記者コラム「見た 聞いた 思った」

2005年12月27日

ドーハ組の誇り今も:荻島弘一

 ドーハ組。93年10月に行われたW杯米国大会アジア最終予選のサッカー日本代表メンバーのことだ。五輪銅メダルの「メキシコ組」など栄光に包まれているわけではない。日本サッカーが初めて味わった「挫折」の記録。それでも、あと1歩と迫ったW杯初出場を逃した22人は「敗者」ではなかった。3大会連続W杯出場を決めた今でも語り継がれるほど、彼らの残したものは大きかったのだ。

 「あのチームにいられたことが誇り」と、今季限りで引退する清水MF沢登は言った。当時、清水入りしたばかりで23歳だった沢登は、日本代表の最年少選手だった。ラモスらとポジションが重なって試合出場の機会は少なく、主な仕事は「ボール運び」だった。それでも、あの代表チームにいたことに誇りを感じる。「個性的な選手がそろっていたし、本当に強かった」と、振り返って言った。
 日本代表初の外国人指揮官となったオフト監督は、ラモス、カズ、都並、井原ら個性あふれるメンバーを率いてW杯初出場を目指した。1次予選を無敗で突破し、最終予選でもライバルの韓国を撃破。最終戦でイラクに勝てば、悲願達成だった。しかし、2-1で迎えたロスタイムに悪夢の失点。ベンチの前に立って歓喜の時を待った沢登は、その瞬間に崩れ落ち「後は覚えていない」と話した。

 国民の半分が見たと言われた「ドーハの悲劇」。日本代表とW杯が初めて日本中に認知された瞬間でもあった。その後、Jリーグ効果もあって、サッカーは大ブームに。次の98年フランス大会でW杯初出場し、続く02年日韓大会では決勝トーナメントに進んだ。あの悲劇がなかったら、ここまでサッカーが日本人の心に染みこんだだろうか…。

 ラモスがJ2落ちした東京Vの監督に就任し、カズがシドニーFCの一員として世界クラブ選手権に出場した。長谷川、柱谷らがJの指導者として活躍し、井原、福田、北沢、武田、高木らは解説者としてサッカーの魅力を伝えている。ドーハ組は、それぞれの立場で活躍している。

 最年少だった沢登が引退して、残る現役はカズと中山だけ。沢登は、あのチームでボール運びをしていたことを誇りに、14年間のプロサッカー人生に幕を閉じた。「ドーハ組」。日本サッカーの原点とも言えるチームは、甘く切ない響きとともに、われわれの心の中で生き続ける。

December 27, 2005 12:18 PM