記者コラム「見た 聞いた 思った」

2006年02月28日

まだ走る52歳名脇役:岡山俊明

 何度叫んだことだろう。「大塚、そのまま!」。玄人好みの騎乗でうならせた大塚栄三郎騎手が、今月限りで29年間の騎手人生に別れを告げた。引退セレモニーを辞退して、静かに身を引いた。派手なパフォーマンスを嫌う、いぶし銀の男らしい引き際だった。

 94年カブトヤマ記念を最後に12年間も重賞勝ちから遠ざかっていたから、競馬を始めたばかりのファンにはなじみが薄いかもしれない。G1も勝っていない。最近はレースにも乗っていなかったが、全盛期は「逃げの大塚」がレースの行方を左右した。欠かせない名脇役で、時に主役を食った。忘れたころに出す大穴は、本命党を嘆かせた。重賞15勝中5勝を、10番人気以下の人気薄で挙げている。

 中央競馬担当に復帰して間もない昨年正月、関東NO・1の藤沢和厩舎で調教を手伝っていると知り、足を運んだ。朝の調教後、ごみ出しなどの雑用もテキパキとこなす大ベテランの顔には、生気がみなぎっていた。「土日は午前1時半起き。昔の4倍働いているよ。あんちゃん(見習い)のころを思い出すね」と目を輝かせていた。騎乗機会は訪れなかったが、2日に1度の減量を欠かさず、体重を50キロに保つプロ魂には感心させられた。

 それからしばらくして調教助手に転身する計画は頓挫し、10月で藤沢和厩舎を離れた。トレセンで姿を見ない日が続いた。ドウカンヤシマ、サニーライト、ハシノケンシロウ…。昔、大好きだった馬たちの背には大塚騎手がいた。いてもたってもいられずに自宅のベルを鳴らした。「どうしたの? まあ上がって」。職人かたぎで近寄りがたかった雰囲気はすっかり消え、穏やかな笑顔で迎えてくれた。

 小学校の卒業アルバムに残る馬の絵は、大塚少年が描いた。「夢はかなえられたからね。良かった。デビューして10年ぐらいが一番乗っていたかな」。一番悔しい思い出は、サニーライトで挑んだ菊花賞。「後ろの馬にトモ(後ろ脚)を引っ掛けられて競走中止。後ろから鉄砲で撃たれたようなものだよ。馬は安楽死さ。(ダービー馬の)ダイナガリバーなんて併せ馬で相手にしなかったんだから、惜しいことをした」と悔いた。

 主催者から重い処分を科されたこともある。「駅から京都競馬場に向かう途中、ファンと意気投合して飲んじゃった。向こうはジョッキーとは気付かなかったけど。競馬場入りが遅れて結構食らったな」。

 思い出話は尽きなかったが、華やかな騎手稼業も馬から下りてしまえば厳しい現実が待っている。職探しの日々。望んでいる調教助手のクチは、年功序列による高賃金が障害となってなかなか見つからない。また、年配者を使いにくいと感じる調教師も多い。

 「体づくりをしないと、少しの歩様の違いを感じ取れない。脚元は見られると自負しているよ」。トップ厩舎で学び、実戦経験も豊富な52歳の知識や技術をこのまま埋もれさせてしまうのは、あまりにも惜しい。トレセンで再会できる日を信じて待ちたい。

February 28, 2006 12:12 PM

2006年02月27日

異国というストレス:千葉修宏

 1人の人間として、そして子供を持つ親として、耐え難い事件が先日、起きました。滋賀・長浜市で幼稚園児2人が刺殺され、同級生の母親が逮捕された事件です。

 中国・黒竜江省出身の容疑者は、99年に来日。長女が幼稚園で仲間外れにされていると考え、犯行に及んだとされています。また容疑者自身が周囲のお母さんから相手にされていないと一方的に思い込み、孤立感を深めたことも事件の背景にあるそうです。

 かけがえのない小さな2つの命を簡単に奪い去ってしまう短絡性もさることながら、自分の長女が助手席に乗っていたとされる車の中で人を殺すという異常性は、とても人の親とは思えません。ですが、この事件は海外で生活することの多い僕のような人間にとって、ある意味、人ごとでないのもまた事実です。

 この容疑者は警察の調べに対し、「日本になじめない」という供述をしているそうです。文化の違いからくるストレスが少しずつ蓄積していったことも、犯人の異常性を引き起こす要因になったのではないでしょうか。とはいえ、なじめないから帰国する…という考えは、なかなか現実的ではありません。結婚をし、子供を持ち、日本に生活基盤を築いた以上、なじめないから「はい、さよなら」とはいかないからです。

 僕は今、大リーグ・ヤンキースの取材のために米フロリダ州に滞在しています。米国にも日本人をはじめ、外国人はたくさんいます。僕は小さいころからスポーツや音楽などアメリカ文化にあこがれて育ってきた「アメリカかぶれ」なのでそれほどではありませんが、異国で暮らす多くの人は、多少なりともストレスを感じた経験があるのではないでしょうか。

 昨年、米西海岸のある名門球団に取材を申し込んだ時のことです。Eメールで申請したのですが、球場の受付に行くと「ウチはEメールでの申請は受け付けていない。ファクスだけだ」の1点ばり。取材パスを出してくれませんでした。対応した男性に「特例でパスが出ないか、広報部に聞いてください」と言うと、「自分で電話しろ」と番号の書かれた紙切れを投げてよこされました。

 さらに球場のロビーで東京の上司に事情を説明する電話をかけていると「うるさいから出て行け」と、追い出される始末。幸い、見かねた別の球団職員の方が、「オレが何とかしてやる」と、僕の名刺を持って球団上層部に直談判してくれて、取材パスが出ました。このような必死のやりとりを母国語ではない英語でやっていると、ストレスからどっと疲れが出ます。

 今後も日本にやってくる外国人はどんどん増えるでしょう。もちろん今回の滋賀の事件の原因を周囲の環境にすり替えるようなことがあってはいけません。どんな理由であれ、人の命を奪って良いということにはならないからです。ですが悲劇を2度と繰り返さないためにも、僕ら日本人は、外国人が不安やストレスを感じずに暮らしていけるように、常に精神的ケアを考えていく必要があります。それが事件の再発防止につながるのではないでしょうか。

February 27, 2006 11:39 AM

2006年02月26日

得点より自分の演技:荻島弘一

 「別にメダルがなくたって、いいんじゃない」。トリノ五輪が始まって以来、毎日のように「日本はメダルを取れるのか」と聞かれた。そのたびに答えていたのは「日本のメダルを見ることだけが、オリンピックじゃない」だった。でも、やはり日本がメダルを取ると気分は違う。それが金メダルなら、なおさらだ。

 フィギュアスケート女子の荒川静香が、優勝した。お米のテレビCMで「金の芽がある」と繰り返していたが、まさか本当に金を取るとは思わなかった。下馬評では、スルツカヤやコーエンらの方が優位だったはず。ところが、荒川の演技は群を抜いて素晴らしかった。見事な優勝だった。

 「五輪のフィギュアでは日本人は優勝できない」という先入観があった。過去の例でも、世界選手権では勝てても、五輪では勝てなかった。採点競技はいつも欧米中心、日本人は常にハンディを背負っているように感じてならなかった。

 基本的に「美」を争う採点競技では、どうしても日本人は不利になる。手足の長い欧米人に比べ、見栄えの点で劣るからだ。いくら採点基準を細かく規定し、演技に対して客観的な評価を下そうとしても、採点競技である限り「主観」の部分は残る。タイムを争うわけでも、1対1で対戦するわけでもないからだ。

 そんなハンディがあるからだろう、日本のフィギュアはジャンプのイメージが強い。92年アルベールビル五輪で伊藤みどりはトリプルアクセルを武器に銀メダルに輝いた。今大会の安藤美姫も、4回転ジャンプが持ち味だった。見ている方の我々も、フィギュアを「氷上のジャンプ合戦」ととらえていたかもしれない。

 ところが、荒川の武器は違った。新採点基準では得点にならない「イナバウアー」にこだわった。「得点を稼ぐ」ことより「自分の演技を見てもらいたい」という気持ちだったのかもしれない。「メダルが取れるとは思わなかった」は、どこまで本心か分からないけれど、少なくとも「メダルを取るためだけ」に演技したわけではないだろう。

 直接得点にはならなくても、確実にイナバウアーで観客は乗った。審判も乗せられた。自分の信念を貫いたからこそ、成功した。

 静香は源義経の側室だった静御前から名付けられたという。後白河法皇に「日本一の舞」と言われた白拍子の静御前は、頼朝の前で「しづやしづ」と義経を思い続ける歌をうたって舞い、頼朝を激怒させた。そういうしんの強さが、荒川にはあるのかもしれない。

 スルツカヤがジャンプするたびに、心の中で「転倒しろ」と思ってしまった。恥ずかしい話だが、きっと多くの日本人の思いは同じだったはずだ。思えば、今大会は「転倒」が大きなキーワードだった。雪や氷の上で争うという、非日常の競技。だからこそ、ドラマが生まれる。転倒したスルツカヤやコーエンが敗れ、転ばなかった荒川が勝った。

 軟らかい氷に苦しんだスピードスケートの低迷、スノーボードやフリースタイルスキーの世界の壁、カーリングの奥深さ。4年に1度の五輪は、多くの物を残してくれた。やっぱり、オリンピックは面白い。

February 26, 2006 01:39 PM

2006年02月25日

おかしい地検の対応:桐越聡

 ライブドア前社長堀江貴文容疑者が武部勤自民党幹事長の周辺へ資金提供したとされる問題。疑惑があるのなら真相が解明されないまま終わってほしくない。メールの信ぴょう性を立証できない民主党永田寿康議員が辞職の意向を固めたと聞き、そんな思いがした。

 問題の本筋からはそれるが、衆院予算委員会でこの問題が初めて取り上げられて以降、引っ掛かっていることがある。永田議員が指摘した数時間後、東京地検の次席検事が「メールの存在や指摘された事実関係は、全く把握していない」というコメントを発表したことだ。

 ライブドア事件は捜査中なのに押収した資料のことをしゃべっていいのか。自民党が否定するのは分かるが、メールのコピーが本物かも分からない時点で、どうして東京地検が否定しなければならなかったのか。このようなコメントを出すのは異例だと聞いて、ますます分からなくなった。

 翌日、衆院予算委員会を傍聴していると、民主党の原口一博議員が法務省に食って掛かっていた。

 原口議員「過去に捜査中の個別の事案で、押収した証拠について答えたことがあるのか」。

 法務省刑事局長「捜査機関の具体的な活動内容を明らかにすることは通常、差し控えるべきだと考えている。しかし、報道機関などの関心が高く、捜査への支障がもたらされる恐れも特段ないと認められたことから公表した」。

