2005年11月30日
世界へ恩返しする番:岡本学
「優勝」は本当にいい。少年野球のコーチになって約半年、10チーム足らずが参加しての市内大会だったが、ようやく指導者として初Vを経験した。記者としてスポーツ現場で何度も優勝シーンは見てきた。なのに、その感動は特別だった。勝つことで恩返ししてくれた子供たち。納会では、さらなる成長を願って焼き肉パーティーでお祝いをすることになった。
私事でコラムを始めたが、そんな出来事があった27日、日本サッカー協会の小倉純二副会長(67=FIFA理事)から国際電話をもらった。内容は、日本協会を代表して出席したサッカー全英アマチュア選抜、ミドルセックス・ワンダラーズ100周年記念パーティーの様子を伝えるためのものだった。いつも明るく気さくな小倉副会長だが、この日、受話器から伝わってくる声の様子はいつも以上にハイテンションだった。
02年W杯日本招致の「顔」としても活躍し、往年の名プレーヤーとして世界的に有名なボビー・チャールトン氏ら460人が出席する中で、同副会長は日本を紹介するプレゼンテーションを行った。同時に日本代表に「けいこ」をつけてくれた「恩人」たちへ記念品を贈呈。「今年は100周年とあってパーティールームに人が入りきれないほど盛況だったんだよ」。同副会長の声は弾んでいた。
ミドルセックス・ワンダラーズといっても、ピンとこない人も多いだろう。初来日はメキシコ五輪予選を控えた67年5月だから、40年近く前になる。釜本や杉山ら翌年銅メダルに輝く日本代表を3-1で一蹴し、74年まで11試合で6勝2分け3敗。本場としての強さを見せつけた。60年代には欧州や南米代表を日本に呼ぶなど夢だったが、ワンダラーズは交通費だけで来てくれた。
小倉副会長は「このチームがなかったら、日本はもっと遅れていた」と言う。100年間で44カ国を回ったという放浪者=ワンダラーズは、どんな気持ちで日本協会の使者をパーティーへ迎えたのだろうか。「けいこ」をつけてから35年で日本は02年W杯を成功させ、日本代表は今年、3大会連続のW杯出場を決めるまでに成長した。サッカー大国へと成長した日本の勇姿に、感動も特別だったのではないだろうか。
今度は日本が世界へ恩返しする番だ。日本協会では現在、アジアの3協会へ代表監督を派遣している。「将来的には欧州にも指導者を送りたい」と川淵三郎キャプテン(会長=68)は言う。ミドルセックス・ワンダラーズの来日から38年の歳月を経て、指導者のみならず優秀な人材やチームが日本から海外へ出て、サッカーのレベルアップに貢献する機会も一層、増えることだろう。
小倉副会長は「日本協会でもあんなパーティーができたらいいねえ」。100年間ワンダラーズがやってきたこと、日本協会、そして我々のような少年少女の指導者たちがやろうとしていること。競技やレベル、規模、やり方の違いこそあれ、その思いは同じだ。
November 30, 2005 11:29 AM
2005年11月29日
海外G1馬券購入を:高木一成
「百聞は一見にしかず」というのは有名なことわざだが、その先はあまり知られていない。「百見は一考にしかず」、そして「百考は一行にしかず」と続くのだと、高校時代に物理の先生が雑談で話していたのを思い出した。100回聞くよりも1回見た方がよく理解できる。それも、100回漠然と見るよりも、見たことについてきちんと考えるかで、大きな違いが出る。さらに頭で考えるだけでなく、実際に行動してみないとダメだということ。
入社してレース部に配属されたてのころ、先輩記者に「少額でも馬券を買ってレースを見た方がいいよ」と教えられた。その方がレースを集中して見るからだ。少なくとも自分が買った馬がどんな競馬をしたかを注意して見ることが勉強になるし、馬券でうれしい(痛い)思いをしたことが、次の予想につながっていく。すぐに「買いすぎだよ」と言われるようになってしまったのは置いといて、まぁこれも競馬版「百聞は…」の一例だろう。
が、買って覚えようとしても、それができないレースがある。それが昨日、東京競馬場で行われたジャパンCだ。世界から強豪が集まり、1着賞金は一般の人にもなじみが深いと思われるダービーや、有馬記念より高い2億5000万円。国際的な評価も、有馬記念を勝つよりJCを勝つ方が高いといわれる。国際化の進む中央競馬において、位置付けは年々高くなっているが、馬券を買う側に回ると手を出しづらい。
その理由はくしくも目玉である外国馬の存在。出走馬がどんな馬かは、当然資料で調べるが、生でレースを見ていないだけにイメージはわきづらい。これが純粋に高いレベルのプレーを楽しんだりすればいいサッカー、野球など、他の競技なら「○○の秘密兵器」とか「○○の隠し玉」とかはファンの心を躍らせる存在になる。だけど、自分のお金をかける対象となると話は別。予想と実際の結果は別として、日本馬同士のG1より自信を持って推奨するのは難しい。
そこで思うのが、海外の主要レースだけでも日本で馬券が買えるようにならないか、ということ。香港では、自国の英雄サイレントウィットネスが参戦したスプリンターズSの放送権を買い取って馬券を買えるようにした(オッズはJRAとは連動せず独自のもの)。米国でも一部G1では同様のケースがある。逆のことをやった場合、日本のファンがどれだけ反応を示すかは分からないが、少なくともJCに馬券を買ったことのある馬が来ることは多くなる。それが多少なりとも購買意欲に影響してもおかしくない。
趣旨は変わるが、もうひとつ海外G1を買えるようにしてほしい理由は、今年無敗の3冠達成で社会的にも話題になったディープインパクト。来年はおそらく海外のビッグレースに挑戦することになる。もし世界最高峰といわれるフランスの凱旋門賞などに出走したとしたら、換金目的でなくとも、応援の意味で、少額でも単勝馬券を買いたい人は多いはず。早いうちにそういうシステムができれば、ファンへのサービスにもなると思うのだが。
November 29, 2005 10:04 AM
2005年11月28日
マナーは守らナイト:千葉修宏
先日、ロッテ球団を取材するために都営新宿線に乗り、市ケ谷方面に向かっていました。午前10時くらいだったのですが、制服姿の女子高生と思われる2人組(かなり化粧が濃く、ブランド品のバッグを複数所持!していたため“なんちゃって”かもしれません)が、地下鉄の優先席に堂々と座っていました。
車内は満員だったのですが、足をおっぴろげて(下品ですいません)、下を向いて寝ています。目の前には、お年寄りも数人立っていました。しかし知ってか知らずか、2人が目を覚ます様子はありません。僕は市ケ谷駅で電車を乗り換えてしまったので、その後のことは分かりません。ですが、注意できなかった自分の小心ぶりと、2人への憤りで、悲しい気持ちになりました。
でも最近、電車の優先席に平気で座っている若者って、増えた気がしませんか?こう書くと自分がすごく老けたような気がしますが、本当に最近、よく目にするんです。僕の妻は妊娠中なのに、席を譲ってもらうことができなかったこともあります。
今年は約6カ月ほど米国で取材しましたが、そういうことって、向こうではあまり見かけませんでした。お年寄りや、体の不自由な人には、みんなちゃんと席を譲っていました。でも、だからといってアメリカ人がみんな素晴らしい人格者かというと、そうではありません。一緒に取材していると分かりますが、米国にだって日本と同じでイヤなやつはたくさんいます(すいません、アメリカ人の皆さん)。
でも、少なくとも公共の場では他人に親切にするという考え方の根本とは何なのでしょうか。僕はそれは人間としてのプライドだと思います。先日、チャリティー目的のパーティーでロッテのバレンタイン監督から話を聞く機会がありました。彼は「私の父親は裕福ではなかったけれど、よく他人に何かを分け与えてあげる人だった。そんな姿から私は多くを学んだ」と話していました。“自分が貧しくても他人に良くしてあげたい”っていう考えの中にあるのは「人として格好良くありたい。善良な市民としてのプライドを持ち続けたい」という気持ちだけですよね。金銭などの見返りなんかがないわけですから。
そんなことを考えていた時、偶然インターネットで「騎士道」について書いてあるサイトを見つけました。そこには騎士道の説明として「騎士として、武勲を立てることや、忠節を尽くすことは当然であるが、弱者を保護すること、信仰を守ること、貴婦人への献身などが徳目とされた」と書いてありました。中世ヨーロッパで生まれた騎士道精神が、欧州からの多くの移民たちが作り上げてきた米国社会の根底に流れていると考えるのは、そんなに不自然なことではないと思います。
電車の優先席以外にも、道端に座り込んだり、列に平気で割り込んだり、喫煙場所以外でたばこを吸ったり…。最近、街には格好悪いことがあふれています。もっと人としてのプライドを持とうよ、と思う今日このごろです。
November 28, 2005 11:32 AM
2005年11月27日
素材を生かす調理人:荻島弘一
うまい物を食べるには、まず素材、そして調理だ。いくら素材が良くても、調理の仕方が悪いと味は台無しになるし、いくら調理がうまくても、素材のまずさはごまかしきれない。今月の上旬、シドニーFCに移籍したカズとW杯予選プレーオフの取材で、オーストラリアに滞在した。出張の大きな楽しみの1つは食事だ。何とかうまい物にありつこうとする。もちろん、今回もそうだった。
オーストラリアはシーフードが有名。カンガルーやワニの肉、もちろんオージービーフも。が、申し訳ないけれど、決しておいしくはなかった。もちろん、シドニーにもおいしい店はあるはずで、それが見つけられなかっただけかもしれない。ただ、たまたま食事した店はいまひとつだった。
現地に詳しい日本人から「素材はいいけれど」という言葉を聞いた。はっきり言って、味付けが大味なのだ。辛かったり、甘かったり…。とにかく、味が極端だ。せっかくの素材の味を生かせていないと感じた。
サッカーでも、同じだった。オーストラリアは優秀な選手の宝庫だ。数十人の選手が欧州のトップリーグでプレーしている。個々の力はある。強く、高く、技術もある。素材は素晴らしかった。しかし、過去のW杯出場は74年大会だけ。素材の良さを、チーム力に生かし切れていなかった。
ところが、今回のチームは違った。見事にウルグアイを破り、ドイツ行きの切符を手にした。ヒディンク監督という調理人が少し手を加えただけで、32年ぶりのW杯出場が決まった。試合後に「選手の素質が素晴らしい」と話した。素材の良さを勝因に挙げた。
決戦前々日、練習が終わると、自信喪失気味のFWアロイージに言った。「シュートをポストに当てる賭けをしよう。負けた方がワインをおごるんだ」。先に蹴ったヒディンクは「わざと」外した。アロイージは一発で成功した。その夜、監督はアロイージにワインを渡し、PK戦の最後のキッカーに指名した。「私の仕事は、選手に力を出し切らせることだ」。素材を生かした調理こそ「ヒディンク・マジック」だった。
決して素材に恵まれていたわけではない日本は、トルシエ監督という調理に手間をかけるシェフで02年のW杯を戦った。細かい味付けまでして出来上がった日本代表だった。今のジーコ監督は、素材の味を徹底して生かそうとする。時にはほとんど味付けなしで、ピッチに送り出す。選手を信じているからだ。実際に、前回のW杯よりも素材そのものは成長している。
