記者コラム「見た 聞いた 思った」

2005年12月03日

消えるカレーな歴史:永井孝昌

 カレーの香りが漂ってくる。

 仙台に出張する時は、いつも仕事は後回しだった。会場に着くと、真っ先に2階の売店に向かう。蠱惑(こわく)的な香りに冷静さを奪われて、階段を足早に上る。頼むのは、迷わずカツカレー。おばちゃん、いつも大盛りとコーヒーのサービス、ありがとう。個人的な好みでいえば、世界3大カレーの1つは間違いなく、宮城県スポーツセンター2階売店のカツカレーだった。

 ここは、先輩記者から「昔は2階の客席からこぼれ落ちてきそうなくらいお客さんが入ったもんだよ」と教えられた東北のプロレスの殿堂。その会場が来年3月31日をもって取り壊しになる。目を閉じれば試合の記憶とともによみがえるカレーの香り。また1つ、もう2度と確認できない記憶が増える。

 地獄めぐりで有名な大分には、もうひとつ、灼熱(しゃくねつ)の地獄があった。大分の荷揚町体育館は、新潟・五泉の会場と並ぶプロレス担当の夏の難所。空調がなく、夏場の取材はメモを取るノートまでふやけた。噴き出す汗で背中に塩がにじんでくるから、この会場に黒いシャツを着ていくのはご法度だった。その荷揚町体育館も、今年3月に老朽化と行財政改革のため51年間の歴史に幕を閉じた。意識もうろうとなりながら原稿を書いた経験も、リングに浮かぶ汗にかげろうを見た光景も、もう何年かすれば誰に話しても信じてもらえない日がやってくる。

 北の聖地、が消えたのは、6年前だった。数々の名勝負と事件が会場を伝説化したのは、札幌中島体育センター。99年1月にプロレス担当になって初めての出張先がここだったから、試合の記憶より、寒さより、取材のため若手選手に案内された獣神サンダー・ライガーの控室を初めてノックした時の緊張感が何よりの思い出。昔の木造校舎のような古いドアは、だからこそ思い出すたび初心に戻る。99年8月25日にFMWが最後のプロレス興行を開催するまで、あのドアだけは中に誰がいようと、ノックするときは緊張したものだった。

 5年間のプロレス・格闘技担当で、回った会場は全国で130以上になる。どの会場にも五感のどこかに記憶があって、今はなき全日本女子のガレージ跡を車で通れば松永会長手作りの焼きそばの香りを思い出し、岐阜産業会館は担当になりたてのころ、何も分からないからファンが何を楽しみにしているのかを聞くために息をひそめてこもったトイレの記憶が鮮明で、鹿児島市民体育館では子供にマスクマンと間違えられてサインをねだられた。

 選手が、ファンが記憶や思い出を刻んできた会場は、老朽化や使用率低下などを理由に今後も少しずつ、閉館に追い込まれ、取り壊されていくのだろう。同時に、古き良き時代のプロレスの歴史も忘却のかなたへと追いやられていくようで、寂しさを禁じ得ない。一方で、ニュースを見れば、真新しいマンションも取り壊しを余儀なくされている。新しい歴史を築くために、過去の歴史を壊すのはやむを得ないのかもしれない。だが信頼を壊し、日常を壊し、安心を壊し、夢を壊す利権まみれの人たちに、何かを築く資格はない。

December 3, 2005 11:14 AM