と実力を兼ね備えたこの5人は、プロの中のプロと言える数少ない存在だと思う。でもきょう23日の球宴を最後に、2度と全員がそろうことはないかも知れない。上原にも大リーグへの夢があると聞く。来年と言わずとも、近未来の球宴はすごく寂しくなっている気がした。

 いろんな意味で、日本の球宴はそのあり方を考える時期に来たと思う。ただでさえイチロー、ダブル松井、井口、城島ら球宴常連組のスターが海を渡って不在。おかげでメジャー熱の低かった数年前に比べドキドキ、ワクワクの夢対決は減った。そして日本のプロ野球自体、お客を呼べる個性的な選手が減っている現実もある。今年の球宴ですら、最初から最後までテレビにかじり付くファンはどれぐらいいるのだろう。

 「球宴」。年々おもむきが薄れ、うたげの実態すら怪しくなってきた中で、やはり2試合開催は多すぎるのではないだろうか。メジャーは1試合。だがその分、ワールドシリーズに匹敵すると評されるほど権威も高い。選出選手数は30球団から64人で、日本は12球団から56人。メジャーは1球団平均2・1人だが、日本は4・7人が出る計算になる。日本は試合数が2倍ある分、疲労考慮などで選手数も増やさなければならない事情もあり、おのずと「選ばれる価値」も下がってしまっているのだ。

 ある選手は「本当は後半に備えて体のケアもしたい時期。移動日なしの2連戦は疲れるし、ケガでもしたら大変」とこぼした。一方で「セとパの対戦は1カ月前に交流戦で見たばかりだし、真剣度では交流戦の方が上でしょう」といったファンの厳しい声も聞こえてくる。全員が全員ではないが、肝心の選手からもファンからも、心から楽しむ雰囲気が伝わって来ない。誰のための球宴なのかと、考えさせられてしまう。

 1試合制に踏み切れない理由の1つに収入減がある。2試合なら入場料や放送権料だけで約10億円が日本野球機構に入る。その運営費や選手年金は球宴収入でまかなわれる。だが球宴の栄誉を希薄にし、ファンを失望させてしまっては本末転倒。選手が本当に選ばれる栄誉を実感し、その喜びを全力プレーでお返しする。これが真の球宴の姿ではないだろうか。

 1試合制なら5億円の収入が減る-と門前払いしていては、何も進まない。1試合で価値を高め、その上で高い収益を得る方法を真剣に考えることが先決だと思う。一流選手のメジャー流出熱は当分冷めそうもない。個性的なスターにも必ず身を引く時が来る。「球宴」の名にふさわしい輝きを取り戻す努力は、早急に必要だ。

July 24, 2006 11:35 AM

2006年07月23日

信念貫いた全国制覇:村上秀明

 毎年、夏が来ると謝らなければと思い出すことがある。高校野球の駒大苫小牧の選手たちがその相手だ。南北海道代表として昨夏の甲子園で連覇を果たし、今ではすっかり全国区の知名度を確立した。小倉(福岡)以来、57年ぶりの夏連覇は、個人的にはうれしさを通り越して信じられない心境だった。

 自分が高校野球を担当していた7~9年前は、駒大苫小牧が甲子園に出場することはなかった。洗練されたチームの印象はあったが、南北海道の予選で惜敗していた。ただ、当時の選手たちからも、この言葉をよく聞かされていた。今の選手たちが当然のように口にする「目標は全国制覇です」。

 95年に顧問として就任した香田誉士史監督の教えだったのだろうが、志は当時から本当に高かった。甲子園での上位進出すら珍しかった当時の北海道では、選手に目標を聞くと「甲子園出場」がほとんどだった。そんな中、間髪を入れず「全国制覇」と言ってのける野球部は、北海道では異色の存在だったと言える。

 ナインの意気込みを頼もしく感じる一方で、記者として全国レベルも目にしていただけに「そんなに簡単な世界じゃないよ」なんて心の中で意地悪なことを思っていたものだ。だが、選手こそ変わったが、04年夏には優勝旗が本当に津軽海峡を渡ってきた。「全国制覇」が現実になり、当時の部員の意気込みに冷めた感情を持っていた自分が恥ずかしくなった。

 05年優勝時には野球部長の暴力問題が発覚、3月には3年生部員の飲酒、喫煙が表ざたになり、快挙に水を差した形になったが、選手たちが甲子園で残した戦績が変わることはない。以前の北海道の選手では考えられなかったが、駒大苫小牧の選手が高校野球雑誌の表紙を飾るのも珍しくなくなった。何より北海道関係者の意識改革を果たした功績は大きい。

 揺るがない信念が大きかったのではと思っている。歴代の選手が「全国制覇」と言い続けてきた思いが引き継がれ、開花させたのだと思う。「雪国のハンディ」を覆し、北海道民にやればできるという勇気を与えてくれたが、それと同時に、個人的には信念を持った取り組みは必ず成就すると教えてもらった気がする(それだけに一連の不祥事は本当に残念だったが)。

 この人も信念を強く感じた選手の1人だ。スピードスケート女子短距離の第一人者、岡崎朋美(富士急)で「夢を現実に」を座右の銘として活躍を続けている。高校時代まではまったくの無名だったが、実業団入り後のたゆまぬ努力で花開いた選手の言葉だけに重みがある。「努力は必ず報われる」を実証し続けているアスリートだろう。

 会社に入ってから学ぶことは多いが、駒大苫小牧の「全国制覇の信念」は強いインパクトがあり、教訓として心に残っている。夏が来ると当時の選手への謝罪の念を覚えるとともにこう思う。何事にも信念を持って取り組まなければと。

July 23, 2006 11:35 AM

2006年07月22日

初出場にかける思い:浜崎孝宏

 高校時代にかなわなかった甲子園への夢が、実現しようとしている。高校野球熊本大会取材で審判員と話す機会があった。熊本審判協会の加藤博明さん(44)だ。今夏の甲子園には、九州から熊本と宮崎から1人ずつの審判員が出場する。加藤さんは審判生活13年目で、初の甲子園。「高校時代に甲子園を目指していたし、指名されたときはうれしかった。感謝です」と人懐っこい笑みがあふれた。

 高校時代は、大分の強豪、柳ケ浦で6番三塁手として活躍した。高3の夏は日田林工に敗れ、8強で終わった。あこがれの甲子園に行けなかった悔しさが心のどこかに眠っていたのだろう。そんな加藤さんに審判の誘いがあったのは94年のこと。勤務先の阿蘇広域消防本部の仲間から誘われた。「野球に携わりたい思いがあった」。加藤さんは、大学以来となるグラウンドに再び足を向けた。

 この時期は、全国どの球場でも気温は30度を超す猛暑。球児も大変だが、審判も肉体的にはハードだ。選手は攻守交代でベンチでひと息入れるが、審判は、基本的には試合開始から終了まで、プレーの一部始終に目を光らせなければならないからだ。審判員も攻守の合間に給水は可能だが、それでも、正午すぎの3時間を超えるロングゲームを担当すると1試合で体重は約2キロ落ちることもある。昨年、沢村賞投手のソフトバンク杉内に「9回を完投すれば約2キロ体重が落ちる」と聞いたことがあるが、並みの体力では務まらない。加藤さんも一日約6キロのランニングや筋力トレを1年中継続。そんな地道な努力が、甲子園切符をつかませたのかも知れない。

 九州から甲子園に行ける審判は、毎年1~2人。センバツと選手権の2大会を各県の審判協会で順番に振り分けるそうだが、夏の甲子園に熊本から審判を送り出すのは、8年ぶり。約100人以上いる熊本県審判協会から指名された加藤さんは、意気込みをこう話した。

 加藤さん 最初で最後の甲子園だと思う。多分、緊張すると思うけど、慣れた藤崎台と同じ気持ちで平常心でいきたい。最後まで両チームを平等にジャッジして、いい位置取りで判断したい。高校時代に行けなかった甲子園。最後まで駆け回って黒子に徹したい。

 甲子園を目指すのは、高校球児だけではない。毎年、感動的な試合を陰で演出してくれる審判員にとっても夏切符を勝ち取るのは厳しい。今や際どい判定ではリプレーがテレビで流されるだけに、審判に向けられる目もシビアだ。プロ野球ではビデオ判定導入を叫んでいたどこかの球団があったが、人間がやるから面白いのだ。間違いがあってはならないのはもちろんのこと、クロスプレーで一瞬の「間」があっての「アウト!」「セーフ!」。甲子園の晴れ舞台にかけてきた審判員の思いが「間」の後の動作ににじみ出る。8月6日の甲子園開幕までわずか。選手のプレーもさることながら、審判員の思いのこもった動きに注意してみれば、また違った高校野球の楽しみを味わえるのでは。

