2006年04月30日
GWはJ観戦へGO:岡本学
今日29日からゴールデンウイーク(GW)に突入。旅行、レジャーなど計画が決まっている人、忙しくて計画を立てるどころではなかった人、GWも関係ないという人、それぞれだろうが、まだ予定が決まってない人にはサッカーJリーグ観戦をお勧めしたい。
特にJリーグ1部(J1)が面白い。5月2日には日本代表のキリン杯(9~13日)メンバー、同15日にはW杯ドイツ大会(6月9~7月9日)メンバー23人が発表される。国内組にとって5月7日までの3節が、ドイツ行きの切符を手にする最後のアピールチャンスになる。この時期だけ特に頑張るというわけではないだろうが、FWでは巻(千葉)佐藤(広島)玉田(名古屋)MFでは遠藤(G大阪)本山(鹿島)長谷部(浦和)阿部(千葉)今野(東京)DFでは村井(磐田)茂庭(東京)らが生き残りをかけて、必死のプレーを展開するだろう。
見どころはそれだけではない。将来の代表入りを目指す新しい「力」も台頭してきている。今季、東京Vから大宮へ移籍したMF小林大はリーグ戦9試合でチーム全14得点中、5得点5アシストを含む12点に絡む活躍。「今の代表(ジーコジャパン)に『なんで自分が入らないのかなあ?』とは思わない。もっといいプレーをできたら(代表を)意識すると思います」。得意の右足からのドリブル、パス、シュートにさらに磨きをかけ、W杯後の代表入りを狙っている。
小林大のほかにも、新人ながらレギュラーとして活躍している清水MF藤本、鹿島DF内田ら、将来の日本代表候補がJリーグを盛り上げている。また、Jリーグ2部(J2)も忘れてもらっては困る。カズ、城、山口ら元日本代表がチームをけん引する横浜FCが、初の首位に立つかもしれない。昨季、J1から降格した柏、東京V、神戸の3チームもJ1復帰に向けて大事な戦いが続く。
今季の観客動員は、昨季と比較して芳しくないという。Jリーグ幹部は「春先の寒さなどが影響している。入るクラブとそうでないクラブの二極化も進んでいる。だけど、試合自体は面白いものが多くなっていると思う」。J1、J2とも1試合平均1000人超の落ち込みとなっているが、季節が良くなるGWからが巻き返しの時期になる。GWには、今季で7回目を迎える「ファミリーJoinデイズ」も開催される。J31クラブが楽しい企画を準備。スタジアム周辺でさまざま形でサッカーを体験でき、サッカーにかかわる各種イベントにも参加できる(実施日、イベント内容についてはJリーグ公式サイト、http://www.j-league.or.jp/)。サッカー経験がない子供たちがボールに触れるチャンスでもあり、家族でサッカーを楽しむこともできる。また、カップルがきずなを深めるデートスポットとして、仕事のストレスを大声を出しての応援で発散するのもいいだろう。GW期間中、予定がない人には、ぜひともスタジアムに足を運んでほしい。
April 30, 2006 12:56 PM
2006年04月29日
「棋士回生」の一手を:岡山俊明
毎週日曜午前に放送される将棋のNHK杯を必ず録画して楽しみに見ている。プロ棋士といえども秒読みに追われて2歩の反則を犯したり、時間切れで負けてしまうハプニングもまれにあって、人間臭さあふれる勝負を堪能できる。
昔から不思議に感じていたのは対局後の感想戦(対戦者同士で指し手の善悪を検証する作業)の様子。負けた棋士はショックや後悔や反省で気分は沈む。これはほかのスポーツでも似たようなものだろう。勝者も敗者に配慮して発言を慎むから、両者のやりとりはどうしてもボソボソと聞き取りづらくなりがち。何を言っているのか皆目分からない場合は、視聴者は蚊帳の外に置かれる。テレビ放送としては不親切な光景が何十年も繰り返されてきた。棋士たちは普段から本当にファンを大切にしているが、感想戦だけは自分の世界に入り込んでしまう。放送でなければ全く問題ないのだが。
ところが17日に放送された一戦は趣が違った。敗れた木村一基7段(32)の姿勢はあっぱれだった。対局後すぐに気持ちを切り替え、感想戦では視聴者に向けて語りかけるように話した。はきはきと丁寧に自分の手を解説し、惜しげもなく読み筋を披露した。明らかに視聴者を意識していた。「これを(テレビで)流されるのはつらいですね」と自嘲(じちょう)するほど完敗の内容だったのに、なかなかできることではない。お茶の間のファンに対する真摯(しんし)な気持ちが伝わってきた。竜王戦7番勝負で渡辺竜王に挑んだ時も、負けた直後に大盤解説場に姿を現して驚かされた。2日間にわたる激闘で疲れ果てていたはずなのに、髪を乱したまま余った放送時間を埋めた。タイトル戦挑戦者による即席解説など極めて異例。感服した。
テレビの感想戦は対局場から離れて大盤を使用し、カメラに向かって話すようにすれば、見る側との一体感も生まれると思うが、どうだろう。
日本将棋連盟の発表で1500万人とされる将棋人口は、年々減っていると聞く。羽生善治の7冠に沸いた96年に10億円を超えた連盟の収益は、6億円台まで落ち込んだ。7冠フィーバーや将棋を題材にしたNHK朝の連ドラ「ふたりっ子」の話題を、継続的な人気に結び付けられなかった。アマからプロに転身して話題をさらった瀬川晶司4段効果も、一過性で終わってはもったいない。
将棋界には素晴らしいタレントがたくさんいる。日本一将棋の強い歌手と呼ばれる内藤国雄9段は解説も名調子。ギャグ連発の福崎文吾9段、軽妙なエッセーで人気の先崎学8段、プロのお笑いも真っ青の神吉宏充6段(ショッキングピンクのスーツは必見)、イケメン山崎隆之6段…。慢性的な赤字経営に陥っている連盟は、もっと棋士のメディアへの露出を考えてもいい。バラエティー番組にも売り込んでほしい。それもファンサービスだし、ファン拡大やイメージアップにつながると思う。
April 29, 2006 11:45 AM
2006年04月28日
2歳児の夢 さとざき:千葉修宏
私事で恐縮ですが、今年7月で3歳になる息子が、野球にハマっています。僕が学生時代に野球部で汗を流していたからといって、強制したということは全くありません。なのに、朝早くからキャッチボールをせがまれ、おもちゃのティースタンドでの打撃練習にも延々付き合わされます。
それだけならまだ分かるのですが、なぜか彼はキャッチャーというポジションが特に好きなのです。僕の実家から捕手用マスクを強奪し、ローラースケート用のひざ当てをレガーズ代わりに使用(2歳児用のレガースはないので)。果ては、おばあちゃんに座布団を利用した手製のプロテクターまで作ってもらって、毎日、超ゴキゲンです。
今では多くの時間を(野球をしているかどうかにかかわらず)、上から下まで完全キャッチャー仕様の姿で過ごしています。マスクをかぶって、テレビでメジャーリーグ中継を観戦する姿は、なかなか笑えますよ。
そんな息子に「将来、どの選手みたいになりたいの?」と質問してみました。すると「あのね、さとざきになりたいの」という答えが返ってきました。「えっ!? 里崎って、あの里崎?」。イチローとか、松井とか、野茂とか、ジーターとか、A・ロッドとか、ボンズとかじゃないんですから。驚いて、思わず聞き返してしまいましたよ。
もちろん里崎捕手の名誉のために言っておくと、僕はかつてロッテ担当だったこともあり、彼の実力は十分過ぎるほど知っているつもりです。特に右方向への長打力には目を見張るものがあり、肩も強いです。WBC日本代表の正捕手として里崎が注目される以前から、実力的には「大リーグに挑戦する」と言ってもおかしくない選手だと思っていました。
でも、誰もが知っているというわけではない彼の名前を、まさか2歳児の口から聞くとは…。WBC優勝の影響の大きさを実感しました。そして、これまで自分が取材してきたということもあり、何だかうれしくも感じました。
里崎捕手はその実力とともに、愛すべきキャラクターでも関係者の間では有名です。WBC中は「打撃では、いかなる場面でもプレッシャーを感じることはないです。打てばこういうこと(報道陣が集まってくる)になるし(笑い)」などと、彼らしいビッグマウスも披露してくれました。初めて取材した記者たちの間でも、同捕手の気さくで明るい性格に「いい選手だな」という多くの声が聞かれたそうです。全国的にも今後、人気は右肩上がりでしょう。
そんな里崎捕手へ。これからキミの責任は重大だぞ。WBCで全国区になったことで、ウチの息子みたいな少年たちは日本全国で増殖中に違いない。彼らの期待を裏切らないように、日本一、いや世界一のキャッチャーになってくれよ、ヨロシク!!