14日、日本協会の川淵キャプテンがアーセナルのベンゲル監督の名を次期代表監督候補として挙げた。もちろん、まだ候補だから、どうなるかは分からない。ただ、おいしい料理を作るためには、いい調理人とともに、いい素材が必要だ。監督の選考と同時に選手個々のレベルの底上げも重要だろう。少しの味付けで劇的に強くなった抜群の素材を持つオーストラリアが、次回はW杯へのライバルになるのだから。
November 27, 2005 11:21 AM
2005年11月26日
購買意欲がなくなる:桐越聡
子供が小学校に入学までには住宅を買いたい、と思うようになって数年になる。住んでいる賃貸住宅の住み心地が良いこともあって先延ばしにしていたが、「数年以内には何とかしたいね」。そんな話を家族としていた直後、首都圏のマンションなどの耐震強度が偽装された問題が発覚した。
船橋市などの現場で入居者、周辺住民の話を聞いた。不安や憤りの声をメモ帳に書きとめていると「どうしてこんな問題が起きるのか」と、やり場のない怒りが込み上げてくる。取材を進めると、姉歯秀次・1級建築士だけに責任を押し付けていいのか-。そんな思いが強くなってきた。
この問題を姉歯氏の同業者はどう見ているのか。ブログ「ビジネスからみた耐震構造計算」を開設する札幌市の1級建築士、田中構造設計・田中真一代表に聞いた。
--構造計算書を作成する際の報酬と、完成に必要な期間は
田中氏 1平方メートルあたり500~800円。姉歯氏が設計した3000平方メートル規模のマンションだと150万~200万円ぐらいの収入になる。電算プログラムを使った計算だけで3週間、全体では1カ月近くかかる。1~2週間でやったと聞くが、そんな期間ではできない。
--姉歯氏が話したような「プレッシャー」はあり得るのか
田中氏 あったのではないかと想像する。依頼者は「安く抑えられるように」と頼んでくる。私の場合、危険な建物はつくりたくないから「危ない」と分かると、自分から身を引いているが、そういう人との付き合いを続けるうちに感覚がまひする可能性はあると思う。逆にコストを落とすことを売りにする人も見受けられる。
--民間の確認審査機関の責任を問う声も上がっているが
田中氏 構造計算は特殊な世界で分かっている人は少ない。正直、ごまかそうと思えば、どんな審査機関の審査でもごまかせてしまうようなところがある。審査機関によっては素通り。それは審査が民間へ移行する前から変わらない。表に出ない不正はまだあると思う。しっかりとした知識と経験を積んだ人が審査する仕組みを作らないといけないのではないか。
--審査機関が不正を見抜けないほど構造計算は難しいのか
田中氏 建築主、販売会社…ほとんどの人が分かっていない。誰も気付かないから、手を抜いた人が勝ちというか、過剰設計だ、仕事が遅いと言われ、まじめにやる人が損する風潮がある。早くやる、コストを抑える構造設計者が評価されてしまう。残念だが、それが現実。現場の人間としては、今回の問題を姉歯氏の責任だけで終わらせてはいけないと思う。
今回の問題の背景には、業界の一部に安全より利益を優先する体質があるような気がしてならない。安心して快適に暮らせる住宅を買いたいと思って目を通していたマンションの折り込み広告。その美辞麗句に、以前ほど胸躍らなくなったのは、私だけじゃないと思う。
November 26, 2005 10:41 AM
2005年11月25日
裏表ない浪速の闘拳:横田和幸
スポーツの道を極める人は、1つや2つの伝説を残すもの。私が最近、気になっていたのが「浪速の闘拳」こと、ボクシングWBAフライ級8位の亀田興毅(19=協栄)の、あるうわさ話だった。
くだらない話とは言わないでほしい。まあ、実際に鼻クソの話で恐縮なのだが、実は以前、亀田がジムで公開スパーリングをしていた際、リング周辺にいた関係者が鼻クソをほじったという。その動きを彼は真剣スパーの途中ながら視界に入れ、後でその当人に指摘したというのだ。
一般スポーツ全般を担当する私は、亀田の取材機会は少ない。それが、19歳の誕生日を迎えた今月17日に、偶然にも出番がやってきた。ばかばかしい話だが、これは直撃するしかない。
「亀田くん、誠にくだらない質問やけど、あのうわさ話はホンマかいな?」
「何を聞くんや、ニッカンの記者は! その話はちゃうで。オレが見たんはジムワークをしている時に(関係者が)鼻毛を抜いていたんや。リング上から、よう見えたんや。でも、スパーリング中に鼻クソをほじっている人を見たこともあるけどな。見える時は調子いい? そうかもしれんなぁ、ハハハぁ」。
私が学生時代に読んだボクシング漫画「がんばれ元気」の主人公、堀口元気は、動体視力を養うために踏み切り横の電柱に上り、通過していく電車内の人の顔を見続けた。亀田が鼻クソで動体視力を養ったとは言わないが、裸眼2・0の視力に加え、スポーツセンスと厳しい練習に耐えた結果が、荒業? の習得につながったのだろう。
彼のボクシング技術は当然ながら、頭の良さと回転の速さにも、舌を巻いてしまう。記者の顔と名前は2、3回会えば完全に覚えてしまう特技を持つ。年齢を重ねるたびに、脳内の記憶の細胞を失っていくと自覚する私には、うらやましい限り。さらに素直だ。
「オレはスポーツ新聞で大きく扱われたら、うれしいねん。やっぱり励みになる。相撲、格闘技、芸能の記事も読む。よう読むから1周グルリと回ってきて、もう1回読む時もあるよ。今日の日刊はどれだけ大きく扱ってくれるん?」。
私が「できるだけ(大きく)扱うわ」と、苦笑いしていると、矢継ぎ早に言葉が返ってきた。
「実藤さん(現ボクシング担当)にゆうたらええん? それとも益田さん(元ボクシング担当)か? それとも藤中さん(東京日刊のボクシング担当)にゆうた方が(大きな記事になる)可能性あるんかな?」。
いや、参った。本紙記者名をここまでスラスラ言えると、君は真の取材対象兼読者やね。裏表がない性格と、オール大阪弁の返答も好感度抜群。
この日、各紙記者が合同で贈った誕生日ケーキも、本当は甘いものが嫌いなはずなのに、君は「ありがとう」の一言を忘れずに持ち帰った。こんな気配りができる君のことが好きになった。鼻クソ(を取材した)記者を、これからもよろしくね。
November 25, 2005 11:34 AM
2005年11月24日
偽造 今回だけなのか:上野耕太郎
危険マンションが話題になっている。耐震強度が偽造され、調査の結果、震度5強の揺れで倒壊する可能性があるという。不動産業者は入居者に転居を要請し、転居費用を負担するとしている。
マンションの購入って人生のなかでもっとも、高い買い物だ。私も昨年、マンションを買った。35年ローンだ。70歳まで払い続けることになる。そんなマンションが「危険マンション」だったとしたら…。シャレにならない。
というか、震度5の地震がすでに来ていたらと考えると、怖い。しかも偽造は闇に葬り去られたかもしれない。無性に腹が立つ。つくったやつら、お前らが代わりに住んでみろと言いたくもなる。結構、この事件を自分に置き換えて感じ取っている人が多い気がする。
日本ハムを担当している私がオリックスの試合のため神戸に行った時のことだ。タクシーに乗った。無口な運転手だった。ある道を通るとポツリと言った。
「この辺はきれいになりましたよ。私が買ったマンションもこの辺りにありました」。
95年の阪神・淡路大震災で家が倒壊し、ローンだけ残ったという。そして職も失った。
「まさか神戸で地震が来るなんて考えてませんでしたよ。保険もかけていなかったし」と運転手は小声で言った。再度、家を購入して二重でローンを支払っていた知人もいたという。「借金が苦しかったのかなぁ。後になって自殺したやつ、姿を消したやつもいましてね…」。やりきれない気持ちになった。
家を購入する直前ってワクワクするものだ。今後の人生設計を考えながら自分や家族の幸せをちょっとばかり期待したりして。そんな小さな幸せであり、人生で最大の支出が不幸な形で終わるのはたまらない。
少し脱線するが、一昨年に北海道のある市営住宅を取材したことがある。取材するからには普通の物件ではない。すべて「ワケあり物件」だった。理由があって空き室にしていたところをあえて公表し、募集した。
「平成10年、火災事故、焼死、男性68歳」「平成14年、害虫(シミ虫)の大量発生」。生々しい記載が続く。「事故内容」と「室内の写真」も提示した。
「絶対、入居者が来るわけないよなぁ」と取材しながら思っていた。予想は覆る。気にしないって人が集まり、10室のワケあり部屋には111人の応募があった。
家については人それぞれで考え方や主張があるだろう。ただ、売る側、貸す側には住む側に正確な情報を伝える義務がある。どんな商取引でも必要なこととは思う。ただし、住宅って駄目だからすぐに買い替えってことはよほどのお金持ちでないとできない。だから、誠実に対応してほしい。
ただし、本当に耐震強度の偽造って今回発覚しただけなのかな。実は、知らないだけでかなりの建物がそうだとしたら…。人は家に安らぎを求める。購入者も伝え聞く我々も裏切られた気持ちだ。知らないで「ワケあり」物件に住むのはごめんだ。
November 24, 2005 11:40 AM
2005年11月23日
武蔵の努力限界なし:永井孝昌
本当は、優勝を祝って書きたかった。
昨年のK-1GP決勝翌日。準優勝した武蔵に対して、ファンからの苦情・抗議のメールは1500件にも達していた。内容は、準決勝のセフォー戦の判定に対する批判ばかり。「あれは武蔵の負け」というものがほとんどだったが、中には「もう引退しろ」と迫るものまであった。そのメールの中身を聞いた武蔵は「そんなこと言われるならやめてもいい」と関係者に引退を口にした。あの温厚な男が、と周囲を驚かせた。今になれば「売り言葉に買い言葉みたいなものだった」と振り返るが、内心は忸怩(じくじ)たる思いだったに違いない。「応援してくれるファンもいる。裏切るわけにはいかない」と翻意して、もう1度、優勝だけを目指した今年のGP。だが、結果は無残だった。
19日に東京ドームで行われた今年のGP決勝。1回戦、カラエフ戦での2度のバッティングでまぶたが腫れ、右目が見えなくなっていた。試合を終えてアイシングルームに戻ると、本人はしっかりしているつもりだったが、セコンド陣は「おい、武蔵が寝てるよ。起きろ。起きろっ」と騒然としていた。完全に意識がとんでいた。負傷した左腕の痛みに気付かず、右足をアイシングするほどもうろうとしていた。そんな状態で迎えた準決勝のフェイトーザ戦は、飛んできた左の蹴りが見えず5年ぶりのKO負け。試合後は唇の内側を5針縫い、病院へ直行した。視界の閉ざされた目からは涙があふれてきた。悔しさに唇をかむことすらできなかった。
デビュー時の体重は、83キロ。K-1の舞台でナチュラルにヘビー級の体格を持つ外国人選手たちと伍(ご)して戦うためには、力対力の勝負を挑んだところで結果は見えていた。「いつも判定ばかり」「試合がつまらない」という批判を何度耳にしても「KOが醍醐味(だいごみ)のK-1で、スピードとテクニックでファンを魅了したい。そのためにもっと技術を上げたい」と言い続けてきた。ホームランバッターぞろいのK-1にあって、生き残るためのバントヒット。1発もらったら倒れるからディフェンス技術を身につけ、1発では倒せないからスピードを磨いた。時には犬用のガムまでかんでアゴを鍛えていた努力を知っていたからこそ、担当を離れてからも「バントヒットで世界を取ってやれ」と心の中で声援を送っていた。
