2005年12月31日
映画の魅力、新旧なし:小林千穂
今年もいい映画にたくさん出会った。
28日に、日刊スポーツ映画大賞・石原裕次郎賞授賞式が行われた。「パッチギ!」や「ALWAYS 三丁目の夕日」といった温かい作品がたくさん賞を取った。本当にいい作品に出会えて良かった、楽しんだな、と純粋に思えた。この2作品は、社内でも観賞率がすごく高くて、私がいる部の平均年齢40ン歳のデスク4人では観賞率100%だ。月に何回か夜勤番があるのだが、そういう時はゆっくりデスクと話す時間があったりする。当番デスク2人がどんな組み合わせでも、1度は両作品の話が出たような気がする。ああだこうだと話しだすと結構尽きなかったりして、こんなにいろんなパターン、バージョンで、特定の作品について話すことは珍しいもんだな、と思った。
「パッチギ!」は最初、東大の講堂で行われた試写会で見た。講堂も超満員。寒かったし、いすは硬かったし、映画を上映する環境としては決して良くはなかったけど、最後にはその状況を忘れて入り込んだ。学校で上映してくれた映画で入り込んだのは、中学のころ、オリビア・ハッセー好きの体育教師がお薦めした「ロミオとジュリエット」以来だ(保健の時間に見た)。映画を見て、監督の話聞く東大の講義、うらやましかったなあ。
「ALWAYS-」は劇場で、真夜中すぎ開始の回にもかかわらず、8割以上埋まっていた。酔っぱらいもカップルもいた。思い入れありそうなおじさんが、上映中にスクリーンを指さしながらデカ声量で「そういえばさ~、ああいう家がさ~、車がさ~、冷蔵庫がさ~。懐かしいよ~」と隣の人に話し続けていた。劇場の状態は、この映画の吸引力そのままだった。映画館へなかなか足を運ばなかった人たちも集客したというのは大げさではない。おじさんはうるさくてうっとうしかったけど、今となってはこの映画を語るほんの少しの材料をくれて、ありがとうってな感じだ。
楽しい出会いは新作だけではなかった。映画大賞授賞式前日の夜、会社の大先輩から薦められて「瞼(まぶた)の母」という、62年公開の東映作品を見た。幼いころに生き別れた母の面影を求めるヤクザな男「番場の忠太郎」が主人公。舞台は江戸でも、どの時代にも通じる普遍的な母恋しのストーリーだ。翌日早起きしなくちゃいけないし、ちょこっとだけ見て、残りは後日になんて思っていたのだが、中断できなかった。「ちゅ、忠太郎~、しっかり~」と、もしかしたら間違っているかもしれない声援を送りながら最後まで見た。恋愛ものより親子ものに弱いとは思っていたけど、やっぱり泣いた。
その先輩が教えてくれなかったらきっと、出会えなかった作品だろうと思うと、縁もひっくるめて思い出深い1本になった。来年もいろんな映画との出会いや縁を楽しみに、忠太郎に触発された私は、おっかさんに会いに故郷に帰ろうと思う。皆さま、良いお年を。
December 31, 2005 10:18 AM
2005年12月30日
世界との差「タフ」が鍵:岡本学
もう10年前になるが、ゴルフ担当をしていた。全英、全米、全米女子オープンなど海外ツアーも取材したが、日本人選手が勝つシーンを目の当たりにすることはできなかった。ラフに行こうが、ティーショットを飛ばしておけばアドバンテージがあり、好スコアが出やすい日本ツアー。それに対して、飛ばしてもフェアウエーにきっちりコントロールできなければスコアメークしづらい米ツアー。すべてが当てはまるわけではないが、日米両ツアーを現場取材し、大まかにそんな印象を持った。日ごろから、どんな環境でもまれているか。1打1打にシビアさを要求される環境に身を置かなければ、世界との差は縮まらない。記者としての実感だった。
今月3日、イングランドのプレミアリーグを見る機会があった。日本代表MF中田英寿が所属するボルトンとJリーグ名古屋で指揮を執ったことがあるアーセン・ベンゲル監督率いるアーセナルとの一戦。残念ながら、中田英はベンチから外れたが、Jリーグの試合を見慣れている記者には新鮮だった。
Jリーガーなら倒れてしまいそうな相手のタックルにも、プレミアリーガーたちはひるまず、前へ前へと進んでいく。もちろん、審判にファウルをもらおうとしてオーバーに倒れる、なんてこともない。そんなタフな選手たちを裁く審判も、なるべく反則の笛を吹かずにプレーを続けさせようとする。驚いたのは「反則だな」と思ってみていたシーンから、2プレー後に審判の笛が鳴ったときだった。主審は「アドバンテージ」をとり、反則を受けたチームがボールを奪われるのを待って、ようやく笛を吹いた。その間、ほんの2、3秒だったかもしれないが「そこまで笛を待っていいの?」と正直、思った。選手、そしてチームは、主審の笛が鳴るまで貪欲(どんよく)なまでにゴールへ迫る。一方で、主審はゴールへ向かう選手たちの姿勢を最大限に生かし、引き出すレフェリングに徹する。1プレー1プレーに対するシビアな環境が、プレミアリーグには根付いているような気がした。
そんな思いを胸にして帰国した直後、来年1月1日から日本サッカー協会審判チーフインストラクターになる小幡真一郎氏(53)の就任会見があった。同氏は「スピーディー」「フェア」「タフ」という3つのキーワードを示して、来季からの改革を宣言。その中で「タフ」なサッカーについて「多少の接触があってもプレーを続けさせる」「ゴールを目指す姿勢を引き出す」「アドバンテージをとって、多くのゴールシーンを生み出させる」など、明確なビジョンを示した。
厳しい環境の中に日本のサッカーを置かなければ、世界との差は縮まっていかない。「ひ弱」なJリーグが「タフ」なJリーグに変わらない限り、W杯優勝なんて「夢物語」。小幡氏の目指す「タフ」なサッカーで、審判を、そして選手を成長させてもらいたい。
December 30, 2005 11:44 AM
2005年12月29日
来年さらなる衝撃を:高木一成
有馬記念が終わった。
今年1年の競馬人気を引っ張ってきた3冠馬ディープインパクトは2着に敗れた。1着流しの馬券を大量に持っていたので、もちろん応援はしていたが、仕事だし頭は冷静な部分もある。ゴール手前では「ああ、これは届かないな」と覚悟した。スタートから約2分30秒でボーナスの一部がパー。その事実を忘れたいこともあり、すぐに検量室に取材に行こうと気持ちを切り替えたが、ゴール後のシーンには何か違和感を感じた。
違和感の正体が分かったのは、原稿を書き終わって、秋のG1シーズンの予想企画に参加してもらっていた矢部美穂さんと話したときだ。「よく、ゴール前で外れたファンが馬券とか新聞を放り投げるじゃないですか。それが全然なかったですね。なんかシーンとしてましたよ」。それを聞いてなるほど、と思った。
スタートのファンファーレが鳴ったときの、ファンの手拍子は、さすがに有馬記念史上3位の16万2409人が入っていると思わせる迫力だった。だが、ゴール後は歓声にせよ、怒号にせよ、いつもの喧騒(けんそう)はなかった。「あれ、先頭で通り過ぎたのディープじゃなかったよね?」「ゴールはどこ? もう終わっちゃったの?」。負けた事実が把握できず(したくなく?)、どう反応していいか戸惑ったファンが多かったのではないだろうか。
“静けさ”が違和感の正体だった。自分の競馬経験の中でも、そんなシーンは初めて。それほど多くの人に「間違いなく勝つ馬」と思わせ、「ぜひ見たい」と競馬場に足を運ばせたのだから、インパクトが、どれだけ多くの人に競馬に目を向けさせたかは想像に難くない。
今回の敗戦により、マスコミやファンが先行気味に期待していた世界での活躍はしばらくお預けになった。とりあえずは来春の天皇賞で、あらためて日本最強の座を目指すことになる。年間を通して世界で戦ってほしかった気もするが、今回インパクト人気の影響で新たに興味を持ったファンが、競馬そのものの面白さに気付いて定着してもらう時間ができたという意味では良かった部分もある。そう信じたい。
レース後、有馬記念を観戦した岡部幸雄元騎手にちょっとだけ話を聞けた。「1度負けて気が楽になった部分もあるから」というフレーズが印象的だった。コンビを組み、無敗で3冠馬になったシンボリルドルフは、今回のディープインパクトと同じ3歳のときにも有馬記念を制しているが、菊花賞後のジャパンCで3着に敗れた後だった。有馬記念の結果で“衝撃”の印象度が薄れたファンは多いかもしれない。だが、無敗のプレッシャーから解放されたインパクトは、来年またさらに大きな“衝撃”を引っ提げて帰ってくるはず。1度の敗戦で興味を失うファンが出ないことを願う。
競馬界の05年は、間違いなくディープインパクトの年だった。競馬人気復興の下地を作ってくれた功績は大きい。06年はインパクト1頭だけでなく、そのライバル、次世代のクラシック争いなど、競馬そのものが、もっと注目される年になってほしい。
December 29, 2005 03:23 PM
2005年12月28日
プレー以外も魅せて:千葉修宏
松井秀喜外野手(31)が所属するニューヨーク・ヤンキースに、ライバルのボストン・レッドソックスからジョニー・デーモン外野手(32)が加入しました。ボストンから1時間ほどの町に住む知人は「金で魂を売ったのか」と落胆。某野球関係者は、4年5200万ドル(約60億円)という松井と同額の契約を勝ち取った代理人ボラス氏の手腕にあきれていました。でも今回書くのは、お金の話ではありません。
デーモンといえば“原始人”とも呼ばれる2年間伸ばしっぱなしの長髪と、ひげがトレードマーク。一方のヤ軍は、スタインブレナー・オーナーの意向もあって規律を重んずるチーム。長髪、ひげは禁止となっています。「そんな球団に入って大丈夫なのか」といらぬ心配をしていたら、見ましたか? 数日前の新聞。ニューヨークの美容室で、あっさり散髪しちゃってるじゃないですか。
確かに、ひげもすっきりそり落とし、いい男度はアップしています。でも、それでいいのか、ジョニー! 今年も何試合かレ軍戦を取材し、昔の姿を間近で見ているだけに、あのさわやかデーモンを見た時には…。ラミレス、オルティスらそうそうたるメンバーを擁する野武士軍団の切り込み隊長として活躍していた姿と、ニューヨークの美容室でニカッと笑っている姿のギャップがありすぎて。あれじゃ完全にギャグですよ~(苦笑)。
スポーツ選手の身だしなみって、よく問題になるじゃないですか。ちょっと奇抜な格好をしたりすると「子供がまねするから、やめろ」って。最近でいうと、オリックス入団が決まった清原選手。巨人時代につけていたピアスは、年配の球界関係者なんかは、まゆをひそめてましたから。
でも、プロ野球選手はエンターテイナーだと思うんです。純粋に技術だけを追求するなら、アマチュアでいれば良いこと。よく「プレーを見て欲しい」という選手がいますが、技術で魅せるのは必要最低限、当たり前。プラスアルファがあるからこそ、プロなんじゃないでしょうか。そういう意味では、楽天のマスコット「Mr.カラスコ」の契約交渉が不調に終わった話題とか最高に面白かったし。ボサボサ頭(失礼!)のデーモンが、野球選手は紳士たれというヤ軍でプレーするところも見たかったなぁ。