April 28, 2006 11:08 AM
2006年04月27日
育まれ52年、代表の幹:荻島弘一
「世界サッカー極東豫選開く 日本チーム全く精彩なし」。日本代表がW杯に初めて挑戦した試合。今から52年前の54年スイス大会予選韓国戦翌日の日刊スポーツの見出しだ。まだ戦後だった昭和29年、1-5の大敗に「体力的に劣った。韓国の実力は戦前以上にある」という竹越監督のコメントも掲載されていた。
それから、半世紀以上がたった。その間、紙面に多くの日本代表の原稿が載った。64年東京五輪でアルゼンチンに勝った時は「28年ぶりベスト8 まるで金の喜び」とある。「あっぱれ釜本2ゴール 杉山へ感謝の抱擁」は、68年メキシコ五輪銅メダルの時だ。
ただ、W杯では悲しい見出しが続く。74年西ドイツ大会予選でイスラエルに敗れて「日本の野望ソウルに散る」。78年アルゼンチン大会予選で再びイスラエルに敗れ「世界は遠し… お粗末の一言」と厳しい。86年メキシコ大会で韓国に屈した時は「体制の差 プロ化こそ急務」。94年米国大会予選の「ドーハの悲劇」では「日本呆然 W杯消えた 砂漠にシンキロウ 世界の扉無情」だった。
日刊スポーツの日本代表記事を1冊にまとめた「サッカー日本代表新聞 W杯への栄光と挫折の50年闘争史」が今月下旬、飛鳥新社から発売される。出来上がった本を見て、日本サッカーの歴史を思い返した。94年米国大会予選に臨んだオフト監督は「歴史が代表を作る」と言ったが、今の日本代表もまた、長い日本サッカーの歴史の上に築かれたものだと、あらためて思った。
担当記者も50年の間にずいぶん変わっている。故人もいる。24日には、70年代にサッカーを担当していた谷口博志さんが69歳で亡くなった。70年のメキシコ大会で日刊スポーツとして初めてW杯を取材。世界のサッカーを見るトヨタ杯もない、日本代表もW杯からは程遠い時代に、世界のサッカーを紙面で伝えた。
メキシコからの原稿には「ペレを見た」というのもあった。「パーティー会場の数メートル先に意外に小さい王様がいた」という内容。身近に世界的スターを取材できる今は信じられないが、当時はそれが大ニュースだったのだろう。日韓大会開催が決まるずいぶん前に「記者として、1度はW杯を見ておいた方がいい」と言われたが、その言葉にこそ歴史を感じる。
試合は勝つこともある。負けることもある。選手のコンディションやモチベーション、さらに運も結果を左右する。しかし、代表を支える大きな幹は変わらない。過去の歴史が変わることはないからだ。前代表監督のトルシエ氏は「今のチームの基礎は私が作った」という。らしい言葉だが、当たっている部分もある。
ジーコジャパンの元はトルシエジャパンにあり、その元は岡田ジャパン、そしてその元は加茂ジャパンにある。その積み重ねが、今の日本代表を作っている。多くの監督が、多くの選手が、そしてそれを伝える多くの記者が、応援する多くのファンが、今の代表を作った。日本が挑む3度目のW杯を目の前に他界した先輩記者が積み重ねてきたものも、我々が受け継いでいかなければならない。
April 27, 2006 11:38 AM
2006年04月26日
2億円超補選の価値:桐越聡
「ちょっと、お兄さん。あなた、新聞記者さん?」。
先週のある日。衆院千葉7区補選の取材中に「言いたいことがあるの」と50歳代ぐらいの女性に呼び止められた。「頭にくるの、こういう補欠選挙。選挙違反がなかったら、やっていなかったのよ。選挙に使われる税金、いくらぐらいになるか知ってる?」。
もちろん税金が使われているのは知っているが、金額までは調べていなかった。「1億円以上は間違いないと思いますけど…」。あいまいな返答をするとズバッと言い返された。「記者ならね、そういうところに目を付けてもらわないと。こんな選挙に国民の税金がたくさん使われているのよ」。
あまりの迫力に押されて? 翌日、千葉県選挙管理委員会に確認した。「国から約2億3000万円が交付されます。投票所を設置する各市町村に合計約1億7000万円、投票用紙や選挙公報を印刷する、県が使うのは約6000万円になります」。明らかに「そのぐらいなら、まあ、仕方ないか」と思えるような金額ではない。
今回の補選は、総選挙以上に興味深い選挙だったのではないだろうか。選挙区内の争いというよりは「小泉改革継続の自民党」対「小沢代表率いる民主党」という、分かりやすい対立の構図が見えた。総選挙並みの総力戦も繰り広げられていた。
しかし、もとを正せば自民党前職の関係者が公職選挙法違反に問われる罪を犯した。それがなければ補選はない。補選がなければ、2億円以上の税金が投入されることもなかった。庶民が一生懸命働いて納めた税金が、このように使われるのは正直、腹立たしい。冒頭の女性が言うように「頭にくる」という感情は、むしろ当然のことかもしれない。
「送金指示」メール問題で永田寿康氏が議員辞職に追い込まれたのは記憶に新しいところだ。同氏は比例代表選出の国会議員だったから補選にはならないが、調べてみると01~05年に全国の22選挙区で補選が行われていた。議員が亡くなったり、知事選に立候補したり、11選挙区にはやむを得ない理由があったと思う。しかし、残り半分は、関係者が選挙違反をしたり、本人がウソの学歴を公表したり、秘書の給与を流用したりして議員辞職したことによる補選だった。選挙区の有権者数によって多少の違いはあるが、2億3000万円×11=25億3000万円。5年間で25億円ぐらいの税金が補選で無駄遣いされた、と言っても過言ではない。
こんなくだらない理由によって補選が行われる場合には、投入される税金分の金額を、辞職した議員に請求するような罰則が設けられてもいいのではないだろうか。国民の期待を裏切る議員辞職は、それほど重く罪なことのような気がしている。
今回も税金が無駄遣いされることによって選挙が行われた。しかし、もしかしたら、ここから政治の流れが大きく変わっていくかも知れないと感じさせるような結果になった。そういう意味では、わずか1議席を決める、たかが補選だったが、されど補選だなあ、とも思っている。
April 26, 2006 12:52 PM
2006年04月25日
タブー覚悟の叫び:松井清員
清原突然の乱闘予告には本当にびっくりした。「もし今度当てられたら、命を懸けてマウンドに突っ走って行って、そいつを倒したい」。日本ハム戦で左手小指に死球を食らい、一夜明けた21日のこと。診断結果は打撲で最悪の骨折は免れたが、会見では感情むき出しで怒っていた。でもさすがに乱闘予告は反響が大き過ぎる。非難を浴びることも確実だ。会見の後、はやる気持ちを抑えながら清原本人に真意を問うた。
「さっきの発言、まずいんとちゃいますか」
「かめへん。言うたことそのまま書いといてくれ」
「大変なことになったら家族も悲しむのでは」
「そんな甘い考えで野球はでけへん。当たりどころが悪かったら、こっちは選手生命が終わってまう。死んでまうかも知れへん。命懸けて戦ってるんやぞ!」
その覚悟に圧倒された。これまで首脳陣批判など反響の大きい発言をした選手に真意を確認すると「優しく書いておいて」とか「発言を取り消して」がほとんど。「そのまま書いて」は記者人生で初めてだった。そして焼き付いたのは「命懸け」という切実な言葉。華やかなプロ野球には縁遠く思えるフレーズだが、舞台裏ではきれいごとでは済まない戦いがあることをあらためて思い知らされた。
どんな死球でも“お返しする”と言っているのではない。すっぽ抜けなど不可抗力は仕方ない。ただ清原が許せないというのは「故意」や「当ててもいいや」の気構えで投げてきた場合だ。その空気は打者特有の感性で、マウンドと打席の18・44メートルの間で感じ取ることができるという。標的にされた場合、受け身でしかない打者は無防備で無力。選手生命を絶たれた選手は何人もいる。清原はボールを凶器的に使った場合に限定して、乱闘辞さずを警告したのだった。
「内角に投げるな、内角を攻めるなと言ってるんじゃない。ギリギリに投げられるコントロールもないのに狙って、目や頭に当たって命を絶たれたら誰が家族を守ってくれるんですか」。
タブーの領域だけに誰も公には口にしない。だがこれは全打者に共通の思いだろう。ぶつけた投手は危険球退場で終わる。だが当てられた打者に報復は認められていない。清原は89年にロッテ平沼投手にバットを投げつけたことを反省し、「以後18年間どんな死球にも耐えてきた」という。だが、昨年も頭部死球を浴びてから反射的に打撃フォームを崩し、絶好調だった打撃は急降下。巨人から戦力外通告される一因となった。通算196死球は史上最多。骨を折ったこともある。誰よりも多く選手生命の危機に立たされてきただけに「命懸け」の叫びは本物だった。
プロ野球がスポーツである以上、暴力や報復が許されるものではない。それでも清原は「非難や制裁は覚悟の上で」と、一大決心して声を上げた。バッシングするのは簡単だ。だがそこまで過激発言しなければならない背景にも、しっかり目をむける必要があるだろう。死球も野球のうち。だが選手生命を奪いかねず、意図的で危険な死球までもが野球のうちなのか。後に大きな悲劇と不幸を起こさないためにも、全打者の思いを代表した重大提言だったと受け止めたい。
April 25, 2006 12:03 PM
2006年04月24日
森の生活にクマ困る!?:村上秀明
<歌詞>ある~日(ある~日)、森の中(森の中)、熊さんに(熊さんに)、出会~った(出会~った)
幼いころ、童謡「森の熊さん」を歌いながら、頭の中では「実際に会ったらすごいけど、あり得ねえ~」なんて考えていた。日本ハムの球団マスコット「B・B(ビー・ビー)」もクマだが、北海道とはいえ、そんなに身近な存在ではないのだ。だが、それに近い状態になりそうな施設がオープンする。
北海道・新得町のサホロリゾート内に、ヒグマの放し飼い施設「ベア・マウンテン」が29日に開業する。約15ヘクタール(東京ドーム3・2個分)の敷地に野生に近い状態で飼育、展示。園内専用の巡回バスや高さ5メートルの遊歩道から見学でき、ほかには例がないヒグマ専門の施設だ。
初めてのケースだけに当然、巡回バスの安全性、飼育密度、客による餌付けなどの面で、クマ研究者でつくる「日本クマネットワーク」から質問状を受けた。意見交換を進めながら今月に入って、北海道から条例に基づく飼育許可が出た。「自然の状態」を優先に考え、観光客による餌付けは実施しないという。
施設の周囲は二重のフェンスで、電流が流れる電気牧柵も設置。クマは穴を掘る習性もあるが、フェンスの下には巨岩を埋設し、安全性確保に努めている。巡回バスの窓も金網で覆われる。営業時間が終わると、網のついた4輪駆動車で誘導し獣舎に1頭ずつ戻す。クマには「個室」が与えられるという。
さて、肝心の主役たちだが、系列会社「のぼりべつクマ牧場」から雄12頭(15~30歳)がすでに移送された。温泉街にある登別市の「のぼりべつ-」には、訪れたことのある方もいると思うが、クマたちは人間を見ると愛想良く手を挙げる。お菓子をねだる姿はかわいらしく、猛獣のイメージを忘れさせるほどだ。
1つの疑問がわいた。果たして、コンクリートで固め、造られた施設だった「のぼりべつ-」から移送されたクマは、野生に近い環境にすぐに戻れるのだろうか。飼い慣らされた感のあるクマたちが、森に帰れるのだろうか。
