記者コラム「見た 聞いた 思った」

2005年12月13日

赤い情熱がつなぐ夢:永井孝昌

 落っことされんじゃねえか、って思ったよ。

 そう言ってミスターレッズ、佐藤仁司さん(47)は笑った。90年6月に三菱自動車サッカー部のマネジャーになって以来15年半、浦和一筋に尽くしてきた。そのミスターが、1日付でJリーグ技術アカデミー部に出向することになった。

 「浦和レッズとして」迎えた最後の試合は11月26日、埼玉スタジアムでの磐田戦。試合後、ゴール裏のサポーターのもとへあいさつに向かった。瞬く間に100人以上のサポーターが集まってきた。

 スタンドには、ミスターのためだけの横断幕も張られていた。「正義は勝つ」。夜な夜なサッカー談議に花を咲かせるためにクラブ事務所を訪れたサポーターに、伝えてきた。「正義が勝てないことって今の世の中、いっぱいある。でもいつか、正義は勝つんだよ」。負けて負けて負け続けた浦和レッズの深夜の事務所で、ずっとミスターが伝え続けてきた言葉を、サポーターは忘れていなかった。

 気が付けば宙を舞っていた。1度、2度と、52キロの体は高く高く舞った。落とされんじゃねえか、と笑っていても、「赤の他人」なんて言葉が存在しない浦和で恐怖心など感じるはずはなかった。胴上げから降りると、「情熱をありがとう」と何人ものサポーターが真っ赤なマフラーを首に巻き付けてきた。「暖かいよ…」。着ぐるみみたいになりながら言ったのは、決してマフラーのせいだけではなかった。

 家に帰ると、奥さんに言われた。「胴上げなんてあなた、何かしたの?」。うーん、と考えても、答えが見つからなかった。「強いて言えば、警察からサポーターの名簿を出してください、って言われた時に『仲間は売れねえ』って言ったことくらいかなあ」。サポーターとクラブを赤い糸で結んできたミスターは、ナビスコ杯のトロフィーの値段は知らなくても、保険の値段が300万円だったことは覚えている。駒場スタジアムの玄関前、通称「叫びの丘」は第2の仕事場だった。今は「謝りにきた記憶ばかりだよ」と自嘲(じちょう)するJリーグに毎朝、電車で向かう。「ミスターは朝、弱いから」とサポーターから贈られた目覚まし時計で起きて。

 99年11月27日、J2降格が決まった日が忘れられない。誰も帰ろうとしないスタンドから聞こえてきた「WE ARE REDS」の大合唱。みんな泣いていた。叫ばなければ、我を失いそうになっていた。「あんなに大きなWE ARE REDSの合唱を聞いたのは、あの時が初めてだったかもしれないな。でも、泣かなかったよ、我慢してさ」。言いながら、思い出して目が潤む。浦和を愛して、戦った公式戦584試合。すべてに、真っ赤な思い出が刻まれている。

 12月8日、夢を見た。夢の中で行われていたのは、W杯の抽選会だった。最後に残ったボールを開けたFIFAのブラッター会長が、笑顔で広げた紙。「そこにさ、URAWA REDSって書いてあったんだよ」。そんな夢をうれしそうに語るミスターがうらやましい。そんな夢をともに語ってきた浦和レッズが、うらやましい。

December 13, 2005 10:27 AM