だからといって誤解しないで欲しいのは、僕はピアスとか長髪を特に奨励しているわけじゃありません。プロだったら、賛否両論あってもファンの話題に上る方が大事だと思うのです。今年引退した元ロッテの初芝清選手が言っていました。「昔は酒飲んだ翌日に試合するなんて当たり前だったよ。でも、またその夜も飲みに行っちゃうんだよね。今はそういう豪快な選手もいなくなっちゃったけど。寂しいよねぇ」。ホント、その通りですよね。
無理にそうする必要はないけれど、個性的な選手を型にはめる必要はない。デーモンの長髪がニューヨークの美容室の床に寂しげ!? に落ちている写真を見ながら、そんなことを思いました。まぁ散髪もファンの話題に上ったからいいのかもしれないけれど。
December 28, 2005 10:35 AM
2005年12月27日
ドーハ組の誇り今も:荻島弘一
ドーハ組。93年10月に行われたW杯米国大会アジア最終予選のサッカー日本代表メンバーのことだ。五輪銅メダルの「メキシコ組」など栄光に包まれているわけではない。日本サッカーが初めて味わった「挫折」の記録。それでも、あと1歩と迫ったW杯初出場を逃した22人は「敗者」ではなかった。3大会連続W杯出場を決めた今でも語り継がれるほど、彼らの残したものは大きかったのだ。
「あのチームにいられたことが誇り」と、今季限りで引退する清水MF沢登は言った。当時、清水入りしたばかりで23歳だった沢登は、日本代表の最年少選手だった。ラモスらとポジションが重なって試合出場の機会は少なく、主な仕事は「ボール運び」だった。それでも、あの代表チームにいたことに誇りを感じる。「個性的な選手がそろっていたし、本当に強かった」と、振り返って言った。
日本代表初の外国人指揮官となったオフト監督は、ラモス、カズ、都並、井原ら個性あふれるメンバーを率いてW杯初出場を目指した。1次予選を無敗で突破し、最終予選でもライバルの韓国を撃破。最終戦でイラクに勝てば、悲願達成だった。しかし、2-1で迎えたロスタイムに悪夢の失点。ベンチの前に立って歓喜の時を待った沢登は、その瞬間に崩れ落ち「後は覚えていない」と話した。
国民の半分が見たと言われた「ドーハの悲劇」。日本代表とW杯が初めて日本中に認知された瞬間でもあった。その後、Jリーグ効果もあって、サッカーは大ブームに。次の98年フランス大会でW杯初出場し、続く02年日韓大会では決勝トーナメントに進んだ。あの悲劇がなかったら、ここまでサッカーが日本人の心に染みこんだだろうか…。
ラモスがJ2落ちした東京Vの監督に就任し、カズがシドニーFCの一員として世界クラブ選手権に出場した。長谷川、柱谷らがJの指導者として活躍し、井原、福田、北沢、武田、高木らは解説者としてサッカーの魅力を伝えている。ドーハ組は、それぞれの立場で活躍している。
最年少だった沢登が引退して、残る現役はカズと中山だけ。沢登は、あのチームでボール運びをしていたことを誇りに、14年間のプロサッカー人生に幕を閉じた。「ドーハ組」。日本サッカーの原点とも言えるチームは、甘く切ない響きとともに、われわれの心の中で生き続ける。
December 27, 2005 12:18 PM
2005年12月26日
「対心」を忘れた耐震:桐越聡
10カ月ほど前に起きた、こんな事故をご記憶だろうか?
◆2月8日午後8時ごろ、東京都豊島区の築30年の木造アパート2階に住む地方公務員男性(56)の部屋の床が、ため込んでいた雑誌や新聞の重みに耐えきれずに抜け落ちた。約2時間後にレスキュー隊員に救出された男性は全身打撲の重傷も命には別条なし。1階に住む無職男性(75)は「上の部屋の床が抜けそう」と警視庁目白署に相談に行っていたため、間一髪無事だった。
6畳1間に総重量8・5トンの雑誌や新聞が積まれていたという。こんなことがあるんだ、と強く印象に残った事故。その後どうなったのだろうかと気になっていた。数日前、現場に足を運んだ。
アパートは元通りになっていて、人が住んでいる気配がした。不動産会社を訪ねると「改修しました」。骨組みはしっかりしていたため取り壊さなかったようだ。バス、トイレなどほとんどが新品に変わって5万5000円の家賃はそのまま。7月中旬からは新しく契約した人が住み始めたという。
住人は事故があった部屋だと分かって住んでいるのだろうか? 不動産会社の男性社員は「ちゃんと説明して、納得した上で契約してもらいました」と笑みを浮かべて、こう続けた。
「うちのような町の不動産屋は信頼を失ったら終わり。部屋で“ネズミの運動会”があるのを、たまたま知らずに、説明しないまま貸したら仲介手数料は返している。おばあちゃんが住む部屋の隣は、生活時間帯が違う若者にはなるべく貸さないとか、いろいろと配慮もしている。この商売は売ればいい、貸せばいい、だけじゃあいけない。誠意を持って、人情的なことを大事にしていかないと。それをさ、あの人たちは忘れちゃったのかね」。
マンションなどの耐震強度偽装問題が発覚して1カ月が過ぎた。
高級外車に乗る生活レベルを維持するには、技術者としての誇りは捨ててもいい。違法行為に走らせてしまうほど他人を追い詰めても、利益が増えればいいんだ。疑わしいとうすうす気付いても、専門家以外には分からないだろうから黙っていればばれない。困っている人がたくさん出ても、法律に基づいてやったのだから間違っていないと開き直ればいい-。責任転嫁のバトルを繰り広げる“あの人たち”の言動には、そんな疑いの目を向けてしまう。
今回の問題に限らず、当たり前と思っていることがガラガラと崩れている時代。例年に増して企業の不祥事が相次いだ05年だった。正義とか、誠意とか、潔さなんて通じない時代になってしまったのだろうか。こんな日本に誰がしたと叫びたい、気分だ。
くだんのアパート2階に住んでいた男性は事故後、勤務先を退職。アパートの改修費や1階に住んでいた男性の家財弁償代、収集車13台分のごみ運搬代など不動産会社が請求した約640万円を退職金から一括払いしたという。
December 26, 2005 01:05 PM
2005年12月25日
トリノ届け父の愛:横田和幸
大阪は冬季五輪に関心が薄いといわれる。今年は積雪を記録しているが、基本的に雪とは無縁な温暖な土地で、野球文化が突出しているからか、話題になることも少ない。私も大阪人の多数派層だったが、今回はそうではない。
先日、ある人から電話をいただいた。声の主は成田隆史さん(56)。トリノ五輪スノーボード・ハーフパイプ代表に、兄妹で内定している成田童夢(20=キスマーク)と、今井メロ(18=ロシニョール・ディナスターク)のお父さん。今春まで約15年、2人を大阪市内の自宅で指導し続けてきた人物だ。
だが、2人は父の“独走的”な指導に対立し、童夢は4月に独立、メロは7月に家を出た。メロはそれまでの「成田夢露」を捨て、自分が4歳の時に離婚していた実母今井多美江さん(47)の元で「今井メロ」に戸籍を変えた。多感な時期に、兄妹の決断はよほどのことだったのだろう。
お父さんからの連絡は、童夢がカナダ・ウィスラーのW杯で優勝を飾り、五輪代表を確実にした12月中旬だった。
「童夢がやりよった。根性みせよったよ。ほんまにね…。メロは(今回の遠征で)2戦連続で予選落ちやから、まだまだ修業が足りん。オレが指導していた時は、そんなことなかったからね。でも、頑張ってほしいねん。応援してる」。声は穏やかで優しかった。
父は京大出身で天才肌。以前は青年実業家で行動派ときたから、指導もすべて自分の感性で行わないと気が済まない。異文化吸収のために乗馬をさせたり、歌手デビューさせたり、自分の子供の進む道を自由に操縦してきた。私は取材して、この方法がいつか、ひずみを生むと思っていた。しかし、愛情はあった。
だから、メロが家出した時のお父さんは、夜も眠れなかった。取材にきた記者を怒鳴った。涙をためながら「心配や、17歳(当時)の女の子やで」と叫んだ。1週間以上も満足な睡眠、食事もしていないから、無理もない。
9月にメロが離婚していた母の元で、名前を変えた時も「何もかも終わった…」と泣いていた。3カ月後の今回、だから、お父さんなりに立ち直ったと感じたし、同じ男親として、尊敬の念が生まれる。
もう1つうれしい話もあった。童夢とメロには、成田緑夢(ぐりむ)君(11)という弟がいる。彼も天才スノーボーダーとして将来は五輪を狙えるが、兄と姉が家を出て精神的に落ち込んだ。競技をやめると言い出した。それが、童夢が五輪行きを決めて表情が一変してきたという。「童夢は同じ成田姓やから、友達がお兄ちゃんはすごいね、と言ってくれて、うれしいらしい。またスノボーを始めるよ」とお父さん。
父と2人の子供は事実上の絶縁関係にあるが、いつか再び、心のどこかで理解し合える時がくればいいと思う。冬の祭典まで、あと1カ月半。トリノ五輪には、成田親子が流した涙と汗が詰まっている。
December 25, 2005 10:34 AM
2005年12月24日
ジャンプ陣誇り持て:上野耕太郎
不振のジャンプ陣にカミナリが落ちた。全日本スキー連盟の伊藤義郎会長(79)が16日の理事会のあいさつで「こういう状態で五輪に出す必要はないんじゃないかと思う。枠があるから出すというのではない」と発言したという。来年2月のトリノ五輪を前に派遣回避を示唆する発言は大きく取り上げられた。
確かにジャンプ陣は苦しい戦いを強いられている。世代交代も進んでいないようにみえる。でもなぁ、正直に言えば仕方がないような気がする。だって最近、スキーをやってる人、少ないもんねぇ。
ジャンプだけではなく、スキー人口が減っている。地元の少年団の数も激減。北海道のスキー場も国内ではなく、オーストラリアやアジアといった海外からのスキー客獲得を目指しているという。
私が子供のころ、冬のスポーツと言えばスキーだった。地元の旭川市はスキーのメッカ。シーズンチケットを買い毎日、ゲレンデに出る友人も多数いた。高校でも週に2回、午後にスキー授業があった。1年生の最初の授業のときだ。全員を滑降させランク付けするのだが、95%がモーグル選手のような派手な滑降を見せていた。大げさな話ではない。
80年代後半、スキーは大きなブームを迎えた。映画にもなった。最高のデートコースだった。スキーがうまければモテるなんて話も実際にあった気がする。しかし、時代は流れた。
今年入社した新人に「学生時代ってスキーをやってた」と聞いてみた。
「やるわけないじゃないっすか。寒いっすよ」。
がっかりだ。最近では学校でのスキー授業も減少しているという。
スポーツにも流行はあるのだろう。幼い時期からやってきたスキーの人気の低下は寂しい。寒くて、厳しい冬の到来。それでも、スキーができるという喜びもあった。
今、担当している日本ハムから入来祐作投手が米大リーグ入りの道を模索している。野球、サッカーの多くの選手たちは90年代、可能性を求め海外へ旅立った。それにつれて海外の試合中継も増えた。
よく考えてみると、常に海外で戦い続けてきたスポーツがある。ジャンプであり、複合でありスピードスケートといった冬季スポーツだ。海外でW杯を転戦し、4年に1度の五輪でその力を見せつけてきた。プロ野球選手も少なかった北海道にとって、選手たちの活躍は誇りに思えた。