「ベア・マウンテン」の職員の返答はこうだった。「長年住み慣れたところから環境が変わったので、周囲のにおいをかぎ続けたり、到着して数日が過ぎた現在でも少し戸惑いがある。でも、頭のいい動物なのですぐに慣れてくれるはず。ただ(森に放されているとき)集団でいるのか、個別に行動するのか、未知の面も多い。森の中を歩いているクマ次第」。
人間にも同じことが言えないだろうか。スポーツ選手も所属チームが変われば、周囲の環境が大きく変化する。会社員も転職、人事異動で取り巻く環境が変わる。慣れ親しんだ環境が変わり、高いモチベーションに変える人もいれば、逆にストレスと感じる人もいるだろう。結局、その人次第ではないだろうか。
数週間が過ぎて、環境を変えたクマたちが、どうなっているか今から興味がわいている。
April 24, 2006 11:24 AM
2006年04月23日
日本の温泉は最高:浜崎孝宏
目まぐるしく色の変わる電光看板を上空から目にし、九州の地・福岡に戻ってきたことを実感させられた。2カ月ぶりの帰国。取材先だった天候不順の米シアトル同様、福岡空港で出迎えてくれたのは雨だった。福岡を飛び立ったのはバレンタインデー前のこと。乗り込んだタクシー運転手は「桜の時期は過ぎましたけど、しかし、最近のホークスは、やお、いかんですたい(うまくいかない)」とポツリ。窓外のぬれた桜の木も寂しげだったが、カーラジオから流れるホークスの苦戦中継に運転手の背中もどこか寂しげだった。プロ野球が真っ先に話題となったのが日本らしかった。
約1週間、会社から休みをもらった。真っ先にやりたかったことがあった。温泉につかることだ。習慣というのは恐ろしい。鹿児島出身の私は、幼いころから入浴料300円台で県内の至るところの温泉に入ってきた。「疲れたら温泉」という行動は、鹿児島県人にとっては当たり前のことだと思われてならない。米国でジャグジーはあったものの、水道水を温めただけでは物足りない。大浴場で頭にタオルをのせ「は~っ」と深呼吸するのが温泉の最高のぜい沢だと思う。
行き先は、鹿児島と宮崎の県境に位置する霧島温泉にした。約140年前に坂本竜馬と妻おりょうが、日本で最初に新婚旅行をした場所といわれ、00年度に環境省が出した温泉統計書によると全国温泉地別の源泉総数で、霧島温泉郷は全国8位(ちなみに1位は大分・別府温泉郷)の名門。高千穂の山あいの新緑から、もうもう立ち上る湯煙とともに、ゆで卵にも似た独特の硫黄臭が鼻をつく。これぞ、日本の温泉という九州を代表する温泉地で、新緑もまぶしかった。
新婚旅行ではなかったものの、私の60日間の出張中、何かと気苦労もあった? 妻が「(私の)顔を見るとムカツク」と言うので、彼女の慰労も兼ねた。お世話になった宿は「硫黄谷温泉霧島ホテル」。竜馬夫妻が同ホテルの前身、霧島館時代に宿泊したこともある老舗で、館内には竜馬が新婚旅行を楽しんでいる内容を姉に向けて送った手紙などがあった。1866年、京都・寺田屋事件で切り傷を負った竜馬が、湯治をかねてこの地を訪れ、約20日間かけて湯巡りを楽しんだ様子がうかがえた。
泉質も多彩だ。乳白色の硫黄泉、ミョウバン泉、塩類泉、鉄泉などある。温泉効果については個人差があるため何とも言えないが、地元では、アトピー性皮膚炎、糖尿、ぜんそく、痛風など現代病を含めたさまざまな症状に合わせ、よく効く評判の温泉が点在しているようだ。
ニニギノミコトが地上に舞い降りたという「天孫降臨」伝説が残る霧島は、表現しがたいが、何か神秘的な雰囲気が充満している。九州には大分・湯布院、別府、熊本・黒川など温泉王国だが、日本で人気温泉地に共通しているのは、温泉プラス、自然のマイナスイオンを体いっぱい感じられる点だろう。妻の機嫌も温泉療養で無事に直ったようだ。日本の温泉は、世界に誇れるオアシスだ。
April 23, 2006 11:02 AM
2006年04月22日
横浜を支える女性広報:山内崇章
プロ野球、横浜のチーム付広報になって5カ月。試合中にベンチでメモを取る女性の姿がテレビでも映され、最近はファンの間でも話題の人だ。八木直子さん(36)は、12球団唯一の女性広報。過去に他球団でもあまり例のない女性のベンチ入りを果たしている。
選手と記者の間を慌ただしく走り回るのが八木さんの日課だ。球団が発表したニュースの詳細説明。試合中に選手の談話を記者席まで届ける足取りも軽快だ。当日の紙面についての感想も記者と熱心に語り合う。知る限りのチームの現状を力説することもある。
広報になってからは未知の作業に戸惑いの連続だった。「どうすれば横浜の記事が大きくなりますか」。若い記者にも謙虚に質問する姿が印象的だ。最近はこんな発言も。「あとは先発投手の調子が戻れば。中継ぎも打線も結果を出している。今は我慢。必ず巻き返すときが来ます」。牛島監督の心境を代弁するコメントも自然に口をつく。
野球経験はなく、学生時代に野球部のマネジャーをしていたわけでもない。短大卒業後、大手都市銀行に就職。窓口業務や定期預金、為替を担当するOLだった。入社3年目の冬休み、学生時代から好きだったNBA観戦のため米国を旅行。サクラメントのアリーナで見たささいな光景が、転職のきっかけとなった。
熱戦の最中、地元チームを応援する少年と、ビジターファンのサラリーマン2人が、前後の席でやじの応酬を繰り広げていた。最後はポップコーンまで投げ合う始末。「大の大人が子供相手にエキサイトする姿、地元チームが勝利した後に、3人でハグし合う姿が忘れられない」。純粋にスポーツを愛する人の心に感動した。満員のアリーナを見回し、自分もスポーツを通して人を喜ばせる仕事がしたいと思い立った。
帰国後、4年勤めた銀行を退社。米国の大学に留学し、スポーツ経営学の学位を3年半で取得した。学生時代を過ごした横浜のプロスポーツ組織、ベイスターズで夢の1歩を踏み出したのは29歳の時。入社後は経理、営業を担当し集客戦略のノウハウを学んだ。昨年11月に現場への異動が決まり、ファンと選手の間でスポーツの醍醐味(だいごみ)を伝える念願の任務に就いた。
選手、チームスタッフは、彼女を同志として分け隔てなく接する。「男社会で大変だろうってよく言われますがあまりそう思ったことはありません。困ったのはビジターで行く球場には着替え場所がないことぐらい。トイレで十分です」。
開幕前日、本当の意味でチームの一員になったことを実感した。WBC帰りの多村に取材が殺到し、牛島監督から「ヒトシを頼む」と指示された。主力のケアを任され意気に感じた。広報として可能な限り露出を試みつつ、練習に集中できる環境も考慮。報道陣に協力を求め臨機応変に取り仕切った。「八木、ありがとう」。監督からのねぎらいの言葉はずっと胸にしまっておきたいという。「今の夢は横浜スタジアムを満員で埋めること。敵、味方のファン同士がハグするシーンを横浜でも見たい」。
プロ野球選手の一挙手一投足には夢がある。支える人も夢を持ち続けることが大切だ。
April 22, 2006 01:16 PM
2006年04月21日
「メガネ」から野球へ:小林千穂
先輩記者からすてきな野球観戦の情報を教えてもらい、今週末に神宮に行くことになった。最後に球場で野球を見たのが3年前。野球を見に行くぞと、久々に気合を入れた理由は「メガネデー」なる企画があるからなのです。
この企画、メガネをかけたヤクルト古田敦也兼任監督にあやかった企画なのだそう。メガネグッズのプレゼントとか、メガネコンテストとかあるらしい。常々、どんな人がタイプ? と聞かれたら、即座に「メガネを掛けた人」と答え、周囲に種をまいてきたことが、こんなすてきな情報になって返ってきました。スタンドがメガネっ子で埋まる風景はさぞ壮観だろうと、鼻血が出る勢いで想像してます。
この企画、この人なら喜びを分かち合えるだろうと思い付いたのは、その名も「メガネ男子」(アスペクト)という本を出した女性たち。帯に「私たちはメガネのキミが大好きです」とある通り、なぜメガネ男子が好きなのかを語り、メガネを掛けている芸能人、著名人を取り上げたりしている。本業はデザイナーで、企画した白畠かおりさんに「メガネデー」を話すと「行ってみたい」と即答。「メガネは文化系の印象で、スポーツとは対極のイメージですよね。その2つが合わさった企画ができるのはうれしいです」と話す。
白畠さん、野球への興味は「普通よりちょっと弱いかも」だそうで、これまで生でプロ野球を見たのは東京ドームで1回だけ。ひとしきり話をした後、最後に彼女はまた「行きたくなっちゃった。ホントに行こうかな」と、ほとんど独白に近い状態で話していた。やっぱり興味津々だ~と、うれしくなったのと同時に、こんなところからでも観客を球場に引っ張ってくることができる、観客を掘り起こすことはまだまだできると感心した。
今年はWBCの余韻、興奮が冷めないうちにシーズンが開幕したこともあって、テレビ視聴率も動員数も上向いているが、私が子供のころに比べると、やっぱりさみしいものがある。でも、この「メガネデー」のおかげで、少なくとも野球観戦から遠ざかっている2人が「野球を見に行きたい」と積極的に思っている。野球好きの知人は「動機が不純だな」と皮肉ってくれたが、いいじゃない。メガネデーにひかれて来た何百人? 何千人? のうち、生の野球の面白さに目覚める人が必ずいると思うんです。
ちなみに、周囲に「こんな『○○デー』があったら球場に行く」を挙げてもらいました。「二の腕デー」(Tシャツでムキムキもしくはプルプルを誇示)「マスクデー」(これは怪しい雰囲気になりそう)「耳の上にペンを載せた人デー」(ギャンブルスタイル。なぜか知的に見えると言った人がいた)。あまりにも不純になりすぎてきたので、この辺で…。
さあ週末は野球だ! メガネだ! 神宮だ! いつものコンタクトを外してメガネで行ってきます。スタンドばっかり見て、ファウルボールを後頭部でキャッチしないように気を付けます。
April 21, 2006 12:27 PM
2006年04月20日
信念持ち素早く動く:岡本学
日本サッカー協会と福島県などが、ナショナルトレーニングセンターのJヴィレッジを拠点に地元と連携して行う中高一貫エリート教育「JFAアカデミー福島」の開校式が8日に富岡町で行われた。中学1年から高校1年までの男女40人を全国から選抜。親元を離れた「金の卵」を地元の公立中学、高校に通わせて寮生活を送らせながら、中高一貫で英才教育を施す。将来のサッカー日本代表はもちろん、日本をリードしていくことができる真の国際人の育成を目指している。
その成果が出るまで、数年から10年近くの歳月がかかるだろうが、驚くのはプロジェクトをスタートするまでのスピードだ。日本サッカー協会が、関係する福島県などに構想を伝えたのが04年9月のことだったという。それから、わずか1年半で開校までこぎつけた。「お役所仕事」と、言われるように、この手のプロジェクトに行政が絡むと、開校まで10年かかってもおかしくない。同協会が明確なビジョンを示し、熱意をもって交渉を進めたこと、さらに同協会のグローバルな姿勢と福島県など地元3町の目指す方向性とが一致したことが、驚くべきスピード開校につながった。
先日、J2神戸の三木谷会長と安達社長兼GMが、鈴木チェアマンにあいさつするため東京・本郷のJリーグを訪れた。三木谷会長に直接、話を聞くことはできなかったが、安達社長によるとプロ野球楽天のオーナーも務める同会長はペナント開幕直後に担当記者の前で、球界の現状を嘆いていたという。「サッカー界と比べ、改革する態勢ができていない」と。
