2005年10月26日
ツネにリーダー宮本:横田和幸
悪夢としか言いようがない。JリーグG大阪のDF宮本恒靖(28)が、22日の大分戦(万博)で右ひざを負傷した。担架で運ばれる苦悶(くもん)の表情は、ナビスコ杯決勝やリーグ戦の出場が厳しくなったと、容易に察知できた。全治は4週間だから全戦絶望ではないが、無冠クラブが一気に2冠獲得のチャンス。これは、本人が最も悔しいだろう。
G大阪でプロ契約を結んだ95年から11年間、彼の成長を見てきた。学生時代からチームでは主将、学校では生徒会長や学級委員を歴任したという。男前で英語が得意で、知性も兼備している。
02年W杯では、鼻骨骨折しながらフェースガード姿で活躍し、大ブレーク。NHK紅白歌合戦の特別審査委員に選ばれ、個人カレンダーや写真集は7000部以上が即座に完売。世間の愛称は「ツネ様」。嫁も子供もいて、ポジションは地味なDFなのに、ここまで存在感を示せたのは、ある意味でFWカズに並んだといっても過言ではない。
表面的には完ぺきな人間と思えるが、決してそうではない。
もう時効だろう。03年4月29日の鹿島戦(万博)だった。後半ロスタイムに宮本が相手にPKを与え、G大阪が逆転負け。試合後の宮本の「あの判断は間違っていなかった」という談話がメディアに流れ、チーム内も揺れた。最低でも引き分けで終わらせたい展開で、関係者は「それは言うべき言葉じゃない」と憤慨した。
本人は決して「オレが悪くない」と示唆したかったのではない。ペナルティーエリア内だったが、あの場面でチャージしないと決定機になった。それに対するプレーの根拠を述べただけだが、プロの集団だからそんな1フレーズが、カチンとくることもある。思ったことはストレートに表現する宮本に、取材をしているこちらが、ヤキモキしたのも数回ではない。当時、26歳だった。
G大阪で初主将を務めた00年もそう。シーズン中断中にセリエAブレシアの紅白戦に参加した。イタリアへは2泊4日の強行軍というから驚いた。リーグ戦を控えた状況で、冷静沈着な宮本の奥底に眠る無鉄砲さに、違和感をおぼえた。欧州移籍の願望が強すぎたのかもしれない。当時、まだ23歳の若さだった。
今年の宮本は主将の肩書はないが、シジクレイ主将を補佐し、周囲を冷静に見渡せしている。8月末にセリエAトレビソからオファーが届いた際に「G大阪で優勝したいから」と移籍を断念した。精鋭が集まる代表で発揮していたリーダーシップが、ようやくクラブで自然体で表現できている。彼にもリーダーとしての経験が必要だった。
優勝の重圧がかかる終盤戦。宮本が仮に欠場していても、練習場でリハビリに励む姿があれば、チームに活力を与えるはずだ。「ツネさんのぶんまで頑張らないと」とはエース大黒。真のリーダーになった28歳の宮本は、こんなケガに負ける男ではない。私も1日も早い復帰を願っている。
October 26, 2005 12:39 PM