成功するときもあれば、失敗もある。海外に行ったプロ野球選手のすべてが活躍しているわけではない。冬季スポーツはルール変更などで一気に成績が変わることも多い。
はっきり言って身びいきだが、自信を持ってジャンプ陣には戦ってほしい。自分たちの町で最強だった選手が日本でトップに立ち、海外で勝負してきたのだ。スキー人口は減っても、海外での成績が落ちてきても…。冬季スポーツの選手たちはメジャー挑戦の先駆者なのだから。
December 24, 2005 11:08 AM
2005年12月23日
それは本物ですか?:永井孝昌
あの。ちょっとお伺いしてもよろしいですかね。そんなにご面倒をおかけする話でもないんですが。怪しい? いえいえ、そんなことないですから。
あ。そうですね。質問ですね。伺いたいことというのは、このページにたどりつくまでに何本かお読みになった記事、本物でしたか? 何枚かご覧になった写真、本物でしたか? ってことなんですが。
なぜにそんなことを聞く? すみません。まずはそれをご説明しなきゃいけませんね。
最近、若いカップルのこんな会話を聞いたんです。
「ごめぇ~ん、待ったぁ?」
「オレも今、着いたとこだよ」
「よかったぁ!」
「それより、今日は何だか雰囲気違うんじゃない?」
「うれしィィィい。分かったぁ? このナチュラルメーク、2時間もかけたんだからぁ」
「似合ってるよぉぉ」
どうでしょう、この会話。ウソばっかりじゃないですか。いや、ウソではないですね。でも、まやかしばかりと思いませんか。2時間かけたナチュラルメークって。通がうなるカップラーメンって。
世の中、本物と偽物、もっといえば本物と本物でないものの区別がどんどんなくなっているような気がします。現場で取材した原稿。現場で撮った決定的瞬間。しかしそれらは、ひとたび疑ってみれば底なし沼のように次々と疑念が浮かび上がってきます。3分前にイタリアで行われた記者会見の内容を、まるでその場にいたかのように布団の中で書ける時代。150キロの直球を打ち返した瞬間の写真を、テレビを見ながら画面の中で作り出せる時代。だからこそ、お伺いしたのです。お読みになった原稿は、ご覧になった写真は本物でしたか、と。
疑い出せば、身の回りは疑心暗鬼にさせるものだらけです。昨日すし屋で頼んだイクラ、お湯に落としても濁らない人工モノじゃありませんでしたか。今夜の忘年会、「生!」って注文しても発泡酒が出てくる居酒屋じゃありませんか。大枚たたいたクリスマスプレゼント、ニセモノつかまされていませんか。明日地震が起きたなら、マンション、大丈夫ですか。
本当の「素顔」を2時間かけて“素顔”に変える時代では、バレなきゃいい、面白きゃいい、もうかればいい、そんなことばかりが優先されて、大切なことがあいまいになっているような気がしてなりません。真実ゆえの美しさが、愚直な誠意が、誰かの心のスキにある「ま、いっか」に凌駕(りょうが)される現実。寒空の下を歩き回ってつかんだネタが指先でネットの中を飛び回って見つけた情報に駆逐される時、本物と本物ならざるものの稜線(りょうせん)にある「ま、いっか」がいかに甘美なものであるかを痛感させられます。
詐欺。偽装。不透明な解禁。なくならない不祥事と見え隠れする権力が、日常の不安を駆り立てます。進歩する技術が、時にあるべき信頼関係を邪魔します。キャッチセールスもどきの原稿を書きながら、現場の記者としての矜持(きょうじ)だけは失わないようにしなければ、とフェイクファーの襟を立てて思う年の瀬です。
December 23, 2005 12:59 PM
2005年12月22日
カブ気持ち取り戻せ:山内崇章
来季、日本で6年目のシーズンを迎える西武アレックス・カブレラから、以前こんな話を聞いた。
「野球は80~90%がメンタルのスポーツだ」。
打席に入った直後の彼は、上体を大きく背後に反らす動作を必ず行う。元に戻す際には腹の底から息を吐き出し集中力を高める。「メンタルの状態がその日の打席を左右する。ピッチャーを見ながら、頭の中でボールを上からつぶす映像を描ければ、現実にそういう打ち方ができる」。
シーズン開幕前には、その年の成績をよく予告していた。「今年は50~60本は打てる。それほど感触がいいし、自信もある」。02年には日本タイ記録となる55本塁打を本当に打った。あの自信と集中力はどこからくるのか。連日取材で彼を直撃した記憶は、今も鮮明に残っている。
「身体能力が優れ、高度な技術を持つアスリートでも、メンタルを管理できないと宝の持ち腐れになる」。02年から西武でメンタルトレーナーを務める鋒山丕(ほこやま・はじめ)氏の話だ。当時の取材ノートに記される同氏のトレーニング法は、カブレラも取り組んでいたものだ。
【自己コントロール】外部から重圧を感じないよう自分をリラックスさせる。カブレラのように腹式呼吸(腹部で呼吸をする感覚)を行うことが効果的。
【自己暗示】自分は打てる、必ずできる、と繰り返し言い聞かせる。
【イメージ】理想の打ち方を頭に描く。普段からビデオ映像を繰り返し見て脳裏に焼き付ける。
心に余裕と自信があってこそイメージ力もアップする。習得までの時間に個人差はあれ、心掛け1つでどんな選手も変われるという。同氏によると、カブレラは、松坂らと並んでメンタル面が非常に優れた選手だという。もともとパワーヒッターとして高度な技術を持つ選手だ。集中力までアップすれば、相手にとってこれほど怖い敵はいない。
その彼がここ2年間、寂しい成績で終わっている。今の彼が、当時のように「来年は50発打つ」と自信満々に言えるだろうか。関係者からは、守備の緩慢さに加え、バットスイングの鋭さも以前のものではないとの声が聞かれる。01年の初来日から3年で154本塁打、351打点(年間平均117打点)を記録した選手だ。04年に右手尺骨を骨折したとはいえ、最近2年で61本塁打は、少し寂しい。
シーズン後、球団から来季の契約交渉に応じるように言われても、なかなか回答を出さずにファンをやきもきさせた。モチベーションを失っているのでは、と疑いたくなる。チームの意志統一、守備における連係プレーの徹底、グラウンドの内外で求められる規律は、奔放な性格の彼がベストなメンタルを維持するには難しい環境にあるのかもしれない。それでも、来季も西武でプレーをするからには思い起こしてほしい。「野球はメンタルのスポーツ」ではなかったか。
前巨人の清原が10年ぶりにパ・リーグに復帰する。カブレラが一目置く存在のニッポンのスラッガーだ。ファンのだれもが注目するホームラン対決で、球界に新たな話題を吹き込んでほしい。心掛け1つで変われるはずだ。もう1度すごいカブレラが見たい。
December 22, 2005 09:39 AM
2005年12月21日
人を表す!?爪、におい:小林千穂
画面やスクリーンを通して見ている人たちから、ほんの少し生っぽい部分を感じる時がある。この1年間のノートをめくってみると、私はつめとにおいにとても興味を持ってきたことがあらためて分かる。つめとにおいの話なんてまとめて書くことはこの先もないだろうから、ここで放出します。
つめの印象ベスト1は、ハリウッド俳優ベニチオ・デル・トロ。「目で妊娠させる」と言われるほど色気のある俳優。各国記者との合同インタビューに参加した時、髪の毛ボッサボサ、初夏なのにネルシャツに革ブーツ、革パンツという、季節感ゼロの格好で登場した。一番近くに座っていたので、まじまじと観察してみると、つめが伸びていて汚れていた。ノートには「つめ汚い!!」と書いてあるくらい。それでも映画の雰囲気そのものでセクシーだった。ごつい指輪をはめた指で頭をかきむしりながら、低音ボイスでだるそうに話す。取材を受けるという設定を前にしてこの汚れっぷり。堂々登場したデル・トロをますます好きになってしまった。
もちろん、きれいで印象に残った人もたくさんいる。こんなつめ見たことないというくらい美しかったのは、香港俳優ジェット・リー。「ものすごくキレイなつめ!」と書いたノートの文字を、さらに赤でぐるぐると囲んでいる。もちろん、アクションで相手を傷つけないためということもあるのだが、撮影の2カ月前から山にこもるというストイックさや、静かにたたずむ雰囲気が、短く切りそろえられたつめとものすごくマッチしていた。
もう1人は当欄で何度か書かせてもらいました、落語家春風亭昇太。取材する前からよく高座で聞いていた人だったので、ちょっと照れた。目線が下がりがちになって、ふとつめを見ると、これがめちゃくちゃきれい。理路整然とした話とつめからきちょうめんさを感じた。もう1人はオカマキックボクサーとして有名になったタイのパリンヤー。今はタレントとして活躍している。現役時代の新聞を見せると「恥ずかしい」と言って、かわいらしく手で顔を覆った。そして、目に入ったのは完ぺきに整えられていたつめというより、ネイル。身も心も女性になった喜びがあふれ出ているようだった。
次はにおい編。やっぱり印象度NO・1はデル・トロ! つめが汚いからといって臭いわけじゃありません。ぎゅう、と音がする革ブーツと革パンツから、革のにおいが強烈に漂っていたのだ。すてきです「デル・トロ臭(しゅう)」。韓国俳優チャン・ドンゴンは、真夏で30度を超える野外ロケの中、オレンジ系の香りを残してさっそうと立ち去って行った。かっこよすぎるよ。
ほかにも、きれいな衣装でつめがボロボロだったアイドルもいたし、ニンニクのにおいをプンプンさせてインタビューを受けた人もいた。そんな特徴的な人に出会えるとかえってうれしかったりする。やっぱり原稿にはあんまり生かせなさそうだけど、来年もいろんなつめとにおいに出会えますように(?)。
December 21, 2005 10:58 AM
2005年12月20日
代表気分!?敵国と交流:岡本学
初めて行った知らない土地で歓迎されるのは、うれしいものだ。
来年6月9日に開幕するサッカーW杯ドイツ大会の抽選(9日、ドイツ・ライプチヒ)で、日本はブラジル、オーストラリアとともにクロアチアと同じ組になった。日本からの直行便があるドイツ・フランクフルトから飛行機で約1時間半の近距離ということもあって、私はドイツからクロアチアへ取材に行くよう命じられた。いきなり「敵国」へ飛び込んでいって、取材をさせてもらえるのだろうか? 大きな不安を抱えながらのザグレブ入りだったが、杞憂(きゆう)に終わった。
現地に入ってさまざまな人たちの手助けを借りながら情報を集める中、15日にクロアチア協会が記者会見を開くことが判明した。門前払いも覚悟する中で市内のホテルへ行くと、ロティム広報担当から「よく来てくれました」と歓迎され、セレブリッチGS(専務理事)からも「こんにちは」と日本語で温かく迎えられた。この日は欧州各国の協会関係者がザグレブに集まっての研修会があり、同国のワインメーカーと代表チームがスポンサー契約を締結し、記者発表する大事な日だった。