July 22, 2006 10:22 AM

2006年07月21日

病院に行けなくなる:山内崇章

 待てども待てども名前を呼んでくれない。〈エアコンは29度に設定しています〉。どおりで暑い。手書きの張り紙が恨めしい。前夜に風邪でダウンした3歳児を抱えているとなおさら汗が噴き出る。受診開始の午前9時に診察券を置いたのだが、待合室にはすでに20人近くがズラリ。住宅が密集する下町の個人病院。患者のほとんどがお年寄りだ。懸命に早起きしたつもりだったが、完敗である。
 結局、診察されたのは2時間後。それでもニコッと笑う院長先生の顔を見れば、イライラも不思議と消える。もう15年以上通っている病院。待たされると知りながら、なぜか頼ってしまう。「あなたたちの前に診たおばあさんね、昨日、娘さんと大ゲンカしたんだって。もう75歳なんだから意地張るなって言っておいた」。第一声がこれ。プライバシー保護もへったくれもない。待ち時間が長くなるのも当然と言えば当然だ。
 院長先生はこの辺の人からは「みのもんた」と呼ばれている。顔はあまり似ていないが、人生相談が大好きだという理由からだ。前に相談したウチの夫婦ゲンカもこんなふうに暴露されているのだろう。先生は続ける。「あの年になるとね、心のケアで体調も変わってくるの。年を重ねることへの不安、家庭問題、孤独感…。治療や薬よりも、話すことで元気が沸いてくることだってあるんだから」。
 汗だくになってうちわをあおぎ始めた先生はこうも話す。「でもね、これからはお金が掛かり過ぎて病院に来なくなるお年寄りも増えると思うよ。今度そういうこともコラムで取り上げてほしいな。大問題なんだから」。高齢者の医療費に関するデータを調べると、こんな数字が並んでいる。
 先月、高齢者の自己負担増を柱とした医療制度改革法が国会で成立した。この10月から、70歳以上で一定所得(夫婦年収540万円)以上の人の窓口負担は、現在の2割から働く世代と同じ3割負担となる。08年4月からは70~74歳が原則2割負担(現在は1割)となる。04年度の税制改定により、国民健康保険料、介護保険料も上がるという。
 診察後の薬局。娘さんとけんか中のおばあさんがいた。まとわりつく3歳児の存在が会話のきっかけとなった。「かわいいねぇ。うちの孫娘もこういう時があった。もう大学生。3世帯一緒に住んでるけど、ご飯はいつも別々。誰も私の話なんか聞かないの。長く生きても楽しいことってそうないわよね」。2年前にくも膜下出血で倒れたが、奇跡的に回復されたという。心配した娘夫婦が同居を勧めてくれたのだが…。“みのさん”に会いたくなるのも分からないでもない。
 世は少子高齢化の時代を突き進んでいる。厳しい財政状況、世代間の負担を公平に近づけたい国の意図も分かる。が、嫌でも体の衰えを感じる高齢者が、本来最も頼りにしている社会制度に泣かされるとしたら、やはり健全とは思えない。「お金がなくて病院へ行けない世の中って、どう思います? ここは日本ですよ」。電気代を節約する先生は来年に院長を退任する。希望の進路先は在宅介護施設での仕事だとか。診察を待つお年寄りは暑さも気にせず話に夢中だ。何げない待合室の風景も、いずれ変わってしまうのだろうか。

July 21, 2006 09:27 AM

2006年07月20日

イモで人生を楽しむ:寺沢卓

 されどイモなのだ。

 「まぼろし」の小さな看板を掲げて壺(つぼ)焼きイモを売っているおじさんがいる。築地の路上で、ビーチパラソルを広げ、リヤカーに乗せた壺の中から蒸し焼きされたサツマイモを取り出す。

 皮は焦げない程度にパリパリ。その皮がうまい。かむほどに甘みがジュワ~と染み出てくる。山吹色に輝く身は、舌の上でフワッとばらけて両ほおに流れ込む。口いっぱいに香ばしさが充満する。特に皮の下は歯に触れるだけで溶けてしまいそうだ。

 別にグルメじゃないが、B級のうまいもんには目がない。壺の中がどうなってるのか。気になったので、聞いてみた。

 「壺の下にさ、焼けた炭を入れて(壺の)上にイモをつるすのよ。2時間ほっておくと、皮までおいしいイモができる。炭は備長炭じゃ高温すぎてダメなんだ。すぐに燃え尽きちゃうような安い炭がいい」。

 おじさん、61年前に神風特攻隊の最前線基地だった鹿児島県知覧飛行場にいた。17歳だった。基地では「イモ5・麦3・米2」の割合で炊かれる主食が出た。

 「うまくねぇんだ、これが。サツマイモが妙に甘ったるくて、この世にこんなまずいもんがあるとは思わなかった」。

 3日後に飛び立つ、という日が8月15日だった。特攻隊は解散となり、5000円を渡されて上官から故郷に戻るように指示された。天文館の周辺を歩いていると、湯気を放つ壺が目に入った。イモを売っていた。腹がグ~と鳴って反射的に30銭を出していた。

 「イモなんか食いたくないのよ。まずい思い出しかないから。でも、皮ごと食べたらうまかった。同じイモなのに、今度はこの世でこんなうまいもんはないと感激しちゃったよ。イモ売りのおじさんに聞いたら『同じイモでも手の入れ方次第』と長々と説明されたっけ」。

 帰還後、おじさんは築地の魚市場で地道に働き、72歳で仕事を辞めた。そのまま、隠居する道もあったが、どうせならやりたいことを気ままにやりたいと考えていた。埼玉県川越市に壺イモがあると聞いて、押しかけで修行を申し出た。無給でただ手伝うだけ。72歳の手習いだ。半年後には壺イモ職人になっていた。

 「最初はカミさんも息子もやめてくれ、って反対されてさ。朝3時に起きて、やっちゃ場(野菜市場)でイモを仕入れて、きれいに1本ずつ洗ってさ。炭に火を入れて、イモを壺につるす。夕方に店じまいして、家で晩酌して夜6時にはおやすみだよ。5年やってるからなじみもできた。今じゃ、誰も反対しないよ」。

 生きてりゃ、何があるか分からない。マズいと思ってたものだって、調理法によってはごちそうになるかもしれない。それにイモで人生を楽しめるおじさんもいることは知っておいても損じゃない。いや、「たかがイモ」と思っていることを「されどイモ」にできるような、そんな話を引っかき集めてきます。新参者のあいさつに代えて、読者の皆さまよろしくお願いします。

July 20, 2006 12:30 PM

2006年07月19日

一流の「言葉」を望む:藤中栄二

 ジダンとマテラッツィ。サッカーW杯決勝という最高の舞台で戦った2選手が「言った」「言わない」でピッチ外乱闘を続けている。頭突きしたジダンはマテラッツィの母や姉への侮辱発言に我慢できなかったことを明かした。一方のマテラッツィは姉の侮辱を認めながらも母への発言は否定した。揚げ句の果てには親族までもが登場して舌戦を展開。国際サッカー連盟は2選手を事情聴取し、処分を決定するという事態にまで発展してしまった。

 敵を怒らせる。サッカーでは当然の作戦であることは周知の事実。中心選手の冷静さを失わせ、本来の動きを消すことも勝つためには重要だ。イタリア・セリエA、ドイツ・ブンデスリーガを取材した時、ある外国人DFはプレーや言葉で挑発することが仕事の1つであることを口にした。元日本代表DFにも「世界で戦い、勝っていくには挑発は当然」と聞いたことがある。頭突き問題も、この延長線上で起こった。絶対に負けられない舞台だったからこそ、エスカレートしてしまったのだろう。選手はプレーだけでなく言葉でも厳しいせめぎ合いをしていることを感じさせられた。

 世界で戦うスポーツ選手には、彼らだからこそ口にできる言葉があると思う。00年シドニー五輪取材の際、大会直前に故障した女子柔道の田村(現姓・谷)亮子は「神様は、乗り越えられない人に試練を与えない」と言って心配する周囲を勇気づけた。サッカー担当の時には、日本代表のFW柳沢敦が「物事は見方考え方次第。負のことさえもやがては去る」と紙に書いて心を落ち着けたことを知った。さらに「努力に勝る自信はない」と後輩を激励していた姿を見たこともある。一流選手は逆境をプラスに転換するスイッチのような言葉を持っている。

 自分も選手の言葉に助けられた経験がある。男子柔道の92年バルセロナ五輪71キロ級金メダリスト古賀稔彦氏は30歳をすぎてから好んでファンへのサインに「新風」と書き込んでいた。「新しいスタート、新しい風を取り入れる意味を込めた」と聞いた。既に全日本の中心的な存在ではなく、全日本合宿に自費参加していた立場にあったが、五輪出場と金メダル獲得をあきらめなかった。当時28歳だった自分は気落ちすると「ここは新風だな」と気持ちを切り替えるきっかけにしていた。

