2006年01月31日
金か権力か…世相か:小林千穂
小さなことですが、私の周囲にもやってきました、「ホリエモン余波」です。
以前から「金か名誉か権力か、1つだったらどれが欲しい?」という問いをするのが好きなのだが、この回答にちょっとした変化が。逮捕後「権力」と答える人が急増ってほどでもないけど、明らかに増えたような気がする。以前はお金と権力が半々くらいだっただろうか。「面倒くさいことは嫌なので、とにかく金だけ持って、好きなことをして暮らしたい」と言った人に、あらためて聞いてみた。うーんと腕組みをし、迷った末に「権力、でもいいかな。だって、金がうなってても、踏み外すってことでしょ。権力って面倒くさくても後々役立つかも」と、消極的ながら方向転換していた。
質問がくだらないというのは百も承知。でも、その人が3つのうちのどれを選ぶかということ以上に、その後にくっついてくる理由がその時々、それぞれで面白い。今回みたいに、同じ人でも自分や周囲の変化で、回答が変わることもある。ま、今だからこそ、金とか権力というキーワードで、ホリエモンを思い出す人がいて、逆に彼のことを考えるとこんなキーワードがくっついてくるということは確かなようで。
これまで質問をした人は100人を超えていると思う。今になってみれば、メモを残しておけばよかった、と少し後悔するくらい。話に困ったときの接ぎ穂でも、少し親しくなった人にも、この問いを許してくれそうな雰囲気があればすかさず。取材相手にも、インタビューを終えて雑談が始まった時に「ところで…」と切り出すことも。
中には「そのどれでもなく、温かい家庭」と答えた人や、しみじみと「女性」と言った人もいた。その理由はそれなりに楽しませてもらったが、変則的な答えはここでは置いといて、集まる回答が増えるにつれメモを取らずとも気になることがあった。それは「名誉」と答える人がいないこと。見事なほど、いない。「余波」の後も相変わらず人気がない。ある人は「名誉と言いたいけど理想論。現実を考えるとお金」と。別の人は「いかに今の社会の中で、名誉が名誉でないか。名誉だけじゃ食えない」と話していた。3つの中では一番、毒々しさや生々しさがない分、実体や輪郭がつかめない感じ。即物的で分かりやすいものしか選ばれない傾向が世の中にあるのかもしれない。それも分かる。
最後にまた書きます、落語のこと。ちっちゃい「余波」を感じましたとも。逮捕後2度、落語会に行った。2つとも出演者が5、6人。このうち半分くらいがマクラ(本題に入る前のお話)でホリエモンに触れていた。「皆さんが笑っている間、3畳半の部屋で過ごしている方もいるわけで」ってな具合。みなまで言わずとも…である。今なら落語に限らず、生のものに行けばどこに行ってもそうなんだろう。
そういえば欲を扱った話のマクラで、こんな歌が紹介されることがある。「欲深き 人の心と降る雪は 積もるにつれて 道を失う」。うまいね。
January 31, 2006 12:00 PM
2006年01月30日
常夏の代表に1勝を:岡本学
サッカー日本代表が29日から、06年最初の合宿に入る。初日には、日本代表オフィシャルスポンサーのキリンビール、キリンビバレッジから飲料の贈呈があり、オフィシャルサプライヤーのアディダスがアウエー用の新ユニホームを発表するなど、華やかなムードの中、W杯イヤーが幕を開ける。3大会連続でW杯に出場するとあって、ジーコジャパンに対する注目度はこれから大会(6月9日開幕)まで、日増しに高くなっていくだろう。
一流ホテルに宿泊し、そろいのトレーニングウエアを着て、温暖な宮崎で、サッカーに専念する。日本には、代表チームが強化を図る上でこれ以上ない好環境が整っている。当たり前といえば当たり前のことなのだが…。
つい1週間前にグアムへ出張した。日本から空路3時間余りの常夏の島で、代表チームの練習を見学する機会があった。国際サッカー連盟(FIFA)の支援もあって、照明付きの立派なグラウンドをはじめ体育館など施設も整えられている。だが、その練習風景を見て正直「どこの草サッカーチームが練習しているのだろうか」と思った。グアム代表の選手たちが着用している練習着はバラバラ。マンチェスターUのレプリカユニホームを着ている選手がいれば、青い有名メーカーのロゴが入ったシャツを着ている選手もいる。また、使用しているボールのメーカーも統一されていない。この日の練習に集まってきたのも、たった13人だった。
グアムは96年にFIFAに加盟。以降、代表チームは公式戦18戦全敗で、昨年末のFIFAランクも205チーム中204位と「ブービー」だ。同じ「代表」だが、ランク15位の日本とグアムでは「月とスッポン」。だが、泣き言を言わずに、練習を見守る日本人が、そこにいた。昨年2月に日本サッカー協会からグアム協会へ派遣された元名古屋コーチの築舘(つきたて)範男監督。練習では「イメージしろ! パスするときのボールの速さだ。速いに越したことはないけど、相手との距離が近いのに、速いパスを出して相手が受けられなかったら意味がないだろ」と英語で、初歩的なことを何度も何度も教えていた。
「1勝することが目標です」。築舘監督はそう話すが簡単ではない。代表候補は40人前後いるが、日本のようにプロ選手はいない。日々の練習に出てくるのは多くても20人。それも仕事が終わった夕方からで、休日の日曜は「家族との時間を過ごしたい」という選手の声もあり、練習を休みにせざるを得ないのだという。
「日本でいえば草サッカーレベル。ポジションもシステムもありませんよ。GKとFWが兼任だったり。だけど、大変なんて思ってません。サッカーを教えること、やることに変わりはないですから」。環境の違いにも決してくじけない「勝利」への強い意欲を感じた。築舘監督の情熱が、実を結ぶ日が来ることを願わずにはいられなかった。
January 30, 2006 10:25 AM
2006年01月29日
シロクンを見にきて:岡山俊明
シロクンをご存じでしょうか。競馬に興味のない人にも、ぜひ見ていただきたい特別な馬です。中央競馬に在籍する約8000頭の中でたった1頭しかいない「白毛馬」なのです。馬体は頭の先からしっぽまで透き通るような白さ。日光が当たるとまぶしく光る。あまりに目立つから、美浦トレセンの馬道を歩いているだけで皆が振り向くのです。黒目の部分が右目より左目の方が小さくアンバランスで、左目には鮮やかなブルーが入っています。愛嬌(あいきょう)のある名前からオーナーの愛情が伝わってきます。明日29日、東京競馬場で2戦目のレースに臨みます。
デビュー戦は、5日の中山競馬場でした。新聞各紙に印はほとんどついていませんでした。つまり調教の内容から好走する確率は低いとみられていました。ところが驚いたことに、発走直前まで単勝3倍台の1番人気に支持されていたのです。最終的には7・7倍の4番人気まで落ちましたが、単勝馬券を買った人のほとんどが、いわゆる記念馬券として購入したと思われます(馬券にはシロクンと印字される)。単勝票数は1万8865票。約1万人が熱烈なファンだと推測されます。潜在的なファンはもっと多いでしょう。本馬場入場の際はカメラを手にした人たちが、馬の歩みに合わせて場所を移動しながらシャッターを切っていました。盛り上がってましたねえ。
4コーナーを回ってジョッキーの手応えが怪しくなった時、場内アナウンサーが絶叫しました。「ちょっとシロクンは遅れた」。その瞬間、スタンドがドッと沸いたのです。やっぱりダメかあ。ほのぼのとした笑いと落胆のため息がターフに注がれました。普段のレースでは起こりえない現象でした。勝者がたたえられる競馬ですが、このレースに限れば主役はシロクンでした。着順は9着。6頭を負かしました。
日本初の白毛馬ハクタイユーの誕生から、27年がたちました。計16頭が生まれ、地方競馬で2頭が勝ちましたが、中央ではまだ先頭でゴールした馬はいません。シロクンは夢とロマンを背負って走ります。もしも活躍して人気種牡馬にでもなったら、白毛馬が飛躍的に増える可能性を秘めています。
競馬は3冠馬ディープインパクトの出現で盛り上がっています。1800万円を超える高額配当が飛び出した3連単も定着しました。競馬にはさまざまな楽しみ方があります。「この容姿だから騒がれるのは仕方ないよ。お母さんの時もすごかった。そのうち勝って話題を集められたらいいね」。白毛の母シラユキヒメも担当したベテランの佐々木厩務員は願っています。
「1度使ってガラリと変わったよ。デビュー前は朝カイバを少し残していたのに、平らげるようになった。3着ぐらいに来てくれないかな」。馬の体調はいいようです。1度ご家族で、友人、恋人同士で応援に出掛けてみてください。歴史的瞬間を目の当たりにできるかもしれません。
January 29, 2006 01:46 PM
2006年01月28日
李の巨人移籍成否は?:千葉修宏
今回のコラムは、今年から巨人でプレーすることになった“アジアの大砲”李承燁(イ・スンヨプ)選手(29)について書きたいと思います。僕は彼が韓国サムスンから日本に来た04年にロッテを担当しました。入団発表前にもかかわらず、ソウルで夫婦そろってインタビューを受けてもらったこともあります。彼には本当に日本で成功してほしいと思って、ここまで見てきました。
この2年間、李選手はかなりの進歩を見せました。04年は日本の投手の攻めに苦しみ、わずか14本塁打。韓国で“アジア記録”となるシーズン56本をマークした強打者の面影はありませんでした。もともと体が投手方向に突っ込んでしまうタイプで、高めの速球と、フォークなどの落ちる球種を組み合わされると、お手上げといった感じでした。
ですが昨年は、見事30本塁打を放ち、完ぺきではないものの日本野球への適応を感じさせました。相手の攻め方を理解してきたことと、ボールを長く引き付けて見極める技術が向上した成果でしょう。だから今年はロッテの主砲として、さらなる活躍を見せてくれると思っていました。
その李選手が先日、突如(と言っていいと思います)巨人への入団を決めました。昨年暮れから代理人、水戸重之弁護士とロッテとの間で再契約の方向で話が進められていましたが、決裂。1月13日には水戸弁護士の要請で李選手が自由契約となり、約1週間後の19日には巨人と契約を結びました。
僕は別にアンチ巨人ではないし、李選手にはセ・リーグで活躍して欲しいと思っています。ただ今回の巨人入りに関しては、理解できない部分も多いです。ロッテの年俸提示(出来高含め2億5000万)に不満を持ちながら、それより低額の巨人の提示(契約金含め年俸2億1000万)を簡単にのむなど、言っていることと、行動が伴わない感じが否めません。