 過去、法務省は国会などで「捜査中のことには答えられない」としていた。国民や報道機関の関心が高いのはライブドア事件に限ったことではない。なのに今回だけは、あの堀江容疑者がかかわったとされる問題だから、として捜査中のことを公にしている。何だか腑(ふ)に落ちない。

 専門家の意見を拝聴したくて元最高検検事の土本武司さんに電話してみた。

 土本さん「次席検事は不用意だったと思います。捜査中はイエスとも、ノーとも答えないのが妥当です。“霧のロンドン”は、徐々に霧がはれてロンドン塔やテムズ川が見えてくるように、捜査も実態は徐々に浮き彫りになるもの。霧が一部しかはれていないのに公表しては、捜査や公判に悪影響を与えることになります。捜査の本質である密行性に照らして、コメントするのは控えるべき。報道機関の関心が高いからと、事件を区別するのも好ましくない」。

 法務省は今後、ライブドア事件と同じぐらい注目される事件の場合、どのように対応するのだろうか。今回は関心が高いからと発表し、次回以降は「捜査中のことは…」と以前の対応に戻すのは無理がある。そもそも、起訴前に捜査にかかわることが公表されることがおかしい。今回が“あしき前例”になったり、将来、法務省幹部が「あのときは…」と、苦しい“言い訳”を連発するようなことにならなければいいのだが…。

 渦中の堀江容疑者はときに社会の反発を浴びながら巨大な“台風”のように、既成概念や時代の閉塞(へいそく)感を打破した。今回、東京地検も、ある意味ではその“台風”に巻き込まれ、開けてはならない扉をとっさに開けてしまったのではないか-。そんな気がしている。

February 25, 2006 12:17 PM

2006年02月24日

宮古島の夢は甲子園:松井清員

 このほど沖縄・宮古島から甲子園を目指すプロジェクトチームが発足した。その名も「夢実現! 行くぞ! 甲子園 宮古島応援団」。地元企業や野球関係者らが島を挙げて取り組み、5年以内に地元校を晴れの舞台に送り出そうという試みだ。前回に続いて、オリックスキャンプ地・宮古島の取り組みを紹介する。

 近年離島勢の活躍は目覚ましい。隣の石垣島からは今春、八重山商工が初のセンバツ出場を決めた。徳之島も昨秋の鹿児島県大会準優勝で甲子園まであと1歩と迫った。また03年には21世紀枠で隠岐(島根)がセンバツ出場。そうした離島勢に負けず劣らず、宮古島の野球熱も盛んなのだ。

 甲子園をかけた昨夏の沖縄県大会では宮古高が、その年のセンバツ8強の強豪沖縄尚学に1点差負けでのベスト4。中学では軟式野球でこの2月に平良中が県準優勝。小学生でも昨夏、軟式学童大会で平良第一小が全九州を制するなど、選手レベルも高い。

 だが中学を卒業した球児は甲子園への近道として、沖縄本島の常連校に進むケースが目立つ。昨年も10人ほどが沖縄水産や沖縄尚学、中部商などに進学。中には主将や4番、エースを務めている選手までいる。皮肉なもので、宮古島出身選手がいる強豪校に「島の高校」が甲子園を阻まれたこともある。そんな時に立ち上げられたのが「宮古島応援団」だった。

 地元でホテルを経営する平良勝之団長(58)は言う。「人口5万6000人の小さな島だけど、草野球チームだけで100もある。今も昔も娯楽と言えば野球の島。“オール宮古島”の子どもたちがそろえば、きっと勝てる。宮古島から甲子園に出れることが分かれば、若い人も島を出て行くことはないと思うんです」。

 1番のターゲットは進路のカギを握る中学生だ。「応援団」が新設したのは「全宮古島中学校野球大会」。2月25日に開幕し“宮古島から甲子園へ”を大いに呼び掛ける。離島のハンディで、練習試合の相手も島内3校に限られる高校では、毎年4月末に春の県大会4強の1校を招待。親善試合を組んで全国レベルを体感させる。関西方面への遠征も計画している。指導者のスキルアップを目指した人事交流も進めて行く方針だ。島の翔南高野球部・宜保政則監督(38)は「島の子どもたちはもともと能力が高い。甲子園へのチャンスがグンと広がります」と感謝を口にした。

 もちろんオリックスが宮古島野球の底上げに果たしている役割も大きい。キャンプは今年で14年目となるが、毎年野球教室を開催。島外に出る有望選手もそこで幼いころから助言を受け、成長して行くのだという。宮古島オリックス協力会の事務局長も兼務する平良団長は言う。「島の子どもたちは純粋です。その時は選手の名前が分からなくても、プロ野球選手に掛けてもらった一言はいつまでも財産になっているんです」。

 宮古島ならでは、宮古島にしかできない取り組みがそこにある。島での合言葉は「オリックスの(96年以来の)日本一が先か、宮古島から甲子園出場が先か」。どちらも実現は、そう遠くないかも知れない。

February 24, 2006 11:05 AM

2006年02月23日

日本のすごさ見たい:村上秀明

 現在取材中のイタリア・トリノで指圧の浪越さんを思い出した。

 故浪越徳治郎さんは、自分が住む北海道に深い縁がある。ルスツリゾートで有名な北海道の留寿都村の「赤い靴ふるさと公園」に、両手の親指を突き出して、大笑いする銅像がある。近づくと本人の豪快な笑い声が聞こえる仕掛けで人気がある。「指圧の心は母心 押せば命の泉わく」は有名な言葉だ。

 浪越さんは7歳で香川県から留寿都村に移住。厳しい寒さでリウマチを患った母をもんだのがきっかけで、独自のマッサージの道を切り開いた。ツボを押す術を「指圧」と名付け、北海道室蘭市で開業。女優マリリン・モンローにも計7回施した「指圧」は浪越さんの造語だ。

 トリノ五輪を報道する世界各国のメディアが集うメーンメディアセンター(MMC)は、いろいろな施設が集結したエリアだ。日本の各社はブースを持ち、記者会見が行われる部屋もある。レストランはもちろん郵便局、クリーニング店、カメラ店、雑貨店、グッズの売店などが、24時間態勢の仕事場を支えている。
 その中で「Shiatsu Massage」のコーナーが連日、にぎわっている。マッサージ専用席が8つほどあり、現地のボランティアスタッフが無料で指圧を担当する。メディアに対するサービスで、02年ソルトレークシティー冬季五輪のMMC内でもあったそうだ。

 1度だけ世話になり、30分ほど背中を押してもらったが、まずまずの感触だった。行列ができていて順番まで少し待ったが、欧米、アジアなど肌の色は関係なく指圧を受けていた。「指圧という言葉を万国共通語にしたい」が浪越さんの生涯の夢だった。日本で生まれた「SHIATSU」が、立派に世界に浸透していると感じた。

 MMCに隣接するショッピングモール内には、「TERIYAKI」という名の店がある(実際は、ご飯やめんの上にのせた野菜や肉に、たれをかけているだけだが)。メニューの1つには、9ユーロ(約1260円)の「SUSHI」もある。木製の船の形をした器に10貫。現地の人がハシを使い食べている姿を見ると、なぜだか誇らしく思う。

 トリノ市は、イタリアの自動車メーカー・フィアットの本拠地があり、自動車工業で発展してきた。そんな町の中心街で日本車を何台も見掛けると、これも誇らしく思う。仕事の合間に食べているインスタントラーメンも、思えば日本から世界に普及したものだ。海外に出てあらためて気付く「日本ってすごい」という部分は多い。

 残りわずかになったトリノ冬季五輪だが、なかなか力を発揮できず、メダルという結果にたどり着かない。それでも風邪をおして気力で戦ったスピードスケートの岡崎朋美、がんを克服した日本生まれのフィギュアスケート井上怜奈(米国代表)ら、頑張りが伝わってくる姿に感動をもらっている。

 「日本ってすごい」。結果でも、内容でもいい。最後にそんな感動、感激が少しでも感じられたらいい。

February 23, 2006 11:07 AM

2006年02月22日

WBCで球界のスーパースターを:浜崎孝宏

 ソフトバンクのキャンプ地・宮崎からマリナーズ城島の取材で、米アリゾナ州ピオリアにやって来た。宮崎の日差しも2月とは思えなかったが、初めて足を踏み入れたピオリアの太陽もまばゆいばかりだ。日中の気温は20度超。壮大な砂漠地帯にできた町は、山に囲まれ、高さ10メートル超のサボテンを間近に見ることができる。景観を損ねぬように建造物の壁の色も茶系色に統一され、高層ビルも見当たらない。自然と人間生活が見事にマッチした美しい町だ。

 城島がキャンプを行う球場施設もそんな景観の中にある。そこで、城島獲得に貢献したマリナーズのテッド・ハイド環太平洋スカウト部長に出会った。日本語が堪能な人物で、名刺を手渡すと話題は、日本人のメジャー挑戦に関する話題に及んだ。「日本でもメジャーで通用する選手は何人かいます。松坂、上原とか…。でもメジャーに来るか来ないかは、本人のハート次第ですね。日本でも年俸が高くなり、安定を求めるならメジャーに来る必要もないですから」。

 城島も日本なら正捕手の座は揺るぎなかったが、さらなるレベルアップを求めて海を渡った。日本語と英語のコミュニケーション不足を解消するため、城島は週3回の「別メニュー」で英語のレッスンをこなし、言葉の壁を埋めようと必死だ。こちらの選手を尊重しながら、なおかつプレーをアピールしなくてはならない。チームの一員として、メジャーリーガーとして、生き抜くためには自分をメジャーにアジャストしていこうと努力している。

 しかし、何か悔しい。日本の一流選手がメジャーに流失していく現状。日本球界の人気低下が叫ばれる今だからこそ、日米球界が共生する方法はないかと思う。もちろん「メジャーが世界NO・1リーグ」ということは認めるが…。3月開催のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)でお互いの国が盛り上げて、今後レベルアップしていけば日米、中南米、アジアの選手交流もより盛んになるのではないかと思い、ハイド部長聞いてみた。だが「それはちょっと難しいかもね。メジャーのオーナーはお金が好きですからね(笑い)。(WBCなど国際大会で)交流が盛んになればいいと思っているのは、資金に乏しい球団じゃないんでしょうか」と話した。球団経営は商売。「球団を強くして人気を上げ、モノを売る」という考えは正論だ。自分が思う日本びいき? の考えは残念ながら打ち消された。メジャー人気が衰えを見せれば、球団経営が苦しくなるのは当然、ある。しかし、もう1つの考え方として世界各国が野球の面白さを理解していくことで、サッカー界のロナウド(ブラジル代表)ジダン(フランス代表)のような世界的スーパースターが生まれ、世界規模でビジネスチャンスがさらに広がってくると思う。広告、グッズ販売など売り上げは今の何倍にもアップすると思うのだが…。