そこへ通訳らを同行した日本の報道陣が押しかけた形になったのだが、嫌な顔ひとつしなかった。一通りの記者発表が終わってからの質疑応答では、W杯関連の質問も受け付けてくれた。冒頭でズラトコ・クラニチャール監督(49)は、同国と友好的な関係を続けている日本に対して感謝。02年W杯日韓大会でお世話になった新潟・十日町市、富山市、さらにユースチームが今年、招待された仙台市へお礼のコメントを並べた。それからW杯関連、特に日本についての質問に1つ1つ丁寧に対応した。
さすがに手の内を明かすようなコメントはなかった。それでも、クロアチア代表について問われると「よく聞いてくれた」と言わんばかりに、中心選手に成長した自分の息子(MFニコ・クラニチャール)のことを交え、自慢の選手たちをPR。会見後には、日本人報道陣だけの取材にも応じるサービスぶりだった。
さらに会見が終わってのホテルのラウンジ。私がカメラを出したまま大急ぎで原稿を書いていると、同監督が横のソファに座った。「せっかく日本から来たんだから、あなたのカメラで監督との2ショットを撮りなさい」。監督と同席したスポンサー関係者がカメラを持った瞬間に、さっと立ち上がってスタンバイ。監督は「遠くまでよく来てくれたね。お互いに頑張ろうじゃないか」と笑顔で手を差し伸べてきた。これまで日本協会、そして日本人がサッカーを通じてクロアチアへしてきたことに対する恩返しを、僭越(せんえつ)ながら私が代表して受けたような気がした。
W杯ではジーコ監督率いる日本代表の上位進出を願っているが、それと同時にクラニチャール監督が育て上げたクロアチア代表にもエールを送りたい。
December 20, 2005 12:28 PM
2005年12月19日
本音聞けてこそプロ:高木一成
「やっぱり誰もがそう思うんだ」と感じたことがあった。14日に衆院国土交通委員会で行われた耐震強度偽装問題に関しての証人喚問。姉歯氏に対してトップバッターで質問に立った自民党・渡辺議員の話が「長すぎる」との抗議が自民党本部に殺到したと、16日付の本紙社会面の記事にあった。
喚問が行われていた時間は、中央競馬の調教時間で私は取材中だった。じっくり見る時間はなかったが、美浦トレセンの調教スタンドで足を止めて、ちょっとだけテレビに注目した。画面は姉歯氏の表情を大きく映し出しているのに、声は議員のものばかり。「何で、もっと姉歯にしゃべらせないんだ」「自分の意見はしゃべらなくていいから、核心をポンポン聞いていけばいいんだよ」。一緒に見ていた調教師からも、こんな意見が出ていた。僕自身も同じ感想を持った1人だ。
と、タイムリーな話題で前振りしてみたが、別に難しく議員の批判をしたいわけではない。記者の仕事の1つは相手から話を聞き出すこと。「人から本心を聞き出すのは、簡単なようで難しい」。常々、そう考えている立場からすると、この議員の話もあながち批判対象とばかりもしていられないと思う節もある。
ここからはまったく別次元の話だが、競馬の取材でも悪い話ほど聞きづらいのは、普段から痛感している。例えば馬の調子がひと息のときなど、誰も彼もが本当のことばかりしゃべってくれるわけではない。記事になってしまえば読者には分からないだろうが、見出しになるような景気のいいコメントでさえ、人によってはスラスラ話してくれないこともたくさんある。
こっちである程度の道筋を用意しておいて「こうこう、こうですよね?」と、いろいろ調べた上で同意を求めるように聞いた方がいい人、「中間の調整はどうでした?」と一から聞いた方がスラスラ答えてくれる人など、調教師、騎手によってタイプは違う。相手によって、質問の仕方を変えられるのが記者としてプロなのだろうが、なかなかこれが難しい。
自分の勉強不足で「もっと調べてから取材に来い」と言われたこともあるし、逆に勝手に答えを決め付けたような質問をして「じゃあ、そう書いておけば」と突き放されたこともある。個人的に思うのは、質問=取材のうまい下手は、話を広げられるかどうか。逆に、取材をしていて「この人は頭がいいな」と思わせるのは、こっちの話題に対してプラスアルファの答えが返ってくる人だったりする。いかにしゃべってもらうか、いや、自然と言葉を引き出せるかは、永遠のテーマにも感じる。
さて、1週間後にはいよいよ有馬記念が行われる。「ディープインパクトに勝てますか?」。競馬ファンなら誰もが聞きたいこの質問に、各陣営がどう答えるか(もちろん直接そうは聞けないが)。「負かせる手応えはある」「いや、かなわない」。陣営によってさまざまなとらえ方はあるだろうが、少しでも本音の答えを引き出したい。結果はどうあれ、これで偽証罪に問われることはないのだから。
December 19, 2005 11:19 AM
2005年12月18日
自らの意志で表明を:千葉修宏
ヤンキース松井秀喜選手(31)が悩んでいます。“野球のW杯”と言われるワールド・ベースボール・クラシック(WBC)についてです。米国ではクレメンス(アストロズからFA)やボンズ(ジャイアンツ)ら大物大リーガーたちが参加を表明。日本代表にもメジャーで5年連続200安打を放ったイチロー選手や、1年目で世界一に輝いたホワイトソックス井口選手らが加わります。その一方で、松井選手は依然として、参加・不参加の答えを保留しています。
このWBCには、いろいろと問題があるのも事実です。3月という、各国が100%のコンディションでぶつかり合うのは難しいと言わざるを得ない開催時期。長年アマ最強軍団と言われてきたキューバは、経済制裁の問題のため米政府から参加を拒否されました。投手の球数など、プレーに制限がつく予定だというのも妙な話です。そんな中、松井選手がなかなか“進退”を表明しないのも理解できます。
ただ、仮に彼が代表入りを辞退したとしても、それほどの批判を浴びることでしょうか。先日、松井選手の地元、石川・能美市にオープンした「松井秀喜ベースボールミュージアム」を取材に行きました。そこには、少年時代から現在に至るまでの、松井選手の“夢の軌跡”が詰まっていました。
僕は思い出しました。巨人の一員として02年に日本一となり、そのオフに大リーグ行きを表明した際のことを。彼は「アメリカでプレーしたいという気持ちを消し去ることができません」と長嶋茂雄前監督(当時)に告白したそうです。あの時は、誰のためでもなく、自らの夢をかなえるために海を渡ったはず。ファンもそれを後押ししました。今回、彼が「ヤンキースで世界一になりたい」という気持ちから調整を優先させ、WBCを辞退したとしても、僕は批判する気にはなれません。
恩師である母校・星稜高の山下総監督は先日、松井選手と再会したパーティーで、「どんなときも周囲に気を使うことができていて、さすがだと思った」と話していました。そんな人柄だからこそ記者の間でも人気があるのでしょう。でも生意気を言うようですが、野球に関しては、米国へ渡った時から“良い人”でいる必要はなくなったのではないでしょうか。
現時点で松井選手がWBCに参加するのか、しないのか、それは分かりません。ただ、さまざまな周囲の思惑を考慮するばかりに、松井選手の判断が自らの意思と違ったものになるとしたら、不幸なことです。変な言い方かもしれませんが、もっと気軽に参加・不参加を表明すればいいのに、と思ってしまいます。彼には計り知れないプレッシャーがかかっているのは分かりますが…。
その上で、WBCへ参加する日本代表には本当に頑張って欲しいです。優勝すれば、日本野球機構(NPB)の発言権も増すはずですから、次回開催時期の変更を求めたり、次回大会の日本の不参加をちらつかせて、クラブ同士の「真のワールドシリーズ」開催をMLB側に迫るなんてこともできるはずです。そういう意味でも日本代表には必勝態勢で臨んで欲しいです。
December 18, 2005 10:09 AM
2005年12月17日
今大会の成功が肝心:荻島弘一
世界クラブ選手権。聞き慣れない大会が今、行われている。カズが出ている大会と言ってピンとくる人がいる程度かもしれないが、れっきとした国際サッカー連盟(FIFA)主催の世界大会。各国の代表チームが世界一を競うのがW杯なら、クラブチームが世界一を争うのがこの大会だ。
去年まで12月に行われていたトヨタ杯は欧州と南米が争っていたが、ここにアジア、アフリカ、北中米・カリブ海、オセアニアの各代表が加わった。冠がトヨタだから去年までの大会と混同しがちだが、まったく違う大会。00年に第1回がブラジルで行われ、その後は開催されなかったが、今年からトヨタ杯を拡大する形で再開したのだ。
大会としての「格」は抜群だが、いまひとつ盛り上がりに欠ける。W杯抽選会と重なったのも影響したのだろうが、FIFAの力の入れ方が半端でないだけに、ギャップが目立つ。開幕戦の観客が3万人、以降も3万~4万人の入りだ。18日の決勝戦のチケットも、売れているとは言い難い。高い価格設定もあるが、昨年までのトヨタ杯が大入りだったのに比べると寂しい。
大会そのものも赤字になりそうだ。FIFAの肝いりで大金を投じて準備し、参加クラブにも総額1500万ドル(約18億円)の賞金が払われる。入場料収入が伸び悩めば、赤字は日本がかぶる。かつて、トヨタ杯は日本協会の大きな収入源で、1年間の協会の収益を1試合でまかなっていた。それが赤字になるのだから、大変なことだ。
大会の失速に輪をかけているのが、中継をするテレビ局。各大陸大会を取材するなど盛り上げようとする努力は大変なものだと思うが、タレントにかぶり物をさせて「地球一」を連呼されると「世界的サッカー大会」というより「サッカーバラエティー番組」だ。まずまずの視聴率を考えれば間違っていないのかもしれないが、思わず引いてしまうファンも多かったはず。大きなイベントなら、1局の独占よりも複数の局で中継したほうが、効果は大きいようにも思えるが…。
この大会は来年も日本で開催される。決勝戦の翌日には、来年のためにFIFAと日本側でプレミーティングが開かれる。今大会の問題点を洗い出し、来年の準備が始まる。FIFA側は再来年以降「各大陸持ち回り」としているが、日本側は恒久開催を希望している。今大会が成功すれば、大きな追い風になる。
第1回トヨタ杯は、81年の2月に始まった。公式記録では観客数6万2000人となっているが、実際には3万~4万人程度だったと思う。その後、大会は成長して、チケットはプラチナペーパーとなった。多くの人の努力で、大会は世界的なイベントになった。
この大会が将来どうなるか、今はまだ分からない。もともと開催に反対の欧州連盟が再びボイコットする可能性もあるだろう。毎年の赤字で、大会そのものがなくなるかもしれない。しかし、もしW杯と並ぶ世界的なイベントになるとしたら、今回がその第1歩。手探りの船出だけに、この大会がどう成長していくのか、楽しみでもある。
December 17, 2005 10:34 AM
2005年12月16日
卑劣な犯罪を許すな:桐越聡
都内に住む男性(38)は怒っていた。「まんまとだまされた。飛び込み営業は難しいものだと分かっていたから『大変だな』という同情もあって契約したのに、恩をあだで返されたようなもの。あの営業マンは絶対に許さない」。
男性は私鉄沿線にある精肉店で働く。地方から上京した男性の父親(64)が30年以上前に始めた家族経営の店だ。安さが売りの大型店の進出が激しい地域にあって、住民との信頼関係を大切にしながら、生き残ってきた。