 最近、その古賀氏から信念をつづったというTシャツをもらった。「克己とは、体力の差でも、知識の差でもない。意志の違いだ」。己(おのれ)に克(勝)つ。現役時代から「自分に勝つことが当たり前になって、やっと世界で勝てる」と発言し続けていた同氏らしい言葉だ。もしジダンが感情を抑える=自分に勝つことができていればマテラッツィの侮辱発言に耳を貸さなかったのではないかと思う。体力でも知識でもない。意志の違いで自分自身に勝つことができる。それはジダン自身も分かっているに違いない。選手同士による衝突や舌戦は見ていて面白いが、それだけでは夢も希望もない。周囲の人間やファンには心を強くする言葉を発信して欲しい。それが一流選手だと思う。

July 19, 2006 09:12 AM

2006年07月18日

日高の奮闘が励みに:岡山俊明

 今年生まれたばかりの牝駒が6億円で売れたニュースには、競馬を知らない人も驚いたのではないか。購買希望者がうなずくだけで1000万円、あるいは手に持ったペンを少し上げただけで1000万円ずつ上がっていく。セール会場は一種異様な空間。平均的なサラリーマンが一生かかっても稼げない額が、あどけない0歳馬に投じられる。ある大馬主は「なかなか思い通りに落とせない」とグチをこぼし、またあるG1調教師は「ムチャクチャなお値段。競馬する前に負けた」とあきれた。皆、競馬に夢を見る。

 高馬のほとんどはノーザンファームと社台ファームを中心とした社台グループの生産馬。1億円を超えた13頭中、社台グループと対抗関係にある馬産地日高の生産馬は2頭。5000万円以上で売れた61頭中でも9頭だけ。たとえ同じ父親を持つ馬でも、社台ブランドの馬はセリ値が伸びた。

 セレクトセールは最も上場馬の選定基準が厳しく権威ある市場で、秋に凱旋門賞に挑戦するディープインパクトもこのセールから出た。3日間で上場された計469頭の中に将来のG1馬が何頭も隠れているから、購買者は何とか気に入った馬を手に入れようと目の色を変える。

 人間は「氏より育ち」かもしれないが競走馬は「氏と育ち」。どちらも良くなければ、なかなか高くは売れない。氏とは血統であり、育ちとは飼養や育成環境。社台ブランドが支持される理由は単純である。馬が次々に大レースをかっさらっていくからだ。昨年を例に取ると牡馬3冠のディープインパクト、JCダートのカネヒキリ、桜花賞とNHKマイルCのラインクラフト、オークスのシーザリオ、高松宮記念のアドマイヤマックス、朝日杯FSのフサイチリシャールはノーザンファーム。秋華賞のエアメサイア、有馬記念のハーツクライ、安田記念のアサクサデンエンは社台ファーム、マイルCSのハットトリックは追分ファーム。21レースあったG1のうち13を社台グループが占めたのだから、ブランドイメージが高まるのは当然だろう。

 社台ファームの吉田照哉代表は言う。「走る馬を売っているという安心感を皆さんに認めていただいているのだと思う。頭を使わないとダメな時代。ただエサをやって育てるだけでは追いつかない」。日高の生産者も決して漫然と馬作りをしているわけではないが、スタッフの海外派遣や飼料研究、繁殖牝馬の馬体点検など、先を読む努力を怠らない姿勢は学ぶべき点が多い。

 今春のG1は社台4勝、日高5勝。ダービーをはじめクラシック4戦はすべて日高がさらった。社台の屋台骨を支えたサンデーサイレンスが亡くなって4年がたち、日高の巻き返しムードが高まっている。高い馬が必ず走るとは限らない。社台の1人勝ちでは生産界全体の繁栄は望めない。日高の頑張りが、青森や鹿児島などの小さな馬産地にも夢と勇気を与える。今は社台に向いているバイヤーも、競馬場で結果を出し続ければ、必ず振り返る時が来る。

July 18, 2006 11:24 AM

2006年07月17日

やり方露骨なG会談:沢畠功二

 約2カ月半ぶりに耳鼻咽喉(いんこう)科で診察を受けた。担当医が「大丈夫ですか?」と心配そうに問い掛けてきた。私の鼻やのどではない。巨人のことだ。「どうしちゃったんですか? 前回、いらしたのが4月(27日)で、そのときは『(4敗しかしていない)今年の巨人は強いね』って話をしていたのに…」。この医師は偶然にも弊紙の愛読者で、プロ野球のファンでもある。針を突き刺されたような痛さを伴う鼻腔(びくう)洗浄を受けながら、いつも野球談議をしている。「今日(13日)、原監督が読売本社に行くみたいですよ」。「そうみたいですね」。何で診察中にこんなきな臭い話をしなければいけないのだろう…と思いながらも、頭の中は昨年までの担当時代を思い出していた。

 梅雨明け間近のこの時期、グラウンド以外のことに振り回されることが多かったからだ。なぜか札幌遠征が絡んでいる。一昨年は中日に3連敗し、首位陥落。2度と浮上できなかった。昨年も中日に2試合とも惨敗。渡辺球団会長、滝鼻オーナーが、チームの粛清を明言し、水面下で次期監督のリストアップが本格的に始まったのも、この時期だった。裏を返せば、早い時期に優勝争いから振り落とされたということ。そして今年も連敗。3年契約となる第2次原政権の1年目、まさか何事もないだろうなとたかをくくっていたが…。ただ、前兆はあった。6月27日の横浜戦後、滝鼻オーナーが横浜スタジアムを訪れ、原監督をハイヤーに乗せて、異例の車中会談を行っている。「皆さんに見つかってしまったからな」と同オーナーは照れ笑いを浮かべていたが、わざわざ横浜まで来ること自体、尋常でなかった。

 失速の原因について「すべてはけが人だよ」と、渡辺会長は繰り返している。昨年は「誰がマレンを取ってきて、誰が使ったんだ」などと辛らつにフロント、現場批判をしていたことを考えれば、まだ穏やかなほうだろうか。ただ、あまりにも今回はやり方が露骨すぎはしないか。続投前提とはいえ、原監督は「激励ですよ」と報道陣に説明するしかないだろう。前半戦を6試合も残した時点でのトップ会談は、異例だ。読売新聞東京本社前は報道陣が詰めかけ、民放はもちろんNHKでさえもニュースで流すほどだった。

 なぜ、こうも繰り返される「お家騒動」。かつてこの言葉が代名詞でもあった阪神は、今や毎年安定した戦いをしている。それは久万オーナーが外様にもかかわらず野村、星野監督に任せたチーム編成をしたからこそではないか。今がまさに過渡期の巨人はどうだろうか。将来の4番候補は? 阿部を脅かす捕手は? 二岡のライバルは? 才能ある若手、特に野手は育っているのか?

 「慌てた補強はいけない。2年、3年の長期計画でやってくれと言った」。会談後、渡辺会長はそう断言したという。その言葉、しっかり覚えておこう。

July 17, 2006 01:37 PM

2006年07月16日

「投げてくれよ」の意味:井上真

 優勝を期待されて、その通りの結果を出すことがいかに難しいか。W杯でのブラジルの敗戦を見て、特別な国にだけ課された重圧の大きさを思った。スポーツの中にはブラジルのサッカーと同じく、極めて厳しい条件下で勝利を求められている競技がある。日本の柔道だ。

 4月29日の全日本選手権で、鈴木桂治(26=平成管財)は順調に勝ち進みながら、どこか納得していなかった。「僕は自分の中にあるいくつかの引き出しの中で、最悪の時にしか使わない引き出しで試合していました。その引き出ししか使えない自分がつまらなかったです」。

 準決勝では05年カイロ世界選手権90キロ級で金メダルを獲得した泉と対戦した。試合中に鈴木は「きれいに投げられたい」と感じたという。何とか勝ち進んだものの、自分本来の柔道ができず、いっそのことひと思いに泉に投げられてすっきりしたい、との勝負師としての「価値観」があった。優勢勝ちした鈴木は試合後、泉にこう言った。「投げてくれよ」。

 鈴木の中の基準からすれば、当日の柔道は負けてしかるべきものだった、という。それを自分でも分かっていた。言葉に出してあえて試合後に泉に発したのは、試合を通してそのメッセージが伝わっていた、と確信していたからだ。話を聞きながらそう感じた。

 当日の自分の力を客観的に測る分析力。その中で勝ち進む手段を選ぶ判断力。苦しい時に備えて勝ち進む複数の術をそろえておく周到さ。常に頭の片隅で「こんな自分は本当に勝っていいのか?」と、第3者的な視点で自分で自分を評価している。それらすべてを心の中に受け入れて、結果を出していく。