 福岡でのWBC日本代表合宿がスタートした。日本代表の王監督は「第1回目をやることにまずは意義がある」と言った。世界に野球人気を広めるビッグチャンス。日本の応援はもちろんだが、野球の面白さを世界中のベースボールファンと分かち合いたいものだ。

February 22, 2006 10:14 AM

2006年02月21日

切ない「申し訳ない」:山内崇章

 明け方に見たテレビから、老夫婦の切ない最期が伝えられた。誰の責任で、なぜ急ぐ2人を止められなかったのか。落としどころの見つからない、悲しい最期に思えた。

 【2月14日】新潟県長岡市の男性会社員宅の1階寝室で、男性の父親(88)と母親(81)が亡くなっていた。長岡署によると、母親はベッドで右腕を刃物で刺され、父親はベッドの脇で首をつっていた。部屋には「お世話になって申し訳ない」と書かれた遺書が置かれていた。無理心中とみられる。老夫婦は新潟県中越地震の被災者で、旧山古志村(現長岡市)に住んでいたが、自宅倒壊のため二男宅に身を寄せていた。

 地震から1年4カ月が経過した。国からの助成金は、全壊で最高300万円。経済的困難、精神的孤立。震災のつめあとは、いまだ消えていないことを思わせるニュースにも思えた。

 新潟出身の同僚記者がこんなことを話していた。

 「新潟県民は、雪に耐えてきた土地柄、国に不満があってもぐっとこらえる。人に迷惑を掛けられない。その我慢強さは、家庭内も同じ。過疎が進み、親と子が離れて暮らすことが当たり前のようになって、子にも迷惑を掛けたくないと思う人が多いんです」。

 国、県の援助が十分であるかという議論は別の機会に譲りたい。老夫婦が家族に向けた「申し訳ない」という言葉が、あまりに痛切に思えた。生きることに、人の世話になることに後ろめたさを感じた2人の心の重み。息子家族に向けた言葉だからなおさらやるせない思いに駆られる。

 幼いころを思い出した。まだ小学校低学年のころ。秋田市内から車で2時間、県南部の母親の実家に帰省することが、私にとっての最高の楽しみだった。年に2回、夏休みと冬休み。祖母は、私の父によく話していた。「申し訳ないね。こんな山奥まで運転させて」。孫の顔、娘の顔を見るのに、なぜ謝るのか。子供心に疑問を感じた。

 除雪も行き届かない開拓地の農村だった。6人の子供、その孫の帰りを心待ちにした老夫婦は、私たちの到着に備えて雪かきをしていた。少し濃いお雑煮は、心を込めてだしを取ってくれていたからだろう。

 10年前にも祖母は「申し訳ない」という言葉を口にした。末期がんで秋田市内の長男宅に身を寄せたときだった。母に、叔父夫婦に、しわくちゃの顔で。腰が曲がり、食も進まないのか、大人になった私には、祖母が本当に小さく見えた。

 あと10年もすれば、私の両親も祖母の年齢になる。申し訳ない-。親からは聞きたくない言葉だ。若い世代が、当たり前のように選択する核家族のライフスタイルを受け入れ、田舎暮らしの自分たちを時代遅れの生き方として認めた言葉なのかもしれない。

 新潟の悲劇の原因は、短いニュースだけでは把握できない。ただ、老いた世代が、幸せに生き抜くことが難しい時代になっていることを示したようにも思える。高齢化が突出する過疎地域ではなおさらだ。私たち子の世代が、けたたましい警鐘を鳴らされた気もする。苦労して、大切に育てられた私たちだ。親には「申し訳ない」の言葉よりも「ありがとう」と言われたい。

February 21, 2006 10:03 AM

2006年02月20日

がばいおばあちゃん:小林千穂

 先日、芸能面の連載で高田文夫氏が、映画に絡めて「おばあちゃんブームが来るかも…」と書いていたが、何だか鼻の奥がツーンとしてしまった。

 両親が共働きだったこともあって、おばあちゃん子だった。和裁が得意で、行儀に厳しく、暑い日も寒い日も、庭や畑で作業していた。学校から帰るとおばあちゃんがいて-祖母と書くべきなのかもしれないが、あえておばあちゃんで書かせてもらいます-、夏休みも冬休みも、両親がいない家では、ほとんどをおばあちゃんと一緒に過ごした。

 高田氏の連載が載った翌日、タイミング良く、その映画「佐賀のがばいばあちゃん」の完成会見に行くことになった。B&B島田洋七が佐賀でおばあちゃんと過ごした子供時代を描いた作品で、「がばい」は「すごい」という意味の佐賀弁。貧乏でも明るくパワフルに生きたばあちゃんと、ばあちゃんと過ごした日々を見る目は本当に温かい。

 実は、ちょっと避けたい取材だった。ばあちゃんという文字を見ただけで、もううちのおばあちゃんにすり替わってしまう。鼻の奥がツーンとしたのは、懐かしさだけではなく、正月からこっち、おばあちゃんのことを思い出すのがつらかった。

 しゃんとしていたおばあちゃんの頭の中で、ちょっとした変化があった。その変化は2年ほど前から何となく現れ始め、ここ1年でさらにはっきりしてきた。大みそか、こたつで紅白歌合戦をうだうだと見ていたら「あけましておめでとう」。手にはお年玉を持っていた。「お正月は明日やからさ…」と押しやったが、何だかすごいショックで顔を合わせられなかった。

 一緒に暮らしている両親は慣れているらしく、うまいこと対応してるし、割とあっけらかんとしていた。頭の中がすっきりしている時もあるようだけど、年に2回帰省すればいい方の私には激しすぎる変化だった。

 今思えば「ありがとう」と言って受け取るべきだったのかもしれない。「明日…やったかね?」と言って自分の部屋に戻って行くおばあちゃんの後ろ姿を思い出すたび、繰り返し後悔している。大みそかの夜、31歳の私に、お年玉を持ってきたおばあちゃんの頭の中では、どんなことが起こっていたんだろうか。孫が帰ってきたといううれしさが引き起こしたんだとすれば、うれし悲しい気持ちになる。

 おばあちゃんの思い出には楽しいものも多いけど、やっぱり後悔するものもある。学生時代、突然おばあちゃんが戦中戦後の話をしてきたことがあった。中国にいたこと、赤ん坊だったうちの父と一緒に引き揚げてきた時の話…。何だかよくある、どこかで聞いた話のような気がして、聞いていたけど、真剣に聞いていなかった。なぜ「おばあちゃんの話」として聞くことができなかったのだろう。なぜ、あの時、私にあの話をしたのだろう。

 おばあちゃん、頭の中がすっきりしてる時、またあの話してくれますか。

February 20, 2006 11:10 AM

2006年02月19日

休む勇気も今は必要:岡本学

 サッカー日本代表の宮崎合宿、米国遠征の取材から会社へ戻った12日、管理職の上司に「休め」と言われた。気が付けば1月29日から15連続出勤。代表のスケジュールがなかった13~15日に3連休を取り、おいしいものを食べ、ショッピングを楽しみ、家族と時間を共有し、仕事を忘れてリフレッシュした。

 自分のことはさておき、日本代表の選手たちは13~15日の3日間をどう過ごしたのか。中沢、久保の横浜勢のように所属クラブから休日をもらってオフを過ごした選手もいれば、浦和勢のように米国からそのままオーストラリアへ渡り、チーム合宿へ合流するというハード日程の選手もいた。また、10日の米国戦で代表初得点の千葉FW巻のように、所属クラブで自主トレーニングに励む選手も。3月4日のJ開幕まで所属クラブでの活動時間が少ない中、代表組に少しでも加わって欲しいというクラブもあれば、選手のコンディションを最優先してオフを与えるクラブもあり、対応はまちまちだった。

 今年はW杯イヤーということで、本大会までの日程も過密だ。この2月に限れば、代表での活動が28日中23日を占める。「W杯イヤーだから休めないのも仕方がない」というのは簡単だが、所属クラブでの活動と合わせて1カ月以上休みなしでハードな練習と移動を繰り返すのは、精神的にも肉体的にも決していいものではない。今はW杯出場という大きな目標がある。「休まなくたって」という選手の気持ちも分からなくはないが、けがをしてしまっては何にもならない。選手に「ブレーキ」をかける人間が必要だと思う。

 もちろん、それだけで解決できる問題ではない。今季のJリーグ日程発表の際にJリーグ羽生事務局長が「抜本的に見直す時期にきている」と話したように、飽和状態にある日本サッカー界の年間日程を大局的な立場から検討する時期にきている。試合や予定が多いことは日本のサッカーが盛んになった証しではあるが、それを支える選手たちが過密日程につぶされてしまっては、元も子もない。「削るものは削る」勇気も必要で、日本協会技術委員会とJリーグ事務局が、苦労してながら調整している代表関係の日程については、そのやり方自体が限界ではないのか。

 16日から始まった静岡合宿では、所属クラブのキャンプに参加した一部選手の合流が1日遅れになった。W杯で上位を狙うジーコジャパンにとって、選手がそろわない合宿、さらにコンディションに大差がある合宿は強化にとってマイナスだ。

 現時点で、W杯までの日程を変更しろ、などというつもりは毛頭ないが、次回の2010年W杯南アフリカ大会へ向け、日程問題を根本から考える時期にきている。欧州とのシーズンの違い、また東西に広いアジアという地域的な特性なども関連し、日本サッカー界の日程を決めるのは簡単ではない。日程問題を考える委員会の立ち上げなど、早急に検討していくべきだ。

February 19, 2006 11:57 AM

2006年02月18日

食うため門戸開放を:岡山俊明

 同じ業種でも会社が違えば給料も待遇も違うように、「優良企業」の中央競馬と、競馬場が次々に閉鎖に追い込まれている地方競馬では、収入に雲泥の差がある。

 昨年12月末から2カ月余り、単身で美浦トレセンに研修に来ていた金沢競馬所属の松下裕樹騎手(33=写真)は窮状を訴え、中央の門戸開放を強く望んだ。激白というべき内容だ。

 「金沢は活気も何もない状況。もう他に行き場のない年配者が続けたいと言っているだけで、9割方の人は、続ければ続けるほど苦しいと思っている。現場では存続はあと1、2年という声も多い。朝3時から調教に乗って、調教料は1頭300円。1時間に3頭だから時給にすると900円ぐらい。コンビニの時給の方がよっぽどいい。競馬での騎乗料も4000円弱。レース中の故障も少なくない。いつ事故が起きるかビクビクしながら乗る。このお金じゃばからしくて命を懸けられない」。

 年に100万から200万程度の賞金だけでは食べていけないから、厩務員も兼務して馬の世話もやって何とか生活レベルを維持している。トップジョッキーでも年収は約600万円。雪国だから1月から3月の厳冬期に開催がなく、副業で食いつなぐ。もし中央と比べて乗り手の技術が劣っているなら、激しい格差にも納得できただろう。ところが、トレセンの調教を目の当たりにして落胆したという。

