2005年11月04日
葛西の笑顔が見たい:上野耕太郎
私の住む札幌では「雪虫」と呼ばれる小さな虫が飛び始めた。厚手のコートを着込んで取材をしている。冬が近づいてきている。
来年2月のトリノ冬季五輪まで100日を切った。個人的に応援している選手がいる。スキー・ジャンプの葛西紀明選手(33=土屋ホーム)だ。代表候補に入り、5度目の五輪出場に挑む。
北海道で記者をやっているのにもかかわらずジャンプの取材は数えるほどしかない。恥ずかしながら片手で足りる程度だ。そんな私が今でも覚えていることがある。
95年の冬のこと。入社1年目の私は初めて大倉山ジャンプ競技場に向かった。ジャンプ場は寒いと先輩記者から聞いていた。前日にスキーウエアを探したが、ない。大学時代は弟のウエアを借りていた。仕方がない。12歳からほとんど身長が伸びなかったせいで、小学校時代のウエアがまだ着られた。鏡を見ると流行からかけ離れた姿だった。
テレビで見ていた冬のアスリートたちの取材に緊張していた。そんな不格好も気にしている余裕もなかった。「あっ、葛西だ」。緊張しながら取材に行った。あいさつをしている途中だ。葛西が人懐こい笑顔で噴き出し、言った。
「どうしたんすか、その格好」。
周りの記者も思わず笑っていた。その笑いを気にしたのか、すぐに真顔に戻った。
「僕ので良ければ明日、持っていきます。もらったものとかありますから」。
翌日に私は取材へ行けず、もらえずじまい。翌月、2回目の取材のとき。
「この間、ウエアを持ってきていたんですけど。どなたかに渡せば良かったですね」。
正直、その気遣いに驚いた。しかも、初対面の人間に対して。その後の記者経験でもこんな出来事はない。
親切にしてもらっただけで、応援しているわけではない。信じられないような人生の厳しさを味わっているからだ。葛西が21歳の時、5歳下の妹久美子さんが大病を患った。97年5月には母幸子さんが知人宅で火事に遭い48歳の若さで他界した。
天才は苦悩する。下川中3年の宮様大会ではテストジャンパーを務め、優勝者の記録を上回った。16歳8カ月での世界選手権の出場は日本人選手として破られてはいない。所属した地崎工業も98年3月末、その後移籍したマイカルも01年10月に廃部になった。
絶えることのない笑顔。33歳の年齢以上に背負ったものがある。だからこそ、人の痛みが分かり過ぎるのかもしれない。2度しか取材をしていない私が言うのも失礼な話だが。
日本のエースと呼ばれて15年。なぜか五輪、世界選手権といった大舞台で力が発揮できずにいる。02年のソルトレークシティー五輪では不調のため、団体戦の出場を辞退した。
五輪のメダルは94年リレハンメル大会の団体銀のみ。来年こそ。わがままに、自分だけのために大きく飛んでほしい。優しい男の笑顔が見たいんだ。
November 4, 2005 12:11 PM