そこに作業服姿の営業マンが飛び込んできたのは今夏。「月額は同じで新タイプの電話機が使えます」と、電話機のリースを勧めてきた。それまで家庭用兼事務用の電話機3台をリースしていた男性は「月額は変わりませんね」と念押しして契約した。しかし、11月に銀行口座からの毎月の引き落としが始まると、1カ月の支払いは約6000円増えていた。
「話が違う」。抗議した男性に営業マンは「きちんと説明しました」と平然と言い返してきた。あとは言った言わないの水掛け論。男性は個人としてではなく、個人事業者として契約を結んだため、一般消費者を対象にしたクーリングオフ(無条件解約)は適用されない。月額1万6000円の7年契約が重くのしかかっている。
調べると、相手は零細事業者を狙い詐欺商法を繰り返している悪質業者だと分かった。男性の父親は「オレは信用が大事だと正直に商売してきたけど、ウソをついた、あの営業マンはどんな気持ちで仕事しているんだろう。奥さんや子供に何と言っているのかな。人として恥ずかしくはないのかね」と、ため息交じりに話した。
今年は悪質リフォームの問題が表面化したように、詐欺商法は手を替え品を替えて絶えることがない。ある業者が摘発されても、同業他社へ移っていく者が少なくないといわれる。この就職難の時代に、詐欺商法だと分かっていながらも抜け出せない人が増えたのかもしれないとも思う。
しかし理由はどうあれ、コツコツと働いた人を陥れるような卑劣な犯罪が、これ以上増えたり、簡単に許される社会であってほしくない。電話機リースなど訪問販売は詐欺(懲役10年以下)での立件がなかなか難しいらしく、特定商取引法では重くて懲役2年、罰金300万円。ほとんどが罰金刑だと聞くと、手ぬるいと言いたくもなる。この程度の刑では犯罪の抑止力にはならないのではないだろうか。政府にはこのたぐいの犯罪の厳罰化に取り組んでほしい。弱者を救うような法律の整備を急いでもらいたい。
実は今月に入ってから経済産業省は、数年前から急増している個人事業者を狙った悪質な電話機リース商法の対応策として、ある通達を出した。男性のように個人事業者名で電話機のリース契約を結んでも、その電話が家庭用などに使われている場合はクーリングオフできる、という救済策を初めて示したのだ。被害者にとっては1歩前進だ。
「焦らずにじっくりやります」。通達が出たことを受けて男性は、弁護士への相談を始めた。
December 16, 2005 12:05 PM
2005年12月15日
大阪のお笑い版DL:横田和幸
31歳の春、自ら事業を起こし、来年で8年目を迎えようとしている。いわゆる、彼は青年実業家。現在38歳、夫人はタレントさん。社業も順調に進んできた(私と同じ学年だというのに、うらやましい)。
その人と私の会話を1つ披露したい。
「もしもし、横田さんか? ワイや。ところで今日(大阪発行10月26日付)の日刊スポーツの1面見てくれた?」
「そら、自分とこの新聞やから見ますよ。1面は阪神の日本シリーズ3連敗もの。ロッテ強いなあ」
「ちゃう、そこに藤川球児が写ってるやろ。その左上を見てや。三塁側のネットのへん。ぼんやりと写った顔は、ワイや。素顔のワイや。1面に自分が出るのはうれしいもんやな」
正体は大阪プロレスの社長兼主力レスラー、スペル・デルフィンだ。謎のマスクマンのはずだが、甲子園球場に素顔で観戦にいったところ、本紙1面に激写された? らしい。(興味ある方は、どんな顔か調べてください。でも薄暗くて分からないと思います)。
99年4月に関西初の団体「大阪プロレス」を大阪市内で創設した。50ほどの団体が乱立する現在、倒産が相次いでいる。でも大阪プロは健全経営で、朝日新聞など一般紙にも紹介されている。
デルフィンを一躍全国区にしたのが、94年新日本の「ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア」。獣神サンダー・ライガーとの決勝戦で大阪府立体育会館を超満員にした。当時はみちのく所属の無名も、華麗な空中戦やコミカルな動きが支持を集め、場内は大デルフィン・コール。優勝したライガーは後日、自身の飼う犬を「デルフィン」と命名したほど、準優勝者の実力を認めたという逸話だ。
「決勝前夜は、ミナミの美容院で8時間も髪形をドレッドにしてたんや。重圧? ない、ない。当日は気分良かったで。闘魂三銃士、藤波、長州を差し置いてワイがメーンや。ほとんどの客は、ワイを応援やで」。決勝用に特別マスクを30万円で作るなど、先行投資も惜しまなかった。
冒頭の会話のように、最近のITの青年実業家とは程遠い軽いキャラだが、経営の才能は抜群だ。興行会場を大阪市内のフェスティバルゲートに固定。巡業形式をとらないことで、移動費やリング設営費が不要になる。毎週末の2興行で、計400人以上の集客があるから安定した収入が可能だ。11選手を抱え、給料の遅延など一切ない。最近は週末が仕事という客層のため、平日の興行も行う。
主力選手はくいしんぼう仮面、えべっさんらに加え、芸人のケンドーコバヤシをプロレスデビューさせたり、社長主導の豊富なアイデアと実行力は、あの11年前と同じだ。試合前は、くいしんぼう仮面が観客にお菓子を配るサービス(競争率は約4、5倍程度)もある。大阪にお越しの際は「お笑い版ディズニーランド(とはホメすぎか?)」に1度、足を運んでみてはいかがですか。
December 15, 2005 02:10 PM
2005年12月14日
貢献する貴重な人柄:上野耕太郎
ちょっとした出来事で人柄が垣間見えることがある。
私事で恐縮だが今年2月、娘が生まれた。初めての子だ。あまり丈夫ではないのかよく熱を出す。新米だけに慌ててしまう。
11月下旬、担当する日本ハムの選手会の納会が山梨で行われた。朝6時、早朝ゴルフコンペが始まった。新庄選手が「1本足打法」で笑わせれば、ダルビッシュ選手がルーキーらしく? 大たたきをする。シーズン中では見ることのできないシーンが続く。こういう取材は見ていても楽しい。
一転した。午後4時すぎに妻から電話が入った。1週間近く続いた娘の熱が引かず、病院でもお手上げの状況だという。慣れていないだけに動揺してしまった。出張予定はまだ先にも続いていた。焦った。
取材するときに思わず顔に出てしまったのだろう。勘がいい選手がいた。この日、選手会長に選ばれた金子誠内野手(30)だった。自分の方が年上ではあるが、3歳と1歳の子供を持つ「先輩」に思わずこぼしてしまった。金子は静かに言った。
「今、9カ月ですよね。この時期に高い熱を出して赤ちゃんから子供になるんですよ。心配しないでください。自分の子供も少し重い診断を下されたことがありましたけど、大丈夫でした。親が心配するほど子供は弱くないですよ」。
何か自分の中で引っ掛かっていたものがスーッと引いていくのを感じた。その一言で救われた感じがした。
アテネ五輪にも選ばれた金子はシーズン中、あまり笑顔を見せない選手の1人だ。常にピーンと張り詰めた空気を身にまとっている。実は今季、取材するタイミングが図りきれなかった選手だった。失礼ながらシーズン中とは違う一面を垣間見た気がした。
ゴルフ場で話した後、ゆっくりと周りを見渡してみた。選手はラウンド終了後、宿舎に引き揚げていく。金子は最後までゴルフ場に残っていた。マスコミから要請されていた全員分のスコアの集計用紙の手配、ゴルフ場関係者へのあいさつなど見えないところでやっていた。外見はクールに見える。ただし、そういった作業を後輩任せにせず、自分からやるとこに「人柄」がにじみ出ている。
プロ野球は社会の縮図だ。かつての「4番でエース」がプロの世界に入り、それぞれの役割を与えられ、こなしていく。観客を動員する力を持つスター選手、勝ち星でチームをけん引するエースがいる。一方でつなぎ役に徹し、自分を封じ込めてチームに貢献する選手も必要だ。V9時代の巨人、その後の西武など常勝球団ほど役割分担がはっきりしていた気がする。
役割を自分自身で把握し、徹している企業やプロジェクトチームは強い。しかも「4番」や「エース」ではなく、勘所の良い「つなぎ役」は貴重な存在だ。
金子は言う。「年下の選手に嫌われてもきついことも言っていこうかなって思う」。グラウンドのプレーだけでは見えない、縁の下の部分がそこにある。
December 14, 2005 11:35 AM
2005年12月13日
赤い情熱がつなぐ夢:永井孝昌
落っことされんじゃねえか、って思ったよ。
そう言ってミスターレッズ、佐藤仁司さん(47)は笑った。90年6月に三菱自動車サッカー部のマネジャーになって以来15年半、浦和一筋に尽くしてきた。そのミスターが、1日付でJリーグ技術アカデミー部に出向することになった。
「浦和レッズとして」迎えた最後の試合は11月26日、埼玉スタジアムでの磐田戦。試合後、ゴール裏のサポーターのもとへあいさつに向かった。瞬く間に100人以上のサポーターが集まってきた。
スタンドには、ミスターのためだけの横断幕も張られていた。「正義は勝つ」。夜な夜なサッカー談議に花を咲かせるためにクラブ事務所を訪れたサポーターに、伝えてきた。「正義が勝てないことって今の世の中、いっぱいある。でもいつか、正義は勝つんだよ」。負けて負けて負け続けた浦和レッズの深夜の事務所で、ずっとミスターが伝え続けてきた言葉を、サポーターは忘れていなかった。
気が付けば宙を舞っていた。1度、2度と、52キロの体は高く高く舞った。落とされんじゃねえか、と笑っていても、「赤の他人」なんて言葉が存在しない浦和で恐怖心など感じるはずはなかった。胴上げから降りると、「情熱をありがとう」と何人ものサポーターが真っ赤なマフラーを首に巻き付けてきた。「暖かいよ…」。着ぐるみみたいになりながら言ったのは、決してマフラーのせいだけではなかった。
家に帰ると、奥さんに言われた。「胴上げなんてあなた、何かしたの?」。うーん、と考えても、答えが見つからなかった。「強いて言えば、警察からサポーターの名簿を出してください、って言われた時に『仲間は売れねえ』って言ったことくらいかなあ」。サポーターとクラブを赤い糸で結んできたミスターは、ナビスコ杯のトロフィーの値段は知らなくても、保険の値段が300万円だったことは覚えている。駒場スタジアムの玄関前、通称「叫びの丘」は第2の仕事場だった。今は「謝りにきた記憶ばかりだよ」と自嘲(じちょう)するJリーグに毎朝、電車で向かう。「ミスターは朝、弱いから」とサポーターから贈られた目覚まし時計で起きて。
99年11月27日、J2降格が決まった日が忘れられない。誰も帰ろうとしないスタンドから聞こえてきた「WE ARE REDS」の大合唱。みんな泣いていた。叫ばなければ、我を失いそうになっていた。「あんなに大きなWE ARE REDSの合唱を聞いたのは、あの時が初めてだったかもしれないな。でも、泣かなかったよ、我慢してさ」。言いながら、思い出して目が潤む。浦和を愛して、戦った公式戦584試合。すべてに、真っ赤な思い出が刻まれている。