Jリーグがスタートした93年に川淵チェアマン(当時)は「地域に根差した」とか「地域に密着した」という言葉を使って、Jリーグが目指す方向性を示した。企業に依存していた当時の日本スポーツ界の状況下で「川淵は、何をばかなことを言ってるんだ」という批判も多数あった。それが、たった10年ほどで、プロ野球の球団名にも都市名が入り、地域密着を叫ぶなど様変わりした。「前例がないから、と言っていては何も始まらない」。川淵キャプテンの講演などで、そういう趣旨の言葉をよく耳にする。明確なビジョンと信念を持ち、前例にとらわれずに素早く動くところは、我々も大いに見習うところだろう。
芝生の校庭を持った学校を増やすための活動を積極的に行い、JFAアカデミー福島に続いて少年少女の「こころ」を豊かに育てることを目的としたプロジェクトも協会内に立ち上げた。また、アジアチャンピオンズリーグの活性化へ向け、同キャプテンが先頭に立つことも決まった。「2050年には日本でW杯を単独開催し、地元優勝する」などの2005年宣言も、同協会が発信した約束だ。「夢があるから強くなる」というスローガンに沿って、前例にとらわれず、信念を持って前へ前へと積極的に挑戦していく姿勢は、今の日本スポーツ、日本社会にとって最高のお手本だ。
April 20, 2006 11:51 AM
2006年04月19日
魂と桜は咲き続ける:岡山俊明
桜前線が東北地方を北上している。竹本貴志騎手が20歳の若さで亡くなったのは、ちょうど桜の季節だった。生涯成績は15戦1勝。
不運の事故はデビューからわずか22日目に襲った。04年3月28日、中山競馬の障害戦で落馬。脳挫傷で意識が回復しないまま、5日後に入院先で息を引き取った。今年が三回忌。3月に地元広島で営まれた法要には、同期、先輩、後輩合わせて9人が中山、中京、阪神競馬場から駆けつけた。誰からも親しまれた人柄がしのばれる。厩舎の控室には、今も遺影と初勝利を挙げた時の祝儀袋が飾られている。
18歳で競馬学校を卒業したが、すぐに騎手になれたわけではなかった。その年は実技試験で失敗して不合格。翌年は美浦トレセン実習中に負傷して受験できず、また1年延びた。同期の活躍に焦りを覚えながら、3年目の挑戦でようやく手に入れた騎手免許。志した中2の時から体が大きくならないように自ら食事を制限した強い意志を持ち、決して弱音を吐かなかった。苦難を乗り越えた末、両親の目の前で挙げた1勝は、どれほどうれしかっただろう。まさか、それが最初で最後になってしまうとは。
千葉・白井市のJRA競馬学校の観覧席裏に「初志貫徹」と刻まれた石碑がある。傍らに植えられた桜の若木と一緒に両親が寄贈した。「誰でも1度はやめたくなると思う。生徒たちにエールを送りたかった」と父久男さん(58)は言う。おそらく亡くなった本人も同じ気持ちではないか。騎手課程の生徒は厳しい体重管理を求められる。中学を出たばかりで育ち盛りの生徒たちには、過酷な日々が続く。乗馬訓練や学科授業で、早朝から日暮れまでスケジュールはびっしり。途中で挫折して去っていく生徒も少なくないが、石碑の言葉が伝わったのか、昨年や今年デビューした中にも留年にめげずに志を貫いたジョッキーが何人もいる。
また、購入費の一部に竹本家からの寄付が充てられた千葉・市川市の社会福祉施設「かしわい苑」のバスには竹本騎手の名前がしるされ、知的障害者の送迎に活躍している。
「もし勝っていなかったらと思うとぞっとします。20年の短い人生でしたが、他の人にはできない貴重な経験ができたと納得しとるんですよ」。73年に立ち上げたスポーツ少年団を育て、カープやサンフレッチェにも携わるなど地元のスポーツ振興に貢献する久男さんは、最近保護司としても活動を始めた。少年院や刑務所から釈放後にスムーズな社会復帰を果たせるよう受け入れ態勢を作っている。「貴志があんなことにならなければ引き受けなかったかもしれない。たとえ不良息子だとしても、生きとってくれるのがどれだけありがたいことか」。
満開の桜は、はかなく散った。しかし竹本騎手の魂は、この世にさまざまな形で生きている。そして多くの人の心の中で咲き続ける。
April 19, 2006 11:34 AM
2006年04月18日
野球「理論」も交流を:千葉修宏
アメリカにいると、野球の理論が日々進化していることを強く感じます。僕が子供のころ、ボールはきれいな縦回転で投げるように教わりました。それがここ10年くらいで、新球ともいえるカッター(鋭く小さくスライダー回転で曲がる直球)やツーシーム(鋭く小さくシュート回転で曲がる直球)が定番化。“ボールが動く”投手が良い投手で、きれいな球筋の投手は逆に打たれやすいということが当たり前のように言われるようになりました。
打撃についても、理論のトレンドはあります。これまでバッティングで大切なのは、バットをリードする側の腕だと言われてきました。右打者なら左腕、左打者なら右腕です。少年野球の時なんか(僕は左打者だったのですが)、右手でバットをコントロールして左手は添えるだけ、なんて教わりました。しかし“動く直球”の登場で、この理論では投手のボールに対応しきれなくなってきました。
カッターやツーシームのように手元で微妙に曲がる球を打つには、できるだけボールを引きつけ、球筋を見極めなければなりません。ヤンキース松井選手は大リーグ初年度、あまりの二ゴロの多さに、地元メディアから「ゴロキング」というありがたくないニックネームをもらいました。これも直球だと思って打ったら微妙にシュート回転したため、バットの先端で引っ掛けてしまったのが原因でした。
ただ手元まで球を引きつけると、球を見極められる半面、詰まる可能性も高まります。その時、リードする腕とは反対の“押し込む腕”の力が弱いと球威に負けます。僕が子供のころに教わったように“押し込む腕”が添えるだけだと、動くボールはヒットにできないのです。だからこそ松井選手は打撃練習でも左腕の動きを大切にフォームをチェックし、米移籍後は特に左腕の筋力強化を行ったのです。
野球をあまり知らない読者の皆さん、長々と講釈を垂れてすみません。僕が言いたいのは、これらの最新の理論は(もうすでに最新ではなくなりつつありますが)、現場にいるプロの選手やコーチ、トレーナーでないと分からないということなのです。それはどの競技であっても、競技そのものではなくコンディショニングやトレーニングの理論であっても、同じだと思います。
もちろん優れたアマチュアの指導者もたくさんいるとは思います。ただ彼らもプロのプレーや理論からヒントを得ています。僕も取材現場でプロ選手やトレーナーの人たちと話をしていて「そんな考え方があったのか」と、はっとさせられることはしょっちゅうです。
僕らの取材仲間に、元プロ野球選手のご子息がいます。米国の記者と食事をしている時、彼がプロ・アマ協定のために父親から野球を教えてもらえなかったという話をすると、アメリカ人記者たちは「信じられない」とあきれていました。現在、日本のプロ・アマ関係は緩和される方向にあります。早くプロの理論がほとんど時差なしに子供たちへ行き届くような環境になれば、と思います。
April 18, 2006 11:20 AM
2006年04月17日
優勝がACL変える:荻島弘一
サッカーの欧州チャンピオンズリーグ(欧州CL)が、いよいよ大詰めを迎える。欧州各国の強豪が集って「欧州王者」を決める大会は、試合のレベルでいえばW杯よりも上。世界中のトップ選手が出る欧州CLこそ、間違いなく世界の最高峰を決める大会だ。
アジアにも、これに相当する大会はある。アジアチャンピオンズリーグ(ACL)だ。リーグ王者、カップ戦覇者などが出場し、アジアNO・1クラブを決める。今季は、日本から昨年J1を制したG大阪と、一昨年度の天皇杯に優勝した東京Vが出場している。
ところが、これが盛り上がらない。G大阪が大連実徳と対戦した12日の万博競技場の観客は5555人。平日のナイターにしては健闘だが、平均1万4000人のリーグ戦と比べると寂しい。もちろん、まだ1次リーグだということもあるが、ACLが関心を持たれていないのも事実だ。
日本が勝てないのも原因だ。各国リーグ戦王者によるアジアクラブ選手権とカップ戦の勝者が戦うアジアカップウイナーズ杯が統合されてACLとなったのが03年。日本は毎年2チーム出ているが、いずれも1次リーグで敗退している。過去3年、決勝トーナメントに進んだチームもない。
クラブ選手権では99年に磐田、ウイナーズ杯で95年に横浜F、96年に平塚(現湘南)00年に清水が優勝したぐらい。Jリーグ発足前の87年には古河電工(現千葉)、88年に読売クラブ(現東京V)がクラブ選手権優勝。92、93年には日産(現横浜)がウイナーズ杯を連覇しているから、アジアでの成績は、J発足前の方がいいぐらいだ。
もちろん、Jリーグのクラブは確実に強くなっている。アジアで勝てないのは、本気でタイトルを狙いにいかないからだろう。Jリーグの日程は過密で、さらに代表の活動もある。選手の負担は大きくなるばかりで、ACLなどに精力を注げないのも分かる。
ACLの優勝賞金は、わずか50万ドル(約5750万円)。優勝賞金640万ユーロ(約8億9600万円)で、出場料や放送権料、入場料などを合わせて、優勝で軽く50億円を突破する欧州CLとは比較にならない。優勝賞金2億円のJリーグと比べても4分の1だ。収入の面でも、各クラブが「本気」にならないのは仕方がない。
しかし、昨年からはクラブW杯(世界クラブ選手権=トヨタ杯)出場権という大きなニンジンができた。欧州や南米の王者と対戦する道が開けた。12月には再び日本で開催される。「出場国枠」には否定的な意見も出ているが、Jクラブが優勝すれば問題はない。
代表だけが強くても、本当のサッカー大国とは言えない。クラブレベルの活躍があってこそだ。まずはJクラブがACLで優勝すること。そうなれば、ファンのACLを見る目も変わってくる。大会が盛り上がればスポンサーもついて賞金も上がる。自然とステータスも上がってくる。アジアで指導的な立場にある日本で盛り上がらなければ、大会もこれ以上大きくならないだろう。いつか欧州CLのような大会に。だからこそ、G大阪に期待したい。
April 17, 2006 01:21 PM
2006年04月16日
庶民感覚なしの増税:桐越聡
消費税率は8%どころか、10%以上に引き上げる必要がある-。政府税制調査会の石弘光会長が今週、そんな発言をした。過去には「低価格競争がビールの味を忘れさせ、酒文化を損なっている」と、発泡酒より税率が低い「第3のビール」の出現を批判したり「サラリーマンに頑張ってもらうしかない」と、給与所得控除の縮小などの方向を打ち出した一橋大の前学長が、またまた庶民の感情を刺激してくれた。
今年から所得税や住民税の負担が増えている。にもかかわらず消費税が上がるのは正直、受け入れたくない。それでも国の借金を減らすためにはそれしか方法がないのなら、やむを得ない。政府から分かりやすい説明があって「政府はこんなに頑張ったのか」と、素直に認められるようなら賛成できるかもしれないと思っている。
しかし、今の政府は「さまざまなお金を節約し尽くした。だから、あとは消費税アップしかない」と胸を張って言い切れるだろうか。今国会の行政改革推進法案の議論などを見ていて、そんな節約の〝形跡〟が見受けられないと感じるのが、相次いで表面化している各省庁の随意契約の問題だ。
原則は一般競争入札だと義務付けられているにもかかわらず、随意契約はなくならない。それどころか、各省庁がそれぞれ所管する独立行政法人や公益法人と結んだ随意契約の総額は何と年間5376億円! しかも、木曜日の衆院行政改革特別委員会を傍聴していると、500万円以上の随意契約の場合には環境省、財務省、厚生労働省や農水省では契約した1社からしか見積もりを取っていない、というではないか。
