2006年02月21日
切ない「申し訳ない」:山内崇章
明け方に見たテレビから、老夫婦の切ない最期が伝えられた。誰の責任で、なぜ急ぐ2人を止められなかったのか。落としどころの見つからない、悲しい最期に思えた。
【2月14日】新潟県長岡市の男性会社員宅の1階寝室で、男性の父親(88)と母親(81)が亡くなっていた。長岡署によると、母親はベッドで右腕を刃物で刺され、父親はベッドの脇で首をつっていた。部屋には「お世話になって申し訳ない」と書かれた遺書が置かれていた。無理心中とみられる。老夫婦は新潟県中越地震の被災者で、旧山古志村(現長岡市)に住んでいたが、自宅倒壊のため二男宅に身を寄せていた。
地震から1年4カ月が経過した。国からの助成金は、全壊で最高300万円。経済的困難、精神的孤立。震災のつめあとは、いまだ消えていないことを思わせるニュースにも思えた。
新潟出身の同僚記者がこんなことを話していた。
「新潟県民は、雪に耐えてきた土地柄、国に不満があってもぐっとこらえる。人に迷惑を掛けられない。その我慢強さは、家庭内も同じ。過疎が進み、親と子が離れて暮らすことが当たり前のようになって、子にも迷惑を掛けたくないと思う人が多いんです」。
国、県の援助が十分であるかという議論は別の機会に譲りたい。老夫婦が家族に向けた「申し訳ない」という言葉が、あまりに痛切に思えた。生きることに、人の世話になることに後ろめたさを感じた2人の心の重み。息子家族に向けた言葉だからなおさらやるせない思いに駆られる。
幼いころを思い出した。まだ小学校低学年のころ。秋田市内から車で2時間、県南部の母親の実家に帰省することが、私にとっての最高の楽しみだった。年に2回、夏休みと冬休み。祖母は、私の父によく話していた。「申し訳ないね。こんな山奥まで運転させて」。孫の顔、娘の顔を見るのに、なぜ謝るのか。子供心に疑問を感じた。
除雪も行き届かない開拓地の農村だった。6人の子供、その孫の帰りを心待ちにした老夫婦は、私たちの到着に備えて雪かきをしていた。少し濃いお雑煮は、心を込めてだしを取ってくれていたからだろう。
10年前にも祖母は「申し訳ない」という言葉を口にした。末期がんで秋田市内の長男宅に身を寄せたときだった。母に、叔父夫婦に、しわくちゃの顔で。腰が曲がり、食も進まないのか、大人になった私には、祖母が本当に小さく見えた。
あと10年もすれば、私の両親も祖母の年齢になる。申し訳ない-。親からは聞きたくない言葉だ。若い世代が、当たり前のように選択する核家族のライフスタイルを受け入れ、田舎暮らしの自分たちを時代遅れの生き方として認めた言葉なのかもしれない。
新潟の悲劇の原因は、短いニュースだけでは把握できない。ただ、老いた世代が、幸せに生き抜くことが難しい時代になっていることを示したようにも思える。高齢化が突出する過疎地域ではなおさらだ。私たち子の世代が、けたたましい警鐘を鳴らされた気もする。苦労して、大切に育てられた私たちだ。親には「申し訳ない」の言葉よりも「ありがとう」と言われたい。
February 21, 2006 10:03 AM