李選手は、07年の大リーグ入りを目指しているそうです。しかし、再びセ・リーグの投手を一から学び直さなければならない巨人入りは、メジャーへの最後のアピールに向いているとは思いません。李選手はDHとしての出場ではなく、守れるところも見せなければ米移籍は難しいと考えているようですが、彼の持ち味は長打力。セ・リーグにはDHがない分、出場試合数自体が減る可能性だって十分あります。そうなれば、結果的に打撃でのアピールだってできないことも考えられます。
韓国球界の関係者が「巨人は日本のヤンキースだから。ファンも自国のスターが巨人でプレーするのはうれしいし、本人もそう思ってるんじゃないですか」と言っていました。確かにあこがれの球団でプレーしたいという気持ちは分かります。今回の巨人入りだってルールにのっとったもので、いちゃもんをつけられるいわれはないでしょう。ですが巨人へのあこがれの代償として、最終目標である大リーグが遠のく可能性があるとしたら…。答えは今季終了後に出ます。
January 28, 2006 11:38 AM
2006年01月27日
プロなら個性がなきゃ:荻島弘一
「月9」で西遊記が始まった。孫悟空、猪八戒、沙悟浄が三蔵法師のお供をして旅をする話。最近は暗いドラマも多かったので(それはそれでいいけれど)、水戸黄門的な安心して見られるドラマは逆に新鮮で思わず見てしまう。夜9時からは少し遅いとは思うが、子供も十分に楽しめる。
ただ、終盤になって黄門様が印籠を、じゃなくて悟空が如意棒を振り回す場面になると、どうしても頭の中にゴダイゴの「モンキー・マジック」が流れてしまう。悟空の堺正章らが、夏目雅子の三蔵法師と旅をする。78~79年に放送された伝説的なドラマだ。
その昔の西遊記が、MXテレビでは日曜日の夜8時から再放送されている(29日が最終回)。すでに30年近く前のドラマだから、特撮場面も今とは比べものにならないほどお粗末だが、理屈抜きに楽しめる。ゴダイゴの音楽とともに、登場人物が強烈なオーラを放っているからに違いない。
あのドラマの印象が強烈だっただけに、今の配役は我々のイメージには合わない。どうしても2つを比べてしまう。「やっぱり欲望丸出しの豚は西田敏行だよ。電車男が豚じゃなあ」とか「とらえどころのないカッパは岸部シローじゃなきゃ。ウッチャンはいい男過ぎるよ」なんて、友人たちは構わずに毒舌を吐く。確かに、前のイメージが強すぎると、なかなか新しいイメージが生まれない。
開幕を控えるJリーグにも、強烈すぎるキャラクターがいる。ラモスとカズ。J2の東京V監督に就任したラモスは、連日報道陣にネタを配りまくる。選手時代は大嫌いだった雪かきを率先してやり、若手選手の話になると「じょーだんじゃあないヨ」とまくしたてる。同じJ2の横浜FCで「監督補佐」に就任したカズは、練習初日に蛍光オレンジのコートで現れ、周囲の度肝を抜いた。人工芝で練習しようが、プレハブで着替えようが、キングはキング。時と場所を選ばず、強烈なオーラを放つ。
強い個性を持った選手は露出も増える。新聞でも、テレビでも、取り上げる頻度は高くなる。「今季のJ2は面白い」と言われるのも、そういうキャラクターがいるからだ。ラモス監督は「最近の選手は個性がないよ。プロじゃないよ」とほえた。プレーの上でも、人間的にも、個性的な選手が増えれば、Jリーグはもっと盛り上がるはずだ。
J1の横浜は今季「メディアへの露出度アップ」を目指すという。露出はファン層拡大や集客力のアップにつながる。プロだから、当然だとも思う。ところが、J1のクラブの中には「練習の取材はしないで欲しい」とか「書くのは試合だけでいい」というところもある。ラモス監督ではないが「じょーだんじゃないヨ」だ。ファンにアピールできなければ、個性ある選手も生まれて来ないと思うが…。
もっともっと魅力的な選手が出てきて欲しい。堺悟空や西田猪八戒のように、30年近くたっても語り継がれるキャラクターが生まれて欲しい。戦術やシステムの話だけではなく、酒の席は選手のキャラクターの話題で盛り上がりたいから。
January 27, 2006 10:16 AM
2006年01月26日
証人喚問“共闘”せよ:桐越聡
目の前にいる国会議員に紛れてやじを飛ばしたい-。そんな思いに駆られた。
耐震強度偽装問題をめぐる衆院国土交通委員会の証人喚問。約2時間続いた質疑の最後にヒューザーの小嶋進社長(52)は問い掛けられた。
糸川正晃議員(国民新党) 「証人喚問とはどのような場だと、お考えですか」。
小嶋社長 「え~。私、正確には存じ上げておりません」。
証人喚問を自ら望んだのではなかったのか…。最初から下を向いて時間の経過を待つような態度にもあきれた。証人席は記者席から3メートルほどの距離にあるから声は届くだろうが、まさか叫ぶわけにもいかない。「フゥ~」と、ため息をついて我慢した。
幾つかの事実が明らかになったとはいえ、何となく物足りなさが残る証人喚問だった。証人が証言を拒むことは法律で認められているのだから、こんな“作戦”に出てくるのは十分に予測できたはず。攻めあぐんだ感じがあって正直、もどかしかった。
たくさんの質問を準備していたのはいいが、回答や証言拒否にかかわらず次々と質問を読み上げるだけでは追及にならないのではないか。「あらためて」と断りは入れていたが、複数の議員が似たような質問を繰り返すのは時間がもったいない。「時間がありませんから…」と聞くたびに歯がゆいような思いがした。
数日前、冒頭の質問をした“新人”糸川議員を国会内の事務所に訪ねる機会があった。小嶋社長に質問した時の話を聞いていると糸川議員は「証人喚問のシステム自体が、おかしいと思うんですよ」と話し始めた。「本来、証人喚問というのは与野党関係なく追及する場。議員同士がある程度の情報を共有したり、どんな質問をするとか、事前に打ち合わせがあっていいんじゃないかと思うんですが、それが全くない」。
「『こんな事実があった!』と探し出すのは大変なこと。もちろん、党の功績だと強調していいんですけど、それを証人に突き付けて二の矢、三の矢を出し切れないまま終わるんだったら、政党は違っても、後続の議員が追及したらいいんじゃないかと思うんです」。なるほど、と思った。
こんな“提案”は国会では「青い」と退けられるのかもしれない。もちろん政党同士が、なあなあの関係であっては困るし、それぞれの立場から独自に追及していくのは大事だと思う。しかし、今回のように国民が被害者になったような場合には“休戦”し、野党だけでも共闘していくのは無理な話なのだろうか。小嶋社長の証人喚問も、野党の共闘が実現していれば、もっと違った展開になっていたような気がしてならない。
小嶋社長との関係がウワサされる自民党の伊藤公介元国土庁長官の証人喚問を求める声が増しているが、釈然としない証人喚問はもうたくさんだ。誰の厳しい追及がそれを面白くし、誰の優しい質問がそれをつまらなくしてしまうのか-。被害者の救済や再発防止に向けた真相の解明が最優先されるのを前提に、エキサイティングな証人喚問が見たい。
January 26, 2006 10:32 AM
2006年01月25日
欽ちゃん「100万年早いわ!!」:松井清員
マリナーズ・イチロー選手の自主トレパートナーを知っていますか? 藤本博史さん、29歳。南海やダイエーで活躍した“ヒゲの藤本さん”ではありません。1軍経験はないものの、米独立リーグを経てオリックスに02年から2年間在籍した同姓同名さんです。実はこの人、欽ちゃん球団「茨城ゴールデンゴールズ」の正妻で主力打者。大塚製薬と専属契約を結び、登録名は同社の商品名を冠して「アミノバリュー藤本」と言います。それにしても世界のイチローと欽ちゃん球団のコラボとはこれいかに?
これだけではありません。3月のWBC日本代表メンバーにも選ばれました。選手登録ではありませんが仕事はブルペン捕手。上原や松坂、藤川らの球を受けるわけです。裏方さんとはいえ、同じ日の丸のユニホームを身にまとう王ジャパンの一員。しかも勝敗を左右する投手陣の調整役を任され、時には打撃投手まで務めるとか。
「欽ちゃん球団やから、野球もふざけてやってると思ってたんとちゃいます?」。イチロー自主トレ取材中、藤本さんは核心を突いてきました。そう、図星でした。テレビで流れる映像のほとんどは欽ちゃんのマイクパフォーマンス。どうしても“お笑い野球”のイメージが強かったのです。でも欽ちゃん球団の実情は想像とは正反対。プロ並みの厳しさがありました。
西武黄金時代を支えた鈴木康友さん、羽生田忠克さんをコーチに招へい。土木工事など各人が仕事を終えた夕方4時から9時まで5時間の猛特訓です。最後は嘔吐(おうと)するほどの坂道ダッシュなど、メニューは常勝西武の基礎を築いた下半身づくりの「走と守」が中心。「もう1度挑戦したい」と言う藤本さん同様、選手の究極目標はプロであり、練習には妥協もお笑いもないのです。
契約もシビア。藤本さんも1年ごとの契約更新で、成績次第ではクビもあるといいます。昨年10月の新人オーディションに17人が合格した陰で、15人の選手がチームを去りました。そんな環境でハングリーにプレーする藤本さんだからこそ、イチローが6年間も自主トレの相棒に指名。昨年欽ちゃん球団でヘッドコーチを務め、日本代表スタッフの元巨人の鹿取義隆さんも、王監督に推薦したのでした。
チーム結成間もないころ、客席にギャグを飛ばしたある選手が、欽ちゃんにしかり飛ばされたそうです。「100万年早いわ! 君たちは野球人。一生懸命野球をやって勝ってお客さんを喜ばせなさい!」。欽ちゃんのパフォーマンスはあくまでファン拡大を目指した“客寄せ”。選手にはギャグ禁止令まで出し、ガチンコ勝負を求めているのです。
そんな欽ちゃんに電話取材。すると藤本さんにとびきりのエールを送ってくれました。「地道にやってきたことが認められ、クラブチームから世界の真っただ中に飛んでいく。欽ちゃんも含めてチームのみんなをWBCに連れて行ってくれた気分です。世界の野球に触れてデッかくなって、たくさんお土産を持ってきて欲しいなあ」。藤本さんは言いました。「必ず恩返しします。今年こそ都市対抗に出られるように」。
January 25, 2006 12:30 PM
2006年01月24日
裏切られる心地よさ:村上秀明
突然ですが、裏切られたことはありますか?