だが、今年も頂点には届かなかった。それでも本人の闘志は少しもなえてはいない。今は周囲に「自分の中でやらなきゃいけないことは明確に出ている。フェイトーザに実力差があって負けた、と思われるのは悔しい。やり返したるねん」と話し、リベンジに燃えているという。派手さはない。2メートル近い大男たちが1発のパンチで、蹴りで崩れ落ちる迫力に比べれば、試合も面白みに欠けるのかもしれない。それでも、努力ではどうにもできない天賦の才がある、と信じたくない凡人の私にとって、武蔵の存在は常に励みだった。高い技術を誇ったホーストが最後に優勝したのは02年、37歳。来年34歳になる武蔵が紡ぐドラマには、限界は才能にはあっても努力にはない、という結末が待っていることを願う。
November 23, 2005 10:15 AM
2005年11月22日
ストレートこそ韓流:山内崇章
韓国プレスの友人は、母国が生んだ天才打者の雄姿に感極まっていた。13日まで行われたアジアシリーズ。韓国のサムスンは決勝でロッテに敗れたが、そのロッテには李承燁がいる。東京ドームのネット裏記者席。5年前からサムスン番を務める彼は、その喜びの心境を興奮気味に語った。
「日本人が承燁に送った大声援は一生忘れられない。同じ国民として涙が出るほどうれしい」「昨年の彼の不振には、私も韓国人としてのプライドが傷ついた。今年は血のにじむ努力で見返した。私たちの誇りです」。熱っぽい、真っすぐな感想が印象的だった。
話し込むうちに、ふと彼のパソコンに目がいった。スクリーンセーバーが作動し、かわいらしい女の子の写真が次々と映し出された。小学3年生の娘さんだという。自分もそうだ。2歳になる娘の写真をパソコンに張り付けている。その愛らしい笑顔には無条件で癒やされる。パソコンを開くたびに、今日も1日頑張ろうと思う。ところが次の瞬間、画面は彼の奥さまの顔に切り替わった。2人肩を組む仲むつまじい写真だ。
ハッとした。自分は妻の写真をパソコンに取り込もうなど考えたこともなかった。彼は「出張の多い仕事柄、家族の顔が見たくなるじゃない」。それは私も同じだ。なぜ奥さまの写真を。少し照れながら「かわいいからですよ」。よくもそんなことが言えたものだ。
先月までペ・ヨンジュンに代表される韓国芸能を取材していた。ヨン様はファンを「家族」と呼ぶ。理由は「何の条件もなく、ただただ私に無償の愛を注いでくれる。その行為は私の本当の家族と全く変わらないから」だという。日本の男たちは彼の丁寧でさわやかすぎる振る舞いに少々違和感を覚えた人も多いのではないか。ある女性ファンはヨン様の魅力をこう語る。「相手を思いやる彼の言葉がいい。日本の男性は言葉でストレートに愛情表現ができないじゃない」。
奥さまの顔をパソコン越しに見ることも、その笑顔を「かわいい」と言えるのも韓国男児のストレートな感情表現なのかもしれない。韓国の一般家庭では、リビングに家族の集合写真が掲げられることが多い。家族のきずなが強いこの国では、大事に思う人をいつでも見られるところに置いておくことはごく自然なことだ。
8年前、縁があって韓国籍の女性と婚姻の手続きを取った。新婚当初は、リビングの壁に1メートル四方の結婚写真が掲げられていた。が、来客の際にはやはり気恥ずかしい。粘り強い交渉の末、つい最近、別室への移動に成功した。
韓国の方々はよく笑い、よく怒り、よく涙する。そのストレートな感情表現には潔さも感じる。友人の記者が李承燁をたたえる言葉も、泥臭く男らしい。韓国ブームも、人間的な情の深さに日本の女性が圧倒されたことが一因だろう。翻って日本―。なぜか感情の抑制が人間関係を円滑に運ぶ最良の手段とされている。大人になるにつれ、本音で話すことも、人前で怒りをあらわにしたり、大声で泣くことも許されなくなる。感情をオブラートに包んだ余韻もいい。が、時には正直な自己主張が許容される韓国社会がうらやましくなる。
November 22, 2005 11:35 AM
2005年11月21日
生活速度のものさし/小林千穂:小林千穂
妄想だけで現実逃避するのに限界を感じてきたので、魔法をかけてもらおうと、出張ついでに香港ディズニーランドに行ってみた(デスク、あくまで「ついで」です)。9月にオープンして以来、お客さんの入りがイマイチと聞いていたので、どれだけガラガラなのか見てやろう、という意地悪な気持ちもあったわけで。
結論から言えば、適度に込んでいたけど、勝ち組テーマパークとしては許されない、ってところ。2時間待ちは当たり前という東京が込みすぎなのかもしれないが、人気アトラクションでもほとんどが30分以下。滞在時間約4時間、主なアトラクションはすべて制覇、お昼も食べ、偽物っぽいミッキーがわんさか並ぶショップもちゃんと見た。
スッカスカ加減を感じたのは人の少なさだけじゃない。何もかもがユルくって面白かった。ランドマークの「眠れる森の美女城」は高速道路から見えるラブホテルみたいだし、岩肌むき出しの山が丸見えで、下水工事始まっちゃうし。テンション上げようと、3割増しで絶叫してみたけど、魔法にかかるまでもなかったような…。
でも街中では、ディズニーのアトラクションよりもスリリングな乗り物に出会ったのです。それは地下鉄のエスカレーター。これが速い、速い! 目線の問題もあって、下りの体感速度はスペースマウンテン並み(?)。手すりを持たないと怖いくらいで、タイミングを逃すとちょっとヒヤッとする。この弱者に厳しい高速エスカレーターを、香港の人々は駆け降りるように使っていた。
調べてみたら、香港地下鉄のエスカレーターは分速約45メートル。日本のエスカレーターメーカー最大手・三菱電機によると、東京の地下鉄では分速30メートルが一般的とのこと。デパートなどでは分速20メートルで運行する場合もあるという。2倍以上だ。そりゃ速いと感じたわけだ。聞くところによると、シンガポールの地下鉄エスカレーターは、香港よりもさらに速いんだそうで。うわー、乗ってみたい!
東京でも、速いなと常々感じている駅があった。東西線日本橋駅、銀座線への乗り換えエスカレーターだ。東西線沿線居住者としてこれを機会に疑問を解消しようと、東京メトロに聞いてみると、混雑時間帯には分速40メートルで運行しているとのこと。やっぱり! 香港に近いじゃないか。ちなみに、東京メトロには約1800台エスカレーターがあって、速い所は20カ所ほどしかないという。ほかには千代田線の国会議事堂前駅、明治神宮前駅などがある。香港気分を味わいたければ、これらの駅にどうぞ。
生活速度が速いところはやっぱりエスカレーターも速い。そういえば、香港ディズニーランド駅のエスカレーターは、街のものに比べてかなり遅かった。実は「マジックの始まりですよ~」って合図だったりして。意地悪な気持ちを捨ててもっと楽しめばよかったかな。
November 21, 2005 12:58 PM
2005年11月20日
なでしこ強化態勢を:岡本学
昨年8月のアテネ五輪で、サッカー男子の23歳以下日本代表とともに注目された日本女子代表。最近はすっかり「なでしこジャパン」の愛称を耳にしなくなった。今年の国際大会は8月に男子と同時開催された東アジアサッカー大会だけ(男子は東アジア選手権として開催)。テレビで中継されたものの、北朝鮮には0●1、中国には0△0、韓国には0△0と3戦連続無得点に終わり、4チーム中3位という不本意な成績に終わった。来年6月9日開幕のW杯ドイツ大会への出場を決めた男子と比較して、あまりにも寂しい1年になってしまった。
ジーコジャパン年内最後の試合、アンゴラ戦が行われた16日までの1週間、なでしこジャパンの合宿が、約3カ月ぶりに福島県内で実施されていた。アテネ五輪初戦のスウェーデン戦で決勝ゴールを挙げ、人気者になった日テレFW荒川恵理子も、右すねプレート除去手術から11カ月ぶりに代表復帰。トレードマークの髪形「アフロ風オバ(さん)パーマ」は変わらず、精力的な動きを見せた。
1週間のキャンプでは「ハイプレッシャーの中でボールを失わずに前線まで運ぶこと」「得点力不足解消にシュートの精度を上げること」(大橋監督)を中心に練習をこなしてきた。アジアを勝ち抜き世界と互角に戦うため、男子高校生と練習試合を重ねた。荒川は「女子サッカーをもう1度盛り上げたい」という。プロ選手は日テレMF沢穂希だけだが、サッカーへの情熱は男子に負けていない。
実は来年7月に女子もW杯予選が控えている。女子の場合はアジア選手権が07年W杯中国大会の出場権を懸けた予選。男子のW杯まで7カ月足らずだが、女子のW杯予選もあと8カ月後にやってくる。大橋監督は「まだ、上位何チームがW杯切符を手にできるのか、どこでやるのかも決まっていないんです。それでも、何としても出場権を取らなければと思っています」。負けられない戦いが、もうすぐやってくる。
日本サッカー協会の川淵三郎キャプテンは先月から今月にかけ、全国9地域の協会を回って「全国からの声」に耳を傾ける訪問会議を実施している。その中で、女子サッカーへの意見も多い。「Lリーグのチームを立ち上げたい」「女子にも技術委員会をつくるべき」など普及、活性化、強化へ女子への期待は予想以上に大きい。女子代表が00年シドニー五輪の出場を逃し、女子サッカー人気は数年にわたり低迷した。
しかし、アテネ五輪での活躍を契機に全日本女子とLリーグ女王が激突する、なでしこスーパー杯が今年生まれ、L1リーグも2回戦から3回戦制となり、全日本女子への出場も32チームへ増えた。日本協会、Lリーグ、なでしこジャパン、みんな頑張っている。この頑張りを無にしないためにも、ちょっと「ないがしろ」にされつつある、なでしこジャパンの強化へ時間と環境をもう少しつくってほしい。W杯出場を逃す、なんてことがないように。
November 20, 2005 10:43 AM
2005年11月19日
英語 習うより慣れろ:高木一成
「いやー、学生のときにちゃんとやっておくべきだった」。こう思うことは1つや2つじゃないが、英会話に関しては本当にそう思う。
女子ゴルフの宮里藍は、15日にタイガー・ウッズとテレビマッチで対戦したとき、直接英語で話し掛けてアドバイスをもらったと聞いた。これだけ世界で活躍する選手が増えると、他国語でコミュニケーションを取っているシーンは珍しくない。だが、実際自分に置き換えるとなかなかできないこと。それだけに素直にすごいなと思わされる。
ここ数年、欧米の競馬がオフシーズンになる今の時期は外国人騎手が続々日本に乗り込んで来る。プロ野球、Jリーグなどもそうだが競馬でも外国人は助っ人として重宝される。昨秋のG1を3連勝したゼンノロブロイとコンビを組んだフランス人のペリエ騎手のように、有力馬を任されるケースも多い。当然、取材の機会は多くなるが、情けないことに本人より先に通訳の人を探してしまう自分がいる。正確を期すためというのは逃げ道で、やっぱり英語へのコンプレックスは相当なものだと、自分でも感じるところだ。
今春の皐月賞前のこと。02年から04年まで3年連続で皐月賞連対中だったイタリア人のデムーロ騎手に、今年の騎乗馬についてインタビューした。調教の合間に厩舎で話を聞いたが、運悪くそばに通訳の人がいない。意を決して話そうと思っても、昔あれほど詰め込んだはずの英語は出てこない。遠慮がちに「短い時間でいいので話を聞かせて?」と丁寧に前振りしようとしたのが失敗の始まりだった。どう英訳したかは忘れたが、出てきたのは「short time」という単語だけ。「show time」と聞こえたらしく、「これからオレは何を見せられるんだ?」とけげんそうな目をされたことがあった。その後は、馬の成績欄を見ながら、一応話はつながったが…。
何人もの外国人騎手の通訳をしてきた川上雪恵さんに話すと「いきなりキチッとした文章でしゃべろうとするから難しくなる。まずは単語で意味だけ伝えられれば十分」とアドバイスされた。「文法から入る日本の学校の教え方の弊害ですかね?」などと言い訳してみたが、結局は自分の努力と経験の不足が原因なのは分かっている。