こんなことは一般の会社では許されないだろう。何かを買ったり、あるいは業務を委託するとき、幾つかの業者から見積もりを出してもらって、いろいろと吟味するのが普通のやり方ではないか。「あなたに任せますから見積もりはいりません」という言い分が通用するなんて、各省庁は庶民の感覚から懸け離れたお金の使い方をしているとしか、言いようがない。
随意契約の問題が指摘され始めたのは昨日や今日ではない。なのに、こんなよく分からないやり方がまかり通っている。小泉首相は「正すべきは正すべき」と、随意契約の見直しが必要だと強調しているが、郵政民営化の議論と比較して何となく迫力が足りない。「随意契約を続けていて、それでも税金の無駄遣いはしていないと言い切れますか?」。各省庁に問いただしたい気分になる。
随意契約をやめられないのは、長年問題視されている国家公務員の天下り問題と深くかかわっているからではないのか-。随意契約問題は“氷山の一角”で税金の無駄遣いはまだまだあるのではないか-。野党の追及をのらりくらりとかわす政府の姿勢を見ていると、そう勘ぐりたくもなる。だから、消費税アップは認めたくない。
冒頭の石会長の発言について自民党幹部は「衆院千葉7区補選の告示日に増税の話をしなくてもいいじゃないか」と批判したという。選挙を控えていない時期の発言ならば、批判しないと暗に言いたいのだろうか。
April 16, 2006 10:57 AM
2006年04月15日
清原も参った仙台の魔物:松井清員
寒いなんてもんじゃない。取材でグラウンドに立つと、脳天を突き刺すような痛みが走った。仙台で行われた3月29日の楽天-オリックス戦。激しい横殴りの雪で8分間も遅れたプレーボール時の気温は、1度しかなかった。まるで凍(い)てつく真冬のスキー場にいる気分。午後8時には氷点下寸前、最低気温0・2度を記録した。そんな過酷条件の屋外ナイターで、9回までプレーし続けた両軍ナインが気の毒でならなかった。
多くの選手がポケットにカイロを忍ばせたが、オリックス先発吉井は「全然効かなかった」と苦笑した。受けた日高も「指先がシビれて感覚がなかった」と振り返る。だが笑い話で済めばまだいい。左太もも裏を痛めて7試合の欠場に追い込まれた清原は「仙台の寒さが効いた」と明かす。3連戦の平均気温は2度前後。その中で清原は12打席5出塁とハッスルした。極寒状態で収縮していた筋肉に、過度の負担が掛かっていたのだ。そして中村までもが右太もも痛を再発。オリックスにとっては今なお恨めしき仙台になっている。
野球規則に降雨中止や降雪中止の条項はあっても「寒さで中止」の文言はない。どんなに寒くても、雪や雨や台風が来ない限り、試合は行われる。だがどう考えても今年3月末の仙台は、屋外のナイターで野球をする環境にはなかった。楽天は29日の試合でプロとして恥ずかしい6失策を犯したが、寒さで集中力を欠いたのも要因だろう。だが楽天球団貸し出しの毛布にくるまり、客席で凍えるしかなかったファンはもっとつらかったはずだ。選手はベストパフォーマンスを見せるどころか大けがの危険性もはらみ、ファンも修行のような観戦。これでは何のための興行か分からない。
公式戦日程はセ・パ両リーグ連盟、各球団営業部などの話し合いで組まれるが、この現実をしっかり見て欲しい。私は仙台での3月、4月のナイター開催は今季限りにすべきだと思っている。楽天関係者は「球団創設1年目の昨年は雪もなかったし、ここまで寒くなかった」と説明するが、来年も悪条件が重なる可能性は十分ある。気候的にも春先の仙台は不安定な天候が多い。だからその時期に仙台で開催するのは、まだ多少は暖かいデーゲーム限定。ナイター開催は少なくとも5月のゴールデンウイーク明けまで待ってはどうだろう。
当然「楽天の我慢」と「他球団の協力」が必要になる。営業的にデーゲームとなれば週末限定。だが開幕直後、楽天ばかりがおいしいところを持って行くわけにもいくまい。つまり春先は仙台でほとんど試合を行わず、おのずと楽天の主戦場はビジターとなる。だがその分暖かくなる初夏以降、仙台での試合を増やす。日程はかなりいびつなものになるだろう。選手心理やファン心理を考えた時、そうした「アンバランスさ」が、むしろ喜ばれるのではないだろうか。
オリックスの後、3月31日から仙台で楽天3連戦を戦ったソフトバンクの王監督は風邪をひいてしまったという。楽天の野村監督ですら「仙台は寒い。5月でも寒いか、下手すりゃ6月でも寒い。こりゃ屋根付けなきゃいかんな」とぼやいている。今年の日程はもうどうしようもない。だが真剣に球界改革を考えるなら、絶対に生かすべき今年の教訓だと思う。
April 15, 2006 12:36 PM
2006年04月14日
強烈!目力にやられた:村上秀明
17歳の愛ちゃんに圧倒された。目にやられたのである。
9日、北海道・帯広市にやって来た卓球の福原愛(グランプリ)の取材に行った。日本リーグのビッグトーナメントが開催され、「愛ちゃん効果」もあってか、体育館いっぱいの約2000人が集まった。自分も取材現場では初対面で、写真を撮りながら、フレーム内にいる愛ちゃんに注目した。
伝わってきたのは強烈な気迫だった。試合後の記者会見では別人のような柔らかい表情で話したが、試合中は「怖さ」まで感じさせた。スイッチをONにしたかのように、相手を威圧する雰囲気があった。結果的に一般シングルスで3年ぶりの優勝を果たしたが、すべての試合で共通した姿だった。
幼少時に「天才少女」としてテレビで涙を流していた、かつての姿はまったく想像できなかった。もちろん、どの選手も真剣な表情だったが、愛ちゃんはひと味違うように感じた。にらんでいるわけではないだろうが、目から飛び出るんじゃないかと思わせるパワー。「目力(めぢから)」が印象的だった。
この目力は広辞苑の定義では見当たらないが、数年前から芸能界やメークの世界で使われることが多いようだ。目のクリッとしたタレントが「目力がある」と注目を浴びる。目元に存在感をもたせるつけまつげ、マスカラ、カラーコンタクトなどの売り文句に「これで目力アップ!」という言葉もよく目にする。
これらの目力には、目の輝き、人を引きつける強い視線などの意味合いがあるが、愛ちゃんの場合は「負けない」という秘めた意志の強さを示す力だと感じた。愛ちゃんが好きなアニメ「名探偵コナン」の主人公、江戸川コナンも放送開始10年で表情も変わって、目力が出てきたという(本紙3月18日付参照)。「絶対に解決する」という強い意志の表れと、解釈したい。
過去の取材を振り返ると、目に力を感じた対象者が何人かいた。中でも、アイドルグループ「モーニング娘。」の元メンバー石黒彩が強く印象に残っている。98年秋、北海道版のインタビュー企画で取材した。当時は絶頂期を迎える直前くらいで、トレードマークの鼻ピアスも気になったが、何より目がキラキラしていた。もともとクリッと丸い目だが、夢と希望にあふれ、とにかく発言も前向きだった。
04年春、大リーグのサンディエゴ・パドレスに渡った大塚晶則投手(現レンジャーズ)にも同じ「目」を感じた。縁があってデビュー戦を現地取材したが、サヨナラ打を浴びても、とことん前向きだった。02年シーズン終了後に1度断念した大リーグ行きがようやく実現。その充実感が目からあふれ出ているように見えた。
「目は口ほどにものをいう」「目は心の鏡」というフレーズは、その通りだと思う。目力を確認しようと、鏡で自分のたれ目を見てみたが…。いつも、生き生きした目をしていたいものだ。
April 14, 2006 11:19 AM
2006年04月13日
城島よ新たな英雄に:浜崎孝宏
米大リーグ、マリナーズの本拠地セーフコフィールドから北に車で約30分走った場所に、かつての英雄は眠っていた。足を踏み入れた先は、レイクビュー墓地。そこには大小さまざまな形をした石の墓が点在しており、芝生のグリーンと八重桜のピンクが鮮やかなコントラストを描いている。眼下にはレイクユニオンと呼ばれる湖が広がる風光明美な小高い丘の上に、映画「燃えよドラゴン」で有名なブルース・リーの茶色い石の墓があった。
父親が舞台俳優だったブルース・リーは、公演先の米サンフランシスコで生まれた。生後3カ月にして中国映画に出演し、香港に帰国後も幼い時代から数多くの子役として活躍したという。そんな彼がなぜシアトルに骨をうずめたのかは定かではない。ただ分かっているのは、18歳で渡米した後、シアトル市内のワシントン大学に通い、同じ時期に中国武術の道場を開校。そこで知り合ったリンダ・エメリーと結婚した。残念ながら73年に32年の若さで死亡。わずか14年間のシアトル生活だったが、ファンを虜(とりこ)にしたスーパースターの墓に世界各国から参拝者が絶えないという。
マ軍イチロー外野手(32)が生まれたのは偶然にもブルース・リーが亡くなった73年。映画俳優と活躍の場は若干異なるものの、イチローは04年にシーズン世界最多262安打を樹立し、全米では世界のホームラン王「サダハル・オー」と並ぶビッグネームにのし上がった。
今年は、イチローだけじゃなく日本人初のメジャー捕手となる城島健司が世界最高峰リーグの門をたたいた。シアトル市内でおいしいと評判の日本料理店オーナーに話を聞いた。
「城島はキャッチャーの仕事を分かりやすく見せてくれる。私はやると思う。投手に対して球を低く、低くというジェスチャーなんかはアメリカ人捕手は、しないけど、そのうち浸透すると思う」。その言葉には異国の地で仕事のジャンルは違えどもプロとして“メジャー”で戦う同士の期待感にあふれていた。日本人の人口比率がほかの米都市と比べて高いといわれるシアトルだが、日本人メジャーの活躍は、一般人の生活にも、張りを持たせてくれる。
城島が、打席に入る際のテーマ曲にバラエティー番組「笑点」を熱望していたが、最後は地元シアトル出身の人気ギタリスト、ジミ・ヘンドリックスの「ヘイ・ジョー」を選んだ。自分の名前にちなんだこともあるが、やはりカリスマの曲には、人を引きつける何かがあるということか。
世界のスーパースター、ブルース・リー同様、アジア人としてイチロー、城島にはシアトルっ子に長く愛される「スーパーヒーロー」として頑張ってほしい。
April 13, 2006 01:01 PM
2006年04月12日
大事な近所付き合い:山内崇章
本当に物騒な世の中だ。小さな子供は一体誰を信じ、どこにいれば安全に遊べるのか。川崎市のマンション15階から小学3年生の男児が投げ落とされた事件は、あまりに残酷で、ご家族の無念さを推し量ると胸が痛む。容疑者の男性にも3人の子供がいたという。どこにどんな恐怖が潜んでいるのか、想像し難い事件の因果に閉口してしまう。
やはり他人は、信用の置けない存在なのだろうか。安易に疑いの目を向けたくないが、子供が狙われ続ける不可解な周辺に、私たちは不信感を強め、身構えてしまう。悪気はなくとも、身近な人を守るため、本能的に1歩引いた対人関係を意識するようになる。
川崎の事件を受けて、先日来、私の住むマンション管理室には、居住者からの投書が相当数寄せられている。警備の増員、防犯カメラの増設、高層階の廊下には落下を防ぐための柵を設置してほしい、との意見だ。マンションでは月1度、自治会の会議が行われるが、今度の議題も、セキュリティー強化に多くの時間が割かれそうだ。