自分は何度も裏切られてきたといえる。信頼していた人に裏切られるのは、誰でも嫌なことだと思う。ただ「いい意味で」という前置きの言葉を付けると、ワクワクする一文に変身する。いい意味で裏切られる、ここに面白さの原点があるような気がする。
今月17日、第134回芥川賞、直木賞の選考会が開かれ、直木賞に東野圭吾氏(47)の「容疑者Xの献身」が選ばれた。原作の「白夜行」が今月からテレビドラマになるなど、売れに売れている作家だ。デビュー21年目、6度目の候補でようやく栄冠にたどり着いたミステリー作家こそ、自分を何度も裏切ってくれた張本人なのだ。
謎解きミステリーは不利とされる直木賞の常識を覆した形だが、作品も最後に大どんでん返しが待っているものが多い。4、5年ほど前に、週刊誌の連載を目にしてから、書店に並んでいるほとんどの文庫本は読み尽くしてきた。決して読書が趣味というわけではない(正確に言うと東野作品以外はほとんど読まない)が、完全にはまっている状態なのだ。
なぜ、ここまで魅了されるか。答えは、いい意味で裏切られるからという以外にない。作品のクライマックスで奇想天外な犯罪トリック、犯行動機、人間関係などが押し寄せ、「そう来たか」と何度も驚かされ、少し悔しくなってしまうくらい感心してしまう。もちろん、本の好き嫌いは十人十色でミステリー嫌いの人もいると思うが、自分はこの意外性を心地よく感じる。
一昨年の大みそか、ボケが売りのタレント、ボビー・オロゴンがK-1ファイターのアビディに大金星の判定勝ち。「史上最強の初心者」の触れ込み通り? だったが、格闘技歴1年のデビュー戦とは思えない意外性が、テレビ画面から離れなくさせた。お茶の間の期待をいい意味で裏切った頑張りだった。
昨年は、9年連続Bクラスだったロッテがプロ野球の日本一に輝いた。ロッテファンではないが、投手陣の安定感、スタンド応援の盛り上がりなど、気になることばかりだった。低迷してきたチームが想像以上の強さ(ロッテファンの皆さん、ごめんなさい)で前評判を覆した快進撃は、当然ながら注目を集めた。
横綱朝青龍が圧倒的な強さで勝ち続けるのも痛快だが、予想外の金星で館内に多数の座布団が舞うのも興奮する。スポーツだけでなく、お笑い、エンターテインメント、さらに突き詰めればスポーツ新聞も同じかもしれない。新聞の基本は守りながら、いい意味で裏切るところから、人々に興味を持ってもらえるのだと思う。
受賞後の東野氏は、今後の抱負をこう口にしたという。「これからも読者の期待を裏切らないように、裏切るときはいい意味で裏切るようにしたい」。
遊び心たっぷりの裏切りが込められたミステリー作品なら大歓迎と思い、その一方で、自分自身への教訓「裏切りの勧め」にも聞こえた。
January 24, 2006 11:46 AM
2006年01月23日
プライバシーか公か:押谷謙爾
「327番さん~」。年末年始、病院通いを続けた私はある病院でこの番号を与えられた。ここでは外来患者の呼び出しを名前ではなく、番号で行う。誰が、どんな関係の病気なのか、周囲に推測されるのを防ぐためだろう。名前や住所、電話番号を記入するいくつかの用紙には「医療目的以外にこの情報を使用しません」とある。引っ越しのため訪れた不動産屋でも同様の文面を見せられた。個人情報保護法の施行から4月で1年になる。情報がはんらんし、データの取り扱いに過敏にならざるを得ない時代である。
「今このアンケートにお答えいただくと、もれなく○○をプレゼントします」。面倒なトラブルはごめんなので、個人データ獲得を狙うこの手のアンケートは避けている。私の知人はこんな目に遭った。自宅近くの住宅展示場を訪れ、アンケートに答えたところ(粗品ゲットが目的だった)、そのデータをもとにイタズラ電話の攻撃を受けたのだ。最後にかかってきた電話の相手番号と日時が分かる、NTTの「136」サービスで調査。その番号にこちらから電話すると展示場が「犯人」と判明したという。ずさんなデータ管理に加え、嫌がらせ。「物騒な世の中だ」と知人はこぼしていた。
データ管理はひとごとではない。現在、日刊スポーツではプロ野球とJリーグの選手名鑑を作製している。個人情報保護法の施行後、社内指針でその基データはカギのかかるロッカーに保管する原則となった。
取材ノートやメモもしかり。取材対象者の連絡先を含めた個人データが満載だから、廃棄する場合はシュレッダーにかけて捨てるようにしている。
以前は選手の家族構成(名前、年齢)や愛車など細部まで記していたが、こちらは「夫人と1男1女」と原則的に個人名まで掲載しなくなった。原稿で名前を使用する場合は対象者の了承を得るようにしている。プライバシー保護と個人データの取り扱いが非常に難しくなってきたと感じている。
年末、テレビ番組でセレブとして有名なパリス・ヒルトンが事故に遭うシーンを見た。ハリウッドのナイトクラブから出てくると、待機していた大勢のパパラッチが取材を開始。ボーイフレンドの運転する高級車の助手席に乗り込んだが、パパラッチに取り囲まれ、立ち往生。そのボーイフレンドがジャケットで顔を隠しながら急発進したところ、前方のトラックに派手に衝突したというもの。彼女の場合、セックスビデオや携帯電話の登録内容が流出するなど話題が尽きないが、米国ではパパラッチの過剰取材が原因の交通事故が増加しているという。カリフォルニア州では過熱取材を規制するためパパラッチ規制法まで登場している。
我々マスコミは情報を提供する職業。しかし、どの情報までがプライバシーで、どこからが公にされていいのか、実のところ明確な線は引き切れていないと思う。三半規管の異常を指摘された私は病院の待合室で、知る権利とのバランスについて自問自答を繰り返した。
January 23, 2006 11:34 AM
2006年01月22日
組織のため語り継ぐ:山内崇章
2月1日の春季キャンプインがすぐそこに迫っている。プロ野球選手たちが真新しいユニホーム姿でいよいよ動きだす。彼らは今、シーズンのスタートに備え、自主トレの最終調整に入っている。1年間戦い抜くエネルギーを蓄えようと必死に自分を追い込んでいる。
1月の自主トレは、ベテラン選手が後輩たちを引き連れ、合宿形式で行うケースが多い。基礎体力の向上もさることながら、先輩と後輩の間で密度の濃い交流が行われるのも特徴だ。両者間で繰り返される指導と学習、世代を超えてじっくりと話し合う機会だ。
先日、三重県伊賀市で山ごもりをする横浜土肥を取材した。昨年プロ初の2ケタ勝利を達成、先発の柱に成長した9年目の左腕だ。2年目の岸本との練習中、後輩のフォームをチェックし、腕の振り方、球の回転、握りを細かくアドバイスする姿が目に留まった。
5年前の西武時代の土肥も、同様に先輩の後を追うように自主トレに臨んだ。足腰の鍛錬、持久力強化を目的とした青森でのスキートレ。慣れないスキー板で先輩を追い掛けたのは「1日も早くいっぱしになりたい。投球の基本、毎日マウンドに立つ中継ぎの心得を学びたいから」だった。
ベテラン遊撃手、石井の自主トレも、同じ遊撃手の若手3人を引き連れてのものだ。エース三浦もそう。5人の若手にスライダー、カットボールを伝授し、コーチさながら親身なアドバイスを送っていた。自主トレは、自己鍛錬の場であるが、後輩たちにとっては、実績を残した先輩の技を吸収する格好のチャンスだ。
それにしても、プロ野球選手は個人事業主だ。素朴な疑問が浮かぶ。選手個人と球団が契約を結び、求められた成績を収め続ける限り、報酬は保証される。ベテラン選手にしてみれば、若手の台頭は自分自身の野球生命の死活問題にもなりかねない。それでも伝えるのはなぜか。
三浦「確かに若いころは自分のことだけで精いっぱいでした。でも今は違う。自分だけ良くてもチーム全体は強くなりませんから。チームが勝つことが最大の目標。優勝したいじゃないですか」。
石井「30代前半までは、こんなことは考えられませんでした。もっとも、自分のための野球だし、簡単に譲る気はありません。でも、横浜に入って、横浜に育つ彼らに託したいという気持ちもあります。自分が組織のために何を残せるか。大事なことです」。
受け継がれた貴重な財産は、後輩にも見える形で伝えていく。上から下へ。強い組織の形成、将来の発展に世代間のリレーは欠かせないというのである。個人事業主とはいえ、彼らの言葉からは組織への強い帰属意識がうかがえる。
三浦、32歳。石井、35歳。長くて40歳前後で現役を終えるプロ野球界。一般企業ならば、かなり上の管理職の位置付けだろう。語り継ぐ責任を自覚し、組織の将来を考えられるだけの実績も積み重ねてきた。
会社に入って今年10年目。自分も、いつしか後輩からアドバイスを求められるケースも増えてきた。気付かされるのは語り継ぐ材料の少なさと、物事を教えることの難しさ。組織のために何を残せるか―。そんな帰属意識は自分にあるか。今すぐ言えない言葉でも、指導と学習のはざまで、ぬるま湯に漬かることだけはしたくない。
January 22, 2006 11:14 AM
2006年01月21日
披露しすぎた常套句:小林千穂
ある映画の試写会に行った時のこと。ゲストのグラビアタレントが、映画の感想を聞かれ「完パケもらって見たんですけど、すっごく面白かったです!」と答えていた。完パケ。会場の一般の観客を代表する気持ちで、心の中で軽く突っ込んでおきました。「分かんないよ、業界用語使われたら~」。まあ、文脈上、推測はできる。ビデオをもらって見たってことなんだろうな…って。
ちなみに完パケは「完全パッケージ」の略で、テレビとか映画の試写のために作られるビデオのこと。番組そのものってわけです。ただ、少なくとも芸能担当になる前は「完パケ」なる言葉は、使ったことも使う場面もなかったし、自分の語彙(ごい)にはなかった。今でこそ分かる言葉の1つだ。
最近はバラエティー番組も楽屋話てんこ盛りで、業界用語も笑いの要素にもなる。完パケくらいは通じるのかもしれない。でも、分かるだろうと思って使っている言葉が、意外と浸透していなかったりするのも確か。ちなみに映画の「プレミア試写会」はどうだろう。その場所の最初の試写ってことで、ジャパンプレミアなら日本で最初、ワールドプレミアなら世界で最初、ヨーロッパプレミアなら…ってな具合です。何の疑いもなく使っているけど、分かりやすく「完成試写会」でいいような気もしたり。まあ、プレミアの方が華やかな雰囲気がするんだけど。
一方通行にならないように気を付けなきゃと思っているところへ、私の原稿を読んだ友人からメールが来た。清純俳優がイメージチェンジしたという記事なのだが、友人のメールは苦笑いの絵文字入り。「『無精ひげ姿を初めてファンの前に披露した』って何だかな~」。つまり、大げさじゃない? ということでして。
「披露した」は、記事でよく使うフレーズではある。少し軟らかめのニュースなどの場合で、そんなシチュエーションがあれば「花嫁姿」でも「完成した豪邸」でなくてもいい、それこそ「丸刈り」も「毒舌」でも、「披露」させちゃう。でも、友人に言われてみて「確かに無精ひげ姿は『披露』じゃなくてもよかったな」と思った。業界用語に限らず、常とう句にどっぷり漬かっているのかもしれないと、少し反省し、少し新鮮な驚きをもらった。