外国人騎手が短期免許で来日を始めてから10年以上たった。川上さんは「以前に比べると、若い調教師や助手さんを中心に、直接英語でコミュニケーションを取れる人が格段に増えた。調教の指示などは私が間に入らないでも、直接のやりとりでできてしまうことも多い」と言う。意欲次第では、自分も英語上達のチャンスのある環境にいるということ。「『英会話学校なんて行く必要ない。タダで英語を教えてくれる先生が側にいるんだから』って言っている調教師もいますよ。若手の騎手とか記者さんとかも、あいてる時間があったらもっと話し掛ければいいのに」というのは、まさに目からうろこの発想だった。狭い世界と言われるトレセンでも、世間と同様英語の必要性は増えている。もちろん勝つ馬の情報を仕入れるのが本道だが、この流れに遅れず英語に少しでも慣れることも大切だな、と思う。
November 19, 2005 12:00 PM
2005年11月18日
取材陣も協力し合う:千葉修宏
ロッテが6冠(交流戦、パ・リーグペナント、日本シリーズ、イースタン・リーグ、ファーム日本選手権、アジアシリーズ)を獲得して、今季のプロ野球は終わりました。それにしても昨年オフに球界再編の波が訪れた時、新たなアイデアとして生まれたアジアシリーズが、わずか1年ほどの準備期間で、こんな盛況のうちに幕を閉じるとは。正直、プロ野球界もやればできるじゃん、とか生意気なことを思ったものです。
ロッテ対サムスン(韓国)の決勝戦は、東京ドームがほぼ満員になりました。実力的にはまだ少し差があると感じました。ですが、この敗戦を糧に韓国代表をはじめ、日本以外の各国は来年以降、より必死な戦いを挑んでくるでしょう。それがそれぞれのレベルアップにつながれば、大会の意義はあるというものです。
また、野球文化の交流という意味でも、今シリーズの果たした役割は大きいでしょう。サムスンの選手たちは普段、ロッテ渡辺俊のようなアンダースローの投手と対戦することは少ないでしょう。来年からロッテの大応援団のスタイルが韓国や台湾で流行するかもしれません。それぞれの国の良い部分を吸収して、より文化として発展していければ、と思った今大会でした。
そんな中、僕が一番うれしかったのは、昨年、一緒にロッテを取材していた韓国人記者たちと再会できたことです。04年は李承燁(イ・スンヨプ)選手がサムスンから移籍してきた初年度。多くの韓国人記者が、千葉マリン球場に詰めかけました。当時、ロッテ担当だった僕は、彼らとともに李選手の一挙手一投足を追いかけました。韓国の新聞にインタビューされたり、普段、経験できないこともたくさん経験した1年でした。
僕は04年シーズン前、米国に滞在したことのある先輩記者から「米国ではアメリカ人記者が本当に良くしてくれた。だからお前たちも韓国人記者に親切にしてやれ」と言われていました。だから韓国メディアの方々と何回も食事をともにしたり、不便なことがあれば解決するように、努力をしてきたつもりです。そして、今大会で再会した彼らから、04年当時のことについて礼を言われるたびに「あぁ良かったな」という気持ちになりました(丁寧にプレゼントを持参してくれた方もいました。ありがとう)。
来年3月には“野球のW杯”ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)が開催されます。世界規模の大会というのは、各国の選手が競い合うというだけでなく、関係者が力を合わせて大会を成功させなければなりません。それは報道陣も同じ。みんなが敬意を払って、スムーズに取材できるように協力していきたい。世界大会の素晴らしさを多くの人に伝えていきたい。今大会を通じて、そんなふうに思いました。
最後に、余計なお世話かもしれませんが、アジアシリーズで感じた点をいくつか。<1>取材スペースが少なすぎる(もっと大会を盛り上げるために試合前からしっかり取材したいから)<2>来年は日本一チームの本拠地でやって欲しい(さらに盛り上がる)<3>決勝戦前に行われたブラスバンドの演奏はいらない(野球そのものの魅力だけで十分)という感じです。どうでしょうか。
November 18, 2005 02:13 PM
2005年11月17日
世界目標リティの挑戦:荻島弘一
身長168センチ。大柄な人が多いオーストラリアでは、目立って小さい。自分より大きな日本人記者に囲まれ「カズの調子はいいですよ。次の先発? 秘密!」。笑顔を交えて日本語で話す。世界的な天才ドリブラーで、Jリーグでも活躍したリティ(リトバルスキーの愛称)は、カズ加入で注目されるオーストラリアAリーグのシドニーFCで指揮をとっている。
初めて見た時は衝撃的だった。82年W杯スペイン大会準決勝。「セビリアの死闘」と言われた西ドイツ対フランスの主役は間違いなく西ドイツの22歳の金髪FWだった。先制点を決め、1-3とリードされてからも同点に追いつく2点を演出。相手DF陣をチンチン(一方的にボールを保持して攻めまくること。「ン」にアクセント)にして、チームを準優勝に導いた。
86年大会も準優勝に貢献し、90年大会では優勝。そんな輝かしい経歴を引っ提げて来日したのは、93年だった。市原(現千葉)入りし、抜群の技術で発足したばかりのJリーグを盛り上げた。市原退団後も日本に残ってJFL(当時)の仙台でプレー。難関のS級ライセンスも取得して、横浜FCで監督も務めた。
素顔はおちゃめな45歳。カズのデビュー戦後の会見では、集まった地元メディアに英語で答えた後、広報担当の「次は日本語で」に応じて日本語でコメントした。長くサッカーの取材をしているが、会見する監督が通訳を兼ねるのは初めて見た。調子に乗った広報担当の「次はドイツ語で」には苦笑いをしたが、飾らぬ人柄がにじみ出ていた。
時々「おいおい、リティ様を誰だと思ってるんだ」と感じるほど、サッカーがメジャー競技でないオーストラリアではスーパースター扱いをされていない。ドイツでなら尊敬され、扱いも違うはず。それでも、リティはサッカー発展途上の国を選んだ。かつて、Jリーグに来た時のように。
「ドイツの中では、変わり者だったから」と自ちょう気味に話した。「ドイツのブラジル人」と呼ばれたほどのドリブル好き。1度抜いた相手の戻りを待って再び抜いた逸話もある。少年時代のアイドルは西ドイツの英雄ベッケンバウアーではなく、そのライバルだったオランダの天才クライフ。守るのではなく攻める。目の前の相手が巨大になればなるほど、それを打ち破ってみたいと思う。「チャレンジ」こそが、ドリブラーのメンタリティー。その挑戦の相棒として、カズというこれまた挑戦好きの日本の「キング」を選んだ。
「こっちの記者には言わないけれど、目標は世界クラブ選手権。夢はカズのゴールで1-0でデポルティボ・サプリサに勝ち、準決勝でリバプールと対戦すること」。唇の端を持ち上げて、リティは言った。Jリーグ創成期を支えた偉大なスーパースターたち。今日16日に日本代表監督としてアンゴラと対戦し、来年のW杯ドイツ大会を目指す鹿島のジーコとともに、シドニーFCを率いて大好きな日本で世界を目指そうとしているリティのことも、応援せずにはいられない。
November 17, 2005 12:33 PM
2005年11月16日
モーれつに米牛不安:桐越聡
BSE(牛海綿状脳症)問題によって停止されていた北米産牛肉の輸入が、早ければ年内にも再開される見通しになった。
内閣府食品安全委員会のプリオン専門調査会は、北米産牛肉が、国産牛肉と同じぐらい安全なのかどうかを約2年間かけて計34回審議した。このほど、月齢20カ月以下の牛の脳や脊髄(せきずい)など、危険な部位を取り除いて輸入する約束が守られるなら、北米産牛肉は国産牛肉は同じぐらい安全だ、という意見をまとめた。
その専門調査会の座長が、意見を取りまとめた後、記者会見でこんな話をした。「安全対策が守られれば、国産牛肉と比べてリスクはそれほど変わらない。それを受け入れる人は買って食べればよいが、嫌な人は買わなければよい。選択は消費者がするべきだと思う」。意見を信じるのなら買えばいいし、信じないのなら買わなければいい。あとは皆さんが決めてください、そんな論理だ。
このような言い方を消費者はどのように受け止めるのだろうか。立場の違う3人に聞いてみた。
主婦(36)「食に限らず100%安全なんて世の中にはないから当たり前のこと。国産だって、オーストラリア産だって絶対に安全とは言い切れない。北米産牛肉を食べて変異型ヤコブ病になるかもしれないと心配するなら、食べなければいいだけ。農薬がたくさんかかっている野菜を食べるのと同じ。2人の子供には食べさせたくないから、安全だとハッキリ分かるまでは北米産牛肉は買わない。食の自己責任だと思う」。
男性会社員(32)「内閣府食品委員会とか、そんな立場の人間が言うのはおかしいと思う。買う、買わないは消費者の判断だというのは、安全かどうかを消費者が判断しなさいと言っているのと同じ。変異型ヤコブ病になったら責任は消費者にあるの? 輸入は政府が許可してあとは知らないというのはおかしい。食堂には北米産牛肉使用という表示義務がないらしいから知らないうちに、という可能性があるんだから」。
精肉店店主(64)「陳列だけして消費者に選んでください、という手法は大型店と同じ。学者の先生方はそれでもいいんだろうけど、血の通った商売を意識している立場からすれば、消費者の選択だと突き放すのはあり得ない。脳とか危険な部位を取り除けば99・99%安全だと思っているけど、0・01%に不安を感じるお客さんがいるから北米産は扱わない。売るのは国産牛肉だけ。多少値段が高くても、安心して、おいしく食べられるのが一番じゃないの?」。
専門調査会の資料にはある1人の委員の意見が明記されている。「米国・カナダの輸出プログラムにより管理された牛肉・内臓を摂取する場合と、我が国の牛に由来する牛肉・内臓を摂取するリスクの同等性は、科学的にはいまだ不明であると言わざるを得ない」。月齢20カ月以下は間違いなく大丈夫なのか。漠然とした不安は打ち消せないままだ。
November 16, 2005 10:42 AM
2005年11月15日
トモさんの魂受け継げ:横田和幸
あの涙から、もう七回忌を迎えた。JリーグG大阪などでMFで活躍した久高(くだか)友雄さんが亡くなってから、今年9月で6年が過ぎた。
トモさん(愛称)は松下電器(現G大阪)に入団し、Jリーグ元年を経て、最後は95年末にC大阪で現役引退。日本代表の肩書はなかったが、いつでも大阪弁で、関西では抜群の存在感があった。それが胃がんが原因で36歳で天国に逝ってしまった。私は今年であの時の久高さんより年齢で1つ上回った。本当に若すぎた死だと思う。
日刊スポーツの大阪本社はこのほど、豊中市から大阪市内のオフィス街に移転した。引っ越し作業に追われていると、机の中から懐かしいVHSのビデオテープが出てきた。
トモさんが松下電器で出場した「90年度サッカー天皇杯決勝・日産自動車戦」。小雨の降る91年元日、舞台は国立競技場。相手の激しいチェックに、何度も前のめりに倒れながら、すぐに立ち上がり、ボールに向かう姿があった。
史上初の3連覇を目指す日産には松永、水沼といった豪華な顔触れが並ぶ。初王者に挑む松下電器は、27歳のトモさんを中心に延長含め120分を戦い、おおかたの予想を覆して松下がPKで競り勝った。表彰状を掲げるトモさんは、誇らしげで輝いて見えた。
