記者コラム「見た 聞いた 思った」

2006年02月26日

得点より自分の演技:荻島弘一

 「別にメダルがなくたって、いいんじゃない」。トリノ五輪が始まって以来、毎日のように「日本はメダルを取れるのか」と聞かれた。そのたびに答えていたのは「日本のメダルを見ることだけが、オリンピックじゃない」だった。でも、やはり日本がメダルを取ると気分は違う。それが金メダルなら、なおさらだ。

 フィギュアスケート女子の荒川静香が、優勝した。お米のテレビCMで「金の芽がある」と繰り返していたが、まさか本当に金を取るとは思わなかった。下馬評では、スルツカヤやコーエンらの方が優位だったはず。ところが、荒川の演技は群を抜いて素晴らしかった。見事な優勝だった。

 「五輪のフィギュアでは日本人は優勝できない」という先入観があった。過去の例でも、世界選手権では勝てても、五輪では勝てなかった。採点競技はいつも欧米中心、日本人は常にハンディを背負っているように感じてならなかった。

 基本的に「美」を争う採点競技では、どうしても日本人は不利になる。手足の長い欧米人に比べ、見栄えの点で劣るからだ。いくら採点基準を細かく規定し、演技に対して客観的な評価を下そうとしても、採点競技である限り「主観」の部分は残る。タイムを争うわけでも、1対1で対戦するわけでもないからだ。

 そんなハンディがあるからだろう、日本のフィギュアはジャンプのイメージが強い。92年アルベールビル五輪で伊藤みどりはトリプルアクセルを武器に銀メダルに輝いた。今大会の安藤美姫も、4回転ジャンプが持ち味だった。見ている方の我々も、フィギュアを「氷上のジャンプ合戦」ととらえていたかもしれない。

 ところが、荒川の武器は違った。新採点基準では得点にならない「イナバウアー」にこだわった。「得点を稼ぐ」ことより「自分の演技を見てもらいたい」という気持ちだったのかもしれない。「メダルが取れるとは思わなかった」は、どこまで本心か分からないけれど、少なくとも「メダルを取るためだけ」に演技したわけではないだろう。

 直接得点にはならなくても、確実にイナバウアーで観客は乗った。審判も乗せられた。自分の信念を貫いたからこそ、成功した。

 静香は源義経の側室だった静御前から名付けられたという。後白河法皇に「日本一の舞」と言われた白拍子の静御前は、頼朝の前で「しづやしづ」と義経を思い続ける歌をうたって舞い、頼朝を激怒させた。そういうしんの強さが、荒川にはあるのかもしれない。

 スルツカヤがジャンプするたびに、心の中で「転倒しろ」と思ってしまった。恥ずかしい話だが、きっと多くの日本人の思いは同じだったはずだ。思えば、今大会は「転倒」が大きなキーワードだった。雪や氷の上で争うという、非日常の競技。だからこそ、ドラマが生まれる。転倒したスルツカヤやコーエンが敗れ、転ばなかった荒川が勝った。

 軟らかい氷に苦しんだスピードスケートの低迷、スノーボードやフリースタイルスキーの世界の壁、カーリングの奥深さ。4年に1度の五輪は、多くの物を残してくれた。やっぱり、オリンピックは面白い。

February 26, 2006 01:39 PM