ほかにもよく使うフレーズはある。例えば「切り捨てた」などだろうか。そのままの、切って捨てるという意味以外に、非難したり、苦言を呈したり、反論した時に使う。「ばっさり切り捨てた」なんてなると、2倍くらい厳しい言葉になる。雰囲気がよく分かる言葉だと思うのだが、もしかしたら、さっきの友人にとってはこの言葉も「何だかな~」の部類に入るのだろうか。
会話も記事もコミュニケーション。ひとりよがり感をたっぷり披露して、ばっさり切り捨てられないよう、気を付けようっと。
January 21, 2006 11:57 AM
2006年01月20日
理念へつなぐ好パス:岡本学
日本サッカー協会が、6月9日に開幕するサッカーW杯ドイツ大会の“前哨戦”で、世界のトップ5入りを果たした。といっても、ペン記者に与えられるW杯取材パスの話。この15日でドイツ大会への取材申請が締め切られたが、日本には約130枚が発行されることになった。
前回の02年日韓大会では、会場ごとにローカルパスも発行された。そのため今回と比較できないが、94年の米国大会が約30、日本がW杯へ初出場した98年フランス大会が約60という枚数からすると、異例の多さといっていいだろう。そのうち日刊スポーツには4枚の割り当て。94年の米国大会まで1枚、98年フランス大会でようやく2枚だったことを考えれば、地元開催の前回を除けば倍増、倍増と増枠した感覚。同協会が、国際サッカー連盟(FIFA)へ積極的に働き掛けたことが倍増を勝ち取ることにつながった。
ジーコジャパンが昨年6月8日にW杯へ世界一番乗りを果たしたことも追い風となり、報道陣からの増枠要求が、まだ出場国が半数も決まっていない段階で同協会に出された。これに同協会も迅速に対応した。W杯アジア最終予選の取材実績(ペン記者100人超)を資料として用意。9月に開催されたU-17(17歳以下)世界選手権に役員としてペルーへ出向いたFIFA理事でもある同協会の小倉純二副会長が、FIFAの広報担当らと直接交渉し、日本マスコミのサッカーへの関心の高さ、取材実績などを粘り強くアピールした。その結果が、130枚という倍増につながった。
日本サッカー協会では昨年の元日、同協会の理念、ビジョンなどを2005年宣言として発表した。その中で、10年後の15年までに「世界でトップ10の組織」となることを約束している。同協会の手嶋秀人広報部長は「ペン記者へのパスが通信社を含めて約130確保できた。これは世界のトップ10どころか、恐らくトップ5に入る数字」と胸を張った。
将来の目標達成に向け、日本国内のサッカー熱を冷まさないという意味においても、報道できる環境を確保したことは大きい。FIFAでは国別のパス発行枚数を明かしていないが、開催国のドイツに次いで、英国、ブラジルなどとともにトップ3を争う数字、と推測される。
W杯のパスぐらいで、トップ3だのトップ5だの言っても、まだ世界のトップ10に入る組織とはいえないことは、同協会関係者も自覚している。ただ、近い将来に世界のトップ10の組織、さらに50年までにW杯を日本で開催してその大会で優勝するという約束の実現に向け、最初の1歩を踏み出したことは間違いない。
小倉副会長は「待っているだけじゃダメ。積極的に働き掛けていかないと」という。たかがパスの話だが、同協会にとっては大きな自信になる倍増確保。6月9日からの本番、さらに9年後の15年、44年後の50年の目標達成へ幸先の良いスタートを切った。
January 20, 2006 11:19 AM
2006年01月19日
41歳早実同級生の死:岡山俊明
同級生の死はつらい。「小沢章一さん がんに死す」。本紙16日付の見出しに後頭部を殴られた。荒木大輔とともに80年夏から5季連続で甲子園を沸かせた名二塁手。41歳はあまりにも若すぎる。26年前がよみがえった。
剛腕でもスラッガーでもない守備の男が、甲子園のヒーローとして多くの人に記憶されているのは、彼ぐらいではないだろうか。早実では商業科と普通科に分かれたため同じクラスで学ぶ機会はなかったが、飾らず、表裏がなく、人懐っこい性格は皆に親しまれた。有名になっても、えらぶるような態度は見せなかった。学園祭は大ちゃんフィーバーで校門から地下鉄早稲田駅まで女子高生の長蛇の列ができ、野球部の主力に自宅待機が命じられるほどだったが、彼はこっそり顔を出して楽しんでいた。本当に普通の生徒なのに、グラウンドではひときわ輝いた。
早実は高校から野球推薦で何人も素質ある選手が入部してくる。一般入試で入る早実中からたたき上げでレギュラーを取るのは容易ではないが、華麗なグラブさばきと快足は抜きんでていた。
荒木は速球とカーブを武器に、絶妙のコントロールで打たせて取るタイプのピッチャー。打者はストレートに詰まらされ、カーブに泳ぎ、ことごとく二遊間にゴロを転がした。1年夏の1回戦、北陽戦は5回まで15アウトのうち、実にセカンドゴロが7個。小沢はこれを皮切りに42連続守備機会無失策の大会記録を打ち立てた。鉄壁のバックがいたから、荒木の頭脳的投球が生きた。アルプススタンドで歌いまくった「紺碧の空」。抜けるような青空を背景に6-0の圧勝を知らせるスコアボードが、黄金時代の幕開けを告げた。あの夏、荒木と小沢の1年生コンビが日本中をとりこにした。最初の準優勝が、結果的に彼らの最高成績となった。
小沢のクラスメートだった友人は、こう振り返る。「運動は何をやらせてもうまかった。体は小さいのに(166センチ、60キロ)、バレーボールで強烈なバックアタックをたたき込んだのは今でもはっきりと覚えている。バレー部のやつらが本気で欲しがってたからな。たとえ野球でなくても、成功していたと思う」。我々柔道部は野球部と違って全国レベルではなかったが、彼らの頑張りは同学年として励みになった。脱水症状寸前の夏合宿や、早大との合同げいこ、先輩の理不尽なしごきに耐えられたのも、スターにもかかわらず仲間と感じられた彼がいたからだった。
高校を卒業してからも、心の片隅に存在し続けた。千葉英和高の監督に就任してからは、毎年夏の千葉県予選の結果を追った。慣れ親しんだ高校野球の聖地で教え子を指揮する姿が待ち遠しかった。4年前にはベスト4まで進んだ。あと1歩まで近づいたのに。
これからも折に触れて彼の名を思い出すだろう。最後に、限られた命をどう生きるべきか、あらためて教えられた気がする。19日が告別式。昭和39年組の誇りよ、永遠なれ。
January 19, 2006 12:09 PM
2006年01月18日
分煙だめなら禁煙に:千葉修宏
JR九州が、07年3月ごろに、列車の喫煙席を廃止することを明らかにしました。喫煙席を廃止するのはJR各社では、JR北海道に続き2番目のことだそうです。これは僕のようなノンスモーキング派には、本当に朗報です。禁煙の徹底している米国ならまだしも、取材で日本各地を飛び回らなければならない記者にとって、いかに移動を快適にするかというのは、永遠のテーマ(大げさ!?)だからです。
飛行機は全面禁煙なので問題ないのですが、ひどい高所恐怖症の僕にとって、出張はなるべく電車や車で済ませたいところ。これまで電車で移動する場合、喫煙車両しか席が空いていない時などは、禁煙車両に立つ方を選んでいました。今後、列車の全面禁煙化の流れが、すべての鉄道会社に波及すれば、もっともっと旅が楽しくなるんですけどね。
という原稿を今、新宿のとあるファストフード店で書いています。都庁近くにある店なのですが、無線LAN(無線を使ったローカルエリアネットワーク=一施設内程度の規模で用いられるコンピュータ・ネットワーク。高速でインターネットにアクセスできる)が使える上に、電源用のコンセントも利用できます。取材後、町中で記事を書かないといけない記者にとっては、本当に重宝する店です。
ただ1つだけ難点が…。店内がえらいたばこ臭いんですよ。禁煙席と喫煙席に区切られてはいるものの、座席を別にしている程度。煙は容赦なく禁煙席に流れ込んできます。店を出るころには、僕の上着にしっかりとたばこ臭が染みつき、家でヨメに近づけば、鼻をつままれる始末…。ファミレス等でもよく思うのですが、申し訳程度の分煙ではなくて、店内を完全に二分するカベとかって作ることはできないんですかね。
僕らは民主主義の中で暮らしているので、喫煙者の権利も認めなければならないと思います。ただ他人に煙を吸わせることは、それだけで人を傷つけているのと同じです(たばこの煙に多数の発がん性物質が含まれているのをはじめ、その害をすべて書いていると、このコラムの原稿量を軽く超えてしまいます)。だからカベ等で完全に煙をシャットアウトできるような店以外は、基本的にはどんな店であっても禁煙にするというのが、本当の分煙なのではないでしょうか。
以前、知人に「たばこはやめた方が良いよ」と言ったところ「分かった。なるべく軽いたばこにするよ」という返事が返ってきました。軽いたばこにして、本人の寿命がほんの少し延びればいいという問題ではないと思います。一番の問題は他人に無理やり煙を吸わせていること。もちろんマナーを守り、人に煙が行かないように注意を払って喫煙している人もたくさんいると思います。そういった人たちと共存するには、やはり施設面での整備が必要不可欠なのではないでしょうか。
January 18, 2006 11:00 AM
2006年01月17日
今は昔「俺たちの頃」:荻島弘一
「おれたちの若いころは」とか「今の若いやつは」なんて誰でも言われた経験があるはずだ。また、ある程度の年齢になれば、1度は言ったことがあるだろう。デスク時代は、若い記者に対して極力言わないようにしてきた(つもり)。それでも、同世代の人間が集まれば、当然のように「今のやつは」になり「おれたちのころは」という話になる。
88年ソウル五輪柔道金メダリストの斉藤仁氏を、十数年ぶりに取材した。14日と15日の2日間、日本武道館で行われた嘉納杯国際柔道でだ。初日の66キロ級では19歳の秋本が優勝するなど若い選手も頑張ったが、全体的には決していい内容ではなかった。全日本の斉藤監督は、渋い表情で「一からじゃなく、0から出直し。やっぱり精神力が足りない」と総括した。
2日で45歳になった斉藤監督もまた「おれたちのころは」と言いたいのだろう。20年前と今とでは、スポーツの環境は大きく変わっている。柔道も同じだ。伝統的で保守的な柔道界もプロ化の流れには逆らえず、今では大会で優勝すれば会社やスポンサーからボーナスが出るのは当たり前。恵まれた環境も、精神力を弱くしているのかもしれない。
「柔道界だけじゃなく、ほかのスポーツも同じ。いや社会がそうなんだ。会社だって同じでしょ」と、斉藤監督は言った。同世代だけに、こういう話は盛り上がる。それでも、斉藤監督は「おれたちのころは、とは言わない。選手のころに同じことを言われても、冗談じゃないと思ったから」。時代が違えば、考え方も違う。仕方ないことだ。ならば、どう選手を、部下をやる気にさせるかが問題だ。
「まずは選手の個性を知ること。それぞれ、やる気を起こさせるツボが違うからね。それを探して、押してやる。これが楽しいんだよ」と斉藤監督。自分たちの経験をそのまま当てはめても、選手は動かない。だから、まず相手を知り、そして動かす。価値観はどんどん多様化しているから、押すツボを間違えると、まったく逆の結果にもなる。