 「自分の力を出したい」「頑張ります」と、ひたすら唱えるだけのレベルとは雲泥の差がある。勝つことだけに四苦八苦している選手、チームには望み通りの結果はついてこないのかもしれない。勝利への執念、気迫、欲求、プライド。いろんな単語があるが、鈴木ら日本を代表する柔道家の思いの背景には、ありきたりな言葉とは別次元の、確かな血のようなものが流れている。

 それを端的に言葉にすると伝統になるのか、伝承になるのか、歴史になるのか、スピリットになるのか、自信を持って示すことはできない。

 鈴木が泉に「投げてくれよ」と言った時、泉にはその言葉の本当の意味が伝わったはずだ。きっと、泉も鈴木と同じ境遇になった時、泉の後輩に同じように接するだろう。みんなが模索して、迷って、失敗して、ちょっとずつ積み上げてきた。それが、伝承になるのかもしれない。

 鈴木は決勝で19歳の石井に敗れ、史上5人目の3連覇は逃した。結果だけを見ると新生石井の台頭ということかもしれないが、王者鈴木を中心に、日本の柔道界は厳しいせめぎ合いの中で戦っている。常に、上を向いて試合をするからこそ、日本柔道は世界から目標にされている。

July 16, 2006 08:57 AM

2006年07月15日

王監督のあったかさ:村上久美子

 ソフトバンクの王貞治監督(66)が今月5日、突然の休養宣言をした。その日の深夜、鷹党のタレント間寛平さん(56)は「また『監督』として戻ってきて欲しいと思うけど、ぜひぜひ無理はなさらないで欲しい」と語った。

 これしか言えんな-。そう思った。今年2月、宮崎キャンプに寛平さんと一緒に王監督を訪ねた。昨夏、タレントに公約を掲げてもらう連載で、そのアンサー企画だった。寛平さんは「ソフトバンクが日本一にならなかったら、王監督の前でギャグをする」との公約を掲げていた。

 ソフトバンクは昨年、プレーオフに敗れ、寛平さんの王監督訪問が実現。WBC監督でもあった王監督は、その数日後にはチームを離れる日程だったが、貴重な時間を割いてくれた。

 グラウンドで寛平さんと並んで2ショット撮影。他社カメラマンが集まる中、本紙カメラマンとは連絡が行き違い、記者はコンパクトカメラを手にシャッターを切った。性能上、1枚しか撮影できず、ぼう然。王監督は「肝心の日刊さん、大丈夫?」。世界の王に気遣われ、ずうずうしくも、ベンチに戻った監督と寛平さんに「もう1回、お願いします」。2人をグラウンドに押し戻し、無事に撮影できた。

 王監督は、練習の合間を見て、私たちを監督室に招き「もうチームを離れないといけないので、時間がなくて申し訳ない」と深々と頭を下げた。勝手に企画して押し掛けた立場としては、恐縮しきりだった。
 恐縮しながら、96年1月に亡くなった歌手の三橋美智也さんの事を思い出していた。生涯レコード売り上げ1億600万枚という日本記録を持つ三橋さんは晩年、マネジャーでもあった大阪市西成区の内妻、二條弘子さん宅で過ごし、大阪市内の病院で亡くなった。三橋さんの死後、家族トラブルがあり、親交があった王監督は弔問を遠慮していた。

 その数週間後。王監督はキャンプイン前日、二條さんとの約束を守り、弔問に来た。6畳ほどの部屋に三橋さんの位牌(いはい)は置かれていた。数分、目を閉じ、手を合わせた王監督は、記者が取材に来ていることに驚きながらも、とうとうと語った。投手で入団しながら失敗。打者転向もすぐに芽が出ず「三振王」とヤジられていたころ、いかに三橋さんの歌に勇気付けられたか、と。三橋さんの死後、弟子だった大物歌手が姿を見せなかったのに比べ、王監督の律義さに感心するしかなかった。

 王監督休養-のニュースを見ながら、わずかな王監督との触れ合いを思い出すうち、宮崎からの帰り、寛平さんにおごられた焼き鳥屋でのやりとりが頭をよぎった。「昨日な、家の近くの店行ってんけど、亭主が帰してくれんねん。眠いわ」。記者が「そんな、おいしいんですか?」と問うと「いや(笑)。(店主は)ええ子やねん。オレくらいしか常連おらんから、行けへんだら店つぶれるやん。せやから、時間あったら行ったんねん」と言った。

 寛平さんも苦労人。石原裕次郎にあこがれ、歌手を目指して上京したが、失敗。吉本新喜劇で人気者になった。成功もつかの間。バッジ製作をめぐり6000万円の借金を抱え、一念発起して東京進出しタレントに転向した。人は傷を負った分だけ人に優しくなれる-。人のあったかさに心が温まりながらも、やっぱり、1日でも早くユニフォームを着た王監督を見たい-。そう思ってしまった。

July 15, 2006 09:05 AM

2006年07月14日

純粋な阪神消滅した日:松井清員

 「これで阪神タイガースは阪神タイガースでなくなるということになるんやろ
な」。阪神の球団首脳はタメ息交じりにつぶやいた。
 5日、プロ野球オーナー会議で阪神に衝撃の判断が示された。10月1日付で実施される親会社阪神電鉄と阪急ホールディングス(HD)との経営統合。阪急HDが阪神電鉄を完全子会社化することで「球団保有者が変更になる」と他球団オーナーにみなされた。阪神は新規参入球団と同じく、25億円の預かり保証金など計30億円を日本野球機構へ納付する義務を課された。
 「うちは71年間、球界発展に貢献してきた」。球団は情状酌量も訴え、コミッショナーに再考を求めている。だがこの決定が覆されることはまずないだろう。
 実は阪神が本当に恐れているのはお金の問題ではない。保証金は10年間球団を保有すれば返金される。一番怖いのは“純粋なタイガースの消滅”だった。球団首脳は言った。「これで阪急の球団のイメージが定着してしまう」。つまり阪神タイガースが「阪神のタイガース」でなくなるのだ。
 球団側もファン心理を察し、阪急へのけん制も込めて「経営統合後もタイガースは阪神電鉄が運営する」と必死にPRしてきた。だが世間、オーナー会議の見方は違った。完全子会社化されていてどうしてそこまで言い切れるのか。説得力は何もない。それは阪神の見通しの甘さを再び露呈した皮肉な結末でもあった。
 そもそも危機管理能力に乏しい経営体質に問題があった。昨年9月末、村上ファンドによる阪神電鉄株の大量買い増しが発覚した時、取り乱していた阪神電鉄幹部の第一声がすべてを物語っていた。「タイガースの優勝間近で株価が急騰したと思っていた」。「テクニカルな企業防衛はしていなかった」。あぜんとした。一気に約40%を取得した村上ファンドは、その時すでに筆頭株主となっていた。
 阪神電鉄100周年史の編さんに携わっていた久万前オーナーは「私が経営にかかわっていれば、こんなことにはならなかった。最後のページに『100周年目で乗っ取られました』なんて書けるか!」と激怒した。笑えぬ話だが、どうして誰も危機感を抱かなかったのか。折りしもライブドアがニッポン放送株を大量取得し、村上ファンドは企業買収を進めていた時期だ。ある本社役員に話を聞きに行くと、村上氏のことを「アイツは金もうけしか考えてない」とアイツ呼ばわりして非難ばかりしていた。だが株を正当な方法で取得された以上、負け犬の遠ぼえにしか聞こえなかった。
 村上氏の逮捕、阪急との統合で「村上タイガース」は免れた。だが虎ファンにとって、かつて球団を身売りした阪急傘下となるタイガースとはいかがなものか。阪急側も現時点ではファン心理を考慮してか「球団経営は阪神に任せる」としているが、いずれ色が出てくることは間違いない。
 「タイガースは文化だ」。プロ野球草創の時代から関西球界を引っ張り、庶民的でファンに愛されたタイガースは、そう呼ばれてきた。その文化を守るべき重大な責任が阪神にはあった。すべては企業防衛の怠慢。「純粋なタイガース」を消滅させた罪は、あまりにも重い。村上氏を恨む前に、現実もしっかりと受け止めなければならない。

July 14, 2006 07:42 AM

2006年07月13日

応援ダンス必要なの:村上秀明

 それって必要なの? 高校野球のスタンド応援の様子を見るたびに感じることがある。個人的には、どうしても有意義なことには見えてこない。

 夏の甲子園切符をかけた各都道府県の地区予選が始まっている。夏の大会は、3年生にとっては最後の公式戦で必死さが伝わってくるプレーが多い。自分も一端の高校球児だったので懐かしくもほろ苦くもある。高校野球がすべてきれいな感動物語だとは言わないが、熱いドラマには拍手を送りたいものだ。
 ただ、高校野球で1つだけ理解できないことがある。スタンドでの控え部員の応援用ダンスである。全国的な事情は明確には分からないが、北海道の高校には、ベンチに入れないスタンド応援の部員が、統一した踊りを踊って盛り上げ役をしている。部員の多い強豪校など一部の高校に見受けられるが、それは今も昔も変わらない光景と言える。