15階建て300世帯のマンションには、現在36台の防犯カメラが設置されている。4年前との比較で3倍増。24時間態勢で4人の警備員が常駐、居住者以外の人が敷地に入るには、必ず身分証の提示も求めている。毎月納める管理費は、老朽化に伴う修繕費より今の安全に充てられている。これだけの対策を立てれば、何となく安全が確保されている気にもなる。
時を同じくして、マンションのエレベーターには、管理人が居住者に呼び掛けたメッセージが張り出された。「左右両隣、階上階下のご近所さんと、あいさつをしていますか。共同住宅では、万一の際のご近所の連携、信頼関係が必要です」。シンプルでごく当たり前の呼び掛けだが、鋭い警告を発しているように思えた。カメラは事件解明に役立つことはあっても、侵入者の動きを止める力は持っていない。
少しそれるが、自分が小学生のころの話。隣の家の塀に落書きをして、その2軒隣のおじさんに大目玉を食らった。学校の帰り道、中学生の怖いお兄ちゃんにすごまれたときも、近所のおばさんに助けていただいた。夜には、昼の出来事が両親に報告される情報伝達の速さ。東北の田舎では、道を歩く大人すべてが学校の先生のように頼もしかった。大人の連携に子供たちは守られていた。
18歳で上京して以来、実家からは、年に2、3度、季節に応じてりんごやジャガイモが大量に届く。メモ書きには「お隣の方にも渡すように」と毎度ある。都会かぶれしてしまったのか、無意識のうちに「田舎の発想」として片付けてきた。指示に従順だったのは20歳ぐらいまでか。左隣のご家族とは顔見知りであいさつも交わすが、ほかのご近所はどんな方が、どんな家族構成で暮らしているのかも知らないままだ。
システマティックな安全対策には限界がある。当たり前ように穏やかだった幼き日の帰り道に思いを巡らせる。こんな今だからこそ、確かな人の目と声、迅速な情報伝達を可能とする近所付き合いを大事にしたい。
April 12, 2006 12:27 PM
2006年04月11日
もっと言葉で伝えて:小林千穂
あらかじめセッティングされた場面で、決められた時間の1対1のインタビューをすることが多いのだが、インタビュー=会話のようなもので、会話ベタにとっては本当に難しい。
聞ききれずにハイ終了、タイムアップなんてのはザラ。特に、海外から来日した俳優、女優は15分なんていう恐ろしく短い時間で設定されることもある。これまでの最短時間はある韓国女優の10分。通訳も入るので、実質、持ち時間はその半分。しかも、十数社、時には数十社が2、3日の間に取材をする場合もあるので、1社が時間オーバーしようもんなら…ってことで、取材部屋の中にエージェントやら宣伝マン、その他有象無象がひしめき合っていて、容赦なく強制終了させられる。がっくりと肩を落として部屋を出て行くしかないこともある。
それでも、海外俳優たちはインタビューに対して積極的だ。短い時間でも「僕、私を知って」という雰囲気をガンガン出してくる。質問に対する返しが長いのも、彼らの特徴かもしれません。「長っ~」と思ってドキドキしながらも、もっと知りたい、もっと時間があったらと思わせられる。取材が苦手な人も、時差で激しく眠い人もいるけど「この機会を逃すものか」という、どん欲さが伝わることが多い。
何年か前、もうすぐ公開が楽しみな「ダ・ヴィンチ・コード」に出演している女優オドレイ・トトゥを取材した時。日本でもヒットした「アメリ」で人気になった人なのだが、どうしても不思議ちゃん少女、アメリのイメージから抜け出せず悩んでいる人だと思っていた。新作の話をして、それから…と、流れを考えていたところ、彼女は部屋に入るなり自分から「『アメリ』の女優、なんて言わないでね。言わせたくないな、あははあ」と笑った。これだけで、彼女の負けん気や、もどかしさが伝わってきた。
日本人はどうかというと、言葉が伝わる分「そこまで言わなくても、察してよ」となることも多い。こちらもその場で「察した」としても、文字にしようと思うと、その人自身の言葉ではなくなってしまうので、結果的に書き手の主観が入ることになる。お互いに十分に理解し合えないままの記事が出来上がってしまうこともある。「国民性」うんぬんを言うのは、型通りのようにも思えるが、やはり日本人はシャイだし、思慮深さが美徳という姿勢の人が多いような気もする。もっと、言葉を繰り出してくれたら、と思うこともある。
もちろん、こちらの勉強不足や、コミュニケーションの下手っぴいさが足を引っ張ることもある。怒られたことも、思い出したくない人もいる。ちなみに、これまでNO・1怒られた、というより、しかってくれたのは演出家の故久世光彦さん、作家の京極夏彦さん、かな。怒りの言葉を投げ掛けてくれるのは「おれのこともっと分かってくれよ」ということでもある。かえってそういう人のインタビューが、後で思い返せば心地よかったりする。
April 11, 2006 11:22 AM
2006年04月10日
心の葛藤語れる勇気:岡本学
自分のプレーぶりについて、正直な感想を口にする。故障しても逃げることなく、心の葛藤(かっとう)を交えながら胸の内を明かす。オランダのフェイエノールトから4年半ぶりに古巣の浦和へ復帰した、サッカー日本代表MFの小野伸二(26)。我々、マスコミにとって貴重な存在だ。
W杯開幕まで2カ月足らず。23人のメンバー入り、さらに定位置争いに向け、日本代表候補のし烈な戦いが続いている。広島FW佐藤寿のように好調な選手もいれば、鹿島FW柳沢のように故障に苦しむ選手もいる。1月末に浦和へ復帰した小野は、自身がイメージするプレーを取り戻せない苦悩を、我々マスコミに打ち明けている。
◆3月27日の日本代表練習後 まだ全然。(状態は)40%ぐらい。伸び伸びやれてない。自分がしっかりやれていれば、もっとチーム(浦和)は楽にやれている。結構苦しい時間帯があり、試合が終わってから反省している状態です。移籍してきて何かしないと、というプレッシャーがある。
◆3月30日の日本代表エクアドル戦後 うまくいかない部分がたくさんあって、もどかしい。試合が終わっても「やったー」という感覚がない。原因? 分からない。精神的なもの? かもしれないですね。コンディションは悪くないが、試合へのイメージがまだ低く、判断が遅い。50~60%くらいだと思う。
試合で良いプレーをしたとき、活躍したときのマスコミ対応は苦にならない選手が多いように思う。しかし、ミスをしたときや、不調なときに真摯(しんし)にマスコミ対応できる選手は、今のサッカー界に決して多いとはいえない。ましてや、W杯を直前に控えた大切な時期に、苦しい胸の内を明かすのは勇気がいることだと思う。日本代表を取材した弊社担当記者とも話をした。「小野のように誠実にマスコミに対応している選手が、苦しんでいる胸の内を明かしたことで批判されることがないようにしたい」と。
昨季は、度重なる右足小指の故障で満足に試合に出場できなかった。試合勘が戻っていないのだろう。試合を見ていても、思い通りにならないもどかしさからか、イライラしているようにさえ見えた。エクアドル戦を観戦した日本協会の川淵キャプテンも「自分の気持ちとプレーが一体になっていないようだ。これまでのようにスルーパスが通らない。浦和でガムシャラにやって取り戻してほしい」とエールを送った。
代表戦後、浦和へ戻ってからもゴール前での決定的なチャンスを外すなど、プレーに悩んでいるように見える。ただ、休む間を惜しんで練習、試合に励んできたことは間違いない。今は結果を恐れることなく、前向きにボールを蹴ってほしい。練習時間前後に見せる華麗なボールリフティングを楽しむかのように。
小野は「毎試合笑って終われるようにしたい」という。伸二スマイルがW杯本番で戻ってくることを信じ、待ちたいと思う。
April 10, 2006 12:08 PM
2006年04月09日
握手が築く人間関係:岡山俊明
未来あるフレッシュマンの方々、新生活には慣れましたか。キャリアがあっても、新しい部署で不安な日々を過ごしている人も多いのではないかと思います。
5年前、人事異動でサッカー担当を命じられた時を思い出す。日韓W杯開幕まで1年を切っていたが、恥ずかしながら代表の顔すら、ろくに知らなかった。育った時代も地域も野球中心だから、サッカー音痴でアンチ。周囲は見知らぬ人ばかり。開幕は待ってくれない。窮地に陥った36歳の新人を救ってくれたのは、日本サッカー界の握手の習慣だった。縁遠い世界に飛び込んだ素人記者を温かく迎えてくれる握手に、こわばった心がどれほど解きほぐされたか分からない。
クラブハウスに出向くと、監督と、選手と、フロントと、ライターと、気さくにかわす。選挙は別として、これほど握手する環境はほかにないのではないか。心地良い洗礼を初めて受けたのは、当時FC東京で指揮を執っていた大熊清監督だった。東京・深川にあったクラブハウスを訪ね、初対面のあいさつを済ませると、サッと右手を差し出された。慣習になじんでいないこちらは戸惑ったが、失礼のないように応じた。握手はあまりにも力強かった。右手がひしゃげないように、こちらも強く握り返した。目と目が合った。「よろしく」。それだけで気心が通じた。門外漢がサッカーファミリーの一員として迎え入れられた瞬間。それからは取材で出向くたびにマックスの握力で握り合った。
林実氏の「作法心得」によると、紀元前400年代にアテネ武士団が武術の試合後に行った儀礼行為が、握手の起源だという。その著の中で、男同士の握手の作法が記されているので一部引用させていただく。
相手が目上であろうと年上であろうと「深く」「固く」「短くも2秒間以上」握られよ。「深く」とは、お互いの親指の付け根が密着するまで。「固く」とは、相手が痛がらない程度に、力いっぱい。もし相手が「浅く」「やわらかく」握ってきたのであれば、こちらは、その浅いまま、同じく、やわらかく「1秒あまり」握られよ。
大熊氏になぜ強く握るようになったのか、聞いたことがある。チームのスポンサーの人から諭されたのだという。忠実に実行した監督の力強い握手は「作法心得」で説いている通りで、まさに正統な作法だった。
1度だけ、ほんの少しだけ顔をゆがめてしまったことがある。そのことを覚えていたのだろう。次に会った時、赤子の手を握るようにソフトだった。大熊氏といえば満員のスタジアムでも逆サイドまで通る大声で知られているが、握手から感じ取れた思いやりが印象に残っている。担当を離れてしまったため、それが最後になってしまったのが心残り。今度再会した時は、いつも通りに思い切り握ってもらいたい。
サッカーアレルギーから解放してくれた握手パワーって、本当にすごい。悩める人には救いの手を。人間関係はきっとうまくいくはずです。
April 9, 2006 09:33 AM
2006年04月08日
ロッカー取材解禁を:千葉修宏
大リーグと日本プロ野球を取材する上で決定的に違うのは、選手が着替えるロッカー室に入れるかどうかです。日本の某球団を取材していた時には、長い駐車場までの階段を、選手にくっついて何往復もしたり、それはそれは体力がいりました。大リーグではロッカー室の中で腰を落ち着けて取材できます。そこでは選手の意外な素顔を垣間見ることもできます。
ロッテを取材していた時、バレンタイン監督だったこともあり、ロッカー室取材を許可してもらえるように球団に働き掛けました。結局それは無理でしたが、試合後に監督室の中で取材することを許されました。これだって日本のプロ野球界では結構画期的だったと思います。負けて顔を真っ赤にして、まさに湯気が上っているようなボビーを観察するのも、なかなか面白みがあります(失礼!)。
