記者コラム「見た 聞いた 思った」

2006年05月20日

会見場に見えた成長:岡本学

 1度、来たことがある会見場だと思った。しかし、中に入って「どこかが違う」感じだった。

 15日にサッカー日本代表のW杯ドイツ大会(6月9日~7月9日)メンバーが発表された都内ホテル。私は発表直後の会見で2番目の質問をジーコ監督にした。その際、司会を担当した日本サッカー協会の手嶋広報部長から「立って質問してください」と促された。会見後に「なぜ、2人目から急に立つよう言ったのか」と聞いたところ「立たないと、質問者がどこにいるか監督が分からないようだったから」と説明された。

 その答えに冒頭の疑問が解けた。1度来たとき(04年12月17日の親善試合概要発表)と広さ(約20×26メートル)は変わらないものの、入り口正面にあったひな壇の位置が右側へ、つまり会場の使い方が縦横、変わっていたのだ。横に広くなったことで、壇上のジーコ監督は質問者を探すのが困難だったのだが、それには理由があった。

 会見の冒頭で同協会の川淵キャプテンは「ジーコと2人きりで会見するのは、これが2回目」と言った。W杯日韓大会が終了して間もない02年7月23日、W杯ドイツ大会までのチームづくりをお願いする調印式を行った。それ以来となる2ショット会見。当時と部屋こそ違え同じホテルを選択した手嶋広報部長の気配りに「感慨もひとしお」と同キャプテンは話した。ジーコ監督も同じ思いだった。

 実はこのホテルで2人は夫人同伴の会食を2度行っている。調印式の日は川淵キャプテンがジーコ監督にごちそうし、今年の4月13日には同監督が同キャプテンにお返しをしている。世界にはW杯を目指しながら出場できなかった国もある。志半ばで監督の任を解かれた人、自ら辞めた人もいる。ジーコジャパンも「山あり谷あり」の苦難を乗り越えメンバー発表を迎えていた。その節目の「良き日」に、協会に近いホテルや前回大会のメンバー発表と同じホテルではなく、ジーコジャパンの船出となったホテルを選んでくれたことが、指揮官もうれしかった。

 ジーコ監督は会見で言った。「今日はたくさんの人がおられるが、日本の人がこの日を待っていてくれた。日本においてサッカーの社会的地位が上がったことを自分はうれしく思う」。会場は報道陣を中心に400人超がぎっしりと埋めた(通常ジーコ会見は100人前後)。来日から15年、そして就任から3年10カ月。隠しごとなく「日本のために」とすべての愛情を日本のサッカーに注いできたジーコ監督に協会職員が応え、在京テレビ4局の生中継というフィーバーとともに多くの報道陣を集めた。

 台数を制限されながらもテレビカメラは26台が集まった。手嶋広報部長は部屋を横長に使った理由を「テレビカメラをできるだけ多く、撮りやすいひな壇の正面に置きたかった」と説明した。縦長で安定感のなかった日本サッカーが、ジーコ監督が注いだ愛情によって根付き、どっしり横長に土台を安定させた。

May 20, 2006 10:11 AM