「誰かのため」「何かのため」というのは、選手の大きなモチベーションになる。かつては「日本のために」と頑張ったが、いつしか古くさくなり、今では「自分のために」というのがほとんどだ。団体競技なら「チームのため」があるが、個人競技だとそれも難しい。よほど選手自身がしっかりしないと、厳しい練習には耐えられない。斉藤監督と同じソウル五輪で金メダルをとったレスリング日本代表の佐藤満ヘッドコーチも「選手をどう乗せるかが、一番難しい」と言う。
トリノ五輪開幕まで1カ月を切った。五輪ムードが盛り上がる裏で、08年北京五輪に向けての戦いは休むことなく続いている。斉藤監督ら指導者も、戦っている。現役時代143キロの体重は2ケタ近くまで落ちていた。「今大会のふがいなさは、鍛え直すきっかけになる」と斉藤監督。北京まであと2年半、長いようにも感じるが「おれたちのころは」なんて思っている世代にとっては、あっという間のことなのだろう。
January 17, 2006 11:23 AM
2006年01月16日
Vサイン表裏の顔:桐越聡
警察車両の中から、テレビカメラに向かって「Vサイン」を出したまま警察に連行されていった男がいた。映画やドラマの1シーンではない。実際に起こった死亡事故の直後、加害者の男がそんな行動を取っていた。2カ月ほど前、その瞬間の映像を民放テレビ局のニュース番組で見て、怒りのような感情を抑えられなかった。
◆事件の概要 05年11月1日午後9時40分ごろ、東京都世田谷区成城の路上で、女性(20)が乗っていた自転車が、後から来た世田谷区成城の介護士、河名貴理被告(27)の乗用車にはねられた。乗用車は約50メートル先の電柱に衝突して止まった。同被告は酒気帯び運転だった。女性は間もなく死亡した。
12日、業務上過失致死と道交法違反に問われた河名被告の初公判が、東京地裁であった。
どうして「Vサイン」を出したのか? どんな意味があったのか? 河名被告は「撮らないでくれという意味だった」と供述していたが、検察側は、同被告が出した「Vサイン」は、英国では侮辱の意味を込めて使われることがある、と指摘した。同被告は英国の中学と高校に通っていたのだから、知らないはずがない。その意味を分かっていて出した「Vサイン」だったのではないか-。
じゃんけんのチョキを出したまま手のひらを相手に向けるのが、よく見受けられる「Vサイン」。それとは違って、河名被告は中指と人さし指を立てたまま、手の甲をテレビカメラに向けていた。英国在住の春日洋平・日刊スポーツ通信員に聞くと「手の甲を見せるVサインは英国では侮辱することを表します。米国で、中指を立てたまま相手に手の甲を向けるのと同じような意味になります」という。表と裏では全く違っていた。恥ずかしながら、そんな意味があるとは知らなかった。
河名被告はアルコール依存症で治療を受けていた。事故当日の昼ごろ、主治医に止められていた酒を飲んだ。事故の直後には乗用車の運転席に居座り、たばこを吸った。駆け付けた人に促され、ようやく車外に出たものの倒れていた女性には見向きもしなかった。警察官には「自転車が悪い。自転車を取り締まれ」と話したという。
そんな行動の後に出した「Vサイン」には「撮るな」以外の意味はなかったのか。初公判では、河名被告に取材者や集まっていた見物人らを侮辱するような意思があったのかはハッキリとしなかったが、結果として遺族らの感情を逆なでしたのは間違いない。
亡くなった女性の父親は河名被告が「Vサイン」を出した映像を事故の翌朝のテレビ番組で見たという。「人の娘を殺しておいてVサインはないだろう」。検察側が読み上げた調書によると、そんな気持ちになったという。約1時間半続いた初公判の最中、うつむく同被告の顔をにらみ続けていた。
亡くなった女性は私立大学の2年生。同級生には、管理栄養士になって糖尿病を患う父親の健康を管理したい、と口癖のように話していたという。あの事故がなければ初公判の日の3日前に「成人の日」を迎えていた。女性が無邪気に「Vサイン」を出して記念撮影に納まっていたかもしれないと思うと、やりきれないものがある。
January 16, 2006 11:23 AM
2006年01月15日
番長オーラ後輩育成:松井清員
「お帰り!」。今の清原ほど、この言葉が似合う男もいない。PL学園を86年に卒業して以来、20年ぶり。大阪人ながら西武入団、巨人FA移籍とすっかり“東京の人”になっていただけに、今回のオリックス入団は待ちに待った里帰りだ。昨年まで阪神担当だった私は今年から「清原番」を拝命。地元スターが野球人生をかけて戦うシーズンの大役とあって、年明けから緊張の日々が続いている。
実は私も清原の出身地・岸和田市にある岸和田高校の出身。元球児で、実家でもある「清原電器店」前は部活のランニングコースだった。「おう、君ら岸高か、頑張れよ!」。“清原さん”が高3、私が高2だった日生球場での夏の大阪府予選開会式。地元校のよしみか、わざわざ弱小校の列まで来て激励してくれた。見上げた大きな体、こちらが小さく「ハイ」と答えるのが精いっぱいの圧倒的威圧感…。でも私ごときの平凡球児だけではない。プロ野球選手ですら今なお、番長が放つオーラにシビれ切っている。
阪神藤川球児投手(25)は言う。「清原さんはスゴい方。僕もあの対戦が成長できるきっかけになったんです」。昨年4月21日の巨人戦、東京ドーム。通算500号のかかった清原をフォークで三振に斬(き)った。「チ○ポコついとんのか!」。直球勝負を望んでいた清原はバットをたたきつけたが、実は藤川も悔しがっていた。「力があれば、僕も直球を投げたかったんです」。それから直球を磨いた。そしてストレートをウイニングショットとするまでになり、日本新の80試合登板と優勝に貢献した。
阪神橋本健太郎投手(25)も「このままじゃプロで通用しないことを教えてもらいました」と言う。4月13日の巨人戦(甲子園)で、初対決の清原をチェンジアップで空振り三振に斬った。だが翌14日の対戦ではその勝負球を狙われ「投げる球がなかった」。持ち球は縦変化ばかりで、横への変化はなし。その打席は何とかフォークで三ゴロに仕留めたが、この対戦が1つの転機になったという。そこから真剣にスライダーを習得。新人ながらJFKにつなぐ6回の顔となった。
清原の加入でファンも増え、6年連続Bクラスに沈むオリックスが活気を取り戻すことは間違いない。体調さえ戻れば中村紀洋内野手(32)とのコンビで打線に太い幹ができ、計り知れない相乗効果でチームも上がる。だがもう1つ、私が別の視点で注目しているのは、ライバル球団の選手をも育てる「カリスマ性」だ。体力的に全盛期は過ぎた。本人も引退覚悟で挑む06年。だが全身が放つオーラは陰りどころか、年々輝きを増しているように思う。
一流がメジャーを目指して海を渡る時代。名勝負と言われる対決が年々が減ってきたように、国内のスターも数少なくなってきた。そんな中でも、清原は対戦相手に何かを感じさせ、成長させる力を持っている。今年39歳にしてなお、日本の野球レベルを上げることができる存在だ。特に今の若い選手の多くは、幼いころから怪物伝説にあこがれた世代。残りの野球人生でどれだけの“財産”を残せるか。その期間が長いほど、プロ野球は面白いと思う。
January 15, 2006 12:12 PM
2006年01月14日
スケートのきんに君:村上秀明
最近、テレビを見ていてずっと気になっているお笑いタレントがいる。真冬でも季節外れのタンクトップを着て登場。鍛え上げた体を駆使した一発芸を繰り出す筋肉タレント、なかやまきんに君だ。面識はないが、テレビで声を張り上げる異色なキャラクターは思わず見入ってしまう芸能人の1人だ。
100センチ超えの胸囲などムキムキの肉体を生かして、テレビ番組のスポーツ企画でも大活躍している。「健康のためなら死んでもいい」がキャッチコピーらしい。ギャグか本気か分からないが「おいっ! 上腕二頭筋」などと、自らぴくつかせた筋肉に呼び掛ける。その真剣に見える顔は、本当に筋肉と会話しているんじゃないか、と思ってしまうのは自分だけだろうか?
筋肉と対話。同じ雰囲気? を醸し出すアスリートが、担当しているスピードスケート界にも1人いる。男子500メートルの前世界記録保持者、清水宏保(31=NEC)だ。こっちの「キン肉マン」は至って真剣だ。スポーツ選手はどんな競技でも体が資本だが、清水と筋肉は切っても切れない深い関係なのだ。
あと1カ月を切ったトリノ五輪。今季は技術、スケート靴に悩み不調が続いている清水だが、シーズン前に肉体だけは万全に近い状態に仕上げていた。体脂肪率は約8%に絞り、スタートの瞬発力に直結しスケート選手の象徴ともいえる太もも回りは、昨季より1センチ増の64センチになった。毎年見慣れているはずの太ももだが、そのたくましさに今年も驚かされたものだ。
女性タレントのウエストサイズが(あくまでも公称サイズだが)60センチ前後だとすると、すごさが明確になる。162センチと小柄だが筋肉にボリュームがあるため、競技用のウエアは自らも意見を出した特別仕様だ。関係者は98年長野五輪金メダルを振り返り「技術よりパワーで勝ち取った金メダル」と評したほどだ。
清水は小さいころ、持病のぜんそくを克服しようとして体を鍛え、スケートを滑ったのは有名な話だ。02年11月に腰椎(ようつい)の一部亀裂骨折が判明したが、周囲の筋肉を鍛えることでカバーしたという。以前、清水がこう口にしたことがある。「自分の体験がハンディを抱えている人へのメッセージになればいい」。筋肉と対話を続けてきた根底に、この「伝言」がある。
長野五輪直前に帯広市内のホルモン専門の店で、ひたすらホルモンをほお張っていた姿が忘れられないが、あれから8年。マスコミを極力避けていた02年ソルトレークシティー五輪時に比べ、近年は報道陣との対話も多くなったが、06年の年明けから口数も少なくピリピリムード。4度目の五輪が近いことを感じさせた。
筋肉を使ったパフォーマンスで売り出している(はずの)なかやまきんに君。筋肉というキーワードで、担当記者として必ず思い出してしまう清水の姿。31歳にして進化を忘れないスケート界の「きんに君」は、リンク上で今度はどんなパフォーマンスを見せてくれるのか、楽しみだ。
January 14, 2006 10:12 AM
2006年01月13日
九州時代誕生の秘密:押谷謙爾
今から半月前、宮崎県のほぼ中央に位置する人口約7500人の山あいの町で彼らは1つになっていた。いろりを囲み、地元の芋焼酎の瓶を次々と空にした。酒のさかなはサッカー談議。あまりの熱気で部屋を暖めていた石油ストーブの火が落とされた。
九州勢を中心に全国高校サッカー選手権出場の12チームがJリーグG大阪のキャンプ地で知られる宮崎県綾町に集結した。12月下旬、大会前に練習試合を行う恒例の九州強化合宿だ。夜には伝統の食事会も開催された。集まった幅広い年代の監督、コーチが酒を酌み交わした。戦術や指導について意見交換する車座がいくつも広がった。
「九州は1つ」。九州の高校サッカー指導者の合言葉である。「結束力の強さはどの地域にも負けてない」。多くの監督たちが口をそろえる。頂点を狙うもの同士が敵味方を超え、結束する。そのルーツは1970年ごろにさかのぼる。
当時は関東、東海勢が全国の上位常連。「なんとかして九州のチームが全国で勝てないか」。福岡商(現福翔)の藤井正訓監督(73=現九州サッカー協会会長)が発起人となり大分工、島原商、鹿児島実と合同合宿を始めた。昼の試合が終わると、夜は“飲みニケーション”で強化策を探った。日付が変わるのは日常茶飯事。「強くなりたい」。熱い思いは輪を広げ、焼酎の量を増やした。毎回、九州大会や全国大会前に代表校が集い、昼夜をかけて技術交流を図った。