12月8日、夢を見た。夢の中で行われていたのは、W杯の抽選会だった。最後に残ったボールを開けたFIFAのブラッター会長が、笑顔で広げた紙。「そこにさ、URAWA REDSって書いてあったんだよ」。そんな夢をうれしそうに語るミスターがうらやましい。そんな夢をともに語ってきた浦和レッズが、うらやましい。
December 13, 2005 10:27 AM
2005年12月12日
ガニマタの説得力:山内崇章
何だか高校生に戻ったような気分だった。高校球児を前にしたプロ野球選手が、身ぶり手ぶり、真剣な顔つきで野球を語っている。自分もあのときにこの話を聞いていれば…。勝手な妄想も膨らんだ。気が付けば彼らの言う野球観、技術論に心を奪われ、高校生と同じようにメモを取っていた。いまさら野球がうまくなるわけでもないのだが…。
先日、プロ野球現役選手による高校生を対象としたシンポジウムが仙台市で行われた。プロアマ交流の一環として、3年前から始まった取り組みだ。当時、野球担当から離れていたこともあり、プロがアマに技術的なアドバイスを送る姿がとても新鮮に映った。
横浜種田は、ガニマタ打法に至るまでを話していた。「左肩が開く悪癖の矯正です。左ひざ頭を真っすぐ投手に向けると体を開かずに済む」。斎藤は「制球力は2本の足、指先で地面をガッチリつかむことで得られる」と声高に語った。石井は、利き目の左目でボールをしっかり見るためにオープンスタンスを導入。「実践すれば、今まで打てなかった球も打てるかも」。
ほんの一例だが、どの話にも説得力があった。彼らが今にたどり着くための秘策が詰まっていた。貴重な話に接した球児たちがうらやましかった。
一方で、これまでプロにぶら下がっていたはずの自分が、なぜこのたぐいの話をもっと記事にしてこなかったかと反省もした。プロアマの壁が閉ざされていた時代に、記事を通して球児に伝えられたはずだ。
プロ野球選手は、ある種のエンターテイナーだ。華やかなプレーでファンを球場に呼び、テレビ、ラジオで全国にその様子が伝えられる。彼らの名は日本中で知られ、野球を通してタレント的要素も植え付けられる。新聞記者も選手たちの動きを連日伝える役割を担う。だが、エンターテイナーとして彼らに意識を置くあまり、表面上の動きにとらわれた記事に偏ることが多かった気がする。
FA選手の動向、年俸の推移、オフの予定、私生活…。シーズン中なら、打った、投げた、勝った、負けたのハイライト。当然、こうした話題も読者ニーズの1つ。選手の日々を伝える大切な情報だ。ただ、表面的な事象だけをスケッチした記事が、今まで読者にどう受け止められてきたのか、少々不安になった。
彼らがエンターテイナーであり得る根拠には、常人にはなし得ない技術がある。150キロの球を投げ、それを打ち返す。そのための技術、野球と向き合う姿勢とは。シンポジウムが行われた3時間だけ、高校生にタイムスリップした自分は、そんな記事が読みたいと素直に思った。
強いチーム、優秀な成績を収めた選手には必ず理由があるはずだ。目に見えるスターの顔だけがプロ野球の伝統を築き上げてきたわけではない。
プロアマの交流は着実に進んでいる。この取り組みがいずれ実を結ぶことは、会場を後にした球児らの笑顔が想像させる。現実に戻った自分も大いに啓発された。純粋な野球のすごみを伝えてくれ。選手にそうアドバイスされた気がした。
December 12, 2005 10:28 AM
2005年12月11日
年齢別の考え方とは:小林千穂
最近、相手の年齢を意識する取材が続いたので、年齢別に感じたことを少しずつ。
45歳 2週間に3人の45歳男性を取材。映画プロデューサー、落語家、俳優。3人ともトップスピードで走っている人たちだ。このうち2人が、言葉は違えど「次世代」について話していたのが印象に残った。「自分たちがしてきてもらったように、次に返したい」「そろそろ『次世代』を考える時期に来た」。もう、そんなことを考えているのか、と意外な気がしたのだ。まだまだ1人で走り続けてもいい年齢のような気がするし、「次」が嫉妬(しっと)の対象になっていいほど若い。3人の45歳の残る1人、某俳優も「映画における自分の責任」について話していた。おそらく、頭の中にはもう「次世代」があるのかもしれない。
近くにいる40代半ばの男性に「次世代なんて考え始める年齢ですか」と聞くと、酔いながらも「考えてます」と即答。前後不覚で、しょうゆの小皿にひじを突っ込みながらも、とても真剣だった(ような気がする)。私から見たら、45歳ってまだまだ「次」を考えるのは早いと思うけど、実は自分のスピードをきちんと計れる年代なのかもしれない。
ただ、40代半ばというとちょっと危うい印象も持っている。昨年は脚本家の野沢尚さんが、最近は作家の見沢知廉さんが、それぞれ44歳、46歳で自殺した。ニュースを聞いて「また40代半ばだ」と思った。危うさを裏付けるようなデータがある。警視庁の統計によると、昨年の自殺者約3万2000人のうち、40代は約5000人。グラフは40代で急に角度をつけるのだ。スピードが速すぎて景色が見えなくなってしまうのだろうか、それとも、周りのスピードに付いていけなくなる自分に気付くのだろうか。
0歳3カ月~73歳 映画会社が開催した新人女優オーディションの応募者の年齢。0歳3カ月は何となく背景が想像できるのだが、73歳はすごい。応募しようと思うこと自体がスゴイ。頑張るな~というのと、恥じらいはどこへという気持ちと。「私の青春はこれからです」と添え書きがあったとか。そのオーディションで、10代半ばの子供たちが「癒やしや元気を与えられる女優になりたい」とアピールしていたのは、ちょっと切なくなった。「自分が楽しみたい」と堂々と言ってくれた方がいい。そんな年齢でいいんじゃない。そっちの方が、その子自身が輝く気がするんだよな。
31歳 隣のページを1枚めくった芸能面にある「アジアンスター」のムン・ソリ。彼女と私は同い年のようです。女優としてだけでなく、最近は映画祭審査員など、映画人としての役割を求められるようになってきた。「映画がかかわるものにはできるだけ参加したい」と繰り返した言葉が、言葉だけではないことは、撮影の合間をぬって映画祭に駆け付けることからも分かった。そこまで好きなことに出会えているのがとても、うらやましい。
December 11, 2005 11:41 AM
2005年12月10日
「目標」でなく「約束」:岡本学
サッカーW杯の抽選取材でドイツにいるが、最近「やせなきゃ」という気になっている。不規則な生活に飲み過ぎ、食べ過ぎに運動不足もたたって、ウエストがきつくなってきた。高校3年から183センチ、75キロを維持してきたが、40歳になって腹回りのぜい肉が気になるように。体重オーバーの現実に「1カ月に3キロやせたい」という目標を立てている。しかし、達成するどころか「誘惑」に負けてしまう毎日が続き、ウエストがさらにきつくなりつつある。
目標が果たせないなら「1カ月に3キロやせる」とこのコラムで宣言し、約束する(しかない)。そこまですれば、いいかげんなことはできなくなる。私のことを知っている人も、顔を合わせれば「やせた?」とプレッシャーをかけてくれるだろう。
目標を立てるのは簡単だ。自分の周囲にも「いついつまでに○キロやせたい」と毎日のように言っている人がいる。だが「いついつまでに○キロやせる」と約束する人はそうはいない。約束でもしないとどこかに「甘え」が出てしまう。スポーツ取材の現場にいても「優勝したい」と目標を口にする人はいても「優勝する」と約束できる人はそうはいない。
数少ない「約束できる人」の1人が、日本サッカー協会(JFA)の川淵三郎キャプテン(会長=69)だ。同協会では今年の元日、2005年宣言を発表した。内容は10年後の15年までに「サッカーファミリーを500万人に。日本協会、日本代表が世界のトップ10となる」(JFAの約束2015)、45年後の50年に「サッカーファミリーを1000万人に。W杯を日本で開催し、その大会で日本が優勝チームとなる」(JFAの約束2050)というもので、同キャプテンが今年の天皇杯決勝の前にファンに約束した。
最初にこの宣言を聞いたとき、どうして「約束」にしたのかと思った。「ベスト10に入りたい」「W杯で地元優勝したい」という目標でいいじゃないかと。だがこの1カ月半、同キャプテンの取材を重ね「約束」履行への強い決意、妥協を許さない姿勢を感じた。協会トップにいながら強行軍で全国を行脚し、地域が抱える問題に耳を傾けた。「Jリーグを開催できるスタジアムがない」と聴けば「知事を説得する」と即答。悪いものは改善し、いいものは取り入れ、スピードが伴う改革を断行している。ビジョンを示し、その先頭に立って努力する姿勢が周囲を動かし、この10年余りでの日本サッカーの急速な発展につなげたことは疑う余地がない。
「何が何でもやり遂げたいと思ったから」。川淵キャプテンは2005年宣言について単なる「目標」じゃなく「約束」にした理由を説明した。約束とは「決まり。今後に関して相互で取り決めること」とある。「そのころ(W杯で地元Vするころ)には生きていないな」とつぶやいた同キャプテンだが、今は全責任を背負い、約束履行へ全身全霊を傾け突っ走っている。
December 10, 2005 12:22 PM
2005年12月09日
野球にもアイドル登場!?:高木一成
いよいよ今年もあと20日余りになった。競馬記者としては、まだ大一番の有馬記念(25日)が控えているのだが、地元の同級生など口実がないと滅多に集まらない人もいる。先週あたりから何度かプチ忘年会を消化し始めた。
「○○ってかわいいよね」。基本的には男同士の飲み会。昔から酒が進むと、誰かがこういう話題を始めたものだ。自分はそういうのは秘密主義なので黙って聞いているのだが、何年たっても話題のパターンが変わらないやつは変わらない。ただ、ちょっと違うのは、昔だったら○○はアイドルとか歌手に限られていたのが、最近は○○にスポーツ選手を当てはめる人が多くなってきたということだ。
トリノ五輪を目指すフィギュアスケートの安藤美姫とか、モーグルの上村愛子など、確かに世間から注目を集められるルックスをしている。同競技内で「いや、おれは○○派だ」という対抗馬も多い。専門外の雑誌でも女子選手の特集が組まれることがあるし、テレビのバラエティー番組で見かける頻度も増えている。単に美人というだけで取り上げられるのなら本人も本意じゃないし、純粋な競技ファンの批判もあるだろうが、実力もすごいだけに文句はつけられない。
ゴルフ、マラソン、バレーボール、スケートなど、女子の方が圧倒的に人気が高い競技は、ルックスだけでなく、世界トップに近いと思わせる逸材が多いからだろう。米女子ツアーの最終予選会をぶっちぎりで優勝した女子ゴルフの宮里藍が、いい例だ。見られることできれいになるのは女性の特徴だと思うが、もしかしたら注目されることでの伸びしろも、女子選手の方が多いのではないか。そう思わされるぐらい、今の女性アスリートの躍進はすごい。
そう思いながら注目しているのが女子野球の動向。先日行われた愛知大学野球連盟の総会で、中京女子大学(愛知県大府市)の加盟が認められた。学生野球史上初めて、女子だけのチームが男子リーグに挑戦することになる。また、尚美学園大学(埼玉県川越市)は、来春から女子硬式野球部を設立。各大学に大学スポーツとしての女子硬式野球の振興を呼び掛けていく。