 もちろん、父母やOBなどが多数集まったスタンドを盛り上げようという意図は分かる。専門の応援団やブラスバンド不在で手拍子、メガホンだけの応援だけでは寂しいと言う人もいるだろう。それを築き上げてきた伝統だと言う人もいるかもしれない。個人的には、そんな伝統なら必要ないのでは、と思う。もっとやるべきこと、意味のあることがあるのではないだろうか。

 踊っている控え部員は、はっきり言って真剣に試合を見ることができない。控え部員は下級生が多いだろうし、先輩の1つ1つのプレーを目に焼き付け、今後に生かした方が、よっぽど財産になるのではないか。大声を出すだけの応援なら試合は見られる。腰をくねくねして踊っている場合かな、こっけいなポーズを決めている場合かな、と思ってしまう。

 「毎日2~3時間のダンス特訓をした」とコメントした控え部員がいた。チームに貢献しようという気持ちに好感は持てるが、スタンド応援でダンスをするために野球部に入ったのだろうか。ほぼ100%に近い部員の答えは「NO」だろう。実際にダンスしている部員も、伝統という枠にとらわれ、もしかしたら半強制的に踊らされているのかもしれない。

 仮に伝統を守るために恒例化しているなら、その学校の指導者がどう考えているのか、ぜひ意見を聞いてみたい。足腰に負担が掛かりそうな結構ハードな踊りで、実は体力づくりの一環として課しているのだったら納得はできるのだが…。生徒の自主性に任せているという指導者が多いのではないだろうか。スタンド応援組に、有意義な観戦(応援)の仕方を教えてあげるのも指導の1つではないだろうか。

 踊り、ダンスそのものは楽しいし、みんなで踊れば一体感も生まれる。テレビ番組のダンス企画も見入ってしまうことがある。タレント山本太郎(別名メロリンQ)らを輩出したバラエティー番組の人気企画「ダンス甲子園」が当時、高校生にダンスブームを巻き起こしたことを思い出す(余談だが8月の「24時間テレビ」の企画で復活するとのこと)。ただ、スタンドでの「ダンス甲子園」に意義を感じない。

July 13, 2006 10:36 AM

2006年07月12日

王監督の「氣力信じる」:浜崎孝宏

 ソフトバンク王監督の緊急会見を出張先のホテルで知った。深夜のテレビ番組では、福岡市内で号外を手にしたホークスファンもショックの様子だった。私もベッドから跳び起きて、テレビに映る王監督の神妙な表情をじっと見詰めた。
 プロ野球選手の本塁打をナマで初めて見たのが「王選手」だった。77年3月のオープン戦。速球王として知られた阪急山口高志投手のストレートを背番号「1」が1本足打法で、鹿児島県立鴨池球場の右翼席に軽々と運んだ。当時、小学2年だったが、本塁打の魅力、プロのすごさを強烈に覚えている。そんな夢を与えてくれたスーパースターの一大事だけに、日本中のファンのショックは大きかったと思う。
 ホークスの担当時代には、試合のない日にチーム状況などを聞こうと監督宅の玄関前に各社の担当記者が自然と集まるときがある。そんなときは正午前になるとポロシャツにジーンズなどカジュアルな姿で登場。「メシでもいくか」と話すとさっと携帯電話で、大衆中華料理店などに予約を入れ、大勢でおいしい料理を何度もごちそうになった。「好きなものを頼め、もう食べないのか」。30ほど年下の記者陣にいつも気を使ってくれた。60歳を超えてもなお、若手に負けない王監督の食べっぷりには感服したものだ。
 食通な王監督だけにさぞかし高級料理店に足しげく通っているかと思いきや「誘われて行くこともあるけどね。肩ヒジ張って食べるより、ざっくばらんに食べるメシの方がうまいんだよ」と笑いながら話していた姿が目に浮かぶ。世界一の打撃術もさることながら、飾り気のない自分に正直な生き方が、ファンをハートを離さない一番の理由だと思う。
 口癖のように「食べる人間は元気があるんだよ」と話していた王監督が、ちょっぴり胃のもたれを感じていたなんて知らなかった。かつての教え子でもあるホワイトソックス井口が「王監督みたいな人は病気をしないと思っていました」と話していたが、すべてにおいてパワフルな王監督と接した経験のある人は、誰もがそう思っていると思う。
 治療で都内の病院に向かう際、福岡空港で「僕もショックだったけどまな板のコイだからね」と話していた。王監督は定期健診や人間ドックもマメに受ける人。健康管理に注意を払ってきただけに病気の早期発見で一日も早い回復を祈るばかりだ。「体の異変→即治療」と判断したに違いない。「まな板のコイ」には腹をくくったポジティブな姿勢がうかがえる。
 一般的に知られているが座右の銘は「氣力」。サイン色紙に記す2文字は、実に力強い筆跡だ。「試合に勝つ」「自分に勝つ」と自らを鼓舞し、勝負の世界で勝ち抜いてきた。病気にも衰えを知らない「氣力」で打ち勝ってくれると信じている。

July 12, 2006 11:50 AM

2006年07月11日

横浜も女心をつかめ:山内崇章

 明らかに3年前の景色と違っていた。黄色、白、黒がベースだった甲子園のスタンドは、ピンクや赤、水色の応援ジャージーがカラフルに重なり合っている。茶髪にミニスカート。どう見ても今風の若い女性が、球場の至る所を歩いている。ピンクの縦じまジャージーを着こなし、トラの耳を頭に飾って黄色い声援。本当に楽しそうに歌って踊って、はしゃいでいる。

 梅田へ向かう帰りの阪神電車。ここで聞こえてくる若い女性たちの会話も興味深い。「赤星の出塁が増えれば攻撃力も上がるのに」「浜中1番でえぇよ、パンチあるし」「シーツのサードは正解。昨日の片岡の守備にはガッカリやわ。今は守り勝たな」「早く今岡が帰ってこないかなぁ」。関東に暮らす私にとっては耳を疑う話の連続。失礼だが、聞き耳を立てただけでなく、彼女たちの顔立ちも確認せずにいられなかった。

 女性によるこのたぐいの会話、わたしがよく乗車する横浜から都内へ向かう京浜東北線の車内では聞いたことがなかった。20年以上も甲子園に通い詰める大阪在住の女性阪神ファンの話。「関西の女の子の間では、阪神を応援することがトレンドになりつつある。ピンクの縦じまを着るのは、サッカー日本代表の青いジャージーを着るオシャレ感覚に似ている」。平日でも大入りに膨れる甲子園。この人気は阪神が若い女性に認められたことと無関係でなさそうだ。

 昨年3月、甲子園球場に隣接して「タイガースショップ・アルプス」という女性向けのグッズ店がオープンした。明るい店内は渋谷か青山で見掛けるオシャレなアパレル店舗を思わせる。阪神のロゴ入りキャミソール、ネックレス、指輪などの商品がズラリと並ぶ。客層は20代から30代の女性が9割。店員もすべて女性だ。昨年1年間の売り上げは4億5000万円。日本シリーズ中には1日で1000万円に迫る勢いの売り上げを記録したという。

 店長代理の奥山佑美さん(25)によると、若い女性ファンが急増したのはここ3年ぐらいのことらしい。「星野監督の時代に阪神が強くなり、男性が女性を誘って球場に来るようになった。そこで女性が阪神というフタを開けたら、選手も男前だし、みんなで騒いで応援するのも案外楽しいと思うようになった」。関東の球場にも女性ファンは少なくないが、関西に比べればまだまだという印象だ。

 ここ数年、セ・リーグに限れば、成績も集客も東は西に押され気味だ。テレビ視聴率も関西に比べると落ち込みが目立つ。チームの強さ、スター選手育成は集客の大前提でも、甲子園球場の風景には何かヒントがありそうだ。流行の中心にはいつだって女性がいる。ゴールデンタイムの視聴率もF1層(20~34歳女性)が引っ張っているし、あらゆるジャンルのコンサートやイベントも女性の動員なしには盛り上がらない。

 奥山さんの見解。「横浜も男前の選手が多いじゃないですか。オシャレな土地柄だし、女性が球場に足を運ぶ環境は整っているのでは」。カップル割引、映画館のようなレディースデーもあっていい。西と東では女性の感覚、気質も当然違う。その土地の女性の感性を探ることも大切だ。イケメンたちが真剣勝負を繰り返すスタジアムだ。東も負けずに女心を射止めねば。

July 11, 2006 11:43 AM

2006年07月10日

ジャンケットって何?:小林千穂

 芸能担当になって2年と少し、気になっていながらもほっておいたギョーカイ用語があった。「ジャンケット(junket)」だ。主にハリウッド映画で、現地まで行って監督や出演者に取材すること。映画会社からは「今度『○○』という新作が公開されるんですが、ジャンケットでロサンゼルスまで行きませんか」などというふうに取材の依頼を受けたりする。

