記者コラム「見た 聞いた 思った」

2006年03月25日

おばあちゃんと原田:村上秀明

 3日前、北海道釧路市阿寒町の雌阿寒(めあかん)岳(1499メートル)が噴火した。降灰はあったが、ごく小規模なもので、現時点では大規模な噴火につながる心配はないというが、いい気分ではない。北海道は十勝岳、駒ケ岳など多数の活火山を抱え、天災に悩まされてきた歴史がある。今回も、火山に詳しいおなじみの大学教授が分析する様子がテレビに映っていた。「あれから丸6年か」と記憶がよみがえってきた。

 2000年3月31日。火山活動が活発化していた北海道の有珠山(標高737メートル)が噴火した。住民の避難を伴う噴火は77年8月以来で、水蒸気爆発で5つの火口ができ、噴煙の高さは約3200メートルに達した。山ろくの虻田町は、札幌から車で約2時間の地点だが、テレビに映し出された黒い空と噴火シーンは、つくられた特撮映像のようで、現実に受け入れるまで時間がかかったことを覚えている。

 札幌からも取材陣が飛び出していった。自分も避難所や町役場を回ったが、想像以上に過酷な現場だった。民宿が主体となる近隣の宿泊先はどこもいっぱいだった。確保できた10畳1間の部屋に4~5人の雑魚寝なら、まだましな方で、車中泊もあった。起床すると、車のフロントガラスに積もった降灰で現実に引き戻された。

 もちろん、もっと過酷だったのは被災者だった。避難生活をしていた虻田町民の中には、風呂や洗濯の場所確保や受け入れ先の諸事情で、最初の1週間で4回の避難所移動を余儀なくされた住民もいた。体育館の冷たい床に毛布を敷いて寝る生活に、相当のストレスがたまったはず。最終的に約40キロ離れた長万部町まで避難した町民の憔悴(しょうすい)しきった表情を見続けると心が痛んだ。

 何人もの避難住民の叫びを聞いたが、70歳代と思われるおばあさんだけは今でも鮮明に覚えている。避難所の隅に1人ぼっちで毛布にくるまり、配給されたジャムパンをかじっていたとき、声を掛けた。一通り現状を聞いた後「大変ですね」と声を掛けると、こう返ってきた。「また町さ、戻ったら畑(仕事)をやるよ。ボロになったけど生きているし、新聞屋さんも遊びにおいで」。そのたくましさに、逆に勇気づけられた。

 「ボロボロになるまで飛んでいたい。その願いはかなった」。スキージャンプの原田雅彦は20日の引退会見でそう話した。世界現役最年長選手として37歳になってまで空を飛んだ。98年長野五輪団体の金メダリストだが、ここ数年は惨敗が続いた。プライドは何度も傷ついただろうが、それでも飛び続け、自らの美学を最後まで貫いたように見えた。

 スポーツ選手の考えの中には「惜しまれながらやめたい」と、余力を残しながらの引き際もあるだろう。その姿勢に正解、不正解はない。ただ、避難所のおばあさんと原田の2人に共通することは、例え格好が悪くても必死に歯を食いしばり、前に突き進んだ、もしくは突き進もうとする姿だと思う。それは、とてもかっこいいと感じた。

March 25, 2006 11:22 AM