昨年度選手権王者の鹿児島実・松沢隆司総監督(65)も若いころ、焼酎で意識がぼんやりする中、机の下で先人たちの言葉をメモした。せっかくの会話を忘れないようにと、懐にはテープレコーダーを忍ばせた。仲間意識を持った鍛錬のおかげで九州各県、各チームのレベルはアップ。選手権ではここ10年、九州勢が6度の優勝を誇る。四半世紀を経て、藤井会長の思いは実を結んでいる。とはいえ、もちろん勝敗を競う。頂点に向かい、しのぎを削る作業は楽ではない。中学生のスカウト活動で競合し、因縁を残したなんて話も聞くし、試合中にヤジの応酬も見る。監督同士の付き合いを「策士と策士、タヌキとタヌキのだまし合い」と言う人もいる。だが、根底には「九州は1つ」の合言葉があり、友情がある。
3年ほど前、東福岡の志波芳則監督(55=現コーチ)が不祥事で解任され、1年間の謹慎処分を受けた。選手権も監督だけ不参加だった。当時、批判や同情など指導者仲間の反応はさまざま。学校の取り調べや我々マスコミの追及が続いていたある日、福岡市内の選手寮へ鹿児島から1通の茶封筒が届いた。中身はA4判の半紙が1枚。力強い毛筆の2文字があった。ただ、「我慢」と。ひげが伸び、ほおのこけた志波監督の手が震え、細長い目が潤んでいた。送り主は鹿児島実の松沢総監督。九州の高校サッカー取材で、彼らの合言葉の深さを感じさせられる出来事だった。
私の故郷、滋賀の野洲の初優勝はうれしい。でも、独特のチームワークを持った九州勢が今後どう結束し、巻き返すのか。こちらの方にも興味が尽きない。
January 13, 2006 12:04 PM
2006年01月12日
生き方学んだ“原点”:山内崇章
あなたの原点はどこにありますか。そこで何を学び、自分を支えてくれた人にどうやって感謝の気持ちを伝えていますか。
そんな問い掛けを受けた気がした。4日、横浜の三浦大輔投手が母校の奈良・高田商で今季のスタートを切った。15年ぶりに後輩たちと汗を流した彼の真っすぐな感想が印象的だった。
「ここは野球だけでなく人としての生き方を学んだ原点です。後輩たちはみんな野球が大好きな顔をしていた。プロになっても、その気持ちは忘れるべきでないし、ここで頑張ったから今があることをずっと心に持ち続けたい」。
内野手として高田商に入学した三浦だが、肩の強さを買われて1年の秋から投手に転向。直球は平均点でも、スライダーの切れは、当時から一級品だった。
2年になるとプロのスカウトが集まりだし、本気で上を意識した。弱点克服へ、連日200~300球の投げ込み。周囲に「やり過ぎだ」と制止されても1人外野を走り続けた。グラウンドは、今の三浦を形作った紛れもない原点だ。
だからこそ感謝の気持ちも絶えない。シーズン中に使い古した用具を集めては、後輩たちに宅配便で送る。正月に帰省すれば、母校に出向いて恩師へのあいさつを欠かさない。14年間、変わらぬ三浦の慣例だ。
高田商・山下善啓監督。「高校生に直接の指導はできずとも、生徒たちも三浦の姿勢をしっかり見ていますから。ああいう子が先輩としていることは、私たちにとっても幸せです」。
花道で自分だけが成功の余韻に浸ることはしなかった。原点にいる人々も幸せな気分にさせている三浦がうらやましく思えた。
さて、自分の原点-。
故郷秋田は、年末から記録的な大雪に見舞われた。12月の積雪量は88年ぶりに更新された。観光地として有名な男鹿市では、この冬の除雪費用を2000万円と見込んでいたが、今度の大雪ですでに2億円が使われた。寒さと雪の厳しい環境下で、原点にいる人々は暮らしている。
今月5日には、飛行機、電車はもちろん、庶民の足であるバスも運休となった。実家には日刊スポーツも届かなかった。車で出勤しようとした家族も、自宅前の除雪が追い付かず会社に遅刻する事態にも見舞われた。
18歳まで過ごした秋田は、私の原点だ。中学時代、プロ野球選手になりたくて、吹雪の中を走って登校した。腕力、足腰が鍛えられると信じて、自宅前の除雪もした。いずれも「雪国のハンディを逆利用しないとプロには行けない」と父に諭されて実行したもの。夢かなわず、単細胞の自分を悔いたりもしたが、家族が1つになり、家を守る意識を雪国の父から学んだ。
今、この時間も、危険を顧みずに屋根の雪下ろしに励む人々がいる。今の自分にできることは、連日の電話で状況を聞き、無事を確認するだけ。具体的な行動を何も起こせぬままに。
高く降り積もった雪の映像を見ながら思った。今すぐ除雪作業に加われなくとも、原点で自分の背中を押してくれた人々への感謝の気持ちを持ち続けたい。横浜の三浦のようなヒーローにはなれないが、原点にいる人々に温かいメッセージを送り続けたい。今日1日の安全と健康を祈っています。気を付けて外出してください。
January 12, 2006 11:44 AM
2006年01月11日
ケースに入る窮屈さ:小林千穂
正月早々、韓国の若手俳優の新作映画取材でソウルに行ってきた。2泊3日の日程の中で半日、時間ができたので、ヨン様ことペ・ヨンジュンの記念館に行ってきた。前もって言っておくが、私は特別なヨン様ファンではありません。あくまでも、今後の仕事の資料というか、参考というか。フラットな気持ちで行ってきたお話なので、多分いるであろうアンチの方も、この先をどうぞ。
所属事務所として使っていた一軒家をそのまま記念館にした4階建ての建物内部には、彼の写真や映画の台本、衣装などが数百点、展示してあった。来日した時に着ていた、ピンクのジャケットもマネキンに着せられていた。そして、ガラスケースの中には、トレードマークの眼鏡のほか、ハンカチ、ネクタイ、香水ビン、ネックレスまでもが飾ってあった。
生きながらにして、ガラスケースの中に収められてしまった人-。
ファンではなく仕事の延長のつもりで行ったという最大の大前提があるにせよ「日本で社会現象を起こすほどの人気俳優の記念館に行った」という高揚感というか、話のネタにでもという楽しさは感じることができず、何となくさみしさをおぼえてしまった。
こんなさみしさを一体どうして感じるんだ、どう言葉で表せばいいんだろうと、自分で理解できずにいたが、帰ってきてすぐに読んだある本のエピソードで、ストンと解決した。その本は落語家の名人列伝なのだが、4年ほど前に亡くなった、好きだった師匠のことも書いてあった。うっとりするような美しい言葉やしぐさ、空間そのものをどこかに連れて行ってしまうような、それでいて強引というのではない、さわやかな笑い。そして、名人とたたえられるにつれて深くなっていった苦悩もつづられていく。そして筆者のこんな言葉に当たった。
「彼がいたことは私たちの幸せだったが、個人の幸福は違ったところにあったのではないか」。
ガラスケースの中に収められてしまったヨン様を見て感じた気持ちとシンクロした。「彼は望んでいるのだろうか」と。もちろん、大切にするファンのためにということは十分、分かる。でも彼は現役で活躍中だ。これからも活躍し続ける人だと思うし、ケースに収まるのはまだ早いのではという気持ちもあった。「こんな大それたことになって」かえってきゅうくつなのではと思ったのだ。
ヨン様に限ったことではない。好きすぎる気持ちは、たくさんの人を小さな箱の中に押し込み、きゅうくつな思いをさせているのかもしれない。芸能界でもスポーツ界でも活躍途上でケースの中に収まっている人々は多い。きゅうくつだ、なんてみじんも感じていないのかも。それでも、これからどんなケースを見ても同じようなことを感じ、ほんの少し心配してしまいそうだ。「本当に望んでいるんですか、これで生き方がきゅうくつになりませんか」と。本人しか知り得ることではないので分かりませんが、いつか聞いてみたいです、ケースに入ってる人々に。
January 11, 2006 11:05 AM
2006年01月10日
喜べない道具の進歩:岡本学
3日遅れの正月休みを利用して、家族と2泊3日で軽井沢へスキー旅行に出掛けた。本格的に(といっても趣味程度だが)スキーを始めて20年以上になるが、ここ数年でスキー場での風景も様変わりした。スノーボーダーが圧倒的に増え、W杯が開催できそうなハーフパイプのゲレンデまで開設されていた。自分がスキーを楽しむのは1シーズンに多くて2回。スノーボードに新たに取り組むどころか、ここ10年は新しいスキー板さえ買っていない。ただ、そのスキー板も時代遅れになっていた。
ゲレンデでほかのスキーヤーを観察して気付いたのは、スキー板が短いことだ。200センチというような、長い板でスキーを楽しんでいる人を探すのはなかなか難しい。今の主流は自分が使っているような「ノーマルスキー」ではなく「カービングスキー」といって、トップとテール(スキー板の前と後ろが)が幅広で、ノーマルと比較して板が短いのだ。カービングスキーを使用すると、圧倒的にターンがしやすいのだという。
技術のなさを、道具がカバーしてくれる。スキーだけではなく、ゴルフもそうだろう。スキーと同時期に始めたゴルフも最初はパーシモン(柿の木)のドライバーを使っていた。なかなか「芯(しん)」に当てることができなかったが、その後、メタル、チタンとドライバーのヘッドも様変わりし、今ではヘッド体積が400CC前後が当たり前という大型ヘッド時代になり、打ち損じが減った。
自分のように趣味でスキーを楽しんでいる人間にとっては、カービングスキーの登場がよりスキーへの楽しみを広げてくれるだろう。また、大型ヘッドのドライバーに代表されるゴルフ用具の進歩も、ゴルフをエンジョイする上で大きな手助けになっている。
ただ、用具の進歩に頼ってばかりじゃいけない、と思うこともある。少年野球のコーチをしている、と以前にこのコラムで書いた。教え子たちが「将来はプロを目指したい」と言うなら、最近登場した「芯」の幅が広い、飛ぶバットは使わないよう指導している。野球を楽しむ分には、すごくいいバットだと思うし、実際に使用すると確かにボールが飛ぶ。だが、一番成長する時期にバットの「芯」でボールをとらえる技術を体得できないのは弊害になる。将来、プロになってこのバットを使えるのであれば、話は別なのだが…。
記者になって15年以上経過するが、最近は漢字を書けなくなった。入社した当時と比べて原稿を手書きする機会が激減。ワープロ、そしてパソコンへ移行して原稿を「打つ」ようになったため、手紙やはがきを書こうとしても漢字が頭に浮かんでこない。結局、パソコンをたたいて、出てきた漢字を書き写すという情けない状況になっている。
技術はこれから、ますます進歩していくだろう。登場してくる便利な用具や機械に、頼るか頼らないかの見極めを、これから、しっかりとしていきたい。
January 10, 2006 11:45 AM
2006年01月09日
代表馬ファン投票を:岡山俊明
05年の中央競馬で優秀な成績を収めた馬に授与されるJRA賞10部門および年度代表馬の記者投票が、4日に締め切られた。5年ぶりに投票用紙を手にして、身の引き締まる思いがした。JRA賞は馬主だけでなく、厩舎関係者の名誉がかかっている。私情に流されずに公正な判断を下したい。単なるG1の勝利数だけではなく、勝ち方や印象度も重視したい。正直、先の衆議院選挙より時間をかけた。年度代表馬は誰が見てもディープインパクトだが、3歳牝馬部門は意見が分かれるかもしれない。