 ある海外出張の時、同行した映画会社関係者に「ジャンケットってどんな意味と定義があるんですか」と聞いたら、「さあ…意識しないで使っているので。プレミアイベントや俳優に直接コメントもらったりする機会がある取材、って思ってますけど。正確には何だろう」という答えだった。私もそこですぐに調べればいいようなものだが、その時「何だろうな」と思っても、帰国するときれいさっぱり忘れてしまったり、意識の外に出てしまったりで、ここまできた。

 携帯電話をいじっていたら、辞書機能があることに気付き、調べてみました、ジャンケット。ちょっと衝撃的な意味が出てきた。「公費による大名旅行」。ガーン。公費じゃないけど、私は今まで大名旅行なるものをしてきたのか…。記者としてどうなのよ? いや、携帯電話の辞書機能だから、こんな言葉しか出なかったんであって、まだほかにも有意義な意味があるはずと、気を取り直して、インターネットで調べてみたら、ショックに輪を掛ける意味が出てきた。「物見遊山(ものみゆさん)」。遊んでたのか、私は…。

 もちろん「大名旅行」「物見遊山」はあくまでも元の意味であって、映画業界用語としては、単に「俳優たちに直接話を聞ける取材」くらいの意味になっているんだろうが、この言葉を見てあらためて気を引き締めました。すべておぜん立てが整った中での取材に慣れていないか、と。

 海外のロケ現場やプレミア試写などの取材は、勝手にほいほいと行けるわけではないので、基本的に映画会社におんぶにだっこされている。いわゆる「あごあし枕付き」という以外にも、取材の段取りから何から何まで。もちろん、監督や俳優たちに直接話が聞けることは、読者に新鮮な情報が伝えられるし、自分にとっても今後につながる良い経験になるので、貴重な機会だと思う。でも、違うって思っても、状況としては「大名旅行」かもしれない。もっと自由に動けたら、動けば良かったと思ったことも多々ある。ジャンケットは頻繁にある取材ではなく、ほんのほんの一部だけど、この文字をじーっと見て、ちょっと考えてしまった。これまで読者にきちんと向かった取材ができてきただろうか。

 さて、このコラムを書いて1年。今回で私の担当は終了です。少なくともここでは、書きたいことを書き、言いたいことを言ってきたつもり(くだらないこともありましたが)。とにもかくにも、これからも見るべき方を向いた取材をしていきたいと思う。

July 10, 2006 11:49 AM

2006年07月09日

魔裟斗に求めること:藤中栄二

 もしK-1のトップ戦線で活躍する日本人ファイターがボクシングのルールで戦ったら。今までありそうでなかった興味深い話をする人物がいる。「浪速の闘拳」亀田興毅の所属する協栄ボクシングジムの金平桂一郎会長はK-1中量級エースの魔裟斗のボクシング挑戦を提案している。「彼のボクシング技術は非常にいいものを感じる。本人の意思さえあればボクシングの試合を組みますよ。K-1、ボクシングの交流という意味でやってみるのもいいのではないか」。そう語る表情は真顔だった。

 王座奪取した実績のある日本人トップボクサーがK-1に転向した例はいくつもある。97年9月、元東洋太平洋ウエルター級王者の吉野弘幸が挑戦。昨年10月にはK-1 MAX代々木大会で、日本スーパーウエルター級王座を10度防衛して引退した大東旭、元日本ミドル級王者・鈴木悟が参戦した。吉野以外の2人はいずれも完敗しているが、逆にK-1 MAXの看板選手がボクシングに挑戦した例はない。金平会長は「ボクシング界のトップ選手がK-1に出ることでボクシングファンも注目した。逆に魔裟斗選手がボクシングに挑戦すればK-1のファンがボクシングを見てくれる。お互いのファンが増えると思うんですよ」と熱弁を続ける。

 魔裟斗は今年、K-1 MAX優勝賞金の倍増を訴え、1000万円から2000万円にアップさせることに貢献した。またテレビ視聴率20%超えを狙うことを宣言するなどステータス面を意識する主張が多かった。この発言にも金平会長は敏感に反応し「ボクシングは稼げる」と口にした。ジム所属選手の亀田は昨年11月のプロ9戦目の段階で、既に推定1500万円のファイトマネーを手にした。8月2日の世界戦の報酬は1億円と推定されるだけに説得力がある。さらに金平会長は「魔裟斗選手が本気ならこちらもお金を出しますよ」と付け加える。

 ボクサーは実績が認められればK-1デビューできる。しかしK-1ファイターのボクシング挑戦は容易ではない。ライセンス取得のためにプロテストを受験しなければならない。合格するのは4回戦までのファイトが許可されるC級ライセンス。当然、デビュー戦も4回戦となるが、金平会長は「魔裟斗選手は既にボクシングのトレーナーに指導を受けているし、プロテストも合格するでしょう。あの知名度と人気があれば、デビュー戦からテレビのゴールデンタイムで放送できるんじゃないか。放送権料が入ればファイトマネーも、さらにアップするでしょう」と好待遇になる可能性を強調している。

 ボクシングとK-1。ともにリング上でグローブを装着して戦う。見た目だけは似ているが、まったく違う競技である。スキーのジャンプ選手がアルペンに挑戦、あるいはフィギュアスケート選手がスピードスケートに挑戦するようなもの。同じような道具を使っていてもルールの違いは大きい。「ボクシングとK-1のどちらが強いのかを決めたい訳じゃない」と金平会長。今回の提案は「ボクシング→K-1」の一方通行ではなく、相互交流で格闘技界の人気の活性化を図りたいという願いが込められている。

July 9, 2006 10:28 AM

2006年07月08日

自分の意志を堂々と:千葉修宏

 7月4日は米国の独立記念日でした。ここニューヨークでも各地で式典や記念の花火大会などが開催され、盛り上がりました。僕は別に米市民ではありませんが、雰囲気を味わおうということで、近所でやっていた式典に参列し、夜は近くのハーバーで花火を見てきました。

 ジャズの生演奏や、間近で見る美しい花火など、家族全員が大満足の1日でした。ですが、それとは別に、僕は日米問わず、どうもこういう愛国心を喚起するようなイベントが苦手なんですよね。ひねくれ者なので「みんなで1つに」みたいなのが、もともと嫌いだというのもあるんですけど。

 大リーグ取材でも、最も違和感を感じるのが、あの「9・11」以降、行われるようになってきた「ゴッド・ブレス・アメリカ」の大合唱。多くの球団では日曜日の試合のみ、7回表終了時に行うのですが、ヤンキースは違います。毎試合、必ず行うので、困ってしまいます。

 まず「われわれの自由と生き方(our freedom and our way of life)を守るために命をささげた人たちのために歌いましょう」みたいなアナウンスが入り、歌が流れます。命をささげた人たちというのは、主にイラクで亡くなられた人たちを指しているのでしょう。

 僕は、自由や生活を守るのは本当に素晴らしいことだと思います。イラクで亡くなられた米国人の冥福を祈る気持ちだって強いです。ただ一方で、自分たちの生活を奪われた、イラクの民間人もいるということを考えると、ちょっと複雑な気持ちになります。「God bless America(米国に神のご加護を)」という曲名からして、「おいおい米国にだけかよ」と突っ込みたくなります。どうも自国のことばかり考えすぎのような気がするんですよね。

 僕が愛国心を喚起するようなイベントが苦手なもう1つの理由は、反対意見を持った人間を許さないような雰囲気があるからです。反対者がいないと、どんな考え方でも極端な方向に走りがちになります。「our freedom(われわれの自由)」を求める時に、「their freedom(彼らの自由)」のことを思い出させてくれるような反対意見を持った人たちがいることは、大事なことだと思うのですが。

 もちろんヤンキースタジアムで毎晩、老若男女が「ゴッド・ブレス・アメリカ」の大合唱を行っているからと言って、米国国民が全員、それを望んでいるということではありません。僕がアメリカについて「国際問題とかで、ある意味selfish(わがまま)だよね」と言うと、「その通りだよ」と同意してくれた米国人もいました。

 実は僕がコラムを担当するのは今回で最後となります。でもこれからも記者として、自分の正しいと思ったことは正々堂々と書いていきたいです。もちろん人の意見を聞く耳は持ちつつも、同調してくれる人が1人もいなくても、自分の意見を胸を張って言えるような記者になりたい。そんなことを強く思った独立記念日の夜でした。