 「はっきり言ってがっかりした。何倍も収入に格差のある現状を考えれば、中央のトレセンの人は、僕らの何倍もうまくなければならない。正直、そうであってほしかった。でも実際のレベルは違う。角馬場で掛かっている(暴走している)馬を見て、何だこれはと思った。ある厩舎で乗り難しい馬がいるというので乗せてもらうと、僕にとっては楽勝の馬。あっさり御したら、調教師や助手が出迎えてくれた」。

 地方の騎手は毎朝20頭以上に乗る(中央ではせいぜい4、5頭)。中央に入らないような気性難の馬も扱うのだから、自然に腕が磨かれる。向上心旺盛な松下は、デビュー前は米国で、その後は毎年のようにオーストラリアに出向き、つてのない厩舎に飛び込んで経験を積んできた。

 「今までは暗黙の了解で中央と地方の住み分けをしていたけど、もう中央の扉をたたくしかないところまできている。騎手を続けたいとかの『夢』じゃなく、リアルに『生活』していくために雇用の門戸を開いてほしい」。

 希望は調教助手としての採用。腕利きの助手が欲しい調教師とは思惑が一致するし、馬のレベルアップにもつながるが、残念ながら可能性はゼロに近い。唯一の方法は狭き門の騎手試験にパスして転身するしかないが、試験本来の目的と逸脱する。厩務員への道も年齢制限(28歳未満受験可)で門前払いされる。
 松下は14日、フロリダに飛び立ち、再び修行の旅に出た。彼の心からの叫びには、耳を傾ける価値があるのではないか。

February 18, 2006 11:27 AM

2006年02月17日

取材できる幸せ還元:千葉修宏

 今年も、個人的にすごくドキドキ、ワクワクする季節がやってきました。読者の皆さんがこの原稿を読んでいるころ、僕は大リーグの春季キャンプを取材するために、米フロリダ州に飛んでいるはずです。今年はトリノ五輪やサッカーW杯、そして野球の国別対抗戦「ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)」があるために、大リーグのキャンプはちょっと話題に乏しい感じですが、何のなんの。見どころは満載です。

 先日、都内のアメリカ大使館で、米国商務省の観光促進イベントが開かれました。そこにはヤンキース松井、ブルワーズ大家、インディアンス多田野とともに、今年からメッツでプレーする入来祐作投手(元巨人、日本ハム)の姿がありました。

 巨人を担当していた数年前、立川駅前をうちの妻と歩いていた時のことです。向こうから入来投手が歩いてくるではありませんか。すると彼は「よっ、チバちゃん! どこのお店のお姉ちゃん連れてんだよ」と、ご機嫌で声を掛けてきました。僕が「うちのヨメなんですけど…」と言うと、「ゴメン、ゴメン。知らんかった」と、僕と妻に平謝り。そんな楽しい!? 思い出があるからか、入来投手にはぜひとも大リーグでも活躍して欲しいと思っています。

 同投手が米国大使館で話してくれた「誰と対戦したいとかいうより、まず大リーグのマウンドで自分がどれだけ投げられるのか、っていうのがあるよね」という言葉には、自らへの期待感があふれていました。そして、新たなシーズンを前にして、気持ちが高ぶっているのは選手だけではないのです。

 僕が日刊スポーツに入社したのは、あこがれ続けたメジャーリーグにかかわりたいという一心からでした。甲子園を目指していた高校球児の時から、心の中は大リーグにくぎ付けでしたから。それほどテレビ中継のなかった時代に、カンセコ、マグワイアの“バッシュ・ブラザーズ”や、盗塁王リッキー・ヘンダーソンら、そうそうたるメンバーをそろえていたアスレチックスのファンになりました。初めて行ったアメリカ旅行で観戦したアスレチックス対ブルージェイズ戦の“空気感”は今でも忘れません。

 以後、「大リーグかぶれ」となった僕は、当時、日本ではほとんど履かれていなかったN社のスパイクを探して奔走。渋谷の「バックドロップ」という洋服屋さんで、なぜかスパイクを見つけると即購入。僕が通っていた大学の野球部史上、初めてN社のスパイクを履いた選手となりました(笑い)。当時は周囲の選手から「何それ?」とか言われましたけど。

 また、野茂投手がドジャース2年目の96年春には、卒業旅行と称してベロビーチを直撃。某スポーツ紙に「日本人ファン一番乗り」として取材されたりもしました。それほど思い入れのある大リーグを、実際に取材できるようになるなんて。その自分の幸せさをちゃんとかみしめながら、読者の皆さんにもメジャーの楽しさ、素晴らしさを伝えていけたらと思います。

February 17, 2006 10:48 AM

2006年02月16日

世界に目を向けよう:荻島弘一

 「今回の五輪はつまらないなあ」。そんな声が聞こえてくる。スピードスケート男子500メートル世界記録保持者の加藤は6位に終わり、モーグルの上村と里谷も失速。成田と今井のスノーボード兄妹はともに敗れ、ジャンプの原田は失格。日本勢は3日目を終えてメダル0、確かに期待された成績は残せていない。

 だからといって「トリノなんて興味ない」と思うのは、もったいなさすぎる。五輪は世界最高のスポーツの祭典。日本勢が活躍してもしなくても、世界のトップレベルの試合は見られる。五輪の楽しみには「日本勢を応援する」とともに「世界最高峰のスポーツを見る」があるはずだ。

 五輪で日本がメダルを量産できると思うのは、幻想に近い部分もある。特に世界のトップクラスが競う場が少ない冬季競技では、本当の日本の実力を知らないままに「メダル候補」と大騒ぎしている現状がある。もちろん、自戒を込めて。02年のソルトレークシティー大会では、メダルは2つだけ。98年の長野大会は地元で10個を稼いだが、それまでを見ても冬季大会のメダルは決して多くない。

 見方を変えれば、五輪ほど面白いものはない。なんと言っても、世界で最高レベルの試合が次から次へと見られるのだから。「日本勢が負けた」などと悔しがっている暇もない。上村はメダルを逃したけれど、モーグルの女王ハイルの滑りは攻撃的で豪快だった。日本勢はいなかったが、フィギュア・ペアのトトミアニナ・マリニン組の演技は華麗で、思わず見とれてしまった。

 04年のアテネ五輪で、日本勢は大活躍した。史上最多の37個のメダル獲得。連日のメダルラッシュに、お茶の間のファンの感覚もマヒしたのだろう。日本選手のメダル獲得は、確かに大きなニュースだけど、日本を見るばかりに「世界」に目がいかないのは寂しい。

 02年に行われたW杯サッカーでは、日本が敗退した後も大会は盛り上がった。ブラジルがドイツを破った決勝戦は、何と65%の視聴率を稼いだ。「世界のトップを見る」という考えが、サッカーの楽しみとして定着したからだ。世界のトップに目がいけば、日本の立場も分かる。それは、サッカーだけに限ったことではない。五輪でも同じだ。

 「世界に目を向けなければダメだよ。日本ばかり追いかけていちゃダメさ。世界のサッカーのすごさを新聞で伝えなきゃ」。今から20年近く前、入社したての新米記者に教えてくれたのは、サッカージャーナリストとして活躍していた富樫洋一さんだった。W杯予選や五輪予選でもまったく勝てなかった日本サッカーの低迷期。しかし、海の向こうを見れば、そこには素晴らしい世界があった。

 日本が出ていない90年W杯で一緒に「世界」を楽しんだ富樫さんが、7日に亡くなった。アフリカ選手権を取材中、エジプトのホテルで急死したという。突然の訃報(ふほう)に言葉を失うとともに、富樫さんの言葉を思い出した。「世界を見なきゃダメだよ」。まだまだ五輪は始まったばかり。4年に1回、世界のトップが集う五輪、そして4年に1回のW杯、富樫さんの分まで、おなかいっぱいになるまで楽しみ尽くそうと思う。

February 16, 2006 10:09 AM

2006年02月15日

偽装の隣にある恐怖:桐越聡

 見過ごされてはいないか。

 耐震強度が偽装された東京都江東区のマンション“最後の住民”が11日、引っ越しを行い、全67世帯の退去が完了した。同じような住民の転居のニュースを見聞きするたびに感じることがある。もし、マンションが地震で倒壊したら、近隣に住む人が被害を受けることはないのだろうか、と。

 東京都港区のAさん(72)は耐震強度が基準の26%しかないマンションの隣の一戸建てに住む。玄関前から見上げると細長いマンションが覆いかぶさるように迫ってくる。家とマンションの壁面のすき間は約30センチに満たない。「こんな場所だから倒れてきたら逃げられないだろうな。痛い思いをして死ぬのだけは嫌なんだけどね」と話し、少し顔をゆがめた。

 日露戦争のころから続く仕立屋さん。今はビルの谷間になったが、10坪ほどの敷地に自宅兼店舗を構えて45年になる。「こんな狭い横町でも、来てくれるお客さんがいるんだよ」。ドレスやスーツを作ったり、ほころびを補修したり。ミシンを踏まない日はない。

 マンションを所有する会社からは「引っ越しますか?」と聞かれたが、仕事のことを考えると離れられない。3年ほど前にAさんは狭心症の発作を起こし、発作を抑えるニトログリセリンが手放せなくなった。一時期だとしても、かかりつけの医師がいる病院から遠ざかるような引っ越しには不安がある、という。

 先月からマンションの解体作業が始まり「ストレスは10分の1ぐらいは減った」。しかし、解体完了前に大地震が起きたら…。「この年だから、あきらめているというか。覚悟を決めるほかない」。言葉通りには受け取れなかった。

 建て替えのプランが固まるまで取り壊しは認めない-。耐震強度が偽装されていた幾つかのマンションの管理組合は、そんな方針を固めているという。建設主は倒産寸前。国の支援策では将来の生活が描けない。だから、このままでは解体を認められないという悲痛な叫びは、被害者の立場からすれば当然の主張だと思う。

 ただ、「解体は認められない」と主張する人がいる一方で、1日でも早く解体してほしいと望む人がいる。途方に暮れている住民のことを思うと声を大にはできないが、「いつ倒れてくるのか」というような恐ろしさと闘っている人は少なくない。心労から体調を崩した近隣住民もいると聞く。

 マンションの管理組合と比較して、近隣住民の立場は必ずしも強くない。建築主や行政と、世帯単位の交渉では限界があるし、町内会などを窓口にしたとしてもマンションとの距離によっては住民の間に“温度差”が出てくるかもしれない。だからといって、ひたすら耐えるしかないのだろうか。

 今のところ国の支援策はなく、幾つかの地方公共団体は説明会を1~2回開いただけと、近隣住民に対する動きは鈍いままだ。何かがあってからでは遅い。税金の投入は難しいとしても、何かしらの手段はあると思うのだが…。