昨年11月、マイルCSの取材で栗東トレセンに出張した際、ラインクラフトの陣中見舞いに訪れていた大沢繁昌オーナーから尋ねられた。「最優秀3歳牝馬はどっちだろうね」。その時点でラインクラフトは桜花賞とNHKマイルCの2つのG1を勝っていた。ライバルのシーザリオはオークスを制し、その後米国に遠征してアメリカンオークスをぶっちぎりで勝った。こちらもG1は2勝。日本馬の実力を世界に知らしめ、父スペシャルウィークの名を高めた意義を考えれば「シーザリオがわずかにリードしているのではないでしょうか」と答えざるを得なかった。
シーザリオは故障で秋は休養。ラインクラフトは秋もよく走ってローズS2着、秋華賞2着、マイルCS3着、阪神牝馬S4着と惜敗を続けた。1年間にわたって牝馬戦線を盛り上げたのは後者だが、表彰規定には「年間を通じて活躍した馬」という項目は1行もない。従って「年間で盛り上げた」ことを理由にはできない。となれば、やはりシーザリオに落ち着く。
シーザリオを最優秀父内国産馬として、ラインクラフトを最優秀3歳牝馬とすれば2頭とも受賞できて丸く収まる? いやいや。最優秀3歳牝馬はあくまでシーザリオ。ラインクラフト救済のために賞を置き換えるのは筋違いだろう。
悩んだ末、以下のように書き込んだ。
◆年度代表馬 ディープインパクト
◆2歳牡馬 フサイチリシャール
◆同牝馬 テイエムプリキュア
◆3歳牡馬 ディープインパクト
◆同牝馬 シーザリオ
◆4歳以上牡馬 ハーツクライ
◆同牝馬 スイープトウショウ
◆父内国産馬 シーザリオ
◆短距離馬 ハットトリック
◆ダートホース カネヒキリ
◆障害馬 テイエムドラゴン
結局、ラインクラフトは漏れた。大沢オーナーにご理解いただけるだろうか。果たしてファンの総意に沿っているだろうか。投票を受けて各賞を決める選考委員会は10日に開かれる(3分の1以上の票を得た1位馬は自動的に決定)。ラインクラフトは短距離馬での資格もある。どちらもだめなら、特別賞も検討されるだろう。G1・2勝馬が受賞できないのは、あまりにも忍びない。
将来的にはファンも投票に参加できるようになればいい。ファンからの投票を何割かの割合で反映させれば、競馬をより身近に感じてもらえるのではないだろうか。
January 9, 2006 11:13 AM
2006年01月08日
プロの技術を間近で:千葉修宏
今オフからプロ野球選手が母校で練習することが解禁になりました。昨年12月には西武松坂投手が横浜高で練習し、今年はなんとマリナーズ・イチロー選手が母校・愛工大名電高で始動。横浜三浦投手も奈良・高田商で自主トレを始めました。かつてのプロと高校野球界との関係からすれば、大きな前進といえるかもしれません。
これは昨年2月に学生野球憲章が改正されたことで可能になりました。期間はシーズンオフ(12月1日~1月31日)で、母校に限って現役プロ選手と高校生との合同練習が可能となりました。以前は接触も一切禁じられていましたが、キャッチボールをすることも許可されました。ただし技術指導は認められていないということです。
ただ、普通に考えて「なぜ合同練習がオーケーなのに、技術指導はダメなのか」とか、「なぜ母校にしか行ってはいけないのか」など、疑問点が多いのも事実。母校で練習するのに申請が必要というのも奇妙な話です。実際、プロ選手たちからも「合同練習」と「技術指導」の微妙な線引きに戸惑う姿などが見受けられたようです。現時点ではプロ、アマの垣根を越えた大きな1歩ですが、これを足掛かりに、もっと抜本的な関係改善に取り組んでいかなければいけないのは明白でしょう。
プロ、アマの深い溝ができてしまったのは61年のこと。中日が社会人側との協約を破り、日本生命の柳川福三外野手とシーズン中に契約。この「柳川事件」で、社会人協会はプロ退団者を一切受け入れないことを決定しました。これがプロ、アマ間に大きなしこりを残すことになってしまいました。
でも現在、プロ選手と高校や大学の野球部員が接触すると、例えばどういう問題が起きるというのでしょうか。仮にプロ選手が、高校生を自らのチームへ入団させるために勧誘したり、無用に食事などに誘ったりしたとします。その場合、その個人を罰するルールを作るべきで、そういう可能性があるから指導することを認めないというのは、間違いではないでしょうか。またPL学園高や横浜高などプロを多く輩出している学校に“コーチ”が偏ってしまうというのであれば、「母校に限って」という部分をなくせばいい。サッカーではユースチームの選手がトップチームの練習に参加するのは当たり前。若い世代がトッププロに学ぶことが、技術向上につながっているのは明らかです。
僕は今、ヤンキース松井選手の故郷、石川県に取材に来ています。松井選手が毎年地元で行っている「新年の集い」では、集まった子供たちと質疑応答やゲームなどで松井選手が触れ合います。その時、子供たちのとびきりの笑顔を何度も見かけました。
やっぱり野球選手を間近で見るということは、子供たちにとっては本当にうれしいことなのです(もちろん大人にとってもそうですが)。そしてそんな選手たちから、野球の技術を指導してもらえたら…。第2の松井、第2のイチローが続々登場することだって夢ではないかもしれません。
January 8, 2006 11:38 AM
2006年01月07日
「子供たちの大会」に:荻島弘一
元サッカー日本代表のDF、金子久氏に会ったのは去年の7月。横浜FC入りしたカズの初戦、三ツ沢球技場のスタンドで、親子で観戦していた。「いやあ、息子が見たいって言うからさ」。十数年ぶりに会ったのだが、笑顔は少しも変わらなかった。古河のアジア制覇にも貢献した代表史上屈指のストッパーは「今? 今はただの会社員よ」と言って、豪快に笑った。
この時期になると、金子氏のプレーを思い出す。今から28年前の高校選手権、名門帝京は圧倒的な強さで優勝した。初戦から無失点で勝ち上がり、決勝で四日市中央工を5-0と一蹴。すでに日本代表入りしていたFW高橋貞洋や高校生離れしたセンスと技術を持つMF宮内聡らを名将古沼監督が率いていた。史上最強と呼ばれたチームだった。
高校時代のポジションが同じだったこともあって、特に金子氏のプレーは忘れられない。とにかく強い。恵まれた体を生かして、相手の攻撃を抑え込む。それ以上に驚いたのは、その高さ。セットプレーでは、相手DFよりはるかに高い位置からヘディングシュートをたたき込む。四日市中央工との決勝戦でも豪快な一発を見せた。あこがれるというよりも、同じ高校生のプレーとは思えなかった。とにかく、すごかった。
そんなことを思い出しながら高校サッカーを見ていると、選手たちはあまりに小粒だ。当たり前だ。出ている選手たちは何年たっても高校生だけれど、こちらはどんどん年を重ねる。かつて「お兄さんたち」が出ていた大会は「自分たちの目標」となり「後輩たちのもの」になる。しばらく間があって、今は「子供たちの大会」になっている。
今年、甥(おい)っ子が埼玉大会で準決勝まで進んだ。優勝した浦和東に敗れたが、応援するこちらは結構夢中だった。もう完全に「子供の代」になっているのだなと思いながら。高校ラグビーで決勝に残った桐蔭学園のCTB仲宗根の父弘明さんは元花園出場選手。かつて取材した選手の子供が出ているのだから、こちらが年を取るのも当たり前か。
Jリーグが誕生して、高校サッカーも様変わりしてきた。かつては、高校選手権出身で、すぐに日本リーグで活躍する選手も多かった。しかし、リーグのレベルが上がり、即戦力も減った。クラブユースが充実して優秀な指導者が全国に散り、特定の学校に選手が集まることも少なくなった。日本代表が2、3万人しか集められないころ、高校選手権決勝は国立を超満員にした。かつては選手の「究極の目標」だったが、Jリーグができてからは「通過点」に代わってきた。それはそれで、いいことだ。
鹿児島実が残り2試合完封して無失点優勝しても、帝京のインパクトには及ばないと思う。しかし、それは帝京世代だから思うことで、今の高校生たちとは感じ方も違うはずだ。それぞれの人に、それぞれの時代の大会がある。「思い出の大会」が世代によって完ぺきに分かれるのも、高校スポーツのいいところ。だからこそ、いつの時代も高校スポーツは受け入れられるのだろう。「子供たち」の大会もあと2日。今年は親の気持ちで楽しもうか。
January 7, 2006 10:12 AM
2006年01月06日
あいつらと呼ぶ議員:桐越聡
民放テレビ局の深夜番組を見ていて、あ然とした。
ある国会議員が「小泉首相の退陣後には消費税10%に引き上げる」と主張していた。消費税を上げてほしくないが、その理由が聞きたいと見続けていると、国会議員はこんな言葉を口にした。「あいつらから取ればいいんです」。
お笑いタレントとやりとりした本人の説明によると「あいつら」とは年金を受け取る高齢者なのだという。高齢者だけから厚く税金を取るという主張はもちろん首をかしげるが、高齢者を「あいつら」と呼ぶこと自体がよく分からない。「とりあえず、『あいつら』に負担させておけばいいんだ」というようなお偉方の議論が透けて見えるような気がして、すごく嫌な気分になった。
今年から所得税と住民税の定率減税が廃止されることが決まっている。サラリーマンは今月分の給与から所得税の定率減税の半減を実感するし、6月には住民税の減税幅が半分になってしまう。年収700万円の夫婦と子ども2人の世帯だと、社会保険料が上がる分を含めて年間4万3200円の負担増だ。もちろん、納税は国民の義務だから受け入れる。しかし、このまま黙って支払いたくはないから、言わせてもらう。
国の借金がとんでもない額にまで膨らんだ。今からどんどん返していかないと、遅れたら遅れた分だけとんでもないことになる。借金の返済だけに追われると、例えば子どもや孫の時代には、福祉とか教育にお金が回らなくなるかもしれない。だから今、「痛み」に耐えて借金を返さないといけない。消費税は段階的に15%ぐらいまでは覚悟しないといけないのかもしれない。言い分は分かる。
しかし、だ。国会議員の増税の議論には「まずは取りやすいところから取ればいいんだ」という場当たり的な発想に凝り固まっているような気がする。毎日飲む「第3のビール」が、5月には350ミリ缶1本当たり3・8円値上がりする。私は吸わないが、7月にはたばこが1本1円程度増税になる。高所得者から税金をたくさん取るような仕組みをつくり直すとか、本来なら、大なたを振るわなければならないところを中途半端なままにしておいて、庶民のささやかな楽しみを奪うような政府・与党のやり方は釈然としない。
そもそも首が回らなくなるぐらいまで借金を増やして、ここまで放置したのは一体誰だ。歳費、秘書手当とか国会議員1人当たりにかかるお金は年間1億円に近いといわれる。100人減らせば年間100億円の削減になる。新規国債発行額の「30兆円枠」が話題になるぐらいだから焼け石に水程度の額かもしれないが、国民に「痛み」を強いるなら国会議員は自ら率先して定数削減に取り組むべきだ。しかし、議論は進んでいない。削減どころか、年間約2400万円の歳費が「少ない」と主張する人もいるぐらいだ。