July 8, 2006 10:32 AM

2006年07月07日

「少頭数の美学」ある:岡山俊明

 函館競馬の取材で当地に長期出張している。福島と京都の大半がフルゲートで行われているのに対して、10頭に満たないレースが少なくない。3週目を終え、1ケタ頭数は福島が72レース中4、京都が3、函館は24を数える。6日間の売り上げ前年比は83%、80%、89%、98%、93%、93%。上回った日は1日もない。JRAの嘆きが聞こえてくる。

 函館は海が見える日本で唯一の競馬場。手を伸ばせば馬に届く錯覚に陥るほど、人と馬の距離が近い。昨年滞在した米国のK・デザーモ騎手も気に入った最高の避暑地。入場者は108%、106%、104%、86%、86%、100%と健闘しているのだから、そろわない頭数が、売り上げ不振の要因になっているのは否定できそうもない。

 少頭数の競馬は味がある。何てったって、どの馬がどこを走っているのかひと目で分かる。18頭もいると先行した馬と自分の買った馬、人気馬を追いかけるだけで精いっぱい。先週の函館スプリントSを勝った秋山騎手は「少頭数だと乗るチャンスが少なくなるけれど、競馬はしやすいから好きですね。多いとごちゃごちゃするから」と話す。ジョッキーだって、不利を受ける確率が高まる多頭数は決して歓迎していない。

 6頭立てながら素晴らしい役者がそろった77年宝塚記念を思い出す。勝ったトウショウボーイは皐月賞と有馬記念を、2着テンポイントは天皇賞(春)を、3着グリーングラスは菊花賞を、4着アイフルは天皇賞(秋)を、6着クライムカイザーはダービーを勝っていた。唯一G1級のタイトルがなかった5着ホクトボーイはその年の秋に天皇賞を制した。出走全馬がG1級の能力をぶつけ合った。最大のライバルに敗れたテンポイントは、やはり8頭立ての少頭数となった有馬記念で、トウショウボーイに雪辱を果たす劇的なストーリーの主役となって77年の幕は下ろされた。競馬で得る感動は、頭数には関係ない。

 注目される馬がいれば売り上げは伸びる。2日目5Rの2歳新馬戦が好例。大物の呼び声が高かった単勝1・1倍のコンゴウダイオーに人気が集中して、馬券も売れた。1レースで2億5472万200円は、6日間の1~8レースで最も多かった。

 少頭数は必ずしも本命サイドで決まる訳ではない。1ケタ頭数で行われた24レース中、馬単3ケタ配当はたった7レース。的中に対して相応のうまみは十分もたらされる。

 少頭数の美学って、あると思う。

 函館の独自性を追求するなら、無理に頭数を増やさなくてもいい。発想を転換して、少頭数をセールスポイントにするのも一手。もしも売り上げ増もと欲張るのなら、後半4レースに発売が限定されている3連単を、函館だけ試験的に全レース発売してみてはどうだろう。04年に登場してから短期間で主力馬券に成長した3連単を、出し惜しみする必要はない。

July 7, 2006 11:58 AM

2006年07月06日

桑田の走り抜く決意:井上真

 91年初夏のことで、15年以上前のことになる。ジャイアンツ球場で桑田真澄が残した言葉が、不思議と頭から離れない。W杯や五輪など大きな大会になると、気が付くと思い出している。取材を通して意思疎通ができた選手ではない。むしろ、その反対だった。

 その時も、ジャイアンツ球場で調整中の桑田にアクシデントがないか、何かを探るような取材だった。薫風の中、桑田は走っていた。桑田が走るのは外野フェンス沿いギリギリの場所で、普通の選手はもっと内側のラインを走っていた。桑田だけが踏み固めた有名な「桑田ロード」だ。芝生がはげた道を見るだけで一目瞭然(りょうぜん)、何の説明もいらなかった。

 取材陣は右翼ポール付近にいたが、テレビカメラは右翼のフェアゾーンに入ってレンズを向けていた。左翼からスピードを増して走り込んでくると、カメラに気付き数メートル手前でスピードを緩めた。両手を腰に当て、息を整えながら穏やかに言った。「もう少し、後ろに下がってもらえませんか?」。
 意表を突かれていると、桑田は言葉を添えた。「僕はラインを全力で走り抜けるんです。ラインがゴールなんです。そこに皆さんがいては走り抜けられませんから」。

 まだ報道陣にぎこちない空気が漂っていると、きっぱり言った。「走り抜けても、抜けなくても、その差はわずか数メートルですよね。でも、僕は毎日何度も走る。たかが5、6メートルでも、これから野球をやめるまでなら、何キロにも、何十キロにもなるんですよ。分かります?」。よお~く分かった。取材陣は照れ笑いを浮かべたが、その場にいた誰もが理解し、すぐに道をあけた。

 思い返してみると、踏み跡よりも、その「考え方」にこそ、桑田がほかの誰とも決定的に違う「真剣さ」があったと思う。左翼から右翼へ走ることを真剣に考え、何のためにやっていることなのかを、いつも忘れなかった、ということだ。ノルマの本数だけ数えながら、義務的に走るのとは違う。これが取り組み方、意識の差だとおぼろげに感じた。

 中田引退のニュースを聞いて、ふと桑田のあの時の言葉がよみがえってきた。勝ってほしいとか、意地を見せてほしい、そんな感傷的な思いはない。ダメなら辞める。それがプロスポーツの世界だ。その鉄則を、まだ20代前半の桑田は本能的に知っていたからこそ、妥協なく汗を流してきたのだろう。

 プロ野球は夏場を迎えた。投手陣がバテ、控えの投手にチャンスが回ってくる。しかし、桑田にとってはチャンスという表現は当てはまらないだろう。自分の成長を披露するのは若手に許されたもので、ベテランにとっては過酷だ。プロでいられるための正念場、一種の修羅場になる。そうして173勝してきたが、もう後はない。まだ桑田には「走り抜く決意」は残っているのか、じっくり見たい。

July 6, 2006 10:26 AM

2006年07月05日

あきれた大はしゃぎ:桐越聡

 何だかなあ。

 この国のトップリーダーの振る舞いにガッカリした。開いた口がふさがらないというかあきれたというか。どんなにもてなされたからといって、あれほどまでに、はしゃがなくてはならないものなのだろうか。ちょっと調子に乗りすぎてはいなかっただろうか。

 小泉首相は先週、米国を訪問した。日米首脳会談が、かすんでしまうぐらい強烈な印象を残したのは故エルビス・プレスリーの邸宅訪問。「ラブ・ミー・テンダー」を口ずさむぐらいなら、まだいいような気もするけれども、それだけでは終わらなかった。「アイ・ウォント・ユー」と歌い始めると、娘のリサ・マリーさんの肩に手を回し「きつく抱き締めたい」…。ブッシュ大統領が浮かべた笑みは困惑の苦笑いのように見えた。

 小泉首相独特のパフォーマンスは今に始まったことではないのだから、めくじらを立てることではないのかもしれない。しかし、まだ外交も内政も難問は山積。やるべきことは残っているのではないか。いくら在任中最後になるからといって米国公式訪問がはしゃぐにふさわしいときであり、場所だったのだろうか。首をかしげずにはいられなかった。

 ちょうど小泉政権が誕生したころ、五輪担当の記者だった。小泉首相はソルトレークシティー五輪の選手結団式に出席して「どうして皆さんの姿に多くの人が感動するのか。それは限界に挑戦する必死な姿に心を打たれるからだ」と話した。迫力があった。これまでの首相とは異質だ。なんかやってくれそうな気がする。そんなふうに思った記憶がある。

 しかし、社内の人事異動によって部署が変わり、2年ほど前から国会を傍聴するようになると「人生いろいろ」なんて平然と口にする小泉首相を目の当たりにするようになった。誠実さに欠けるような議論を直接見聞きする機会が増えて、思うようになった。あの言動から受ける印象に引きずられて、過度に期待しすぎていたのではないか、と。パフォーマンスを真に受けていたのだと、何だか恥ずかしくなったぐらいだ。

 そんな僕個人の思いとは裏腹に、国民の支持率は高く推移し、選挙によって小泉政権が揺らぐことはなかったけれども…。

 小泉首相が米国ではしゃいでいた日、日本では橋本龍太郎元首相が亡くなった。「自民党をぶっ壊す」と登場した小泉首相が目の敵にしていたとされる「旧橋本派」がぶっ壊れて、今度は小泉政権が終わろうとしているときに、橋本元首相が亡くなるというのは、何と皮肉な巡り合わせなのだろうかと思ってしまった。

 土日と亡くなった橋本氏に関する取材に回って、ある政治家のこんな言葉を耳にした。「橋本さんは財政再建のために消費税率を上げた。小泉さんは『在任中は上げる環境にない』と、かたくなに繰り返しただけ。どちらが難問と正面から向き合っていたのか」。この時期に橋本氏が亡くなったのは偶然にすぎないとはいえ、だから余計にプレスリーに大はしゃぎする小泉首相のパフォーマンスがむなしく見えたのかも知れない。

