2006年03月26日
VTRで誤審訂正を:松井清員
WBCの日本優勝には久しぶりのハッピーエンドを見た。微妙な判定に泣いた米国戦惜敗も、準決勝進出が一時絶望的となったイチローが「野球人生最大の屈辱」と語った韓国戦敗戦も全部チャラ。ここ一番で打たれた選手も打てなかった選手もミスした選手も、みんなが救われた。見ている方も最高に温かい気分だ。
だがどうしても気になることがある。例の審判問題だ。日本-米国戦ではタッチアップをめぐってセーフがアウトになり、メキシコ-米国戦では本塁打がフェンス直撃と判定された。いずれもデービッドソンという審判員が下した判定なのだが、この際彼の技量、思惑は棚に上げたい。それよりも問題は、間違いを間違いと正せない判定方法にあるのではと思えてならない。
審判を6人に増員したり技術向上に励んでも、常時100%正確な判定を下すのは不可能に思う。いくら「プロ」とはいえ精密機械ではない。審判も我々と同じ生身の人間だからだ。体調や感情、また死角でのプレーにより必ず誤審は発生する。特に際どい場面では「審判の目」だけに責任を押し付けるのは酷にも感じる。人間は必ず間違いを犯す。それを認めた上で、選手やファンが納得できる新しい運営方法を模索していくべきではないだろうか。
その1つにVTRの活用がある。日本では大相撲が先駆けだが、世界でもすでにNFLやNBAの一部で採用。また全米テニス協会も今年の4大大会からの採用を決め、プレーが連続するサッカーですら導入賛成の声が上がってきた。今や映像は年々ハイテク化。テレビ観戦していてもプレー後1分以内でVTRが再生され、判定の正誤が一目瞭然(りょうぜん)で確認できる。その時審判が「判定は絶対」と主張しても何の説得力もない。逆に誤審の場面が何度も再生されるほど「威厳」も失墜するように思えるのだ。
もちろん日本プロ野球でもVTR活用問題は何度も議題に挙がってきた。特に99年は巨人清原が甲子園で放った本塁打がフェンス直撃と判定されるなど、外野飛球でモメたケースが5件もあった。だがセ理事会は野球規則にある「審判員の判断に基づく裁定は最終のもの」を根拠に却下。理由は「審判員の判定は絶対的で、ビデオ活用は審判員の存在を否定することになりかねない」というものだった。果たしてそうだろうか。今の時代、VTR活用こそ審判の存在を「肯定」できるのではないだろうか。
ある在阪審判員は言った。「私たちは1度判定を下してしまうと、たとえ間違いと分かっても、間違ってないと言い続けなければならない。これは非常につらくて苦しいことです。だからVTRの導入はある意味賛成です」。また日刊スポーツが00年に球宴出場選手60人に実施したアンケートでも、半数近い27人から「本塁打やフェア、アウト、セーフなどプレーが止まるケースで導入を検討しては」との意見が寄せられた。
人間にはミスがある。それをすぐ訂正すれば、だれも責めないのではないか。日本では現在沈静化しているが、そのうち起こるであろう誤審で問題が再燃するのは間違いない。「誤審も野球の一部」の時代は、もう終わったのではないだろうか。デービッドソン審判員の本音も聞いてみたい。
March 26, 2006 11:22 AM
