2005年11月15日
トモさんの魂受け継げ:横田和幸
あの涙から、もう七回忌を迎えた。JリーグG大阪などでMFで活躍した久高(くだか)友雄さんが亡くなってから、今年9月で6年が過ぎた。
トモさん(愛称)は松下電器(現G大阪)に入団し、Jリーグ元年を経て、最後は95年末にC大阪で現役引退。日本代表の肩書はなかったが、いつでも大阪弁で、関西では抜群の存在感があった。それが胃がんが原因で36歳で天国に逝ってしまった。私は今年であの時の久高さんより年齢で1つ上回った。本当に若すぎた死だと思う。
日刊スポーツの大阪本社はこのほど、豊中市から大阪市内のオフィス街に移転した。引っ越し作業に追われていると、机の中から懐かしいVHSのビデオテープが出てきた。
トモさんが松下電器で出場した「90年度サッカー天皇杯決勝・日産自動車戦」。小雨の降る91年元日、舞台は国立競技場。相手の激しいチェックに、何度も前のめりに倒れながら、すぐに立ち上がり、ボールに向かう姿があった。
史上初の3連覇を目指す日産には松永、水沼といった豪華な顔触れが並ぶ。初王者に挑む松下電器は、27歳のトモさんを中心に延長含め120分を戦い、おおかたの予想を覆して松下がPKで競り勝った。表彰状を掲げるトモさんは、誇らしげで輝いて見えた。
「本当に見事な松下電器イレブンです。雨に煙る国立競技場で、日本のリーダーとなりました」。NHK松本一路アナウンサーの実況が胸を打つ。「これから日本にプロリーグが誕生するのです」とは解説の松本育夫さん。今季で13年目を迎えたJリーグの原点。それはトモさんらの姿に集約されているのだと確信する。
引退後のトモさんは本紙コメンテーターに就任し、私は弟子のようにサッカーを学んだ。印象に残るのは、関西サッカー界への提言だった。
「C大阪はモリシ(森島)が引っ張っていかなあかん。どんなせこい点でもいいんや。(93年限りで解雇された)G大阪は関西の軸や。電池の扱い方さえ知らんかったオレを、雇ってくれた松下電器には感謝してる。関西では最初にタイトルを取らなあかん。京都は祇園の舞妓(まいこ)さんを、全試合の応援にこさせるくらいの魅力ある試合をしてほしいね」。
9年前の言葉は今秋、天国から再び後輩へと配信されたのだろうか。G大阪は故障者続出ながら、首位に踏ん張る。C大阪は神懸かり的な快進撃で3位に浮上した。京都はJ1再昇格を決めた。きっと地上の後輩に届いたのだろう。
私は今、あの天皇杯決勝でトモさんと同じ松下でプレーした、本紙評論家の永島昭浩さんと仕事をしている。「サッカーは足先だけではなく、心でやるスポーツだよ」。理屈をこねる私に、いつもそう教えてくれる。心の持ち方次第で技術を超越する何かが生まれると。J1も残り4戦。ガンバもセレッソも魂のプレーを貫き通して欲しい。
November 15, 2005 11:25 AM
