記者コラム「見た 聞いた 思った」

2005年12月05日

人生の縮図表す1日:横田和幸

 これが男の意地だったと思えば、不覚にも涙がこぼれてきた。G大阪が悲願のJリーグ初優勝を飾った3日、私はビールかけが行われた万博記念競技場に取材に行った。片隅で、この原稿を書いている。酒気帯び原稿を覚悟したが、どうやら無理のようだ。

 G大阪ひと筋で11年間プレーしてきたDF実好礼忠(さねよし・のりただ=33)が、今季限りで退団することになった。まさかの戦力外通告を受けていた。

 今年は24試合1得点、通算でも231試合の出場を誇ってきた鉄壁の守備人だった。

 「言われたのは、1週間ほど前です。自分でも信じられなかったけど、これが現実なのかと。そりゃ、ショックで、その夜は飲み明かしましたけどね。7歳と5歳の子供も分かったようで、嫁もショックを受けていました」。

 プロの世界はこのリーグ最終戦が終わると、来季の契約を結ぶか否かの通知をされる。記者として客観的に見ても、実好は立派な戦力だった。来季もそう思っていた。すでに2歳下の松波正信が今季限りでの引退を表明し、記者会見を行った。そんな華やかさとは対極的に、実好は誰にも知らせずにG大阪を去ることになった。

 11月12日の第30節浦和戦で右肩を脱きゅうし、その後は3試合欠場した。治療にあたった柳田博美ドクターが言う。「どうして彼が、あれほどまでに治してくれと言ってきたのか不思議でした」。欠場した3試合をG大阪は全敗した。いかに実好が重要なストッパーかは周囲も分かった。

 優勝を決めたこの日、後半開始からシジクレイの代役で投入され、打点の高いヘディングで川崎Fを封じ込めたという。「これが最後かなと思えば、複雑な気持ちになった。最後の最後で監督が使ってくれ、自分も燃えました」。背番号4が出場してから、本当にG大阪が勝ち越した。力は証明できただろう。

 97年から2年間は主将を務め、00年には右アキレス腱(けん)を切断しながら完全復活していた選手。彼から不平不満を聞いたこともない。西野監督が3バックや4バックで悩んでも、この選手がいたから常に悩みは解決してくれた。

 昨年11月13日の天皇杯鳥栖戦で、公式戦261試合目という最も遅いゴールを決めた。その記事は担当の西尾記者が大阪日刊の裏面を飾り、彼の子供が通う幼稚園に貼り出されたという。愛称ノリちゃんの人柄が地域でも評判だったことを物語るエピソードだ。今日の優勝紙面では、彼の活躍が大きく扱われることもないので、せめて功績は記したかった。

 私はこの日、首位C大阪が5位に転落した長居スタジアムで取材した。天国から地獄に転落したシーンを見てから、地下鉄御堂筋線を北上し、G大阪の祝勝会に足を運んだ。C大阪の森島寛晃らが号泣する姿を見てから、G大阪の大喜びを見た。そして寡黙に戦い続けたノリちゃん。人生の縮図が詰まった1日だった。

December 5, 2005 12:38 PM