「本当に見事な松下電器イレブンです。雨に煙る国立競技場で、日本のリーダーとなりました」。NHK松本一路アナウンサーの実況が胸を打つ。「これから日本にプロリーグが誕生するのです」とは解説の松本育夫さん。今季で13年目を迎えたJリーグの原点。それはトモさんらの姿に集約されているのだと確信する。
引退後のトモさんは本紙コメンテーターに就任し、私は弟子のようにサッカーを学んだ。印象に残るのは、関西サッカー界への提言だった。
「C大阪はモリシ(森島)が引っ張っていかなあかん。どんなせこい点でもいいんや。(93年限りで解雇された)G大阪は関西の軸や。電池の扱い方さえ知らんかったオレを、雇ってくれた松下電器には感謝してる。関西では最初にタイトルを取らなあかん。京都は祇園の舞妓(まいこ)さんを、全試合の応援にこさせるくらいの魅力ある試合をしてほしいね」。
9年前の言葉は今秋、天国から再び後輩へと配信されたのだろうか。G大阪は故障者続出ながら、首位に踏ん張る。C大阪は神懸かり的な快進撃で3位に浮上した。京都はJ1再昇格を決めた。きっと地上の後輩に届いたのだろう。
私は今、あの天皇杯決勝でトモさんと同じ松下でプレーした、本紙評論家の永島昭浩さんと仕事をしている。「サッカーは足先だけではなく、心でやるスポーツだよ」。理屈をこねる私に、いつもそう教えてくれる。心の持ち方次第で技術を超越する何かが生まれると。J1も残り4戦。ガンバもセレッソも魂のプレーを貫き通して欲しい。
November 15, 2005 11:25 AM
2005年11月14日
視線は常に視聴者に:上野耕太郎
先日、このコラムで小林千穂記者が方言について書いていた。そうだよなぁ。確かに今、バラエティー番組でも「なまり」が流行している。04年に公開された映画「スウィングガールズ」を見たが、東北地方の女子高生のなまりがかわいらしかった。長きにわたって封印されてきた「なまり」が解放されようとしている。
「なまり解禁」を先取りした番組が実は私の住む北海道にあった。地元のHTBが制作する「水曜どうでしょう」って深夜番組だ。96年10月9日に放送を開始。地元出身のタレント鈴井貴之と大泉洋が掛け合いながら旅をしていく内容。北海道弁も全開なのだが、異常にウケた。99年8月の秋田朝日放送を皮切りに全国20局以上がオンエアした。あの「笑っていいとも」のテレフォンショッキングに大泉が登場するなど全国区に広がった。
そしてこの10月、札幌に異変が起こった。東京に住む他社の日本ハム担当が「ホテル、飛行機が取れない」とぼやく。原因は…。14日から3日間、札幌真駒内競技場でファン交流イベント「水曜どうでしょう祭」を開催。道外客を中心に、4万人が集結した。おかげで札幌市内のホテルのほとんどが満室になり、新千歳空港行きの便も混雑した。
これまでもグッズがネットオークションで高騰し、同番組のDVDは20億円を売り上げたという。先日、妻が友人と電話をした。その友人は同番組の熱狂的なファン。東京出身にもかかわらず番組の影響から見事な北海道弁を使っていたそうだ。
昨年5月、1年9カ月ぶりに再開する同番組の取材に行った。ロケ中に大泉から話を聞こうとすると、いきなり吐き捨てた。
「はっきり申し上げます。声を大にして言いたいですね。(ふーと一瞬、空を見上げ)番組を見るな!」。
突然、何を言っているのかさっぱり分からず取材を進める。今度は藤村忠寿ディレクターがにこやかな笑顔で言う。
「当初は放送を5回にしようと思っていたんですけど…、7回くらいになっちゃうかも」。
スタートした番組の回数が決まっていない? 冗談かと思い同局の広報に確認した。「本当に未定で発表もできないんですよねぇ」。言葉の割に笑顔だった。
すごいと思った。記者に対してテレビカメラも回っていないのに叫ぶ大泉、回数を決めずに編集作業をする藤村ディレクター、そして、それを認めてしまう局も。大胆であり、プロの仕事を感じた。私たち、そして番組でも普通に使っている北海道弁は他県の人からみるとちょっと間が抜けたように聞こえるかもしれない(北の国からとかね)。そして番組は目線が低く、誰もが親近感を覚えてしまう。
藤村ディレクターは言う。「大泉、鈴井さんはカメラを見て話をしない。目線は常にカメラの後ろの僕たちで、視聴者に向かっている感覚の手法が面白い」。なまりを使った周到な仕事ぶりを感じた。人気は偶然に生まれるものではないんだよなぁ、やっぱり。
November 14, 2005 12:03 PM
2005年11月13日
どうなる民営年賀状:永井孝昌
郵便事業が民営化されたあかつきには、きっと始まるに違いない、と予想される新しいサービスといえばこれしかないだろう。「年賀状のあて名印刷」。
どうだろうか。当たっているような気がするのだが。
今年も日本3大面倒行事の1つ(と思っている)、年賀状の季節がやってきた。1年365日、締め切りに追われる生活を10年以上も続けてきたせいか、クリスマス前後の「元日配達期限」近くになって慌てて徹夜で書き上げるのが習慣になっている。毎年「虚礼廃止!」と面倒が先に立つのだが、それでも、お世話になった方々へあいさつするめったにない機会と思うと虚礼でも礼は欠かせん、と筆を執る。
子供のころは、元日に届く父親あての年賀状の束に「オヤジ、すげえ」と父の威厳を感じたものだった。高校、大学時代は面倒だからと送らなかった年もあるが、社会人1、2年目あたりは元日に届かなければ失礼、と自分あてにも1枚送り、元日に届いたのを確認して安心したこともある。困ったのは、プロレス担当時代。三沢光晴選手に「タイガーマスク時代は仕立てたスーツの裏の名前の刺繍(ししゅう)もTIGERMASKにしていた」と聞いてプロのこだわりを感じ取っていただけに、マスクマンの自宅に送るのに「本名で書くと正体がバレるのでは」と本名を書くか、リングネームを書くかで大いに迷った。
最近は「経費削減」「自然環境保護」などを理由に地方自治体や企業を中心に年賀状廃止の動きが広まりつつある。出すにしても、近ごろは自筆によるあて名のものもめっきり減ったし、メールで済ませる友人も増えた。そんな風潮を後押しするように「メールによる年賀は失礼とは思わない、と○%もの人が考えていることが分かりました」みたいなアンケートもそろそろ出てくる時期。年が明ければ「配達アルバイトが年賀状を大量放棄」という事件も報道されて、これでは苦労も報われない、来年こそは書くのをやめよう、とぼんやり思い、来年あたりは「配達アルバイトを装ったDM業者が個人情報保護法違反で逮捕」といった新手の事件も出てきそうなよからぬ想像もしたりする。
そうした世相の中で社会全体の年賀状流通量も減少傾向にあるのだろうな、と思っていたが、「ゆうびんホームページ」によると平成18年用の年賀はがき発行枚数は40億2000万枚。10年前より1億枚近くも増えている。さらに今年はニーズへの対応なのか、市場確保に躍起なのか、昨年、首都圏限定で試行販売したデジタル画像印刷用はがきを「写真用年賀はがき」と名称を変え、新商品として発行する。年賀状は2000億円以上を売り上げるビッグビジネス。民営化以降のサービス拡大は間違いないだろう。
郵政民営化の是非についてまで書くつもりはないが、新年を迎えるにあたっての慣習や礼節までがビジネスの一部として加速していくならちょっと複雑。今年の年賀状のキャッチフレーズは「あなたからも来るとうれしい年賀状」。それを聞いても今は、本当にうれしい、とひそかに思っているのは一体誰だ、と素直になれない自分がいる。
November 13, 2005 11:47 AM
2005年11月12日
プロ野球はビジネス?:山内崇章
昼下がりの強い日差しがスタジアムの芝を鮮やかに照らし出している。3年ぶりに取材で訪れた巨人の宮崎キャンプ。選手はひたすら白球を追い、首脳陣は新生巨人の立て直しに思いをめぐらす。ユニホームを着たものたちは純粋に技術、組織力の向上だけを目指している。雑音はない。聞こえるのは選手の野太い声とファンの声援だけ。ここに来ると実感する。やっぱり野球はいい。
またか、という感が否めなかった。そのプロ野球が、ビジネス至上主義の波にもまれている。村上ファンドが阪神電鉄株を約40%取得し、仙台に球団を持つ楽天が、横浜を傘下に置くTBSの筆頭株主となった。いずれも4日のオーナー会議で徹底議論され、それらの行為には、疑いの目が向けられた。多くの野球ファンにとっても、唐突で煩わしい問題にしか映っていなかったのではないか。
村上世彰氏は、阪神球団株の上場を提案したほか、TBSの株主にもなり横浜球団についてこう語った。「何でTBSというテレビ局が、ベイスターズを所有しなきゃいけないのか、僕には分からない。コア事業じゃない」。楽天の三木谷浩史社長は「(横浜の)売却先はある」との構想も関係者に示唆したという。
昨年も球界はピンチに立たされた。「日本の市場は1リーグ制が妥当」。一部のオーナーが自分たちの意を正当化させた言い分にも、やはりビジネスという単眼的な見解があった。そのうねりを変え、ファンの声を代弁してくれたのがIT企業の若手経営者だった。彼らのバイタリティーあふれる行動は、12球団2リーグ制の維持、史上初の交流戦実現へとつながった。
しかし、今回の三木谷社長の行動には、素直にうなずけない。野球を拝金主義の見地から語られてはたまらない。健全な球団経営のためには、確かにお金は必要だ。赤字経営を解消できていない球団は依然として多い。しかし、その論理の中で、プロ野球が持つ文化的意義を排除してしまうのはあまりに乱暴だ。
会社の同僚に大阪出身の阪神党がいる。こんなことを話していた。「自分はファンやない。阪神は人生やねん」。負けた日ほど、愛情ある言葉があふれ出す。日本シリーズで屈辱の4連敗した後でも「負けても負けても応援する、阪神は言うことを聞かない自分の子供のような存在」だと。同僚の言葉からは「来年こそ」の意気込みが伝わる。プロ野球には無償の愛を注ぎ続けるファンがいる。彼らは、感動見たさに球場へ足を運び、選手たちの一挙手一投足に歓喜してきた。
三木谷社長はTBSとの経営統合を目指すにあたり「無一文になってもやる」とも話した。あなたが一文なしになれば、せっかく根付いた仙台のファンはどうなるのか。村上氏は、球団を上場させたい理由に「経営の透明性が高まり、市場から資金調達することでより強いチームをつくれる」と力説する。自称「阪神ファン」を語るからには、単に株の売り抜けで終わらせることはないだろう。三木谷社長も1度は球界を救ってくれた人だ。野球ファンはじっと見守っている。
November 12, 2005 12:40 PM
2005年11月11日
レジ袋の音ウンザリ:小林千穂
ガマンできないものはいろいろあるけど、シャカシャカ、ガサガサ…。この音には、もうウンザリです。そう、ビニール袋の音。映画や落語に行って、いいところでシャカシャカ…。あっちでも、こっちでもガサガサ…。いったん気付いてしまうと、いつまで続くのかな、と気になってしょうがない。この間の寄席では、一番前のおばちゃんが、ずーっとこの音を立ててました。あまりにもど真ん中のお客さんだったので、高座の落語家さんは気になんないのかな、集中しているから大丈夫なのかしらと心配に。笑いに来てハラハラするのも何だなと思ったので、斜め後ろから、このおばちゃんを観察してみた。
ビニール袋の中から、別のビニール袋を取り出して、おまんじゅうらしきものをバクッ。さらに別の袋を取り出して、おせんべいをバリッ。さらにさらに、ビニール袋でしっかりくるんだペットボトルのお茶をゴクッ。どうでもいいけど、おばちゃんたちは、ペットボトルの首のところまでビニール袋でくるむのが好きです。ひとしきり落ち着くと、すべて丁寧に結び直して(これがまたでっかい音)、大きなビニール袋へ。ガサガサ袋・イン・ガサガサ袋、まるでロシアの民芸品マトリョーシカ。約4時間、断続的にこの行為が繰り返されたのです。