オークランドのマカフィー・コロシアムで行われた4月3日の開幕戦。ヤンキースのロッカー室で楽しいことがありました。誰かが先発ローテの一角チャコン投手のいすに、男性の大事な部分をかたどった茶色いおもちゃを置いたのです。
それを見たチャコン投手は「お前が置いたんだろ」と、それをスターツ投手のロッカーに放り投げました。スターツ投手は「オレじゃねぇよ」と、それをライト投手のロッカーにストライク投球。15-2でアスレチックスに快勝した開幕戦の舞台裏では、実はチ○コが宙を舞っていたのです。
その数日前、オープン戦を行ったアリゾナのチェース・フィールドでのこと。試合後、ウィリアムズ選手が日本報道陣のそばを通り過ぎた時、すごくいいにおいがしました。僕らは「おい、バーニーすげぇいいにおいの香水使ってるよ」なんていうおバカ会話で盛り上がってました。
当のウィリアムズ選手本人は日本語は分からなかったようですが、自分のことを話されているというのは察知したようで、なんとなく照れ笑いを浮かべていました。そのうち僕らの1人が会話の内容を教えました。すると、オレはそっちの趣味はねーんだよとばかりに「おいおい、勘弁してくれよ」とウィリアムズ選手も頭を抱えて大爆笑。あらためてその気さくな人柄に触れることができました。
また、ウィリアムズ選手がロッカー室で奏でるギターの音色もすごいんですよ本当に。この前はジャズ・フュージョン系の曲を弾いてましたけど、もうウェス・モンゴメリーとか、ジョージ・ベンソンですよ、あれは。
ロッカー室は女性記者も取材に訪れますが、基本的に男子更衣室なので、選手はあまり女性の目を気にしません。今年メッツと契約し、春季キャンプの途中で引退してしまったブーン選手はマリナーズ時代、全裸&まじめな顔(ここがポイント)で記者に囲まれて話をしていました。結構笑えましたよ。
意味不明の漢字の入れ墨を入れた選手や、服を着ているかのように見える全身タトゥー選手。乳首ピアスと下半身の一部が鎖でつながっている!? 選手など、日本ではあり得ないプレーヤーも発見できるロッカー室。日本でも解禁したら、面白いと思うけどなぁ。
April 8, 2006 11:43 AM
2006年04月07日
日本の命運託します:荻島弘一
サッカー日本代表のジーコ監督が緊急入院した。激しい腹痛に襲われて、2日の朝に入院。しかし、3日朝には回復し、一晩過ごしただけで退院した。4日のキリン杯会見に出席するという驚異的な回復だった。もっとも、たった1日とはいえ、日本協会のドタバタぶりは想像に難くない。
もし今、ジーコ監督が倒れたら、指揮官を失った日本代表はどうなるのか。川淵キャプテンは「危機管理が大切」と日ごろから話しているが、さすがに監督の病気は「想定の範囲外」だと思う。世界的に見ても、監督急病で手回しよく次の監督が用意されていることなど、聞いた事もない。
仮にジーコ監督が現場を離れれば、実兄のエドゥー・テクニカルアドバイザーが代行するのだろうか。しかし、ここまで監督の強烈なキャラクターでもってきた代表。いくら監督の考えを理解する現場スタッフでも、かじ取りは難しい。そういう意味でも、大したことがなくて「本当に良かった」ということだろう。
もっとも、安心はできない。またいつ、体調を崩すか分からない。今回の腸炎も原因は心身に及ぶ疲労が原因と思われる。ジーコ監督本人は「食あたり」と説明していたが、入院にまで至るのは体が弱っている証拠。4月は代表の活動がないとはいえ、5月になればまた多忙な日々が続く。心配の種は尽きない。
代表監督の職務だけならいいが、スポンサーへの対応、イベントへの出演など日本の「顔」としての仕事もある。そして「負けず嫌いで完ぺき主義」な性格。自分の仕事は、100%こなさないと気が済まないのだ。キリン杯会見も、日本協会側は欠席を勧めたが、本人が出席を望んだ。完ぺき主義が、ジーコ監督の心身を疲れさせている。
「私にストレスなどはない」と強気に言い放つが、素顔は繊細だ。人に対する気遣いがきく分だけ、周囲の評価も気になる。それを口に出すような性格ではないが、それでも親しい周囲の人間には「疲れた。(代表監督を)やめたい」と口走ることがあるという。
「ブラジル代表監督? 絶対にやらない。ストレスで、胃がいくつあっても足りない」と話したのは、日本代表監督就任前だった。全国民が代表監督と言われるブラジルでは相当な重圧がかかるが「日本ならば大丈夫」と思ったのか。しかし、実際にはかなりのプレッシャーがあったはず。91年に住友金属(現鹿島)入りして以来、日本の「サッカー後進国」ぶりを見てきただけに、重圧が想像できなかったのかもしれない。
クラブ人気が高い欧州や南米より、マスコミ報道などが代表偏重になりがちな日本の方が、ある意味では代表監督への重圧はある。歴史が浅い分、正確に自国の力も把握できないから、国民の求めるレベルも高くなり、現実とのギャップに悩むことになる。ストレスがないわけはない。
ジーコ監督については、賛否両論あるだろう。しかし、間違いないのは、ここまで来たら命運を託すしかないということ。あと2カ月、健康でいてくれることを願うばかりだ。少なくとも、ジーコ監督のカリスマ性は、日本よりも世界で、W杯の大舞台でこそ日本の力になると思うから。
April 7, 2006 10:40 AM
2006年04月06日
戻りつつある時計針:桐越聡
黙って見ているだけなのだろうか。
「送金指示」メール問題の責任を取って前原誠司代表ら執行部が総退陣することになった民主党。新代表を選出する代表選は7日に行われる。その規則や手続きなどを決める衆参両院の議員総会が3日に開かれた。取材していて正直、ガッカリした。
質疑の時間に手を挙げたのは自称「総理を狙う男」河村たかし衆院議員だけ。河村氏は(1)20人の推薦人を集めなければならないという立候補のハードルは高すぎる(2)推薦人を集めるための演説会を開いてほしい、と主張。「民主党は挑戦者の政党なのだから内部の挑戦者に対してもチャンスをつくってほしい」と力強く訴えた。
しかし、100人以上の出席者から1人として同調する声は出なかった。それどころか反論すら出ない。「そのぐらい集めろ」というヤジと、冷ややかな失笑が漏れるだけだった。鳩山由紀夫幹事長は「代表になるのは過半数の支持を得なければならないのだから、20人は集めてください」。あっさりと却下された。
過去の代表選と違って今回だけ推薦人のハードルを下げてほしいという河村氏の主張は唐突だったのかもしれない。民主党の国会議員には、推薦人を集められない人の“負け犬の遠ぼえ”ぐらいにしか聞こえなかったのかもしれない。あるいは河村氏は新代表にふさわしくないと思われているのかもしれない。とはいえ、民主党がこんな危機的状況にあるにもかかわらず、ほとんどの議員が傍観者のような態度を貫いていたのには違和感があった。
政治の世界はきれい事が通用する世界ではないと、分かってはいる。しかし、だからといって河村氏のような提案に誰も反応せず、何となくしらけたような雰囲気が漂うのはいかがなものか。自民党との違いを鮮明に打ち出して政権交代に挑もうとしている民主党で、大きなグループをバックにしている人だけが代表選に立候補しようとしている。旧来の自民党の派閥政治と何が違うのか。
河村氏は落胆していた。「商売でも何でも参入規制を外して、新しい挑戦者を迎え入れることが一番変わっていくことなんですね。国民の皆さんのために言わないといかんじゃないですか、これはハッキリと」。推薦人を集められない人の負け惜しみだと受け流されているのだろうか。
前原代表が選ばれたとき「まさに時代の変わり目。英国のブレア首相が労働党内でリーダーシップを握ったときと似ている」と話し、43歳で英国首相になったブレア氏の登場とダブらせた民主党の国会議員がいた。半年前に前原氏を支持して時計の針を進めたいと思っていた人は黙っているだけなのだろうか。
「前原さんがこういうふうになったからといって、くじけることないんですよ。またそういう人を立てればいいんですよ、みんなで。挑戦し続けることが使命じゃないですか」と、河村氏は話した。時計の針を戻すことが悪いとは思わない。だが、時計の針が戻すことが前提になっているような今回の代表選はどうなのか。内向きすぎではないだろうか。
April 6, 2006 11:31 AM
2006年04月05日
「とんぼ」続投の意味:松井清員
ユーミンの「NO SIDE」を聴くと、大学の野球部時代、神宮への夢が破れた涙のサヨナラ負けを思い出す。浜田省吾の「もうひとつの土曜日」を聴くと、彼女にフラれた寒い冬の日を思い出す。その時代時代で聴いていた音楽は、自分の人生そのもの。だから悲しい思い出がフラッシュバックする曲は、時に耳をふさぎたくなることもある。私ごときのちっぽけな思い出とは比較するのも失礼だが、オリックス清原の特別な曲は「とんぼ」だった。
長渕剛は、東京にあこがれて上京した若者が世知辛い現実社会の壁にぶつかり、生き抜いていくことの大変さを歌にした。歌詞に自分をダブらせた清原は01年から、打席に立つ際のテーマソングに選んだ。巨人にあこがれてFA入団したものの、度重なる故障や人間関係にもまれていた時だった。以来、昨年戦力外通告を受けるまでの5年間。「とんぼ」に勇気付けられた半面、巨人晩年は苦い思い出が多かった。だから新天地では封印したい曲になっていた。
「あの歌は東京イコール、ジャイアンツに対しての歌。東京で流してこそ意味がある」。オリックス入団が決まった昨年暮れ。清原はテーマソングから「とんぼ」を外し、新曲選びに入った。候補に挙がったのは地元「岸和田のだんじり」にちなんだ曲や、長渕が仕事に行き詰まった時、故郷鹿児島を思い出して勇気をもらったという「桜島」もあった。「相手をKOする意味を込めて『K-1のテーマ』にしようかな」。そう話したのは3月中旬のこと。だが何かが心に引っ掛かり、最終決断できずにいた。
そんな時、自分をオリックスに導いてくれた故仰木彬前監督の写真を見つめた。宮古島キャンプ以来、遠征先でも部屋に飾ってある恩師を思うとふと、これまでにない考えが浮かんできた。「今こうして楽しく幸せに野球ができるのも、ジャイアンツ時代があったから。それを忘れたらあかんよな」。すでにパ・リーグが開幕し、テーマソングを流す神戸での本拠開幕が4日後に迫った3月27日。清原は長渕の留守電に「引退まで『とんぼ』で行かせてもらいます」とメッセージを残し、逆転の続投を決めた。
「あのまま野球を辞めていたら、人を憎んでいたかも知れない」。無念の戦力外通告から約半年。清原は現実を直視し、屈辱を良質のエネルギーに変えるまで前向きになっていた。巨人時代とは別人の笑顔がそこにある。「今の自分は、これまでのつらいことを全部受け入れて、受け止められるようになったんよ。だからジャイアンツに対してももう何とも思ってへん。感謝しても憎むことはない」。
人は悲しい体験と向き合うことを極力避ける。だが絶望やどん底と正面から向き合った時、そこに究極のプラス思考が生まれることがある。仕事で失敗したり、勝負事で負けたり、恋愛でしくじったりしても、くよくよしているだけでは何も始まらない。その挫折を貴重な体験と思い、次にどう生かしていくか。清原の「とんぼ」続投が大切なものを教えてくれた気がする。<歌詞>ウォウ、ウォウ、ウォウ、ウォウ、ウォウ、ウォウ。3月31日。初めて神戸にあのメロディーが流れた夜。背中で聴いて打席に向かう清原の姿に、私も涙が出そうになった。
April 5, 2006 11:16 AM