同学園に総監督で迎えられた広瀬哲朗氏(44=現女子硬式野球日本代表監督、元日本ハムファイターズ)は、前部署の販売局にいたときにイベントでお会いした縁があり、今ではG1レースの前に時々話題を流している(と、いっても大して役には立ってないけど)。長年女子硬式野球を見てきた同氏によれば「男相手となると全日本もレベル的には、まだリトルリーグぐらい。硬式野球で争うのは正直大変だと思う。ただ、これを機に女子だけのリーグができるぐらい競技人口が増えていってくれれば」という。
10年も20年も前に女子ゴルフがこんなに人気になると思っていた人は少ないはず。最近のプロ野球界は元気がない印象だが、10年後には急激に発展しているかもしれない女子プロ野球リーグにファンを奪われてないだろうか。心配と楽しみは半々。野球に限らず男子スポーツの巻き返しを願いつつも、いろんな分野で女子アイドル選手が登場するのも、また楽しみでもある。
December 9, 2005 12:20 PM
2005年12月08日
フロントで大成期待:千葉修宏
数日前から右肩が上がりません(苦笑)。実はヤンキース松井選手を囲んでの草野球大会に出場し、ヤ軍広岡広報から「ピッチャーできる?」とうれしいことを聞かれ、「できますよー」と二つ返事でOK。完投までしてしまったからなのです。
野球部に所属していた大学時代。補欠だったこともあり、毎日、打撃投手を買って出ていました。当時は若かったからなのか肩を痛めることもなく、レギュラーたちに気持ち良く打たれ続けました。それが約10年後、こんなことになろうとは…。松井選手らとプレーした数日後、マスコミ中心に結成された別の草野球チームの一員として試合に出場。その時は二塁から一塁へ送球するのもやっとなんですから。ほんとトホホですよ。
それを考えるとプロ野球選手って本当にすごい。僕からすればほとんど神様のような存在です。だって大リーグでは年間162試合とか戦うんですよ。僕は一応まだ32歳ですけど、たった2、3試合で肩、腰、太ももと体中が悲鳴を上げてますから。
アジアシリーズで来日した中国チームのラフィーバー監督(元大リーグ・ドジャース、日本プロ野球ロッテなど)が言ってました。「プロでやるっていうのは、毎日プレーすることなんだ。調子の良い時も悪い時もあるけど、また翌日、球場に戻ってきてプレーする。それがプロだ」と話していました。草野球で体を痛めながら、ものすごく説得力がある話だなと、しみじみ感じました。
今年、僕の大学時代の同級生がユニホームを脱ぎました。西武の高木大成選手です。僕は西武は担当したことがなく、仕事で接する機会はあまりありませんでした。ですが、たまに取材に行ったり、新聞の記事などを読んでも、最後の数年はケガで苦しんでいたことが分かりました。
今でも覚えています。大成は「こいつは本当にすごい」と思った初めての選手でした。あれは大学1年の練習初日。彼のフリー打撃は、グラウンドにいるどの先輩よりすごかった。というより次元が違いました(その時、上級生だった方々、スイマセン…)。今でも、たくさんの球団関係者の方から「あいつの体調が万全なら。センスはものすごいのになぁ」という話を聞きます。
僕は大成と同じ神奈川県の高校出身ですが、彼は桐蔭学園時代から本当のスターの輝きを持っていました。大学、西武でも常に中心選手として歩み、96年のプロ1年目から5年連続で80試合以上に出場。その後、ケガのため徐々に出場試合は減っていきました。本当なら毎日プレーしているはずの主力が、そもそも試合に出られない。プロとして、その悔しさは相当なものだったでしょう。
でも、まだまだ勝負はこれから。これは建前論じゃないですよ。彼は今後、球団職員としてライオンズに残るとのこと。外部から多くの人材を招聘(しょうへい)した今年のロッテを見ても分かりますが、チームの浮沈は選手の出来とともに“フロントの出来”に左右されます。弱いチームは球団自体に活気がないですから。近い将来、日本一の球団の一員として活躍する大成を、再び取材できることを楽しみにしています。
December 8, 2005 11:48 AM
2005年12月07日
熱い早明戦が見たい:荻島弘一
早大40-3明大。今年のラグビー早明戦の結果だ。久しぶりに行ったラグビーの試合が寒かったのは、雨のせいだけではなかった。すでに早大が優勝を決め、明大の4位が決まっていたからなのか、展開は一方的で、内容も盛り上がらなかった。そして、何よりもスタンドが寂しかった。
かつて、早明戦は学生スポーツの、いや日本のスポーツ界の華だった。12月の第1日曜日、国立競技場へは両校の小旗を持ったファンが、長蛇の列をつくった。80年代から90年代初めごろまで、国立は抽選でプラチナチケットを手にした6万人のファンで埋まった。
実際に早明戦は面白かった。横の早大と縦の明大、FWの明大とBKの早大。故北島監督の「前へ」と故大西監督の「展開、接近、連続」が、伝統として両校の対照的なスタイルをつくり上げた。互いに相手の長所を受け止め、自分の長所を出す。互いの「得意技」を出し合う「プロレス的」な対戦が楽しかった。
「雪の早明戦」。伝説となった87年の対戦だ。リードされた明大が終盤に攻め込む。何度ペナルティーを得ても、PGを狙うことをせず徹底してFW戦を挑む明大。そして、ゴールラインに足をかけながら耐える早大。汗が水蒸気となって立ち上がり、雪の上のスクラムが湯気に包まれた。
結局7-10で明大は敗れたが、NO8大西主将をはじめ、最後まで自らの信念を貫いた選手たちは胸を張っていた。WTBには1年生の吉田、現在指導者として活躍する2年生のSO加藤やFB高岩らもいた。早大にはプロップ永田主将に、SH堀越とWTB今泉の1年生、NO8は現早大監督の清宮だった。個性的な選手たちが、ラグビー人気を引っ張っていた。
もはや、早明戦神話は崩れたのか。満員だったスタジアムには空席が目立ち、試合をする選手からも気迫は感じられなかった。トップリーグがスタートした社会人との決定的な差もあるだろう。ラグビー人気そのものの低迷もある。ラグビーに限らず、大学スポーツそのものが限界に来ているというのもあるだろう。
もともと、日本のスポーツの中心は大学だった。しかし、アマチュアの大学スポーツには限界がある。手弁当で集まる指導者、資金的な余裕のない中での環境改善。単純にチーム強化よりも、やらなければいけない課題は山ほどある。早大は、大学スポーツの改革を目標に資金集めなど地道な努力を続けるが、他の大学ではなかなか難しい。
Jリーグは大学スポーツからクラブスポーツへの転換を目指して発足した。学校の部活動を経験していないユース育ちの選手を擁したG大阪の優勝は象徴的だった。ただ、大学の良さもある。かつて早明戦で見たような、アイデンティティーを生かした試合も、その1つだ。だからこそ、明大には、もっとその「色」を出して欲しい。前半25分のペナルティーのチャンスにはPGを狙わずに攻めて欲しかった。もう、目を閉じて息を吸っても「枯れた芝生のにおい」はしない。確かに時代は変わった。だからこそ、かつての早明戦が懐かしくてたまらない。
December 7, 2005 11:53 AM
2005年12月06日
人を裁くという重さ:桐越聡
先日、都内で開かれた公開討論会の席上、ある弁護士がこんな話をしていた。「裁判に裁判員として参加する以上、被告人の生命を奪い、自由を奪い、財産を奪うことにかかわるんだと十分に認識してほしい」。市民が、プロの裁判官と一緒に裁判を進めていく制度が始まるとは聞いていたが、深くは考えていなかった。市民が被告人の生命を奪う? ちょっと待ってくれよ、と言いたくなった。
調べてみた。裁判員制度は09年5月までに始まる。殺人や強盗致傷、傷害致死…。死刑や無期懲役などの刑を含む重大事件の1審に、選挙権のある人の中からくじで選ばれた市民が裁判員となって参加する。70歳以上の人や20歳以上の学生を除くと「やりたくない」ぐらいの理由では、断ることができないらしい。
計算上は年間1万人以上の市民が裁判員になる。読者の皆さんも、裁判員になる可能性は大いにある。しかし、何人かの知人に聞くと「言葉は知っているけど…」がほとんど。制度導入が決まり1年半ほどになるが、広く浸透したとは言い切れないような気がする。
法務省には「市民の感覚が裁判に反映される。その結果、国民の司法に対する理解と信頼が深まる」という狙いがあるようだ。もちろん、その意図は分かる。裁判員は被害者や遺族に直接質問する機会があるようだから、きっとやりがいがあるに違いない。学生時代なら、制度が始まるのを待ち望んでいたかもしれない。
しかし、正直言ってこの制度には不安を感じている。情に流されて正しい判断ができなくなるかもしれない。被告人のウソにだまされたら取り返しのつかないことになる。もし、被告人の関係者から「報復する」と脅されるようなことがあったら、裁判どころではなくなると思う。過去に刑に処されていても禁固以上の刑でない人は裁判員になれる、という資格のあり方にも、ちょっと抵抗がある。
何より、人を裁くということ自体に自信がない。被告人の一生を左右する責任の重い仕事だ。裁判員が参加する裁判は、裁判員6人と裁判官3人の構成となるらしいが、自分は9人のうちの1人だからと、軽くは考えられない。知識がない。冷静な判断に自信がない。いくら刑罰は裁判官が決めるといっても、「冤罪(えんざい)だ」という被告人の叫びが頭から離れず、長く悩むかもしれない。
下校途中の女児が殺害される事件が連続して発生するなど、最近の事件は凶悪化している。その背景は複雑で、よく分からないことも多い。この制度が始まるころには、市民感覚ではとらえられないような事件が、さらに増えている可能性がある。裁判を通じて事件の事実関係や動機などを深く探っていこうとするとき、裁く側に市民感覚が求められるというのはよく分からない。市民感覚という言葉は聞こえがいいが、法律の知識がない裁判員が裁くのは、被告人に対してある意味では失礼ではないか。そもそも必要なのだろうかという思いさえしている。司法改革という言葉のもと、この制度は、市民に重すぎるものを突き付けているような気がしている。
December 6, 2005 11:52 AM
2005年12月05日
人生の縮図表す1日:横田和幸
これが男の意地だったと思えば、不覚にも涙がこぼれてきた。G大阪が悲願のJリーグ初優勝を飾った3日、私はビールかけが行われた万博記念競技場に取材に行った。片隅で、この原稿を書いている。酒気帯び原稿を覚悟したが、どうやら無理のようだ。
G大阪ひと筋で11年間プレーしてきたDF実好礼忠(さねよし・のりただ=33)が、今季限りで退団することになった。まさかの戦力外通告を受けていた。
今年は24試合1得点、通算でも231試合の出場を誇ってきた鉄壁の守備人だった。
「言われたのは、1週間ほど前です。自分でも信じられなかったけど、これが現実なのかと。そりゃ、ショックで、その夜は飲み明かしましたけどね。7歳と5歳の子供も分かったようで、嫁もショックを受けていました」。