この日は特に、だったけど、似たような状況になる日はよくある。知り合いは、無声映画の特集上映で起こった殺伐とした状況を話してくれた。そう、無声映画。とんでもなく静かな劇場で、シャカシャカ、ガサガサと、「チッ」という舌打ち、あからさまな「はぁ~」というため息の応酬が繰り返されたという。あり得ないことがきっかけで始まる事件が多い最近だけに、ガサガサ袋から始まる事件が起こってもおかしくない! じゃあ、音のしないビニール袋を普及させてもらおうという短絡的な思考で、メーカー団体、日本ポリオレフィンフィルム工業組合に取材(懇願)してみた。
--ガサガサ袋が多いのはなぜですか
「音のするタイプは高密度ポリエチレン、ツルツルしたタイプは低密度ポリエチレンで、高密度の方が強度が高いのです。レジ袋は重い食品など入れるので強度が高い方がいいんです」。
--じゃあ、ガサガサ音がしなくて強度が高いものを作ってください。お願いします(本当に懇願)
「ここまできてできないってことは、もうできないんでしょう」。
--もう進歩しないってことですか
「そういうことかもしれません」。
--……。ありがとうございました
技術の発達は何でも可能だと思ってたけど、ビニール袋の進歩はここまでですか。ショックでトリの師匠の話をいまだに思い出せません。あり得ない事件が起こる前に、せめて会場、劇場の売店は紙袋にしてほしいものです。
November 11, 2005 11:53 AM
2005年11月10日
他人任せの「どうせ」:岡本学
「どうせ、ウチは弱いから」とか「どうせ、ホームスタジアムがよくないから」というような発言を、何度も耳にしていた。昨季までサッカーJ1リーグの観客動員で8年連続最下位(今季も29節終了時点で最下位)と低迷するジェフユナイテッド市原・千葉の関係者が、ホームに観客を呼べない理由として、この2点を挙げていた。
そんな千葉が、5日決勝のJリーグナビスコ杯でJリーグがスタートして13年目で悲願の初タイトルを手にした。シュート数こそ倍の22本を浴びたが、日本代表MF阿部を中心に粘り強い守備で、JリーグNO・1の攻撃陣を誇るG大阪を完封。結果的にはPK戦での勝利だったが、先手をとったオシム監督の選手交代、鍛えられた「若き」イレブンが走り勝った終盤の勢いが、優勝につながったように思う。千葉を93、94、04年と3シーズン担当した記者として、優勝を心から祝福している。心からおめでとう、と言いたい。そして、これからの一層の飛躍をチームには期待したい。
10月16日にはJR蘇我駅から徒歩圏にサッカー専用スタジアム(フクアリ)がこけら落としを迎えた。冒頭の「どうせ、ウチは弱いから」「どうせ、ホームスタジアムがよくないから」という言い訳はこの秋に一気に解消。ナビスコ杯優勝を飾った「11・5」はチームにとって、転機にならなければいけない記念日だ。
ただ、少し心配もしている。ナビスコ杯決勝を前にした10月、チーム関係者は晴れ舞台の観客動員へ積極的に動いていたようには見えなかった。「どうせ、たくさん入っても(決勝は)Jリーグのもうけになるだけだから」。このたぐいの発言を05年の担当記者から報告され、観客動員に必死で動き回ったJリーグ事務局の関係者から聞き、さらに自分自身でも耳にした。G大阪はバス20台の応援ツアーを実施し、チームスポンサーになっている飲食チェーンを決勝のサブスポンサーに決めた。各店長を国立に集めてチームの晴れ姿を見せ、スポンサーとしての支援継続を訴えた。「結果的にそこそこ入りそうだから良かったね」。4日の決勝前夜祭で「他人任せ」といわんばかりの発言をした千葉関係者の姿勢とは雲泥の差だ。
千葉からすれば、残り3試合があるフクアリでのリーグホームゲームの動員に必死なのだろう。だが、ナビスコ杯決勝という絶好のアピール舞台を前にしても「どうせ…」の発言が出た時には残念でならなかった。「どうせ」という言葉を辞書で調べると「宿命的にそう決まっており、それ以外に選択の余地は無いことを表す」(三省堂・新明解国語辞典)とある。千葉関係者が口にしてきた「どうせ…」は「あきらめた」というようにしか聞こえなかった。それも、もう通用しない。「客が入らないから」とここ数年は年俸を抑えられながらも、あきらめず、プロとして結果を出した選手たち。これに報いる、千葉フロントの結果にこれから注目していきたい。
November 10, 2005 11:14 AM
2005年11月09日
10万が感動 松永の一礼:高木一成
スポーツに記録はつきものだが、今年は本当に久々の出来事が多い。プロ野球では千葉ロッテが31年ぶりの日本一に輝き、メジャーリーグではホワイトソックスが88年ぶりにワールドシリーズを制覇した。そういえば、巨人がドラフト入団を拒否されたのは25年ぶりだとか。そして競馬では、ディープインパクトが21年ぶりに無敗の3冠馬になった。
だが、○年ぶりってことなら、先日、東京競馬場で行われた天皇賞はもっと大変な1日だった。天皇、皇后両陛下が観戦に来られたのだが、皇太子時代は別として、天皇の競馬観戦は1899年5月の明治天皇以来。実に106年ぶりのことだった。もともとはJRA創立50周年にあたる昨年観戦される予定だったが、直前に新潟県中越地震が発生したため延期となった経緯がある。2年越しのビッグイベントに、馬主、調教師のなかにも「陛下の前で馬を走らせられるなんて光栄なことはめったにない」と気合の入っている人も多かった。
僕個人としては当日までは「天覧」と聞いても、ピンとくるものがなかった。「そういえば、長嶋茂雄が天覧試合でサヨナラホームランを打ったのが、子供のころテレビで話に出ていたな」ぐらいの感覚。だがレース後のワンシーンで、やっぱりすごいことだったんだと思わされた。
勝者の松永幹夫騎手(38)とヘヴンリーロマンスは、ウイニングラン後、両陛下が観戦されたメモリアルスタンドの貴賓室正面で立ち止まった。そして、向きを直したジョッキーがヘルメットを脱いで馬上から深々と一礼。レース後で興奮状態にあるはずの馬も、誇らしげに堂々と立っていた。それは、それまで天覧競馬に特別な意識を持ってなかった自分にとっても感動的な光景だった。一瞬、厳かな雰囲気に包まれた後、10万人を超えるファンも惜しみない拍手を送っていた。各人の思想、また馬券の損得を抜きにして、みんなが独特の雰囲気に感じるものがあったのだと思う。受け入れ態勢を整えた東京競馬場の船一郎場長(55)は「あのシーンに収束される。ずっと続けてきた日々の苦労が報われた感じがした」と振り返る。
この日、JRAでは、もっとも客が入るダービー時以上に、警備スタッフの人員を配置した。前日には警察とともに、排水溝や天井裏など普段何もしないところにも、入念なチェックを入れた。同競馬場の皆川亨安全対策課長(41)は「こういうご時世ですから、万が一のテロの気苦労とかもあった。レースが終わって陛下の車が門を出たときには、そばについていたスタッフはみんな脱力したようです」と話す。数カ月前から緊張が続く状態だったのは想像に難くない。当然、そう度々行えるものではなく、100年たっても「天覧競馬」が計画されることはないかもしれない。そう考えると、あの日の光景を生で見れたのは、いい経験だったと思えてくる。
それにしても…。最後は俗な話になるが、馬券は惨敗。女系天皇容認の動きが出てきたときに、単勝で18頭中14番人気の牝馬が優勝するとは…。競馬は世相を反映するとは、よく言ったものだ。
November 9, 2005 11:49 AM
2005年11月08日
ロッテよ大リーグを本気にさせろ:千葉修宏
来年3月に“野球のW杯”ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)が開催されます。出場する可能性の高いペドロ・マルティネス(ドミニカ共和国出身=大リーグ・メッツ)やロジャー・クレメンス(米国出身=同アストロズ)といった世界最高の投手たちと、日本代表がどのような戦いを繰り広げるか。個人的には大いに注目したいところです。
ただWBCは、ファンにとって興味があるものかもしれませんが、選手の立場からすると複雑な思いを抱く大会ではないでしょうか。W杯の歴史があるサッカーと違い、プロ野球選手は国を代表して戦った経験があまりありません。その上、例年ならシーズンへ向けた最終調整を行っている時期。果たして名誉だけのために、3月に100%の力を発揮できるように仕上げてくるのかどうか。正直、ケガを心配している選手は多いでしょう。
それよりロッテ・バレンタイン監督が提唱している、球団対抗の世界一決定戦”を実現させた方が、ファンにも、選手にとってもありがたいのでは。そういう意味で、絶対に成功させて欲しいのが、10日開幕の「アジアシリーズ」。日本、韓国、台湾、中国の優勝チームが集まり(中国だけ混成チーム)、王者を決定するものです。
この大会が盛り上がらなければ、その先の「アジア王者対米国王者」という図式も見えてきません。アジアのレベルの高さを示して、大リーグ側に「これらのチームと対戦すれば興行的にも成功する」と思わせたいところ。それには今大会を、今までオフに行われてきた日米野球のような“お祭り”にしてはいけません。日本を代表するロッテには、他チームを蹴散らすぐらいの意気込みで、真剣に戦って欲しいです。
ところで各国の野球のレベルはどれぐらいなのでしょうか。昨年、シーズン56本塁打の“アジア記録”を持つ李承■選手が、サムスンからロッテに移籍してきました。しかし1年目の結果は打率2割4分、14本塁打、50打点。ロッテの同僚で、今年のベストナインにも輝いたフランコ選手は当時、なぜ李選手が満足のいく成績を残せないのかを説明してくれていました。
同選手は「米国、日本、韓国では、投手の平均球速が5キロくらいずつ違う感じがする。その5キロが大きいんだ。日本ではそこにフォークなどの縦の変化が加わる。李にとっては初めて体験する球、攻められ方ばかりで、対応するのに時間がかかるのは仕方がない。でも彼に才能があるのは間違いないよ」と話してくれました。
ある国際スカウトに聞いたところ、今オフ、韓国球界には、日本や米国でプレーできそうな選手が2、3人。台湾も同じような状況だそうです。それを考えるとリーグのレベルは日本が一枚上でしょう。チームとしても、ロッテの統計担当プポ氏は「今、分析中だけどウチの方がサムスンより強いよ」と言います(台湾の興農、中国チームの実力ははっきりとは分かりませんが)。
それでもロッテには手を抜くことなく圧勝して欲しい。そうすることで来年、さらに他チームが目の色を変えて戦いを挑んでくるでしょう。それが大会の盛り上がりを生み、アジアのレベルアップとなり、最終的にはクラブ世界一決定戦へとつながるのです。
※■=火へんに華
November 8, 2005 11:44 AM
2005年11月07日
一所懸命 元彌に感動:荻島弘一
最近、テレビ番組で日本語を扱ったものが多い。正しい漢字の使い方、敬語の使い方、普段文章を書いている者としては完ぺきに分かって当たり前だとも思うが、それでも「へえー」と驚くことが少なくない。もっとも、ほとんどの人が間違えるのは、すでにその言葉の意味が変わってきたということ。いずれは、今の間違いが正しい意味になるのではとも思うけれど。