2006年04月04日
欽ちゃんが教えてくれた:村上秀明
伝説とも言える「欽ちゃん走り」に勇気づけられた気がした。
今日3日は、入社式に臨む新入社員の方も多いだろう。もうすでに式典を終えた企業もあるが、いわゆるフレッシュマンが社会人生活のスタートを切る。新年度の恒例だが、新鮮な気持ちになりワクワクできる「社会人1年生」を、本当にうらやましく思う。
ちょうど10年前。自分も真新しいスーツを着込んで、初出社したことを思い出した。目に入る光景がすべて新鮮で、緊張感もかなりあったと思う。今思えば笑ってしまうが、使い慣れない敬語を間違いながら使い、体を硬くしながら、いすに座っていた記憶がある。不安を抱きながらの初日だろう。
それでも、自分もそうだったが、不安の中でも「何かやってみたい」という野望は大なり小なり持っているはずだ。就職先が希望の業種ではないにしても「できればこっちをやりたい」という希望を持っている人の方が多いと思う。「1年生」がまぶしく見えるのは、このような向上心に満ちあふれている(ように見える)からだろう。
私事で恐縮だが、小学生のころ、テレビドラマ「事件記者チャボ」を見て、最初に新聞記者に興味を持った。俳優水谷豊が演じるトサカヘアーの新米記者が奮闘する姿にあこがれた。野球部に在籍した高校時代に、取材される側に立ち、さらに興味を深めた。心からやりたいものがある業種に入社できたのは、本当に恵まれていると思う。
ただ、入社10年目を迎え、つくづく実感することは「新鮮さ」を持ち続けることの難しさだ。新入社員のときには感じていたフレッシュ感が、まひしてしまっている。同じような毎日の連続。マンネリを感じながら、何とか打破したいと考え、それでも行動に移せない。世代に関係なく、そんな日々をこなしているだけのサラリーマンも多いと思う。
与えられた状況で、自力で何か楽しみを探しだす。言葉では簡単だが、そう実践できるものではないと思う。自分から徹底的に楽しもうとする姿勢は尊敬できる。タレントで、社会人野球クラブチーム「茨城ゴールデンゴールズ」の萩本欽一監督をテレビで見て、そう思った。3月31日の巨人の開幕戦で始球式を行っていた64歳の欽ちゃんに、笑いながら感心した。
マウンド周囲を「欽ちゃん走り」で回り、投球後も独特の足運びでグラウンドから引き揚げ、最後はとどめの「欽ちゃん跳び」。昔からの持ちネタを徹底的に披露し、エンターテイナーぶりを発揮。熱気漂う試合前の球場を盛り上げたが、本人が一番楽しんでいたように見えた。全身金ラメ衣装に身を包んだ欽ちゃんの生き生きしている姿がとても印象的だった。
新入社員当時のがむしゃらな気持ちを継続するのは難しいが、還暦を過ぎてあれだけはしゃげる欽ちゃんの前向きな姿勢が、思い出させてくれたような気がした。「楽しもうとする姿勢を忘れないこと」。
April 4, 2006 11:56 AM
2006年04月03日
老後の楽しみと挑戦:浜崎孝宏
米大リーグ・マリナーズが、1日(日本時間2日)でオープン戦の全日程を終了した。どの球場でも、あちこちに赤いポロシャツを着た年配の男女が点在し、各ゲートの警備やチケットのチェックを行うなど、年輪を顔に刻んだ? 人生の大先輩たちが大活躍だった。彼らは、報酬なしのいわば「シルバー・ボランティア」。マ軍の本拠地ピオリアの記者席入り口の「門番」をしていた白髪のエレガントな女性が印象的だった。「ハウ、アー、ユー」とあいさつすると「こんにちは」と返事が戻ってきた。英語に心もとない自分にとっては、普段、何げない日本語のあいさつの響きが、異国の地では、いっそう心和らいで聞こえてしまう。
声の主は米国人男性との結婚を機に、海を渡って54年になる79歳の日本人女性。現在はシアトル在住で、避寒地として別荘のあるピオリアを訪れる毎年3月の1カ月間、試合の手伝いをしているという。“グラウンド外の女性メジャーリーガー”はこう話した。「生活に区切りがついたし、日本人がメジャーに挑戦すると聞いたのでね。私も何か世の中の役に立ちたかったので、このボランティアに応募したのよ」。ボランティアを始めたのは、日本が誇るイチローがメジャー挑戦した01年から今年で6度目。「仕事をしながら、試合も観戦できるし楽しいわよ」と話してくれた。
細身の体で、メジャートップ級の活躍をみせるイチローの存在は、半世紀前の苦労が時折、脳裏に浮かぶ彼女にとっても希望の星だった。「私が米国に来たころは、戦後まだ10年たっていないころだったから。敗戦の影響か(米国人コミュニティーの)輪の中にも入れず、風当たりが強かったですから。今は生活をエンジョイしているけどね。イチローさんとか今度、入った城島さんがメジャーに挑戦する姿は誇りに思います」。生活に困っているわけでもなく、悠々自適に暮らしていい年齢。それでもなお、社会貢献を考えて試合の約3時間、立ち仕事をこなすことは、野球観戦の楽しみプラス、彼女なりの「挑戦」なのかも知れない。
数年前。中学時代のクラスメートと久々に再会し、「卒業文集で寄せ書きに自分が書いた言葉を覚えているか」と聞かれた。寄せ書きには、中央の円を起点にクラス全員が思い思いに筆を走らせ、将来の目標、座右の銘などが書き込まれていたという。もちろん「挑戦」という言葉も人気ワードの1つだったそうだが、私が書いた言葉は「人生、成り行き次第」だったそうだ。
遠い過去の話で、まったく記憶になかったが、友人にとってはその言葉が気になっていたようだ。「先のことなど分からないからそう書いたんじゃないの」と軽く答えておいたが、単純に面倒くさがりの性格が、そう書かせたのだろう。
老後に何をしようか、と最近、考えることがある。今は仕事で考える余裕もないが、定年後、遊んでばかりの日々は長く続かないし…。今の時点で老後につながる何かのレールを敷く準備をしなければ、と思うのだ。ボランティアをしながら野球を楽しむ年輩女性の姿に、自分にとって「老後の挑戦」は何かを考えさせられた。
April 3, 2006 11:35 AM
2006年04月02日
野球中継完全放送を:山内崇章
何だか周囲の反応が騒々しい。長く連絡のなかった知り合いから同じ話題の電話やメールが、この1週間で10件以上届いた。「今、どの球団を担当してるの? アメリカで取材してきたの?」「WBCを見て感動。思わずオープン戦を見てきました」「今年はチケットの手配をよろしく」…。昨日のセ・リーグ開幕で、桜満開となったプロ野球についての話である。
そのひょう変ぶりには違和感も覚えるが、ここ数年、野球人気が揺らぎ始めていた実態を考えれば、うれしい反応でもあった。ペナントの開幕直前に行われたWBCは、想像以上の効果をもたらしていることを肌で感じる。同大会決勝の視聴率は43・4%を記録、5000万人の国民が見たとも言われるが、つられるように3月25日のパ・リーグ開幕戦には3球場で10万人を動員した。
今回のWBCは米国で開催されたこともあり、多くの人が、テレビを通してあらためて野球の面白さを感じ取った。準決勝の韓国戦は、雨で45分も中断したため、開始から終了まで約3時間半の中継時間を要した。決勝のキューバ戦も3時間40分。しかし、最後の感動の瞬間を味わえると信じた私たちの中には、試合時間を長いと感じた人はほとんどいなかったと思う。
当然だ、とのファンの声も聞こえてきそうだが、テレビ局は試合終了の瞬間を見届けられる満足感を視聴者に与えてくれた。野球人気復活の兆しが見えたのは、何も活躍した代表選手たちだけの手柄ではないと思う。「最初から最後までの完全中継」という姿勢を貫いたテレビ局の方針にもあると素朴に思えた。
いまさらそんなことを認識させるきっかけを与えてくれたのもテレビ局だ。先日、ある民放局の定例社長会見を取材した。WBCの開催前に決まったことだが、今季の編成では野球中継の放送枠そのものの縮小と、延長放送の時間短縮が各局で顕著だ。日本テレビは開幕カードで試合終了までの放送枠を確保する気概を見せるが、4月の段階から昨年終盤と同様の15分しか設けていない局もある。
鉄は熱いうちに打つべきではないか。ある民放幹部に延長時間の縮小理由を聞いた。幹部は、後番組への視聴者ニーズ、前年の視聴率の実績を説明した上で「ペナントの盛り上がりの様子をしばらく見たい」との回答。視聴率の激しい争いの世界では、野球を再び強力なコンテンツに押し上げる余裕もないという本音も聞こえてきた。
最大多数の視聴者ニーズに応えたい気持ちは分かる。しかし、これまでも視聴率の伸び悩みに、悪戦苦闘してきた民放だけに、野球を魅力あるコンテンツに再昇格させる最大のチャンスが今、訪れているのではないだろうか。
野球は最後の瞬間を映してこそ、面白みや感動がファンにより一層伝わる。今回のWBCがそれを証明している。試合の最初から最後まで見たいと思う現役野球ファンは、今回の縮小傾向により、お金を払ってでもCS放送で視聴する方法に切り替えるだろう。それでも、帰ってきた元野球ファン、ようやく野球に興味を持ち始めた無党派層が、野球と身近に接する窓口は地上波放送である。テレビは野球の感動を多くの人に伝える力を持っている。
April 2, 2006 11:57 AM
2006年04月01日
著作権は誇りと責任:小林千穂
映画でよくあるディレクターズカット。劇場公開から間を空けて公開したり、DVDなどで「完全版」などと銘打って発売する手法が多い。公開時に上映時間や表現などの問題から、削られてしまった部分を復活するパターンだ。新たな発見があって、なかなか楽しい。モーツァルトが主人公の、米国の「アマデウス」(85年)という映画が好きで、何度もビデオで見ていたが、4年ほど前にディレクターズカットが公開された。復活した約20分のシーンのおかげでごく自然に物語が進行し、ない方が不自然だったんだなと感心した記憶がある。
こういう驚きなら大歓迎なのだが、最近、韓国の某作品でディレクターズカットならぬ、海外公開バージョンと韓国公開バージョンを立て続けに見た。バージョンが違うといっても、そうそう変わらないだろうと思っていた。しかし、オープニングから、雰囲気も焦点を当てる人物もまったく違っていたので、物語にというより、これどうなってんの、という方で引き込まれてしまった。
どうやら、俳優が所属する事務所の「うちのイチオシ、何でこんなに目立たないんですか。編集し直してください」という猛プッシュでこういう事態になったらしい。監督は譲れない部分もあったようで、海外では本来のバージョンで上映してほしいということになったそうだ。どちらが好きかは、好みの問題なのだが、ここまで変えられてしまうのもどうなんだろうか。
日本でも同じようなことが起こる。そもそも、監督に著作権はなく、製作会社もしくは複数社による製作委員会にある。映画監督協会は「映画監督って何だ!」という作品を作って、著作権を自分たちの手に、という運動を始めた。この映画の話を聞いた時、すぐにディレクターズカットを思い浮かべたが、当の監督たちにとっては、それだけの単純な問題ではないらしい。作品の広報をする梶間俊一監督は「誇りの問題」と話す。アイデンティティーを持ちたいのだ、と。
監督が気に入らなければ上映されなかったり、名画座にかからなくなってしまうといった危ぐは否定する。まず、著作権を持っていて、それを契約で貸し出す形にしたいという。アイデンティティーを確立したいという言葉が、あの韓国作品を見ると、実感をもって伝わってくる。
150人以上の映画監督がスタッフ、キャストとしてかかわった「映画監督って-」は、3月24日に東京・池袋