July 5, 2006 09:38 AM

2006年07月04日

清原歩む「仰木イズム」:松井清員

 早くも今年2度目になる。オリックス清原が6月末、1軍登録を抹消された。左太もも裏痛、左手打撲、左内転筋痛、昨年手術した左ひざ痛、そして今回の右太もも裏痛。欠場を余儀なくされた故障だけでも、もう5度目だ。もちろん「21年間のプロ野球人生でこれだけケガをしたのは初めて」だ。今年39歳という年齢で故障が続けば、投げやりになってもおかしくない。だが清原はケガのたび、すさまじい精神力で立ち上がり、ファイティングポーズをとってきた。体は折れても心は折れない。不屈の闘志は、金本に勝るとも劣らぬ鉄人だ。

 今回のリハビリも壮絶だ。早期復帰のため選んだのは神経ブロック注射。神経に直接針を突き刺すため、一般人なら泣き叫ぶほどの激痛が走る。しかも一時的に痛みは和らぐが完全治癒には至らない。昨年、腰痛の里谷多英がトリノ五輪の競技直前に、同じく腰痛のみのもんたが紅白司会前日に打ったように、本番前の「ここ1番」で使用されるケースが多い。痛みやしびれの後遺症が残るリスクを伴うからだ。だが清原はリハビリ初日の段階で打った。それも通常1回のところ、3日間で2度も…。副作用の全身のだるさに顔をゆがめながら、神戸の合宿所で黙々と汗を流している。

 休みごとに東京や名古屋、広島の病院通いを続ける日々。特打のためだけに痛み止めを打ったこともある。なにゆえそこまで頑張れるのか。中村監督は「普通の選手ならとっくに休んでいる。しかもあの年齢。でも彼の言動から休もうという気持ちがみじんも感じられない」と言う。そんな時思い起こしたのが、開幕前夜に語った言葉だった。「今年1年、命懸けで戦う」。その時はややオーバーにも思えた。だがその真意が今、やっと分かったような気がした。その後こう続けていたからだ。「仰木さんはグラウンドで倒れるまで戦った。だからおれもグラウンドで倒れる覚悟で戦う」。

 新天地へ導いてくれた仰木さんはがんと戦って逝った。体調が悪く、試合中のベンチ裏で倒れていたことは1度や2度ではない。昨年9月末の最終戦後はもう西武ドームの階段を上れず、バックスクリーン横の出口に車を横付けしたほどだった。もし監督を引き受けなかったら、せめて途中休養していたら、寿命は延びていたかもしれない。

 だが仰木さんはその道を選ばなかった。「男なら溝の中でも前のめりで死ね」。それは清原も敬愛する坂本龍馬の言葉を地でいく武士道のような生きざま。だからこそ「オリックスを助けてくれ」と逝った恩師を思えば、楽な道を選ぶはずもなかった。

 「おれ、頑張ってるよな? 仰木さん、天国で喜んでくれてるかな?」。時々問い掛けられることがある。私には「もう十分でしょう」としか言葉が見つからない。「もう仰木さんも許してくれますよ」と言いたい時も山ほどある。だが体が動かなくなるまで、この男はグラウンドに立ち続けるのだろう。そう思うともう何も言えない。くしくもケガの前日「おれが何とかしたる!」とリーダー宣言した。今は5位でもあきらめるのは早い。おれも頑張るからみんなもおれが戻るまで踏ん張っててくれ! 清原に宿る仰木イズム。腹の底からの叫びは、仰木さんからのメッセージそのものに思えた。

July 4, 2006 10:40 AM

2006年07月03日

大事にしたい郷土愛:村上秀明

 唐突ですが、芸能クイズを出題。

 Q 次の4組の著名人(グループ)の共通点は何か?

 ◆男性4人組人気バンドのGLAY

 ◆アニメ「ルパン三世」の銭形警部の声でおなじみ納谷悟朗

 ◆日本映画界の往年の大女優・高峰秀子

 ◆演歌界の大御所・北島三郎

 一瞬にして解答が分かった方は相当な芸能通か、ある特定地域の出身者もしくは現在住んでいる方だと思うが、いかがだったでしょうか。答えは北海道出身であること。さらに詳しく付け加えるなら、函館市にゆかりのある著名人になる。

 さて、6月23日付の本紙芸能面で、大手芸能プロダクションが、九州限定で歌と演技を目指す若者のオーディションを行うという記事があった。なぜ限定かというと「歌謡曲のトップスターは九州出身が多い」という関係者のコメントが出ていた。一緒に掲載されていた九州出身の主な著名人の一覧表も確かに見応えがあった。

 九州もかなり多いが、北海道も負けてないぞという気持ちになった。歌手では細川たかし、松山千春、中島みゆき、玉置浩二、大黒摩季、ドリカムの吉田美和、「モーニング娘。」では藤本美貴ら現役・引退合わせて5人など。女優・俳優では高橋恵子、沢田亜矢子、水谷豊、小野寺昭、長谷川初範ら。タレントでは武田真治、極楽とんぼの加藤浩次、藤崎奈々子、大泉洋らがいる。

 思い付いた著名人を並べただけでもかなりの数で、書き切れなかった著名人もたくさんいる。なぜ、スターを多く輩出しているのかは、九州と同じく諸説あるようだ。「歴史が新しく自由に挑戦する開拓者の気質がある」「特に女性は決断力があって、あっけらかんとして前向き」「四季がきれいで感性が育ちやすい」などの記述を目にするが、正解はないだろうし、単に偶然かもしれない。

 名前を挙げた著名人は、個人的には何の血縁関係もないが、各方面で活躍しているのを目にすると誇りに思う。「あの人は北海道出身なんだぞ」と自慢したくもなる。郷土愛に近いものなのかなと思う。

 北海道室蘭市出身で、大相撲の元大関北天佑の二十山親方が6月23日に腎臓がんで亡くなった。45歳という若さだった。何度か取材でお世話になったが、数年前の九州場所では、宿舎まで行って「ちゃんこ鍋」の作り方を教えてもらった。口数の多いタイプではなかったが、柔らかい物腰が印象的だった。「遠くからよく来てくれたね」「北海道の子(弟子)もいるから、いい記事書いて応援してよ」。郷土愛にあふれた親方だった。

 故郷の代表校に注目する人も多いだろう高校野球の夏の甲子園大会は、地区予選が始まっている。毎年、熱く盛り上がる理由の1つに故郷への意識があると思う。故郷にあまり興味のない人もいるだろうが、個人的には大事にしたい「愛」である。

July 3, 2006 10:46 AM

2006年07月02日

全力プレーを球児に:浜崎孝宏

 6月28日に北九州市民球場で行われたオリックス戦。ソフトバンク松中がサヨナラ打を放ち、ヒーローインタビューでスタンドを見渡した。「喜んでくれるファンの中で(サヨナラ勝ちは)うれしい。満足していただけたんじゃないでしょうか」。初回に4点先制の楽勝ムードも、終わってみれば7─6の辛勝。リードしながら追いつかれる試合は、選手にとってはたまったものではない。しかし、守りでもダイビングキャッチを試みるなど、攻守でハツラツプレーをみせた松中の姿が印象的だった。

 日本プロ野球選手会の副会長で、チームでも昨年まで選手会長。今年はチームの会長職をエース斉藤和に委ねた。自身のチームもさることながら、プロ野球全体の発展についての仕事をより考慮しているのだろう。今年はファンありきのコメントが節々ににじみ出ている。この日ばかりではなく交流戦で久々にソフトバンクの取材に出掛けた際も、そんな話をしていた。

 松中「球場に足を運んでくれるファンにインパクトのある試合をしないといけない。お客さんはチームが強くて、魅力があるから球場に来てくれるわけで(完封負けした後など)お客さんが少なくなっているのは、ベンチから見ていても分かった。危機感を持ってどうすればファンが球場に来てくれるかを考えながら今年1年やっていきたい」。

 サヨナラ打はさておき、守備に関しては、得意なほうではない松中だけに、球に飛び込んでいく姿勢がすがすがしく感じられた。

 プロの気迫あふれるプレーは、高校球児にとってもお手本となる。3年ぶり7度目の甲子園を目指す長崎日大の野原将志主将(3年)を取材した。高校通算30発を誇るプロ注目遊撃手は、キッパリとこう言った。「好きな選手はイチロー選手です。WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)では、凡打でも一生懸命、一塁まで走っていた。ああいう姿は高校野球にも通じる一面なので尊敬できます。だって日本のプロ野球では一塁まで一生懸命走らない選手もいるじゃないですか」。

 04年9月18、19日の2日間。日本プロ野球選手会は史上初のストライキを決行した。新規参入球団に伴う球界再編騒動に端を発した“事件”だった。選手会にもいろんな思いがあって苦渋の決断だったが、個人