記者コラム「見た 聞いた 思った」

2006年05月24日

認められた30歳の涙:村上秀明

 30歳の男が人目をはばからず涙を流した。肩を震わせ、グッとこらえるように男泣きした。かっこいい涙だった。

 14日、シンガポール競馬の国際G1レース「シンガポール航空国際カップ」を、ホッカイドウ競馬所属のコスモバルク(牡5)が制した。地方競馬所属の競走馬が、世界舞台のレースで優勝するのは史上初めての快挙。バルクの頑張りもそうだが、牧場スタッフ、関係者が一丸となった取り組みで、歴史に名前を残した瞬間に立ち会えたことは、記者みょうりに尽きる。

 さらに、同日に帰国予定だった関係者がフライトをキャンセルし、現地ホテルのバーで開いた「緊急」の祝勝会に参加させてもらった。十数人の宴だったが、ゴールの瞬間に派手なガッツポーズを決めたホッカイドウ競馬の五十嵐冬樹騎手(30)も、穏やかな表情で祝杯を挙げていた。夜0時を過ぎていたが、笑いが絶えなかった。

 祝勝会の開始から数十分が過ぎ、ふと五十嵐騎手を見ると、右手で目頭を押さえ、前かがみになって肩を小刻みに震えさせていた。「優勝したから泣いているんじゃないんです。認めてもらったことがうれしいんです」。同じフレーズを2度繰り返した。レース直後も感激で目を赤くはらしていたが、心から涙を流したのはレース後3時間以上も過ぎてからだった。

 同席した関係者から、国内で朗報を聞いたバルクの岡田繁幸オーナー代行のメッセージを伝え聞いた。「本当によくやってくれた」。ねぎらいの言葉だった。「認められた」と表現した五十嵐騎手は、心の底から喜びが込み上げたのだろう。せき止めた土砂が流れでるように、涙が止まらなくなっていた。

 競馬の世界では、騎手はオーナーサイドに起用される立場というのが一般的。五十嵐騎手は03年11月の中央競馬初挑戦からバルクに騎乗し、G1制覇を託された。だが、04年皐月賞は1番人気に推されながら2着。「優勝した外国人騎手が日本語で『やった~』と喜んでいたのは悔しかった」。日本ダービーで8着に敗れた際は「自分の騎乗ミスです」と、青ざめた顔でうなだれた。

 岡田氏とはバルクの騎乗方法で意見がずれたこともあった。04年10月の菊花賞4着後、次走のジャパンカップで騎乗を外され、同年末の有馬記念で再び騎乗機会が与えられたが、そのレースで11着を最後に再び外野から5戦を見守った。悪く言えば「失格」の烙印(らくいん)を押されたが、昨年末から再び与えられたチャンスに何とかこたえたかった。今度こそ、認めてもらいたかったのだ。

 敗戦続きのときは、心ないファンから騎乗批判も受けた。五十嵐は「いろんな経験をさせてもらって皮が厚くなった」と冗談交じりに話したことがあったが、たまりにたまっていた思いを異国の地で晴らした。ヒット曲の歌詞ではないが、涙の数だけ強くなった。そんな男がボロボロになって流した涙は美しかった。

 血液検査ではっきりした結果が出ず、帰国にストップがかかっているコスモバルクの無事の帰還を信じ、祈りながら、再び五十嵐バルクに訪れるであろう明日を心待ちにしている。

May 24, 2006 10:23 AM