 これから先、偽装マンションの解体が本格化してくる。このまま近隣住民の存在が見過ごされるようであってはならないと思う。

February 15, 2006 10:33 AM

2006年02月14日

島を動かした清原:松井清員

 のどかなサトウキビ畑を抜けると、突然野球場のスコアボードが目に飛び込んでくる。オリックスがキャンプを張る宮古島市民球場。そこにはケビン・コスナーが主演した映画「フィールド・オブ・ドリームス」のような懐かしい風景が広がっている。

 ちょっと古ぼけた室内練習場があるのはその一角。現在は土のグラウンドだが、東京ドーム仕様の人工芝敷設が市の06年度予算案に盛り込まれた。来春キャンプまでの完成を目指し、総工費は6500万円。「フィールド・オブ・ドリームス」に「ハイテク人工芝」とは何とも不釣り合いだが、それは市が命運をかけた一大プロジェクトだ。

 伊志嶺亮市長(73)は言った。「財政的には非常に厳しいです」。サトウキビ、肉牛、マグロなどの農水産業や観光業を中心とした自主財源はたった20%強(ちなみに大阪市は同60%強)。残りは国や県の補助金に頼るほかない。05年度見込みの起債残高(借金)は368億円。赤ちゃんを含めた市民1人当たりでは、約65万円超の借金を抱える計算になる。老朽化して焼却が追いつかないごみ処理場建設問題など、生活に直結する課題は山積み。そんな宮古島市にとって6500万円は大金も大金だ。

 「宮古島市誕生と清原選手の入団を機に、あらためてオリックスさんのキャンプ地効果を検討し直しました」。市関係者はそう明かした。通気が悪く、ホコリも激しい室内練習場については、球団が8年前から人工芝敷設を求めてきた。いかんせん、財政が苦しい上に、年1度のキャンプ以外、使用頻度の少ない場所への大金投入には疑問の声も多かった。

 だが昨年10月、平良市を中心にした4市町村と隣島の伊良部町が合併して宮古島市が誕生。財政改革に本腰を入れ始めた新市は、12月の清原オリックス入団に背中を押されるように“先行投資”を決断した。

 「オリックスさんが宮古島を離れてからでは遅い」。

 キャンプ誘致合戦は年々激しさを増している。オリックスにも2次キャンプを張る高知市をはじめ、近鉄のキャンプ地だった日向市や沖縄本島の市町村が熱心に攻勢をかけている。今年で14年目となる宮古島キャンプ期間中の経済効果は例年7億円。それが清原らの加入により、今年は10億円以上と試算されている。観光客や報道陣による「キャンプ消費」に加え、新聞やテレビなどで「宮古島」が連呼される宣伝効果は計り知れない。オリックスが去った時のダメージを考えれば、そこには雲泥の差がある。

 「断られても断られてもキャンプ誘致の陳情の旅に出向いた15年前。あのころの初心を思い出させてくれたのが清原さんでしょう」。市関係者はしみじみと話した。阪神キャンプ地に20億円かけて新設された宜野座ドームや、9億円かかった楽天の久米島球場改修に比べれば、6500万円は大きな負担ではない。それでも財政難の島がその額を動かすまで、実に8年もの年月がかかった。満員の甲子園球場の観衆より少し多い、5万6240人(1月31日現在)市民の貴い血税。それは小さな南の島の期待そのものと言える。島を動かす男。チーム再建を託された男にはもう1つの期待がある。

February 14, 2006 10:01 AM

2006年02月13日

五輪11日前 落ちた男:村上秀明

 彼も間違いなく今回の「主役」だった。五輪に出場できなくても…。

 10日に開幕したトリノ冬季五輪。これから華々しいシーンが次々と世界に発信されるだろうが、すでに1人の選手が強烈な印象を残してくれた。スピードスケートの日本代表選手、いや、正確に言うと直前まで代表メンバーだった安田直樹選手だ。

 本人が五輪参加資格を突然失ったことを聞かされたのは1月30日。トリノから約460キロ離れたイタリア北東部の高地コラルボで合宿中のことだった。選手削減のため、国際スケート連盟が参加基準タイムを引き上げ、安田の持ちタイムが下回ってしまったからだ。トリノ入りを2日後に控えた悲報だった。

 1日夜、スピードスケートの岡崎朋美、加藤条治らのメダル候補たちが、ミラノ空港に到着。集まった多数の報道陣からフラッシュを浴び、テレビカメラに囲まれてインタビューに答えた。その1つ上の出発フロアに安田はいた。加藤らが到着した約1時間30分後、1人悔しさをかみしめながらイタリアを後にした。
 
 帰国直前の安田と、あらためて話をした。「五輪には魔物がいましたね」と苦笑いした。「幻の五輪代表にならないようにしないといけないですね」と4年後の抱負も口にした。雑談を交えながら1対1で話したが、最後まで「恨み節」は出てこなかったのが、印象に残った。

 98年長野五輪金メダリストの清水宏保は、かつて「(競技日)たった1日のためだけに4年間を費やしている」と五輪への執念を表現した。その通りだと思う。アマチュアスポーツのアスリートにとって五輪が集大成。その夢舞台を1度はつかんだはずなのに、4年後までお預けとなった。文句の1つも言いたいところだろうに…。

 もちろん、代表取り消しを聞かされた翌日は「やるせない」と悔しさを表に出したが、直後には「ルールに従うのもスポーツマンシップ。これもまた試練」と自分に言い聞かせるように話していた。仮に自分だったら、こんなに潔く受け入れられただろうか。10歳近く年下の安田選手が大人に見えた。

 五輪とは次元が違うが、自分も「メンバー」を外れたことがある。野球部に所属していた高校3年の夏だった。チームは札幌地区予選を勝ち抜き、南北海道大会に進出。ベンチ入りメンバーを3人減らさなければいけない状況で、3年生でたった1人、そこに含まれた。

 口では納得しても、気持ちの切り替えができなかったことを覚えている。授業で席に座っているのも恥ずかしかった。気を使ってくれる周囲の態度も、逆につらかった。安田選手のように、悔しさを心の中で消化し堂々と大人の対応はできなかったように思う。

 今では、その体験が自分を支えてくれていると自負している。自分に強さを与えてくれた経験という財産になっている。

 4年後の安田選手を早く見てみたい。

February 13, 2006 12:12 PM

2006年02月12日

情報も「熱いうち」に:浜崎孝宏

 全国的にはなじみがちょっぴり薄いかも知れないが、ソフトバンクや巨人がキャンプを張る宮崎の名物グルメの1つが「釜揚げうどん」だ。釜揚げうどんは、手打ちうどんをその名の通り釜でゆで、ゆで汁と一緒に器に入れる。それを、うどんつゆにつけて食べるのが一般的。私の大好物で、宮崎の釜揚げうどんはクセになる味だ。かつお、しいたけなどをダシに使用し、ゆずの風味漂う「うどんつゆ」が最高だ。仕事で宮崎を訪れたサラリーマンも飲んだ後に心温まる“シメの1杯”として定番メニューになっている。

 ソフトバンクのキャンプ地・生目の杜(もり)運動公園内には、35店舗の出店が並び、レタス巻き、地鶏、チキン南蛮、釜揚げうどんなど宮崎の名物料理がズラリと並んでいる。先日、ソフトバンク王監督や巨人長嶋終身名誉監督が足を運ぶという釜揚げうどん店「重乃井(しげのい)」の主人らが、王監督を激励に球場を訪れていた。宮崎でも釜揚げうどんの人気店だけにキャンプ地内での出店依頼があったが、やむなく断念したおかみの伊豫展子(いよ・のぶこ)さん(56)は「ウチの釜揚げはゆでるのに15分から20分ぐらい待ってもらうことになるので、お急ぎのお客さんに迷惑を掛けてしまうからね」と話した。

 宮崎市観光協会は、今キャンプ前に巨人、ソフトバンクのキャンプ情報や飲食店情報などを満載した「宮崎たべてん!」を約8万部を発行。宮崎空港、ホテル、宮崎駅など街のあちこちに配置したA4サイズの小冊子には、八十数店舗の飲食店ガイドや飲食店とタクシーで利用できる割引クーポン券もついている。今回から初の携帯電話用QRコード(http://tabeten.com、3月31日まで)を採用し、めんやすしなどカテゴリー別に分け、店舗周辺マップもつけたQRコードは順調にファンを獲得。1月26日~2月6日現在で、携帯電話へのアクセスビューは1万ヒット以上だ。宮崎市観光協会の前田剛宏さん(34)は「私たちもアクセスビューには、ビックリしています。小冊子を持ち歩かなくても、携帯で調べられるので利便性がウケているのでしょうか」と目を丸くした。

 利便性-。あらためて言うことでもないが、新聞業界でも情報を携帯電話でチェックする時代が、当たり前の光景となってきた。定期購読するより、はるかに安い金額で記事を目にすることができる。もちろん新聞内容のすべてを読むことはできないものの、新聞を買うタイミングを逸した場合、自分の原稿を、携帯サイトで読んだり、他紙の記事についても携帯でチェックしたりするケースも増えてきた。

 現在、日刊スポーツのサイトでもプロ野球のキャンプ情報が現場から速報として続々と送られ、アップされている。釜揚げうどん同様、速報記事は「熱いうち」じゃないとおいしくない。釜揚げうどんに端を発したグルメサイトの人気ぶりを聞き、記者には、より一層のスピードアップが求められているのを再認識させられた。

February 12, 2006 10:34 AM

2006年02月11日

選手と記者の“距離”:山内崇章

 人と話す際の立ち位置はどのように定まるのだろう。一定の距離を置く相手もいれば、息遣いが分かるほど接近可能な人もいる。数ミリ近づくと、数ミリ離れる人。近づいていい時と、あえてそうしない場合。状況に応じた判断も必要だ。

 誰もが日常的に対人距離の線を引く。距離を狭める第1歩は、勇気や思いやり、気遣いだろう。内面の距離が縮まれば、実際の距離も近くなる。心を許し合える仲なら、器用に近づいたり、離れたりもできる。
 この2月、横浜のキャンプ取材で沖縄・宜野湾を訪れている。担当1年目。多くの選手、コーチとは初対面だ。不安も多い中で、キャンプイン初日からとても新鮮な光景を目にした。

 練習開始前。選手らが外野の芝生でミーティングを始めた。ちょうどライトの定位置。直後、ベテラン記者たちが白線をまたぎ選手の輪へと近づく。メモまで取り始めた。テレビクルーのマイクも輪の中だ。過去に取材した球団では、練習後に親しい選手を探し、遠慮気味にその内容を確認していた。それが当たり前の取材方法だと思っていた。