「ポスト小泉」一色に染まりかねない06年。「劇場」だけに躍らされることなく、高齢者を「あいつら」と呼ぶような国会議員の一挙手一投足にも目を凝らしたい。メディアの端くれにいる者として自戒を込めて、そう思う。
January 6, 2006 09:57 AM
2006年01月05日
武蔵流の「K1愛」:横田和幸
新年あけまして、おめでとうございます。今月で当欄コラムを担当して丸1年を迎え、任期満了に伴い今回が最終回。題材に迷っていたが、大阪が生んだK―1ファイター武蔵(33=正道会館)の「K―1 LOVE」に触れたい。
4日前の大みそかは恒例の格闘技イベント「K―1 Dynamite!!」の取材で、私は大阪ドームにいた。世間の話題は曙とボビー、山本と須藤の試合に集中した。武蔵はボブ・サップと好カードが組まれたが、ともに05年は世界一決定トーナメントで敗れ、事実上は数合わせ。実際にこの試合で勝者のメリットはないし、敗者は商品価値がさらに落ちる。
武蔵は大みそか参戦に消極的だった。いや、嫌がっていたという表現が正確かもしれない。11月のトーナメントで惨敗。1カ月後、相手がサップだからとはいえ、ここで動機付けを見つけられるほど、単純な問題ではない。それでも出場要請を受けたのは、競技人気を広げたい武蔵流の思想。さらに激化するPRIDEやNHK紅白歌合戦との視聴率争いがある。
主催者は今回、カード順を当日発表にしてまで、視聴率で他局に勝つための異常な戦法をとった。武蔵は本来、リング内だけを考えていればいいのに「視聴率も試合の結果も出す。PRIDEの吉田―小川戦に負けない。客の喜ぶ試合がしたい」と断言していた。
当日は全11戦の中で、第6試合。セミでも、その前でもなかった。
ゴングは鳴る。武蔵に熱があった。サップの反則パンチを後頭部に浴び、さらにダウンを喫した。不屈の闘志で立ち上がり、最終3回、左ハイで逆転勝利を呼ぶダウンを奪う。「決め技がない」と非難された男が、3―0の判定で逆転勝利をつかむ。興行開始後、観客が最も沸いた。谷川貞治イベントプロデューサーの「今回のMVPは武蔵」という言葉が、私はうれしかった。まさに有言実行、プロの中のプロだった。
現場での熱とテレビ視聴率は必ずしもイコールではない。現場で見ていて興奮できたのだから、この一戦の視聴率は私にとってはどうでもいい。
武蔵は以前、実家で「ポコ」というヨークシャーテリアを飼っていた。帰宅が深夜になっても、ポコは玄関先で飼い主の武蔵の帰りを待ち続けた。それほど愛情を注いでいた。8年前に愛犬が死んだ時の武蔵の落胆ぶりも聞いた。一方で格闘家という険しい道を歩む姿と私生活のギャップに、魅力を覚えてしまう。
魔裟斗が今回、故障者続出の事情からカード編成に苦慮するK―1のために「K―1愛」という言葉で緊急参戦した。武蔵は口にしなかったが、私が言い換えるなら冒頭の「K―1 LOVE」を背負った。正月は熊本の親せき宅で過ごしている武蔵に、このコラムから激闘をねぎらいたい。今年こそ悲願の「WORLD GP」で世界一を奪ってほしい。この男気があれば。応援しています。
January 5, 2006 11:24 AM
2006年01月04日
必死さあっての親切:上野耕太郎
年末のある夜、部長とデスクが「不幸自慢」で一騎打ちをしていた。「ソ連での取材では」「取材して夜行の寝台列車に乗って次の日の昼に」などなど…。それを聞きながら、自分には劇的なネタがないものだと思ったりした。帰宅してから「ある人」に助けてもらったことを思い出した。日付も覚えている。95年3月1日だった。
3週間近い行き当たりばったりの出張。当時は1度北海道から「内地」に出ると、これ幸いという感じで日替わりで飛ばされた。高校野球のキャンプ(名古屋)とスキーの取材(福島)の後だったため、巨大な荷物と極寒の装いだった。目的地は福岡ドームだった。前日、デスクに「福岡に行って北海道出身の佐藤真一(40=昨季で引退)から話を聞いてこい。担当記者に失礼のないように」と言われた。
福岡ドームに着いた。多くの記者がスーツ姿だった。福岡のダイエー担当にあいさつし、趣旨を説明した。「ごめんな。忙しいから勝手にやって」と言ったきり、バタバタとその先輩記者は飛び出していった。何かムードがピリピリしている。当然だ。この日は就任した王監督の福岡ドーム初オープン戦だった。
新人だった私はプロ野球の取材の仕方も分からず、途方に暮れた。グラウンドに出ても、どうしていいか分からなかった。居場所がなく食堂でボーッと立っていると北海道弁が聞こえてきた。「道産子の先輩」がなぜか座って雑談をしていた。1人に耐えきれなくなり、その初対面の「先輩」に近づき突然あいさつした。今の窮地を訴えていた。「お前、難儀だなー」。妙に厚着をした私をいきなり「お前」と呼び、気さくに笑った。歌手の松山千春氏(50)だった。
「行くぞ」と言うなりグラウンドに向かった。「王さん、久しぶりっ」と松山氏はいきなり王監督にあいさつ。周りに記者、カメラマンが殺到する。握手をしながらカメラマンにポーズを取る。そして私を小さく手招きした。「こいつ、北海道から真一の取材に来たんだよ。ちょっと話してやってよ」。緊張しながら取材した。同じように「真一っ~」と佐藤選手を手招きしてくれたのも松山氏だった。
3年後に取材で再会した松山氏にお礼を言うと「そっか、そっか。でも、覚えてねーよ」と言っていた。でも私は覚えている。本当にうれしかったからだ。
仕事をしているなかで、いろいろな「親切」に出会うことがある。さまざまな人に支えてもらった。ただし、こちらに必死さがないと相手には伝わらないと思う。松山氏が見ず知らずの田舎の兄ちゃんに親切だったのは、地元が一緒だから? それとも北海道弁だったから? 違うと思う。私が恐ろしく必死で焦った表情だったのだろう。
新しい年を迎えた。今年4月で36歳と年男だ。こんな話を書きながら思うことがあった。余裕をかますのはやめよう。大人の雰囲気? そんなものはいらないな。いつまでも情けなく、焦っている自分であり続けたい。苦しくても1歩を踏み出そうとするなら、それが自然だ。
January 4, 2006 10:19 AM
2006年01月03日
明るい戌年を願わん:永井孝昌
あけましておめでとうございます。
新春ですので、今回は趣向を変えて「江戸いろはかるた」でお楽しみいただければと思います。一部おかしなところもありますが、そこはお正月ということでご容赦を。間違い探し感覚で昨年を振り返りつつ、ご覧いただければ幸いです。では、戌(いぬ)年にちなんで「犬」からスタート。
い 犬も歩けばフォーッに当たる
ろ 論より郵政
は 花より民営
に 憎まれっ子野に放たる
ほ ホリエモンのくたびれもうけ
へ 屁をひって尻つぼめ
と 年寄り株で冷や水
ち チリも積もれば病となる
り 律義者の子だくさん
ぬ 盗人の昼寝
る ルーキーもベテランもボビー 照らせば光る
を 老いては熟年離婚
わ 我鍋に牛より豚
か かったいのかさ恨み
よ よしっと藍ちゃん全米のぞむ
た 旅はPC連れ世はネット
れ 良薬口に苦し
そ そうりょうの甚六
つ 月夜にかまをぬく
ね 念には念を入れて構造計算
な 泣きっ面に刺客
ら 楽天頑張れど苦あり
む 無理が通れば道路族ひっこむ
う 嘘から出た誠
ゐ いもの煮えたのご存知ないか
の のど元過ぎれば風太忘れる
お オリに金棒
く 臭いものに蓋
や 安値で買われ銭失い
ま マィケルが勝ち
け ゲイは身を助ける
ふ ブログやりたし書くネタ持たぬ
こ 子は三界の首っかせ
え えてに帆を上げる
て 亭主の好きなクールビズ
あ 頭隠して尻隠さず
さ 三年たったし煙草増税しよ
き 聞いて極楽見りゃiPOD
ゆ 油田大変
め 目の上のたんこぶ
み 美姫から出る?金
し 知らぬが仏
ゑ NHKは異なもの味なもの
ひ ヒルズ族ひまなし
も 萌えの小僧構わずメード呼ぶ
せ ペに腹はかえられぬ
す 粋は身を食う
ん 京、ならぬ千葉の夢大阪の夢
振り返れば明るい話題が少なかった2005年。福知山線の脱線事故は「地獄の沙汰(さた)も金次第?」と言いたくなるようなJRのずさんな対応に憤りを覚えた方も多いはず。年をまたいで真実の究明が続く耐震強度偽装問題は「構造も筆の誤り」で済まされてはたまりません。小さい子を持つ親にとっては、通学路まで不安な世の中。一方で凶悪犯罪の低年齢化は「地震雷火事息子」と言いたくなるようなご時世でもあります。
それでも、そんな05年も昨日まで。いろはかるたはすごろくの上がりにちなみ「京」で終わりますが、「今日」から始まる06年が読者の皆さまにとって幸多き年となるよう、お祈りしています。
トリノ五輪、ドイツW杯とビッグイベントめじろ押しの06年。本年も、よろしくお願いいたします。
January 3, 2006 12:32 PM
2006年01月01日
06年、話し合いの年に:山内崇章
【台場】6月。フジテレビの幹部が、ライブドアとの業務提携が進まない現実を冷ややかな目で見ていた。「根本的に企業風土が違う。彼らはスピード、スピードと早急な結論を求めるが、全く違った会社が一緒に仕事をするわけだから、綿密な話し合いがあって当然。提携は難しそう」。
2月にライブドアが時間外取引で、フジの筆頭株主だったニッポン放送株35%を取得した。法的な正当性はあっても、仁義を欠いた先方のやり方にフジの不信感は最後まで消えなかった。
フジ幹部は続けた。「IT業界のネットビジネスのノウハウは魅力的だし、次世代を見据えた拡大戦略はすごい。ただ、円滑に話し合うには手続きがあまりに乱暴すぎた」。取材を通じて感じたのは「勝ち組」と称されるITの瞬発力は、万能ではないということ。人は、能力やもうけを度外視しても話ができるパートナーとの付き合いを望む。
【秋田】11月。小学校の教師をしている学生時代の友人が電話口でため息をつく。「本当にこれでいいのかな」。職員会議では、広島、栃木で起こった下校中の女児殺害事件が議題になった。PTAとも協議して即座に実行したのは、保護者への携帯メールを使った帰宅案内。携帯のない親には自宅へ直接電話する。
先生は、放課後の学級会で「知らない人とは話さないように」と指導する。葛藤(かっとう)もある。「人と人が心を開いてお話しできない今の環境が事件を招いたのだと思います」。孤独、疎外感が生んだ事件だと先生は言う。
大人の失点を、そのまま子供たちに押し付けてはいないか。「知らない人を信用するな」と教育された子供は、将来どんな大人になるのか。不信は不信を助長する。悪循環を断ち切るためにも、先生は「信頼できる人もたくさんいることも教えたい」とも話す。
【ソウル】12月。現地在住の芸能記者らと忘年会。ここ2年、韓国芸能を取材しながら、彼らの表情には二面性があることを知らされた。韓流スターが、文化交流の先端となって日本で受け入れられた。韓国の言論も唐突な熱気を好意的にとらえた。
一方で竹島問題や小泉首相の靖国神社参拝に、血相を変えて議論を挑んでくる記者もいた。「独島(竹島)は日本のものか、韓国のものか、君の明確な意見を聞かせてほしい」。その口調は後者だけの答えしか許さない厳しさを伴っていた。小泉首相は「心の問題に他人が干渉すべきでない」と参拝の正当性を主張した。
個々が意見を持ち、主張することは大切なことだ。それが、相手の意をくみ取らず、傷つけるものなら話は永