記者になったばかりの20年ほど前は「一生懸命」と書くと「間違いだ」と指摘された。正しくは「一所懸命」。最近では「一生」の方がはるかに一般的で「一所」と書く方が珍しいかもしれない。もともとは、主君からの領地(一所)を命を懸けて守ること。それが転じて一生となった。もっとも、個人的には「ずっと懸命に生きる」という抽象的な一生懸命よりも「1つのことに真剣になる」一所懸命の方が好きなのだが。
3日のプロレス興行「ハッスルマニア」で、狂言師の和泉元彌がプロレスに挑戦した。本場米国のWWEで活躍する鈴木健想に必殺の「空中元彌チョップ」で勝った。まあ、勝ち負けなどどうでもいいけれど、とにかく内容が素晴らしかった。「元彌はプロだなあ」と思える試合だった。
プロレス担当の来田記者は「もっと特殊効果を使うのかと思っていたけれど、本当にプロレスでした。元彌は、ものすごく真剣でしたから」と教えてくれた。相手の舞台に立って「失礼のないように」考えたという。だからこそ、時間をつくって練習をするなど、取り組み方も真剣だった。
狂言師のプロレス挑戦には、批判の声もあったはずだ。はっきり言って「ばかばかしい」ことかもしれない。本人にとって、プラスどころかマイナスにもなりかねない。それでも、元彌はやった。「一所」に懸命になる姿は美しい。張り手を受けて苦痛にゆがむ表情には、感動すら覚えた。
ばかばかしいことでも、つまらないことでも、真剣に取り組めば感動を与えるものになる。元彌に対する批判も、ハッスルに対する批判も、すべてをのみ込んで「面白かった」と心から言えれば、それでいいとも思う。メーンで大暴れをしたHGとともに、大会は大成功に終わった。
もともと、ハッスルが目指すのは「8時だヨ!全員集合」だそうだ。かつて、土曜日の午後8時に子供たちをテレビの前に集めたお化け番組。PTAは「教育上よろしくない」と目くじらを立てたけれど、面白いものは面白かった。批判されることを承知で書くなら「面白ければいい」のだ。もちろん、全員集合もドリフターズをはじめ出演者は真剣に取り組んでいたはず。だからこそ面白かった。
一生懸命に生きていこうとは思っていない。でも、常に一所には懸命でいたいと思う。それがどんなに人につまらないことと思われても、かまわない。懸命になれること、なれるもの。それがある人が、幸せなのだ。試合後、テレビに映し出された元彌の晴れやかな表情を見て、そう思った。
November 7, 2005 12:15 PM
2005年11月06日
見ぬふりできぬ「改憲」:桐越聡
よく利用する地下鉄の駅で、この半年間ほど目にしていたポスターが、数日前、はがされた。それは、ぼう然と立ち尽くしたサラリーマン風の中年男性が「今朝、痴漢の現行犯逮捕を目撃した。人として情けないと思う」と、利用客に訴える「痴漢・盗撮行為撲滅キャンペーン」の啓発ポスターだ。
痴漢や盗撮は被害者に深い心の傷を残す卑劣な犯罪行為。痴漢や盗撮の加害者、あるいは被害者がいると気付いたとき、助けるような行動に出たいと、ポスターを見るたびに強く思った。後ろめたさが残ったり、釈然としないことを「見て見ぬふり」するようなことはできる限りしたくない。そんなことを時々思う。
10月28日、自民党は新憲法草案を公表した。戦力不保持、国の交戦権は認めない憲法9条第2項は削除され、代わりに「自衛軍」を保持と明記。現行の憲法が禁じているとして、政府が否定してきた、集団的自衛権の行使を認めると解釈できるような条文になっていた。私にとっては、まさに「見て見ぬふり」できない草案だった。
同盟関係にある国が第三国から攻撃されたとき、日本は攻撃されていなくても、その攻撃された国とともに武力攻撃できるという権利が集団的自衛権。その権利を行使するということは「親友がケンカを仕掛けられたのだから、助けるのは当たり前」という言い分と似ている。実際、親友が目の前でケンカに巻き込まれたら止めようとする。だれしも、静観できないだろう。
しかし、ケンカなら百歩譲っても、国対国の戦争となると話は大きく違う。日本の交戦権を認めることを、平然と受け入れるのは難しい。
同盟国が攻撃されているのに、手出ししないのは現実的な選択としてあり得ない-。自民党、民主党はそんな方向へ傾くようだ。しかし、集団的自衛権の行使を認められた「自衛軍」が武力攻撃すれば、米国と一体とみなされる日本は敵の攻撃対象にもなるだろう。家族が生命の危険にさらされるようなリスクを毅然(きぜん)として受け入れるような覚悟は、私にはまだない。
改憲論議を進めたい。そんな動きが増している。「郵政民営化、賛成か反対か」と、国民に問い掛けられた今夏と同じく「集団的自衛権の行使を認めるのか、認めないのか」と問い掛けられるのは、決して遠くない将来ではないか。そんな気持ちがしてくる。
国土を守る、国民の生命を守るには「自衛軍」は必要だろう。もちろん、米軍との関係強化もしていかなければならないと思う。しかし、戦争を放棄した国の憲法が集団的自衛権の行使を認めるのは釈然としない。
これは1人1人にとっても「見て見ぬふり」できない問題だと思うのだが。
November 6, 2005 11:37 AM
2005年11月05日
小橋いつでも「最高」:横田和幸
プロレスの興行が成功したか否かは、観客数だけでは測れない。あくまでも成功への第1関門であり、観客の立場になった場合、その数はどうでもいい。要は支払った入場料の対価として、満足感が得られたかどうか。会場からの帰路、例えば電車内でその答えは分かる。
「いやぁ、今日の試合は、最高やったわ」と感嘆し合う会話があれば、「最近の○○は、ホンマ、おもんない」と、具体名を挙げて怒りの言葉が飛び交ったりする。最近の団体は3000円から、1万円超の入場料金が相場。彼らはお金を払った以上、シビアに判断している。
ここからは私の独断と偏見。50以上の団体乱立時代で、圧倒的支持を得ているのは、団体ではノア、選手だと、前GHCヘビー級王者の小橋建太(38)と確信する。「ノアの興行に外れナシ、小橋の試合に最高以外ナシ」。私が作った格言だが、帰路の電車内は興奮した観客が、実際、絶賛の言葉を並べている。
10月28日の大阪府立体育会館もそう。メーンの6人タッグで、小橋は全日本時代から大先輩の天龍源一郎(55)と初めてタッグを組んだ。17歳上の大先輩には当時から、認められたことはない。天龍がノアに初参戦した今年1月以降、会場で目を合わせてくれたこともない。要は存在自体を無視されていた。小橋は燃えていた。
「天龍さん、オレと会場で会っても、絶対に会話もない。今度のタッグは、最初で最後になるかもしれない。対戦相手が敵ではなく、あのオッさんと勝負したい。向こうがチョップを10発打てば、オレは11発。100発だったら、オレが101発!」
大人げないかもしれないが、こういった感情表現ができれば、試合は自然に盛り上がる。天龍に負けじとチョップを連発。呼吸せずに放つ無酸素チョップまで披露し、天龍のほぼ2倍にあたる50発のチョップを打ち込んだ。日本プロレスの父、力道山の空手チョップが空前のブームとなって半世紀。練習では壁に向かって練習するという鉄人チョップで、場内を興奮させていった。
その試合後、小橋は天龍に握手を求めるドラマが起きた。日刊スポーツでは「歴史的握手」と報じた。互いに存在を認めない平行線を歩み続けた過去を考えれば、これ以上のドラマはない。
この日詰め掛けた4400人の観客は、再びノアを、小橋の試合を見たいと思う。こういった積み重ねが、7月18日の東京ドーム大会に、6万2000人という驚異的な動員を図れた理由なのだろう。
こうなれば、小橋と天龍の定期的なタッグを結成してはいかがか。全日本が誇る最強タッグリーグ戦と同等のタッグイベントを開催すれば、ノア人気は盤石となるのではないか。三沢社長には、ぜひ、ご一考を願いたい。旗揚げから5年3カ月。ノアの顧客満足度は、右肩上がりを続けていくはず。再びプロレス黄金時代の主役を担ってほしい。
November 5, 2005 03:12 PM
2005年11月04日
葛西の笑顔が見たい:上野耕太郎
私の住む札幌では「雪虫」と呼ばれる小さな虫が飛び始めた。厚手のコートを着込んで取材をしている。冬が近づいてきている。
来年2月のトリノ冬季五輪まで100日を切った。個人的に応援している選手がいる。スキー・ジャンプの葛西紀明選手(33=土屋ホーム)だ。代表候補に入り、5度目の五輪出場に挑む。
北海道で記者をやっているのにもかかわらずジャンプの取材は数えるほどしかない。恥ずかしながら片手で足りる程度だ。そんな私が今でも覚えていることがある。
95年の冬のこと。入社1年目の私は初めて大倉山ジャンプ競技場に向かった。ジャンプ場は寒いと先輩記者から聞いていた。前日にスキーウエアを探したが、ない。大学時代は弟のウエアを借りていた。仕方がない。12歳からほとんど身長が伸びなかったせいで、小学校時代のウエアがまだ着られた。鏡を見ると流行からかけ離れた姿だった。
テレビで見ていた冬のアスリートたちの取材に緊張していた。そんな不格好も気にしている余裕もなかった。「あっ、葛西だ」。緊張しながら取材に行った。あいさつをしている途中だ。葛西が人懐こい笑顔で噴き出し、言った。
「どうしたんすか、その格好」。
周りの記者も思わず笑っていた。その笑いを気にしたのか、すぐに真顔に戻った。
「僕ので良ければ明日、持っていきます。もらったものとかありますから」。
翌日に私は取材へ行けず、もらえずじまい。翌月、2回目の取材のとき。
「この間、ウエアを持ってきていたんですけど。どなたかに渡せば良かったですね」。
正直、その気遣いに驚いた。しかも、初対面の人間に対して。その後の記者経験でもこんな出来事はない。
親切にしてもらっただけで、応援しているわけではない。信じられないような人生の厳しさを味わっているからだ。葛西が21歳の時、5歳下の妹久美子さんが大病を患った。97年5月には母幸子さんが知人宅で火事に遭い48歳の若さで他界した。
天才は苦悩する。下川中3年の宮様大会ではテストジャンパーを務め、優勝者の記録を上回った。16歳8カ月での世界選手権の出場は日本人選手として破られてはいない。所属した地崎工業も98年3月末、その後移籍したマイカルも01年10月に廃部になった。
絶えることのない笑顔。33歳の年齢以上に背負ったものがある。だからこそ、人の痛みが分かり過ぎるのかもしれない。2度しか取材をしていない私が言うのも失礼な話だが。
日本のエースと呼ばれて15年。なぜか五輪、世界選手権といった大舞台で力が発揮できずにいる。02年のソルトレークシティー五輪では不調のため、団体戦の出場を辞退した。
五輪のメダルは94年リレハンメル大会の団体銀のみ。来年こそ。わがままに、自分だけのために大きく飛んでほしい。優しい男の笑顔が見たいんだ。
November 4, 2005 12:11 PM
2005年11月03日
「ゆとり」文化の違い:永井孝昌
米の味。水の味。スマートに渡せないチップ。待てど暮らせどこない電車。前後の車に少しくらいぶつけても気にしない縦列駐車。通じない「テークアウト」に「モーニングコール」。宗教上の禁忌。おおらかだったり頑固だったり、いいかげんだったりする国民性。歴史の重みと、大自然。
日本を1歩飛び出せば、慣れないことがたくさんある。新たな国を訪れるたびに、驚いたり困ったり、感動したりすることも1度や2度ではない。それでも、2、3日も現地で過ごせば大抵のことには慣れるもの。むしろ見知らぬ習慣や常識との出会い、新たな価値観の発見が、海外へ出掛ける最大の醍醐味(だいごみ)かもしれない。
ただ中には、どうしても慣れないものもある。
滞在中のフランクフルトのホテルでこの原稿を書いているただいまの時刻は、10月29日土曜日を3時間過ぎた、30日の午前2時………2時ぃ?