 2日目以降も、ウオーミングアップの開始前後に限って、外野の芝生は開放されている。選手の素顔が手に取るように分かる場所まで報道陣は近づける。選手や監督はこの近さをどうとらえているのだろうか。
 牛島和彦監督。「問題ないと思いますよ。どんどん話を聞いて、いい表情を見てください。ここで変なことが起こらない限り、続けられることです」。

 前日の夕食の話、DVDで見た映画の感想、まじめな技術論を語る声も聞こえてくる。こうした表情や声は、後に記者が、選手と話す際のきっかけにもなる。取材対象が歩み寄る姿勢がうれしく思えた。

 話はそれるが、芸能担当だった昨年、歌手の和田アキ子さんご本人から電話をいただいたことがあった。コンサート取材の記事へのお礼だった。恥ずかしながら、芸能人から携帯電話を鳴らされたのは、2年間の担当で唯一の経験だった。

 和田さんはこんな話をしていた。「昔はね、スポーツ紙の記者さんとよく電話もしたものよ。現場でもざっくばらん。今はほとんどないね。でもそういうのって大切だと思う、お互いを知る上で」。

 私生活に踏み込まれたくない、スキャンダル記事はごめんだ、という風潮が芸能界には根強い。警戒心から心が閉ざされ、その警戒心はしばしば記者の誤った解釈を招く。芸能界のみならず、球界にもそんな悪循環に陥る危険性はいくらでもあるように思える。

 球界は、芸能界ほどの距離はないというのが私の感覚だ。それでも、必要以上に取材エリアを限定し、距離を置こうとする球団も少なくない。危険回避、集中して練習がしたいという意図もあるだろう。取材力でカバーすれば済むことでもある。が、距離を縮める姿勢は、何も一方だけに求められることではない。

 球界にも、芸能界にも関心を抱き、支えてくれるファンや読者がいる。離れすぎていては、事実が見えないし、見せられない。取材対象の本当を映す作業は、お互いの歩み寄りがあってこそだ。ただし、横浜の取り組みに甘えるつもりはない。信頼を前提としたものであることを自覚したい。

February 11, 2006 11:49 AM

2006年02月10日

誰の為なんでショー:小林千穂

 この1週間で印象的だった取材をいくつか。

 ヒューザー小嶋進社長といい、東横イン西田憲正社長といい、言わずもがなのライブドア堀江貴文前社長といい、最近は社長自らの「パフォーマンス」というか、空回りが目立つ。そんな中、あるイベントで笑っちゃうような、社長のパフォーマンスを見た。

 ある製薬会社の新製品と新CMの発表会見だ。30代女優がキャラクターに起用されたことを芸能紙面で扱うため、記事も写真も当然彼女狙いで出掛けた。派手な音楽と照明のオープニングで登場したのは、その会社の社長。あらら、と思ったが、女優狙いではなく、製品そのものや当該の社狙いの記者もいるので、それは私の勝手な肩透かしなのだが、その後の進行は「いったい誰のための発表会なのか」と思わざるをえなかった。

 その社長、登場した時はシャツのボタンを2つまで外した「ちょいモテオヤジ」スタイル。そして、女優とのトーク部分では、スーツも替えブルーのシャツにネクタイ姿。さらにびっくりしたのは、マスコミ向けの写真撮影でさらにもう1度着替えてきた。当の女優でさえ、登場から撮影までドレス1着で通した。ま、普通そうだろう。何だか社長のショーを見せられた気がした。お色直しに意味があったのかと考えたが、やっぱり目的が分からなかった。これって何のため、誰のためだったの。帰りのエレベーターに乗り合わせた人が「相変わらず派手だけど、むなしいよな」とつぶやいていたのが印象的だった。取引先なのか自社社員なのか分からなかったが、少なくともだれかにむなしい思いを抱かせたことは確かなわけで。

 社長が無意味に「ショー」をする会社は、消費者もそっぽを向く。そういえば、製品説明もやたらと片仮名とアルファベットの略語が多くて、その半分くらいしか説明がなかった。女優目当てで仕事に来た私でも、もしかしたらお客さんになったかもしれないのにね。

 この欄で2度ほど書いた日本映画「バッシング」がやっと5月末に劇場公開されることになった。中東で人質→解放→帰国後のバッシングに遭う女性を描いた。カンヌ国際映画祭に出品されたが、テーマの重さもあってなかなか日本で公開が決まらなかった。東京フィルメックスという映画祭で上映された時に小林政広監督は「もうこの映画の公開うんぬんについては話したくない」と言うほど、ナーバスになっていた。取材する側にとっても、どうしても内容より公開の可能性に焦点が集まっていたので、ちょっと申し訳ないような気持ちになった。そこへ届いた朗報。パリ滞在中の小林政広監督に電話すると「たくさんの人に見てもらいたい」というごくごくシンプルな願いを口にした。このシンプルな願いが今までかなわなかったのか、と感慨深さが。見るか見ないかは観客が選べばいい。スタートラインに立てて良かった。

February 10, 2006 11:32 AM

2006年02月09日

サッカー漬けの代表:岡本学

 サッカー日本代表の取材で米カリフォルニア州サンノゼに来ている。6月にW杯本大会を控えるジーコジャパンは先月29日に宮崎市内でフィジカルトレーニング中心に1次キャンプをスタート。休みなしで、現在は米国で2次キャンプに入っており、練習内容もより実戦を想定した段階に入ってきている。

 W杯イヤーとはいえ、今月の代表は超ハードスケジュールだ。米国キャンプ中の10日(日本時間11日)には今季初の親善試合、米国戦がサンフランシスコ(SBCパーク)で行われる。さらに18日にはフィンランドとの親善試合を静岡スタジアムエコパで、22日にはインドとのアジア杯予選を神奈川・日産スタジアムで、そして28日にはドイツ・ドルトムントのウェストファーレン・スタジアムでボスニア・ヘルツェゴビナとの親善試合を行う。28日しかない2月のうち、日本代表のスケジュールが入っていないのは13~15日と23、24両日。ただ、その5日間も所属クラブに戻っての練習や写真撮影など予定が入っており、日本代表選手はほとんど休む間もなく、W杯への準備に追われる。

 我々、代表に同行している記者たちもハードだが、選手と比べれば「ゆとり」がある。4日までの宮崎合宿では代表チーム部の粋な計らいで、ジーコジャパンが練習するグラウンドでサッカーの試合を1時間ほど楽しんだ。もちろん、仕事が終わった後には夜の街へ連日繰り出し、宮崎のおいしい食材や焼酎などを堪能。美食ざんまいの1週間で、ほとんどの記者がオーバーウエートのまま、1次キャンプを打ち上げた。

 今年で3年連続となった日本代表宮崎合宿だが、代表の「街」への浸透度はゼロに等しいことが、連夜の「会合」で分かった。どこの店へ行っても飾られているのは、毎年宮崎市でキャンプを張るプロ野球巨人関係のサイン色紙ばかり。代表関係のサインにはついにお目にかかれなかった。代表広報によると、夜の街へ繰り出す選手などいない、という。7日間、1日の休みもなく、W杯へ向けたフィジカル中心のハードトレーニングの連続。本紙評論家で元日本代表DF井原正巳氏は「自分が現役のころは最終日に街へ出掛けることもあったけど、選手は疲れちゃって、それどころじゃないと思いますよ」。実際に自由時間には昼寝、各種ゲーム、インターネットをしたり、DVDを観賞するなどホテル内で過ごす時間がほとんどだという。

 滞在したホテルで宮崎のおいしい料理が並んだとはいえ、代表選手には「どこどこの店に何を食べに行こう」とか観光名所を巡ったりという楽しみはない。それが仕事とはいえ、サッカー漬けの毎日。海外を含め遠征の多い日本代表だが、行った先々での「文化」に触れる機会、時間は多くない。サッカーというスポーツで世界を目指す上では仕方のないところだが、人間としての幅を広げるという点で、せっかくの機会を生かせない選手をちょっぴりふびんに思う。

February 9, 2006 11:54 AM

2006年02月08日

名馬見いだす名人芸:岡山俊明

 相馬眼という言葉がある。そうまがんと読む。馬の形相を見て、その善しあしを見極める目のことだ。競馬に携わる者には必要不可欠だが、神様は努力した者にしか授けない。その特殊技能を持つ者は限られる。昔の調教師はいい馬を探し出すために何百、何千頭の子馬を見て歩き、1頭1頭を脳裏に焼き付けて相馬眼を磨いた。将来のダービー馬を見逃していないか。天皇賞を勝つ馬かもしれない。そんな思いを抱きながら、調教師たちは競走馬生産のメッカである日高を巡った。誰が見てもいい馬はすぐに売れてしまうし、値段も高い。血統のいい馬もしかり。だから本当に目の利く調教師は、安くて走る馬を発掘した。

 今は引退して九州の育成場で第2の人生を送っている二分久男元調教師は、相馬の名人だった。取材の合間、師と雑談するひとときは本当に楽しく勉強になった。「馬は目を見るんや。そして元気が良くないといかん。血統は二の次や」。牧場でめぼしい馬を見つけた後で、血統を尋ねる。たとえ活躍馬が出ていない血統と分かっても、買うことをためらったりはしない。95年から足掛け7年にわたって二分厩舎で活躍した黒鹿毛馬は、師の確かな目を裏付けた。

 その馬の父親セクレファスターはマイナー種牡馬。生産した富岡牧場では、いわゆる自家用車(売らずに牧場名義で走らせる)として使う予定だったから、なじみの客にも披露していなかった。ところが「まだ見せてもらっていない馬はいる?」と訪ねてきた二分師は、放牧地で跳ね回る子馬に興奮気味に駆け寄った。「いい馬だ。トモ(後ろ脚)がカムイオーにそっくりだ」。馬を見ただけで血統が分かるものではない。しかし驚くことに、その馬の祖父(母の父)はハギノカムイオー。相馬の達人は見事に言い当てた。「どうしても欲しい」。二分師の熱意にほだされ、同行していた竹園オーナーが早速売買交渉し、300万円前後の廉価で手に入れた。

 テイエムオオアラシと名付けられた馬は、カブトヤマ記念、福島記念、小倉記念と3つの重賞を制覇。2億5000万円を超える賞金を稼ぎ出した。また、同時期に二分厩舎で活躍したシンカイウンもやはりマイナー血統なのに、2重賞、1億9000万円以上を稼いだ。

 産駒が次々にG1レースをさらっていくお化け種牡馬サンデーサイレンスの出現以降、日本の競馬はガラリと変わった。他の種牡馬とは生まれつき能力が違うサンデーサイレンス産駒を確保することが、調教師に求められる最大の技量の1つになった。日高を歩かなくても、腕の立つ調教師にはいい馬が回ってくる時代。でも1億円馬が必ず走るとは限らないのが競馬の不思議なところで、二分師のような名人芸が生きる余地は失っていない。

