記者コラム「見た 聞いた 思った」

2006年01月04日

必死さあっての親切:上野耕太郎

 年末のある夜、部長とデスクが「不幸自慢」で一騎打ちをしていた。「ソ連での取材では」「取材して夜行の寝台列車に乗って次の日の昼に」などなど…。それを聞きながら、自分には劇的なネタがないものだと思ったりした。帰宅してから「ある人」に助けてもらったことを思い出した。日付も覚えている。95年3月1日だった。

 3週間近い行き当たりばったりの出張。当時は1度北海道から「内地」に出ると、これ幸いという感じで日替わりで飛ばされた。高校野球のキャンプ(名古屋)とスキーの取材(福島)の後だったため、巨大な荷物と極寒の装いだった。目的地は福岡ドームだった。前日、デスクに「福岡に行って北海道出身の佐藤真一(40=昨季で引退)から話を聞いてこい。担当記者に失礼のないように」と言われた。

 福岡ドームに着いた。多くの記者がスーツ姿だった。福岡のダイエー担当にあいさつし、趣旨を説明した。「ごめんな。忙しいから勝手にやって」と言ったきり、バタバタとその先輩記者は飛び出していった。何かムードがピリピリしている。当然だ。この日は就任した王監督の福岡ドーム初オープン戦だった。

 新人だった私はプロ野球の取材の仕方も分からず、途方に暮れた。グラウンドに出ても、どうしていいか分からなかった。居場所がなく食堂でボーッと立っていると北海道弁が聞こえてきた。「道産子の先輩」がなぜか座って雑談をしていた。1人に耐えきれなくなり、その初対面の「先輩」に近づき突然あいさつした。今の窮地を訴えていた。「お前、難儀だなー」。妙に厚着をした私をいきなり「お前」と呼び、気さくに笑った。歌手の松山千春氏(50)だった。

 「行くぞ」と言うなりグラウンドに向かった。「王さん、久しぶりっ」と松山氏はいきなり王監督にあいさつ。周りに記者、カメラマンが殺到する。握手をしながらカメラマンにポーズを取る。そして私を小さく手招きした。「こいつ、北海道から真一の取材に来たんだよ。ちょっと話してやってよ」。緊張しながら取材した。同じように「真一っ~」と佐藤選手を手招きしてくれたのも松山氏だった。

 3年後に取材で再会した松山氏にお礼を言うと「そっか、そっか。でも、覚えてねーよ」と言っていた。でも私は覚えている。本当にうれしかったからだ。

 仕事をしているなかで、いろいろな「親切」に出会うことがある。さまざまな人に支えてもらった。ただし、こちらに必死さがないと相手には伝わらないと思う。松山氏が見ず知らずの田舎の兄ちゃんに親切だったのは、地元が一緒だから? それとも北海道弁だったから? 違うと思う。私が恐ろしく必死で焦った表情だったのだろう。

 新しい年を迎えた。今年4月で36歳と年男だ。こんな話を書きながら思うことがあった。余裕をかますのはやめよう。大人の雰囲気? そんなものはいらないな。いつまでも情けなく、焦っている自分であり続けたい。苦しくても1歩を踏み出そうとするなら、それが自然だ。

January 4, 2006 10:19 AM