10月最後の日曜日。その日、ヨーロッパ全域(一部除く)で一斉にサマータイムからウインタータイムに切り替わる。ドイツなら午前2時が、グリニッジ標準時(GMT)の英国なら午前1時が年に1回この日だけ、2度やってくる。3月最後の日曜日まで5カ月間の、ヨーロッパの長い冬。現地で「冬到来」を経験するのは人生2度目だが、頭の中で1時間足したり引いたりしているうちに、原稿の締め切り時間まで分からなくなってくる。
そのサマータイム、日本でも導入の動きがある。日本では48年から4年間だけ導入していた時期があるが、国会では99年に再導入を求める動きが活発化し、北海道では今夏も札幌商工会議所が提唱する「北海道サマータイム制」の導入実験が行われた。推進派の主な理由は、日照時間の有効活用と温暖化対策。だが効果のほどは明確でなく、本当に導入すべきかどうかにはまだまだ議論を尽くす必要がある。
ただ、実際に時計の針を回しながら感じるのは「あぁ、今年の夏も終わりかぁ」という思い。日本人が「すっかり日が短くなったねぇ」という言葉で表す冬の訪れを、ヨーロッパの人々はきっと、家中の時計の針をキリキリと巻き合わせながら実感するのだと思う。10月最後の日曜日。ベッドから出たくない日々がやってくる冬を目前にして、1日だけ、1時間の朝寝坊が許される文化には、夏、余暇、時間、そして「ゆとり」に対する日本人との根本的な意識の違いがにじんでいる気がする。
サマータイムの恩恵を受けて私も1時間、得をさせてもらったものの、その時間を有効利用するヒマもなく10月31日に海外出張を終えて帰国することになった。1時間得をして、7時間、いや8時間損をして…と頭は混乱するばかりだが、帰国して、待っているのは人込み、渋滞、狭い部屋。常軌を逸した満員電車に星の見えない都会の夜空。もうすぐ故郷で過ごした日々と上京してからの年月が同じ長さになるというのに、海外どころか、まだまだ都会暮らしには慣れないことがたくさんある。そして日本がそんな国であるうちは、「サマータイム導入によるゆとりある暮らし」などまやかしでしかないのかもしれない。
November 3, 2005 12:58 PM
2005年11月02日
新たな“発掘”続ける:栗原弘明
ロッテ担当を1年間やってきて、最高のプレゼントをもらった気分だった。阪神に4連勝しての日本一。阪神ファンがロッテをたたえる姿も印象的だった。ふと、1年前のことを思い出した。昨年9月17日、労組日本プロ野球選手会と日本プロ野球組織の労使協議で、ストライキ決行が決まった。「プロ野球にとって最悪の日」と感じた。あの日は、一生忘れないだろう。昨年、連盟担当だった私は、野球記者であるのに、1年間、野球の試合どころではなかった。ロッテも西武との合併などが取りざたされていた。
そのロッテが、今季開幕後から快進撃を続け、プレーオフを制し、とうとう日本一にまで上り詰めた。バレンタイン監督の繰り出すマジックは新鮮だったし、それを解き明かそうと必死だった。試合の取材は楽しい。かといって、野球界の問題はなくなったわけではない。そういう気持ちから、自由な題材がこのコラムの特徴ではあるが、あえて野球を書き続けてきた。
1回目のコラムで「開かれた野球場を」と訴えた。ロッテの本拠地、千葉マリン球場は構造上の問題もあり、チームの取材エリアが狭い。そこで、メディアへのアピールを考えれば、そこを再考してはどうかと提案した。その記事を読んでくれた球団は、即座に動いた。キャンプ中に選手会と話し合いを持ち、オープン戦から駐車場など、今までは閉鎖されていたエリアが取材可能になった。気軽に選手に取材できるようになり、プレーオフ、日本シリーズでもその「成果」を生かすことができた。球団が変わろうとしている姿勢は、開幕前から十分に伝わってきていた。
私自身はやり残したことも多かった。日本シリーズでブレークした今江は、初戦で活躍した直後「自分が新聞に大きく載るとしたら、霧でそれが小さくなるのは嫌やなあ」と冗談交じりに漏らした。私は、それを笑えなかった。今江の4安打でチームは圧勝したが、濃霧コールドゲームという異例の幕切れだった。
今季、何度もロッテ選手を取り上げてきた。今江も精神面を含めて、間違いなく、将来は球界を背負って立つ人材になると確信してきた。だが、翌日の大見出しは「ロッテ」「バレンタイン監督」がほとんどだった。最大の功労者はバレンタイン監督だから、それは仕方のないことかも知れない。だがスポーツ新聞の大きな役割の1つは、クサくなってしまうけれど、次代を担う新たなヒーローの発掘にあるはずだ。自分がもっとアピールしていれば。内面に踏み込んだ記事を書いていれば。「今江」をはじめとする選手の見出しは、何度も大きくなっていたかも知れない。「新聞」と口にしてくれた今江はありがたいが「活躍しても個人のことは、なかなか取り上げてくれない」と感じさせてきたことは、心残りだった。
と思っていたところ、人事異動で私のコラムも最後になってしまった。10年以上前、駆け出し記者として悪戦苦闘していた東北総局に赴任する。今までとは違った立場で東北のスポーツ、文化に接することになる。どんな小さな出来事でも見て、聞いて、思う、という努力を続けていきたい。
November 2, 2005 11:52 AM
2005年11月01日
楽しきむなしき祭典:小林千穂
東京国際映画祭が10月30日、閉幕した。印象に残ったことをいくつか。
オープニングでは、レッドカーペット脇で、お笑いタレントがテレビ番組の企画でギャーギャーと騒ぎ、ゲストに片っ端から「何の映画に出てるんですか」と質問していた。し、失礼な質問を…。日本の若手俳優なんかは「あっ、○○さんだ!」なんて結構うれしそうに、このお笑いタレントに反応していた。私はそれを見ながら「お願い、お願い、せめて海外ゲストに下品なことしないで~」と祈っていた。当然というべきか、その願いはかなうことはなかった。「一体、誰のための映画祭なのか」という疑問を抱き、ちょっとむなしい思いをした。
そんな気分で始まった映画祭だったが、興味を引かれた企画がいくつかあった。1つは短編映画、ショートフィルムの特集上映。「ショートショート フィルムフェスティバル」という別の映画祭での受賞作品を集めたものだ。グランプリのフランス作品は10分21秒。笑いとハラハラ感がぎゅーっと詰まっていた。ラスト10秒の製作には1年かかったという。
作品の面白さももちろん、短編映画の可能性についても興味深かった。ジョージ・ルーカスもスティーブン・スピルバーグも短編から出発しているし、あくまでも長編監督への足掛かりというイメージを持っていた。しかし「ショートショート-」の実行委員長東野正剛氏(37)は「以前は長編への名刺代わりという部分もありました。現在では、ネット配信に作品1本をそのまま出せる短編映画は、コンテンツを提供する企業からの要望も多いのです」と話す。環境は確実に変化しているんだなあ。時間の制約があるからこそ、表現できることもある。ストーリーのエッセンスを凝縮した短編映画の面白さ、可能性が広がればいい。
もう1つ面白かったのは、自治体や地域で映画やドラマのロケを誘致・支援する「フィルムコミッション」のシンポジウム。地域の活性化に加え、受け入れ態勢が整っていれば製作側にもメリットがある。はやりと言ってもよく、フィルムコミッションは全国に80近くある。シンポジウムが1日だけだったのは残念だったが、いい話ばかりではなく、「美しい風景」を撮ってほしい地元と、製作側とのズレなど、問題点もしっかり話し合われていた。
短編映画特集にしてもフィルムコミッションのシンポジウムにしても、参加者がとても積極的で、イベントに活気があったのが印象的だった。「映画が好きなんだ」という気持ちひとつから出る情熱や、その気持ちそのものが漂う心地いい空間だった。振り返って、オープニングのレッドカーペット脇で騒いでいたタレントに見せ