 昨年の最優秀2歳牝馬に輝いたテイエムプリキュアはたった250万円。二分師と一緒に馬産地を回り、相馬眼を養った竹園オーナーに見いだされた。

 シンデレラストーリーの自慢話なら、何度聞かされてもいい。

February 8, 2006 01:39 PM

2006年02月07日

世界統一は難しい?:千葉修宏

 昨年11月、ロッテの納会を取材するために、韓国の済州島に行きました。その時のことです。僕は毎朝、“マイバリカン”で頭髪を1ミリほどの丸刈りにしてから出勤します。その日の朝もいつものように鏡に向かいました。

 韓国は日本と電圧、コンセントの形状が違います。冷静に考えれば、ホテルで変圧器を借りれば良かったのですが、同室に泊まった同僚が変換プラグを持っており、それをコンセントに差し込み、そこに僕のバリカンをつなぎました。スイッチを入れた瞬間、「ボンッ」という爆発音が室内に響き、僕のバリカンはピクリとも動かなくなってしまいました。

 電圧を変えずに、変換プラグでコンセントの形状だけ日本製品を差し込めるようにしたので、バリカンが高電圧に耐えられずにショートしてしまったのです。これまで何度も海外取材を経験させてもらっているというのに、なんたる初歩的なミス。でも海外ってやっぱり不便だよなぁ、とあらためて思わされた瞬間でした。

 まぁ電圧の問題は、今すぐに世界中で統一しろと言っても、ちょっと無理かもしれません。でも先日、某米国系銀行に行った時、信じられない話を聞きました。僕はその銀行の日本国内の支店に口座を持っています。これまで米国出張の際には、いつもその銀行のカードを使い、お金をおろしていました。今年は昨年より大リーグ取材が長くなるので、そのカードで米国内でも入金や振り込みなど、さまざまなサービスが受けられるのかを聞きに行きました。

 すると相談に応じてくれた女性の行員が言いました。「お金をおろすことはできますけど、アメリカでは入金等はできないんですよ。そういったことをしたい場合には向こうで新たに口座を開くしかないんです」とのことでした。はぁ!? 何のための米国系銀行なんだ。全然、互換性がないじゃん。ちょっとぼうぜんとしてその場を去りました。

 名前は世界的企業なのに、海を渡ってしまうとリレーションが悪い会社って結構ありますよね。某運動具メーカーと契約しているある選手がいました。その選手は海外でプレーするようになったのですが、ウエア類は母国での担当者が、道具類は移籍先の国の担当者が渡していたなんてこともありました。

 世界で通用するクレジットカードの厚さも、各国で違いがあるって知っていましたか? 日本で発行したクレジットカードを、米国のスワイプ式(読み取り機の溝にカードをスライドさせる方法)ATMで使用すると、うまくカードが読みとられないんですよ。日本のカードは薄いからなんですけど。急にお金が必要になった時、スワイプ式のATMしかないと、本当に困ります。

 仮にも世界的企業を名乗っている会社だったり、どこでも使えることが売りのクレジットカードなどは、全世界で基準を統一してもらわないと不便でしょうがないです。今年も大リーグ取材に行く直前に、そんなことを考えました。

February 7, 2006 11:34 AM

2006年02月06日

五輪のサムライ見て:荻島弘一

 トリノ五輪開幕まで、あと1週間を切った。かつては夏季五輪と同じ年に開催されていた冬季五輪だが、92年アルベールビル大会の2年後の94年にリレハンメル大会を開催。そこから、夏季大会の中間年に行われるようになった。

 最初は「五輪が2年に1度楽しめる」と軽い気持ちでいたが、同じころにサッカーW杯の人気が急上昇。冬季五輪イヤー=W杯イヤーになってしまった。W杯フランス大会の98年は地元長野の冬季大会だったから良かったが、02年は日韓W杯の影響で同じ年のソルトレークシティー五輪は影の薄い大会になった。必死に戦っている選手には申し訳ないけれど、夏季大会の「付録」は、W杯の「前座」のようになってしまった。

 今回も開会式の10日(日本時間11日)に、ジーコジャパン06年初戦の米国戦がある。ジャンプのラージヒル決勝が行われる18日は、日本代表国内初戦のフィンランド戦の日だ。女子フィギュア、スピードスケートなど有望競技もあるが、日本勢がふるわなければ日本人の目はサッカーに向く。五輪好きで知られる日本人だけど、今は同じようにW杯にも夢中になっている。

 それでも、今はW杯よりトリノ五輪に注目したい。なんといっても4年に1回だからだ。W杯も4年に1回だが、その重みは大きく違うように思う。サッカーにはJリーグもあるし、アジア杯もある。海外では、欧州チャンピオンズリーグもある。「五輪がすべて」と言える冬季競技に比べれば、サッカーのW杯は「すべて」とは言い切れない。だいたい、4年に1度といっても、W杯は予選も含めれば2年間もやるのだ。

 ならば、4年間のすべてを一瞬にかける選手たちを見てみたい。勝っても、負けても、彼らに「次」が来るとしたら、4年後しかない。4年は、とてつもなく長い。だからこそ、五輪は多くの「ドラマ」を生んできた。そして、これからも「ドラマ」を生み続ける。

 冬の競技は、特にドラマが生まれやすい。スポーツは相手との戦いの前に自分との戦いがある。が、冬の競技はもう1つ、自然との闘いもある(もちろん、夏もだけれど)。自然の影響を受けやすい競技が多い。ほんの数秒で勝ち負けが決まるジャンプは、少しの風に影響される。完ぺきに踏み切ったとしても、少しの風ですべてが変わる。「風が平等ではなかったから」などと言い訳をしても仕方ない。自然を含めて不測の事態を受け入れる度量がなければ、ジャンプの選手なんてやっていられない。

 サッカー日本代表の新しいキャッチフレーズは「SAMURAI BLUE 2006」だ。サムライパワーでW杯を戦おうというわけだが、冬季五輪にも多くのサムライが出場する。彼らは日の丸を背負い、世界と戦う。ベストセラーとなった藤原正彦の「国家の品格」では、武士道精神を取り戻すことの大切さを説いている。スポーツの世界には、まだまだそれが生きていると思う。

 まずはトリノ五輪。サムライたちの生きざまを、しっかりと見届けたいと思う。

February 6, 2006 11:30 AM

2006年02月05日

人の触れ合い感じた:桐越聡

 「『バカなマネはやめろ!』。どうして、何年も出していない大きな声を出したのか、今思い返しても不思議な感じです」。都内のタクシー運転手、藤原恭彦さん(61)は照れたように笑った。

 ◆1月29日午前4時40分ごろ、東京都昭島市の路上でタクシーを下車しようとした男が料金4500円を支払わず、男性運転手にカッターナイフを突き付けて「金を出せ」と脅した。男は約10分後、男性に説得されてナイフを差し出し、駆け付けた警視庁昭島署員に強盗の現行犯で逮捕された。男はアパートの家賃を工面しようと競馬をしたが負け、タクシー強盗を思い立ったという。逮捕時の所持金は68円だった-。

 タクシー運転手が強盗犯を説得したなんて、聞いた事がなかった。藤原さんが一昼夜の勤務を終えるころを見計らい、東京都府中市にある京王自動車の府中営業所に訪ねた。「強盗犯にもひるまないんだから屈強な感じの人かな?」。そんな想像をしながら待っていると、細身で色白、七三分けが似合う物腰の柔らかな藤原さんが現れた。

 「男を落ち着かせたいと思ったんです。落ち着かせることで『とんでもないことをやっているんだ』ということを男に分からせられるんじゃないかと」。藤原さんは大声に男がひるんだとみると、運転席から「おなかはすいていないか」「独身なのか」と話し掛けた。次第に男は伏し目がちになり、10分ほど話した後に「ナイフを預けなさい」と諭すと、おとなしく差し出したという。

 藤原さんはナイフを助手席に置いて、男を交番に連れて行こうとタクシーを発進させたが、100メートルほど走らせたところで止めた。怖くなって、それ以上アクセルを踏めなくなっていた。パトカーが到着したのは、そんなときだったという。

 40年ほど前、藤原さんは大学に進学する前の約1年間、警視庁板橋署に勤務していた。元警察官だから勇敢な行動に出られたのかなと思いながら聞いていると、藤原さんは「犯人逮捕はよかったとは思いますが、身の程知らずだったと反省しています。万が一があったら、こうして話すこともできなかったわけですから」と苦笑い。強盗に襲われたときは逆らわずにキーを抜いて逃げるのが鉄則と、会社から指導されていたという。

 長年勤めた自動車販売会社を55歳で退社して4年ほど前にタクシー運転手になった。休日は離れて暮らす孫と遊んだり、こどもたちの野外活動をサポートするNPO法人の理事としても活動中。「お金は持っていないし生活は楽ではないけど、心豊かに暮らしているつもり。犯人も自分のやったことの責任はしっかり取って、ゼロからやり直してもらいたいですね。まだ、51歳。いくらでも出直せると思いますよ」。男に対する温かい言葉が印象に残った。

 1人の強盗犯がタクシー運転手の説得によって罪を重ねるのを思いとどまった-。ホリエモンの逮捕、米国産牛肉の輸入再停止、防衛施設庁の発注工事をめぐる談合事件…。世間を揺るがす事件と比べたら“小さい”が、人と人の触れ合いが感じられるこんな事件もしっかりと心に留めておきたい。

February 5, 2006 11:09 AM

2006年02月04日

ファン不在の「判決」:松井清員

 その知らせにはガク然とした。1月25日、東京都内で行われたプロ野球実行員会。阪神岡田監督が今季の交流戦プランとして提案した「セ主催試合でDH制」「パ主催試合で9人制」が却下された。わずか4時間前に行われた12球団監督会議では、合意に達していたのにだ。まさかの“逆転判決”。これではいつまでたっても本当のプロ野球改革は進まない…と悲しくなった。

 「今年はサッカーW杯もある。ファンにはもっと野球に興味を持ってもらう方法を考えないといけない」。

 岡田提案はファンの立場を第1に考えたものだった。甲子園のスタメンに「DH清原」など、豪華で超攻撃的な野手9人がズラリと並ぶ。一方、パ・リーグ球場でも上原、井川らが打席に立つ。どちらも日本シリーズでも見られない興味津々の新企画だ。実際現場からも「面白い試み」(西武伊東監督)と賛成意見が続出し、監督会議議長の王監督も「導入に支障はない」と承認。だが中日球団首脳が待ったをかけた。「セはDH制なしでやってきた歴史がある。簡単に採用するわけにはいかない。なし崩し的に将来、セもDH制になっていく可能性がある」(伊藤球団代表)。

 果たしてそうだろうか。セのファンは投手が打席に立つ9人制の「歴史」を一番の楽しみに観戦しているのだろうか。本当に求めているのは魅力ある試合であり、斬新な夢の対決ではないのか。今回の岡田案自体、セのDH制移行に直結するとも思えない。万が一移行のきっかけとなっても、ファンが望むならそれでよいではないか。中日の意見には、パと一線を画したい経営者の思惑が見え隠れし、ファン不在と感じずにはいられない。

