記者コラム「見た 聞いた 思った」

2006年05月22日

厳しき愛と父子の涙:山内崇章

 白髪の父は、顔をクシャクシャにして泣いていた。横浜スタジアムの一塁スタンド。記念の一打を放った息子が歩み寄ってくると、朴とつで物静かな父も、感情を表に出さずにいられなかった。「まさか、華やかな世界でここまでの選手になるとは…。立派だ。よくやった」。石井菊次郎さん(64)。11日に2000本安打を記録した石井琢朗選手の父である。

 記録がかかった今季は、妻の栄子さん(61)と可能な限り、栃木から電車を乗り継ぎ横浜に通い詰めた。達成前夜、あと1本に迫った息子は、サヨナラの押し出しを選んでヒーローになった。父はその夜も息子の頭を何度もなで回していた。35歳のチーム最年長、ベテランの風格もこのときばかりは解けた。父の前ではいつまでたっても子供のままだ。

 小3で野球を始めた。学童クラブの監督は父。好き嫌いを問わず、野球は必然的にやるものだと思っていた。「今の教育では虐待と言われるかもしれないほど厳しかった」と息子。緩慢なプレー、与えられた役割をこなさなければ、愛のむちが容赦なく飛んだ。正座で説教は日常的。家庭でも礼儀やマナーを欠くと一大事だ。車に乗せられ暗い夜道に姉と2人で降ろされたこともあったという。

 打った直後は涙のなかった石井選手だが、両親を見ると思い出したようにせき切った。「厳しい父でしたが、今思えば愛されていたんだなぁと。家には愛情があり、親の教育なくして今の自分はなかった」。18歳、プロからの誘いに栄子さんは猛反対した。「普通に大学に行って安定した職に就いてほしかった」。子供の将来を心配する、ごく自然な親の感情。ポーカーフェースのヒーローが涙したのは、愛情あふれた家庭で育った自分を実感したからだった。

 スタンドにいながら、ふと、ふるさとを思い出した。自分の両親も同じように還暦を過ぎた。小3で始めた野球の練習には、仕事を早めに切り上げた父が、毎日のように顔を出した。友達のいる前で殴られたこともあった。「なぜ一塁まで全力で走らない!」。あまり来てほしくない時期もあった。「地元の大学を出て学校の先生になればいい。わざわざ東京に行かなくても」。上京を決めたとき、母がため息をついて反対したことも頭をよぎった。

 石井選手の両親を見たとき、親は子の活躍に言いようのない幸福感に浸るものなのだと肌で感じた。いつもは忘れたころに受話器を取る息子だが、急に声が聞きたくなった。「あんたの記事ね、近所の駄菓子屋のおばあちゃんが、切り取って読んでくれているのよ。しっかり書きなさい」。母の声からも、石井選手が口にした「愛情」の意味がそれとなく感じ取れる。

 菊次郎さんは息子に向けてこうも話していた。「無駄遣いするなよ。野球だけじゃなく、男として自分の妻、子供、家をしっかり守りなさい」。愛情を注いでくれる親の言葉には重みがある。日々の仕事に追われながら、何のために、何を目指し、この先をどう乗り越えるか、迷うことも多い。取材を通じて、しっかりと襟を正そうと思った。

May 22, 2006 09:23 AM