プロの世界はこのリーグ最終戦が終わると、来季の契約を結ぶか否かの通知をされる。記者として客観的に見ても、実好は立派な戦力だった。来季もそう思っていた。すでに2歳下の松波正信が今季限りでの引退を表明し、記者会見を行った。そんな華やかさとは対極的に、実好は誰にも知らせずにG大阪を去ることになった。
11月12日の第30節浦和戦で右肩を脱きゅうし、その後は3試合欠場した。治療にあたった柳田博美ドクターが言う。「どうして彼が、あれほどまでに治してくれと言ってきたのか不思議でした」。欠場した3試合をG大阪は全敗した。いかに実好が重要なストッパーかは周囲も分かった。
優勝を決めたこの日、後半開始からシジクレイの代役で投入され、打点の高いヘディングで川崎Fを封じ込めたという。「これが最後かなと思えば、複雑な気持ちになった。最後の最後で監督が使ってくれ、自分も燃えました」。背番号4が出場してから、本当にG大阪が勝ち越した。力は証明できただろう。
97年から2年間は主将を務め、00年には右アキレス腱(けん)を切断しながら完全復活していた選手。彼から不平不満を聞いたこともない。西野監督が3バックや4バックで悩んでも、この選手がいたから常に悩みは解決してくれた。
昨年11月13日の天皇杯鳥栖戦で、公式戦261試合目という最も遅いゴールを決めた。その記事は担当の西尾記者が大阪日刊の裏面を飾り、彼の子供が通う幼稚園に貼り出されたという。愛称ノリちゃんの人柄が地域でも評判だったことを物語るエピソードだ。今日の優勝紙面では、彼の活躍が大きく扱われることもないので、せめて功績は記したかった。
私はこの日、首位C大阪が5位に転落した長居スタジアムで取材した。天国から地獄に転落したシーンを見てから、地下鉄御堂筋線を北上し、G大阪の祝勝会に足を運んだ。C大阪の森島寛晃らが号泣する姿を見てから、G大阪の大喜びを見た。そして寡黙に戦い続けたノリちゃん。人生の縮図が詰まった1日だった。
December 5, 2005 12:38 PM
人生の縮図表す1日:横田和幸
これが男の意地だったと思えば、不覚にも涙がこぼれてきた。G大阪が悲願のJリーグ初優勝を飾った3日、私はビールかけが行われた万博記念競技場に取材に行った。片隅で、この原稿を書いている。酒気帯び原稿を覚悟したが、どうやら無理のようだ。
G大阪ひと筋で11年間プレーしてきたDF実好礼忠(さねよし・のりただ=33)が、今季限りで退団することになった。まさかの戦力外通告を受けていた。
今年は24試合1得点、通算でも231試合の出場を誇ってきた鉄壁の守備人だった。
「言われたのは、1週間ほど前です。自分でも信じられなかったけど、これが現実なのかと。そりゃ、ショックで、その夜は飲み明かしましたけどね。7歳と5歳の子供も分かったようで、嫁もショックを受けていました」。
プロの世界はこのリーグ最終戦が終わると、来季の契約を結ぶか否かの通知をされる。記者として客観的に見ても、実好は立派な戦力だった。来季もそう思っていた。すでに2歳下の松波正信が今季限りでの引退を表明し、記者会見を行った。そんな華やかさとは対極的に、実好は誰にも知らせずにG大阪を去ることになった。
11月12日の第30節浦和戦で右肩を脱きゅうし、その後は3試合欠場した。治療にあたった柳田博美ドクターが言う。「どうして彼が、あれほどまでに治してくれと言ってきたのか不思議でした」。欠場した3試合をG大阪は全敗した。いかに実好が重要なストッパーかは周囲も分かった。
優勝を決めたこの日、後半開始からシジクレイの代役で投入され、打点の高いヘディングで川崎Fを封じ込めたという。「これが最後かなと思えば、複雑な気持ちになった。最後の最後で監督が使ってくれ、自分も燃えました」。背番号4が出場してから、本当にG大阪が勝ち越した。力は証明できただろう。
97年から2年間は主将を務め、00年には右アキレス腱(けん)を切断しながら完全復活していた選手。彼から不平不満を聞いたこともない。西野監督が3バックや4バックで悩んでも、この選手がいたから常に悩みは解決してくれた。
昨年11月13日の天皇杯鳥栖戦で、公式戦261試合目という最も遅いゴールを決めた。その記事は担当の西尾記者が大阪日刊の裏面を飾り、彼の子供が通う幼稚園に貼り出されたという。愛称ノリちゃんの人柄が地域でも評判だったことを物語るエピソードだ。今日の優勝紙面では、彼の活躍が大きく扱われることもないので、せめて功績は記したかった。
私はこの日、首位C大阪が5位に転落した長居スタジアムで取材した。天国から地獄に転落したシーンを見てから、地下鉄御堂筋線を北上し、G大阪の祝勝会に足を運んだ。C大阪の森島寛晃らが号泣する姿を見てから、G大阪の大喜びを見た。そして寡黙に戦い続けたノリちゃん。人生の縮図が詰まった1日だった。
December 5, 2005 12:38 PM
2005年12月04日
育成選手からヒット:上野耕太郎
最近、北海道で「不思議な」ものが売れている。ジンギスカンキャラメルだ。食品メーカーの札幌グルメフーズが昨年6月に製造、あまりに忠実に再現したその味は強烈だ。ぜひとも機会があればチャレンジしてほしい。北海道のラジオ局で同社が自虐的にその商品をアピール。テレビ番組でも紹介されたこともあり「まずそう」「ちょっと怖いけど食べてみたい」という消費者心理を逆手にとって売れに売れている。
世の中、何が幸いして好転するのか、さっぱり分からない。
「たなからぼたもちとはボクのためにあるのかというくらい」「新幹線もグリーンですよ、グリーン」とトンデモ発言を連発し、バッシングを受けた自民党の杉村太蔵衆院議員も今やしっかり、人気者だ。街頭では人に囲まれ、笑顔をみせる。応援演説でも候補者を押しのけるほどの露出だった。脇の甘い発言が「正直でかわいい」という認識に推移している。今後、その評価がどう変化するのかは分からないけど…。
さて本題。プロ野球界で初の育成選手選択会議が1日、東京・内幸町のコミッショナー事務局で開催された。この育成選手は1軍の試合に出場することはできない。背番号も100番以降。最低参稼報酬は年額240万円となっている。その名の通り、育成を目的とし、将来の一流選手を目指していく。通常のドラフトがプロ入りの夢をかなえたというならば、この育成選手選択会議で指名された選手は大きくその夢に近づいたことになるだろう。
四国アイランドリーグからは2選手が指名された。少ない賃金で夢を実現させようとしている選手にエールを送りたい。そして、思う。1年後、2年後。その力を見せつけてくれと。
プロの世界を取材していてもやっぱり、何が幸いするか分からない。
実力があっても首脳陣の評価が低いこともある。同じポジションに有力な選手が集まり、出場機会が少ない可能性もある。指導者によって突然、その才能が開花することだってある。各球団で違うと思うが、育成選手の獲得に向け重要視されるのは「売り」だ。全体のレベルはプロまでもう1歩だが、肩が強い、足が速いといった魅力を持つ選手がピックアップされているように思える。チームに育ててみたいと思わせる何を持っているか-、それがカギだ。
ジンギスカンキャラメルも開発段階で「まずいから発売はやめよう」となっていたら、こんなブームは起こっていない。人気が出始めている杉村衆院議員だって選挙に出ていなければただの若者だ。
確かに育成選手は枠や規制があり、活躍してもすぐに1軍の舞台とはいかない。周りの選手と自分を比較してしまうこともあるだろう。でも、このチャンスを生かしてほしい。やっぱり、回り道してでも自分の夢を貫きたいという選手に自分を重ね合わせていく。今回の育成選手から球界を代表する「ヒット商品」が誕生して欲しいって、心から願う。
December 4, 2005 10:28 AM
2005年12月03日
消えるカレーな歴史:永井孝昌
カレーの香りが漂ってくる。
仙台に出張する時は、いつも仕事は後回しだった。会場に着くと、真っ先に2階の売店に向かう。蠱惑(こわく)的な香りに冷静さを奪われて、階段を足早に上る。頼むのは、迷わずカツカレー。おばちゃん、いつも大盛りとコーヒーのサービス、ありがとう。個人的な好みでいえば、世界3大カレーの1つは間違いなく、宮城県スポーツセンター2階売店のカツカレーだった。
ここは、先輩記者から「昔は2階の客席からこぼれ落ちてきそうなくらいお客さんが入ったもんだよ」と教えられた東北のプロレスの殿堂。その会場が来年3月31日をもって取り壊しになる。目を閉じれば試合の記憶とともによみがえるカレーの香り。また1つ、もう2度と確認できない記憶が増える。
地獄めぐりで有名な大分には、もうひとつ、灼熱(しゃくねつ)の地獄があった。大分の荷揚町体育館は、新潟・五泉の会場と並ぶプロレス担当の夏の難所。空調がなく、夏場の取材はメモを取るノートまでふやけた。噴き出す汗で背中に塩がにじんでくるから、この会場に黒いシャツを着ていくのはご法度だった。その荷揚町体育館も、今年3月に老朽化と行財政改革のため51年間の歴史に幕を閉じた。意識もうろうとなりながら原稿を書いた経験も、リングに浮かぶ汗にかげろうを見た光景も、もう何年かすれば誰に話しても信じてもらえない日がやってくる。
北の聖地、が消えたのは、6年前だった。数々の名勝負と事件が会場を伝説化したのは、札幌中島体育センター。99年1月にプロレス担当になって初めての出張先がここだったから、試合の記憶より、寒さより、取材のため若手選手に案内された獣神サンダー・ライガーの控室を初めてノックした時の緊張感が何よりの思い出。昔の木造校舎のような古いドアは、だからこそ思い出すたび初心に戻る。99年8月25日にFMWが最後のプロレス興行を開催するまで、あのドアだけは中に誰がいようと、ノックするときは緊張したものだった。
5年間のプロレス・格闘技担当で、回った会場は全国で130以上になる。どの会場にも五感のどこかに記憶があって、今はなき全日本女子のガレージ跡を車で通れば松永会長手作りの焼きそばの香りを思い出し、岐阜産業会館は担当になりたてのころ、何も分からないからファンが何を楽しみにしているのかを聞くために息をひそめてこもったトイレの記憶が鮮明で、鹿児島市民体育館では子供にマスクマンと間違えられてサインをねだられた。
選手が、ファンが記憶や思い出を刻んできた会場は、老朽化や使用率低下などを理由に今後も少しずつ、閉館に追い込まれ、取り壊されていくのだろう。同時に、古き良き時代のプロレスの歴史も忘却のかなたへと追いやられていくようで、寂しさを禁じ得ない。一方で、ニュースを見れば、真新しいマンションも取り壊しを余儀なくされている。新しい歴史を築くために、過去の歴史を壊すのはやむを得ないのかもしれない。だが信頼を壊し、日常を壊し、安心を壊し、夢を壊す利権まみれの人たちに、何かを築く資格はない。
December 3, 2005 11:14 AM
2005年12月02日
球界繁栄にはテレビ:山内崇章
東北の山奥で生まれ育った宿命だと思っていた。野球中継にかじり付くことだけが唯一の楽しみだった少年時代。試合が佳境を迎