 パは全球団賛成しながら、セ数球団の反対によって否決された過程も摩訶(まか)不思議だ。実行委員会の議案は3分の2(重要議案は4分の3)の承認で議決されるはずなのに、現実には満場一致の風潮がある。発言力、影響力のある球団の意向も、否定できない。「実行委員会では何も決まらない」という声が聞こえてくる。

 しかし保守ありきでは改革は進まない。試してダメなら来年、新案を議論すればいい。逆に“新しきを試して古き良さを再認識する”場合だってあるはずだ。旧態依然の野球界に新風を吹き込み、試行錯誤しながら空席を満席に変えていくチャンスが交流戦と私は思う。バレンタイン監督の言葉が印象的だった。「日本の球界はファンや選手のニーズの変化を理解しないといけない。多くの選手が海外に流出し、多くのファンがサッカーやメジャーに目を向けている事実が目の前にあるのだから」。

 阪神は昨年12球団最多の313万人を動員。はっきり言ってもうかっている。だがその阪神が野球界の将来に危機感を抱き、声を上げた意義は深い。岡田監督は「ファンのことを何も考えてへんということ」とショックを隠せない。だが野崎取締役はめげずに、次回3月の実行委員会でも再提案する方針という。「これからも勇気を持って意見を出していきます」。今度こそ“逆転判決”に期待したい。

February 4, 2006 11:14 AM

2006年02月03日

外国人に優しい目を:村上秀明

 はっ、と気付いたことがある。周囲の人間がジロジロと自分の行動を凝視している。何かの「珍獣」を見るかのごとく、興味本位の目線を向けてくる。最初は何か顔についているのかな、服装が変なのかな、などと思っていたが、冷静になったら答えは簡単だった。自分は外国人なのだ。

 1月中旬からトリノ冬季五輪に関連したスピードスケートの欧州取材を続けている。これまでオランダ、ドイツ、イタリアと移動してきたが、途中のオーストリア国鉄で車両に入った瞬間、一斉に20人ほどの乗客から懐疑的な目線を向けられた(ような気がした)。自分は異国の人間だと思い知らされるシーンが何度もあった。

 今回の滞在地は田舎町が多く、町中ですれ違う人は、外国から来た訪問者に必ずと言っていいほど目をとめる。大都市や空港などでは、そんな視線をほとんど感じないが、外国人慣れしていない? 小さなエリアで顕著な傾向に思える。見られることを好む人もいるかもしれないが、自分にとってはあまりいい気分とはいえない視線だ。

 もちろん、海外で見聞を深めることは有意義で楽しいことだと思う。ただ、視線以外にも、外国人だから避けられない嫌な思いをしてしまうこともある。国際的な犯罪、テロなど世界レベルで警戒しなければいけないことが多く、外国人が最も警戒されるのは仕方がないと思う。そのため、日本では体験できないようなことが、海外では身の回りに起こってしまう。

 今回の出張中、オランダ・アムステルダムのスキポール空港のセキュリティーチェックで警戒された。金属探知器のブザーはならなかったが、横に立たされ、全身をくまなく調べられた。香水のきつい男性係員に体を密着され、上着のセーターが伸びてしまうほど、強く押され、引っ張られた。揚げ句の果てには、ズボンの上からだが、言葉で表現できにくいほど下半身を激しく調べられた。

 2年前には、米サンディエゴでレンタカーを運転中に怪しまれた。市街地で道に迷い、同じルートを何度も回っていたら、赤色灯をともしたパトカーから叫ばれ、止められた。2人の警官が近づいてきて、パスポートの提示と事情説明で解放されたが、最初は完全に「行動が怪しいアジア人扱い」だった。

 果たして日本ではどうだろうか。外国人になって、あらためて日本に来る外国人の気持ちを考えてみた。自分もこれまでは、外国人をジロジロと観察したことがあったな、と反省点もある。小さなトラブルなら旅の醍醐味(だいごみ)かもしれないが、なるべく嫌な思いをせず、少しでも気分良く帰ってほしいと思う。
 嫌な思いをする以上に、海外で優しさに触れることも多い。今回も両手がふさがっている時にドアを開けてもらうなど、何度も助けられている。外国にいると小さな気配り、優しさが何倍も温かく感じるものだ。さりげなく親切にしてあげたい。外国人になって、いろいろな思いをしてたどり着いたこの気持ちを、これから少しでも実践しようと思う。

February 3, 2006 12:00 PM

2006年02月02日

怪物ぶり見せてくれ:浜崎孝宏

 2月1日。プロ野球選手の正月ともいえる春季キャンプがスタートした。20日からはWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の代表合宿が始まり、例年とは、ちょっぴり雰囲気が違うものの、約3カ月ぶりに見るピッカピカのユニホーム姿は、見る側にとっても新鮮だ。キャンプ初日には、投手陣がこぞってブルペン入り。差し込む光に照らされ、背中から上がった湯気が見える。その姿はさらに壮観だ。

 今でこそ科学的なトレーニングも進み、投げ込む球数は、頑張り度と比例するとはいえない時代だが、個人的には、限界まで投げ込む男を見たいものだ。数年前「西武松坂が(1日)300球超え」という見出しが躍ったことがある。ブルペンで毎日のように100球以上、投げ込む投手が最近では何人いるだろう。巨人工藤、昨年引退した佐々木氏(前横浜)らがキャンプ期間中のトータル投げ込み数を「2000球」に設定したことがあった。肩のスタミナと投球フォームは投げることでしか身につかないというものだが、そんな光景が影を潜め、ちょっぴり寂しい気がする。なんてったって、プロ野球選手は怪物的体力の持ち主で、選ばれた野球の天才。怪物ぶりを見せてほしい、と思う。

 数年前、神様、仏様で知られる稲尾和久氏(日刊スポーツ評論家)がダイエー(現ソフトバンク)のキャンプ取材に訪れた際に聞いた話が忘れられない。

 61年にはプロ野球記録となるシーズン42勝をマークするなど56年から14年間、西鉄ライオンズのエースとして君臨した鉄腕。ブルペン投球を見た稲尾氏は「今の投手は投げないなあ」とポツリ。現役時代の投げ込みを尋ねても「オレの話を聞いても仕方ないよ」と苦笑。それでも夜のミーティング? でほろ酔い気分のスキに再度、聞くと下がった目尻がちょっぴり上がった。

 稲尾氏「1クール4勤1休で400球、300球、300球、ノースローだったかな。投げ込み数は、1カ月(5クール)で5000球を超えていたよ。不思議なことに投げてるうちにピカッと球筋のラインが見えてくるんだ。ここに投げれば、ここで手を、球を離せばここにいくというものがね。投げ込まなきゃ見えないんだよね」。

 ピカッと球筋のライン???

 02年の12球団新人研修会。講演会場で、こんな話を聞いた。「1度だけ、投げるときレールが見えた」と新人選手を前に披露したのは堀内恒夫前巨人監督。とことん投げ込めば、ボールがキャッチャーミットに収まるまでの球筋のイメージを何千回と反復することになり、「光のライン」が見えるほど「投げ込んだ」ということだろう。

 投手だけじゃなく、もちろん野手でも驚くような練習量を地道にこなす選手は多い。読者にも、そんなひた向きさを紹介していければと思う。自分の原稿に輝きは、いまだ醸し出せないものの「投げ込み不足」にならないようにしたい。キャンプインと同時にプロ野球担当記者の「書き込み」もスタートする。

February 2, 2006 11:24 AM

2006年02月01日

明快な表現こそ慎重に:山内崇章

 明快に時代を映し出した、分かりやすい表現方法だとばかり思っていた。

 「勝ち組」と「負け組」-。

 昨年からあらゆるメディアを通じて発せられ、私たちの日常会話でも使われるようになった言葉だ。時代の先端をひた走り財を手に入れた人と、乗り遅れた人。明暗を分けた人間模様を2つのグループに分けて言い当てた。「なるほど」と、思わず納得してしまうほど、不平等社会が広まっているとも言えそうだ。

 先日、飲食店を経営する古い知人と話す機会があり「負け組」という言葉の意味を考えた。50代中盤に差し掛かった知人は今、人生のどん底にいる。知人が語る「負け組」はリアルで、何げなくこの言葉を受け入れてきた自分の浅さに反省を促された気がした。

 「本当に苦しんでいる者には、随分きつい言われ方。勝ったり、負けたりを繰り返すのが人生で、負けて大きくなるケースだってある。何かこの言葉は完全な敗北者、もうここから抜け出せないという枠に入れられた絶望感すら覚える」。

 15年前には京浜地区に3店舗の焼き肉店を構えていた。バブル崩壊、米国産牛肉の輸入ストップ、経営は年々厳しくなった。残った1店舗、看板を守るため、昨年の夏からアルバイトでタクシー運転手を始めた。店は夫人に任せている。

 タクシー業界は4年前に規制緩和を実施。客足が減る中で、台数は飛躍的に増えた。「半年たって随分道も覚えて行動範囲も広がった。それでも稼ぎは変わらない」という。店は維持できるのか。先の見えない、手探りで今を生きる不安な日常が伝わってきた。苦しみに直面する知人がとらえる「負け組」の意味は、想像以上に重く、酷な表現だと知った。

 一方の「勝ち組」の意味。その象徴としてもてはやされたライブドアの堀江前社長が逮捕された。買収に買収を重ね、会社の時価総額は膨れ上がった。勝ち続けた達成感は相当なものだったろう。プロ野球への新規参入、フジテレビの買収をもくろみ、果ては国政選挙の候補者にもなった。その勝ちっぷりを称賛した「勝ち組」という表現もまた、前社長の行動に拍車を掛けたのではないか。端的に言えば、調子に乗せた…。

 「時代の寵児(ちょうじ)」と言われた人の転落に、地道に不況下を耐え忍んできた人は留飲を下げた思いだろう。知人は続けた。「そもそも『勝ち組』だ『負け組』だと騒ぎ立てる人は、自分が勝ったと思っている人か、そのどちらでもない、遠くから無責任に世の中を見ている人」だと。かなり耳が痛かった。

 前社長を国政選挙に押した政治家の中には「マスコミはどうですか。持ち上げたではありませんか」と開き直る人もいた。責任転嫁も甚だしい発言だ。が、「ホリエモン」のキャラに食いつき、「勝ち組」を無条件で受け入れてネタ探しに奔走した自分も考えさせられた。

 勝者をたたえ、楽しい話題を探し求めていく私たちの姿勢は変わらない思う。ただ、明快で説得力があると思われる言葉でも、その持ち出しには慎重さが求められる。当事者の気持ちであり、その後を予見してみる態度を常に持ち続けたい。

February 1, 2006 12:33 PM